フランス南部の新石器時代における農耕民と狩猟採集民との相互作用
フランス南部の新石器時代における農耕民と狩猟採集民との相互作用に関する研究(Arzelier et al., 2022)が公表されました。考古学的研究では、新石器時代の拡大はヨーロッパ西部に到達するとより複雑な転換が起き、在来の狩猟採集民(HG)と侵入してきた農耕民との間の相互作用の対照的な全体像を描く、と示されています。これらの過程で示唆された生物学的交換の様式と強度と地域差を明らかにするため、本論文はフランス南部の重要な地域であるオクシタニー(Occitanie)の新たな古ゲノムデータを報告します。その結果、移住と相互作用両方の過程について、地中海とヨーロッパ大陸部の新石器時代拡大経路間の大きな違いが浮き彫りになります。フランス南部の前期および後期新石器時代両方における狩猟採集民祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の高い割合は、時空間を通じての集団間の遺伝子流動の複数の波動を裏づけ、関連する過程の複雑さに対処するための地域研究の必要性を確証します。
●研究史
新石器時代の生活様式は紀元前1万年頃に中東から始まり、おもに紀元前七千年紀に2つの主要な経路でヨーロッパ全体を西方へと拡大した、と示されてきました。一方はストルマ川とヴァルダル川、最終的にはドナウ川流域を通っての大陸部経路で、もう一方はアドリア海地域を通っての地中海経路です。最近の古代DNA研究は、最初の農耕共同体の到来後のヨーロッパ中央部および西部における人口統計学的過程と、新石器時代集団間の微妙な地理的構造の知識を大きく増やしました(関連記事)。これまでに集められたデータはヨーロッパ全体で不均一に分布していますが、遺伝的兆候はさまざまな地域の個体間、および異なる新石器時代拡大経路と関連した個体間の分化を示します。これらはとくに、遺伝子流動事象の数と強度という両方の観点で、狩猟採集民と農耕民の共同体間の多様な生物学的相互作用の過程を示唆します。
トランスダニュービア(Transdanubian)大ハンガリー平原(Alföld)の線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)およびその前駆的文化、つまりスタルチェヴォ(Starčevo)やケレス(Körös)やクリス(Criş)といった文化の、新石器時代拡大の大陸部経路と関連する初期農耕民集団は遺伝的によく表されており(172個体)、現時点で利用可能なデータは、新石器時代(N)の移住者が近隣の狩猟採集民と共存して物質を交換していたにも関わらず、ヨーロッパ南東部から中央部への拡大における遺伝子流動がごくわずかだったことを浮き彫りにしています。
インプレッサ土器(Impressed Wares)もしくはインプレッサ・カルディウム文化(Impresso-Cardial cultural、略してICC)複合と関連する地中海農耕民共同体のデータは少ないものの(ICCでは41個体)、現代のイタリアとフランスとイベリア半島の利用可能な新石器時代のゲノムは、それにも関わらず、侵入してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間のさまざまな程度の混合を示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。じっさい、地中海中央部沿いの狩猟採集民(HG)と農耕民の共同体間の低いものの注目に値する混合水準にも関わらず、紀元前六千年紀後半と年代測定されたフランス南東部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡とレス・ブレギエーレス(Les Bréguières、略してLBR)遺跡の初期農耕民は、前例のないほど高い割合(ペンディモン遺跡の1個体で最大56%)のHG祖先系統を有しています(関連記事)。これらの観察から、混合はこの地域における農耕到来後わずか数世代内に局所的に起きた、と論証され、そこはHGと農耕民の共同体間の接触地帯で、より精細な地域的なゲノム研究の必要性を浮き彫りにします。
紀元前4000年頃までに、農耕牧畜生活様式はヒト社会に深く定着し、ヨーロッパの端にまで到達しました。大規模な地域的ゲノム研究が、ヨーロッパ中央部と西部における農耕民と在来のHGとの間の前期新石器時代(EN)における最小限の混合しか浮き彫りにしなかったのに対して、HG祖先系統は新石器時代が進むにつれて全ての農耕共同体で経時的に増加しました(関連記事1および関連記事2)。
紀元前3500~紀元前2000年頃の期間は、ヨーロッパ西部における後期新石器時代(LN)および青銅器時代への移行に相当し、ユーラシア草原地関連祖先系統と関連して起きた人口統計学的過程を浮き彫りにする最近の研究の焦点でした(関連記事)。フランスについては、LN集団の祖先系統を記録するゲノムデータが依然として不足しています(関連記事1および関連記事2)。最近の研究は、ヨーロッパ西部のLN農耕民集団における予期せぬHG祖先系統への洞察を提供しました。個体ごとにひじょうに異なる量のHG祖先系統を有する遺伝的に異質な共同体が、フランスのパリ盆地のモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡(関連記事)とドイツのヘッセン州のニーダーティーフェンバッハ(Niedertiefenbach)遺跡(関連記事)で見つかりました。
新石器時代農耕民共同体におけるHGの遺産の顕著な不均一は明確に、地域に焦点を当てたさらなる時間横断区を必要とします。フランス南部は、生物学的および文化的なHGと農耕民との間の複雑な関係の理解に重要な地域です。じっさい、フランス南部の豊富な考古学的記録は、HGと新石器時代両方の生計戦略に分類される要素の接触と交換の複雑な相互作用と関わる、さまざまなヒト集団を示唆します。したがって本論文は、イベリア半島およびフランス南東部とつながる、考古学的によく定義されているものの遺伝的記録が依然として乏しい地域である、オクシタニーの28個体で回収されたゲノムデータを分析しました。このヒト遺骸は、紀元前5500~紀元前2500年頃となる6ヶ所の遺跡に由来します。本論文はしたがって、(a)新石器時代における遺伝子プールの進化史と文化的変容との間のつながりを検討するため、文化的差異も遺伝的異質性に反映されているのかどうか、(b)ペンディモンとレス・ブレギエーレスのような遺跡は局所的例外だったのか、もしくは地中海西部の主要地域におけるHGと農耕民の相互作用のより広範な地域的現象を表しているのかどうか、という評価を目的とします。
●ヒト遺骸と考古学的背景
ヒト遺骸の合計76点で浅いショットガン配列決定が行なわれ、古代人のDNA分子の保存について検査されました。全ての標本はフランス南部のオクシタニーに位置する6ヶ所の新石器時代遺跡に由来します(図1C)。その内訳は、ボーム・ブルボン(Baume Bourbon、略してBBB)、ガゼル(Gazel、ガゼル4)、ル・クレ(Le Crès、略してCRE)、シャンプ・ドゥ・ポスト(Champ du Poste、略してSP)、ドルメン・デス・ファデス(Dolmen des Fades、略してFAD)、アヴェン・デ・ラ・ブークル(Aven de la Boucle、略してBOU)です。以下は本論文の図1です。
内在性ヒトDNAの範囲が5.4~72%のヒト遺骸のDNAライブラリが全ゲノムショットガン配列決定で選択され、網羅率0.078~0.68倍の合計で21点の部分的ゲノムが得られました。より低い内在性DNA量(0.6~22.8%、中央値は0.992%)だったボーム・ブルボン洞窟の個体群については、ドイツのイェーナのマックス・プランク人類史科学研究所で、標的溶液内捕獲を用いて次世代ライブラリで120万ヶ所の一塩基多型(SNP)に濃縮されました。この地域で最古となる新石器時代ヒト遺骸の一部を提供したこの特別な遺跡については、捕獲の使用により、最大数の個体で使用に適したゲノムデータを得られ、費用対効果の高い方法で死者間の生物学的関連性を検証できました。
品質閾値の適用により、X染色体上の汚染が5%超、もしくは124万SNPデータセットで19000ヶ所未満のSNPの標本は除外されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)データの使用、および古代DNAの由来と一致するDNA損傷パターンの存在の使用でも、汚染が制御されました。結果として、28標本が下流分析に保持されました。遺伝的多様性を調べるため、新たに決定されたゲノム規模データが、主成分分析(PCA)の実行により、以前に報告された古代人1098個体およびユーラシア西部の現代の59人口集団の遺伝子型のデータとともに分析されました。f統計とqpAdmとDATESを用いて、古代の個体群の遺伝的類似性と遺産が調べられました。HapROHを用いて、交雑の水準および/もしくは新たに報告されて刊行された古代の個体群の有効人口規模の過去の限界が評価されました。本論文は23個体について直接的な炭素14年代も報告し、その年代は紀元前5462~紀元前2470年頃です(図1B)。
