遠オセアニア西部現代人の遺伝的構造
遠オセアニア(リモートオセアニア)西部現代人の遺伝的構造に関する研究(Arauna et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。バヌアツ諸島は、3000年前頃となる無人地への最も広範なヒトの移住の一つにおける、遠オセアニア(リモートオセアニア)への入口として機能しました。古代DNA研究は、アジア東部関連の人々による最初の居住と、そのすぐ後に続くパプア人関連の人々の到来による、大きな人口置換を示唆しています。しかし、現在世界で最も言語および文化的多様性を示すバヌアツ現地人(ni-Vanuatu)のゲノム多様性を形成した、人口過程と社会文化的要因については、不確実性があります。
本論文は、287組の夫婦を含む、異なる29島の現代のバヌアツ現地人につい新たなゲノム規模データを報告します。その結果、バヌアツ現地人は同じ供給源人口集団のアジア東部人およびパプア人関連祖先系統に由来し、2300~1700年前頃に起きた比較的同時で性差のある混合事象の子孫だったと分かり、バヌアツ諸島全体で共通の移住史が示唆されます。しかし、アジア東部関連祖先系統の割合は島により著しく異なっており、パプア人関連人口集団による置換が地理的に不均一だったことを示唆します。
さらに本論文は、ポリネシア語話者と非ポリネシア語話者人口集団両方における、バヌアツ中央部および北部へと1000~600年前頃に到来したパプア人祖先系統を検出します。最後に本論文は、近親者との配偶を避ける場合の、類似の祖先系統を有する配偶者の傾向の証拠を提供します。この兆候は、特定の遺伝子座もしくは特徴と関連する多様体の強い遺伝的影響により駆動されているではなく、代わりに社会的な近縁配偶から生じる、と示唆されます。まとめると、これらの調査結果は、バヌアツ現地人集団の遺伝的歴史と、どのように社会文化的過程がそのゲノムの多様性を形成したのか、ということ両方への洞察を提供します。
●研究史
遠オセアニア西部に位置するバヌアツ諸島は、太平洋の移住史の理解に重要な地域です。バヌアツの文化・人類学・遺伝学的多様性は、人口移動の異なる3段階を反映しています。最初の移動は、5000年前頃に現在の台湾から始まり、オーストロネシア語族の近オセアニア(ニアオセアニア)および遠オセアニアへの拡大と関連していました(関連記事)。いわゆるオーストロネシア語族の拡大は、よく特徴づけられているラピタ(Lapita)文化複合の出現につながり、それはビスマルク諸島で発展し、バヌアツには3000年前頃に到達しました。形態計測および古代DNA研究では、バヌアツのラピタ文化の人々はアジア東部関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有している、と示唆されており、オーストロネシア語族の拡大とのつながりが裏づけられます(関連記事)。
第二の移動はラピタ文化期の後の2500年前頃に起き、ビスマルク諸島現代人と祖先系統を共有している、パプア人関連の人々の到来を伴いました。古代DNA研究では、これらの移住が、最初の遠オセアニア人で観察されたアジア東部関連祖先系統から第二の移動以降顕著な影響を保持してきたパプア人関連祖先系統への、遺伝的祖先系統の劇的な変化を引き起こした、と示されました(関連記事)。最後に、バヌアツの「ポリネシア人外れ値」、つまりポリネシア三角形外のポリネシア諸語話者は、ポリネシアから遠オセアニア西部への移民の子孫と仮定されてきており、これは最近の遺伝学的裏づけ(関連記事)を得たモデルです。
古代DNA研究はバヌアツ現地人が少なくとも3祖先集団の子孫であることを明らかにしてきましたが(関連記事1および関連記事2)、その植民過程がバヌアツ諸島の複数の島々にわたって均一だったかどうかは、未解決の問題です。古代DNAデータから、2500年前頃のバヌアツ中央部および南部の個体群は、アジア東部関連祖先系統の割合が大きく異なる、と示唆されており、これは地理的に不均一だった独特な人口置換か、島々全体のさまざまな人口集団間の別々の混合事象を示唆します。さらに、バヌアツは1人当たりの言語数が世界最大の国で、最初の定住以来言語が急速に多様化した、および/もしくは新集団のバヌアツ諸島への到来がさらに言語の多様性を増加させた、との見解を裏づけます。それにも関わらず、これらの問題は解決困難で、それは、これまでこの地域の利用可能な古代人および現代人のDNAデータが少なかったからです。
この研究は、遠オセアニア西部の植民についての以下の中心的な問題に対処するため、現代のバヌアツ現地人1433個体のゲノム規模データを生成し、その微細な遺伝的構造を評価しました。現代のバヌアツ現地人は全員、その祖先系統が3人口集団にのみ由来しますか?これら3祖先集団の寄与は、バヌアツ諸島全体で異なっていましたか?パプア人関連祖先系統へのラピタ文化後の移行は、島々で不均一でしたか?さらに、バヌアツの最近の植民により、社会文化的慣行が性差や混合や血縁回避や作為配偶の形態で過去3000年間のヒトの遺伝的多様性をどのように形成してきたのか、研究が可能となります。したがって、この研究は、287組の夫婦を含む提示された人口集団のゲノムデータ包括的な一式を用いて、多様な祖先集団の子孫である人口集団の遺伝的歴史と関連する、これらの重要な問題に答えます。混合には性差がありましたか?混合は言語移行を伴っていましたか?社会文化的構造は配偶に影響を及ぼしましたか?居住規則と都市化はヒトの遺伝的構造に影響を及ぼす可能性がありますか?
