アングロ・サクソン時代におけるヨーロッパ大陸部からブリテン島への大規模な移住

 アングロ・サクソン時代におけるヨーロッパ大陸部からブリテン島への大規模な移住に関する研究(Gretzinger et al., 2022)が公表されました。ブリテン諸島の歴史は、ローマ帝国支配の終焉後の重大な変化をはじめとする、文化を大きく変転させた複数の時代によって特徴づけられ、これが、言語や定住パターンや物質文化の移り変わりを促進しました。そうした変遷に、ヨーロッパ大陸部からの移住がどの程度関与したかについては、長く議論が続いています。

 本論文は、中世のヨーロッパ北西部人460個体(そのうち278個体はイングランド人)のゲノム規模の古代DNAを考古学データと共に調べ、当時の人口動態を推測しました。本論文は、中世前期のイングランドでは、大陸部のヨーロッパ北部人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大幅な増加を特定します。この祖先系統は、中世前期と現代のドイツ人およびデンマーク人と近縁で、これは、中世前期に北海を越えるブリテン島への大規模な移住があった、と示唆しています。

 結果として、今回解析されたイングランド東部の人々は、顕著な地域差や遺跡内での不均一性はあるものの、その祖先系統の最大76%が大陸の北海地域に由来していました。本論文は、移民祖先系統を有する女性は在来祖先系統を有する女性よりも副葬品とともに埋葬されることが多かったのに対して、武器とともに埋葬された男性の割合は移民祖先系統を有する者以外でも同等だった、と示します。現代のブリテン島との比較からは、その後の人口動態学的事象によって、大陸部のヨーロッパ北部人祖先系統の割合が減少した一方で、鉄器時代のフランスに見られた系統に最も近縁なヨーロッパ南西部人祖先系統の大規模な寄与など、別の祖先系統構成要素がイングランド人の遺伝子プールに導入された、と示唆されます(関連記事1および関連記事2)。


●研究史

 紀元千年紀には、ローマ帝国の盛衰と移住と現代の世界を形成した中世の制度など、大きな人口統計学的・文化的・政治的変化がヨーロッパで起きました。ローマ帝国後のブリテン島の変容は、とくに甚大でした。5世紀のブリテン島におけるローマ帝国統治の終焉は、物質文化と建築と製造と農耕慣行の劇的な変化(関連記事)に先行し、言語変化を伴っていました。考古学的記録と地名は、北海地域、とくに現在のイングランドとシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州およびニーダーザクセン州(ドイツ)とフリースラント(オランダ)とユトランド半島(デンマーク)にわたる、共有された文化的特徴を示唆します。たとえば、ユカを掘り込んだ特徴的な建物、つまり竪穴住居(Grubenhäuser)、大規模な火葬墓地、火葬骨壺もしくは動物芸術や刻み目を入れた金属を用いた物体の出現が含まれます。さらに、6世紀と7世紀のブリテン島で見つかった手首の留め金と十字型や四角の胸飾りは、スカンジナビア半島南部起源が証明されました。北海地域全体でのこれらの類似性にも関わらず、ヨーロッパ大陸部には同等のものがない、ブリテン島の物質文化もありました。これに加えて、川など一部の場所と地理的特徴は、ケルト語もしくは後期ラテン語起源の名前を保持していました。

 ルネッサンスから現在まで、これらの変化を説明する主要な物語は、侵略と征服とそれに続くヨーロッパ大陸部からの再定住でした。少ない文献に基づいて、在来のローマ系ブリテン島人口集団は、ヨーロッパ大陸部のゲルマン語話者圏からの移民によりほぼ置換された、と提案されました。しかし、これら伝統的な文化的歴史解釈がどの程度、物質文化のパターンを説明しているのか、あるいは歴史的記述と一致しているのか、疑問を呈されてきました。たとえば、ベーダ(Bede)にさかのぼる歴史資料(8世紀に執筆されました)は、ケント州の入植者としてジュート人を示唆します。しかし、「ジュート人の問題」として知られるようになった論点では、この歴史的に証明された移動は、考古学的記録では、判断するか、あるいは一致させることが困難です。じっさい、ケント州で見つかった物質文化要素は、イングランドの他地域もしくはデンマークではなく、同時代のメロヴィング朝フランスやアレマン人のドイツ(南部)のものに類似しています。

 考古学的記録と歴史的物語との間のそうした不一致は、移住もしくは侵略仮説の却下を裏づけ、これは1960年代以降の多くの考古学者にとって好ましい理論的立場でした。多くの学者は1960年代までに、小さく機動性のある軍団と在来のブリテン島人口集団の文化変容を含む、エリート支配モデルを支持していました。しかし、利用可能な同位体およびDNA証拠は、たとえこれまで小規模だったとしても、移民はさほど裕福ではなく、地元民とともに埋葬された、と示唆しており、それは、ケルト語もしくはラテン語からの明らかに最小限の影響がある西ゲルマン語群言語の採用を説明できる、エリートの影響のモデルに適合しません。

