マレーシア先住民の起源

 マレーシア先住民の起源に関する研究(Aghakhanian et al., 2022)が公表されました。アジア南東部は、アジア本土から、アンダマン海と南シナ海とインド洋へと広がる多数の島々にまでまたがる11ヶ国から構成されます。この地域には歴史と文化と宗教と生物学の印象的な多様性があります。マレーシア先住民はかなりの表現型と言語学と人類学の多様性を示します。何世紀にもわたって記録されてきたこの驚くべき多様性にも関わらず、マレーシア先住民の遺伝的歴史と構造はまだ充分には研究されていません。これらの人々、とくにマレーシアのネグリートの遺伝的歴史についてより深く理解するため、この研究はマレー半島の5先住民集団とボルネオ島の1先住民集団に属する15個体の全ゲノムを高網羅率(30倍)で配列しました。

 その結果、マレーシアの先住民集団は遺伝的にアジア東部の人口集団に近い、と論証されます。本論文は、現在のマレーシアのネグリートが古代のホアビン文化狩猟採集民と新石器時代農耕民の混合としてモデル化できる、と示します。本論文は、アジア南部人口集団からマレーシアの先住民集団への遺伝子流動を観察しますが、ボルネオ島北部のドゥスン人(Dusun)への遺伝子流動は観察されません。本論文では、マレーシアの先住民は、ホアビン文化狩猟採集民と新石器時代農耕民とオーストロネシア語族話者と関連する、少なくとも3つの異なる祖先人口集団に起源がある、と提案されます。


●研究史

 アジア南東部には、豊富な人口統計学的・言語学的・遺伝学的多様性があります。アジア南東部には、5語族に分類される1249の民族集団が暮らしています。この魅力的な多様性にも関わらず、アジア南東部の遺伝的歴史は充分には研究されていないままで、解剖学的現代人(Homo sapiens)によるアジア南東部の移住に関するいくつかの顕著な間隙が依然として存在します。アジア南東部における解剖学的現代人の歴史に関する4つの最も議論された問題は、(1)アジア南東部における到来時期、(2)アジア南東部における狩猟採集民人口集団の起源およびホアビン文化(Hòabìnhian)との関係、(3)採食から農耕生活様式への移行過程、(4)オーストロアジア人およびオーストロネシア人として現在認識されている文化的集団の発展です。

 考古学および初期のミトコンドリアDNA(mtDNA)調査によると、アジア南東部における解剖学的現代人(現生人類)の存在は7万~5万年前頃にさかのぼります。その後、ゲノム規模および古代DNA研究では、解剖学的現代人はアジア南東部に「出アフリカ」移住後に入り、おそらく経路は南部沿岸で、その後にアジア東部とパプアニューギニアとオーストラリアに拡大した、と推測されました(関連記事)。その後、後期更新世と完新世におけるアジア東部からの移住、アジア南東部内の人口移動がアジア南東部の現在の人口構造を形成しました。アジア本土とボルネオ島との間で物理的に別れており、顕著な人口多様性を有する国であるマレーシアの地理的位置は、アジア南東部における人口史研究の機会を提供します。

 マレーシアは、マレー半島から構成される西部と、サラワク州およびサバ州から構成されるボルネオ島の東部に別れています。先住民集団の割合は、マレーシアの人口約3200万人のうち13.8%です。マレーシア東西の無数の先住民共同体は、高い民族・言語学的および文化的多様性を表しています。マレー半島の先住民集団はオラン・アスリ(Orang Asli)として知られており、これはマレー語で「原住民」という意味です。オラン・アスリはマレー半島の人口集団の0.7%を構成し、3つの主要な集団に分けられます。それはネグリートとセノイ人(Senoi)とプロト・マレーで、この区分はmtDNAと民族言語学的特徴に基づいています。

