三国時代の朝鮮半島の甕棺に埋葬された複数個体のゲノムデータ

 三国時代の朝鮮半島の甕棺に埋葬された複数個体のゲノムデータを報告した研究(Lee et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。家族関係は過去の社会の構造の理解に重要ですが、その考古学的復元はほぼ、状況証拠に基づいています。考古遺伝学的情報、とくにゲノム規模データは、古代人の家族関係を正確に復元する客観的手法を提供するので、親族関係の考古学的に導かれた仮説の堅牢な検証を可能とします。この研究では、その手法が、単一の甕棺に二次的に共に埋葬された朝鮮半島の中世初期個体群の遺伝的関係の解明に適用されました。

 甕棺から中世初期朝鮮半島の6個体のゲノム規模データが得られました。これらの個体間の遺伝的関係性が推定され、よく確立した集団遺伝学的手法を用いて、その遺伝的特性が明らかにされました。単一の甕棺における複数個体という異例なパターンと一致して、これらの個体はそのゲノム規模分析から、夫婦とその2人の子供と父方および母方両方の親族も含めて拡大家族を形成している、と示されます。これら中世初期朝鮮人は現代朝鮮人と類似した遺伝的特性を有している、と示されます。

 単一の甕棺における複数の二次埋葬という異常な事例は、ともに埋葬された個体間の家族関係を反映している、と示されます。父方と母方両方の親族が核家族とともに埋葬されている、と分かり、これは限定的な性別(ジェンダー)偏りの家族構造を示唆しているかもしれません。現代朝鮮人と類似した中世初期朝鮮人の遺伝的特性が見つかり、現代朝鮮人の遺伝的起源は朝鮮半島において少なくとも1500年前にさかのぼる、と示されます。


●研究史

 甕棺を用いた埋葬慣行は、アジア南東部と中国北部と満洲と日本列島と朝鮮半島を含めてアジア東部において過去の社会で広がっており、新石器時代に始まり歴史時代まで続きました。朝鮮半島では、甕棺での先史時代と歴史時代の埋葬は全地域で頻繁に見つかりますが、最も集中しているのは、4~6世紀の羅州(Naju)市や霊岩(Yeongam)郡地域など朝鮮半島南西部です。大きくヒトの高さほどの甕棺での埋葬は有名ですが、朝鮮半島で最も有名な甕棺はヒトの身体よりずっと小さいものです。ほとんどの場合、これらの小さな甕棺は火葬後に二次的に収集された単一個体の骨格を収めています。火葬とその後の二次埋葬の慣行は、一部の骨格要素の喪失、性別や年齢や病歴に関する情報を伝える詳細な形態学的特徴の破壊、タンパク質や核酸など生体高分子の保存の悪さをもたらします。このため、甕棺から回収された骨格遺骸は、限定的な規模でしか生物人類学および考古遺伝学的研究で調べられておらず、甕棺に埋葬された人々の特徴は未解決の問題として残されています。

 堂北里(Dangbuk-ri)遺跡は、韓国の西部沿岸地域の群山(Gunsan)市に位置します(図1)。當北里遺跡は2016年夏に発掘され、中世初期(5~7世紀、もしくは三国時代)の合計21基の埋葬が含まれます。これら21基の埋葬のうち、16基の石棺と4基の石室埋葬では骨格遺骸が得られませんでしたが、残りの1基の甕棺埋葬には複数個体の骨格遺骸がありました(図2)。埋葬状況を考慮すると、これらの個体の骨格要素はこの甕棺へ二次的に集められ、同時に埋葬された可能性が最も高そうです。この事例は異常と考えられます。なぜならば、ほとんどの甕棺埋葬には1個体しか収容されておらず、中世初期朝鮮半島の複数埋葬の他の様式の個体は通常、長期にわたって順次埋葬されているからです。たとえば、連続して埋葬されている複数個体のある石室墓では、より早く埋葬された個体の骨格要素はその解剖学的位置から離れており、石室の周辺に位置する傾向がありますが、それは、次の個体が後に埋葬されたさいに石室の中心から離れて動かされたからです。

