ウズベキスタン東部の天山山脈西部の旧石器

 ウズベキスタン東部の天山山脈西部の旧石器を報告した研究(Pavlenok et al., 2022)が公表されました。本論文は、天山山麓西部のチャトカル(Chatkal)における山岳調査の予備的結果を提示します。2021年にいくつかの新たな旧石器時代遺跡が発見され、その中には、燧石露頭の近くに位置する、単一で複数の層位の開地遺跡である、ククサライ2(Kuksaray 2)遺跡が含まれます。最初の調査では、中部旧石器と初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)両方の特徴を示す石器を含む、石器群が回収されました。


●研究史

 何十年間も、アジア中央部の中部旧石器は、近東やアフリカやヨーロッパなどより広く研究されている地域の周辺として扱われてきました。アジア中央部の石器群は、よく確立したヨーロッパの類型学と学術用語にしたがって、分析され、命名されてきました。これは、天山山麓西部のオビ・ラフマート(Obi-Rakhmat)などの遺跡により浮き彫りにされ、オビ・ラフマート遺跡は8万~7万年前頃にさかのぼる初期石刃技術の発展を示します。

 この状況は、おもにシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたヒト遺骸の遺伝的分析により、最近変わってきました(関連記事)。過去10年間に、アルタイ地域とアジア中央部における集中的で学際的な研究が、中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行におけるヒトの相互作用の議論の焦点となりました(関連記事)。結果として、少なくとも4つの独立したヒト集団が、古代DNAのみに基づいてこの期間のアジア中央部で特定できました(関連記事)。この遺伝的変異性の考古学的文脈の理解を目的とした新たな現地調査は、現在の議論に重要です。本論文は、天山山脈西部における旧石器時代居住の最深の研究を提示します。


●ククサライ2旧石器時代遺跡

 過去9年間で、20ヶ所以上の開地旧石器時代遺跡がアハンガラン(Ahangaran)渓谷のチャトカル(Chatkal)山脈で特定されてきました(図1)。以下は本論文の図1です。
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 2021年には、現地調査では、予測モデル化を用いて以前に発見された地表遺跡での試掘坑による層状堆積物の位置確認に焦点を当てました。その結果、いくつかの新たな開地遺跡が特定されました(図2A)。その最大の遺跡はククサライ2(Kuksaray 2)で、20ha以上の面積です。ククサライ2遺跡は、アハンガラン渓谷の台地上の、ククサライ峡谷とヅィブロン(Dziblon 峡谷の合流点に位置します(図2B)。以下は本論文の図2です。
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 合計455点の石器が発見され、そのうち412点は地表で、43点は層序化が状況で発見されましたが(図3)、最近、高圧送電線の建設により遺跡が一部破壊されました。以下は本論文の図3です。
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 試掘坑はまず、地表人工遺物が最も集中して位置する丘の南西の斜面で開かれました(図3)。しかし、これらは、石灰岩の岩盤の上に位置する、人工遺物のない薄くて氾濫した最大0.5mの堆積物を掘り起こしました。元々の黄土被覆は、厚さが少なくとも3.5mになり(試掘坑は岩盤に達しませんでした)、遺跡の北部で特定されました(図4)。丘の北の尾根に沿って開いた3ヶ所の試掘坑は複雑な黄土層序を明らかにし、43点の石器が少なくとも4点の堆積学的単位で回収されました。以下は本論文の図4です。
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 光刺激ルミネッセンス(OSL)年代測定は、2ヶ所の最下部の考古学的層準で、89800年前頃と77500~70400年前頃という、予想外に早い年代を示唆します(図4および図5)。以下は本論文の図5です。
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 最上部の層準内で見つかった人工遺物が、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3後期および2の問題なのか、あるいはより早期の層準の堆積後の移動の結果なのか、まだ判断できません。そのうち少なくともいくつかは、中部旧石器とIUPの特徴を有しており(図6の4番)、カッタ・サイ2( Katta Sai 2 )遺跡など、他の最近研究された石器群と顕著な類似点があります。以下は本論文の図6です。
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 地表で収集され、層序化した人工遺物は、燧石と噴出岩で作られています。石核の多さ(54点、11.8%)は作業場を示唆しているかもしれませんが、この仮説の検証にはさらなる研究が必要です。石核はルヴァロワ(図6の1番)と石刃と彫器石核(図6の2番)が含まれていました。横断面取石器や削器や高い両側掻器(図6の3番)など中部旧石器様式と、掻器や彫器など上部旧石器様式も存在しました。


●考察と今後の研究

 将来の研究は、最下層の2つの層準(第3B層と第5層)で見つかった石器群が、中部旧石器もしくはIUPの特徴を示すのかどうか、判断するでしょう。この予備的な研究段階でも、彫器石核と横断面取石器と彫器と収束片側掻器を含む、年代と道具一式の観点で、オビ・ラフマート遺跡石器群との驚くべき類似性を観察できます。他方で、ルヴァロワ石核や石刃や尖頭器(図6の5番と6番)は、オビ・ラフマート遺跡では豊富ではありませんが、この地域の他の中部旧石器およびIUP遺跡群、つまりカッタ・サイ1および2では多数あります。

 その結果は、天山山麓の山岳部環境における旧石器時代の居住が一時的ではなく、MIS3だけではなく、MIS4あるいはさらにMIS5後期にさかのぼる可能性を示します。したがって、ククサライ2は、この地域におけるMIS5とMIS3との間の技術および文化的変化の理解に重要な遺跡かもしれません。重要なのは、この地域におけるIUP的特徴の初期の出現と、対照的に比較的遅く4万年前頃となる、ルヴァロワ技術を有する中部旧石器との関係です。のす。


参考文献:
Pavlenok K. et al.(2022): New evidence for mountain Palaeolithic human occupation in the western Tian Shan piedmonts, eastern Uzbekistan. Antiquity, 96, 389, 1292–1300.
https://doi.org/10.15184/aqy.2022.99

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