ゲノム規模データは、ICC複合の第2期となる2ヶ所の墓の文脈に由来する8個体で回収されました。その内訳は、ガール(Gard)県レシェール(Cabrières)のボーム・ブルボン洞窟で7個体、同時代のオード(Aude)県サレル=カバルデス(Sallèles-Cabardès)のガゼル洞窟で1個体となり、その年代範囲は紀元前5400~紀元前4800年頃です。これらの遺跡で得られた直接的年代は、その文化が、開拓者の新石器時代集落(紀元前5850年頃)の数世紀後となる、カルディウムから続カルディウム文化に分類される、と確証します。
7個体は、紀元前五千年紀後半と年代測定された2ヶ所のネクロポリス(大規模共同墓地)に由来し、それはオード県カルカソンヌ(Carcassonne)のシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡の3個体と、エロー(Hérault)県ベジエ(Béziers)のル・クレ遺跡の4個体です。それぞれの炭素14年代から、このネクロポリスは両方とも、数世紀にわたって使用され、紀元前4500~紀元前4050年頃の個体を含んでおり、初期南部シャセ文化(Southern Chasséen culture)に分類される、と示唆されます。
残りの13点の低網羅率ゲノムは、LN(後期新石器時代)と青銅器時代(BA)に使用された集団埋葬で回収された個体に由来します。内訳は、ガール県コルコンヌ(Corconne)のアヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体と、オード県ペピュー(Pépieux)のドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体です。年代範囲は、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体が紀元前3600~紀元前2800年頃、ドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体が紀元前3200~紀元前2400年頃です。
●地中海沿岸における農耕民と狩猟採集民との間の生物学的相互作用
PCA図では(図1Aおよび図2A)、ボーム・ブルボン(BBB)およびガゼル遺跡の個体群は、フランス南東部のペンディモン(PEN)およびレス・ブレギエーレス(LBR)遺跡の初期農耕民と密接にクラスタ化します(まとまります)。LBKなどアルザス地域とフランス東部に位置する新石器化の大陸部拡大の波と関連する初期農耕民(関連記事)、およびフランス南部の地中海拡大の波と関連する初期農耕民は、PCA図では2つの異なるクラスタ(まとまり)を形成しており、ヨーロッパの全体像を反映しています(関連記事)。
ヨーロッパ中央部の他の同時代集団およびアルザス地域のLBK個体群とは対照的に、フランス南部の初期農耕民(PEN、LBR、Gazel、BBB)はPC1軸では、新石器時代イベリア半島個体群よりもさらに狩猟採集民(HG)に向かって動いています(図2A)。QpWave検定はこのクラスタ化を確証し、フランスのLBK個体群とイベリア半島のEN(前期新石器時代)農耕民とフランス南部の個体群(LBR、Gazel、BBB)との間の有意な違いを明らかにしました。地中海拡大の波の農耕民および狩猟採集民両方とのフランス南部初期農耕民遺伝的類似性は、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)でも見られます。フランス南部ENの8個体はじっさい、mtDNAハプログループ(mtHg)J・H・K1・U5で、Y染色体ハプログループ(YHg)はI2a1a2です。以下は本論文の図2です。
新石器時代個体群(検証対象)とヨーロッパHGとの間で共有される遺伝的浮動について形式的に検証するため、f3形式(検証対象、ヨーロッパHG;ムブティ人)の外群f3統計が計算されました。EN(前期新石器時代)共同体(紀元前6100~紀元前4700年頃)については、イタリアとイベリア半島とフランス南部の個体群がより高いf3値を示したので、アルザス地域やドイツやオーストリアやルーマニアの同時代の大陸部人口集団と比較して、HGと共有される遺伝的浮動量が多い、と注目されます。f4形式(ムブティ人、X;Y、アナトリアN)のf4統計が実行され、新石器時代農耕民とさまざまなHGの共同体間の遺伝的類似性が調べられました。XとYはそれぞれ、本論文で報告されたHG個体群と新石器時代個体群に対応します。BBBおよびガゼル遺跡のEN個体群は他のHG集団と比較して、とくにイタリアとフランスとルクセンブルクとドイツとブリテン諸島のHGと最高の遺伝的類似性を共有している、と浮き彫りにできました。
次にqpAdmを用いて、ヨーロッパEN個体群における祖先系統のあり得る供給源として、ルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡個体とハンガリーのKO1個体とスペインのラ・ブラナ(La Braña)遺跡の個体に代表されるヨーロッパHGが調べられ、それぞれの祖先系統の割合が定量化されました(図2B)。BBBおよびガゼル遺跡の個体群は、アナトリア半島農耕民とヨーロッパHG構成要素の、ヨーロッパHG祖先系統の14.4~28.4%と比較的高い割合の2方向混合としてモデル化できました。ヨーロッパ南西部のEN農耕民は、HG関連祖先系統の量が低い(平均で7%)か、排他的にアナトリアN祖先系統でモデル化できるLBK関連個体群よりも、高い割合(平均18.5%)のHG関連祖先系統を示します。
地中海地域では、HG祖先系統の最高の割合はフランス南部のPEN(22.9~57.6%)とLBR(24.5~41.9%)とBBB(14.4~28.4%)の個体で見られ、これらの個体はイベリア半島とアドリア海地域の同時代の近隣集団と比較して、この地域におけるおなりの混合を記録しています。フランス南東部のPEN およびLBR遺跡 のEN居住ですでに特定されていますが、BBBおよびガゼル遺跡の個体群で見られる高いHGの割合は、HGと農耕民の相互作用強化の地理的拡大を、フランス地中海地帯西部にまで、したがってフランスの地中海地帯全体を含む地域へと拡張します。
本論文は、15000年前頃となるベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡の個体(ゴイエQ2)により表される、残存するマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)関連祖先系統(関連記事)の調査を目的としました。BBB遺跡の1個体(BBB003_6)のみが、HG祖先系統の追加の供給源(16.5%)としてゴイエQ2とモデル化できます。他の個体は、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体関連祖先系統とアナトリア半島農耕民関連祖先系統の2方向混合として最良にモデル化されます。
同時代のEN農耕民では、高水準のゴイエQ2的祖先系統はイベリア半島で報告されており、アンダルシアのトーロ洞窟(Cueva del Toro)の個体にて最高の割合で、カタルーニャのチャヴェス洞窟(Cueva de Chaves)の個体にてより低い割合で特定されました。これらの結果は、イベリア半島から東方への「帰還」効果を伴う、ラングドックとバレンシアの人口集団をつなぐ交流網を支持しており、これは、「フランコ・イベリア・カルディウム(Franco-Iberian Cardial)」の形成を説明するために提唱された仮説です。しかし、BBBで観察された祖先系統に等しく寄与したかもしれない在来の中石器時代集団の遺伝学についてほとんど知られていないことを、考慮しなければなりません。
中石器時代個体群では、ゴイエQ2祖先系統の高い割合が、中期石器時代初期において西大西洋正面のレ・ペラッツ(Les Perrats)遺跡のフランスHGで特定されており、イベリア半島外のマグダレニアン関連の遺伝的遺産の後期の持続を浮き彫りにします(関連記事)。BBBにおけるゴイエQ2祖先系統の存在と高い割合は、フランス地中海地域東部のEN個体群がこの種類の祖先系統を有していないように見えるため、さらに興味深いものです。しかし、この遺伝的構成要素の分布は、ヨーロッパ中央部でも散発的に現れ、より適切に特徴づけられる必要があります。これは明らかに、中石器時代とEN両方の集団のさらなる記録の必要性を浮き彫りにします。