●バヌアツ現地人の遺伝的差異は空間的に構造化されています
バヌアツ現地人の遺伝的構造を解明するため、2003~2005年に現代人から4000点超の血液標本が収集され、これらの標本抽出された個体から1433個体が選択され、235万8955ヶ所の一塩基多型(SNP)で遺伝子型決定されました。179点の高網羅率全ゲノム配列決定データと統合し、173点の低品質もしくは重複した標本を除外した後に、合計でバヌアツ現地人1439個体の標本がその後の分析に含められ、その中には29ヶ所の島の179ヶ所の異なる村に住む522人の男性と917人の女性が含まれています(図1A)。以下は本論文の図1です。
主成分分析(PCA)とADMIXTURE分析から、現在のバヌアツ現地人はアジア東部人関連とパプア人関連の人口集団間の遺伝的勾配に位置している、と示唆され(図1B)、その祖先系統がこれら2人口集団に由来する、との見解が裏づけられます。バヌアツの古代人標本を投影すると、ラピタ文化期個体群は現在のアジア東部人関連人口集団とより高い類似性を示すのに対して、ラピタ文化期の後の個体群はパプア人関連人口集団とより近く、ラピタ文化期の後に起きたパプア人関連人口集団の置換と一致する(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、と分かりました。さらに、現在のバヌアツ現地人はビスマルク諸島の個体群と高い類似性を示しており、そのパプア人関連の祖先はビスマルク諸島に起源がある、との仮説と一致します(関連記事)。
しかし、本論文で提示されたデータセットの広い地理的範囲により、バヌアツ現地人の島民間のかなりの遺伝的下部構造を明らかにできました。PCAでは、バヌアツの古代と現代の個体群の遺伝的差異が、大まかに地理を反映している、2つの連続しているものの異なる集団により説明される、と示されます(図1C)。ADMIXTUREにより最も支持される祖先系統構成要素数(K=9)を考慮すると、さまざまな島の人口集団もさまざまな祖先系統構成要素を示します。これらの結果から、現在のバヌアツ現地人における遺伝的差異は構造化されている、と明らかにされます。それは、入植期におけるさまざまな混合史、および/もしくはビスマルク諸島の入植後に形成された遺伝子流動への障壁の存在から生じたかもしれません。
バヌアツ現地人の遺伝的歴史への洞察をさらに得るため、ChromoPainterおよびfineSTRUCTURE(関連記事)を用いて、次に詳細な遺伝的構造が評価されました。ハプロタイプに基づくクラスタ化は、エピ島とトンガ諸島を隔てる海峡の南北に住むバヌアツ現地人の間での最初の分離を明らかにします(KFS=2)。KFS=4でのバヌアツの人口集団は、本論文でバンクス諸島およびトーレス諸島と呼ばれるクラスタ(まとまり)、北東部クラスタ、北西部クラスタ、中央部および南部クラスタに分かれ、一般的にバヌアツ諸島において話されているオセアニア諸語の分類と一致します。
注目すべきは、ペンテコスト島の北部と南部の個体群がさまざまな近隣の島々の個体群とクラスタ化することで、海洋が必ずしもこの地域における遺伝子流動への障壁として機能しなかったことを示唆しており、島々の間の文化網を明らかにする言語学および民族誌的データと一致します。同様にアンバエ島では、北西部と南部の住民が別々にクラスタ化しており(図2A)、アンバエ島のカルデラの断続的な火山活動がこの地域の遺伝子流動に影響を及ぼしてきた、と示唆されます。KFS=20、つまり統計的堅牢性が最大値のままの最大のKFSでは、遺伝的クラスタは島固有であることが多い、と分かりました(図2A)。これらの観察から、fineSTRUCTUREにより推測されたクラスタは、遺伝子流動への予測される地理的および言語的障壁を反映しているので信用できる、と示唆されます。
●パプア人関連祖先系統へのラピタ文化期後の移行は地理的に不均一でした
fineSTRUCTUREではアジア東部人関連祖先系統の割合に重要な違いが検出されました。つまり、台湾およびフィリピンあるいはポリネシアの現代の人口集団と関連する祖先系統です(図2C)。バヌアツ諸島の各クラスタのアジア東部人関連祖先系統は、北部(マレクラ島やアンブリム島やエピ島など)において最低で、「ポリネシア人の外れ値」共同体が今も中央部および南部クラスタ、つまりエファテ島のメレ(Mele)とイメレ(Imere)、エマエ島のマカテア(Makatea)とトンガメア(Tongamea)とヴァィティニ(Vaitini)、トンガおよびイフィラ諸島において最高と分かりました。それにも関わらず、アジア東部人関連祖先系統は、アンバエ島のようなポリネシア人祖先系統が低い島々でも高く、アジア東部人関連祖先系統における違いは、単にポリネシア人祖先系統の違いに起因するわけではない、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
アジア東部人関連祖先系統における違いが、地理的に不均一な祖先系統置換に起因するのか、あるいはさまざまな人口集団間の混合事象に由来するのかどうか評価するため、各遺伝的クラスタで別々に混合が年代測定されました。ポリネシア人の移住と関連するより最近の事象を除いて、全ての推定値は2300~1700年前頃の範囲となる同じ期間で重複しており、全てのバヌアツ現地人は同じ混合史を共有している、と示唆されます。
この仮説をより公式に検証するため、現在のバヌアツ現地人の有するパプア人関連祖先系統が単一の供給源に由来するのかどうか、評価されました。PCAとf4統計(検証対象X、ニューギニア高地人;ソロモン諸島もしくはビスマルク諸島人、アジア東部人)から、バヌアツ現地人はビスマルク諸島人もしくはニューギニア人もしくはソロモン諸人と類似の遺伝的関連性を示す、と示唆され、古代DNAデータと一致します(関連記事)。さらに、ハプロタイプに基づくSOURCEFIND手法では、ビスマルク諸島人の同じクラスタは、全てのバヌアツ現地人に最も寄与した供給源である、と検出されました。
注目すべきことに、SOURCEFINDは全てのバヌアツ現地人クラスタにおいて、ニューギニア高地人およびサンタクルーズ諸島人からのわずかな寄与も検出しており、これはポリネシア人祖先系統と負に相関し、おそらくはポリネシア人の供給源人口集団がいくらかのパプア人関連祖先系統を捕獲したからです。まとめると、これらの調査結果から、バヌアツ現地人はパプア人関連祖先系統とアジア東部人関連祖先系統の同じ供給源間の比較的同時期の混合事象の子孫であるものの、その割合は島々で顕著に異なっており、2500年前頃に始まった劇的なパプア人関連祖先系統への移行は地理的に不均一だった、と示唆されます。
●ポリネシア人の移住は必ずしも言語変化を引き起こしませんでした
混合割合と年代の推定値から、バヌアツ現地人の祖先系統は部分的に第三およびもっと最近のポリネシアからの移住に由来する、と示唆されます(図2B~D)。メレおよびイメレ(エファテ島)と、マカテアおよびトンガ諸島とヴァィティニ(エマエ島)において支配的な遺伝的クラスタでは、ポリネシア語が現在話されているイフィラおよびフツナ島と同様に、混合事象が1000~600年前頃と推定されます。これらのクラスタはより高い割合のポリネシア人祖先系統を示すので、バンクス諸島やトレス諸島や北部バヌアツクラスタと比較して、アジア東部人関連祖先系統の割合が高くなります(図2Dおよび図3)。
バヌアツ現地人のポリネシア諸語話者は、非ポリネシア諸語話者と比較して、アジア東部人祖先系統に対してより高いポリネシア人祖先系統の割合を示します。さらに、f4統計(検証対象X、アジア東部人;トンガ人、ニューギニア高地人)では、エファテ島とイフィラ諸島とエマエ島のバヌアツ現地人は、他のバヌアツ現地人よりもポリネシア人と多くのアレル(対立遺伝子)を共有する、と示唆されます。以下は本論文の図3です。
