現生人類の起源の見直し

 現生人類(Homo sapiens)の起源を再検討した研究(Bermúdez de Castro, and Martinón-Torres., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類、および現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との最終共通祖先(LCA)の両種はアフリカに起源がある、と推測されることが多く、全てのユーラシア更新世人口集団は究極的にはアフリカに由来する、と予測されています。本論文は、アフリカおよびアジア南西部の中期更新世化石記録の再調査と、「現生人類系統」について非アフリカ起源の可能性を、あり得る仮説として少なくとも検討する必要性の補強を目的としています。

 アフリカの中期更新世後期の化石記録は、現生人類の最初期の代表がアフリカ大陸でじっさいに見つかることを示唆しますが、LCAがアフリカ起源であることを示す一貫した証拠は必ずしも見つかりませんでした。現時点で、古遺伝学的分析に基づくと、最も広範に受け入れられている仮説は、LCAが中期更新世初期に生息していた可能性を示唆します。この情報に、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)で観察された形質群を追加する必要があります。ホモ・アンテセッサーは、形態と分子データの両方で、LCAに近いと解釈されてきた種です。LCAの形態は、頭蓋と歯列における斑状の特徴により定義されるかもしれず、これまでのところ、アフリカの化石記録では見つかっていません。LCAのアフリカ起源を示す事例は完結したものではない、と本論文は強調します。本論文は、とくにアジア南西部におけるさらなる発見と研究について注意と必要性を提案します。アジア南西部は、現生人類とネアンデルタール人の分岐の研究に重要な地域かもしれません。


●研究史

 現生人類の解剖学的構造の起源には、長年専門家が関心を抱いてきました。遺伝学的証拠では、現生人類はネアンデルタール人とLCAを共有しており、そのLCAは765000~550000年前頃(関連記事)かそれ以前に生息していたかもしれない、と示唆されています。さらに、化石記録の証拠では、最初の現代的なヒトの解剖学的構造はアフリカで見つかる、と示唆されています。しかし、LCAの起源の年代と場所について、あまり確信はありません。じっさい、LCAの遺伝学的および地理的分岐後に、人口集団がまだ解剖学的に現代的ではないので現生人類に含まれない、中間的期間があります。

 以前の研究(関連記事)は、この一連の進化を現生人類系統と呼んでいます(図1)。これらの人口集団を現生人類の系統種(形態が経時的に変化する単一系統)、つまりホモ・ヘルメイ(Homo helmei)に含める著者もいます。同様に、「ネアンデルタール人系統」の人口集団は、系統種のホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)に含まれてきました。一部の著者にとって、LCAの起源は必然的にアフリカにありますが、他の著者にとって、現生人類系統がどこでいつどのように発生したのかについて確認するためのデータが欠如しています(関連記事)。以下は本論文の図1です。
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 現生人類系統とネアンデルタール人系統の遺伝的分岐に続いて、1もしくは複数の人口集団が現れました。現生人類集団とネアンデルタール人との間の最後の遭遇に先行する接触の可能性(関連記事1および関連記事2)と、後期更新世におけるネアンデルタール人の絶滅に関わらず、各系統は固有の特徴も獲得しつつ、LCAから継承した祖先的特徴を維持しました。この過程の最終結果により、現生人類とネアンデルタール人の表現型を、頭蓋だけではなく頭蓋後方(頭蓋から下)でも明確に区別できました。

 仮想モデルが用いられ、LCAの頭蓋形態が予測されました。これらのモデルによって間違いなく、LCAの実際の形態により近づきます。これらのモデルは表形分類学的基準(幾何学的形態計測学)を用いて行なわれ、化石記録および分類学的に意味があると解釈された選択された特徴一式に存在する標本の形態に基づいています。表形分類学的手法を用いると、これらのモデルは現生人類系統とネアンデルタール人系統に含まれる標本間の中間的形態を予測する傾向にあります。

 しかし、本論文が強調しようとしているように、LCAの形態について代替的な予測があります。たとえば、LCAは中間的もしくは「中立的」形態ではなく現代的な顔面中部を示し、それは現生人類クレード(単系統群)で維持されました。中国の黒竜江省ハルビン市で発見された頭蓋(関連記事)もしくは大茘(Dali)で発見された標本から示唆されているように、このクレードは現生人類とともにその姉妹系統を含んでいる可能性があります。対照的に、ネアンデルタール人系統はLCAパターンから排他的な顔面中部モデルへと移行したでしょう。この文脈においてLCAは、以前にはネアンデルタール人の祖先形質とみなされていたものの、じっさいにはホモ・アンテセッサーのような種において遅くとも85万年前頃には出現していた特徴の保持である、一連の形質を有していたかもしれません。

 ホモ・アンテセッサーは系統発生的にLCAとひじょうに近い、と示唆されてきたので(関連記事)、その形態はLCAの形態をよく表しているかもしれません。化石証拠に基づくと、ほとんどの専門家はLCAの起源がアフリカにあると考えており(もしくは、ある時点で考えてきました)、ごく最近になって、代替案が検討され始めました(関連記事)。本論文は、アフリカの中期更新世の化石記録を批判的に見直し、LCAのアフリカ起源に替わるシナリオがあるのかどうか、調べることを目的とします。


●ネアンデルタール人と現生人類のLCAについての知識

 ネアンデルタール人および現生人類系統が生じるに至った種/古集団(paleodeme)の代表的ものには、現在の人類化石記録の一部ではあるものの、まだそのように特定されていないものがあるかもしれません。以前の研究ではこれが祖先Xと呼ばれていますが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が全ての提案の最初の基礎となるでしょう。以前の研究では、ヨーロッパの化石とLCAが選択的に祖先的特徴を保持しているか、分子推定が現生人類とネアンデルタール人の系統間の分岐を過小評価していない限り、これまでに提案された種は、ネアンデルタール人と現生人類のLCAとみなされるような歯列における必要条件を満たしていない、と指摘されています。