 遺伝的データを用いて、これらの問題に対処してきた歴史があります。古代の遺伝的データを使用する初期の試みが失敗した後に、研究者は現在の人口集団と片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)に基づく研究に目を向けましたが、依然として合意には達していません。現代人のY染色体に基づく研究は、イングランド東部の中世前期における男性系統の50~100%の置換を推測しました。もっと最近では、イギリス現代人の最初のゲノム規模研究は、移住した大陸部ヨーロッパ北部祖先系統がイングランド南東部現代人の遺伝子プールの50%未満になる、と結論づけました(関連記事)。しかし、人口集団は経時的に浮動と遺伝子流動を通じて変わるので、現在の人口集団は未知の遺伝的構成の古代人集団にとって不充分な代理かもしれません。ブリテン島の人口史に情報をもたらす古代DNA解析の実行可能性はまず、鉄器時代から前期中世の20個体のゲノム規模古代DNAデータの報告で論証され、その2つの研究(関連記事)は、前期および中期アングロ・サクソンの文脈におけるヨーロッパ大陸部祖先系統の明確な証拠を提供しました。

 本論文は、イングランドと北海地域全体の初期中世の人口動態を、この期間と地域の最初の大規模なゲノム規模研究で調べ、イングランドにおける考古遺伝学的記録を、具体的には8個体から285個体に増やしました。本論文は、おもに450~850年頃にまたがる、イングランドの南部と東部の遺跡群の包括的な時間横断区を標的にしており、アップル・ダウン(Apple Down)、ドーヴァー・バックランド(Dover Buckland)、イーストリー(Eastry)、イーリー(Ely)、ハザーディーン・クローズ(Hatherdene Close)、レイクンヒース(Lakenheath)、オーキントン(Oakington)、ポルヒル(Polhill)、ウェスト・ヘスラートン(West Heslerton)のアングロ・サクソン墓地で始まります。これにより、ヨーロッパ大陸部からイングランドへの移住の程度と、在来のブリテン島の遺伝子プールへのその影響に関する問題に対処できます。さらに、個体と人口移動との関連により、共同体水準での移住過程の動態を研究できます。


●新たな古代DNAデータ

 イングランドとアイルランドとオランダとドイツとデンマークの37ヶ所の異なる遺跡から、200~1300年頃となるヨーロッパ北西部の古代人494個体の骨格遺骸が標本抽出されました。骨格資料から粉末が調製され、古代DNAが抽出されて、二本鎖もしくは一本鎖のライブラリに変換されました。分子交雑DNA捕獲で439点のライブラリが選択され、124万ヶ所の一塩基多型(SNP)と重複する配列が濃縮されました。40点のライブラリについて、捕獲なしで完全なゲノムが生成され、平均網羅率は0.9倍です。

 品質選別と重複個体の除外後、460個体のゲノム規模データが分析に利用可能でした。これらには、イングランドの古代人278個体、アイルランドおよび大陸部ヨーロッパの近隣の古代の人口集団の182個体が含まれます。(図1)。新たに報告されたデータは、ヨーロッパ北西部の新石器時代後の刊行されている4336個体の古代DNAデータと組み合わされました。445171ヶ所のSNPの交点で遺伝子型決定された、現代ヨーロッパ人10176個体の参照データセットが集められました。 本論文の遺伝的データの解釈を助けるため、57点の標本が放射性炭素年代測定されました。以下は本論文の図1です。
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●ローマ帝国後のイングランドにおける人口変化

 アイルランドからスウェーデンのヨーロッパ北西部現代人5365個体で主成分分析(PCA)が実行され、この遺伝的差異に本論文の古代ゲノムが投影されました(図2)。現代人の差異については、PC1軸とPC2軸は大まかに地理を反映しており、スカンジナビア半島人からドイツ北部とオランダの個体群を経由してブリテン島とアイルランド島の個体群へのV字パターンを形成します。イングランド現代人の位置は、一方の極でブリテン島西部人とアイルランド島人(アイルランド人と北アイルランド人とスコットランド人とウェールズ人を含むWBI)により定義される勾配分布、もう一方の極で現代オランダ人との重複に従っている、と浮き彫りになります。古代人のゲノムはわずかに分離した勾配上に位置し、オランダとドイツとデンマークの遺跡の中世前期個体のほとんどは、現在の大陸部ヨーロッパ北部人(ドイツ北部とデンマーク、CNE)の頂点に図示されますが、ブリテン島とアイルランド島の青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)の個体群は、WBIとともにクラスタ化します(まとまります)。