興味深いことに、本論文の分析では、ポリネシア人祖先系統はポリネシア諸語が話されているバヌアツ諸島に限定されていることも明らかになりました。バヌアツ中央部および南部クラスタとバンクスおよびトレス諸島クラスタに分類される非ポリネア諸語話者人口集団も、バヌアツ北東部および北西部クラスタと比較して、アジア東部祖先系統に対するポリネシア人祖先系統のより高い割合を示します(図2D)。さらに、推定された混合年代は、ポリネシア諸語を話しているか否かに関わらず、バヌアツ中央部および南部クラスタの集団間では類似しています(図2B)。これらの結果が裏づける見解は、ポリネシア人の移住は、バヌアツ諸島間のその後の接触、もしくはソロモン諸島の「ポリネシア人外れ値」との接触も、非ポリネシア諸語話者集団の間にポリネシア人祖先系統をもたらした、というものです。
逆に、エピ島とトンゴア島との間の地理的近さにも関わらず、エピ島住民を含むバヌアツ北部クラスタに分類される個体群における、ポリネシア人との混合の証拠は見つかりませんでした。注目すべきことに、ADMIXTURE分析とPCAとfineSTRUCTURE分析は、バヌアツ現地人を南北の人口集団に分離し、両者の境界はエピ島とトンゴア島の間に位置します(図1Cおよび図2A)。両島を分離する境界は現在、クワエ(Kuwae)カルデラに位置しており、その火山活動は、遺伝子流動への障壁として機能した可能性があり、および/もしくは距離のパターンによる孤立を混乱させる大規模な人口移動を引き起こしたかもしれません。まとめると、これらの結果から、1000年前頃以降、ポリネシア人はバヌアツへと移住し、そこで在来の人口集団と混合し、そうした相互作用は必ずしもポリネシア諸語への移行をもたらさなかった、と明らかになります。
●ヨーロッパ人の植民地化の限定的な遺伝的影響
本論文の遺伝的データから、バヌアツ現地人とヨーロッパ人との間の混合は稀だったか、バヌアツにはほとんど子孫が残っていない、と示唆されます。合計で1439個体のうちわずか28個体(1.95%)が、1%以上のヨーロッパ人からの遺伝的寄与を示します。最高のヨーロッパ人祖先系統を有する2つのfineSTRUCTUREのクラスタは、過去120年間の混合事象を示します(図2B)。同様に、ヨーロッパ人祖先系統を1%以上有する他の3クラスタは、過去200年間に起きた混合の波を示します。これらの結果は歴史の記録と一致します。初期には、つかの間のヨーロッパ人とバヌアツ現地人との接触が1606年に始まり、その後、航海探検が1768年と1774年と1809年に記録されていますが、接触がより一般的になったのは1829年以後で、その頃にキリスト教宣教師とヨーロッパ人の入植者がバヌアツ諸島に定住し、ヨーロッパ人入植者とバヌアツ現地人との間の最初の結婚が報告されました。
●バヌアツにおける遺伝的混合には性差がありました
遺伝学的研究では、ビスマルク諸島から遠オセアニアへのパプア人関連の移住は男性に偏っていた、と示唆されています。それは、現在のバヌアツの、現代ポリネシア人および古代の個体群は常染色体と比較してX染色体上でより低い割合のパプア人関連祖先系統を示すからです。現在のバヌアツ現地人の祖先間の混合に性差があったことを確証するため、局所的な祖先系統推定を用いて、パプア人関連祖先系統とアジア東部人関連祖先系統が、各染色体で別々に推定されました。
その結果、パプア人関連祖先系統の割合はじっさい、常染色体と比較してX染色体で有意に低く(図4A)、古代DNAの結果と一致します。これらの値は、ポリネシア諸語話者と非ポリネシア諸語話者との間で類似しており、ポリネシアからの最近の移住により説明されない、と示唆されます。バヌアツ現地人179個体の部分集合からの高網羅率のゲノム配列を用いてこの結果が再現され、本論文の結果においてSNP確認法に起因する偏りはない、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
混合割合が均衡値に達したと仮定すると、バヌアツ現地人へのパプア人関連男性の遺伝的寄与は、パプア人関連の女性より27%高い、と推定されました。したがって、バヌアツ現地人のY染色体はおもに近オセアニアにおいて高頻度で見つかるハプログループ、たとえばM1a3b2が支配的で、一方ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、アジア東部において一般的に見られるハプログループ(B4a1a1やE1a2a4など)の高い割合を示します(図4B)。まとめると、これらの結果は、バヌアツ現地人の祖先系統はおもにパプア人関連の男性とアジア東部人関連の女性との間の混合の結果である、という見解を裏づけます。
●最近の移住は居住方式と都市化の影響を受けています
現在のバヌアツ現地人の遺伝的構造は、バヌアツ諸島の定住以来文化的に発展した社会文化的慣行(社会的つながり、交換、結婚方式など)の反映も予測されています。本論文は、高解像度の遺伝的データを用いて、バヌアツ諸島間の最近の移住(島に住んでいるものの、別の島で優勢な遺伝的クラスタに属する個体により示唆されます)が推測され、これらの移住がおもに、それぞれ父方もしくは母方居住と一致する、女性と男性のどちらを含んでいたのか、決定されました。
その結果、標本抽出された個体のうち5.70%(54個体)が大きな地理的規模(KFS=4)で移動した一方で、局所的規模(KFS=20)では11.81%(112個体)が移動した、と分かりました。これは、より近い島々の間でのより多い遺伝的つながりを示唆します。父方居住および/もしくは女性族外婚下で予測されるように、女性の局所的な移動性は男性よりも高い、と推定されました。4地域(KFS=4)間の移動を考慮し、分析をデータセットに含められた男女夫婦の報告された出生地に限定した場合、同じ傾向がより幅広い地域で観察されました。とくに、標本抽出された個体の出生地と居住地の比較は、女性に偏った移住を裏づけず、おそらくは自己申告の出生地の偏りを示唆しています。これは、女性がその父親もしくは母親の出生地でなく、夫もしくは子供の出生地を報告するか、他のより複雑なパターン下の場合に起きるかもしれません。
推定される移動の方向も調べられ、男女両方の移動が、おもに最北端と最南端の島々からバヌアツ諸島の中心部へと起きていた、と示唆されました(図4C)。バヌアツ諸島の中心部では、最大の都市であるポートビラ(Port Vila)が発展しています。移動はバヌアツ北部の島々でも一般的で、この地域における文化的および物質的交換の長距離網と一致します。したがって、本論文のゲノムデータは、居住方式と都市化を含む、バヌアツ現地人の最近の歴史を特徴づける、移動パターンを反映しています。
●バヌアツ現地人における族内婚の証拠はありません
ヒトの親族関係制度はひじょうに多様で、関係概念にしたがって、結婚と交換と族内婚と族外婚を規制しています。バヌアツ現地人集団の小さな人口規模を考えると、結婚と交換方式のような社会文化的特徴が遺伝的関連性の局所的水準に影響を及ぼしているのかどうか、およびどのように及ぼしているのかは、興味深い問題です。遺伝的関連性は、島々の間よりも島々の内部でより高いと分かり、距離モデルによる分離と一致します。したがって、データセットに含まれる287組の男女の夫婦のうち、78.4%は同じ島で生まれました。
遺伝的関連性は同じ村の住民間でも、同じ島の個体群と比較してより高く、局所的共同体は結婚相手の供給源である場合が多い、と示唆されます。しかし、バヌアツ現地人の間で観察された遺伝的関連性の一般的な高水準にも関わらず、夫婦間の遺伝的関連性の過剰は観察されませんでした。具体的には、全てのあり得る組み合わせから一親等の関係の個体を除外し、祖先系統における違いを調整する場合、配偶者は同じ村の個体の無作為の組み合わせよりもわずかに低い親族関係の係数を示す傾向にあります(図5A)。本論文の全標本が関連する個体に偏っていないと仮定すると、これらの結果から、族内婚は現在のバヌアツ現地人では一般的慣行ではない、と示唆され、より一般的には、人口集団は族内婚慣行の欠如において高水準の遺伝的関連性を示すことができる、と例証されます。