 別の先行研究では、最尤法と3次元幾何学的形態計測手法を用いて、ネアンデルタール人と現生人類のLCAのあり得る形態を予測しました。仮想的なLCAを推定するため、初期ホモ属化石2点、ネアンデルタール人化石4点、イスラエルのスフール(Skhul)遺跡(スフール5号)とカフゼー(Qafzeh)遺跡(カフゼー9号)を含む現生人類標本9点が用いられました。その結果、年代学的仮説に基づいて3通りのモデルが得られ、前期更新世から現在にいたる化石ホモ属標本の大規模な一覧と比較されました。

 顔面上部に関しては、仮想モデルに最も近い標本はエチオピアのボド(Bodo)とザンビアのカブウェ1号(Kabwe 1)とドイツのシュタインハイム(Steinheim)とギリシアのペトラローナ(Petralona)です。頭蓋冠から得られたデータに関して、LCA仮想モデルに最も近い標本は、オモ・キビシュ2号(Omo Kibish 2)、スペイン北部のアタプエルカの通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)の頭蓋5号とザンビアのカブウェ化石です。その先行研究では、この結果はLCAのアフリカ起源、およびアフロ・ヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)に分類される形態と一致する、と結論づけられています。この手法に関して重要なのは、ほとんどの分類群がさまざまな速度で進化する特徴の斑状により認識されていることへの注意です。したがって、その先行研究により選択された手法は、LCAのあり得る表現型への興味深い洞察を提供するものの、実際の表現型には対応していないかもしれません。

 1997年、スペイン北部のアタプエルカ山地(Sierra de Atapuerca)のグランドリナ(Gran Dolina)洞窟遺跡のTD6層から得られたヒト遺骸に因んで命名されたホモ・アンテセッサーは、ネアンデルタール人と現生人類のLCAを表しているかもしれません。その後の論文ではこの仮説に疑問が呈されましたが、ホモ・アンテセッサーはLCAに系統発生的に近い種である、と常に考えられてきました。TD6の歯のエナメル質からのタンパク質の回収と分析、およびその他の人類との比較から、ホモ・アンテセッサーは現生人類やネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)を含むその後の中期および後期更新世人類に近い姉妹系統である、と論証されます(関連記事)。

 ATD6-69幼年期個体と、ATD6-58成人個体の上顎標本のさまざまな研究から、ホモ・アンテセッサーは既知の化石記録では最古となる現代的な顔面を示す、と証明されました。ATD6-96で観察された成長再構築パターンは現生人類と類似しており、現生人類の特徴的な顔面形態の原因となる一つの重要な発達変化が少なくともホモ・アンテセッサーにさかのぼるかもしれない、と示唆されます。現生人類における顔面中部の成長パターンはおそらくホモ・エレクトスに由来するので、ホモ・アンテセッサーで観察されたパターンが、人類の系統発生で何回か現れる、ホモ属の祖先的で一般化されたパターンである可能性は低そうです。

 最後に、TD6の分類に用いられる生物種の資料全てにおける頭蓋骨と歯と頭蓋後方(頭蓋よりも下)骨格で得られた合計49点の包括的分析から、この一連の特徴の最大22%がホモ・アンテセッサーとネアンデルタール人の両方に存在する、と明らかになりました。したがって、これらの特徴は以前に考えられていたようなネアンデルタール人の固有派生形質ではないものの、LCAにひじょうに近い種における遅くとも85万年前頃には出現していた特徴です。

 要約すると、この研究のモデルによれば、LCAに近いと考えられる種は現代的な顔面中部と、重要な「ネアンデルタール人的」特徴一式を有しています。この特徴の一群は、LCAの形態において予測される可能性が最も高いはずです。TD6化石は現実であり仮想的な再構築ではないので、LCAがアフリカに生息していたならば、現代的な顔面と、以前にはネアンデルタール人とみなされていた重要な特徴一式を有しているはずです。


●アフリカの中期更新世人類の化石記録

 現生人類の最初期の代表がアフリカで見つかっていることは、一般的に合意されています。図2は本論文で引用されたアフリカ各地の遺跡の位置を、表1は年代や個体数や形態学的特徴の解釈など、その一部のデータを示しています。モロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)遺跡の化石はかなりの注目を集めており、それは発見された遺骸の質量のためです。最近の研究(関連記事)では、ジェベル・イルードの人類化石の年代は315000±34000年前頃と推定されました。ジェベル・イルード標本の頭蓋冠は、高くて球状の現代人との比較では低くて長く、下顎と歯の形態は、歯の発達パターンとともに、ジェベル・イルードの人類化石を初期の解剖学的現代人に位置づけます。最近の研究では、ジェベル・イルードの人類化石は現生人類の現代的な解剖学的構造の起源の最初の証拠を表している、と考えられています。

 この仮説は最近になって、1967年にエチオピアのキビシュ層(Kibish Formation)のメンバー1で発見されたオモ・キビシュ人類化石の新たな年代測定により、異議を呈されています。これらの化石は、オモ1号が出土したオモ・キビシュ層を確実に覆う、カモヤ(Kamoya)のヒト科遺跡(KHS)の凝灰岩の下に位置しており、今ではその年代は233000±22000年前と推定されています(関連記事)。キビシュ層のオモI 化石群、とくにオモ1号の形態学的特徴が明らかに現生人類の形状なのに対して、オモ2号は頭蓋冠でより古代型の側面を示します(関連記事)。オモ・キビシュ層化石群の新たな年代を提示した研究によると、これらは(ジェベル・イルードなどの資料を除いた場合には)現生人類の既知の最古の代表となるでしょう。