 注目すべきは、ブリテン島とアイルランド島の先行する青銅器時代および鉄器時代個体群とは対照的に、イングランドの中世前期標本(イングランドEMA)は、現在のCNEとともに、大陸部ヨーロッパ北海地域の古代人と一緒に図示されることです。イングランドの先史時代と中世前期の個体群間の相違は、人口集団および個体両方の規模において、遺伝的距離(FST)と共有されるアレル(対立遺伝子、F4)の分布でも見られます。要注意なのは、中世前期イングランドの遺跡の個体群が、最初の2つのPC軸では明らかに遺伝的に均質で、青銅器時代および鉄器時代クラスタ(まとまり)と中世前期クラスタとの間の勾配の全範囲を網羅していることです。以下は本論文の図2です。
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 これらの遺伝的パターンから、イングランドの中世前期個体群はさまざまな量のCNE祖先系統を有していた、と示唆されます。中世前期イングランドの遺跡のほとんどの個体は、現在のWBI標本もしくはCNEと明確にクラスタ化しますが、多くの個体は両クラスタの間に収まり、これら祖先集団間の混合が示唆されます。これらの祖先系統構成を定量的に推定するため、ソフトウェアADMIXTUREに実装された教師有クラスタ化手法を用いて、祖先供給源が分解されました。具体的には、現代の人口集団が、上述のようにと定義された、中世前期イングランドの供給源祖先系統の代理として機能する、2つのメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)にまとめられました。つまり、CNE (407個体)とWBI (667個体)です。これら2つの現在のメタ個体群は、FST統計とF4統計(ヨルバ人、検証集団;WBI、CNE)を用いての、イングランドの古代の個体群との関係の検証により、正確に古代の混合供給源を表している、と確証されました。中世前期イングランド個体群の結果として得られた祖先系統推定値は、じっさいPCAのPC1軸の位置およびF4統計と密接に一致します。

 本論文のCNEとWBIへの祖先系統分解を先史時代標本に適用すると、ブリテン島とアイルランド島におけるゲノム規模CNE祖先系統の割合は中世前期の前にはひじょうに低い、と分かりました。イングランドの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化と青銅器時代の個体群では、CNE祖先系統は1%以上を占めていません(図3a)。これは、遺伝的浮動に対して堅牢なF4統計により示されるように、本論文の現在のCNE代理と青銅器時代との間の時間的間隙に起因する遺伝的浮動により説明できません。CNE祖先系統はローマ期にやっと平均15%に増加しましたが、この推定値はわずか7個体に基づいています。このローマ期7個体のうち6個体は現在のヨークにあるエボラクム(Eboracum)という単一の遺跡に由来します。この遺跡はローマ市の最高級の植民都市で、軍団の要塞があるので、イングランドの他地域のほとんどよりも国際的な人々を惹きつけたかもしれません(図3b)。以下は本論文の図3です。
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 これら以前の期間とは対照的に、本論文の標本におけるイングランドの中世前期の個体の大半は、その祖先系統の全てもしくは大半が、大陸部ヨーロッパ北部に由来し、CNE祖先系統は平均76±2%です。CNE祖先系統はイングランド中央部および東部では支配的ですが、イングランドの南部と南西部ではずっと少なく、分析されたアイルランドの1ヶ所の遺跡には存在しませんでした(図3b)。さらに、大陸部ヨーロッパ祖先系統における違いは、遺跡間だけではなく、遺跡内でも観察されました。たとえば、ケンブリッジシャーのハザーディーン・クローズ遺跡(17個体)では、平均約70%のCNE祖先系統が推定され、8個体はCNE祖先系統のみを示しましたが、3個体のCNE祖先系統は低いかゼロでした。全体的に、地域間から家族水準までの遺伝的異質性のこれらのパターンは、鉄器時代に由来するローマ・ブリテン島人口集団と大陸部ヨーロッパからの移民との間の連続的な相互作用と一致します。

 男女間のCNEもしくはWBI祖先系統の有意な違いは見つからず、目立つおよび/もしくは副葬品のある埋葬内の両祖先系統の個体が見つかります。イングランド全体では、CNE祖先系統を有する個体(以下、CNE祖先系統が50%以上であることを意味し、逆にWBI祖先系統を有する個体とは、CNE祖先系統が50%未満であることを意味します)は、WBI祖先系統を有する個体よりも副葬品とともに見つかる可能性が高そうです。注目すべきことに、これは、WBI祖先系統を有する女性個体よりも、副葬品、とくに胸飾りを伴って見つかる可能性が高い、CNE祖先系統を有する女性に起因しているようです。しかし、CNE祖先系統を有する男性の墓は、WBI祖先系統を有する男性と同じように、副葬品もしくは武器を有している可能性が高そうです。これは、環状溝により特徴づけられる塚の下のスクラマサクス(片刃の直刀の一種)とともに見つかった、アップダウン・イーストリー(Updown Eastry)遺跡の37号墓のほぼ100%WBI祖先系統の男性埋葬など、特定の事例により強調され、卓越した個人もしくは地位と関連する傑出した武器埋葬を示唆します。

