坂野潤治『近代日本の構造 同盟と格差』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2018年5月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は近代日本の基本的な対立を、「日英同盟」と「日中親善」、「民力休養(地租軽減)」と「格差是正」の二つの観点から検討します。本書のこの問題設定は、2010年代の日本の政治経済と外交を強く意識しています。つまり、2012年12月に成立した第二次安倍内閣以降の安倍政権における、外交関係と経済政策です。この点で、本書は「現代(2010年代)」の状況を強く意識した近代史になっている、と言えるでしょう。

 まず外交では、安倍政権が中国との対立を「日米同盟」の強化で切り抜けようとしたことは、日英同盟を頼りに1915年に対華二十一カ条要求を突き付けた第二次大隈内閣を想起させる、というわけです。しかし、日英同盟により中国の利権奪回要求を抑え込む日本外交は、1923年の日英同盟失効と1937年の日中戦争開始により崩壊しました。日中の本格的な戦争開始により在華権益を脅かされたイギリスは中国との利害が一致し、「英中同盟」が強化され、日本ではイギリスを叩けとの論調が強くなります。安倍政権下での日米同盟は当時の日英同盟よりもはるかに強固ではあるものの、日中関係で日本はもはや戦前のような主導権を握っていません。

 政治経済の対立軸である「民力休養(地租軽減)」と「格差是正」も、2010年代の日本社会の状況を強く意識して、問題設定されています。1890年の議会開設に向けて自由民権運動が掲げた「経費節減・民力休養」との主張は、その後で長きにわたって日本の政治に影響を及ぼし続けました。当初、「民力休養」は制限選挙下で選挙権のあった農村地主の減税要求(地租軽減)を表していましたが、後には地租の増徴反対、日露戦争後には都市商工業者の営業税軽減の要求に使われました。「民力休養」とは当時の国民1/4の「持てる者」の要求だった、と本書は指摘します。「経費節減」は「民力休養」よりも長期にわたって日本政治の対立軸の一つになり、保守政党に対する自由主義(リベラル)政党の一貫した財政方針として、昭和初期の二大政党時代に継承されました。本書は、2009年の政権交代時に民主党が掲げた「事業仕分け」は、1890年に「民党」が掲げた「経費節減」論の継承だった、と評価します。こうした「リベラル派」の「経費節減・民力休養」と対立してきたのは、「保守派」の「富国強兵」もしくは「積極主義」で、両者は相容れないものだった、と本書は指摘します。

 この「保守派」と「リベラル派」の対立構造が大きく変わったのは1929年に始まった世界恐慌で、アメリカ合衆国では「リベラル派」が「積極財政」に転換して「大きな政府」を目指すようになった一方で、「保守派」が「小さな政府」を志向するようになります。一方で本書は、日本の「リベラル派」の民政党は、世界恐慌下にあっても健全財政論を固辞し続けた、と指摘します。日本の「リベラル派」は大恐慌に苦しむ労働者や小作農の救済に冷淡だった、というわけです。民政党には労働組合法の制定に務めた者もいましたが、失業保険制度の導入には正面から反対しました。一方、1900年の結党以来「積極財政」を主張し続けてきた「保守」政党の政友会は、超積極財政により不況脱出に成功しましたが、労働者や小作農への「分配」には無関心で、「成長」の余滴はやがて「分配」にも廻る、という態度でした【本書では明示されていませんが、現在の「トリクルダウン理論」に通ずる、と言えるでしょうか】。

 本書の問題設定のうち外交問題については正直なところ、2010年代との対比にあまり成功しているようには思えませんでした。本書でも指摘されているように、日中の力関係が当時と現代とでは大きく異なりますし、当時のイギリスに喩えられているアメリカ合衆国は、中国との対決姿勢を強めています。もっとも、本書執筆時期には米中対立は2022年時点ほど激化していませんでしたが、門外漢の私でさえ、2015年頃にはアメリカ合衆国の政界において中国への警戒感が高まっている、との記事を少なからず読んでいた記憶があります。一方、「民力休養」と「格差是正」の問題は2010年代にも深刻で、日本社会における「経費節減」論への支持の根強さの背景として、近代の政治社会状況の検証が改めて必要だと思います。現在の日本維新の会への高い支持も、底の浅い一過性のものではなく、根深いものがありそうです。

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