●バヌアツ現地人の配偶者は類似の遺伝的祖先系統を共有する傾向にあります
世界の他地域の混合人口集団の研究では、低い遺伝的関連性に加えて、配偶は社会文化的集団内で起きることが多く、それが遺伝的祖先系統と相関し得るので、配偶者は類似の遺伝的祖先系統を示す傾向にある、と示されてきました。この現象がバヌアツで観察されるのかどうか検証するため、配偶者である確率に関する地理と遺伝的関連性と遺伝的祖先系統の影響を共同で推定する、ロジスティック回帰モデルが実装されました。これらの分析では、配偶者は同じ島出身の傾向があるものの、非配偶者よりも低い親族関係の係数を示す、と確証されました(図5A)。重要なことに、パプア人関連かアジア東部人関連かポリネシア人の祖先系統を検証すると、配偶者は非配偶者よりも遺伝的祖先系統において低い違いを示す、と分かりました。これらの結果から、バヌアツ現地人は類似の遺伝的祖先系統を有する相手と結婚する傾向にある、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
これらの観察結果を説明するため、二つの仮説が提案されてきました。まず、社会的に近縁の配偶は、遺伝的祖先系統が社会文化的構造と相関し得るので、観察された兆候の根底にあるかもしれません。次に、配偶者は身体的外見など生物学的特徴を共有するので、相手を選ぶのかもしれません。これらの仮説を検証するため、ロジスティック回帰モデルに各SNPで個体間の相違を測定する用語を含めることにより、配偶者選択に役割を果たしているかもしれない、ゲノムの遺伝子座が調べられました。複数の検証を考慮すると、配偶者間の有意により低いかより高い遺伝子型類似性の統計的証拠を示すSNPはありませんでした。
多遺伝子性の特徴によって近縁配偶を検証するため、次に、関連しないSNPと比較した場合、配偶者間の遺伝子型の類似性が、身体的外見と関連する特徴の候補と関連するSNPにおいて、有意により高いのか、それともより低いのかどうか、評価されました。遺伝的構造および祖先系統と関連する近縁配偶を考慮しなかった場合(つまり、有効規模が、これらの交絡要因が含まれないモデルから推定される場合)、肥満度指数(BMI)による近縁配偶の証拠が見つかりました(図5B)。しかし、そうした交絡要因の可能性を考慮すると、特徴と関連する多様体の遺伝子型が、配偶者間で予想されるよりも似ているか、あるいは違う、という統計的証拠は見つかりませんでした。まとめると、本論文の結果は、遺伝的もしくは表現型の特徴による、配偶者選択の顕著な傾向を裏づけず、代わりに、バヌアツ現地人における祖先系統に基づく分類の原因として、社会構造により引き起こされる近縁配偶の発生を示唆します。
●考察
現代人1439個体の広範なゲノムデータセットの活用により、バヌアツ現地人は同じ祖先人口集団の混合に由来した、と本論文は示します。それは、台湾およびフィリピンに現在住んでいる集団と遺伝的類似性を共有するアジア東部人関連人口集団と、ビスマルク諸島に現在住んでいる集団と遺伝的類似性を共有しているパプア人関連人口集団です。混合はラピタ文化期後の2300~1700年前頃に起き、バヌアツ諸島全体では比較的同時期で、バヌアツ諸島全体に共通する移住史と一致します。したがって本論文の結果から、バヌアツ現地人の高い文化的多様性は、言語学と考古学と考古遺伝学的研究により提案されているように、バヌアツで発達した急速な文化的多様化から生じた、と示唆されます。
それにも関わらず、本論文の分析は、すでに最近示唆されたように(関連記事)、バヌアツ諸島がラピタ文化期の後に、アジア東部およびパプア人関連祖先系統をさまざまな水準で有している、すでに混合した集団により植民された、という可能性を除外できません。さらに要注意なのは、現代人のDNAから得られた混合年代推定値は不確実で、混合が漸進的だった場合、下方に偏っているかもしれず、バヌアツではその事例だった可能性が高い、ということです。複数の島からの追加の古代DNAの時間横断区が、バヌアツ現地人の混合史の決定的な全体像の提供に必要でしょう。
本論文の分析は、島々の間のアジア東部人関連祖先系統の割合におけるかなりの違いを明らかにします。本論文は、これらの違いがポリネシア人の移住のみに起因しないことを示しますが、それは、本論文のハプロタイプに基づく分析が、ポリネシア人によりもたらされたオーストロネシア人の拡大に寄与する祖先系統を区別できるからです。説得力のある事例はアンバエ島で、アジア東部人関連祖先系統の割合は周辺の島々より1.8倍高いものの、ポリネシア人祖先系統の割合は低くなっています。
単純な混合モデルを仮定すると、これらの調査結果から、パプア人関連の人々の到来に続く主要な人口置換は地理的に不均一で、その原因は恐らく、混合時期において、バヌアツ現地人の祖先集団がバヌアツ諸島全体でさまざまな規模だったためで、そのうち一部はアジア東部人関連集団が、他はパプア人関連集団により植民された、と示唆されます。本論文は最後に、混合には性差があった、と確証します。つまり、パプア人関連の移住がおもに男性だったか、男女両方が移住したものの、混合はパプア人関連の男性とアジア東部人関連の女性との間でより一般的だった、というわけです。
最近の考古遺伝学的研究は、エファテ島のロイマタ首長の領地(Chief Roi Mata’s Domain)の古代のバヌアツ現地人がポリネシア人との類似性を示す、と報告しており(関連記事)、これは以前に言語学的研究により仮定されていた、ポリネシアからの移住の発生を裏づけます。本論文では、バヌアツの「ポリネシア人外れ値」共同体が、ポリネシア人と在来の人口集団との間の混合人口集団の子孫だった、と確証されます。これらの混合事象は1000~600年前頃と年代測定され、考古学的記録と一致します。さらに、現在ポリネシア諸語が話されていない、マクラ(Makura)島やトンガ島やトンガリキ(Tongariki)島やタンナ(Tanna)島など、一部のバヌアツの島々へのポリネシア人の移住の遺伝的影響を地図作成することで、以前の調査結果が拡張されました。これらの結果から、バヌアツ現地人とポリネシア人来住者との間の遺伝的相互作用が、ポリネシア諸語への移行を体系的に引き起こさなかった、と示唆されます。
興味深いことに、ポリネシア人祖先系統は、トンゴア島とエピ島を隔てる海底火山であるクワエカルデラの北側では検出されません。地質学的データは、クワエ火山が1452年頃に噴火し、これまでに記録された最大量のマグマと微粒子を噴出した、と示しており、口頭伝承と言語学の証拠から、この噴火後にトンゴア島とエピ島は遠い人口集団により再居住された、と示唆されます。本論文の遺伝学的結果はこの見解を裏づけます。現在のトンゴア島とエマエ島の住民は、エピ島とマレクラ島南西部の住民と同様に、密接な遺伝的類似性を示しており、距離による孤立下で予測される漸進的な遺伝的違いとは矛盾します。現在、クワエ火山の南北に住むバヌアツ現地人は、異なる社会文化的慣行(階級化や首長政治制など)とともに2つの遺伝的集団を形成しており、この地域が遺伝的および文化的境界であり続けたことを示唆します。
バヌアツのよく定義された遺伝的歴史に基づいての構築により、遺伝的多様性が文化的慣行によりどのように形成されてきたのかも、調べられました。遺伝的関連性の水準はバヌアツ現地人で高いものの、一般的な族内婚の証拠は見つからず、この二つの過程間の頻繁な関連づけに異議を唱えます。それにも関わらず、バヌアツ現地人の配偶者が一般的に非配偶者よりも関連性が低い場合でさえ、その遺伝的祖先系統は予測よりも類似している、と本論文は示し、バヌアツの配偶が無作為でない、と示唆されます。
