Jeremy DeSilva『直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足』
ジェレミー・デシルヴァ(Jeremy DeSilva)著、赤根洋子訳で、文藝春秋社より2022年8月に刊行されました。原書の刊行は2021年です。電子書籍での購入です。本書はまず、人類系統で二足歩行が選択された理由を検証します。二足歩行は現生分類群では鳥類でも見られるので(本書は爬虫類と爬虫類に含まれる鳥類の二足歩行も取り上げ、人類の二足歩行よりはるかに長い歴史がある、と指摘します)、直立二足歩行とより限定すべきかもしれませんが、それはともかく、人類の二足歩行は速度が遅く、捕食者対策の観点では致命的になりかねません。それでも二足歩行が選択されてきたのには、重要な理由があるのだろう、というわけです。
二足歩行自体は非ヒト霊長類で広く見られるので、問題は、二足歩行の頻度がどのような条件下で「時折」からヒトの「常時」へと変わったのか、ということです。この問題についてはさまざまな仮説がこれまでに提示されてきましたが、まだ決定的には解明されていませんし、複数の仮説の組み合わせが妥当なのかもしれません。この問題の解明には、実際の化石記録とその当時の環境(古環境)の再構築が重要になります。初期人類でまず解剖学的特徴がよく分かったのはアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)で、とくに322万~318万年前頃の「ルーシー」と呼ばれている女性個体は保存状態がよく、初期人類の理解に大きく貢献しました。「ルーシー」からは、アウストラロピテクス・アファレンシスが、現代人と完全に同じではないとしても、二足歩行をしていた、と確証されました。
2000~2002年にかけて、アウストラロピテクス・アファレンシスよりもはるかに古い初期人類候補の化石が相次いで公表され、それはアルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)とオロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)とサヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)です。このうち、オロリン・トゥゲネンシスとサヘラントロプス・チャデンシスは、その古さから人類の二足歩行の起源を解明するうえで大いに注目されました。しかし、発見と研究に関わった研究者以外には化石が公開されていないことなど、研究の進展を阻む古人類学の暗い側面があることを、本書は指摘します。サヘラントロプス・チャデンシスについて本書では、大腿骨が発見され、近いうちに論文が発表されるだろう、と述べていますが、原書刊行後の論文では、サヘラントロプス・チャデンシスがすでに二足歩行をしていたことに加えて、樹上性のよじ登りがおそらく移動行動の大半を占めていただろう、と示唆されています(関連記事)。
これら最初期の人類候補の化石が少なく断片的で、人類の二足歩行の起源について得られる情報が少ないのに対して、1990年代に発見されたアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)は、多数の化石が発見されたことから、初期人類についての知見を飛躍的に増加させました。アルディピテクス・ラミダスは、森林が後退し、草原が拡大していた440万年前頃のアフリカにおいて、森林に覆われた環境に生息していたようです。それを反映してか、アルディピテクス・ラミダスの骨は樹上生活への適応を示しています。アルディピテクス・ラミダスの骨から、人類の二足歩行に適した特徴は、一括して短期間に出現したのではなく、長期にわたって部分的に進化し、斑状であることが改めて確認されました。たとえば、現代人的な足は小指側から進化し、アルディピテクス・ラミダスの頃には現代人的でしたが、親指側が現代人的になったのはその後でした。
アルディピテクス・ラミダスの研究は、人類の二足歩行の起源について、有力な仮説に疑問を呈しました。現代人にとって最近縁の現生分類群であるチンパンジー属と、次いで近縁なゴリラ属の移動様式がナックル歩行(ナックルウォーク)であることから、現代人とチンパンジー属の最終共通祖先、さらには現代人とチンパンジー属とゴリラ属の最終共通祖先の移動様式はナックル歩行だった、と仮定することは合理的です。しかし、アルディピテクス・ラミダスの研究から、初期人類の移動様式はナックル歩行ではなかったかもしれない、と指摘されました。その後の研究では、チンパンジーとゴリラの大腿骨の発生パターンが著しく異なることから、現代人系統とチンパンジー属系統とゴリラ属系統は「普通のサルのような四足歩行」をしており、チンパンジー属系統とゴリラ属系統のナックル歩行は収斂進化だった、と指摘されています(関連記事)。本書は、ヨーロッパで発見された中新世の類人猿化石のダヌヴィウス(ダヌビウス)・ガゲンモシ(Danuvius guggenmosi)をじっさいに観察して(関連記事)、二足歩行は地上に下りてからではなく樹上で始まった可能性が高そうだ、と指摘します。つまり、ナックル歩行はかなり派生的な移動様式で、人類の二足歩行は新たな環境における旧来の移動方法だった、というわけです。ただ本書は、現代人とチンパンジー属とゴリラ属の最終共通祖先の移動様式がナックル歩行だった可能性もまだある、と慎重に指摘しています。
