井上文則『評伝 宮崎市定 天を相手にする』

 2018年7月に国書刊行会より刊行されました。著者は以前の著書『軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡』にて、ローマ帝国の変容・衰退を時代の近い漢王朝やもっと広く中華地域の変容と比較し、ローマ帝国の変容・衰退の性格を論じており(関連記事)、宮崎市定氏への傾倒が窺えましたが、東洋史専攻ではないのに宮崎氏の評伝を執筆したのには驚きました。しかし、東洋史専攻ではないだけに客観的に論じられるところもあるのかもしれません。ただ、東洋史を専攻した人々には不満の残る記述もあるかもしれません。

 宮崎氏が誰の学統を受け継いだのか、という評価について、一般的には内藤湖南氏と考えられているのかもしれません。しかし、確かに宮崎氏は内藤氏の時代区分論を継承したものの、大きな影響を受けたのは桑原隲蔵氏で、桑原氏の後継者と考えるべきである、との評価を以前に読んでいたので、宮崎氏が内藤氏ではなく桑原氏の学統を受け継いだ、との本書の評価には納得しています。そもそも、宮崎氏は内藤氏の講義を受ける機会が少なく、宮崎氏の評価も、内藤氏に対しては桑原氏よりも客観的なところがある、と本書は指摘します。

 宮崎氏と貝塚茂樹氏の関係が微妙であったことは、確か宮崎氏が論文か著書の前書かで、自分の時代区分論では「古代殷帝国」なるものが存在しては困る、と述べていたので、想像はしていましたが、本書を読むともっと私の想像以上に冷たい関係だったようにも思えます。宮崎氏には一般向け著書が少なからずあり、現在では近代日本の歴史学者としてかなり上位の知名度があるように思いますが、1950~1960年代には報道界隈や出版界にはあまり知られておらず、学界でも唯物史観全盛期にあって傍流的に見られていたようです。それは宮崎氏も自覚していたようですが、一方で、本書の副題にあるように、「天を相手にする」との自負心もあったようで、この点も含めて、本書は宮崎氏の学問と個人的魅力をよく描きだせているように思います。

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