重要なことに、配偶者間の祖先系統の類似性は特徴と関連するSNPでは強くなく、祖先系統関連の分類は社会的構造に起因し、次にこれはアジア東部人関連および/もしくはポリネシア人祖先系統と相関しているかもしれません。他の研究は、社会文化的構造が祖先系統と高く相関している世界の地域における、祖先系統による無作為ではない配偶を示唆してきました。本論文の調査結果はそうした社会文化的分類の発生をオセアニア人まで拡張し、この現象がヒトの社会においてどれだけ一般的なのか、無作為ではない配偶はヒトの遺伝学的研究において体系的に説明されるべきかどうか、という問題を提供します。
まとめると、この研究は、特定の地理的地域にとって重要である鍵となる人類学的および進化的問題に対処するだけではなく、全体としてヒト集団の遺伝的多様性を形成する要因特定のためにも、遺伝学的研究において多様な人口集団を含める必要性を強調します。
参考文献:
Arauna LR. et al.(2022): The genomic landscape of contemporary western Remote Oceanians. Current Biology, 32, 21, 4565–4575.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.08.055
本論文は、287組の夫婦を含む、異なる29島の現代のバヌアツ現地人につい新たなゲノム規模データを報告します。その結果、バヌアツ現地人は同じ供給源人口集団のアジア東部人およびパプア人関連祖先系統に由来し、2300~1700年前頃に起きた比較的同時で性差のある混合事象の子孫だったと分かり、バヌアツ諸島全体で共通の移住史が示唆されます。しかし、アジア東部関連祖先系統の割合は島により著しく異なっており、パプア人関連人口集団による置換が地理的に不均一だったことを示唆します。
さらに本論文は、ポリネシア語話者と非ポリネシア語話者人口集団両方における、バヌアツ中央部および北部へと1000~600年前頃に到来したパプア人祖先系統を検出します。最後に本論文は、近親者との配偶を避ける場合の、類似の祖先系統を有する配偶者の傾向の証拠を提供します。この兆候は、特定の遺伝子座もしくは特徴と関連する多様体の強い遺伝的影響により駆動されているではなく、代わりに社会的な近縁配偶から生じる、と示唆されます。まとめると、これらの調査結果は、バヌアツ現地人集団の遺伝的歴史と、どのように社会文化的過程がそのゲノムの多様性を形成したのか、ということ両方への洞察を提供します。
●研究史
遠オセアニア西部に位置するバヌアツ諸島は、太平洋の移住史の理解に重要な地域です。バヌアツの文化・人類学・遺伝学的多様性は、人口移動の異なる3段階を反映しています。最初の移動は、5000年前頃に現在の台湾から始まり、オーストロネシア語族の近オセアニア(ニアオセアニア)および遠オセアニアへの拡大と関連していました(関連記事)。いわゆるオーストロネシア語族の拡大は、よく特徴づけられているラピタ(Lapita)文化複合の出現につながり、それはビスマルク諸島で発展し、バヌアツには3000年前頃に到達しました。形態計測および古代DNA研究では、バヌアツのラピタ文化の人々はアジア東部関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有している、と示唆されており、オーストロネシア語族の拡大とのつながりが裏づけられます(関連記事)。
第二の移動はラピタ文化期の後の2500年前頃に起き、ビスマルク諸島現代人と祖先系統を共有している、パプア人関連の人々の到来を伴いました。古代DNA研究では、これらの移住が、最初の遠オセアニア人で観察されたアジア東部関連祖先系統から第二の移動以降顕著な影響を保持してきたパプア人関連祖先系統への、遺伝的祖先系統の劇的な変化を引き起こした、と示されました(関連記事)。最後に、バヌアツの「ポリネシア人外れ値」、つまりポリネシア三角形外のポリネシア諸語話者は、ポリネシアから遠オセアニア西部への移民の子孫と仮定されてきており、これは最近の遺伝学的裏づけ(関連記事)を得たモデルです。
古代DNA研究はバヌアツ現地人が少なくとも3祖先集団の子孫であることを明らかにしてきましたが(関連記事1および関連記事2)、その植民過程がバヌアツ諸島の複数の島々にわたって均一だったかどうかは、未解決の問題です。古代DNAデータから、2500年前頃のバヌアツ中央部および南部の個体群は、アジア東部関連祖先系統の割合が大きく異なる、と示唆されており、これは地理的に不均一だった独特な人口置換か、島々全体のさまざまな人口集団間の別々の混合事象を示唆します。さらに、バヌアツは1人当たりの言語数が世界最大の国で、最初の定住以来言語が急速に多様化した、および/もしくは新集団のバヌアツ諸島への到来がさらに言語の多様性を増加させた、との見解を裏づけます。それにも関わらず、これらの問題は解決困難で、それは、これまでこの地域の利用可能な古代人および現代人のDNAデータが少なかったからです。
この研究は、遠オセアニア西部の植民についての以下の中心的な問題に対処するため、現代のバヌアツ現地人1433個体のゲノム規模データを生成し、その微細な遺伝的構造を評価しました。現代のバヌアツ現地人は全員、その祖先系統が3人口集団にのみ由来しますか?これら3祖先集団の寄与は、バヌアツ諸島全体で異なっていましたか?パプア人関連祖先系統へのラピタ文化後の移行は、島々で不均一でしたか?さらに、バヌアツの最近の植民により、社会文化的慣行が性差や混合や血縁回避や作為配偶の形態で過去3000年間のヒトの遺伝的多様性をどのように形成してきたのか、研究が可能となります。したがって、この研究は、287組の夫婦を含む提示された人口集団のゲノムデータ包括的な一式を用いて、多様な祖先集団の子孫である人口集団の遺伝的歴史と関連する、これらの重要な問題に答えます。混合には性差がありましたか?混合は言語移行を伴っていましたか?社会文化的構造は配偶に影響を及ぼしましたか?居住規則と都市化はヒトの遺伝的構造に影響を及ぼす可能性がありますか?
●バヌアツ現地人の遺伝的差異は空間的に構造化されています
バヌアツ現地人の遺伝的構造を解明するため、2003~2005年に現代人から4000点超の血液標本が収集され、これらの標本抽出された個体から1433個体が選択され、235万8955ヶ所の一塩基多型(SNP)で遺伝子型決定されました。179点の高網羅率全ゲノム配列決定データと統合し、173点の低品質もしくは重複した標本を除外した後に、合計でバヌアツ現地人1439個体の標本がその後の分析に含められ、その中には29ヶ所の島の179ヶ所の異なる村に住む522人の男性と917人の女性が含まれています(図1A)。以下は本論文の図1です。
主成分分析(PCA)とADMIXTURE分析から、現在のバヌアツ現地人はアジア東部人関連とパプア人関連の人口集団間の遺伝的勾配に位置している、と示唆され(図1B)、その祖先系統がこれら2人口集団に由来する、との見解が裏づけられます。バヌアツの古代人標本を投影すると、ラピタ文化期個体群は現在のアジア東部人関連人口集団とより高い類似性を示すのに対して、ラピタ文化期の後の個体群はパプア人関連人口集団とより近く、ラピタ文化期の後に起きたパプア人関連人口集団の置換と一致する(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、と分かりました。さらに、現在のバヌアツ現地人はビスマルク諸島の個体群と高い類似性を示しており、そのパプア人関連の祖先はビスマルク諸島に起源がある、との仮説と一致します(関連記事)。
