絶滅したステラーカイギュウのゲノムとその皮膚および寒冷適応の遺伝的基盤
絶滅したステラーカイギュウ(Hydrodamalis gigas)のゲノムを報告した研究(Duc et al., 2022)が公表されました。更新世において、地球には広く多様な大型動物種がおり、マストドンやマンモスや巨大ラクダやクマや数種のネコ科が含まれます。これらの多くは後期更新世と前期完新世に突然消滅しました。したがって、これらの種に関する知識はほぼ、化石に基づく範囲と表現型の再構築から示されます。しかし、いくつかの大型動物種は完新世でもその後に消滅し、多くの場合、それはヒトの入植後の島においてでした。これらの種のいくつかはヨーロッパ人探検家により記載されるまで長く生き残り、文献にて散在した断片的な以外からは推測できなかった行動と表現型の詳細を提供しました。
最近絶滅した大型動物種にステラーカイギュウがあり、1741年にゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(Georg Wilhelm Steller)により記載され、その27年後におそらくはヒトの影響による生息地変化と乱獲の結果として絶滅しました。ステラーカイギュウの消滅は、ヒトの活動の結果としての海洋性哺乳類の史上初の絶滅とみなされており、ヒトの狩猟がある種に有する壊滅的影響の象徴的事例です。シュテラーの記載の時点で、ステラーカイギュウの範囲はすでにロシアの無人のコマンドルスキー諸島(Commander Islands)付近の浅瀬に縮小されており、そこでは約1000頭がいると報告されました(図1A)。以下は本論文の図1です。
ステラーカイギュウの成体は体長が約10m、体重が10t超に達し、身体の一部領域には脂肪が最大で10cm蓄えられていました。これにより、ステラーカイギュウはヒトの狩猟者にとって理想的な資源となり、ヒトはステラーカイギュウの肉と脂肪と皮膚を利用しました。ステラーカイギュウの皮膚は厚くて体毛がなく、ザラザラした質感で、シュテラーは「動物の皮膚よりも古いオークの木の樹皮の方と」似ている、と記載しました。ステラーカイギュウのザラザラして樹皮のような皮膚は、浅瀬の生息地への適応だったかもしれず、おそらくは氷や岩での擦過傷を防いでいます。何世紀にもわたって、博物学者は種の記載にさいして表現型のみに依拠しており、そうした特徴の遺伝的基盤を調査する機会はありませんでした。多くの他の絶滅種とは異なり、ステラーカイギュウには完全な表現型の記録があるため、それらの特徴の根底にある分子基盤の特定と理解が容易に可能です。
●分析結果と考察
この研究は、ステラーカイギュウの骨から古ゲノムデータを生成し、その独特な表現型と個体群の歴史の遺伝的基盤が調べられました。ベーリング島(Bering Island)の岸辺から回収された、放射性炭素年代で2205~1155年前頃となるステラーカイギュウ12個体の断片的な遺骸から古代DNAが抽出されました。これらのうち保存状態が最良の2頭は、ブラウンシュヴァイク自然史博物館(Braunschweig Natural History Museum)の「SNMB N51667」と、太平洋地理学研究所カムチャツカ分館(Kamchatka Branch of the Pacific Geographical Institute)の「SC16.JK045」で、網羅率はそれぞれ15.86倍と15.63倍です。残りの10頭の平均網羅率は2.78倍(1.97~3.95倍)です。これら12頭のステラーカイギュウのミトコンドリアゲノム解析の結果、異なる個体と確証されました。