 マレーシアのネグリートはマレー半島北部の熱帯雨林に住む狩猟採集民で、マレーシアで最初の(現生人類の)居住者の子孫と提案されています。ネグリートはオーストロアジア語族の北部アスリ方言を話し、その伝統には平等主義と父系制度が含まれます。セノイ人はマレー半島中央部に居住しています。セノイ人はアスリ諸語の中央部および南部方言を話し、伝統的に焼畑農業を行ないます。プロト・マレーはオーストロネシア語族のマレー方言を話し、マレー半島の南部で暮らしています。プロト・マレーは農耕と熱帯雨林採取を行ない、その伝統には顕著な社会的階層が含まれます。

 各オラン・アスリ集団はさらに6つの下位集団に分かれており、18のオラン・アスリ下位集団を構成します。サラワク州では、先住民は総称してオラン・ウル(Orang Ulu)として知られており、サラワク州の人口の40%を占めています。オラン・ウルとは、マレー語で「上流の地の人々」という意味です。サバ州の先住民集団はサバ州の人口の58.6%を占め、39の部族に分かれています。ドゥスン人(Dusun)とムルット人(Murut)とパイタン人(Paitan)とバジャウ人(Bajau)は、サバ州における主要な先住民集団です。

 初期の人類学的研究は、オラン・アスリの起源について複数の競合する仮説を提案しました。「層状ケーキ」理論は、オラン・アスリの3集団全ての起源はマレー半島外にあり、異なる時期にマレーシアに入ってきた、と仮定します。ベンジャミン(Geoffrey Benjamin)氏により1985年に提示された別の仮説は、アジアへの現生人類移住の最初の波の後で、オラン・アスリの発展と多様化が同じ場所で起きた、と提案しました。ベルウッド(Peter Bellwood)氏は1993年に、現在のセノイ人の祖先は中期完新世にマレー半島に侵入してきた初期オーストロアジア語族農耕民と関連している、と提案しました。これら新石器時代農耕民と在来の狩猟採集民(ネグリートの祖先)との間の後の相互作用は、ネグリートにおける言語変化と、セノイ人における中間的な表現型の特徴をもたらしました。プロト・マレーの起源は、7000~5000年前頃の「オーストロアジア語族の拡大」期にマレーシアへと移住してきた、オーストロネシア語族を話す農耕民だった、とベルウッド氏は提案しました。

 初期のmtDNA研究は、マレー半島に固有のmtDNAハプログループ(mtHg)と、オラン・アスリのインドシナにおいて確立したmtHgの両方を見つけ、アジア南東部における近隣の人口集団からオラン・アスリへの遺伝子流動が示唆されます。これらの研究は、ネグリートとセノイ人においてM21とR21という2系統のmtHgを特定し、その最新の共通祖先までの時間(TMRCA)は5万~3万年前頃です。ネグリートにおけるこれら2系統の古代のmtHgの頻度がより高いことから、ネグリートはマレー半島の(現生人類で)最初の移住者の最も直接的な子孫である、と示唆される可能性があります。

 プロト・マレーのmtHgはおもにN21とN22で、これはアジア南東部島嶼部経由でのオーストロネシア語族の拡大と関連しているかもしれません。遺伝子型決定研究は、マレーシアのネグリートとアンダマン諸島およびフィリピンのネグリートとの間の遺伝的類似性を浮き彫りにしました。これは、そうした人口集団間の古代のつながりを表しているかもしれません。全ゲノム配列決定は、マレーシアのネグリートが他の2つのオラン・アスリ集団と比較して、アジア東部集団との最も深い分岐時間を有している、と示唆します。その研究は、オラン・アスリにおけるアジア南部からのある程度の水準の遺伝子流動も見つけました。

 マレーシア先住民の遺伝的構造と歴史の知識を深め、マレーシアの古代の狩猟採集民および農耕共同体との関係を調べるため、オラン・アスリとオラン・ウルの15個体の高い網羅率の全ゲノム分析が実行され、その分析結果が報告されます。その中には、ジェハイ(Jehai、Jahai)とメンドリク(Mendriq)のネグリート、マーメリ(MahMeri)のセノイ人、セレター(Seletar)とジャクン(Jakun)のプロト・マレー、ドゥスン人が含まれます。