 この研究はゲノム規模データを用いて、これらともに埋葬された個体間の遺伝的関連性と、その遺伝的特性を調べました。これらの個体間の家族関係の解明に加えて、ゲノム規模データの豊富な情報の活用による、古代および現代のアジア東部人口集団、とくに現代朝鮮人および朝鮮半島近くの古代の人口集団との関係の観点において、これらの個体の遺伝的特性が高解像度でモデル化されました。


●堂北里遺跡

 堂北里遺跡は大韓民国の全羅北道(Jeollabuk-do)群山市に位置します(図1)。2016年の堂北里遺跡の発掘は鉄道建設に伴うもので、同年7月から約60日間行なわれました。堂北里遺跡は帆柱(Dottae)山の南側中腹に位置し、岡の頂上にまたがり、海抜は約60mです。堂北里遺跡では合計21基の三国時代の埋葬が発見されました。そのうち、16基は石棺様式、4基は石室様式、残りの1基は甕棺でした。甕棺埋葬の周囲の石棺および石室墓は、その埋葬構造と築造技術を考えると、三国時代に作られました。さらに、甕棺の類型学的分析は、甕製作技術が石室および石棺墓の副葬土器と密接に類似している、と示唆します。具体的には、石棺と石室墓の土器の椀の形は6世紀頃の中国で作られた土器と類似しています。これらの考古学的状況を考慮すると、堂北里遺跡の甕棺は文脈上6世紀半ばと年代測定されました。以下は本論文の図1です。
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 甕棺埋葬は頂上から南東の中腹に位置し、石棺および石室埋葬に囲まれており、特定のパターンはありません。甕は円形の穴に置かれ、2点の石が甕本体を固定するために甕の横に置かれました。発見時、甕はやや傾いていました。甕の口の部分は壊れており、棺の蓋がありませんでした。甕棺では、複数の骨格が一緒に発見されました(図2)。甕棺内の骨格要素の配置では特定のパターンは検出されませんでしたが、甕の上部により多くの頭蓋骨が置かれていました。以下は本論文の図2です。
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 連続した複数埋葬(つまり、個体が長期にわたって連続的に甕棺に入れられます)の事例はこの様式の甕棺では報告されていませんが、2基の甕で構成される埋葬では確認されています。また、この甕棺の個体群は層には分かれておらず、連続した複数埋葬で予測されるパターンです。したがって、この甕棺の複数骨格は、二次埋葬としてほぼ同時にともに葬られた、と考えられます。発掘終了後、副葬品としての土器が円形の穴の底で見つかり、甕棺安置の前に儀式的行動が行なわれた、と示唆されます。甕の高さは下部から上部まで72.3cmで、その直径は32.1cmです。


●標本

 堂北里遺跡の甕棺の骨格は、歯の発達や長骨の骨端融合などの程度により、成人もしくは未成年に分類され、形態学的特徴に基づいてさらに詳しく年齢が推定されました。形態からは性別も推定されました。成人は6個体(1号が50代の女性、2号が36~50歳の男性、3号が21~35歳の男性、4号が詳しい年齢は不明の女性、5号が36~50歳の男性、6号が21~35歳のおそらく女性)、未成年が3個体(7号が2~4歳、8号が6~10歳、9号が15~18歳で、性別はいずれも断定されていません)です。