回収されたステラーカイギュウのゲノムデータは、オーストラリア博物館のジュゴン(Dugong dugon)の新規組み立てゲノム概要配列(ドラフトゲノム)にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されました。ジュゴンはステラーカイギュウの最も近縁な現生分類群です。ステラーカイギュウへの系統に沿ったゲノム変化がその独特な表現型をどのように説明できるのか調べるため、4877点の相同的な(orthologous)遺伝子で構成される比較データセットが生成されました。そのために、MAKER処理経路、およびヒトとマウスとゾウのゲノムの注釈を用いて、新たなジュゴンのゲノムと以前に刊行されたフロリダマナティ(Trichechus manatus latirostris)のゲノムに注釈がつけられました。偽遺伝子化は表現型を形成する可能性があるので、まず不活性化された遺伝子の特定に焦点が当てられ、2個のアラキドン酸不飽和脂肪酸酸化酵素(arachidonate lipoxygenases)遺伝子(ALOXE3とALOX12B)が見つかりました。この2個の遺伝子は、ステラーカイギュウ系統では未熟停止コドンを介して不活性化されました。
ヒトでは、不飽和脂肪酸酸化酵素遺伝子であるALOX12BとALOXE3の機能喪失多様体は、常染色体劣性先天的魚鱗癬の2番目位に多い原因で、これは角質増殖性で乾燥して肥大した皮膚落屑により特徴づけられる疾患です。ステラーカイギュウにおける未熟停止コドンは、ALOX12B遺伝子の位置104とALOXE3遺伝子の位置394にあり(図1B)、この研究で配列された12個体全てと、同じ場所で回収された追加の1個体に存在します。ヒトでは、両遺伝子で機能的関連性のある不活性化多様体は、ステラーカイギュウのそれの下流で記載されており(図1C)、健康な対照群には存在せず、ステラーカイギュウの偽遺伝子化の提案された機能的関連性を裏づけます。1741年にシュテラーにより「古いオークの木の樹皮」と似ているものとして記載された皮膚の外見は、表現型ではALOXE3もしくはALOX12B遺伝子のないヒト(図1D)、および各遺伝子がないマウスモデルの皮膚の外見と似ています。
配列決定された12頭におけるALOX12BおよびALOXE3遺伝子の不活性化変異の存在に基づいて、個体群のアレル(対立遺伝子)頻度のベイズ信用区間は0.9~1と計算され、事後確率は0.95超でした。これは、変異がすでに固定されているか、この研究で標本抽出された個体群において固定に達する過程にあったことを示唆しており、ステラーカイギュウに適応的利点を提供したかもしれません。
この可能性をさらに調べるため、現生海洋性哺乳類を含む全ての利用可能な哺乳類の配列が詳しく検査されました。その結果、ALOX12BおよびALOXE3遺伝子は現生クジラ目でも遺伝子喪失(ALOX12B)と未熟停止コドンか欠失かフレームシフトを通じて不活性化されているものの、ラッコとホッキョクグマと現生海牛類では活性化されている、と分かりました(図2A・B)。全ての現生クジラ目におけるALOX12B相同遺伝子の欠如から、遺伝子喪失はその最も近い共通祖先につながる系統で起きた、と示唆されます。ALOXE3遺伝子の不活性化は各クジラ目系統でさまざまな変化を経て起きたので(図2B)、この喪失はいくつかの独立事象を通じてより最近になって起きたに違いありません。以下は本論文の図2です。
この古代の大進化の革新により課せられた制約の理解は、ヒトの疾患の仕組みへの洞察を提供できるかもしれません。2つのコード化されたタンパク質が、表皮性構造脂質形成に関わる代謝経路で機能する、と提案されています。進化的観点から、ALOXE3遺伝子におけるさまざまな不活性化変異の蓄積は、おそらくはALOX12B遺伝子の欠如における遺伝的浮動の結果として、ALOX12B遺伝子の欠如において機能しなくなる、同じ経路における両遺伝子の提案された関与を裏づけます。
クジラ目は皮膚の角質層の脱落率が高く、それは、皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素の欠如で起きる魚鱗癬のひどく硬い皮膚の蓄積を防ぎます。クジラ目の角質除去率は、接着斑遺伝子であるDSC1とDSG4の喪失に起因するかもしれません。この両遺伝子は、最も外側の皮膚層で最も強い結合を形成します。ステラーカイギュウでは、これら接着斑遺伝子における不活性化変異が特定されませんでした。その理由は、ステラーカイギュウがクジラ目とは異なり、シュテラーの記載により示唆されているように、魚鱗癬的な皮膚の概観を発達させたから、という可能性が高そうです。