しかし、本論文で提示されたデータセットの広い地理的範囲により、バヌアツ現地人の島民間のかなりの遺伝的下部構造を明らかにできました。PCAでは、バヌアツの古代と現代の個体群の遺伝的差異が、大まかに地理を反映している、2つの連続しているものの異なる集団により説明される、と示されます(図1C)。ADMIXTUREにより最も支持される祖先系統構成要素数(K=9)を考慮すると、さまざまな島の人口集団もさまざまな祖先系統構成要素を示します。これらの結果から、現在のバヌアツ現地人における遺伝的差異は構造化されている、と明らかにされます。それは、入植期におけるさまざまな混合史、および/もしくはビスマルク諸島の入植後に形成された遺伝子流動への障壁の存在から生じたかもしれません。
バヌアツ現地人の遺伝的歴史への洞察をさらに得るため、ChromoPainterおよびfineSTRUCTURE(関連記事)を用いて、次に詳細な遺伝的構造が評価されました。ハプロタイプに基づくクラスタ化は、エピ島とトンガ諸島を隔てる海峡の南北に住むバヌアツ現地人の間での最初の分離を明らかにします(KFS=2)。KFS=4でのバヌアツの人口集団は、本論文でバンクス諸島およびトーレス諸島と呼ばれるクラスタ(まとまり)、北東部クラスタ、北西部クラスタ、中央部および南部クラスタに分かれ、一般的にバヌアツ諸島において話されているオセアニア諸語の分類と一致します。
注目すべきは、ペンテコスト島の北部と南部の個体群がさまざまな近隣の島々の個体群とクラスタ化することで、海洋が必ずしもこの地域における遺伝子流動への障壁として機能しなかったことを示唆しており、島々の間の文化網を明らかにする言語学および民族誌的データと一致します。同様にアンバエ島では、北西部と南部の住民が別々にクラスタ化しており(図2A)、アンバエ島のカルデラの断続的な火山活動がこの地域の遺伝子流動に影響を及ぼしてきた、と示唆されます。KFS=20、つまり統計的堅牢性が最大値のままの最大のKFSでは、遺伝的クラスタは島固有であることが多い、と分かりました(図2A)。これらの観察から、fineSTRUCTUREにより推測されたクラスタは、遺伝子流動への予測される地理的および言語的障壁を反映しているので信用できる、と示唆されます。
●パプア人関連祖先系統へのラピタ文化期後の移行は地理的に不均一でした
fineSTRUCTUREではアジア東部人関連祖先系統の割合に重要な違いが検出されました。つまり、台湾およびフィリピンあるいはポリネシアの現代の人口集団と関連する祖先系統です(図2C)。バヌアツ諸島の各クラスタのアジア東部人関連祖先系統は、北部(マレクラ島やアンブリム島やエピ島など)において最低で、「ポリネシア人の外れ値」共同体が今も中央部および南部クラスタ、つまりエファテ島のメレ(Mele)とイメレ(Imere)、エマエ島のマカテア(Makatea)とトンガメア(Tongamea)とヴァィティニ(Vaitini)、トンガおよびイフィラ諸島において最高と分かりました。それにも関わらず、アジア東部人関連祖先系統は、アンバエ島のようなポリネシア人祖先系統が低い島々でも高く、アジア東部人関連祖先系統における違いは、単にポリネシア人祖先系統の違いに起因するわけではない、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
アジア東部人関連祖先系統における違いが、地理的に不均一な祖先系統置換に起因するのか、あるいはさまざまな人口集団間の混合事象に由来するのかどうか評価するため、各遺伝的クラスタで別々に混合が年代測定されました。ポリネシア人の移住と関連するより最近の事象を除いて、全ての推定値は2300~1700年前頃の範囲となる同じ期間で重複しており、全てのバヌアツ現地人は同じ混合史を共有している、と示唆されます。
この仮説をより公式に検証するため、現在のバヌアツ現地人の有するパプア人関連祖先系統が単一の供給源に由来するのかどうか、評価されました。PCAとf4統計(検証対象X、ニューギニア高地人;ソロモン諸島もしくはビスマルク諸島人、アジア東部人)から、バヌアツ現地人はビスマルク諸島人もしくはニューギニア人もしくはソロモン諸人と類似の遺伝的関連性を示す、と示唆され、古代DNAデータと一致します(関連記事)。さらに、ハプロタイプに基づくSOURCEFIND手法では、ビスマルク諸島人の同じクラスタは、全てのバヌアツ現地人に最も寄与した供給源である、と検出されました。
注目すべきことに、SOURCEFINDは全てのバヌアツ現地人クラスタにおいて、ニューギニア高地人およびサンタクルーズ諸島人からのわずかな寄与も検出しており、これはポリネシア人祖先系統と負に相関し、おそらくはポリネシア人の供給源人口集団がいくらかのパプア人関連祖先系統を捕獲したからです。まとめると、これらの調査結果から、バヌアツ現地人はパプア人関連祖先系統とアジア東部人関連祖先系統の同じ供給源間の比較的同時期の混合事象の子孫であるものの、その割合は島々で顕著に異なっており、2500年前頃に始まった劇的なパプア人関連祖先系統への移行は地理的に不均一だった、と示唆されます。
●ポリネシア人の移住は必ずしも言語変化を引き起こしませんでした
混合割合と年代の推定値から、バヌアツ現地人の祖先系統は部分的に第三およびもっと最近のポリネシアからの移住に由来する、と示唆されます(図2B~D)。メレおよびイメレ(エファテ島)と、マカテアおよびトンガ諸島とヴァィティニ(エマエ島)において支配的な遺伝的クラスタでは、ポリネシア語が現在話されているイフィラおよびフツナ島と同様に、混合事象が1000~600年前頃と推定されます。これらのクラスタはより高い割合のポリネシア人祖先系統を示すので、バンクス諸島やトレス諸島や北部バヌアツクラスタと比較して、アジア東部人関連祖先系統の割合が高くなります(図2Dおよび図3)。
バヌアツ現地人のポリネシア諸語話者は、非ポリネシア諸語話者と比較して、アジア東部人祖先系統に対してより高いポリネシア人祖先系統の割合を示します。さらに、f4統計(検証対象X、アジア東部人;トンガ人、ニューギニア高地人)では、エファテ島とイフィラ諸島とエマエ島のバヌアツ現地人は、他のバヌアツ現地人よりもポリネシア人と多くのアレル(対立遺伝子)を共有する、と示唆されます。以下は本論文の図3です。
興味深いことに、本論文の分析では、ポリネシア人祖先系統はポリネシア諸語が話されているバヌアツ諸島に限定されていることも明らかになりました。バヌアツ中央部および南部クラスタとバンクスおよびトレス諸島クラスタに分類される非ポリネア諸語話者人口集団も、バヌアツ北東部および北西部クラスタと比較して、アジア東部祖先系統に対するポリネシア人祖先系統のより高い割合を示します(図2D)。さらに、推定された混合年代は、ポリネシア諸語を話しているか否かに関わらず、バヌアツ中央部および南部クラスタの集団間では類似しています(図2B)。これらの結果が裏づける見解は、ポリネシア人の移住は、バヌアツ諸島間のその後の接触、もしくはソロモン諸島の「ポリネシア人外れ値」との接触も、非ポリネシア諸語話者集団の間にポリネシア人祖先系統をもたらした、というものです。
逆に、エピ島とトンゴア島との間の地理的近さにも関わらず、エピ島住民を含むバヌアツ北部クラスタに分類される個体群における、ポリネシア人との混合の証拠は見つかりませんでした。注目すべきことに、ADMIXTURE分析とPCAとfineSTRUCTURE分析は、バヌアツ現地人を南北の人口集団に分離し、両者の境界はエピ島とトンゴア島の間に位置します(図1Cおよび図2A)。両島を分離する境界は現在、クワエ(Kuwae)カルデラに位置しており、その火山活動は、遺伝子流動への障壁として機能した可能性があり、および/もしくは距離のパターンによる孤立を混乱させる大規模な人口移動を引き起こしたかもしれません。まとめると、これらの結果から、1000年前頃以降、ポリネシア人はバヌアツへと移住し、そこで在来の人口集団と混合し、そうした相互作用は必ずしもポリネシア諸語への移行をもたらさなかった、と明らかになります。