 このパターンはイースト・アングリア(East Anglia)でも見られ、具体的には、CNE祖先系統を有する個体にはより多くの副葬品があります。これは、女性個体のみを考慮した場合でも有意ですが、性別(ジェンダー)関連の地位を示す胸飾りのある女性を考慮した場合には有意ではありません。遺跡水準では、これらのパターンはハザーディーン・クローズ遺跡においてとくに顕著です。祖先系統を二元的ではなく連続的変数として扱うと、ほぼ以前の結果と一致し、顕著な例外はウェスト・ヘスラートン遺跡です。同遺跡はこの全体的なパターンから際立っており、CNE祖先系統の割合がより大きい男性は、武器とともに見つかる可能性がより高く、本論文では見つかったこの種類の唯一の有意な兆候です。レイクンヒース遺跡も武器を有する多くのCNE埋葬を示しますが、標本規模が限定的です。

 これらのパターンには注目すべき個々の例外があります。たとえば、オーキントンの80号墓の優勢な(60%)WBI埋葬は、ウシの骨格、銀メッキの円盤状の胸飾りと帯飾り鎖とともに見つかり、この墓地のより目立つか裕福な埋葬の一つである塚の下に埋葬されました。要注意なのは、以前には女性と識別され、文献で議論された、武器のあるいくつかの埋葬が、本論文の分析では遺伝的に男性は判明したことです。しかし、注目すべきは、単一個体が依然として性別間(セックスとジェンダー)の違いを示すことです。ウェスト・ヘスラートン遺跡122号墓の10代(13~19歳)の少年は、等腕の胸飾り、ビーズ、小刀なで埋葬されています。

 本論文のデータセットで最も包括的に標本抽出された墓地の一つであるドーヴァー・バックランドにおいて、家族水準での遺伝的および文化的出自の混合が観察されました。たとえば、少なくとも3世代にわたる親族集団が見つかり、全員混合していないCNE祖先系統を示しました(補足図4a・c)。家系をたどると、次に1人の女性がこの集団に統合されている、と分かります。この女性自身は混合していないWBI祖先系統を有しており(304号墓)、その2人の娘(290号墓と426号墓)は、その結果として祖先系統が混合しています。50:50近くの混合祖先系統の孫(414・305・425号墓)で見られるように、WBI祖先系統は1世代後に再び入りました。胸飾りと武器を含む副葬品は、混合の前後でじっさいこの家系図の両側で見つかります。たとえば、最も新しく混合した世代では、武器とビーズと留め針、および胸飾りのある母親の両方が見つかりました。最初の混合世代はそれぞれ近くに埋葬されていますが、孫は同じ位置ではあるものの、遺跡の別の場所に埋葬されています。以下は本論文の補足図4です。
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 本論文で分析された遺跡では最西端に位置するアップル・ダウン遺跡においては、大きく異なるパターンが観察されます。この遺跡では、墓は向きと位置と人工遺物の頻度により、異なる埋葬構成に分類できます。CNE祖先系統を有する埋葬は、構成B(遺跡のより端に位置し、南北の埋葬方向となります)よりも、構成A(遺跡の中間に位置し、東西の埋葬方向となります)での埋葬頻度が高くなります。これは、その祖先系統に従って個体の扱いに有意な違いがあることを示しており、南北のヨーロッパ祖先系統に関する、ハンガリーとイタリアの中世前期墓地とひじょうによく似た発見です(関連記事)。


●北海地域全体の祖先系統供給源

 本論文の北海に隣接する大陸部ヨーロッパの中世の新たなデータは、上述のCNE関連祖先系統増加の供給源候補のさらなる調査への独特な機会を提供します。この目的のため、まず、本論文のCNEとWBIの分解にしたがって、混合していないCNE祖先系統の個体(CNE祖先系統の割合が95%以上、以下イングランドEMA_CNE)が選択されました。次に大陸部ヨーロッパのデータセットにおける各遺跡について、その個体がアレル頻度の観点でイングランドEMA_CNE集団(109個体)と遺伝的に類似しているのかどうか、検証されました。分析された大陸部ヨーロッパ中世集団のうち、ドイツ北部とデンマーク両方の遺跡は、じっさいイングランドEMA_CNE個体群と区別できません(図4)。一貫して、イングランドEMA_CNEとドイツのニーダーザクセン州の中世個体群は、ほぼ同一の遺伝的類似性および祖先系統構成要素を示し、F2・F3・F4・FST統計に基づくと最高水準の遺伝的類似性を有しており、ほとんどの古代および現代の人口集団と対称的に関連しています。