遺伝子喪失もしくは偽遺伝子化は、適応として、あるいは遺伝子機能が退化し、遺伝子配列が浮動するために起きる可能性があります。先行研究では、脱毛に伴う皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素の喪失は、完全な水生環境への適応かもしれない、と示唆されています。しかし、皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素は現生クジラ目とステラーカイギュウにおいて集中的に不活性化されている一方で、同様に完全に水生の現生海牛類は活性化した相同遺伝子を有しているので(図2A・B)、海洋環境はこの適応の説明には不充分です。ステラーカイギュウと現生海牛類2種の環境間の重要な違いは、その系統が生息する海洋の温度です。したがって本論文の仮説は、不飽和脂肪酸酸化酵素遺伝子の喪失は、とくに寒冷な水生環境における適応で、毛皮のある動物と比較して熱保持のための異なる適応的戦略を反映しているかもしれない、というものです。
エネルギー代謝に関わるステラーカイギュウとクジラ目における収斂進化のさらなる裏づけでは、両系統で不活性化されているものの、鰭脚類もしくは現生海牛類では不活性化されていないNPFFR2遺伝子が特定されました。NPFFR2遺伝子は神経ペプチドのFF受容体2をコード化しており、これは熱産生と関連するGタンパク質共役受容体です。通常、過剰なカロリー摂取は脂肪蓄積の増加と、食餌による適応的熱産生を介したエネルギー消費増加につながります。しかし、Npfr2を欠いているマウスは肥満を発症し、カロリー摂取増加への反応において褐色脂肪組織(BAT)の熱産生の活性化(非震え熱産生、略してNST)ができません。
大きな身体サイズの選択は、熱損失の相対的表面領域の減少など、サイズに依存する熱保存の発達を可能とすることにより、NSTに対するBATの重要性を減らす、と予測されています。NPFFR2遺伝子の不活性化に加えて、ステラーカイギュウと配列決定されたクジラ目は、BATにおけるNSTでひじょうに重要なUCP1遺伝子も欠いています。したがって、UCP1およびNPFFR2遺伝子を発現する鰭脚類とは対照的に、UCP1遺伝子に基づくNSTは、ステラーカイギュウの冷水生息地への適応では重要な役割を果たさなかったかもしれず、それはクジラ目も同様です。NPFFR2遺伝子の欠如は、クジラ目とステラーカイギュウにおける身体サイズの増加を完全には説明しませんが、熱損失の代価軽減に役立つことにより、その大きな身体サイズに寄与しているかもしれません。
進化は明らかな偽遺伝子化(ナンセンスおよびフレームシフト変異)を介して遺伝子を機能的に不活性化することのみで進行するわけではないので、次に現生海牛類と比較してステラーカイギュウにおいて有意に異なる進化速度で進化しているそのままの遺伝子が探されました。ステラーカイギュウにおいて、有意に速く進化している197個の遺伝子と、有意に遅く進化している41個の遺伝子のうち、20個が体重とエネルギー代謝を調節する、と示されました。エネルギー恒常性と体重調節に関わる遺伝子におけるこの有意な濃縮は、BATと関連する遺伝子概念体系分類における兆候の明らかな欠如が伴い、NSTに関与するBATがじっさいに、ステラーカイギュウにおける体温調節に役割を果たしていない、との提案を裏づけます。さらに、ステラーカイギュウ系統において有意に異なる進化速度のいくつかの遺伝子(ACP6とACSF3とACSL5とEHHADHとIVDとPLA2G2AとPLA2G4F)は、上位2個(ACSL5とPLA2G4F)がクジラ目よりも進化が速く、脂質分解代謝経路の構成要素です。これらのうちいくつかは、脂肪分解・再エステル化を要求するアデノシン5三リン酸(ATP)に基づく熱産生の無駄な周期に関わっており、それはATPにより熱を生産するので、NSTに寄与します。