●人口構造

 マレーシア先住民の遺伝的歴史を解明するため、オラン・アスリの4部族の11個体のゲノムが約30倍の網羅率で配列され、ドゥスン人とメンドリク人の4個体の以前に刊行されたゲノムデータが含められました。このゲノムデータは、HGDP(ヒトゲノム多様性計画)およびCEPH(人類多型性研究センター)、アンダマン諸島人、シンガポールゲノム多様性計画(SSM)のマレー人のデータと統合されました。これらの集団間の歴史的つながりを調べるため、オラン・アスリの人々と古代の解剖学的現代人の標本も用いて、データセットが構築されました。

 オラン・アスリ人の遺伝的構造と、その近隣人口集団との関係を理解するため、主成分分析(PCA)が実行されました。HGDP・CEPHデータセットの世界規模の人口集団とマレーシアの先住民集団との PCA比較から、マレーシア先住民は遺伝的にアジア東部の人口集団と近い、と明らかになりました。これは、アジア東部集団との祖先の共有もしくは2集団間のかなりの遺伝子流動を示唆します。より細かい規模では(図1B)、アジア東部と南部と南東部の人口集団を用いると、オラン・アスリ人、とくにマレーシアのネグリートは、アジア南部人およびアンダマン諸島集団に向かっての類似性を示す一方で、ボルネオ島のドゥスン人はアジア東部人のより近くでクラスタ化します(まとまります)。これは、オラン・アスリ人とアジア南部人との間の混合の可能性を示唆します。以下は本論文の図1です。
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 ホアビン文化の2個体(La368とMa911)およびアジア南東部初期農耕民とマレーシアのネグリートとの関係を調べるため、アジア南東部古代人標本(関連記事)を用いてPCAが実行されました。本論文で用いられたアジア南東部古代人のデータセットには、ホアビン文化の2個体と、マレーシアとベトナムとラオスとタイにまたがる遺跡で発見された新石器時代農耕民が含まれます。アジア南東部古代人とのPCAでは、ホアビン文化に分類される古代人標本はアンダマン諸島現代人に隣接してクラスタ化する、と示されます(図1C)。マレーシアのネグリートはアンダマン諸島人およびホアビン文化2個体とアジア東部人クラスタとの間の中間に位置しますが、オラン・アスリ人の残りは新石器時代アジア南東部古代人の方と近くなっています。

 ADMIXTURE分析が実行され、オラン・アスリ人の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が推定されました。オラン・アスリ人とアジア南部・南東部・東部人口集団のADMIXTURE分析では、交差検証得点から、祖先のK(系統構成要素数)=5のモデルが最良になる、と提案されました。K=5では、海洋民であるセレター人は明確な(明るい青色)祖先構成要素(おそらくはアジア南東部構成要素)を有しているようなのに対して、マレーシアのネグリートはアジア南東部とアンダマン諸島とアジア南部の構成要素の混合を示しました(図1A)。ドゥスン人は最高のアジア東部構成要素(黄色)を有しており、PCAと一致します。


●Y染色体とmtDNAのハプログループ分析

 オラン・アスリ人とボルネオ島北部人の標本で、Y染色体とmtDNAのハプログループが決定されました。mtDNAについては、マレーシアのネグリートで5系統のハプログループが観察され、R21とM21aとM13b1とM17aとF1a1aが含まれます。マーメリ人にはmtDNAハプログループ(mtHg)N22aがあります。ジャクン人のmtHgはE1a2ですが、セレター人のmtHgはN9a6bです。ドゥスン人では2系統の異なるmtHgであるM7c1c3とR9c1aが見つかりました。mtHgのR21とM21aとM17aとF1a1aのTMRCA(最新の共通祖先までの時間)は、それぞれ8000年前頃、23000年前頃、19000年前頃、8000年前頃までさかのぼり、以前にはマレーシアとタイの狩猟採集民で報告されました。mtHg-M13bのTMRCAは31000年前頃にさかのぼり、アジア、とくにマレーシアとチベットとネパールにおいて低頻度で観察されました。mtHg-N9aはアジア東部・南部・南東部において広く分布しています。しかし、その下位クレード(単系統群)であるN9a6はアジア南東部本土(MSEA)に限られているようで、マレー半島で最高頻度に達します。mtHg-N22aはマーメリ人で観察され、マレー半島に限られているようですが、mtHg-N22はフィリピンやスマトラ島などアジア南東部の他の場所において低頻度で記録されています。mtHg-E1a・M711・R9c1はアジア南東部島嶼部(ISEA)において優勢で、オーストロネシア語族の拡大と関連している、と広く考えられています。