 まとめると、こうした知見から、そうした個体群は同じ供給源人口集団に由来する可能性が高い、と示唆されます。機械学習を使ってその遺伝的特性に基づいて個体の位置を地理的空間に特定するソフトウェアLOCATORを用いると、イングランドEMA_CNEの祖先の推定供給源として、オランダ北部からスウェーデン南端にまたがる地域が推測され、個体の大半はニーダーザクセン州に割り当てられます(図4)。この類似性は、とくに考古学的移住の論説が最初に生じた、エルベ・ヴェーザー地域と初期アングロ・サクソン墓地との間の物質文化と埋葬慣行の以前の証拠に追加されます。

 しかし、オランダ北部とドイツ北部とデンマークのほとんどの分析された遺跡での最も強い均質性も注目され、中世前期には、大陸部ヨーロッパ北海と隣接するバルト海西部地域は、地理的下部構造なしでヨーロッパ北部西方平原のほとんどにまたがる遺伝的連続体だった、と示唆されます。これは、ブリテンおよびアイルランド諸島から大陸部ヨーロッパへの遺伝的逆流とともに、推定される言語史を反映しており、ブリテン島への遺伝子流動に寄与した特定の小地域のさらなる特定を妨げます。

 あり得る中世大陸部ヨーロッパ遺跡群の本論文の選抜は広範ですが、大陸部ヨーロッパでの土葬による火葬の置換に起因する、遺伝的構造の後の展開を過度に強調する可能性に要注意です。それに関してスカンジナビア半島でも特定の注意点があり、本論文の中世参照人口集団はほぼヴァイキング期の埋葬に由来しており、それは同じ地域の以前の人口集団の代表ではないかもしれない、多様な混合した祖先系統を有しています(関連記事)。以下は本論文の図4です。
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 すでに中世前期において、複数の遺跡の数個体はスカンジナビア半島の現代人との中程度の過剰な類似性(5.4%)を示しており、追加の供給源が示唆されます。スカンジナビア半島との密な文化的接触は考古学的記録で証明されていますが、この遺伝的差異が中世前期イングランド内で地理的に階層化されているとは見つかりませんでした。このスカンジナビア半島関連祖先系統は、ヴァイキング期にのみ大きく増加します(30.6%まで)。

 特定の大陸部ヨーロッパ地域と中世前期イングランドの個体群間の密接な関連性が確立されたので、qpAdm手法で古代の供給源人口集団を用いて、後者がより直接的にモデル化されました。具体的には、遺跡ごとにイングランドの古代の個体が集められ、各集団は2供給源間の混合としてモデル化されました。一方は、集められたイングランドの鉄器時代・ローマ期の個体群により表され、もう一方は、集められたニーダーザクセン州の中世前期個体群(以下、ニーダーザクセンEMA)により表されます。イングランドの中世前期遺跡についてこの方法で得られた混合割合は、上述の教師有ADMIXTURE、遺跡ごとのF4統計、平均PCA位置での本論文の平均推定値と強く相関しています。

 このモデルを用いて、イングランドの中世前期遺跡群全体にわたるニーダーザクセン州からの平均86±2%の祖先系統が検出され、現在の供給源人口集団と教師有ADMIXTUREを用いて推定された76±2%よりわずかに高くなりました。地域規模では、イングランド南西部よりも東部においてニーダーザクセン州からのより多くの祖先系統が観察され、1回の事象もしくは連続的な期間にわたるイングランド東部からの祖先系統到来と一致します。

 ゲノム規模祖先系統の本論文の推定は、片親性遺伝標識からの人口置換の独立した証拠により裏づけられます。中世の前には、ブリテン島とアイルランド島の新石器時代後の個体群のY染色体ハプログループ(YHg)は、圧倒的にR1b1a1b1a1a2(P312)、とくにその下位系統であるR1b1a1b1a1a2c1(L21)で、この系統は現在では地域全体で勾配を示し、西部で最高頻度となります。対照的に、イングランドの中世前期人口集団は、大陸部ヨーロッパ由来のハプロタイプをかなりの割合で有しており、具体的には、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)やR1a(M420)やI2a1(L460)やI1(M253)で、これは一般的にヨーロッパ北部および中央部で見つかり、本論文で報告された個体も含めて古代の大陸部ヨーロッパ個体群でも一般的です。とくに、YHg-I1(M253)とR1a(M420)は、本論文で分析対象とされた青銅器時代と鉄器時代とローマ期のブリテン島およびアイルランド島の個体群では存在しないものの、中世前期イングランドの分析対象とされた個体の1/3以上で特定されました。全体的に、青銅器時代と鉄器時代のイングランドに存在しないYHgは、本論文の中世前期イングランド標本では少なくとも73±4%を表しており、常染色体データからの置換推定値を反映しています。同様に、ミトコンドリアゲノムは北海に隣接する地域からの女性系統の人口置換を示します。