 類似の年代の人類化石は、南アフリカ共和国で発見された頭蓋顔面断片と1点の歯から構成されるフロリスバッド(Florisbad)標本で、259000年前頃と推定されています。フロリスバッド標本はその発見者に因んでホモ・ヘルメイ(Homo helmei)と命名されました。フロリスバッド標本では、神経頭蓋の一部と顔面の一部が保存されています。その前頭骨は広くて厚く、比較的後退していますが、その顔面は初期の犬歯窩を示します。

 フロリスバッド標本はいくつかの解釈の対象となっています。ストリンガー(Chris Stringer)氏は1996年には、フロリスバッド化石は現生人類の前駆種を表しているかもしれない、と提案しましたが、他の著者はネアンデルタール人と現生人類の祖先となった種(ホモ・ヘルメイ)に属する、と考えました。ストリンガー氏の見解はその後に変わり、フロリスバッド標本は現生人類の古代の構成員を表しているかもしれない、と考えています(関連記事)。フロリスバッド標本の神経頭蓋形態の2020年の研究では、広義のホモ・ハイデルベルゲンシスと現生人類に分類される中期更新世化石で見つかる古代的特徴の斑状が特定されました。以下は本論文の図2です。
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 ケニアの東トゥルカナ(Turkana)のグオモデ(Guomde)化石は1971年と1976年に発見され、大腿骨(KNM-ER 999)とさまざまな断片から再構築された頭蓋骨(KNM-ER 3884)で構成され、ウラン系列法で少なくとも18万年前頃と推定されました。ストリンガー氏によると(関連記事)、KNM-ER 3884の形態はオモ・キビシュ頭蓋骨2点(オモ1号とオモ2号)で見られる特徴の組み合わせなので、解剖学的に現代の現生人類に含められるかもしれません。

 グオモデ化石よりわずかに新しい人類遺骸が1997年にエチオピアのアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)のヘルト(Herto)で発見され、その年代は160000~154000年前頃と推定されています。ヘルトの化石を報告した研究によると、ヘルト化石はその頑丈さから、形態学的にも年代的にも古代のアフリカの人類化石群とその後の後期更新世の解剖学的現代人との間の中間に位置づけられます。最も完全な頭蓋の容量は1450 cm³で、その神経頭蓋は比較的球状の形態を示します。角度のある後頭部を除いて、これらの人類は全て現生人類を特徴づける頭蓋の特徴を有しています。

 おそらく、1924年にスーダンの青ナイル河床で回収されたシンガ(Singa)頭蓋冠はより新しい年代で、頭蓋冠内側の堆積物と関連する動物相遺骸両方で用いられたウラン系列法は、中期更新世後期(135000~131000年前頃)の年代を示唆します。シンガ頭蓋冠は、その病理学的状態にも関わらず、容量は1400ccで、他の頭蓋の特徴は現生人類と関連しているようです。

 ケニアのエリー・スプリングス(Eliye Springs)やタンザニアのエヤシ湖(Lake Eyasi)など他のアフリカ東部の化石は明確な年代測定を欠いており不完全で、その年代にも関わらず、解剖学的に現代的な現生人類への分類が妨げられています(関連記事)。タンザニアのンガロバ(Ngaloba)頭蓋は、頭蓋冠の拡大や後頭の球状形態や後頭隆起(イニオン)など解剖学的に現代的な特徴と、低くて長い頭蓋や眼窩上隆起を平らにする前頭骨や小さな乳様突起や近傍乳様突起冠など古代型の特徴との組み合わせを示します。その乳様突起と近傍乳様突起は、ネアンデルタール人と似ています。

 アフリカ北部ではジェベル・イルード化石とは別に、モロッコのエル・アリーヤ(El-Aliya)やテマラ(Témara)など中期石器時代の文脈で他の断片的な人類化石遺骸が発見されています。これらの化石には、解剖学的に現代的な現生人類と関連するいくつかの特徴があります。ムガレット・エル・アリーヤ(Mugharet el-Aliya)遺跡の電子スピン共鳴法(ESR)年代測定は、この遺跡が後期更新世に形成されたことを示唆します。同様のことはモロッコのダル・エス・ソルターネ2(Dar-es-Soltane 2)洞窟の少なくとも3個体の人類遺骸でも言えます。

 これらの人類遺骸の分類は複雑で、それは、ダル・エス・ソルターネ2洞窟の5号個体は現代的な概観を示すものの、その思春期個体の顎には頤がないからです。この人類遺骸群の分類は困難です。この洞窟の第7層の軟体動物のラセミ化率は、85000~75000年前頃の年代を示唆します。アフリカ南部(南アフリカ共和国)では、クラシーズ・リヴァー・マウス(Klasies River Mouth)洞窟で発見された人類化石は明らかに、解剖学的に現代的な現生人類と関連しています。最近の年代測定では、クラシーズ・リヴァーの層序の上限年代が126000年前頃と示唆されています。多くの人類化石遺骸の断片的な状態により、解剖学的に現代的な現生人類に確実に分類できませんが、その人類化石群は現生人類に合致します。

 南アフリカ共和国のボーダー洞窟(Border Cave)では、多くのヒト化石遺骸が発見されており、1940年代以降調査されてきました。これらの化石は全て断片的ですが、解剖学的に現代的な現生人類として含めることは困難ではありません。そのうち注目すべきは、部分的な頭蓋骨(BC1)と歯のない下顎(BC2)と幼児骨格(BC3)と部分的な下顎(BC5)です。後者は75000±5000年前頃と推定されました。BC1の最近のひじょうに詳細な研究により、BC1を現生人類に含めることが強化されました。アルジェリアのハウア・フテア(Haua Fteah)では、現代的特徴を有する2点の部分的な下顎が1950年代に発見されました。