脂肪蓄積へのエネルギー均衡における変化は絶食能力を高め、これはステラーカイギュウの生存と長距離移動の両方にとって重要だったかもしれません。ステラーカイギュウには歯がなく、その食性はほぼ完全に海藻に依存していました。ドラゴンケルプ(Eularia fistulosa)は北大西洋西部における優占的な表層円蓋海藻種で、5月から9月頃までしか存在しないので、動物は毎年何ヶ月も絶食状態だったでしょう。更新世の化石記録が示すのは、ステラーカイギュウが現在の日本からメキシコのバハ半島まで太平洋の浅い海域に広がっており(図1A)、絶食は海洋諸島間の拡散に重要だったかもしれない、ということです。
歴史時代のステラーカイギュウに関する唯一の刊行された情報は、1741~1742年の冬におけるベーリング島でのシュテラーの直接的な報告です。その報告では、ステラーカイギュウの個体数が一般的に1000頭程度だった、と示唆されています。ステラーカイギュウの完新世前の個体群密度が、環太平洋地域全体の海藻森林生息地においてほぼ同様だったならば、これは北アメリカ大陸とカムチャッカ半島とクリル諸島全体で最盛期にはほぼ20万頭存在したかもしれない、と解釈されます。
ペアワイズシーケンシャルマルコフ合体(PSMC)手法(関連記事)が用いられ、有効個体群規模が推定されました。その結果、ステラーカイギュウの個体群は少なくとも過去50万年間に減少していき(図3A)、おそらくは温暖な海洋酸素同位体ステージ(MIS)5に安定し、その後、この手法が3万~1万年前頃の個体群の統計学的変化を検出する能力を失うまで、減少の緩やかな軌跡に沿って続きました。本論文の(高網羅率の)2個体から推測された個体群統計学的軌跡は、コマンドルスキー諸島の他の年代測定されていない個体で推測されたものと一致します(図3A)。
ステラーカイギュウの最終的な絶滅がヒトにより直接的もしくは間接的に起きたことに疑いの余地はほとんどありませんが、この長期の減少という証拠は、ステラーカイギュウの個体群統計学的軌跡がさらに環境要因により影響を受けた、と示唆します。しかし要注意なのは、これまでの全ての利用可能な標本が単一の場所に由来することです。ステラーカイギュウはおそらく長距離の島間の拡散が可能でしたが、少ない利用可能な高網羅率ゲノム(3頭)に加えて、検出されていない個体群構造が、この再構築された個体群統計学の歴史を混乱させるかもしれません。以下は本論文の図3です。
過去のより近い時期のステラーカイギュウ個体群内の遺伝的多様性の水準を測定するため、放射性炭素年代により分類された個体間で対での比較が実行されました。その結果、ステラーカイギュウの多様性はすでに、シュテラーによる発見の900~800年前頃に減少しつつあった、と分かりました(図3B)。本論文で用いられた網羅率が15倍の個体は年代が1250年前頃で、1万ヶ所で17個の違いがあり、現生ヒグマと同水準です。この遺伝的多様性の相対的な高水準は、小さな長期の有効個体群規模にも関わらず、島間の拡散により維持されたかもしれません。これらの結果から、ステラーカイギュウ個体群は、コマンドルスキー諸島でのシュテラーによる観察の前に何千年間も小規模だった可能性が最も高い、と示されます。
本論文の調査結果は、種の歴史的な生態と進化の独特な側面を明らかにする、古ゲノミクスの力を例証します。本論文は、今では絶滅した更新世大型動物の象徴的構成員であるステラーカイギュウの表現型の特徴と個体群減少に取り組みました。ステラーカイギュウの個体群の減少は中期更新世に始まり、その絶滅まで続いた、と分かりました。ステラーカイギュウの皮膚の表現型、ひじょうに大きな身体サイズ、報告された厚い脂肪の遺伝的基盤も調べられました。本論文は、現生海牛類で活性化されている遺伝子の不活性化に関して、クジラ目とステラーカイギュウとの収斂進化の証拠を見つけました。古ゲノミクスの枠組み内で研究された、シュテラーにより提供された完全な表現型の記録は、ステラーカイギュウ特有の皮膚の概観の分子基盤を、その記載のほぼ3世紀後に明らかにしました。
参考文献:
