遺伝学的知見から推測されるネアンデルタール人の社会構成

 遺伝学的知見からネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の社会構成を推測した研究(Skov et al., 2022)が公表されました。この研究は昨年すでに、その概要が報道されていました(関連記事)。ネアンデルタール人のこれまでのゲノム解析からは、その人口史や現生人類(Homo sapiens)との関係についての見識が得られていますが、ネアンデルタール人の共同体の社会構成はほとんど理解されていません。本論文は、シベリア南部のアルタイ山脈にある、2ヶ所の中部旧石器時代遺跡から出土したネアンデルタール人13個体の遺伝的データを提示します。それは、チャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)の11個体とオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)の2個体です。これは、ネアンデルタール人集団に関する遺伝学的研究としては、これまでで最大規模の一つです。

 この研究は、混成捕獲分析評価(hybridization capture assay)を用いて、ゲノム規模の核DNAデータと、ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体の塩基配列を得ました。チャギルスカヤ洞窟の個体の一部は密接に関連しており、父と娘である2個体と、二親等の親族関係にある2個体が含まれており、少なくともこれらの個体の一部が同時期に生活していたことを示唆しています。これらの個体のゲノムの最大1/3には、同型接合の長い断片があり、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人が小規模な共同体の一部を構成していた、と示唆されます。さらに、Y染色体の多様性はミトコンドリアの多様性を一桁下回っており、このパターンは、女性の共同体間での移動により最良に説明される、と分かりました。したがって、本論文で提示された遺伝的データは、既知の分布域の最東端で孤立していたネアンデルタール人共同体の社会構成に関する詳細な記録を提供します。


●研究史

 ネアンデルタール人は43万年前頃(関連記事)から4万年前頃の絶滅(関連記事)まで、ユーラシア西部に居住していました。東方ではシベリア南部のアルタイ山脈にまで至る、ネアンデルタール人の既知の地理的範囲の大半にわたるネアンデルタール人の歴史にまたがる14ヶ所の遺跡からの18個体の骨格遺骸について、ゲノム規模データが報告されてきました。これらのデータはネアンデルタール人集団の広範な代用をもたらし、時空間的に複数の異なるネアンデルタール人の存在を示唆します(関連記事)。

 しかし、この期間におけるユーラシアのどの地域でも、ネアンデルタール人の共同体間の遺伝的関係と社会構成についてほとんど知られていません。「社会構成」とは、本論文では共同体の規模と性別構成と時空間的結合を意味します。本論文は共同体を、おそらくは同じ場所でともに暮らしていた個人の集合として定義し、より広い地理的領域における共同体の広くつながった集団について人口集団という用語を保留します。化石化した足跡(関連記事)と遺跡使用の空間的パターンに基づいて、ネアンデルタール人の共同体の社会構成に関する先行研究では、ネアンデルタール人はおそらく小さな共同体で暮らしていた、と示唆されてきました。さらに、ネアンデルタール人の成人6個体の部分的なmtDNA配列を用いて、ネアンデルタール人は父方居住だった、と示唆された(関連記事)ものの、これは議論されてきました(関連記事)。

 本論文は、ロシアのシベリア南部の相互に近くに位置する2ヶ所の遺跡、つまりチャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟(図1a)から回収された13個体(表1)の遺骸からの核DNAとY染色体とmtDNAのデータを用いて、ネアンデルタール人の社会構成を調べます。以下は本論文の図1です。
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●遺跡と遺骸

 アルタイ山脈の麓に位置するチャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟(図1a)は、おもに短期の狩猟野営地として用いられていた、と考えられています。チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟は、特徴的なシビリャチーハ(Sibiryachikha)中部旧石器インダストリー(関連記事)が発見された3ヶ所の遺跡のうち2ヶ所です(残りの1ヶ所はシビリャチーハ洞窟)。チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟のシビリャチーハ・インダストリーは、ネアンデルタール人遺骸も発見されてきた(関連記事)、その東方約100kmに位置するデニソワ洞窟(Denisova Cave)の中部旧石器インダストリーとは異なっています。

 チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人居住堆積物は、堆積物の光学年代測定とバイソンの骨の放射性炭素年代測定により示唆されているように、59000~51000年前頃に蓄積しました(関連記事)。この研究では、炭の破片2点とネアンデルタール人の骨1点(チャギルスカヤ9号)から追加の放射性炭素年代が得られ、その全ては5万年以上前でした。これらの年代は、短期間の堆積(数千年かそれ未満)と合致し、全てのネアンデルタール人層の類似の考古学的インダストリーの存在と一致します。

 オクラドニコフ洞窟については、オクラドニコフ15号が含まれる3点のネアンデルタール人標本のヒドロキシプロリンに基づく単一アミノ酸放射性炭素年代を用いて、ネアンデルタール人の居住時期が制約され、その年代は少なくとも44000年前頃である、と示唆されました。本論文の年代推定値は、動物の骨のウラン系列年代と一致し、コラーゲンの断片から得られたより新しい放射性炭素年代が汚染の不完全な除去を反映している、との提案を裏づけます。したがって、考古学および年代学的データから、チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟に居住していたネアンデルタール人はほぼ同時代だったかもしれない、と示唆されます。

 チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人1個体(チャギルスカヤ8号)とデニソワ洞窟のより早期のネアンデルタール人1個体(アルタイ・ネアンデルタール人と呼ばれるデニソワ5号)の高網羅率ゲノムの以前の分析から、これらのネアンデルタール人が異なる人口集団に属していた、と明らかになりました。ネアンデルタール人の母親と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の父親の交雑第一世代の子は、ネアンデルタール人の母親が他のネアンデルタール人とよりもチャギルスカヤ8号の方と類似している、と明らかにしました(関連記事)。


●データ取得と性別決定

 チャギルスカヤ洞窟の標本17点とオクラドニコフ洞窟の標本10点から、歯はもしくは骨の粉末1~64mgが標本抽出されました。これらのうち、チャギルスカヤ洞窟の15点とオクラドニコフ洞窟の2点で古代DNAが得られ、そこから合計85点の単一鎖DNAライブラリが生成されました。そのライブラリの全てはmtDNA配列で濃縮され、49点のライブラリ(高い配列の産出と低水準の現代人の汚染で選択されました)が、ゲノム全域で643472ヶ所の塩基転換多型を含む、新たに設計された核捕獲配列を用いて、核DNAで濃縮されました。その配列では、271306ヶ所の部位が刊行されている高網羅率の古代型(絶滅ホモ属)4個体(ネアンデルタール人3個体とデニソワ人1個体)で異なり、372166ヶ所の部位が、現在のアフリカ人口集団で分離しているか、現代人と古代型人類(絶滅ホモ属)との間で固定されています。各化石の平均的な核DNA網羅率は0.04~12.3倍で(図1b)、現代人の汚染推定値の範囲は0.1~3.2%です。X染色体と常染色体との間の網羅率の違いを用いて、17点の遺骸の遺伝的性別が判断され、6点の遺骸が女性由来と分かりました。11点の男性遺骸については、Y染色体配列の約690万塩基対(Mb)で濃縮され、0.02~42.2倍の範囲の網羅率が得られました。


●親族の特定

 遺骸のいずれかが親族関係にあるのかどうか判断するため、高網羅率の古代型(絶滅ホモ属)個体(チャギルスカヤ8号に固有の多様体は除外されます)で変異する、捕獲配列における250785ヶ所の部位から1アレル(対立遺伝子)を無作為に標本抽出することにより、17点の遺骸間の核DNAの相違が計算されました。その相違は、親族関係にある個体ではより低くなるでしょう。それは、親族関係にある個体が、近い過去で共有する祖先からゲノムの一部を継承しているからです。全ての比較で中央値のDNAの相違により、この相違(p0)が正規化されます。この手法を用いて、二親等の関係まで抽出でき、それを超える場合は親族関係にないとみなされます。二親等よりも遠い親族関係にある遺骸についてはp0=1、二親等の遺骸にはp0=0.875、一親等の場合にはp0=0.75、一卵性双生児もしくは同一個体の遺骸にはp0=0.5が予測されます。mtDNAのヘテロプラスミー(ミトコンドリア内で変異型が共存している場合)も調べられ、密接な遺伝的関係が特定されます。ヘテロプラスミーは母親から子供に伝わる可能性があり、通常の持続は3世代に満たないので、異なる遺骸における存在から、同じもしくは母系で密接に関連した個体に由来する、と示唆されます。遺骸(つまり、骨格と歯の標本)と個体との間を区別するため、遺骸は数字で、個体は文字で表示されます(表1)。