 中期更新世の他のアフリカの人類化石はより「古代型の」概観を示し、一部の著者によると、ホモ・エレクトスと現生人類との間の中間的形態を表しています。押し潰されたタンザニアのンドゥトゥー(Ndutu)頭蓋骨は、1973年に発見されました。1976年と1982年には、関連するインダストリーの最初の断片が収集され、それにはアシューリアン(Acheulian)技術に明確に分類されるいくつかの人工遺物が含まれます。これらの発見と、上部マセック(Upper Masek)のノルキリリ(Norkilili)メンバーの堆積物とともに頭蓋骨が発見された層準の堆積物の類似性に基づいて、ンドゥトゥー頭蓋骨は50万~30万年前頃と考えられています。その再構築後、1976年の記載では、ンドゥトゥー頭蓋は中国の周口店(Zhoukoudian)のホモ・エレクトスおよび現生人類と共有される特徴を持っている、と示唆されています。他の特徴のうち、ンドゥトゥー頭蓋には骨化した茎状突起と頭頂隆起があり、矢状隆起はありません。それにも関わらず、1976年の研究では、ンドゥトゥー頭蓋をホモ・エレクトスに含めることが選ばれ、それは周口店標本との類似性のためでした。後には、この最初の分類は撤回され、1990年代には、ンドゥトゥー頭蓋骨は古代型現生人類に含まれるべきである、と考えられました。

 ザンビアのカブウェ(Kabwe)頭蓋骨は長年ブロークンヒル(Broken Hill)頭蓋骨として知られており、1921年に頭頂骨や上顎(E687)や数点の頭蓋後方遺骸、とくに完全な脛骨(E691)とともに発見されました。その遺骸の年代測定は常にかなり不確かでしたが、動物相遺骸と中期石器時代技術は30万年前頃を示唆します。その頭蓋骨の直接的な年代測定は、299000±25000年前を示唆します(関連記事)。この頭蓋骨(E686)はひじょうに頑丈で、顕著な眉上隆起があり、その頭蓋容量は1230ccと推定されました。その広い顔面は、ペトラローナのような一部のヨーロッパ中期更新世人類と類似しているものの、ネアンデルタール人の顔面の最も特徴的な特質を示しません。上顎(E687)は頭蓋(E686)よりも現代的に見えます。さらに、頭蓋骨(E686)は現生人類の派生的特徴を示しません。

 南アフリカ共和国のホップフィールド(Hopfield)町近くのエランズフォンテイン(Elandsfontein)とサルダニャ湾では、アシューリアン(アシュール文化)の道具と関連する頭蓋冠の断片数点と顎の断片が1953年に発見されました。この化石に関する見解は分かれており、それは断片化されて再構築された頭蓋冠により提供された情報の不足のためです。1954年の研究はこの化石をカブウェ標本と関連づけましたが、2004年の研究は、頭頂弓の湾曲が現生人類により近い、と考えています。

 ケニアのバリンゴ湖(Baringo Lake)近くのカプサリン層(Kapthurin Formation)で回収された2点の下顎は、50万年前頃と推測されています。1986年の研究では、これらの標本は同じ分類群に属する、と考えられました。つまり、ホモ属未定種(ホモ・エレクトスに類似するものの明らかに異なります)とされましたが、その他の研究では、ホモ・エレクトスやホモ・ハイデルベルゲンシスに含められました。アフリカ北部のティゲニフ(Tighenif)やシディ・アブダーラフマン(Sidi Abderrahaman)のような他の標本は、アフリカのホモ・エレクトスに属すると考えられてきました。

 エチオピアのボド頭蓋骨は、アフリカの中期更新世標本では最もよく保存されて年代測定された化石の一つです。この頭蓋骨は1976年にエチオピアのアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)地域のボド地区で、エチオピア地溝帯研究の構成員により発見されました。この頭蓋骨はウェハイエツ層(Wehaietu Formation)のボド・メンバーで発見され、それはオルドヴァイ4層もしくはオロルゲサイリー層(Olorgesailie Formation)など他のアフリカの遺跡と相関しており、70万~50万年前頃と示唆されています。アルゴン-アルゴン法によるその年代の評価は640000±3000年前で、ボド・メンバーのアシュール文化インダストリーおよび脊椎動物化石遺骸と一致します。

 この標本を研究した専門家は、ボド頭蓋骨がひじょうに頑丈で、骨がかなり厚い(前項で13mm)、と示唆しています。この標本は正中矢状線に沿って明確な突起があり、正中線の両側に傍矢状の陥没が生じます。その顔面はひじょうに長くて頑丈で、厚い眼窩上隆起と広い鼻孔があります。頬骨は深くて頑丈で、重厚に構築されています。その頭蓋冠は低く、古代型の形態を示します。頭蓋容量は1992年に1400cc以上と推定されています。1996年には、頭蓋容量は約1300ccと推定されましたが、依然として明確にホモ・エレクトスの範囲を超えています。

 この標本の分類学的配置には議論があります。「古代型」との記述的名称でこの標本を現生人類に含められる、と考える著者もいます。他の著者はボド標本と他のアフリカ(カブウェ)およびヨーロッパ(ペトラローナもしくはアラゴ)標本との類似性を考えており、化石群全体がアフロ・ヨーロッパの種であるホモ・ハイデルベルゲンシスである、との考えを好みます。アフリカの標本のみを考慮するならば、ホモ・ローデシエンシス(Homo rhodesiensis)という名称を適用できるかもしれません。最近、ホモ・ボドエンシス(Homo bodoensis)という名称が導入されました(関連記事)。これは、アフリカにおける現生人類の直接的祖先で、LCAとの分離後の現生人類系統の最初の段階を形成します。


●アジア南西部

 アフリカ大陸外では、アジア南西部地域、とくにレヴァント回廊が注目に値します。その地理的位置は、アフリカとユーラシアとの間の自然の回廊なので、とくに重要です。したがって、この地域の化石記録に注目することは重要です。表2では、本論文で引用された遺跡が示されています。