Duc DL. et al.(2022): Genomic basis for skin phenotype and cold adaptation in the extinct Steller’s sea cow. Science Advances, 8, 6, eabl6496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abl6496
最近絶滅した大型動物種にステラーカイギュウがあり、1741年にゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(Georg Wilhelm Steller)により記載され、その27年後におそらくはヒトの影響による生息地変化と乱獲の結果として絶滅しました。ステラーカイギュウの消滅は、ヒトの活動の結果としての海洋性哺乳類の史上初の絶滅とみなされており、ヒトの狩猟がある種に有する壊滅的影響の象徴的事例です。シュテラーの記載の時点で、ステラーカイギュウの範囲はすでにロシアの無人のコマンドルスキー諸島(Commander Islands)付近の浅瀬に縮小されており、そこでは約1000頭がいると報告されました(図1A)。以下は本論文の図1です。
ステラーカイギュウの成体は体長が約10m、体重が10t超に達し、身体の一部領域には脂肪が最大で10cm蓄えられていました。これにより、ステラーカイギュウはヒトの狩猟者にとって理想的な資源となり、ヒトはステラーカイギュウの肉と脂肪と皮膚を利用しました。ステラーカイギュウの皮膚は厚くて体毛がなく、ザラザラした質感で、シュテラーは「動物の皮膚よりも古いオークの木の樹皮の方と」似ている、と記載しました。ステラーカイギュウのザラザラして樹皮のような皮膚は、浅瀬の生息地への適応だったかもしれず、おそらくは氷や岩での擦過傷を防いでいます。何世紀にもわたって、博物学者は種の記載にさいして表現型のみに依拠しており、そうした特徴の遺伝的基盤を調査する機会はありませんでした。多くの他の絶滅種とは異なり、ステラーカイギュウには完全な表現型の記録があるため、それらの特徴の根底にある分子基盤の特定と理解が容易に可能です。
●分析結果と考察
この研究は、ステラーカイギュウの骨から古ゲノムデータを生成し、その独特な表現型と個体群の歴史の遺伝的基盤が調べられました。ベーリング島(Bering Island)の岸辺から回収された、放射性炭素年代で2205~1155年前頃となるステラーカイギュウ12個体の断片的な遺骸から古代DNAが抽出されました。これらのうち保存状態が最良の2頭は、ブラウンシュヴァイク自然史博物館(Braunschweig Natural History Museum)の「SNMB N51667」と、太平洋地理学研究所カムチャツカ分館(Kamchatka Branch of the Pacific Geographical Institute)の「SC16.JK045」で、網羅率はそれぞれ15.86倍と15.63倍です。残りの10頭の平均網羅率は2.78倍(1.97~3.95倍)です。これら12頭のステラーカイギュウのミトコンドリアゲノム解析の結果、異なる個体と確証されました。
回収されたステラーカイギュウのゲノムデータは、オーストラリア博物館のジュゴン(Dugong dugon)の新規組み立てゲノム概要配列(ドラフトゲノム)にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されました。ジュゴンはステラーカイギュウの最も近縁な現生分類群です。ステラーカイギュウへの系統に沿ったゲノム変化がその独特な表現型をどのように説明できるのか調べるため、4877点の相同的な(orthologous)遺伝子で構成される比較データセットが生成されました。そのために、MAKER処理経路、およびヒトとマウスとゾウのゲノムの注釈を用いて、新たなジュゴンのゲノムと以前に刊行されたフロリダマナティ(Trichechus manatus latirostris)のゲノムに注釈がつけられました。偽遺伝子化は表現型を形成する可能性があるので、まず不活性化された遺伝子の特定に焦点が当てられ、2個のアラキドン酸不飽和脂肪酸酸化酵素(arachidonate lipoxygenases)遺伝子(ALOXE3とALOX12B)が見つかりました。この2個の遺伝子は、ステラーカイギュウ系統では未熟停止コドンを介して不活性化されました。