人類の二足歩行は単線の進化ではなく、400万~300万年前頃には、アウストラロピテクス・アファレンシスだけではなく他のアウストラロピテクス属が存在し、200万年前頃に存在したアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)とともに、多様な二足歩行が見られます(関連記事)。これらの400万年前頃以降の人類のうち、どれが現代人につながるホモ属へと進化したのかまだ確定しておらず、本書は、未発見種がホモ属に進化した可能性も指摘します。ホモ属は、単に大型化したアウストラロピテクス属ではなく、身体の比率もアウストラロピテクス属とは異なっており、具体的には脚が長くなっています。ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、異論の余地のない最初のホモ属であるホモ・エレクトス(Homo erectus)の脚と足は現代人とほぼ同じでした。ただ、これらホモ属の間でも二足歩行に微妙な違いはあり、人類史では30万~4万年前頃とつい「最近」まで、有名なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の他にも、現代人とは二足歩行において多少異なっていただろう、ホモ・ナレディ(Homo naledi)やホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)が存在していた、と確認されています。
本書は現代人の二足歩行についても詳しく解説しており、地域により歩き始めるようになる年齢が違うのは文化的要因のためと指摘しています。たとえば、密林で暮らす狩猟採集民にとって、周囲の環境は子供にとって危険なので、都市部の安全な環境で暮らすアメリカ合衆国の人々よりも子供が歩き始めるのは遅れる、というわけです。一方で、都市部の安全な環境で暮らすアメリカ合衆国の人々よりも子供が早く歩き始める集団もあり、たとえばケニアやウガンダでは、沐浴のさいに子供の足をしっかりとマッサージすることが筋力を高める、と指摘されています。その他に、歩行が健康に良いことというか、現代都市住民のように歩かなくなることが健康に悪いことや、歩行が思考を促進することなど、本書には「実用的な」解説もあり、有益な一冊になっていると思います。
参考文献:
DeSilva J.著(2022)、赤根洋子訳、更科功解説『直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足』(文藝春秋社、原書の刊行は2020年)
二足歩行自体は非ヒト霊長類で広く見られるので、問題は、二足歩行の頻度がどのような条件下で「時折」からヒトの「常時」へと変わったのか、ということです。この問題についてはさまざまな仮説がこれまでに提示されてきましたが、まだ決定的には解明されていませんし、複数の仮説の組み合わせが妥当なのかもしれません。この問題の解明には、実際の化石記録とその当時の環境(古環境)の再構築が重要になります。初期人類でまず解剖学的特徴がよく分かったのはアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)で、とくに322万~318万年前頃の「ルーシー」と呼ばれている女性個体は保存状態がよく、初期人類の理解に大きく貢献しました。「ルーシー」からは、アウストラロピテクス・アファレンシスが、現代人と完全に同じではないとしても、二足歩行をしていた、と確証されました。
2000~2002年にかけて、アウストラロピテクス・アファレンシスよりもはるかに古い初期人類候補の化石が相次いで公表され、それはアルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)とオロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)とサヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)です。このうち、オロリン・トゥゲネンシスとサヘラントロプス・チャデンシスは、その古さから人類の二足歩行の起源を解明するうえで大いに注目されました。しかし、発見と研究に関わった研究者以外には化石が公開されていないことなど、研究の進展を阻む古人類学の暗い側面があることを、本書は指摘します。サヘラントロプス・チャデンシスについて本書では、大腿骨が発見され、近いうちに論文が発表されるだろう、と述べていますが、原書刊行後の論文では、サヘラントロプス・チャデンシスがすでに二足歩行をしていたことに加えて、樹上性のよじ登りがおそらく移動行動の大半を占めていただろう、と示唆されています(関連記事)。