 イスラエルの上ガリラヤのズッティエ洞窟(Mugharet el-Zuttiyeh、「強盗の洞窟」という意味)では、1925年に部分的な頭蓋骨が発見されました。それはアシュール・ヤブルディアン(Acheulo-Yabrudian)の石器を含む層の下で回収されました。ズッティエ洞窟の年代は、レヴァントにのみ存在するこの特有の技術様式の時間範囲を考慮して、50万~20万年前頃と推定できます。この標本はほぼ完全な前頭骨と右側頬骨と部分的な右側蝶形骨で構成されています。

 ズッティエ化石については、いくつか分析が提示されてきました。1993年の研究では、ズッティエ化石はネアンデルタール人と現生人類のどちらかに固有の特徴を示さない、と結論づけられました。その研究では、ズッティエ化石の明確なユーラシア東西の関係を示唆します。それは、周口店11および12号のようなアジア東部の中期更新世標本との類似性のためです。対照的に2012年の研究では、ズッティエ標本はネアンデルタール人特徴の大半を示し、アラゴ21号(Arago 21)のような中期更新世人類で観察される特徴とともに、初期現生人類に特有の一部の特徴が組み合わさっている、と結論づけられました。その幾何学的形態計測分析も、ズッティエ標本が、その前頭骨と頬骨の一般的形態を考えると、LCAと関連しているかもしれない、と示唆します。

 2001年の研究では分岐分類学的手法が用いられ、ズッティエ標本はイスラエルのスフール(Skhul)遺跡の標本と姉妹集団で、これら2標本は現生人類の姉妹集団を形成する、と指摘されました。その研究によると、ズッティエ化石は最古となる既知の現生人類標本かもしれません。2008年の形態学的根拠に基づく研究では、ズッティエ化石は、ボドやンドゥトゥーやエヤシ湖やオモ2号のような他のアフリカの中期更新世標本とともに、ホモ・ハイデルベルゲンシスに含められるかもしれない、と考えられました。驚くべきことに、用いられた手法や、とりわけ各研究者の特定の洞察力に依拠すると、結果と結論が大きく異なるかもしれません。いずれにしても、ズッティエ化石はいくつかの分類群で観察された特徴の要約のようです。

 テル・アビブから数kmに位置し、その堆積物の年代が40万~20万年前頃と推定されているイスラエルのケセム洞窟(Qesem Cave)遺跡で発見されたヒト化石も興味深く、ケセム洞窟の石器インダストリーもアシュール・ヤブルディアンに含められてきました。2011年の研究ではケセム洞窟で発見された8点のヒトの歯が分析され、ネアンデルタール人もしくは現生人類との歯の類似性について疑問が呈されました。その研究の結論は、ケセム洞窟標本はスフール(Skhul)およびジェベル・カフゼー(Jebel Qafzeh)遺跡の人類との類似性を示し、その歯は最終的には現生人類に含まれる、と結論づけられました。しかし、元々のケセム洞窟標本の歯の調査は、中期更新世中期の43万年前頃となるスペインのSHで回収された歯(関連記事)との密接な類似性を示唆しています。

 さらに謎めいているのは、イスラエル中央部のネシェル・ラムラ(Nesher Ramla)開地遺跡で回収されたヒト遺骸です(関連記事)。この遺跡で発見された頭頂骨と下顎の年代は、14万~12万年前頃と推定されました。その頭頂骨がアジアのホモ・エレクトスとの形態学的類似性を示すのに対して、下顎はヨーロッパの中期更新世人類およびネアンデルタール人に特有の特徴を示します。その研究では、ネシェル・ラムラ化石はズッティエおよびケセム洞窟標本とともに古集団の一部かもしれない、と示唆されています。ネシェル・ラムラ古集団はレヴァントにおいて少なくとも42万年前頃に生息していた可能性があり、ヨーロッパとアジア東部の中期更新世人類集団の進化に関わっていたかもしれません。

 イスラエルのタブン(Tabun)遺跡C層の化石の年代は177000年前頃で、タブンC1骨格とタブンC2下顎の両方はネアンデルタール人集団に分類できる、と考えられています。しかし、一部の著者が古代型現生人類に含めるタブンC2下顎について、合意はありません。これらの疑問にも関わらず、一部の著者はイスラエルのカルメル山に位置するミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で発見された上顎(ミスリヤ1号)をレヴァント回廊最古(194000~177000年前頃)の現生人類標本とみなします。2018年の研究では、現生人類系統の一部の構成員は以前に考えられていたよりも早くアフリカから拡散した、と示唆されました(関連記事)。これに関して、別の研究(関連記事)でも、ギリシア南部のマニ半島のアピディマ(Apidima)洞窟で1970年代に発見された21万年前頃となるアピディマ2号頭蓋骨において、祖先的特徴と現代的な特徴の混合が観察されました。その研究では、アピディマ2号は現生人類の初期の出アフリカを表しているかもしれない、と指摘されました。

 より新しい化石がイスラエルのカルメル山のスフール洞窟で発見されており、その年代はESRとウラン系列法と熱ルミネッセンス(TL)法では13万~10万年前頃と推定されています。その頑丈な外形にも関わらず、これらの化石は通常、現生人類の初期形態に含められ、ストリンガー氏はこれらを私信にて「基底部現生人類」と呼び、ジェベル・イルード化石もしくはオモ2号のような標本も含めており、オモ1号や他の明確な分類学的割り当てのある標本で構成される「派生的現生人類」と対比させています。

