米田穣「考古学と自然人類学 縄文時代・弥生時代の生業を考える」

 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。植物(作物)栽培化(domestication)は、食料獲得から食料生産への移行という人類史において大きな画期となります。なお、動物の家畜化も英語では同じ単語(domestication)が用いられます。ただ、動物の家畜化と植物の栽培化(農耕)とを単一の概念で把握するような認識は根本的に間違っており、家畜化と栽培化は異なる認知能力に依拠している、との指摘もあります(関連記事)。

 縄文時代において植物の栽培化があったのか、長く議論されてきました。本論文は、縄文時代にはイヌを除く家畜利用の証拠はなく、植物を栽培した遺構も発見されていない、と指摘します。ただ、以前に主張されていた縄文時代におけるイネやアワやキビなどユーラシア東部大陸系穀物の栽培化は現在ではほぼ否定されていますが、ヒョウタンやウリやアサやゴボウやエゴマやダイズなどは栽培されていた、との指摘もあります(関連記事)。しかし本論文は、栽培化の指標とされた、種子散布能力の退化・喪失、種子休眠性の喪失、種子の大型化について、縄文時代では突然大型化のマメ類が出現しており、植物栽培の間接的証拠がないので、ヒトの無意識の行動で種子が大型化する可能性を指摘します。ただ、家畜化・栽培化(domestication)をヒトと野生動植物との長期の双利共生関係により深化した共進化の過程として定義すると、ヒトと野生動植物との関係性の変化により、おそらく無意識のうちに家畜化・栽培化が進んだだろう、と本論文は指摘します。また縄文時代には、特定の食資源に依存することはなかったようで、縄文時代の人々は専門家ではなく万能家だった、というわけです。弥生時代には稲作が始まりますが、問題となるのは、これが低水準食料生産(管理対象の動植物は野生種でもかまいません)なのか、食料調達で無視できない大きさの「農業」だったのか、ということです。この点で、弥生時代における農業の成立には地域差があり、穀物の導入から農業の成立まで時間差があった、と推測される地域も存在します。

 同位体分析では、縄文時代後期(4400~3200年前頃)の食性には大きな地域差があり、北海道と沖縄では海産物を中心としていたのに対して、本州では陸上資源と海生魚類の間を結ぶ直線状にデータが分布します。これは土器で区別される文化圏とは異なっており、今後の研究の進展が期待されます。この地域差は、稲作の受容とも関わっているかもしれない、と本論文は指摘します。北海道と沖縄では海産物を多く利用する漁撈民としての生業が成立したので、陸上資源の水稲を生産する利点が少なかったのに対して、本州では堅果類などの陸上資源の代替品として、増産が可能な水稲に大きな利点があったのか、というわけです。


参考文献:
米田穣(2021)「考古学と自然人類学 縄文時代・弥生時代の生業を考える」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第14章P221-236

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