 X染色体上の大陸部祖先系統の推定値は、YHgの供給源の起源の推定と同様に、男性特有の系統と常染色体混合推定値との間の有意差を示しません。ミトコンドリアかY染色体かX染色体のどれも、混合における性差の微妙な水準を除外できませんが、性差のないモデルとも一致しており、在来人口集団と類似の水準で混合した移民は男女両方を含んでいた、と示唆されます。要注意なのは、中世前期のCNEとWBIの混合における性差の欠如が、以下に見られる現在のイングランドにおけるCNE祖先系統の希釈を引き起こした、後の混合過程における性差の可能性を除外しないことです。


●イングランドにおける最近の人口変化

 中世前期イングランドにおける混合の最も顕著な兆候は、中世および現代の大陸部ヨーロッパ北部と関連する祖先系統の増加ですが、イングランドの数ヶ所の遺跡では、qpAdm を用いると、2つの仮定的な祖先遺伝子プール、つまりイングランドIAもしくはニーダーザクセンEMA間の混合の産物としては説明できない個体のゲノムが含まれる、と分かりました。代わりに、これらのゲノムは追加の大陸部ヨーロッパ西部および南部祖先系統を有しています。この祖先系統は遺伝的に、フランスの鉄器時代個体のゲノム(フランスIA)とひじょうによく類似しています(関連記事1および関連記事2)。このフランスIA由来の祖先系統の大半は、中世前期イングランド南東部、つまりアップル・ダウンとイーストリーとドーヴァー・バックランドとルーケリ・ヒル(Rookery Hill)で見つかり、これらの遺跡の個体群では、フランスIA由来の祖先系統は特定された祖先系統の最大51%を構成しています。

 中世前期イングランドにおけるフランスIA関連祖先系統の出現は、現在のイングランドの人口構造で明確に見られるパターンを先取りしており、そのパターンでは、ほとんどのイングランド古代人に合致する同じ2方向のCNE・WBIモデルが現代の人口集団では適合しない、と分かりました。じっさい、現代のイングランドの人口集団に欠けている構成要素は、フランスIAによりよく表されているようです。

 qpAdmを用いると、ほとんどのスコットランドとウェールズとアイルランド島の現代人のゲノムは、青銅器時代もしくは鉄器時代の参照集団からその祖先系統の殆ど若しくは全てを継承し、大陸部ヨーロッパの寄与は殆ど若しくは全くないものとして、モデル化できます。対照的に、全てのイングランド現代人の標本については、単純な2方向混合モデル(イングランド後期鉄器時代+イングランドEMA_CNE)は失敗します。本論文のモデルを第三の構成要素としてフランスIAの追加で3方向モデルに拡張すると、今度は適合モデルが得られます。イングランド現代人の祖先系統の割合の範囲は、25~47%のイングランドEMA_CNE的祖先系統と、11~57%のイングランド後期鉄器時代(LIA)的祖先系統と、14~43%のフランスIA的祖先系統と推定されます。

 イングランドの地域間ではかなりの遺伝的違いがあり(図5a)、ウェールズとの境界に沿って南西部および北西部では、古代大陸部ヨーロッパ祖先系統(イングランドEMA_CNEもしくはフランスIA関連)が少なくなっていることは明らかです(図5c)。対照的に、イングランドの南東部と東部と中央部、とくにサセックスとイースト・ミッドランドとイースト・アングリアでは、最大47%のCNE的祖先系統の最高点が見られます。イングランドでのみかなりのフランスIA祖先系統が見つかりましたが、ウェールズやスコットランドやアイルランド島では見つからず、これはブリテン島の東西の勾配に従っており、イースト・アングリアではフランスIA祖先系統が43%も占めています(図5d)。

 ひじょうによく似た結果が、CNE祖先系統の供給源としてニーダーザクセンEMAを用いて得られました。この分析における潜在的な警告は、イングランドのローマ期標本が比較的疎らであることです。ローマ期イングランドではとくに、既存のフランスIA関連祖先系統を有しているかもしれない南部の標本が欠けています。したがって、本論文が次に目を向けたのは、ドーセットの南岸に位置するワース・マトラヴァーズ(Worth Matravers)のローマ期後の墓地である、中世前期遺跡です。この遺跡の個体群はほぼCNE祖先系統を有していないので(平均で6%未満)、CNE祖先系統の到来前のローマ期後のブリテン島にとってより時間的に近い代理として機能するかもしれません。