 1点の乳歯(チャギルスカヤ19号)と2点の永久歯(チャギルスカヤ13および63)が見つかり、驚くべきことに、その異なる発達段階にも関わらず、遺伝的データは、それらが同一個体(チャギルスカヤG、平均p0=0.53)に属すると示唆します。これと一致して、3点の歯は男性1人に由来し、同一のmtDNAを有しており、60.7~78.5%と類似の頻度で部位3961においてヘテロプラスミーが含まれていました。乳歯のほぼ完全に再吸収された歯根から、それが自然に剥離した、と示唆されます。摩耗と歯根発達パターンに基づいて、永久歯は9~15歳の個体に由来し、この男性はおそらく乳歯が失われた頃に死んだ、と推測されました。

 成人男性1個体(チャギルスカヤD)は、集団の他の複数個体と近い親族関係にあります。チャギルスカヤDと、思春期の女性であるチャギルスカヤHとの間で、一親等の関係が見つかりました(p0=0.77)。一親等の男女の組み合わせの可能性は3通りあります。つまり、母親と息子か、キョウダイか、父親と娘です。しかし、この2個体は異なるミトコンドリアゲノムを有しているので(図1c)、チャギルスカヤHはチャギルスカヤDの娘だった、と結論づけられました。

 さらに、チャギルスカヤDのmtDNAは他の男性2個体(チャギルスカヤCおよびE)と同一で、それには共有されている部位545におけるmtDNAヘテロプラスミー(グアニンからアデニン)が含まれ、その頻度は、チャギルスカヤDでは42~54%、チャギルスカヤEでは20~41%、チャギルスカヤCでは23~30%です。したがって、これら3個体はおそらく密接な母系親族でした。たとえば、祖母を共有している可能性があり、そうならば、四親等の親族だったかもしれません。しかし、チャギルスカヤCとチャギルスカヤDとの間の親族関係の程度は、本論文の手法の解像度を超えています(p0=1.05)。チャギルスカヤEのゲノムは低網羅率で、ヒトと非ヒト動物の汚染が大量にあります。非ヒト動物の汚染の補正後、チャギルスカヤEはチャギルスカヤDの一親等の親族か同一個体と特定されました(p0=0.64)。チャギルスカヤEが異なる個体なのか確証が持てないので、以後の分析からこの標本は除外されました。

 チャギルスカヤCとDとHの密接な親族関係は、この3個体が同時代に存在したことを示唆します。さらに、チャブ人A(男性)とL(女性)は二親等の親族です(p0=0.85)。少ないデータにより正確な親族関係の決定が妨げられますが、この2個体も近い時期に生きていたに違いありません。同時代の個体群とチャギルスカヤ洞窟の他の6個体の各集団間の遺伝的相違は、相互に有意差はありませんでした。さらに、同時代の父親と娘の組み合わせは、全てのmtDNA配列で違いが最も多く、mtDNAの多様性における実質的な時間的構造がなかったことを示唆します。まとめると、データが裏づける仮説は、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人は同じ共同体の一部だった、というものです。

 オクラドニコフ洞窟の遺骸2点は相互に親族関係になく(p0=1.14)、チャギルスカヤ洞窟のどの個体とも親族関係にありませんでした。じっさい、チャギルスカヤ洞窟個体群では対での遺伝的相違がチャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟の個体間よりも低い、と分かりました。これは、オクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人が、DNAの得られた11個体により表されるチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人共同体の一部ではなかったことを示唆します。しかし、オクラドニコフBのmtDNAはチャギルスカヤGと同一です(図1c)。変異は経時的に蓄積するので、個体間の同一のmtDNAから、これら2個体は相互の数千年以内に生きていた、と示唆されます。さらに、チャギルスカヤ洞窟の以前に刊行された堆積物のmtDNA標本は、あらゆるチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人よりもオクラドニコフAの方と類似していました。これは、チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟に居住していた共同体間に何らかのつながりがあったことを示唆します。