 Y染色体ハプログループ(YHg)については、オラン・アスリ人でR1a1a1b2aとR2aとK2bとK2b1とO2b1が見られます。YHg-K2bとその下位クレードであるK2b1は、マレーシアのネグリートとセレター人で観察され、他のアジア南東部のネグリートおよびオセアニア人で記録されてきました。興味深いことに、マレーシアのネグリートではYHg-R2aとR1a1abが見つかりました。YHg-R2aはおもにアジア南部に存在し、アジア中央部・南西部・東部において低頻度でみつかりますが、YHg-R1a1a1bとその下位クレードは、アジア中央部・南部における主要なYHg-R1aの下位クレードを構成します。


●有効人口規模と分岐年代の推定

 オラン・アスリ人の有効人口規模(Ne)と分岐時間を推定するため、MSMC(Multiple Sequentially Markovian Coalescent、複数連続マルコフ合祖)2分析が実行されました。より高い解像度を得るため、まずMSMC2分析(関連記事)で各人口集団から無作為に4個体(8ハプロタイプ)が含められました。これは、充分な標本規模のあるジェハイ人とセレター人に限定されます(図2a)。後の段階で、各人口集団から無作為に選択された2個体(4ハプロタイプ)もしくマーメリ人とジャクン人では1個体(2ハプロタイプ)を用いることにより、分析に全ての部族を含めることが試みられました。

 一般的に、オラン・アスリ人は近隣の人口集団よりも約3万年後にもより低いNeを保持していました。これらの結果は、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析(関連記事)によりさらに裏づけることができ、オラン・アスリ人における長いROHが明らかになりました。ドゥスン人では6000年前頃にNeの増加が見つかり、オーストロアジア語族の拡大と一致する可能性があります。以下は本論文の図2です。
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 分岐時間については、マレーシアのネグリートとアジア東部人との間の分岐は14000~13000年前頃に起き(図2b)、遺伝子型決定データを用いての以前の研究の結果と一致します。セレター人とドゥスン人は漢人と1万年前頃に分岐し、アジア東部からのオーストロネシア人の最初の分岐とよく一致します。全体的に、さまざまなマレーシア人集団間の分岐は比較的最近でした。マレーシアのネグリートとオーストロネシア人との間の分岐は12000年前頃に起き、その後でマーメリ人と9000年前頃に分岐しました。ともにネグリートの部族であるジェハイ人とメンドリク人は、相互に2600年前頃に分離しました。


●マレーシアの先住民と近隣の人口集団との間の遺伝子流動

 マレーシア先住民と現代および古代の人口集団の歴史における遺伝子流動の可能性を調べるため、TreeMix分析(関連記事)が実行されました(図3)。現代の人口集団について、TreeMixは5回の移住事象を示唆しました。系統樹形態から、マレーシアのネグリートが別々のクラスタを形成するのに対して、マレーシアの他の先住民集団はアジア東部人口集団とクラスタ化する、と明らかになりました。アンダマン諸島人とマレーシアのネグリートとの間の遺伝子流動が特定されました。

 本論文の分析は、ドゥスン人とブーゲンビルのマレーシア人との間の遺伝子流動も論証しました。これは、ボルネオ島の現在のドゥスン人に遺伝的に近い人口集団と、パプア人祖先系統を有する人口集団との間の混合を反映しているかもしれず、後者はオーストロネシア人の拡大に寄与し、先行研究で説明されていました(関連記事)。オラン・アスリ人集団内、とくにネグリートのジェハイ人からプロト・マレーのジャクン人、およびセノイ人のマーメリ人からネグリートのメンドリク人への遺伝子流動も検出されました。以下は本論文の図3です。
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 マレーシア先住民とアジア南東部古代人標本のTreeMix分析は、同様の形態を明らかにしました。ホアビン文化2個体の標本は別々に、アンダマン諸島人クレードの隣でクラスタ化しましたが、新石器時代アジア南東部人はアジア東部現代人とクラスタ化しました。興味深いことに、本論文の分析はマレーシアの古代人2個体標本、つまりホアビン文化狩猟採集民のMa911と新石器時代農耕民Ma912からマレーシアのネグリートへの遺伝子流動を明らかにしました。