 本論文のモデルで供給源として用いると、現在のイングランドにおけるフランスIA関連祖先系統の推定値は、地域全体で平均して3%未満しか変化しない、と分かりました。これは、フランスIA関連祖先系統がローマ期後にかなりの量イングランドに入ってきたことを示唆します。イングランドにおけるヨーロッパ南部もしくは西部的祖先系統を含むモデルは、現代人の標本に基づいて以前に提案されましたが、この第三の構成要素を、本論文で対象とされたイングランドの中世前期個体群の大半を構成するCNE的移民遺伝子プールに対して、今ではさらに進めて明確に描けることに、要注意です。以下は本論文の図5です。
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 現在のイングランドに関する本論文の3方向人口モデルは、ローマ期後のイングランドの遺伝的歴史が、少なくとも2つの主要な供給源からの遺伝子流動により中断された、という見解を裏づけます。それは第一に、中世前期におけるドイツ北部とオランダとデンマークからのCNE祖先系統到来の証明で、第二に、フランスIAと関連する祖先系統の到来です。それらの祖先系統の順番を正確に年代測定できませんが、フランスIA関連祖先系統の少なくともかなりの量は、中世前期にはイングランド北部および東部において欠けていたようなので、その後に到来したに違いありません。

 しかし、イングランドの他地域では、フランスIA関連祖先系統はCNE祖先系統とともに、あるいはそれより早く入ってきたかもしれません。とくにイングランド南部、つまりイーストリーとアップル・ダウンとルーケリ・ヒルでは、中世前期の数個体がすでにフランスIA関連祖先系統を示しており、それは恐らく、少なくとも部分的には、中世前期におけるイングランド南部とヨーロッパのフランク地域との間の局所的な移動の結果です。じっさい、フランクの物質文化はこれらの地域、とくにケントとサセックスにおいて明らかです。したがって、第二の供給源からの混合は、単一の不連続の波の結果である可能性は低そうです。より妥当なのは、この混合が移民の波動もしくはイングランド東部とその近隣地域との間の継続的な遺伝子流動の結果だった、ということです。


●考察

 「アングロ・サクソン人の植民」は、イギリス史において最も激しく議論された問題の一つですが、その議論のほとんどは、ベーダの教会史とアングロ・サクソン年代記の内容に留まっています。これら初期の文献は植民を、5~6世紀におけるローマ帝国統治の直後と結びつく、単一事象もはくは一連の事象として定義しました。考古学および歴史学の議論では、命名されたゲルマン民族の民族移動として知られるアドウェントゥス・サクソヌム(Adventus Saxonum)か、侵略か、エリート男性移民の限定的な人数の移動として、程度の差はあれども記述されてきました。今日まで、移住の規模、地元民と新参者との間の相互作用の様式、あるいは社会や物質や言語や宗教領域の変容がどのように達成されたのかについて、ほとんど合意に達していません。

 本論文は、北海地帯全域の大規模な中世前期の移住の強力な証拠を提供し、時間的範囲を拡大します。とくに本論文で示されるのは、ローマ帝国後期の状況のCNE祖先系統を有する個体により証明されているように移住は以前の推定より早く始まり、中期アングロ・サクソン時代を通じて続いた、ということです。セッジフォード(Sedgeford)などサクソン中期遺跡群から得られた本論文の結果は、CNE祖先系統到来の推定年代を8世紀にさかのぼらせ、これらの事象をスウェーデンと他のスカンジナビア半島地域からの個人間の移動と統合します。まとめると、これらの移住は、ローマ帝国後期から11世紀にかけての、北海全域からブリテン島への人々の連続的な移動の一部だったようです。

 本論文の結果は、イングランドにおける中世前期社会の形成が単純に少数のエリートの移住の結果ではなかったものの、遠方からの大規模な移住もかなりの役割を果たしたに違いない、という見解を断然支持しています。本論文は、大陸部ヨーロッパ祖先系統のみの多くの個体を特定し、その多くは移民自身だったか、混合していない移民の子孫だった、と示唆されます。男性への偏りの遺伝的証拠の欠如と、祖先系統と考古学的特徴との間の相関は両方、女性がこの移住の重要な要因だったことを示します。