●他の人口集団との関係

 チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟の個体が他のネアンデルタール人とどのように関連しているのか調べるため、チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人が以前に刊行された高品質のネアンデルタール人ゲノムとどの程度ヌクレオチド多様体を共有しているのか、調査されました。新たに配列された13個体は全て、チャギルスカヤ洞窟の高網羅率のゲノム(チャギルスカヤ8号)と最も多く多様体を共有しており(関連記事)、デニソワ洞窟で発見された130000~91000年前頃となるデニソワ5号(関連記事)とよりも、5万年前頃となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のヴィンディヤ33.19(関連記事)の方と類似していました。したがって、チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟の共同体は遺伝的に異なるものの、全て等しくヨーロッパのネアンデルタール人と関連しているようで、同じネアンデルタール人集団の一部でした。他のネアンデルタール人集団からの最近の遺伝子流動の証拠を示す個体は存在しませんでした。

 新たに配列された男性7個体、他のネアンデルタール人3個体、デニソワ人2個体、現代人4個体のY染色体で異なる690万塩基対において5416個の多様体が特定されました。新たに配列された男性7個体のうち、3個体については低網羅率の配列(0.03~0.3倍)しか得られませんでしたが、他の4個体ではより高い網羅率(1.75~42.2倍)が得られました。

 チャギルスカヤ洞窟のより高い網羅率のY染色体を組み込んだ系統樹が、他のネアンデルタール人3個体、デニソワ人2個体、現代人4個体とともに構築されました。ネアンデルタール人では、チャギルスカヤ洞窟の4個体は全てクレード(単系統群)を形成しますが、地理的により近いロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟の個体(メズマイスカヤ2号)とよりも、スペイン北部のエル・シドロン(El Sidrón)洞窟の個体(エル・シドロン1253号)の方と類似していました(図1d)。この地理的構造の欠如は、115000~100000年前頃のネアンデルタール人のかなり急速な拡大(関連記事)と一致します。ヨーロッパの後期ネアンデルタール人とチャギルスカヤ洞窟およびオクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人は両方、この人口集団の子孫です。残りの3個体から回収されたY染色体配列の数は系統樹の構築に充分ではありませんでしたが、ネアンデルタール人のY染色体が相互に異なる複数の部位では、この3個体は全て、チャギルスカヤ洞窟以外のネアンデルタール人のY染色体とよりも、他のチャギルスカヤ洞窟個体のY染色体の方とより多くの派生的多様体を共有していました。

 1万塩基対の区画での網羅率の違いに基づくと、ネアンデルタール人のY染色体上で3ヶ所の欠失(2万~200万塩基対)と5ヶ所の重複(1万~20万塩基対)が検出されました。最大の欠失はメズマイスカヤ2号で見つかり、男性と診断できるアメロゲニンY(AMELY)をコードする遺伝子にまたがっています。プロテオーム(タンパク質の総体)解析手法(プロテオミクス)はアメロゲニンYペプチドの存在を用いて、骨が男性個体に由来するのかどうか判断するので、この欠失を有する男性は、この手法を用いて女性と誤分類されるでしょう。

 mtDNAとY染色体は単一の遺伝子座のみを追跡するので、遺伝子流動の調査には常染色体の遺伝的分析が必要です。アルタイ山脈におけるネアンデルタール人とデニソワ人との間の遺伝子流動は、118000~79000年前頃(関連記事)に生きていた1個体(デニソワ11号)の核ゲノムで観察されており、この個体は、母親がネアンデルタール人で、父親がデニソワ人です。チャギルスカヤ8号におけるデニソワ人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の量は約0.09%で、その混合事象はチャギルスカヤ8号が生きていた24300±14100年前に起きた、と推定されています(関連記事)。

