河村正二「なぜヒトは多様な色覚をもつのか 霊長類の色覚由来から考える」
井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。脊椎動物には視覚センサーとして、眼球網膜に桿体と錐体という2種類の光受容細胞(視細胞)があります。桿体は薄明視に特化しており、明視と色覚(波長構成に基づいて光を識別する感覚)は錐体が担います。視細胞中で光を感受する物質は視物質と呼ばれ、膜貫通タンパク質であるオプシンと感光物質であるビタミンAアルデヒド(レチナール)から構成されます。哺乳類ではこの感光物質は1種類で、オプシンのアミノ酸配列によりその吸収波長が異なるため、哺乳類の色覚多様性はオプシンによりもたらされます。色覚は感受波長域を異にする錐体視細胞の応答の比較で実現できるため、網膜にそうした錐体視細胞を少なくとも2種類必要とします。出力比の範囲が、認知できる色の種類量を反映します。感受波長域の異なる錐体が2種類であれば2色型色覚、3種類であれば3色型色覚となります。
脊椎動物の視覚オプシンは、進化系統の観点からは5種類に分類できます。それは、桿体オプシン(ロドプシン)であるRH1と4種類の錐体オプシン、つまりRH2(緑)とSWS1(紫外線)とSWS2(青)とM/LWS(赤-緑)です。分子系統解析から、この5種類は無顎類を含む脊椎動物の共通祖先においてすでに確立していた、と考えられます。したがって、脊椎動物はその共通祖先ですでに4種類の錐体オプシンを有する4色型色覚だった、と考えられます。胎盤哺乳類と有袋類はRH2とSWS1を失い、SWS2とM/LWSの2色型となりました。これは、中生代の恐竜時代の夜行性生活への適応と考えられています。哺乳類の中で霊長類は、残された錐体オプシン遺伝子の一方(M/LWS)が増えることで、2色型色覚から3色型色覚となりました。ただ、M/LWSオプシンの分化パターンは霊長類において多様です。
3色型色覚は、成熟した木葉の背景から熟した果実を見つけるのに有利なので、霊長類において選択圧が作用した、と考えられてきました。しかし、果実には熟しても赤色や黄色など顕在色にならない種もあり、それが霊長類の摂食量のかなりの割合を占める、とも報告されています。また多くの果実は季節性が強く、乾季には欠乏します。そのため、アフリカの厳しい季節性環境において、若葉が果実欠乏期の欠かせない非常食資源となる点に注目した見解も提示されています(若葉説)。若葉は赤みを帯びている傾向が強く、3色型色覚だと成熟した葉から色で識別できます。しかし、多型的3色型色覚が大多数である広鼻猿類の生息する中南米と、一部がそうであるキツネザル類の生息するマダガスカル島では、季節性のないイチジク類やヤシ類が豊富で、マーモセット類のように一部の広鼻猿類は若葉をほとんど食べないので、若葉説はアフリカ外での3色型色覚の進化と維持を説明できません。赤い性皮色などの交配シグナルの検出が選択圧だった、との見解もありますが、霊長類において3色型色覚の系統分布赤い性皮色などの交配シグナルの系統分布よりはるかに広範なので、前者は後者より起源が古いと考えられ、社会シグナル伝達が選択として作用したとは考えにくい、と指摘されています。本論文が説得的とするのは「森林説」で、3色型色覚は森林において背景となる成熟葉から光子量が異なるものを「何でも」検出するのに適している、と想定されます。
また、環境と類似した色(隠蔽色)の果実や昆虫の採食、ヘビなど捕食者の検出・同定には、3色型色覚よりも2色型色覚の方が優れている、とも指摘されています。それもあり、霊長類において2色型色覚は3色型色覚に駆逐されませんでした。ヒトにおいては、男性で2色型色覚(いわゆる赤緑色盲)が女性よりも高頻度で見られます。これは、2種類のオプシン遺伝子がX染色体上にあるからです。非ヒト狭鼻猿類では、「正常」3色型色覚を維持する強い選択圧が作用しているので、ヒトではそれが緩んでいることになります。霊長類の3色型色覚が森林環境への適応として進化したならば、森林からサバンナへと主な生息地が変わったホモ属において「正常」3色型色覚を維持する強い選択圧が緩んだかもしれない、と本論文は指摘します。また本論文は、隠蔽色の観点から、2色型色覚が維持された可能性も提示します。