地中海新石器時代拡大期における遺伝子流動の過程を記録するため、ソフトウェアDATESを用いて混合事象の時期も推定されました。本論文で検討される全ての混合推定値は、最古と最新のあり得る混合事象を把握するための個体/集団の炭素14年代の最大値と最小値の間の中間、および1世代28年を考慮して計算されました。しかし、炭素14年代の中央値(および1世代あたり25~30年の前提)で計算された推定値もあります。BBB個体群(3個体)については、混合年代の範囲は紀元前6200~紀元前5600年頃で、1個体の年代は紀元前5900~紀元前5300年頃でした。ガゼルとPENとLBRの遺跡/個体群の年代範囲は、紀元前6200~紀元前5000年頃と推定されました。BBB集団で最古の炭素14年代のみを考慮すると、DATESの推定値(集団の年代分布の21.918±4.037世代前、したがって紀元前6200~紀元前5950年頃)は、この混合事象をこの地域で考古学的に確証された農耕確立の少なくとも4世代前(111年前)となる、紀元前5850年頃に位置づけます。それにも関わらず、集団の最小の炭素14年代を考慮すると、推定値はこの混合を農耕民到来直後の紀元前5685年頃に位置づけます。より堅牢な方法論に基づく推定値では、HGと侵入してきた農耕民との間の混合が、オクシタニー地域における農耕民到来の前、もしくは農耕確立の期間に起きた可能性を除外できません。注目すべきことに、フランス南部の他のEN遺跡は、各地域における農耕到来の直後に混合が起きたかもしれない、と示唆する年代推定値をもたらしました。最後に、イタリアおよびイベリアEN農耕民で推定された混合年代範囲は、フランスの遺跡群での推定よりも広いものでした。
地中海西部地域の遺跡間および共同体内の両方で測定された混合年代の変動性は、HGと侵入してきた農耕民との間の混合の複雑で多段階の歴史を示唆します。フランスとイベリア半島におけるあり得る混合事象の全体的な年代範囲を考慮すると、検出された最古の年代は混合事象を関係する両地域での証明された農耕確立の前に位置づけるかもしれません。したがって、これらの事象は恐らく、まだ特定されていない地域である、地中海世西部の拡大経路の上流で起きたかもしれません。したがって、フランス南部の農耕集団は、複数起源の可能性がある、特定のHG祖先系統を獲得しました。
ラングドックとフランス南東部とイタリア半島中央部についてのいくつかの考古学的研究は、HGと農耕民の集団間の直接的接触を支持してきました。じっさい、イタリアの集落の地理的および年代的モデル化はむしろ、初期農耕民が無人だったように見える地域に居住した、と強調しており、「無人の地」モデルを支持します。ラングドック西部では、より短い時間的間隙が中石器時代と新石器時代の集落を分離していますが、HGと農耕民の共存ではなく、特定地域の急速な継承と再居住を依然として支持します。両モデルは、重複がないかひじょうに限定的な、HGと農耕民の継承を示唆します。したがって本論文は、ゲノムデータが地中海拡大における複雑な相互作用の歴史への新たな洞察追加の可能性をどのように有しているのか、示します。
●ICC複合の起源における小さな農耕共同体
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が推定され、hapROHの適用により、初期農耕集団の交雑の水準もしくは有効人口規模の過去の限界が評価されました(関連記事)。全体的に、初期地中海西部農耕民では交雑の兆候はほとんど見つからず、例外はガゼル洞窟の1個体(ガゼル4号)で、20以上のROHの合計(sROH)で50 cM(センチモルガン)の閾値を超えており、その合計は138.5cMです(図3B)。この個体は異なる染色体上で複数の長いROHを示しており、1親等の近親婚の子供(親子間か、両親が同じキョウダイ間の子供)として解釈できます(図3B)。注目すべきことに、ガゼル4号周辺の特定の埋葬様式の議論の難しさを認識しなければなりません。この個体の遺骸はひじょうに少なく、この埋葬堆積物を特徴づける考古学的議論はほとんど提唱できません。したがって、アイルランドのニューグレンジ(Newgrange)巨石構造物で特定された近親交配個体(関連記事)で記載されたような、この個体に認められる潜在的な社会的地位を裏づけるか、否定するものはありません。以下は本論文の図3です。
ヨーロッパの新石器時代農耕民共同体を比較すると、地中海中央部および西部の新石器時代と関連する個体群は、ヨーロッパ大陸部新石器時代と関連する個体群よりもかなり高いsROH(4~8)値を示します(図3A・C)。全体的に、初期地中海農耕民の短いROHのより高い割合(4~8のsROHの平均値は15.542、中央値は15.385)は、フランス南部とイベリア半島における前期~中期新石器時代共同体のより小さな有効人口規模(Ne)を示唆しており、LNに向かって次第に増加した一方で、LBK集団はENからのより高いNeにより特徴づけられます(4~8のsROHの平均値は3.8888、中央値は4.541)。ヨーロッパ大陸部と地中海の集団間の有効人口規模で観察された違いは、移住の様相と関連しているかもしれません。
じっさい、考古学的記録は、小さなICC関連集団のイタリア南部からリグーリア州とフランス南部への西進の海洋経路に続く急速な分散を裏づけます。農耕民集団の拡大は海岸線に沿って、航海を含めてさまざまな課題(たとえば、船の能力の限界もしくは海流への依存)に直面した可能性が高く、これは最初の人口規模を減少させた可能性があり、創始者効果を増加させました。その結果、考古学的データと人口規模の人口統計学的推定値は、長距離交換網により維持された小さな開拓者人口集団を示唆しました。紀元前六千年紀の後半において、地中海新石器化の第二段階は物質文化の多様化および人口規模の増加と関連しています。
本論文の結果は、これら人口統計学的モデルに関する詳細を提供します。じっさい、人口規模推定値は、農耕拡大のより進んだ段階においてフランス南部に居住するより小さな規模のヒト集団を支持しており、この集団は孤立の潜在的程度によりある程度特徴づけられます。この仮説は、ガゼル遺跡で観察された近親婚のような事例の説明のためにも提唱できますが、そうした事象が小さな共同体で社会的に正当化された証拠はなかったので、近親婚も逸脱した行動と関連しているかもしれません。さらに、地中海における初期農耕民集団の減少した人口規模も、これらの地域におけるHG混合のより高い観察された強度の要因に寄与したかもしれない、と注目するのは興味深いことです。
●新石器時代を通じてのフランス南部農耕共同体ゲノムの歴史
オクシタニーにおけるインプレッサ土器文化集団から広範に分布したシャセ文化への移行(紀元前4400~紀元前3600年頃)は、フランス南部中期新石器時代(MN)1(紀元前4800~紀元前4400年頃)という用語で暫定的に分類された多様な文化的側面に相当しています。この期間はこれまで、フランス南部の5個体により表されていました。本論文はこのデータセットを、ル・クレ遺跡(4個体)とシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡(3個体)の新たな7個体に拡張しました。両遺跡は前期シャセ文化に分類されるネクロポリスで、年代は紀元前五千年紀後半です。それらの個体は、ヨーロッパ西部新石器時代集団の変異内に収まる母系および父系ハプログループを有しています。
前期シャセ文化に分類される全個体は、ヨーロッパ西部MN(中期新石器時代)人口集団の変異内に収まり(図1B)、PCAでは他のフランス地域およびイベリア半島のMN個体群と区別できません。これらの結果は、同時代のヨーロッパ西部集団の全体的な均質化と一致します。新石器時代が進むにつれて、シャセ文化はフランス南部において多くのより小さな文化的実体に分岐していきました。本論文では、LNへの移行(紀元前3600~紀元前2500年頃)はアヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体とドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体により表されます。これらの個体は、ヨーロッパ西部新石器時代に共通するmtHgとYHgも有しています。
これらの個体は遺伝的に均質で、フランス南部のMN1および前期シャセ文化個体群とクラスタ化し、明確な文化期移行を通じてのこの地域における遺伝的連続性が示唆されます(図1B)。次にqpWaveが使用され、新石器時代を通じて共有された遺伝的浮動が検証され、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の外れ値1個体(BOU6)が含められました。この個体は、PCA図ではHGクラスタに向かってさらに動いています。このHGとの類似性は、qpAdm分析と同様に、HG祖先系統の過剰で知られている、ペンディモンおよびレス・ブレギエーレス遺跡(LBR5)のICC標本とのBOU6のクラスタ化を通じてqpWaveにより裏づけられました。