 混合の年代が他のチャギルスカヤ洞窟個体で一致しているのかどうか調べるため、アルタイ山脈(デニソワ5号)もしくはヴィンディヤ洞窟(ヴィンディヤ33.19)のネアンデルタール人とよりも、デニソワ人のゲノムとより類似しているゲノム部分が探されました。この分析で、0.2cM(センチモルガン)以上の長さのチャギルスカヤ洞窟の5個体で、デニソワ人祖先系統の11ヶ所の断片が特定されました。これらの断片は3.2cM(270万塩基対)にまたがっており、チャギルスカヤAで最長の1.5cM(746000塩基対)が見つかりました。これらの断片の長さに基づいて、混合事象は以前の推定値と一致する、チャギルスカヤ洞窟の個体群が生きていた30000±18000年前に起きた、と推定されます。

 ネアンデルタール人とデニソワ人の両方はデニソワ洞窟に、ネアンデルタール人がチャギルスカヤ洞窟で暮らしていたのと同じ頃に居住していました(関連記事1および関連記事2)。しかし、デニソワ洞窟の石器インダストリーには、チャギルスカヤ洞窟で見つかるシビリャチーハ型の特徴が欠けています(関連記事)。したがって、チャギルスカヤ洞窟とデニソワ洞窟の近さ、およびチャギルスカヤ洞窟にネアンデルタール人が居住する数千年前のデニソワ洞窟におけるネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親の子供の存在にも関わらず、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人が生きていた頃から過去2万年間のデニソワ人からチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人への遺伝子流動の証拠は見つかりません。


●社会構成の推測

 0.9倍以上の網羅率の8個体の同型接合性のゲノム断片を用いて、経時的なチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の共同体と人口の規模が調べられました。個体における同型接合性の長い断片(10 cM以上)は、その両親が約10世代前とごく最近の共通祖先を有している、したがって恐らくは小さな共同体の一部だったことを示唆します。さらに、同型接合性の中間的な長さ(2.5~10cM)の全体的な割合は、わずかに長い期間(10~40世代)の人口規模について情報をもたらします。

 アルタイ山脈の高網羅率のネアンデルタール人ゲノムの以前の分析から、デニソワ5号のゲノムの約16.7%とチャギルスカヤ8号のゲノムの19.3%は中間的および長い同型接合性断片を有している、と明らかになりました。これらのパターンに関する説明の一つは、その両親が親族関係にない個体の背景に対して二親等の親族で、その事例ではほとんどの他の個体はより少ない同型接合性断片を有すると予測される、というものです。あるいは、これらのデータは、小さな局所的共同体に由来するかもしれず、その事例では、移民とその子孫を除いて全ての個体が、同型接合性の広範な断片を有しているでしょう。

 チャギルスカヤ洞窟の充分な網羅率の8個体全てにおいて、ゲノムの1.6~14.9%が同型接合性の長い断片で、ゲノムの9.5~20.5%は中間的な断片だった、と観察されました(図2a)。両方の割合はおそらく、より低い網羅率では同型接合性の連続領域の特定が難しいため、過小評価されていることに要注意です。全ての個体で多数の同型接合性が見つかるので、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の地域共同体の規模は小さかった、と結論づけられます。この同型接合性量は、4~20個体と小さな共同体で生息している絶滅危惧種で、二親等の親族関係にある個体間の配偶が稀だと観察されてきた、現在のマウンテンゴリラで見つかるものとも類似しています(図2b)。以下は本論文の図2です。
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 チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の社会構成をさらに調べるため、11個体の母系継承となるmtDNA配列の多様性が、6個体の父系継承となるY染色体配列と対比させられました。性別の偏った過程のない任意交配集団では、平均的な合着(合祖)時間は両方の片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)で同じと予測されます。しかし、Y染色体で観察された平均合着時間(446年、95%信頼区間では113~1116年)は、ミトコンドリアゲノムの平均合着時間(4348年、95%信頼区間では6196~2043年)よりずっと短くなります。