 脳の球状化に基づくと(関連記事)、スフールとカフゼーの標本は「派生的現生人類」の区分に含められるかもしれません。じっさい、1933~1935年と1965~1979年の野外調査期間にナザレのカフゼー洞窟遺跡で得られた標本も、現生人類に分類されてきました。カフゼーとスフール両方の人類は、中部旧石器インダストリーと関連しています。TLとESRとウラン系列法による年代測定も、カフゼーのヒト化石資料を海洋酸素同位体ステージ(MIS)5に位置づけます。カフゼー化石の歯の観察は、それらが全て現生人類に特有の歯の特徴を有している、と示唆します。ホモ・アンテセッサーとネアンデルタール人で観察される、上顎側切歯の三角形のシャベル形状か、下顎大臼歯の中間の三錐頂部か、あるいは上顎第一大臼歯の特徴的な菱型形状は観察されませんでした。しかし、カフゼー化石の上顎第一大臼歯はネアンデルタール人とより近い先端比率のパターンを有している、と記載されており、その頭蓋形状はその後の現生人類よりも現生人類的ではなく、祖先的特徴保持の事例か、ネアンデルタール人との交雑の可能性が指摘されています。

 カフゼー化石が現生人類の「基底部」か「派生的」かに関係なく、このシナリオは現生人類とネアンデルタール人の共存の可能性に大きな窓を提示します。ネアンデルタール人クレードの最も代表的な化石の一部は、6万年前頃と推定されているイスラエルのケバラ(Kebara)遺跡で発見された遺骸か、シリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟で発見された6万年前頃の乳児か、タブンC1か、イスラエルのアムッド(Amud)洞窟で発見された遺骸です。「基底部ネアンデルタール人」集団の可能性が最近ネシェル・ラムラ開地遺跡で特定され(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類は両方とも、後期更新世にアジア南西部で共存していたでしょう。


●考察

 上述の中期更新世後期のアフリカの遺跡の一部で発見された個体で観察された形態には「古代型」の特徴が含まれますが、その大半は現生人類の変異性に含まれます。最近、ストリンガー氏は私信にて、議論になっており曖昧な用語である「古代型」と「現代型」を避けるため、「基底部現生人類」と「派生的現生人類」との用語を使うよう提案しました。ジェベル・イルード化石は、古代型のアフリカの人類と最近の現生人類との間の中間を表しておらず、むしろ明確に現生人類に配置される、と提案されました(関連記事)。

 たとえば、ジェベル・イルードもしくはフロリスバッド人類は、解剖学的に現代的な現生人類集団を定義する特徴の一式をまだ有しておらず、ホモ・ヘルメイなど他の種に含めることができ、現代的な現生人類標本で観察される形態にまだ達していない人口集団を表している、と主張できるかもしれません。しかし、2014年の研究によると、これらの化石と現生人類との間の断続的変化が論証されない限り、多くの名称の使用はむしろ分類学を解決するどころか複雑にします。本論文はこの指摘に完全に同意します。この集団に対する「基底部現生人類」の使用は有益な代替案になるかもしれません。それは、より正確な分類学的区分に立ち入らずに、同じクラスタ内でこれら全標本の分岐分類学的区分を強調するからです。

 30万年前頃以前には、アフリカの化石記録は解剖学的に現代的な人口集団とよく一致しない標本を含みます。上述のように、これらの化石の分類学的割り当ては、標本の不完全で断片的な状態だけではなく、各研究者の特定の見解によっても条件づけられます。これらの化石は、広義のホモ・エレクトスを定義する完全に形態学的なパターンを有していない、と定義できます。これが、上述のようにホモ・ローデシエンシスやホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・ボドエンシスといった、さまざま名称がつけられた理由です。2016年の研究の仮想的モデル1および2は、カブウェやオモ1号など中期更新世のアフリカの化石とのいくらかの類似性を有しています。それが、アフリカはLCAの発祥地だと提案された理由です。

 上述のように、最古となる既知の現代的な顔面中部形態は、ホモ・アンテセッサーに分類される化石で見られ、この事実は特別な注意に値します。2013年の研究で、歯の年齢がほぼ同じ標本である、アフリカのホモ・エレクトスとされるKNM-WT 15000と、ホモ・アンテセッサーに分類されるATD6-69の再構築パターンが比較されました。KNM-WT 15000の再構築パターンがホモ・ハビリス(Homo habilis)およびアウストラロピテクス属と類似しており、人類における祖先的パターンのように見えるのに対して、現生人類の再構築パターンは明らかに派生的です。

 ATD6-69の顔面中部の再構築パターンは現生人類とひじょうによく似ているので、ホモ・アンテセッサーの顔面個体発生パターンが現代人的な顔面中部につながったかもしれない、と推測できます。さらに、顔面中部が保存されているアフリカの中期更新世後期標本のほとんども、同様に現代的な顔面中部を示し、その中には、下向きおよび後方に傾斜する冠状に向いた眼窩下面(真の犬歯窩)が含まれ、それは水平で高く根づいた下縁を有しており、頬の切痕と頬骨上顎結節を示す可能性があります。この形態はスフール4号やカフゼーやズッティエや、大茘(Dali)とハルビンなど後の他の非アフリカ人類にも存在しています。

 1986年の研究では、ボドとカブウェの標本は一般的な顔面中部を示すものの、上顎洞の極端な気胞化により曖昧になっている、と考えられました。2016年の研究(関連記事)によると、これらの人類はアフリカの中期更新世人類記録に固有の分類学的多様性を反映しているかもしれません。これらの化石における完全に現代的な顔面中部の欠如により、LCAからそれらを除外するさいには一貫した議論になるでしょう。本論文は、SH人類遺骸のような人口集団に存在した先ネアンデルタール人的形態から逸れる、アラゴやペトラローナやボドのような化石が、アフリカとヨーロッパとおそらくはアジアで進化したLCAの姉妹系統かもしれない可能性を提案します。

 一方、ホモ・アンテセッサーでは3つの重要な歯の特徴が観察されました。つまり、上顎切歯の三角シャベル形状、下顎大臼歯の中間の三錐頂部、菱型で圧縮された咬合面の多角形、上顎永久第一大臼歯の歪んだ外形で、下錐の膨らんだ突起も示します。ホモ・アンテセッサーはこれらの重要な特徴を、SHやドイツのシュタインハイム(Steinheim)やフランスのオート=ガロンヌ県(Haute Garonne)のモンモラン(Montmaurin)のラニッチェ(La Niche)洞窟など、ヨーロッパの中期更新世中期人類および古典的ネアンデルタール人と共有しています。