フランス南部の残りの初期農耕民はqpWave分析ではクラスタを形成し、このクラスタは、ボーム・ブルボン遺跡とクロス・デ・ロック(Clos de Roque)遺跡とル・クレ遺跡とシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡のICC、MN1、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡とドルメン・デス・ファデス遺跡の前期シャセ文化に分類される集団で構成されます。これは、考古学的に記録されているかなりの文化的変容にも関わらず、新石器化の第二段階から紀元前三千年紀の前半にかけての、草原地帯関連祖先系統の到来前の、フランス南部における新石器時代を通じてのある程度の遺伝的連続性を示唆します。この状況はフランスの北部から東部では異なっており、考古学的な物質文化の変化と一致して、新石器化の第一段階とLBK後の新石器時代との間の遺伝的不連続性が観察されます。
次に、本論文の全個体と紀元前6300~紀元前2400年頃のヨーロッパ新石器時代農耕民でのqpAdmの実行により、農耕共同体におけるヨーロッパHG祖先系統の割合の変化が定量化されました。図4はフランス南部のICC農耕民の特別な状態を浮き彫りにしており、あらゆる同時代のヨーロッパ農耕集団と比較して、HG祖先系統の最高の割合を示します。時間の経過とともに、その後の新石器時代集団(紀元前4800年頃と紀元前4000年頃)は、他のヨーロッパ西部地域ですでに示されているように(関連記事)、ヨーロッパHG祖先系統の着実な増加を示します。
HG祖先系統の最高の割合はフランス南部のクロス・デ・ロック遺跡の個体群(紀元前4800~紀元前4550年頃、29~32%)、フランス北部のエスカル(Escalles)遺跡の1個体(31%)、フランス北東部のオベルネ(Obernai)遺跡集団(OBN-B、紀元前4800~紀元前4500年頃、41~46%)で観察されるのに対して、紀元前五千年紀フランスのほとんどの個体ではHG祖先系統の割合は10~30%です。この一般的傾向は、紀元前4000~紀元前3500年頃となるその後の期間で維持されます(14~32%)。
紀元前五千年紀~紀元前三千年紀の新石器時代文脈の全個体は、ヴィッラブルーナHG祖先系統とアナトリア半島西部新石器時代祖先系統の2方向混合としてモデル化でき、ゴイエQ2関連祖先系統のさらなる証拠は見つかりませんでした。EN個体群とのように、XとYが本論文で検討されたそれぞれ以前に報告されたHG個体群と新石器時代個体群に対応しているf4形式(ムブティ人、X;Y、アナトリアN)のf4統計では、フランス南部LN農耕民は他のHG個体群と比較して、イタリアとフランスとルクセンブルクとドイツとブリテン諸島に由来するHGに最も近い、と示唆されます。これは、新石器時代を通じてこの地域におけるこの種のHG祖先系統の保存を示唆している可能性があります。以下は本論文の図4です。
アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の1個体(BOU6)のHGとの特異的類似性も、qpAdmを用いて分析されました。BOU6のHG構成要素は36%と推定されており、同じ遺跡の他の個体で見られる割合(13~29%)を超えています。この結果は、フランスとドイツの後期農耕民における予想外に高いHGの割合についての最近の調査結果を反映しています。ロシュブール関連HG祖先系統を、パリ盆地のモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡の集団埋葬の2個体(紀元前3300~紀元前3100年頃)はそれぞれ50.6%と63.3%(関連記事)、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡のMLN(中期~後期新石器時代)個体群は49~85%、ヴァルトベルク(Wartberg)文化(WBC)関連のニーダーティーフェンバッハ遺跡個体群は34~58%(関連記事)、後期新石器時代となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)関連のエルベハーフェル(Elb-Havel)文脈のタンガーミュンデ(Tangermünde)遺跡の1個体(TGM009)は63.6%有しています(関連記事)。ブレッターヘーレ遺跡のMN個体群とモンアイメー遺跡個体群とニーダーティーフェンバッハ共同体とTGM009について、混合年代が計算されました。
年代範囲は、モンアイメー遺跡個体群が紀元前4600~紀元前3600年頃、ニーダーティーフェンバッハ共同体は紀元前4100~紀元前3900年頃でした。ブレッターヘーレ遺跡のMN個体群とTGM009では類似の結果が得られ、その年代範囲はそれぞれ、紀元前4550~紀元前4155年頃と紀元前4300~紀元前3400年頃でした。同じ方法論を用いると、BOU6の推定混合年代が紀元前5000~紀元前4200年頃に収まるのに対して、ボーム・ブルボン遺跡集団の残りの個体は紀元前5800~紀元前5100年頃と推定されました。
フランスとドイツのさまざまな地域のLN農耕民におけるHG祖先系統の高い量の検出は、農耕民集団(30%未満のHG構成要素を示します)と優勢なHG祖先系統を保持していた集団との間の多段階の遺伝子流動を裏づけます。じっさい、一部のLN個体群で観察されたひじょうに最近の混合年代は、継続的な遺伝子流動もしくは遺伝子流動の複数の波動に関する仮説を補強し、最近提案されたように、長期にわたる(紀元前3600年頃まで)、ヨーロッパ西部のさまざまな地域における繰り返しの遺伝的交換を示唆します。この仮説は明らかに、後期にかなりのヨーロッパHG祖先系統を有して寄与する集団の特定という課題を提起します。
フランスの考古学的記録は明らかに、紀元前4900年頃以後のHG集団の欠如を示しており、これはBOU6個体とパリ盆地の個体群で推定された混合年代に先行します。ヨーロッパ西部における紀元前五千年紀から紀元前三千年紀にかけての集団で利用可能なゲノムデータは、おもにHGのゲノム遺産を有している共同体をまだ明らかにしていないので、その地理的分布は理解しにくいままです。これらの集団の文化的帰属も困難で、それは、生物学的特徴だけではその文化的背景の推測に使用できないからです。考古学およびゲノム記録からのそうした集団の不可視性は、(1)現在の考古学的調査から漏れている、その生活様式および/もしくは辺境地域における集団の集落の空間的分布(つまり、山岳地域もしくは沿岸周辺)、もしくは(2)骨格遺骸の保存を妨げる埋葬慣行と関連しているかもしれません。
紀元前六千年紀のEN個体群は、拡大のさまざまな波に帰属される新石器時代集団が、中石器時代集団との生物学的相互作用および拡散様式の両方に関して対照的な歴史を経た、と示すデータを提供します。したがって、観察されたパターンは、初期地中海農耕民の小さな人口規模でより低い遺伝的多様性が、拡大するEN農耕民と在来のHGとの間での生物学的交換において寄与した要因だったかもしれない程度に関する問題を提起します。しかし、イタリアとフランス南部とイベリア半島のEN農耕民で利用可能なデータの比較は、これらの地域間の混合事象の強度におけるわずかな違いを浮き彫りにします。観察された違いは、行動/文化の側面とつながっているか、HG集団のさまざまな密度に結びついているかもしれません。以下は本論文の要約図です。
残りの側面は、時空間両方で複数回だったように見える、拡大する農耕民と在来のHGとの間の混合事象の正確な動態にも関係します。イタリアとエーゲ海と地中海中央部から東部の新石器時代の追加のゲノムおよび放射性炭素データが、地中海における新石器化過程の全体論的見解にとって根本的となる、拡大経路に沿った接触の年代と多様性の検討に必要でしょう。新石器時代に入ると、新たなデータは新石器時代を通じての相互作用様式への貴重な洞察にも寄与し、フランス南部新石器時代集団における、文化的変容にも関わらず見られる遺伝的連続性と、後期の大きなHG祖先系統の両方を示します。
●この研究の限界
地中海は、新石器化過程のより洗練された理解を入手するための、重要な地理的場所です。しかし、そのゲノム記録は2つの大きな課題に直面しています。第一に、後期中石器時代と最初期新石器時代文脈のヒト遺骸の少なさは、この地域における農耕民の開拓者の確立および在来集団との交換の研究において偏りをもたらします。第二に、古ゲノム研究はこの地域において、遺跡におけるひじょうに変化しやすいDNA保存に取り組まねばなりません。ボーム・ブルボン遺跡の結果により本論文で例証されているように、古代DNAの劣った保存は利用可能なデータの数を劇的に減らす可能性があります。