 現代の47人口集団および【非ヒト】大型類人猿10亜種との比較では、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人はY染色体とmtDNAの合着時間の比率が最低級となり、マウンテンゴリラだけがより極端な比率でした。複数の注意点があるため、【非ヒト】類人猿とネアンデルタール人との間の類似した比率は、共同体が同じ社会構成であることを必ずしも意味しない、と注意が必要です。第一に、【非ヒト】大型類人猿のデータはひじょうに不均一です。たとえば、一部の【非ヒト】大型類人猿は野生で生まれますが、他の個体は飼育下(つまり、人工的な共同体)で生まれ、その標本規模が小さいことはよくあります。第二に、いくつかの異なるシナリオが、類似のY染色体とmtDNAの比率につながるかもしれません。これらに含まれるのは、男女の世代年数の違い、男性間の偏った子孫分布(つまり、男性の部分集合の大半が子供)、女性に偏った移住です。これらの過程の相対的な重要性を検証するため、これらのシナリオの多数の組み合わせが模擬実験され、Y染色体とmtDNAの多様性およびその比率の観測データに当てはめられました。観測データの95%信頼区間内の模擬試験されたデータセットの割合として、模擬試験を用いて、各シナリオの尤度が近似させられました。次に、赤池情報量基準(AIC)が用いられ、さまざまなシナリオの順位が位置づけられました。

 最適なシナリオでは、20個体の共同体規模が想定され、女性の60~100%は他の共同体からの移住者でした。しかし、チャギルスカヤCとチャギルスカヤDとの間の共有されたヘテロプラスミーから、少なくとも一部の女性は出生集団に留まった、と示唆されます。偏った子孫分布を含むシナリオはデータを上手く説明せず、300個体の大きな共同体規模を必要とします。偏った子孫分布と女性移住の両方を想定したシナリオは、移住の偏りだけの過程により得られた適合を改善しません。世代年数の違いのみを含むシナリオはデータに上手く適合せず、非現実的(たとえば、女性が平均して男性の2倍の年齢)に見える媒介変数設定を必要とします。ネアンデルタール人の共同体規模の以前の推定値は3~60個体で、この範囲では、最適なシナリオは女性の移住を含みます。この結果から、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人共同体の社会構成において、女性に偏った移住が主因だった、と示唆されます。


●まとめ

 本論文はネアンデルタール人13個体の遺伝的データを提示し、これはネアンデルタール人集団の最大の遺伝学的研究の一つになります。本論文は、把握している限りでは初めて、父と娘との組み合わせを含めて、ネアンデルタール人の間の家族関係を記載します。全個体における高度の同型接合性はマウンテンゴリラで見られるものと類似しており、ネアンデルタール人がアルタイ山脈において小さな共同体で暮らしていたことと一致します。さらに、Y染色体の平均合着時間がmtDNAよりも短いことと、チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人の間の共有されたmtDNA多様体に基づいて、これら小さなネアンデルタール人共同体はおもに女性の移住によりつながっていた、と示唆されます。

 この調査結果は、アルタイ山脈の共同体の特徴が、ネアンデルタール人の既知の範囲の最東端における孤立した地理的位置と関連しているのかどうか(とくに、ヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人の人口規模がおそらくはより大きいため)、あるいは、ネアンデルタール人共同体の特徴はより広範だったのか、という問題を提起します。したがって、将来の研究では、可能ならば、ユーラシアの他地域の追加のネアンデルタール人共同体から複数個体を標本抽出し、現代人の最も近い進化上の親族【ネアンデルタール人】の社会構成にさらなる光を当てるよう、目指すべきです。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、多くのネアンデルタール人のゲノムデータとその親族関係を報告し、ネアンデルタール人の社会構成を推測しており、たいへん意義深いと思います。アルタイ山脈のネアンデルタール人社会では女性が移住する傾向にあった、と本論文では示唆されていますが、本論文で指摘されているように、それが時空間的により広範なネアンデルタール人社会に当てはまるとは限りません。ただ上述のように、議論になっている、と本論文でも指摘されていますが、イベリア半島北部のネアンデルタール人社会でも父方居住の可能性が指摘されているので、父方居住はネアンデルタール人社会で広く見られる特徴だった可能性が高いように思います。