 この9個体のうち2個体(5号と7号)は側頭骨錐体部が充分に保存されなかったため、DNA分析に含められませんでした。祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の情報をもたらすのに充分な124万ヶ所の一塩基多型(SNP)を対象とした分析に適したDNAが保存されている6個体(5号と7号と8号以外)が、既知の多様な地域の現代人および時空間的に広範な古代人とともに分析されました。この6個体については、Y染色体ハプログループ(YHg)ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も決定されました。その内訳は、1号がGUC001、2号がGUC002、3号がGUC003、4号がGUC004、6号がGUC005、9号がGUC007です。

 f統計では、外群f3形式(ムブティ人;堂北里三国時代人、世界規模の比較対象)とf4形式(ムブティ人、世界規模の比較対象;堂北里三国時代人、現代朝鮮人)が計算されました。混合モデルでは、外群一式として、10人口集団が用いられました。それは、アフリカ中央部のムブティ人(ムブティDG、5個体)、アナトリア半島西部の前期新石器時代農耕民(アナトリアN、23個体)、アンダマン諸島のオンゲ人(オンゲDG、2個体)、ザグロス中央部のガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の新石器時代イラン人(イランN、8個体)、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡の亜旧石器時代ヨーロッパ狩猟採集民(ヴィッラブルーナ、1個体)、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された後期更新世(11600~11270年前頃)のアメリカ大陸先住民1個体(USR1)、バイカル湖西部地域の前期新石器時代狩猟採集民(バイカルEN、18個体)、中国の山東省地域の淄博(Boshan)遺跡の前期新石器時代1個体(淄博)、中国南部の福建省の亮島(Liangdao)遺跡の前期新石器時代1個体(亮島2号)、北海道の船泊貝塚の縄文時代の2個体(縄文船泊)です。ムブティ人は全てのユーラシア人口集団に共通の外群です。アナトリアNとイランNとヴィッラブルーナは、ユーラシア西部人の主要な祖先系統構成要素を区別するために用いられます。オンゲ人は、ユーラシア東部人の中で深く分岐しています。USR1とバイカルENと淄博と亮島2号は、南北の遺伝的勾配に沿ってアジア東部人口集団を区別するために用いられます。


●単一の甕棺に埋葬された個体の家族関係

 まず、ユーラシア現代人2077個体の主成分分析(PCA)が実行され、堂北里遺跡の甕棺の古代人が主成分(PC)に投影されました(図3)。ゲノムが解析された堂北里遺跡の6個体は全員相互および現代朝鮮人の近くに位置し、この6個体間でのかなりの遺伝的均一性、および現代朝鮮人との全体的に密接な関係が示唆されます。現代朝鮮人を含むアジア東部現代人のPCAでは、堂北里遺跡の6個体は現代朝鮮人とも重なります。以下は本論文の図3です。
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 次に、これら古代の個体間の遺伝的近縁性が測定され、単一の甕棺に複数個体の存在という異常な事例がその密接な関係を反映しているのかどうか、検証されました。ゲノム規模データに基づく遺伝的近縁性の推定ではじっさい、堂北里遺跡の6個体が密接に関連する拡大家族を形成する、と示されます。これら6個体の15通りの組み合わせのうち、6組の一親等、2組の二親等、1組の三親等が観察されます(図4a)。mtHgおよびYHgと死亡時年齢の情報を組み込むことで、親子とキョウダイの組み合わせが区別され、最も妥当な系図が提案されます(図4b)。以下は本論文の図4です。
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 この系図の核には、夫婦と2人の子供(成人男性1個体と未成年女性1個体)で構成される4人家族があります。夫が2号、妻が4号、息子が1号、娘が9号です。2号はmtHg-D4b2b1でYHg-Q1a1a(M120)、4号はmtHg-D4c1b1(推定)、1号はmtHg-D4c1b1でYHg-Q1(L472)、9号はmtHg-D4c1b1です。残りの2個体のうち、男性1個体(6号)はmtHg-D4c1b1でYHg-O1b2a1a2a1a(CTS7620)となり、4号の一親等の親族ですが、1号および9号のキョウダイの父親(2号)とは無関係です。6号と4号の一親等の関係は、同じSNPにおける両アレル(対立遺伝子)のほぼゼロの共有を考えると、親子関係の可能性が高そうです。この場合、父と娘および母と息子の両方の関係が遺伝的データと一致しますが、6号と4人家族の子供(1号と9号)が同一のmtHgであることを考えると、母親と息子の関係の可能性がより高そうです。つまり、6号と1号および9号とは異父キョウダイの関係かもしれません。最後に、3号は2号の三親等程度の親族の可能性が最も高く、そのYHg-Q1a(F1251)は2号と同じです。