ヒトでは、不飽和脂肪酸酸化酵素遺伝子であるALOX12BとALOXE3の機能喪失多様体は、常染色体劣性先天的魚鱗癬の2番目位に多い原因で、これは角質増殖性で乾燥して肥大した皮膚落屑により特徴づけられる疾患です。ステラーカイギュウにおける未熟停止コドンは、ALOX12B遺伝子の位置104とALOXE3遺伝子の位置394にあり(図1B)、この研究で配列された12個体全てと、同じ場所で回収された追加の1個体に存在します。ヒトでは、両遺伝子で機能的関連性のある不活性化多様体は、ステラーカイギュウのそれの下流で記載されており(図1C)、健康な対照群には存在せず、ステラーカイギュウの偽遺伝子化の提案された機能的関連性を裏づけます。1741年にシュテラーにより「古いオークの木の樹皮」と似ているものとして記載された皮膚の外見は、表現型ではALOXE3もしくはALOX12B遺伝子のないヒト(図1D)、および各遺伝子がないマウスモデルの皮膚の外見と似ています。
配列決定された12頭におけるALOX12BおよびALOXE3遺伝子の不活性化変異の存在に基づいて、個体群のアレル(対立遺伝子)頻度のベイズ信用区間は0.9~1と計算され、事後確率は0.95超でした。これは、変異がすでに固定されているか、この研究で標本抽出された個体群において固定に達する過程にあったことを示唆しており、ステラーカイギュウに適応的利点を提供したかもしれません。
この可能性をさらに調べるため、現生海洋性哺乳類を含む全ての利用可能な哺乳類の配列が詳しく検査されました。その結果、ALOX12BおよびALOXE3遺伝子は現生クジラ目でも遺伝子喪失(ALOX12B)と未熟停止コドンか欠失かフレームシフトを通じて不活性化されているものの、ラッコとホッキョクグマと現生海牛類では活性化されている、と分かりました(図2A・B)。全ての現生クジラ目におけるALOX12B相同遺伝子の欠如から、遺伝子喪失はその最も近い共通祖先につながる系統で起きた、と示唆されます。ALOXE3遺伝子の不活性化は各クジラ目系統でさまざまな変化を経て起きたので(図2B)、この喪失はいくつかの独立事象を通じてより最近になって起きたに違いありません。以下は本論文の図2です。
この古代の大進化の革新により課せられた制約の理解は、ヒトの疾患の仕組みへの洞察を提供できるかもしれません。2つのコード化されたタンパク質が、表皮性構造脂質形成に関わる代謝経路で機能する、と提案されています。進化的観点から、ALOXE3遺伝子におけるさまざまな不活性化変異の蓄積は、おそらくはALOX12B遺伝子の欠如における遺伝的浮動の結果として、ALOX12B遺伝子の欠如において機能しなくなる、同じ経路における両遺伝子の提案された関与を裏づけます。
クジラ目は皮膚の角質層の脱落率が高く、それは、皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素の欠如で起きる魚鱗癬のひどく硬い皮膚の蓄積を防ぎます。クジラ目の角質除去率は、接着斑遺伝子であるDSC1とDSG4の喪失に起因するかもしれません。この両遺伝子は、最も外側の皮膚層で最も強い結合を形成します。ステラーカイギュウでは、これら接着斑遺伝子における不活性化変異が特定されませんでした。その理由は、ステラーカイギュウがクジラ目とは異なり、シュテラーの記載により示唆されているように、魚鱗癬的な皮膚の概観を発達させたから、という可能性が高そうです。