 ホモ・アンテセッサーにおけるこれらの歯の特徴の存在は、いくつかの可能性を提起します。(1)これらの特徴はLCAにおいて現れ、ネアンデルタール人系統の系統種(経時的に形態が変化する単一系統)であろうホモ・アンテセッサーで保持されたものの、現生人類系統では失われました。(2)これらの特徴は前期更新世においてホモ・アンテセッサーとLCAの両方で現れ、その後でLCAからネアンデルタール人系統に伝えられたものの、現生人類系統では失われました。第三の仮説も考えられ、それは、これらの特徴が異なる系統間の遺伝子流動を示している、というものですが、この代替案の検証が困難であり、交雑の表現型に関する理解が欠如しているので、この議論からの除外が選ばれます。

 仮説1はLCAの遺伝的分岐の推定値(関連記事)と矛盾しますが、LCAの遺伝的分岐は現在の想定よりずっと早いかもしれません(関連記事)。理想的には、こうした仮説はこれらの特徴が現生人類系統で失われた発達過程を調査すべきです。歯列における小さな形態学的変化は機能的意義を有していないようで、強い選択の標的ではなく(関連記事)、むしろ選択的に中立だったかもしれません。したがって、現生人類系統におけるこれら歯の特徴変化についての最も合理的な説明は、多型のLCAにおける遺伝的浮動でしょう。

 エチオピアのアドゥマ(Aduma)遺跡標本(ADUVP-1/3)およびタンザニアのエヤシ2号におけるイニオン上窩、もしくはタンザニアのンガロバ標本における近傍乳様突起隆起の存在の可能性など、時に提唱される主張を除いて、アフリカの中期更新世後期および後期更新世標本はネアンデルタール人の固有派生形質的特徴を示さないようです。換言すると、アフリカがLCAの発祥地ならば、ネアンデルタール人系統と現生人類系統の地理的分離が起き、ネアンデルタール人集団がユーラシアのさまざまな地域に居住した時にだけ、これら全ての特徴がネアンデルタール人において現れたでしょう。

 43万年前頃となるSHの年代測定によると、ネアンデルタール人固有の特徴の多くは、おそらく中期更新世前期以来ヨーロッパに存在しました。2つの人口集団へのLCAの分離は、遺伝学的分析(関連記事)により提案された時間範囲で起きたでしょう。ヨーロッパに到達した人口集団が最終的にはネアンデルタール人を特徴づける形態へと急速に進化したのに対して、アフリカでは現生人類の出現に先行して、中期更新世後期まで明確な形態学的変化のない進化の停滞がありました。したがって、古典的ネアンデルタール人の形態型へと向かうヨーロッパにおける進化速度が、現生人類へと向かうアフリカにおける進化よりずっと速い理由について、疑問が残ります。

 この議論における問題の一つは、上述のホモ・アンテセッサーに存在する歯の特徴、つまり側切歯の三角形のシャベル形状や下顎大臼歯の中間の三錐頂部や上顎第一大臼歯の特徴的な菱型形状が、ボドもしくはカブウェなどの人口集団に存在したのかどうか教えてくれるだろう、アフリカの中期更新世中期の重要な歯の記録がないことです。ジェベル・イルード化石は上述の歯の特徴のいずれも示さず、これらの特徴はトーマス採石場やモロッコのラバト(Rabat)郊外のケビバット(Kébibat)やサレ(Salé)やアルジェリアのティゲニフ(Tighenif)といったアフリカ北部の人類化石にも欠如しています。現在の証拠と、ボドおよびカブウェの顔面中部がLCAで予測される顔面を表していないようであることを考えると、本論文の仮説は、これらの人口集団の歯列はホモ・アンテセッサーで観察されたものとは異なっていた、というものです。

 2016年の研究(関連記事)の推論に従うと、現生人類とネアンデルタール人との間の中間的形態ではなく、斑状の形態のLCAを見つける問題なのかもしれません。この形態は現生人類と似ているホモ・アンテセッサー的な顔面中部、たとえばイタリアのチェプラーノ(Ceprano)標本と似ている祖先的な頭蓋冠、後にネアンデルタール人とその祖先には継承されて現生人類では失われたいくつかの特徴のある歯により特徴づけられます。しかし、そのような形態をどこで見つけられるのでしょうか?確かに、アフリカではこの形態はこれまで中期更新世において知られていませんが、ヨーロッパでも見つかっていません。ヨーロッパとアフリカは、それぞれ現生人類とネアンデルタール人の発祥地でした。

 本論文の見解では、おそらくはアジア南西部、とくにレヴァント回廊に注目すべきで、そこはアフリカとヨーロッパを結ぶ臍の緒であり、LCAの地理的分岐が起きたかもしれない重要な場所です。以前の研究では、ヒト進化についてアジア南西部の関連性が強調され、人類拡散の中心地域とみなされました。とくに、この地域の条件は、ヨーロッパとアフリカへの居住の繰り返しに最適だったかもしれない、と考えられました。明らかに、アジア南西部からアフリカへの居住(その逆も同様)については、ほとんどの専門家が主張するように、レヴァント回廊の門が、アフリカからユーラシアだけではなく、両方向の通過を可能にする必要があります。

 2012年の研究では、考古学と地質学と気候と環境のデータに基づいて、アフリカからの人類の拡散は、200万~160万年前頃、140万~120万年前頃、100万~80万年前頃、60万~10万年前頃の4つの好適な周期に起きた、と提案されました。その研究の主張は、ナイル川流域やサハラ砂漠横断の巨大湖および河川帯など湿潤な回廊の存在が、アフリカ北部の超乾燥地域の定期的横断のため人類により用いられた、というものです。