参考文献:
河村正二(2021)「なぜヒトは多様な色覚をもつのか 霊長類の色覚由来から考える」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第10章P163-172
脊椎動物の視覚オプシンは、進化系統の観点からは5種類に分類できます。それは、桿体オプシン(ロドプシン)であるRH1と4種類の錐体オプシン、つまりRH2(緑)とSWS1(紫外線)とSWS2(青)とM/LWS(赤-緑)です。分子系統解析から、この5種類は無顎類を含む脊椎動物の共通祖先においてすでに確立していた、と考えられます。したがって、脊椎動物はその共通祖先ですでに4種類の錐体オプシンを有する4色型色覚だった、と考えられます。胎盤哺乳類と有袋類はRH2とSWS1を失い、SWS2とM/LWSの2色型となりました。これは、中生代の恐竜時代の夜行性生活への適応と考えられています。哺乳類の中で霊長類は、残された錐体オプシン遺伝子の一方(M/LWS)が増えることで、2色型色覚から3色型色覚となりました。ただ、M/LWSオプシンの分化パターンは霊長類において多様です。
3色型色覚は、成熟した木葉の背景から熟した果実を見つけるのに有利なので、霊長類において選択圧が作用した、と考えられてきました。しかし、果実には熟しても赤色や黄色など顕在色にならない種もあり、それが霊長類の摂食量のかなりの割合を占める、とも報告されています。また多くの果実は季節性が強く、乾季には欠乏します。そのため、アフリカの厳しい季節性環境において、若葉が果実欠乏期の欠かせない非常食資源となる点に注目した見解も提示されています(若葉説)。若葉は赤みを帯びている傾向が強く、3色型色覚だと成熟した葉から色で識別できます。しかし、多型的3色型色覚が大多数である広鼻猿類の生息する中南米と、一部がそうであるキツネザル類の生息するマダガスカル島では、季節性のないイチジク類やヤシ類が豊富で、マーモセット類のように一部の広鼻猿類は若葉をほとんど食べないので、若葉説はアフリカ外での3色型色覚の進化と維持を説明できません。赤い性皮色などの交配シグナルの検出が選択圧だった、との見解もありますが、霊長類において3色型色覚の系統分布赤い性皮色などの交配シグナルの系統分布よりはるかに広範なので、前者は後者より起源が古いと考えられ、社会シグナル伝達が選択として作用したとは考えにくい、と指摘されています。本論文が説得的とするのは「森林説」で、3色型色覚は森林において背景となる成熟葉から光子量が異なるものを「何でも」検出するのに適している、と想定されます。
また、環境と類似した色(隠蔽色)の果実や昆虫の採食、ヘビなど捕食者の検出・同定には、3色型色覚よりも2色型色覚の方が優れている、とも指摘されています。それもあり、霊長類において2色型色覚は3色型色覚に駆逐されませんでした。ヒトにおいては、男性で2色型色覚(いわゆる赤緑色盲)が女性よりも高頻度で見られます。これは、2種類のオプシン遺伝子がX染色体上にあるからです。非ヒト狭鼻猿類では、「正常」3色型色覚を維持する強い選択圧が作用しているので、ヒトではそれが緩んでいることになります。霊長類の3色型色覚が森林環境への適応として進化したならば、森林からサバンナへと主な生息地が変わったホモ属において「正常」3色型色覚を維持する強い選択圧が緩んだかもしれない、と本論文は指摘します。また本論文は、隠蔽色の観点から、2色型色覚が維持された可能性も提示します。
参考文献:
河村正二(2021)「なぜヒトは多様な色覚をもつのか 霊長類の色覚由来から考える」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第10章P163-172
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