●ヨーロッパ人の植民地化の限定的な遺伝的影響
本論文の遺伝的データから、バヌアツ現地人とヨーロッパ人との間の混合は稀だったか、バヌアツにはほとんど子孫が残っていない、と示唆されます。合計で1439個体のうちわずか28個体(1.95%)が、1%以上のヨーロッパ人からの遺伝的寄与を示します。最高のヨーロッパ人祖先系統を有する2つのfineSTRUCTUREのクラスタは、過去120年間の混合事象を示します(図2B)。同様に、ヨーロッパ人祖先系統を1%以上有する他の3クラスタは、過去200年間に起きた混合の波を示します。これらの結果は歴史の記録と一致します。初期には、つかの間のヨーロッパ人とバヌアツ現地人との接触が1606年に始まり、その後、航海探検が1768年と1774年と1809年に記録されていますが、接触がより一般的になったのは1829年以後で、その頃にキリスト教宣教師とヨーロッパ人の入植者がバヌアツ諸島に定住し、ヨーロッパ人入植者とバヌアツ現地人との間の最初の結婚が報告されました。
●バヌアツにおける遺伝的混合には性差がありました
遺伝学的研究では、ビスマルク諸島から遠オセアニアへのパプア人関連の移住は男性に偏っていた、と示唆されています。それは、現在のバヌアツの、現代ポリネシア人および古代の個体群は常染色体と比較してX染色体上でより低い割合のパプア人関連祖先系統を示すからです。現在のバヌアツ現地人の祖先間の混合に性差があったことを確証するため、局所的な祖先系統推定を用いて、パプア人関連祖先系統とアジア東部人関連祖先系統が、各染色体で別々に推定されました。
その結果、パプア人関連祖先系統の割合はじっさい、常染色体と比較してX染色体で有意に低く(図4A)、古代DNAの結果と一致します。これらの値は、ポリネシア諸語話者と非ポリネシア諸語話者との間で類似しており、ポリネシアからの最近の移住により説明されない、と示唆されます。バヌアツ現地人179個体の部分集合からの高網羅率のゲノム配列を用いてこの結果が再現され、本論文の結果においてSNP確認法に起因する偏りはない、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
混合割合が均衡値に達したと仮定すると、バヌアツ現地人へのパプア人関連男性の遺伝的寄与は、パプア人関連の女性より27%高い、と推定されました。したがって、バヌアツ現地人のY染色体はおもに近オセアニアにおいて高頻度で見つかるハプログループ、たとえばM1a3b2が支配的で、一方ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、アジア東部において一般的に見られるハプログループ(B4a1a1やE1a2a4など)の高い割合を示します(図4B)。まとめると、これらの結果は、バヌアツ現地人の祖先系統はおもにパプア人関連の男性とアジア東部人関連の女性との間の混合の結果である、という見解を裏づけます。
●最近の移住は居住方式と都市化の影響を受けています
現在のバヌアツ現地人の遺伝的構造は、バヌアツ諸島の定住以来文化的に発展した社会文化的慣行(社会的つながり、交換、結婚方式など)の反映も予測されています。本論文は、高解像度の遺伝的データを用いて、バヌアツ諸島間の最近の移住(島に住んでいるものの、別の島で優勢な遺伝的クラスタに属する個体により示唆されます)が推測され、これらの移住がおもに、それぞれ父方もしくは母方居住と一致する、女性と男性のどちらを含んでいたのか、決定されました。
その結果、標本抽出された個体のうち5.70%(54個体)が大きな地理的規模(KFS=4)で移動した一方で、局所的規模(KFS=20)では11.81%(112個体)が移動した、と分かりました。これは、より近い島々の間でのより多い遺伝的つながりを示唆します。父方居住および/もしくは女性族外婚下で予測されるように、女性の局所的な移動性は男性よりも高い、と推定されました。4地域(KFS=4)間の移動を考慮し、分析をデータセットに含められた男女夫婦の報告された出生地に限定した場合、同じ傾向がより幅広い地域で観察されました。とくに、標本抽出された個体の出生地と居住地の比較は、女性に偏った移住を裏づけず、おそらくは自己申告の出生地の偏りを示唆しています。これは、女性がその父親もしくは母親の出生地でなく、夫もしくは子供の出生地を報告するか、他のより複雑なパターン下の場合に起きるかもしれません。
推定される移動の方向も調べられ、男女両方の移動が、おもに最北端と最南端の島々からバヌアツ諸島の中心部へと起きていた、と示唆されました(図4C)。バヌアツ諸島の中心部では、最大の都市であるポートビラ(Port Vila)が発展しています。移動はバヌアツ北部の島々でも一般的で、この地域における文化的および物質的交換の長距離網と一致します。したがって、本論文のゲノムデータは、居住方式と都市化を含む、バヌアツ現地人の最近の歴史を特徴づける、移動パターンを反映しています。
●バヌアツ現地人における族内婚の証拠はありません
ヒトの親族関係制度はひじょうに多様で、関係概念にしたがって、結婚と交換と族内婚と族外婚を規制しています。バヌアツ現地人集団の小さな人口規模を考えると、結婚と交換方式のような社会文化的特徴が遺伝的関連性の局所的水準に影響を及ぼしているのかどうか、およびどのように及ぼしているのかは、興味深い問題です。遺伝的関連性は、島々の間よりも島々の内部でより高いと分かり、距離モデルによる分離と一致します。したがって、データセットに含まれる287組の男女の夫婦のうち、78.4%は同じ島で生まれました。
遺伝的関連性は同じ村の住民間でも、同じ島の個体群と比較してより高く、局所的共同体は結婚相手の供給源である場合が多い、と示唆されます。しかし、バヌアツ現地人の間で観察された遺伝的関連性の一般的な高水準にも関わらず、夫婦間の遺伝的関連性の過剰は観察されませんでした。具体的には、全てのあり得る組み合わせから一親等の関係の個体を除外し、祖先系統における違いを調整する場合、配偶者は同じ村の個体の無作為の組み合わせよりもわずかに低い親族関係の係数を示す傾向にあります(図5A)。本論文の全標本が関連する個体に偏っていないと仮定すると、これらの結果から、族内婚は現在のバヌアツ現地人では一般的慣行ではない、と示唆され、より一般的には、人口集団は族内婚慣行の欠如において高水準の遺伝的関連性を示すことができる、と例証されます。
●バヌアツ現地人の配偶者は類似の遺伝的祖先系統を共有する傾向にあります
世界の他地域の混合人口集団の研究では、低い遺伝的関連性に加えて、配偶は社会文化的集団内で起きることが多く、それが遺伝的祖先系統と相関し得るので、配偶者は類似の遺伝的祖先系統を示す傾向にある、と示されてきました。この現象がバヌアツで観察されるのかどうか検証するため、配偶者である確率に関する地理と遺伝的関連性と遺伝的祖先系統の影響を共同で推定する、ロジスティック回帰モデルが実装されました。これらの分析では、配偶者は同じ島出身の傾向があるものの、非配偶者よりも低い親族関係の係数を示す、と確証されました(図5A)。重要なことに、パプア人関連かアジア東部人関連かポリネシア人の祖先系統を検証すると、配偶者は非配偶者よりも遺伝的祖先系統において低い違いを示す、と分かりました。これらの結果から、バヌアツ現地人は類似の遺伝的祖先系統を有する相手と結婚する傾向にある、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