遺伝子喪失もしくは偽遺伝子化は、適応として、あるいは遺伝子機能が退化し、遺伝子配列が浮動するために起きる可能性があります。先行研究では、脱毛に伴う皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素の喪失は、完全な水生環境への適応かもしれない、と示唆されています。しかし、皮膚の不飽和脂肪酸酸化酵素は現生クジラ目とステラーカイギュウにおいて集中的に不活性化されている一方で、同様に完全に水生の現生海牛類は活性化した相同遺伝子を有しているので(図2A・B)、海洋環境はこの適応の説明には不充分です。ステラーカイギュウと現生海牛類2種の環境間の重要な違いは、その系統が生息する海洋の温度です。したがって本論文の仮説は、不飽和脂肪酸酸化酵素遺伝子の喪失は、とくに寒冷な水生環境における適応で、毛皮のある動物と比較して熱保持のための異なる適応的戦略を反映しているかもしれない、というものです。
エネルギー代謝に関わるステラーカイギュウとクジラ目における収斂進化のさらなる裏づけでは、両系統で不活性化されているものの、鰭脚類もしくは現生海牛類では不活性化されていないNPFFR2遺伝子が特定されました。NPFFR2遺伝子は神経ペプチドのFF受容体2をコード化しており、これは熱産生と関連するGタンパク質共役受容体です。通常、過剰なカロリー摂取は脂肪蓄積の増加と、食餌による適応的熱産生を介したエネルギー消費増加につながります。しかし、Npfr2を欠いているマウスは肥満を発症し、カロリー摂取増加への反応において褐色脂肪組織(BAT)の熱産生の活性化(非震え熱産生、略してNST)ができません。
大きな身体サイズの選択は、熱損失の相対的表面領域の減少など、サイズに依存する熱保存の発達を可能とすることにより、NSTに対するBATの重要性を減らす、と予測されています。NPFFR2遺伝子の不活性化に加えて、ステラーカイギュウと配列決定されたクジラ目は、BATにおけるNSTでひじょうに重要なUCP1遺伝子も欠いています。したがって、UCP1およびNPFFR2遺伝子を発現する鰭脚類とは対照的に、UCP1遺伝子に基づくNSTは、ステラーカイギュウの冷水生息地への適応では重要な役割を果たさなかったかもしれず、それはクジラ目も同様です。NPFFR2遺伝子の欠如は、クジラ目とステラーカイギュウにおける身体サイズの増加を完全には説明しませんが、熱損失の代価軽減に役立つことにより、その大きな身体サイズに寄与しているかもしれません。
進化は明らかな偽遺伝子化(ナンセンスおよびフレームシフト変異)を介して遺伝子を機能的に不活性化することのみで進行するわけではないので、次に現生海牛類と比較してステラーカイギュウにおいて有意に異なる進化速度で進化しているそのままの遺伝子が探されました。ステラーカイギュウにおいて、有意に速く進化している197個の遺伝子と、有意に遅く進化している41個の遺伝子のうち、20個が体重とエネルギー代謝を調節する、と示されました。エネルギー恒常性と体重調節に関わる遺伝子におけるこの有意な濃縮は、BATと関連する遺伝子概念体系分類における兆候の明らかな欠如が伴い、NSTに関与するBATがじっさいに、ステラーカイギュウにおける体温調節に役割を果たしていない、との提案を裏づけます。さらに、ステラーカイギュウ系統において有意に異なる進化速度のいくつかの遺伝子(ACP6とACSF3とACSL5とEHHADHとIVDとPLA2G2AとPLA2G4F)は、上位2個(ACSL5とPLA2G4F)がクジラ目よりも進化が速く、脂質分解代謝経路の構成要素です。これらのうちいくつかは、脂肪分解・再エステル化を要求するアデノシン5三リン酸(ATP)に基づく熱産生の無駄な周期に関わっており、それはATPにより熱を生産するので、NSTに寄与します。
脂肪蓄積へのエネルギー均衡における変化は絶食能力を高め、これはステラーカイギュウの生存と長距離移動の両方にとって重要だったかもしれません。ステラーカイギュウには歯がなく、その食性はほぼ完全に海藻に依存していました。ドラゴンケルプ(Eularia fistulosa)は北大西洋西部における優占的な表層円蓋海藻種で、5月から9月頃までしか存在しないので、動物は毎年何ヶ月も絶食状態だったでしょう。更新世の化石記録が示すのは、ステラーカイギュウが現在の日本からメキシコのバハ半島まで太平洋の浅い海域に広がっており(図1A)、絶食は海洋諸島間の拡散に重要だったかもしれない、ということです。