これら最初期の人類候補の化石が少なく断片的で、人類の二足歩行の起源について得られる情報が少ないのに対して、1990年代に発見されたアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)は、多数の化石が発見されたことから、初期人類についての知見を飛躍的に増加させました。アルディピテクス・ラミダスは、森林が後退し、草原が拡大していた440万年前頃のアフリカにおいて、森林に覆われた環境に生息していたようです。それを反映してか、アルディピテクス・ラミダスの骨は樹上生活への適応を示しています。アルディピテクス・ラミダスの骨から、人類の二足歩行に適した特徴は、一括して短期間に出現したのではなく、長期にわたって部分的に進化し、斑状であることが改めて確認されました。たとえば、現代人的な足は小指側から進化し、アルディピテクス・ラミダスの頃には現代人的でしたが、親指側が現代人的になったのはその後でした。
アルディピテクス・ラミダスの研究は、人類の二足歩行の起源について、有力な仮説に疑問を呈しました。現代人にとって最近縁の現生分類群であるチンパンジー属と、次いで近縁なゴリラ属の移動様式がナックル歩行(ナックルウォーク)であることから、現代人とチンパンジー属の最終共通祖先、さらには現代人とチンパンジー属とゴリラ属の最終共通祖先の移動様式はナックル歩行だった、と仮定することは合理的です。しかし、アルディピテクス・ラミダスの研究から、初期人類の移動様式はナックル歩行ではなかったかもしれない、と指摘されました。その後の研究では、チンパンジーとゴリラの大腿骨の発生パターンが著しく異なることから、現代人系統とチンパンジー属系統とゴリラ属系統は「普通のサルのような四足歩行」をしており、チンパンジー属系統とゴリラ属系統のナックル歩行は収斂進化だった、と指摘されています(関連記事)。本書は、ヨーロッパで発見された中新世の類人猿化石のダヌヴィウス(ダヌビウス)・ガゲンモシ(Danuvius guggenmosi)をじっさいに観察して(関連記事)、二足歩行は地上に下りてからではなく樹上で始まった可能性が高そうだ、と指摘します。つまり、ナックル歩行はかなり派生的な移動様式で、人類の二足歩行は新たな環境における旧来の移動方法だった、というわけです。ただ本書は、現代人とチンパンジー属とゴリラ属の最終共通祖先の移動様式がナックル歩行だった可能性もまだある、と慎重に指摘しています。
人類の二足歩行は単線の進化ではなく、400万~300万年前頃には、アウストラロピテクス・アファレンシスだけではなく他のアウストラロピテクス属が存在し、200万年前頃に存在したアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)とともに、多様な二足歩行が見られます(関連記事)。これらの400万年前頃以降の人類のうち、どれが現代人につながるホモ属へと進化したのかまだ確定しておらず、本書は、未発見種がホモ属に進化した可能性も指摘します。ホモ属は、単に大型化したアウストラロピテクス属ではなく、身体の比率もアウストラロピテクス属とは異なっており、具体的には脚が長くなっています。ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、異論の余地のない最初のホモ属であるホモ・エレクトス(Homo erectus)の脚と足は現代人とほぼ同じでした。ただ、これらホモ属の間でも二足歩行に微妙な違いはあり、人類史では30万~4万年前頃とつい「最近」まで、有名なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の他にも、現代人とは二足歩行において多少異なっていただろう、ホモ・ナレディ(Homo naledi)やホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)が存在していた、と確認されています。
本書は現代人の二足歩行についても詳しく解説しており、地域により歩き始めるようになる年齢が違うのは文化的要因のためと指摘しています。たとえば、密林で暮らす狩猟採集民にとって、周囲の環境は子供にとって危険なので、都市部の安全な環境で暮らすアメリカ合衆国の人々よりも子供が歩き始めるのは遅れる、というわけです。一方で、都市部の安全な環境で暮らすアメリカ合衆国の人々よりも子供が早く歩き始める集団もあり、たとえばケニアやウガンダでは、沐浴のさいに子供の足をしっかりとマッサージすることが筋力を高める、と指摘されています。その他に、歩行が健康に良いことというか、現代都市住民のように歩かなくなることが健康に悪いことや、歩行が思考を促進することなど、本書には「実用的な」解説もあり、有益な一冊になっていると思います。
参考文献:
DeSilva J.著(2022)、赤根洋子訳、更科功解説『直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足』(文藝春秋社、原書の刊行は2020年)
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