 さらに言えば、ネアンデルタール人と現生人類の直接的な祖先ではなさそうなアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)において同じく父方居住の可能性が指摘されており、現生非ヒト類人猿の社会が基本的には非母系で、現代人と最も近縁な分類群であるチンパンジー属が、雌が出生集団から移動する父系親族的社会を形成することから、人類系統は父方居住社会から始まり、後に現代人に見られる多様な社会を形成したのではないか、と考えられます(関連記事)。つまり、人類は母系社会から始まった、という恐らくは唯物史観が採用したことにより今でも根強く浸透していると思われる見解はもはや時代錯誤だろう、というわけです。

 現生人類系統は少なくともある時点から双系的社会が基本になり、その中で父系もしくは母系に程度の差はあれ偏った社会も存在する、と私は考えていますが(関連記事)、こうした社会的特徴がネアンデルタール人およびデニソワ人との最終共通祖先から分岐した後の現生人類系統でのみ出現したのか、あるいは現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との最終共通祖先までさかのぼるのか、検証は困難ですが、今後も調べていきたい問題です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


人類学:ネアンデルタール人家族の遺伝的スナップショット

 ネアンデルタール人の小さなコミュニティーにおける人間関係と社会組織を初めて記述した論文が、今週、Nature に掲載される。この知見は、アジアの2つの洞窟で発掘されたネアンデルタール人(13人)の骨の古代DNAの解析に基づいたものであり、ネアンデルタール人の社会組織に関する新たな識見をもたらしている。今回の研究は、これまでに報告されたネアンデルタール人の遺伝学的研究の中で最大規模のものとなった。

 現生人類と近縁関係にあるネアンデルタール人は、約43万年前から4万年前にかけて西ユーラシアに居住していた。これまでに合計18人のネアンデルタール人の骨から得た遺伝的データ(核DNAデータ)が一定数の研究で報告されており、ネアンデルタール人の集団が広範に検討されてきた。しかし、ネアンデルタール人の社会組織については、ほとんど分かっていない。

 今回、Laurits Skovたちは、ロシアのシベリア南部のアルタイ山脈にあるチャギルスカヤ洞窟で発掘されたネアンデルタール人の骨(11人)とオクラドニコフ洞窟で発掘されたネアンデルタール人の骨(2人)から得た遺伝的データを解析した。その結果、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の一部が近親者で、父親とその10代の娘と2人の第2度近親者が含まれていることが判明した。この結果は、これらのネアンデルタール人の少なくとも一部がほぼ同時代に生きていたことを示している。また、これらのネアンデルタール人において、父系遺伝するY染色体の遺伝的多様性が、母親から子へ遺伝するミトコンドリアDNAの遺伝的多様性よりもはるかに低く、女性が移住する傾向が男性より強かったことが示唆されている。この研究結果について、Skovたちは、コミュニティーの規模が小さい(20人程度)ために、女性の60%以上が配偶者の家族の一員となるために別のコミュニティーに移住し、男性が移住しなかったことによって最もよく説明できるという見解を示している。

 Skovたちは、今回の研究におけるサンプルは、サイズが小さく、ネアンデルタール人の集団全体の社会生活を代表していない可能性があると注意を促している。従って、今後の研究では、ネアンデルタール人の社会組織をさらに明らかにするために、他のコミュニティーのネアンデルタール人をもっと多く研究対象に含めることを目指すべきだと考えられる。


古遺伝学:ネアンデルタール人の社会構成に関する遺伝学的知見

古遺伝学:ゲノムが示すネアンデルタール人の社会構成

 今回、大規模な古代ゲノム研究によって、アルタイ山脈の中期旧石器時代のネアンデルタール人地域社会の構成に関して、詳細な知見が得られた。



参考文献:
Skov L. et al.(2022): Genetic insights into the social organization of Neanderthals. Nature, 610, 7932, 519–525.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05283-y

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