 移民と在来の祖先系統を有する男性は類似の方法で埋葬されましたが、移民の祖先系統を有する女性は、在来祖先系統の女性よりも副葬品を伴って見つかることが多くありました。これは社会的階層化を示しているか、在来祖先系統の女性が新興のCNE家族に統合された程度を単純に反映しているかもしれません。しかし明確なのは、男性の埋葬においてこのパターンの違いが見つからなかったことを考慮すると、これらの社会的違いは微妙で、有意な地域的および遺跡水準での違いが見つかった、ということです。この移住の社会的機序についての以前の仮説は、部分的な社会的隔離か、エリートの移住か、かなりの人口置換か、移住が全くなかったことを含んでいました。本論文の組み合わされた遺伝学と考古学の分析は、複雑で地域的に偶発的な移住を示し、それは、おそらく特定の家族とその個々の構成員の繁栄に依拠していた、部分的な統合を伴っていました。

 現在のブリテン島では、中世前期より低水準でも、かなりの大陸部ヨーロッパ北部祖先系統が見られ、「アングロ・サクソン」の移住の永続的な人口統計学的影響を示しています。具体的には、中世前期のイングランド西部とウェールズとスコットランド、およびより一般的にノルマン期のイングランドでは、さらなる古代DNA標本抽出が、CNE祖先系統がどのように拡大し、その後に希釈されたのか、明らかにできるかもしれません。本論文で見つかった、大陸部ヨーロッパ北西部の人々のかなりの中世前期の移民を超えて、現代のブリテン島における、ヨーロッパ南部および西部の供給源からの、大陸部ヨーロッパ祖先系統の第二の主要な供給源も特定されました。この第二の祖先系統構成要素は、本論文の中世前期標本にすでに存在しています。具体的にはイングランド南東部において、いくつかの遺跡の個体は、現代のドイツ西部とベルギーおよびもしくはフランスで最も密接に一致する祖先系統を示しており、それはこれらの地域の考古学的記録で見られるフランクとのつながりと一致します。本論文のデータ分析から、この第二の遺伝子移入はさらに中世へと続き、それを超えた可能性がある、と示唆されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


人類学:英国人の祖先を調べる

 アングロ・サクソン時代に大勢の人々が現在のドイツ、オランダ、デンマークから北海を渡ってブリテン島に移住したことにより、中世初期のイングランドの人口に占めるヨーロッパ系の人々の割合が最大76%まで上昇した可能性があることを報告する論文が、Nature に掲載される。この研究知見は、ヨーロッパ大陸からの移住が中世初期のイングランドの社会の形成に影響したことを示唆している。

 イギリス諸島とアイルランドの歴史には、文化が大きく変化した時代がいくつもあり、その1つがローマ時代に続く時代で、言語、居住形態、製造、建築、農業などが変化した。しかし、こうした文化的移行にヨーロッパ大陸からの移住がどの程度関係していたのかを理解することは依然として難しい。これまでの全ゲノム研究は、英国人の祖先を評価するために現代の英国人に着目してきたが、現代の英国人は遺伝子構成の分かっていない古代集団の代表例ではない可能性がある。

 今回、Stephan Schiffels、Duncan Sayerたちは、現代の英国の人口動態を調べるために、西暦200年から1300年の間と年代決定されたヨーロッパ北西部の人々460人(イングランドで生活していた278人を含む)の考古学的データとゲノム全体の古代DNAを調べた。その結果、中世初期のイングランドで、中世初期と現代のドイツとデンマークの住民と近縁関係にあるヨーロッパ大陸北部系の人々が増えたことが判明した。分析対象となったイングランド東部の人々は、その祖先の最大76%がヨーロッパ大陸の北海地域の出身者だった。その後発生した人口統計学的事象によって、ヨーロッパ大陸北部系の人々の比率が低下し、鉄器時代のフランスで発見された人々に類似したヨーロッパ南西部の人々のような新しい構成員が加わったことが判明した。また、移住民を祖先に持つ女性は、地元民を祖先に持つ女性よりもブローチなどの副葬品と一緒に埋葬された可能性が高いことも分かった。一方、武器を持っていた男性の場合は、地元民を祖先に持つ者の割合と移民を祖先に持つ者の割合が同程度だった。

 Schiffelsたちは、現代の英国には、中世初期の頃よりも低いレベルではあるが、ヨーロッパ大陸北部系の人々がかなり残っており、アングロ・サクソン人の移住による人口統計学的影響が永続しているという見解を示している。


進化遺伝学:アングロ・サクソン人の移住と初期のイングランド人遺伝子プールの形成

進化遺伝学:中世のブリテン島における人口動態

 今回、新たな古遺伝学研究によって、ブリテン島ではアングロ・サクソンの時代、大陸に由来する系統が最大76%まで増加したことが示された。これは、大陸ヨーロッパから北海を越えた大規模な移住があったこととつじつまが合う。



参考文献:
Gretzinger J. et al.(2022): The Anglo-Saxon migration and the formation of the early English gene pool. Nature, 610, 7930, 112–119.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05247-2

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