参考文献:
Arzelier A. et al.(2022): Neolithic genomic data from southern France showcase intensified interactions with hunter-gatherer communities. iScience, 25, 11, 105387.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105387
●研究史
新石器時代の生活様式は紀元前1万年頃に中東から始まり、おもに紀元前七千年紀に2つの主要な経路でヨーロッパ全体を西方へと拡大した、と示されてきました。一方はストルマ川とヴァルダル川、最終的にはドナウ川流域を通っての大陸部経路で、もう一方はアドリア海地域を通っての地中海経路です。最近の古代DNA研究は、最初の農耕共同体の到来後のヨーロッパ中央部および西部における人口統計学的過程と、新石器時代集団間の微妙な地理的構造の知識を大きく増やしました(関連記事)。これまでに集められたデータはヨーロッパ全体で不均一に分布していますが、遺伝的兆候はさまざまな地域の個体間、および異なる新石器時代拡大経路と関連した個体間の分化を示します。これらはとくに、遺伝子流動事象の数と強度という両方の観点で、狩猟採集民と農耕民の共同体間の多様な生物学的相互作用の過程を示唆します。
トランスダニュービア(Transdanubian)大ハンガリー平原(Alföld)の線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)およびその前駆的文化、つまりスタルチェヴォ(Starčevo)やケレス(Körös)やクリス(Criş)といった文化の、新石器時代拡大の大陸部経路と関連する初期農耕民集団は遺伝的によく表されており(172個体)、現時点で利用可能なデータは、新石器時代(N)の移住者が近隣の狩猟採集民と共存して物質を交換していたにも関わらず、ヨーロッパ南東部から中央部への拡大における遺伝子流動がごくわずかだったことを浮き彫りにしています。
インプレッサ土器(Impressed Wares)もしくはインプレッサ・カルディウム文化(Impresso-Cardial cultural、略してICC)複合と関連する地中海農耕民共同体のデータは少ないものの(ICCでは41個体)、現代のイタリアとフランスとイベリア半島の利用可能な新石器時代のゲノムは、それにも関わらず、侵入してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間のさまざまな程度の混合を示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。じっさい、地中海中央部沿いの狩猟採集民(HG)と農耕民の共同体間の低いものの注目に値する混合水準にも関わらず、紀元前六千年紀後半と年代測定されたフランス南東部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡とレス・ブレギエーレス(Les Bréguières、略してLBR)遺跡の初期農耕民は、前例のないほど高い割合(ペンディモン遺跡の1個体で最大56%)のHG祖先系統を有しています(関連記事)。これらの観察から、混合はこの地域における農耕到来後わずか数世代内に局所的に起きた、と論証され、そこはHGと農耕民の共同体間の接触地帯で、より精細な地域的なゲノム研究の必要性を浮き彫りにします。
紀元前4000年頃までに、農耕牧畜生活様式はヒト社会に深く定着し、ヨーロッパの端にまで到達しました。大規模な地域的ゲノム研究が、ヨーロッパ中央部と西部における農耕民と在来のHGとの間の前期新石器時代(EN)における最小限の混合しか浮き彫りにしなかったのに対して、HG祖先系統は新石器時代が進むにつれて全ての農耕共同体で経時的に増加しました(関連記事1および関連記事2)。
紀元前3500~紀元前2000年頃の期間は、ヨーロッパ西部における後期新石器時代(LN)および青銅器時代への移行に相当し、ユーラシア草原地関連祖先系統と関連して起きた人口統計学的過程を浮き彫りにする最近の研究の焦点でした(関連記事)。フランスについては、LN集団の祖先系統を記録するゲノムデータが依然として不足しています(関連記事1および関連記事2)。最近の研究は、ヨーロッパ西部のLN農耕民集団における予期せぬHG祖先系統への洞察を提供しました。個体ごとにひじょうに異なる量のHG祖先系統を有する遺伝的に異質な共同体が、フランスのパリ盆地のモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡(関連記事)とドイツのヘッセン州のニーダーティーフェンバッハ(Niedertiefenbach)遺跡(関連記事)で見つかりました。
新石器時代農耕民共同体におけるHGの遺産の顕著な不均一は明確に、地域に焦点を当てたさらなる時間横断区を必要とします。フランス南部は、生物学的および文化的なHGと農耕民との間の複雑な関係の理解に重要な地域です。じっさい、フランス南部の豊富な考古学的記録は、HGと新石器時代両方の生計戦略に分類される要素の接触と交換の複雑な相互作用と関わる、さまざまなヒト集団を示唆します。したがって本論文は、イベリア半島およびフランス南東部とつながる、考古学的によく定義されているものの遺伝的記録が依然として乏しい地域である、オクシタニーの28個体で回収されたゲノムデータを分析しました。このヒト遺骸は、紀元前5500~紀元前2500年頃となる6ヶ所の遺跡に由来します。本論文はしたがって、(a)新石器時代における遺伝子プールの進化史と文化的変容との間のつながりを検討するため、文化的差異も遺伝的異質性に反映されているのかどうか、(b)ペンディモンとレス・ブレギエーレスのような遺跡は局所的例外だったのか、もしくは地中海西部の主要地域におけるHGと農耕民の相互作用のより広範な地域的現象を表しているのかどうか、という評価を目的とします。
●ヒト遺骸と考古学的背景
ヒト遺骸の合計76点で浅いショットガン配列決定が行なわれ、古代人のDNA分子の保存について検査されました。全ての標本はフランス南部のオクシタニーに位置する6ヶ所の新石器時代遺跡に由来します(図1C)。その内訳は、ボーム・ブルボン(Baume Bourbon、略してBBB)、ガゼル(Gazel、ガゼル4)、ル・クレ(Le Crès、略してCRE)、シャンプ・ドゥ・ポスト(Champ du Poste、略してSP)、ドルメン・デス・ファデス(Dolmen des Fades、略してFAD)、アヴェン・デ・ラ・ブークル(Aven de la Boucle、略してBOU)です。以下は本論文の図1です。
内在性ヒトDNAの範囲が5.4~72%のヒト遺骸のDNAライブラリが全ゲノムショットガン配列決定で選択され、網羅率0.078~0.68倍の合計で21点の部分的ゲノムが得られました。より低い内在性DNA量(0.6~22.8%、中央値は0.992%)だったボーム・ブルボン洞窟の個体群については、ドイツのイェーナのマックス・プランク人類史科学研究所で、標的溶液内捕獲を用いて次世代ライブラリで120万ヶ所の一塩基多型(SNP)に濃縮されました。この地域で最古となる新石器時代ヒト遺骸の一部を提供したこの特別な遺跡については、捕獲の使用により、最大数の個体で使用に適したゲノムデータを得られ、費用対効果の高い方法で死者間の生物学的関連性を検証できました。
品質閾値の適用により、X染色体上の汚染が5%超、もしくは124万SNPデータセットで19000ヶ所未満のSNPの標本は除外されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)データの使用、および古代DNAの由来と一致するDNA損傷パターンの存在の使用でも、汚染が制御されました。結果として、28標本が下流分析に保持されました。遺伝的多様性を調べるため、新たに決定されたゲノム規模データが、主成分分析(PCA)の実行により、以前に報告された古代人1098個体およびユーラシア西部の現代の59人口集団の遺伝子型のデータとともに分析されました。f統計とqpAdmとDATESを用いて、古代の個体群の遺伝的類似性と遺産が調べられました。HapROHを用いて、交雑の水準および/もしくは新たに報告されて刊行された古代の個体群の有効人口規模の過去の限界が評価されました。本論文は23個体について直接的な炭素14年代も報告し、その年代は紀元前5462~紀元前2470年頃です(図1B)。