これらの観察結果を説明するため、二つの仮説が提案されてきました。まず、社会的に近縁の配偶は、遺伝的祖先系統が社会文化的構造と相関し得るので、観察された兆候の根底にあるかもしれません。次に、配偶者は身体的外見など生物学的特徴を共有するので、相手を選ぶのかもしれません。これらの仮説を検証するため、ロジスティック回帰モデルに各SNPで個体間の相違を測定する用語を含めることにより、配偶者選択に役割を果たしているかもしれない、ゲノムの遺伝子座が調べられました。複数の検証を考慮すると、配偶者間の有意により低いかより高い遺伝子型類似性の統計的証拠を示すSNPはありませんでした。
多遺伝子性の特徴によって近縁配偶を検証するため、次に、関連しないSNPと比較した場合、配偶者間の遺伝子型の類似性が、身体的外見と関連する特徴の候補と関連するSNPにおいて、有意により高いのか、それともより低いのかどうか、評価されました。遺伝的構造および祖先系統と関連する近縁配偶を考慮しなかった場合(つまり、有効規模が、これらの交絡要因が含まれないモデルから推定される場合)、肥満度指数(BMI)による近縁配偶の証拠が見つかりました(図5B)。しかし、そうした交絡要因の可能性を考慮すると、特徴と関連する多様体の遺伝子型が、配偶者間で予想されるよりも似ているか、あるいは違う、という統計的証拠は見つかりませんでした。まとめると、本論文の結果は、遺伝的もしくは表現型の特徴による、配偶者選択の顕著な傾向を裏づけず、代わりに、バヌアツ現地人における祖先系統に基づく分類の原因として、社会構造により引き起こされる近縁配偶の発生を示唆します。
●考察
現代人1439個体の広範なゲノムデータセットの活用により、バヌアツ現地人は同じ祖先人口集団の混合に由来した、と本論文は示します。それは、台湾およびフィリピンに現在住んでいる集団と遺伝的類似性を共有するアジア東部人関連人口集団と、ビスマルク諸島に現在住んでいる集団と遺伝的類似性を共有しているパプア人関連人口集団です。混合はラピタ文化期後の2300~1700年前頃に起き、バヌアツ諸島全体では比較的同時期で、バヌアツ諸島全体に共通する移住史と一致します。したがって本論文の結果から、バヌアツ現地人の高い文化的多様性は、言語学と考古学と考古遺伝学的研究により提案されているように、バヌアツで発達した急速な文化的多様化から生じた、と示唆されます。
それにも関わらず、本論文の分析は、すでに最近示唆されたように(関連記事)、バヌアツ諸島がラピタ文化期の後に、アジア東部およびパプア人関連祖先系統をさまざまな水準で有している、すでに混合した集団により植民された、という可能性を除外できません。さらに要注意なのは、現代人のDNAから得られた混合年代推定値は不確実で、混合が漸進的だった場合、下方に偏っているかもしれず、バヌアツではその事例だった可能性が高い、ということです。複数の島からの追加の古代DNAの時間横断区が、バヌアツ現地人の混合史の決定的な全体像の提供に必要でしょう。
本論文の分析は、島々の間のアジア東部人関連祖先系統の割合におけるかなりの違いを明らかにします。本論文は、これらの違いがポリネシア人の移住のみに起因しないことを示しますが、それは、本論文のハプロタイプに基づく分析が、ポリネシア人によりもたらされたオーストロネシア人の拡大に寄与する祖先系統を区別できるからです。説得力のある事例はアンバエ島で、アジア東部人関連祖先系統の割合は周辺の島々より1.8倍高いものの、ポリネシア人祖先系統の割合は低くなっています。
単純な混合モデルを仮定すると、これらの調査結果から、パプア人関連の人々の到来に続く主要な人口置換は地理的に不均一で、その原因は恐らく、混合時期において、バヌアツ現地人の祖先集団がバヌアツ諸島全体でさまざまな規模だったためで、そのうち一部はアジア東部人関連集団が、他はパプア人関連集団により植民された、と示唆されます。本論文は最後に、混合には性差があった、と確証します。つまり、パプア人関連の移住がおもに男性だったか、男女両方が移住したものの、混合はパプア人関連の男性とアジア東部人関連の女性との間でより一般的だった、というわけです。
最近の考古遺伝学的研究は、エファテ島のロイマタ首長の領地(Chief Roi Mata’s Domain)の古代のバヌアツ現地人がポリネシア人との類似性を示す、と報告しており(関連記事)、これは以前に言語学的研究により仮定されていた、ポリネシアからの移住の発生を裏づけます。本論文では、バヌアツの「ポリネシア人外れ値」共同体が、ポリネシア人と在来の人口集団との間の混合人口集団の子孫だった、と確証されます。これらの混合事象は1000~600年前頃と年代測定され、考古学的記録と一致します。さらに、現在ポリネシア諸語が話されていない、マクラ(Makura)島やトンガ島やトンガリキ(Tongariki)島やタンナ(Tanna)島など、一部のバヌアツの島々へのポリネシア人の移住の遺伝的影響を地図作成することで、以前の調査結果が拡張されました。これらの結果から、バヌアツ現地人とポリネシア人来住者との間の遺伝的相互作用が、ポリネシア諸語への移行を体系的に引き起こさなかった、と示唆されます。
興味深いことに、ポリネシア人祖先系統は、トンゴア島とエピ島を隔てる海底火山であるクワエカルデラの北側では検出されません。地質学的データは、クワエ火山が1452年頃に噴火し、これまでに記録された最大量のマグマと微粒子を噴出した、と示しており、口頭伝承と言語学の証拠から、この噴火後にトンゴア島とエピ島は遠い人口集団により再居住された、と示唆されます。本論文の遺伝学的結果はこの見解を裏づけます。現在のトンゴア島とエマエ島の住民は、エピ島とマレクラ島南西部の住民と同様に、密接な遺伝的類似性を示しており、距離による孤立下で予測される漸進的な遺伝的違いとは矛盾します。現在、クワエ火山の南北に住むバヌアツ現地人は、異なる社会文化的慣行(階級化や首長政治制など)とともに2つの遺伝的集団を形成しており、この地域が遺伝的および文化的境界であり続けたことを示唆します。
バヌアツのよく定義された遺伝的歴史に基づいての構築により、遺伝的多様性が文化的慣行によりどのように形成されてきたのかも、調べられました。遺伝的関連性の水準はバヌアツ現地人で高いものの、一般的な族内婚の証拠は見つからず、この二つの過程間の頻繁な関連づけに異議を唱えます。それにも関わらず、バヌアツ現地人の配偶者が一般的に非配偶者よりも関連性が低い場合でさえ、その遺伝的祖先系統は予測よりも類似している、と本論文は示し、バヌアツの配偶が無作為でない、と示唆されます。
重要なことに、配偶者間の祖先系統の類似性は特徴と関連するSNPでは強くなく、祖先系統関連の分類は社会的構造に起因し、次にこれはアジア東部人関連および/もしくはポリネシア人祖先系統と相関しているかもしれません。他の研究は、社会文化的構造が祖先系統と高く相関している世界の地域における、祖先系統による無作為ではない配偶を示唆してきました。本論文の調査結果はそうした社会文化的分類の発生をオセアニア人まで拡張し、この現象がヒトの社会においてどれだけ一般的なのか、無作為ではない配偶はヒトの遺伝学的研究において体系的に説明されるべきかどうか、という問題を提供します。
まとめると、この研究は、特定の地理的地域にとって重要である鍵となる人類学的および進化的問題に対処するだけではなく、全体としてヒト集団の遺伝的多様性を形成する要因特定のためにも、遺伝学的研究において多様な人口集団を含める必要性を強調します。
参考文献:
Arauna LR. et al.(2022): The genomic landscape of contemporary western Remote Oceanians. Current Biology, 32, 21, 4565–4575.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.08.055
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