 hapROHを用いて、堂北里遺跡の6個体におけるROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)断片(関連記事)での分布も調べられました。4 cM(センチモルガン)超となる長いROHはほとんど見つからず、堂北里遺跡の6個体は密接な親族関係にある両親の間の子供ではなかった、と結論づけられます。


●中世初期朝鮮人の遺伝的特性

 堂北里遺跡の甕棺に埋葬された中世初期朝鮮人の遺伝的特性を理解するため、f3統計(ムブティ人;堂北里三国時代人、世界規模の比較対象)を用いて、まず堂北里遺跡集団と世界規模の現代人および古代人との間の遺伝的類似性が測定されました。予測されたように、堂北里遺跡集団は現代朝鮮人と最高の遺伝的類似性を示します。f4統計(ムブティ人、世界規模の比較対象;堂北里三国時代人、現代朝鮮人)を用いての、中世初期と現代の朝鮮人の遺伝的対称性の形式的検証では、明確な地理的分布なしに対称性を破ったのはわずか数集団でした。

 同様に、クレード(単系統群)性のqpWave検定では、中世初期と現代の朝鮮人との間での有意差はわずかでした。古代と現代の朝鮮人集団間のわずかな違いを説明できる追加の遺伝的構成要素を見つけるため、qpAdmが用いられました。qpAdmは複数のf4統計を要約し、選択された供給源人口集団のアレル頻度の混合が対象となった人口集団のそれを正確に模倣できるのかどうか、検証します。具体的には、(1)他の大陸部アジア東部人口集団がこの違いに寄与した可能性があるのかどうか、(2)縄文関連祖先系統がこの違いに寄与した可能性があるのかどうか、(3)この違いが、実験室の作業場を考えるとヨーロッパ人供給源からの可能性が高い、少量の汚染に起因する乱れなのかどうか、調べられました。

 その結果、蔚山広域市の現代朝鮮人(88個体)は、堂北里遺跡甕棺集団とヨーロッパ人供給源の小さな負係数を有する混合として適切にモデル化できる、分かりました。交互に、北里遺跡甕棺集団は蔚山広域市の現代朝鮮人とヨーロッパ人供給源からの小さな寄与(1.0~1.4%)の混合としてモデル化されます。縄文関連祖先系統も他のアジア東部供給源を含むモデルも、堅牢な寄与を示しません。したがって、これらの結果は、北里遺跡甕棺個体群の核DNAの同程度の量の汚染(0.2~1.8%)と、読み取りマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)段階中の小さな参照の偏りを考慮すると、真の混合ではなく技術的な乱れとして解釈されます。