ゲノム規模データは、ICC複合の第2期となる2ヶ所の墓の文脈に由来する8個体で回収されました。その内訳は、ガール(Gard)県レシェール(Cabrières)のボーム・ブルボン洞窟で7個体、同時代のオード(Aude)県サレル=カバルデス(Sallèles-Cabardès)のガゼル洞窟で1個体となり、その年代範囲は紀元前5400~紀元前4800年頃です。これらの遺跡で得られた直接的年代は、その文化が、開拓者の新石器時代集落(紀元前5850年頃)の数世紀後となる、カルディウムから続カルディウム文化に分類される、と確証します。
7個体は、紀元前五千年紀後半と年代測定された2ヶ所のネクロポリス(大規模共同墓地)に由来し、それはオード県カルカソンヌ(Carcassonne)のシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡の3個体と、エロー(Hérault)県ベジエ(Béziers)のル・クレ遺跡の4個体です。それぞれの炭素14年代から、このネクロポリスは両方とも、数世紀にわたって使用され、紀元前4500~紀元前4050年頃の個体を含んでおり、初期南部シャセ文化(Southern Chasséen culture)に分類される、と示唆されます。
残りの13点の低網羅率ゲノムは、LN(後期新石器時代)と青銅器時代(BA)に使用された集団埋葬で回収された個体に由来します。内訳は、ガール県コルコンヌ(Corconne)のアヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体と、オード県ペピュー(Pépieux)のドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体です。年代範囲は、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体が紀元前3600~紀元前2800年頃、ドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体が紀元前3200~紀元前2400年頃です。
●地中海沿岸における農耕民と狩猟採集民との間の生物学的相互作用
PCA図では(図1Aおよび図2A)、ボーム・ブルボン(BBB)およびガゼル遺跡の個体群は、フランス南東部のペンディモン(PEN)およびレス・ブレギエーレス(LBR)遺跡の初期農耕民と密接にクラスタ化します(まとまります)。LBKなどアルザス地域とフランス東部に位置する新石器化の大陸部拡大の波と関連する初期農耕民(関連記事)、およびフランス南部の地中海拡大の波と関連する初期農耕民は、PCA図では2つの異なるクラスタ(まとまり)を形成しており、ヨーロッパの全体像を反映しています(関連記事)。
ヨーロッパ中央部の他の同時代集団およびアルザス地域のLBK個体群とは対照的に、フランス南部の初期農耕民(PEN、LBR、Gazel、BBB)はPC1軸では、新石器時代イベリア半島個体群よりもさらに狩猟採集民(HG)に向かって動いています(図2A)。QpWave検定はこのクラスタ化を確証し、フランスのLBK個体群とイベリア半島のEN(前期新石器時代)農耕民とフランス南部の個体群(LBR、Gazel、BBB)との間の有意な違いを明らかにしました。地中海拡大の波の農耕民および狩猟採集民両方とのフランス南部初期農耕民遺伝的類似性は、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)でも見られます。フランス南部ENの8個体はじっさい、mtDNAハプログループ(mtHg)J・H・K1・U5で、Y染色体ハプログループ(YHg)はI2a1a2です。以下は本論文の図2です。
新石器時代個体群(検証対象)とヨーロッパHGとの間で共有される遺伝的浮動について形式的に検証するため、f3形式(検証対象、ヨーロッパHG;ムブティ人)の外群f3統計が計算されました。EN(前期新石器時代)共同体(紀元前6100~紀元前4700年頃)については、イタリアとイベリア半島とフランス南部の個体群がより高いf3値を示したので、アルザス地域やドイツやオーストリアやルーマニアの同時代の大陸部人口集団と比較して、HGと共有される遺伝的浮動量が多い、と注目されます。f4形式(ムブティ人、X;Y、アナトリアN)のf4統計が実行され、新石器時代農耕民とさまざまなHGの共同体間の遺伝的類似性が調べられました。XとYはそれぞれ、本論文で報告されたHG個体群と新石器時代個体群に対応します。BBBおよびガゼル遺跡のEN個体群は他のHG集団と比較して、とくにイタリアとフランスとルクセンブルクとドイツとブリテン諸島のHGと最高の遺伝的類似性を共有している、と浮き彫りにできました。
次にqpAdmを用いて、ヨーロッパEN個体群における祖先系統のあり得る供給源として、ルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡個体とハンガリーのKO1個体とスペインのラ・ブラナ(La Braña)遺跡の個体に代表されるヨーロッパHGが調べられ、それぞれの祖先系統の割合が定量化されました(図2B)。BBBおよびガゼル遺跡の個体群は、アナトリア半島農耕民とヨーロッパHG構成要素の、ヨーロッパHG祖先系統の14.4~28.4%と比較的高い割合の2方向混合としてモデル化できました。ヨーロッパ南西部のEN農耕民は、HG関連祖先系統の量が低い(平均で7%)か、排他的にアナトリアN祖先系統でモデル化できるLBK関連個体群よりも、高い割合(平均18.5%)のHG関連祖先系統を示します。
地中海地域では、HG祖先系統の最高の割合はフランス南部のPEN(22.9~57.6%)とLBR(24.5~41.9%)とBBB(14.4~28.4%)の個体で見られ、これらの個体はイベリア半島とアドリア海地域の同時代の近隣集団と比較して、この地域におけるおなりの混合を記録しています。フランス南東部のPEN およびLBR遺跡 のEN居住ですでに特定されていますが、BBBおよびガゼル遺跡の個体群で見られる高いHGの割合は、HGと農耕民の相互作用強化の地理的拡大を、フランス地中海地帯西部にまで、したがってフランスの地中海地帯全体を含む地域へと拡張します。
本論文は、15000年前頃となるベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡の個体(ゴイエQ2)により表される、残存するマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)関連祖先系統(関連記事)の調査を目的としました。BBB遺跡の1個体(BBB003_6)のみが、HG祖先系統の追加の供給源(16.5%)としてゴイエQ2とモデル化できます。他の個体は、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体関連祖先系統とアナトリア半島農耕民関連祖先系統の2方向混合として最良にモデル化されます。
同時代のEN農耕民では、高水準のゴイエQ2的祖先系統はイベリア半島で報告されており、アンダルシアのトーロ洞窟(Cueva del Toro)の個体にて最高の割合で、カタルーニャのチャヴェス洞窟(Cueva de Chaves)の個体にてより低い割合で特定されました。これらの結果は、イベリア半島から東方への「帰還」効果を伴う、ラングドックとバレンシアの人口集団をつなぐ交流網を支持しており、これは、「フランコ・イベリア・カルディウム(Franco-Iberian Cardial)」の形成を説明するために提唱された仮説です。しかし、BBBで観察された祖先系統に等しく寄与したかもしれない在来の中石器時代集団の遺伝学についてほとんど知られていないことを、考慮しなければなりません。
中石器時代個体群では、ゴイエQ2祖先系統の高い割合が、中期石器時代初期において西大西洋正面のレ・ペラッツ(Les Perrats)遺跡のフランスHGで特定されており、イベリア半島外のマグダレニアン関連の遺伝的遺産の後期の持続を浮き彫りにします(関連記事)。BBBにおけるゴイエQ2祖先系統の存在と高い割合は、フランス地中海地域東部のEN個体群がこの種類の祖先系統を有していないように見えるため、さらに興味深いものです。しかし、この遺伝的構成要素の分布は、ヨーロッパ中央部でも散発的に現れ、より適切に特徴づけられる必要があります。これは明らかに、中石器時代とEN両方の集団のさらなる記録の必要性を浮き彫りにします。