 アフリカとユーラシアとの間の障壁の周期的な欠如の好例が、ネフド砂漠のハール・アマユシャン4(Khall Amayshan 4、以下KAM4)とジュバ(Jubbah)古湖沼盆地の堆積物系列に関する最近の研究で報告されました(関連記事)。さまざまな堆積物で得られたルミネッセンス法の年代推定値の範囲は、412000±87000~143000±10000年前です。これらの堆積物では、豊富な石器群と脊椎動物化石群が発見されました。KAM4の化石群から、アラビア半島の哺乳類動物相は、アフリカの中期および後期更新世とよく似ている、と示唆されました。アフリカスイギュウやセーブルアンテロープやカバなどいくつかの識別された分類群から、アフリカ北部とアジア南西部との間では特定の期間に気候と水文学と食性の連続性があった、と示唆されます。人類も例外ではなく、こうした期間にはこれらの地域に自由に移動できたかもしれません。これは、特定の期間におけるアフリカとユーラシアとの間の人口移動だけではなく、あり得る交雑と遺伝子移入にも由来したかもしれない、中期更新世アフリカの化石記録で観察された形態学的多様性を説明するでしょう。

 最後に、最近の遺伝学的研究は、アフリカからの解剖学的に現代的な人口集団の最後の拡大に先行する、ヨーロッパのネアンデルタール人集団への遺伝子流動を示唆します(関連記事1および関連記事2)。したがって、460000~219000年前頃の遺伝子移入事象におけるネアンデルタール人集団へのミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝子流動が示唆されています。遺伝子交換が、ヨーロッパ西部と、ネアンデルタール人と現生人類との間で遺伝的分岐が起きたかもしれないアジア南西部のより近い地域との間で起きたならば、これらの事象がより深く理解できるのかどうか、思案されます。


●まとめ

 専門家の間で有力な仮説では、現生人類および現生人類とネアンデルタール人の系統を生み出したLCAの起源がアフリカ大陸で見つかる、と示唆されます。じっさい、解剖学的に現代的な形態の最古の人口集団はアフリカで見つかっており、オモ1号をアフリカにおける現生人類の最古の証拠とみなすならば遅くとも23万年前頃に、あるいは現生人類内にジェベル・イルード標本を含めるならば30万年前頃にさかのぼれます。化石記録からの証拠では、LCAは以前の古遺伝学的推定値が提案するより古いかもしれない、と示唆されます。一部の専門家による研究では、LCAが前期更新世末に存在したかもしれない、と結論づけられています。この情報が正しいならば、LCAもこの期間のアフリカに起源がある可能性は、現在の化石記録により必ずしも裏づけられません。現時点で、前期更新世後期もしくは中期更新世前期における、この起源人口集団の地理的分岐と、ヨーロッパへのネアンデルタール人系統の移住の両方を維持できる記録は、アフリカにはありません。

 本論文は、アフリカの中期更新世人類の化石記録を再調査しました。アフリカの中期更新世中期の化石は、広義のホモ・エレクトスに特有のいくつかの特徴の欠如と、専門家に、ホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・ローデシエンシスやホモ・ボドエンシスなどの種内にそれらを分類させることにより定義できます。いくつかの例外はありますが、これらの化石に現生人類へと向かう明確な傾向を観察した専門家はいません。さらに、これらの標本には歯の証拠が欠けており、そうした化石の現生人類系統の起源への寄与の解釈を妨げます。この文脈で、近東をLCAのあり得る供給源として考える可能性が重みを増しています。アフリカの記録のさらなる調査に加えて、LCAはアジア南西部、とくにレヴァントにおいて探されるべき可能性がある、と本論文は提案します(図3)。この地域はアフリカとユーラシアとの間の交差点で、比較的安定した気候条件を維持して母集団の居住を可能とし、ネアンデルタール人と現代的な形態のヒトにつながる地理的分岐にとって妥当な場所です。以下は本論文の図3です。
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 この地域からの古気候学的情報の増加は、更新世の特定の期間におけるアフリカとアジア南西部との間の連続性と一致しており、それはアフリカとユーラシアとの間の人類の移動を可能とするでしょう。おそらく、いくつかの頭蓋要素についての情報があるアジア南西部の最古の標本はズッティエ洞窟で発見されており、これは一部の著者によるとLCAを表しているかもしれません。しかし、この標本の年代は中期更新世中期で、おそらくはこの仮説を確証するには新しすぎます。85万年前頃にさかのぼるホモ・アンテセッサーは、仮説上のLCAの形態予測のためのいくつかの手がかりを保持しているかもしれません。LCAは未知の人類ですが、現代的な顔面中部を有している一方で、その歯列には後にネアンデルタール人の歯の形態で見つかるいくつかの特有の特徴があったでしょう。これら全ての仮説を検証するには、より多くの発見と追加の研究が必要です。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文はおもに顔面と歯の形態に基づいて、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先(LCA)の起源地が、アフリカではなくアジア南西部だった可能性を指摘します。遺伝学でも同様の指摘があり(関連記事)、LCAの起源地をアフリカと断定することには慎重であるべきなのでしょう。ただ、断片的な形態学的特徴に基づいて種(あるいは分類群)を区分することはたいへん困難ですし(関連記事)、アフリカの前期更新世後期~中期新石器時代中期の人類化石の少なさもあるので(それはユーラシアも同様と言えるでしょうが)、LCAの起源地としてアフリカよりもユーラシア(アジア南西部)の方が有力だと、現時点では言えないように思います。さすがにこの問題で古代DNA研究が貢献できる可能性は低そうですから、新たな人類化石の発見と既知の化石の見直しによる研究の進展を期待するしかなさそうです。


参考文献:
Bermúdez de Castro JM, and Martinón-Torres M.(2022): The origin of the Homo sapiens lineage: When and where? Quaternary International, 634, 1–13.
https://doi.org/10.1016/j.quaint.2022.08.001

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