 古代および現代の朝鮮人の遺伝的特性をより広い意味で周辺地域の人口集団と比較するため、そうした人口集団に一般的に適用できた遠位混合モデルが調べられました。検証された南北の遺伝的勾配に沿った古代アジア東部人口集団の57対では、わずかな組み合わせだけが対象人口集団の広範囲に適合し、その中に含まれるのは、北里遺跡甕棺個体群、現代朝鮮人、中国北部のさまざまな古代人集団で、標準誤差測定値は小さいので、対象人口集団の遺伝的特性の比較の基盤を提供できます。たとえば、対象人口集団は、以下の2人口集団により定義される範囲内で、アジア東部における南北の遺伝的勾配に沿って適切に位置します。それは、(1)遺伝的な北方の代理としての、夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化文脈における西遼河(WLR)地域の竜頭山(Longtoushan)遺跡の青銅器時代(BA)個体群(WLR_BA)と、(2)遺伝的な南方の代理としての、中国南部の福建省の渓頭(Xitoucun)遺跡の後期新石器時代個体群(渓頭)です(図5)。以下は本論文の図5です。
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 古代および現代朝鮮人の両方では、日本列島の縄文時代狩猟採集民遺伝子プールからの統計的に有意な寄与が検出されませんでしたが、先行研究では、新石器時代から中世初期にかけての縄文祖先系統の寄与の存在が時折見られる、と報告されています(関連記事1および関連記事2)。WLR_BAから中華人民共和国内モンゴル自治区の廟子溝(Miaozigou)遺跡の中期新石器時代(MN)個体群(廟子溝MN)へと遺伝的な北方の代理を置き換えると、北里遺跡甕棺個体群と蔚山広域市の現代朝鮮人における少ないものの有意な量の縄文の寄与が検出されます。地理的および時間的近接性を考慮すると、WLR_BAが古代および現代朝鮮人にとってより適切なモデルを提供している、と考えられます。残りのよく適合する供給源の組み合わせは、定性的に類似の結果を提供します。


●考察

 本論文は、北里遺跡甕棺の個体群のゲノム研究を提示します。これは複数の二次埋葬という異例で、少なくとも9個体が単一の小さな甕棺にともに埋葬されました。この異例な埋葬は、ともに埋葬された個体間の特異な関係、つまり夫婦およびその2人の子供という中核と、父系および母系両方の親族を含む拡大家族を表している、という本論文の仮説が確証されます。推定された家系図は、この地域に暮らしていた中世初期朝鮮人の家族構造において性別(ジェンダー)の偏りがほとんどなかったことを示唆しているかもしれません。異例な埋葬状況もしくは単一墓地から発掘された古代の個体群についてのさらなる考古遺伝学的研究は、過去の埋葬慣行や社会構造へのより多くの洞察を提供するでしょう。

 現代朝鮮人の遺伝的起源は、関連する古代人のゲノムデータの欠如のため、完全には理解されていませんが、北里遺跡甕棺の個体群は、古代朝鮮半島における最初となる過去のヒトの遺伝的特性を提供します。この様式の小型甕棺は、社会政治的エリートではなく庶民と関連している、と考えられているので、北里遺跡甕棺の個体群は、少数ではあるものの、中世初期朝鮮半島の一般的集団の遺伝的特性を垣間見せてくれます。本論文の集団ゲノム分析は、少なくとも中世初期以来の、朝鮮半島における現代朝鮮人の遺伝的特性の長期の存在を示します。しかし、これは過去2000年間にわたる近隣からの朝鮮半島人口集団の完全な遺伝的孤立を意味しているわけではありません。

 対照的に、原史時代の朝鮮半島とその近隣地域との間の高度なつながりを裏づける、遺伝的証拠が増えつつあります。最近の研究では、日本列島からのかなりの水準の縄文祖先系統を有する中世初期の数個体が報告され(関連記事)、人々とモノの移動を裏づける活気のある「国際的」つながりが示唆されています。さらに、日本列島の古墳時代の個体群は、供給源地域として朝鮮半島の可能性がひじょうに高い、大陸部アジア東部からの継続的遺伝子流動を示唆します(関連記事)。朝鮮半島およびその周辺地域の原史時代の遺跡に関する今後の考古遺伝学的研究は、過去のアジア東部社会間のつながりの正確な描写に役立ち、原史時代の朝鮮半島人口集団における遺伝的多様性を調べるでしょう。


参考文献:
Lee DN. et al.(2022): Genomic detection of a secondary family burial in a single jar coffin in early Medieval Korea. American Journal of Biological Anthropology, 179, 4, 585–597.
https://doi.org/10.1002/ajpa.24650

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