地中海新石器時代拡大期における遺伝子流動の過程を記録するため、ソフトウェアDATESを用いて混合事象の時期も推定されました。本論文で検討される全ての混合推定値は、最古と最新のあり得る混合事象を把握するための個体/集団の炭素14年代の最大値と最小値の間の中間、および1世代28年を考慮して計算されました。しかし、炭素14年代の中央値(および1世代あたり25~30年の前提)で計算された推定値もあります。BBB個体群(3個体)については、混合年代の範囲は紀元前6200~紀元前5600年頃で、1個体の年代は紀元前5900~紀元前5300年頃でした。ガゼルとPENとLBRの遺跡/個体群の年代範囲は、紀元前6200~紀元前5000年頃と推定されました。BBB集団で最古の炭素14年代のみを考慮すると、DATESの推定値(集団の年代分布の21.918±4.037世代前、したがって紀元前6200~紀元前5950年頃)は、この混合事象をこの地域で考古学的に確証された農耕確立の少なくとも4世代前(111年前)となる、紀元前5850年頃に位置づけます。それにも関わらず、集団の最小の炭素14年代を考慮すると、推定値はこの混合を農耕民到来直後の紀元前5685年頃に位置づけます。より堅牢な方法論に基づく推定値では、HGと侵入してきた農耕民との間の混合が、オクシタニー地域における農耕民到来の前、もしくは農耕確立の期間に起きた可能性を除外できません。注目すべきことに、フランス南部の他のEN遺跡は、各地域における農耕到来の直後に混合が起きたかもしれない、と示唆する年代推定値をもたらしました。最後に、イタリアおよびイベリアEN農耕民で推定された混合年代範囲は、フランスの遺跡群での推定よりも広いものでした。
地中海西部地域の遺跡間および共同体内の両方で測定された混合年代の変動性は、HGと侵入してきた農耕民との間の混合の複雑で多段階の歴史を示唆します。フランスとイベリア半島におけるあり得る混合事象の全体的な年代範囲を考慮すると、検出された最古の年代は混合事象を関係する両地域での証明された農耕確立の前に位置づけるかもしれません。したがって、これらの事象は恐らく、まだ特定されていない地域である、地中海世西部の拡大経路の上流で起きたかもしれません。したがって、フランス南部の農耕集団は、複数起源の可能性がある、特定のHG祖先系統を獲得しました。
ラングドックとフランス南東部とイタリア半島中央部についてのいくつかの考古学的研究は、HGと農耕民の集団間の直接的接触を支持してきました。じっさい、イタリアの集落の地理的および年代的モデル化はむしろ、初期農耕民が無人だったように見える地域に居住した、と強調しており、「無人の地」モデルを支持します。ラングドック西部では、より短い時間的間隙が中石器時代と新石器時代の集落を分離していますが、HGと農耕民の共存ではなく、特定地域の急速な継承と再居住を依然として支持します。両モデルは、重複がないかひじょうに限定的な、HGと農耕民の継承を示唆します。したがって本論文は、ゲノムデータが地中海拡大における複雑な相互作用の歴史への新たな洞察追加の可能性をどのように有しているのか、示します。
●ICC複合の起源における小さな農耕共同体
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が推定され、hapROHの適用により、初期農耕集団の交雑の水準もしくは有効人口規模の過去の限界が評価されました(関連記事)。全体的に、初期地中海西部農耕民では交雑の兆候はほとんど見つからず、例外はガゼル洞窟の1個体(ガゼル4号)で、20以上のROHの合計(sROH)で50 cM(センチモルガン)の閾値を超えており、その合計は138.5cMです(図3B)。この個体は異なる染色体上で複数の長いROHを示しており、1親等の近親婚の子供(親子間か、両親が同じキョウダイ間の子供)として解釈できます(図3B)。注目すべきことに、ガゼル4号周辺の特定の埋葬様式の議論の難しさを認識しなければなりません。この個体の遺骸はひじょうに少なく、この埋葬堆積物を特徴づける考古学的議論はほとんど提唱できません。したがって、アイルランドのニューグレンジ(Newgrange)巨石構造物で特定された近親交配個体(関連記事)で記載されたような、この個体に認められる潜在的な社会的地位を裏づけるか、否定するものはありません。以下は本論文の図3です。
ヨーロッパの新石器時代農耕民共同体を比較すると、地中海中央部および西部の新石器時代と関連する個体群は、ヨーロッパ大陸部新石器時代と関連する個体群よりもかなり高いsROH(4~8)値を示します(図3A・C)。全体的に、初期地中海農耕民の短いROHのより高い割合(4~8のsROHの平均値は15.542、中央値は15.385)は、フランス南部とイベリア半島における前期~中期新石器時代共同体のより小さな有効人口規模(Ne)を示唆しており、LNに向かって次第に増加した一方で、LBK集団はENからのより高いNeにより特徴づけられます(4~8のsROHの平均値は3.8888、中央値は4.541)。ヨーロッパ大陸部と地中海の集団間の有効人口規模で観察された違いは、移住の様相と関連しているかもしれません。
じっさい、考古学的記録は、小さなICC関連集団のイタリア南部からリグーリア州とフランス南部への西進の海洋経路に続く急速な分散を裏づけます。農耕民集団の拡大は海岸線に沿って、航海を含めてさまざまな課題(たとえば、船の能力の限界もしくは海流への依存)に直面した可能性が高く、これは最初の人口規模を減少させた可能性があり、創始者効果を増加させました。その結果、考古学的データと人口規模の人口統計学的推定値は、長距離交換網により維持された小さな開拓者人口集団を示唆しました。紀元前六千年紀の後半において、地中海新石器化の第二段階は物質文化の多様化および人口規模の増加と関連しています。
本論文の結果は、これら人口統計学的モデルに関する詳細を提供します。じっさい、人口規模推定値は、農耕拡大のより進んだ段階においてフランス南部に居住するより小さな規模のヒト集団を支持しており、この集団は孤立の潜在的程度によりある程度特徴づけられます。この仮説は、ガゼル遺跡で観察された近親婚のような事例の説明のためにも提唱できますが、そうした事象が小さな共同体で社会的に正当化された証拠はなかったので、近親婚も逸脱した行動と関連しているかもしれません。さらに、地中海における初期農耕民集団の減少した人口規模も、これらの地域におけるHG混合のより高い観察された強度の要因に寄与したかもしれない、と注目するのは興味深いことです。
●新石器時代を通じてのフランス南部農耕共同体ゲノムの歴史
オクシタニーにおけるインプレッサ土器文化集団から広範に分布したシャセ文化への移行(紀元前4400~紀元前3600年頃)は、フランス南部中期新石器時代(MN)1(紀元前4800~紀元前4400年頃)という用語で暫定的に分類された多様な文化的側面に相当しています。この期間はこれまで、フランス南部の5個体により表されていました。本論文はこのデータセットを、ル・クレ遺跡(4個体)とシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡(3個体)の新たな7個体に拡張しました。両遺跡は前期シャセ文化に分類されるネクロポリスで、年代は紀元前五千年紀後半です。それらの個体は、ヨーロッパ西部新石器時代集団の変異内に収まる母系および父系ハプログループを有しています。
前期シャセ文化に分類される全個体は、ヨーロッパ西部MN(中期新石器時代)人口集団の変異内に収まり(図1B)、PCAでは他のフランス地域およびイベリア半島のMN個体群と区別できません。これらの結果は、同時代のヨーロッパ西部集団の全体的な均質化と一致します。新石器時代が進むにつれて、シャセ文化はフランス南部において多くのより小さな文化的実体に分岐していきました。本論文では、LNへの移行(紀元前3600~紀元前2500年頃)はアヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の10個体とドルメン・デス・ファデス遺跡の3個体により表されます。これらの個体は、ヨーロッパ西部新石器時代に共通するmtHgとYHgも有しています。
これらの個体は遺伝的に均質で、フランス南部のMN1および前期シャセ文化個体群とクラスタ化し、明確な文化期移行を通じてのこの地域における遺伝的連続性が示唆されます(図1B)。次にqpWaveが使用され、新石器時代を通じて共有された遺伝的浮動が検証され、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の外れ値1個体(BOU6)が含められました。この個体は、PCA図ではHGクラスタに向かってさらに動いています。このHGとの類似性は、qpAdm分析と同様に、HG祖先系統の過剰で知られている、ペンディモンおよびレス・ブレギエーレス遺跡(LBR5)のICC標本とのBOU6のクラスタ化を通じてqpWaveにより裏づけられました。