歴史時代のステラーカイギュウに関する唯一の刊行された情報は、1741~1742年の冬におけるベーリング島でのシュテラーの直接的な報告です。その報告では、ステラーカイギュウの個体数が一般的に1000頭程度だった、と示唆されています。ステラーカイギュウの完新世前の個体群密度が、環太平洋地域全体の海藻森林生息地においてほぼ同様だったならば、これは北アメリカ大陸とカムチャッカ半島とクリル諸島全体で最盛期にはほぼ20万頭存在したかもしれない、と解釈されます。
ペアワイズシーケンシャルマルコフ合体(PSMC)手法(関連記事)が用いられ、有効個体群規模が推定されました。その結果、ステラーカイギュウの個体群は少なくとも過去50万年間に減少していき(図3A)、おそらくは温暖な海洋酸素同位体ステージ(MIS)5に安定し、その後、この手法が3万~1万年前頃の個体群の統計学的変化を検出する能力を失うまで、減少の緩やかな軌跡に沿って続きました。本論文の(高網羅率の)2個体から推測された個体群統計学的軌跡は、コマンドルスキー諸島の他の年代測定されていない個体で推測されたものと一致します(図3A)。
ステラーカイギュウの最終的な絶滅がヒトにより直接的もしくは間接的に起きたことに疑いの余地はほとんどありませんが、この長期の減少という証拠は、ステラーカイギュウの個体群統計学的軌跡がさらに環境要因により影響を受けた、と示唆します。しかし要注意なのは、これまでの全ての利用可能な標本が単一の場所に由来することです。ステラーカイギュウはおそらく長距離の島間の拡散が可能でしたが、少ない利用可能な高網羅率ゲノム(3頭)に加えて、検出されていない個体群構造が、この再構築された個体群統計学の歴史を混乱させるかもしれません。以下は本論文の図3です。
過去のより近い時期のステラーカイギュウ個体群内の遺伝的多様性の水準を測定するため、放射性炭素年代により分類された個体間で対での比較が実行されました。その結果、ステラーカイギュウの多様性はすでに、シュテラーによる発見の900~800年前頃に減少しつつあった、と分かりました(図3B)。本論文で用いられた網羅率が15倍の個体は年代が1250年前頃で、1万ヶ所で17個の違いがあり、現生ヒグマと同水準です。この遺伝的多様性の相対的な高水準は、小さな長期の有効個体群規模にも関わらず、島間の拡散により維持されたかもしれません。これらの結果から、ステラーカイギュウ個体群は、コマンドルスキー諸島でのシュテラーによる観察の前に何千年間も小規模だった可能性が最も高い、と示されます。
本論文の調査結果は、種の歴史的な生態と進化の独特な側面を明らかにする、古ゲノミクスの力を例証します。本論文は、今では絶滅した更新世大型動物の象徴的構成員であるステラーカイギュウの表現型の特徴と個体群減少に取り組みました。ステラーカイギュウの個体群の減少は中期更新世に始まり、その絶滅まで続いた、と分かりました。ステラーカイギュウの皮膚の表現型、ひじょうに大きな身体サイズ、報告された厚い脂肪の遺伝的基盤も調べられました。本論文は、現生海牛類で活性化されている遺伝子の不活性化に関して、クジラ目とステラーカイギュウとの収斂進化の証拠を見つけました。古ゲノミクスの枠組み内で研究された、シュテラーにより提供された完全な表現型の記録は、ステラーカイギュウ特有の皮膚の概観の分子基盤を、その記載のほぼ3世紀後に明らかにしました。
参考文献:
Duc DL. et al.(2022): Genomic basis for skin phenotype and cold adaptation in the extinct Steller’s sea cow. Science Advances, 8, 6, eabl6496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abl6496
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