フランス南部の残りの初期農耕民はqpWave分析ではクラスタを形成し、このクラスタは、ボーム・ブルボン遺跡とクロス・デ・ロック(Clos de Roque)遺跡とル・クレ遺跡とシャンプ・ドゥ・ポスト遺跡のICC、MN1、アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡とドルメン・デス・ファデス遺跡の前期シャセ文化に分類される集団で構成されます。これは、考古学的に記録されているかなりの文化的変容にも関わらず、新石器化の第二段階から紀元前三千年紀の前半にかけての、草原地帯関連祖先系統の到来前の、フランス南部における新石器時代を通じてのある程度の遺伝的連続性を示唆します。この状況はフランスの北部から東部では異なっており、考古学的な物質文化の変化と一致して、新石器化の第一段階とLBK後の新石器時代との間の遺伝的不連続性が観察されます。
次に、本論文の全個体と紀元前6300~紀元前2400年頃のヨーロッパ新石器時代農耕民でのqpAdmの実行により、農耕共同体におけるヨーロッパHG祖先系統の割合の変化が定量化されました。図4はフランス南部のICC農耕民の特別な状態を浮き彫りにしており、あらゆる同時代のヨーロッパ農耕集団と比較して、HG祖先系統の最高の割合を示します。時間の経過とともに、その後の新石器時代集団(紀元前4800年頃と紀元前4000年頃)は、他のヨーロッパ西部地域ですでに示されているように(関連記事)、ヨーロッパHG祖先系統の着実な増加を示します。
HG祖先系統の最高の割合はフランス南部のクロス・デ・ロック遺跡の個体群(紀元前4800~紀元前4550年頃、29~32%)、フランス北部のエスカル(Escalles)遺跡の1個体(31%)、フランス北東部のオベルネ(Obernai)遺跡集団(OBN-B、紀元前4800~紀元前4500年頃、41~46%)で観察されるのに対して、紀元前五千年紀フランスのほとんどの個体ではHG祖先系統の割合は10~30%です。この一般的傾向は、紀元前4000~紀元前3500年頃となるその後の期間で維持されます(14~32%)。
紀元前五千年紀~紀元前三千年紀の新石器時代文脈の全個体は、ヴィッラブルーナHG祖先系統とアナトリア半島西部新石器時代祖先系統の2方向混合としてモデル化でき、ゴイエQ2関連祖先系統のさらなる証拠は見つかりませんでした。EN個体群とのように、XとYが本論文で検討されたそれぞれ以前に報告されたHG個体群と新石器時代個体群に対応しているf4形式(ムブティ人、X;Y、アナトリアN)のf4統計では、フランス南部LN農耕民は他のHG個体群と比較して、イタリアとフランスとルクセンブルクとドイツとブリテン諸島に由来するHGに最も近い、と示唆されます。これは、新石器時代を通じてこの地域におけるこの種のHG祖先系統の保存を示唆している可能性があります。以下は本論文の図4です。
アヴェン・デ・ラ・ブークル遺跡の1個体(BOU6)のHGとの特異的類似性も、qpAdmを用いて分析されました。BOU6のHG構成要素は36%と推定されており、同じ遺跡の他の個体で見られる割合(13~29%)を超えています。この結果は、フランスとドイツの後期農耕民における予想外に高いHGの割合についての最近の調査結果を反映しています。ロシュブール関連HG祖先系統を、パリ盆地のモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡の集団埋葬の2個体(紀元前3300~紀元前3100年頃)はそれぞれ50.6%と63.3%(関連記事)、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡のMLN(中期~後期新石器時代)個体群は49~85%、ヴァルトベルク(Wartberg)文化(WBC)関連のニーダーティーフェンバッハ遺跡個体群は34~58%(関連記事)、後期新石器時代となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)関連のエルベハーフェル(Elb-Havel)文脈のタンガーミュンデ(Tangermünde)遺跡の1個体(TGM009)は63.6%有しています(関連記事)。ブレッターヘーレ遺跡のMN個体群とモンアイメー遺跡個体群とニーダーティーフェンバッハ共同体とTGM009について、混合年代が計算されました。
年代範囲は、モンアイメー遺跡個体群が紀元前4600~紀元前3600年頃、ニーダーティーフェンバッハ共同体は紀元前4100~紀元前3900年頃でした。ブレッターヘーレ遺跡のMN個体群とTGM009では類似の結果が得られ、その年代範囲はそれぞれ、紀元前4550~紀元前4155年頃と紀元前4300~紀元前3400年頃でした。同じ方法論を用いると、BOU6の推定混合年代が紀元前5000~紀元前4200年頃に収まるのに対して、ボーム・ブルボン遺跡集団の残りの個体は紀元前5800~紀元前5100年頃と推定されました。
フランスとドイツのさまざまな地域のLN農耕民におけるHG祖先系統の高い量の検出は、農耕民集団(30%未満のHG構成要素を示します)と優勢なHG祖先系統を保持していた集団との間の多段階の遺伝子流動を裏づけます。じっさい、一部のLN個体群で観察されたひじょうに最近の混合年代は、継続的な遺伝子流動もしくは遺伝子流動の複数の波動に関する仮説を補強し、最近提案されたように、長期にわたる(紀元前3600年頃まで)、ヨーロッパ西部のさまざまな地域における繰り返しの遺伝的交換を示唆します。この仮説は明らかに、後期にかなりのヨーロッパHG祖先系統を有して寄与する集団の特定という課題を提起します。
フランスの考古学的記録は明らかに、紀元前4900年頃以後のHG集団の欠如を示しており、これはBOU6個体とパリ盆地の個体群で推定された混合年代に先行します。ヨーロッパ西部における紀元前五千年紀から紀元前三千年紀にかけての集団で利用可能なゲノムデータは、おもにHGのゲノム遺産を有している共同体をまだ明らかにしていないので、その地理的分布は理解しにくいままです。これらの集団の文化的帰属も困難で、それは、生物学的特徴だけではその文化的背景の推測に使用できないからです。考古学およびゲノム記録からのそうした集団の不可視性は、(1)現在の考古学的調査から漏れている、その生活様式および/もしくは辺境地域における集団の集落の空間的分布(つまり、山岳地域もしくは沿岸周辺)、もしくは(2)骨格遺骸の保存を妨げる埋葬慣行と関連しているかもしれません。
紀元前六千年紀のEN個体群は、拡大のさまざまな波に帰属される新石器時代集団が、中石器時代集団との生物学的相互作用および拡散様式の両方に関して対照的な歴史を経た、と示すデータを提供します。したがって、観察されたパターンは、初期地中海農耕民の小さな人口規模でより低い遺伝的多様性が、拡大するEN農耕民と在来のHGとの間での生物学的交換において寄与した要因だったかもしれない程度に関する問題を提起します。しかし、イタリアとフランス南部とイベリア半島のEN農耕民で利用可能なデータの比較は、これらの地域間の混合事象の強度におけるわずかな違いを浮き彫りにします。観察された違いは、行動/文化の側面とつながっているか、HG集団のさまざまな密度に結びついているかもしれません。以下は本論文の要約図です。
残りの側面は、時空間両方で複数回だったように見える、拡大する農耕民と在来のHGとの間の混合事象の正確な動態にも関係します。イタリアとエーゲ海と地中海中央部から東部の新石器時代の追加のゲノムおよび放射性炭素データが、地中海における新石器化過程の全体論的見解にとって根本的となる、拡大経路に沿った接触の年代と多様性の検討に必要でしょう。新石器時代に入ると、新たなデータは新石器時代を通じての相互作用様式への貴重な洞察にも寄与し、フランス南部新石器時代集団における、文化的変容にも関わらず見られる遺伝的連続性と、後期の大きなHG祖先系統の両方を示します。
●この研究の限界
地中海は、新石器化過程のより洗練された理解を入手するための、重要な地理的場所です。しかし、そのゲノム記録は2つの大きな課題に直面しています。第一に、後期中石器時代と最初期新石器時代文脈のヒト遺骸の少なさは、この地域における農耕民の開拓者の確立および在来集団との交換の研究において偏りをもたらします。第二に、古ゲノム研究はこの地域において、遺跡におけるひじょうに変化しやすいDNA保存に取り組まねばなりません。ボーム・ブルボン遺跡の結果により本論文で例証されているように、古代DNAの劣った保存は利用可能なデータの数を劇的に減らす可能性があります。
参考文献:
Arzelier A. et al.(2022): Neolithic genomic data from southern France showcase intensified interactions with hunter-gatherer communities. iScience, 25, 11, 105387.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105387
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