 オラン・アスリ人と近隣の人口集団との間、およびさまざまなオラン・アスリ人集団内の遺伝子流動の存在をより詳しく調べ、現代のネグリートと、ホアビン文化狩猟採集民および新石器時代農耕民との間のつながりをさらに確認するため、f4検定が実行されました。マレーシアのネグリートとアンダマン諸島人との間のつながりを確認するため、f4(ムブティ人、オンゲ人およびジャラワ人;X、漢人)が計算され、Xは検証人口集団を示します。Xとしてジェハイ人を置くと、有意なf4得点が検出されましたが、メンドリク人のf4得点は有意ではありませんでした。f4(ムブティ人、オセアニア人;X、漢人)の計算では、ドゥスン人とブーゲンビル人との間で有意なf4得点が示されました。さまざまなオラン・アスリ人集団間でのf4検定で、マレーシアのネグリートとその近隣のジャクン人(プロト・マレー)およびメンドリク人(セノイ人)集団との間の遺伝子流動が見つかりました。しかし、マレーシアのネグリートとボルネオ島北部のドゥスン人との間の遺伝子流動の証拠はありませんでした。

 マレーシアの古代人標本(Ma911とMa912)とさまざまなオラン・アスリ人集団でのf4推定値が、Ma911とマレーシアのネグリートとの間でのみ有意なf4得点を論証した一方で、Ma912はマレーシアのネグリートおよびセノイ人の両方と有意なf4を示しました。外群f3が計算され、マレーシア古代人とオラン・アスリ人との間で共有される浮動量が測定されました。興味深いことに、ホアビン文化個体Ma911がマレーシアのネグリートと最も多くの浮動を共有する一方で、新石器時代農耕民個体Ma912はセノイ人のマーメリ人と最も多くの浮動を共有している、と示されました(図4)。以下は本論文の図4です。
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●考察

 アジア南東部の交差点に位置するマレーシアは、何千年にもわたって複数の大規模なヒトの移動を経てきました。考古学および遺伝学的証拠から、マレーシアにおける解剖学的現代人の存在は少なくとも4万年前頃にさかのぼる、と示されています。13000~3000年前頃のホアビン文化狩猟採集民は、マレー半島に居住しました。片面の礫石器により特徴づけられる石器インダストリーを有するホアビン文化は、現在の中国南部に起源があり、アジア南東部の本土と島嶼部に拡大した、と考えられています。4000年前頃以降、アジア南東部では、新石器時代農耕民とオーストロアジア語族話者からの少なくとも2つの移住の波がありました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。これらさまざまなヒトの移住と定住は、マレーシアの現在の豊かな言語学的および人類学的多様性をもたらしました。本論文は新たなゲノム配列決定データを用いて、マレーシア先住民の遺伝的構造と歴史の理解を深めます。

 先行研究と一致して、マレーシア先住民が遺伝的にアジア東部の人口集団により近い一方で、本論文の新たなADMIXTURE分析は、マレー半島のオラン・アスリ人におけるアジア南部人の祖先構成要素の痕跡を明らかにしました。この構成要素はボルネオ島のドゥスン人では検出できませんでした。オラン・アスリ人におけるアジア南部の祖先構成要素の存在は、以前に報告されていました。この祖先構成要素は、南方沿岸経路でのアジア南部への現生人類移住の最初の波か、紀元後1世紀のインド文化の拡大期におけるアジア南部からマレー半島への遺伝子流動に起因するかもしれません。マレーシアのペラ(Perak)州の遺跡は、ヒンドゥー文化の証拠を提供します。中国とインド南部との間の海上経路に位置するマレー半島は、この交易に関わっていました。戦略的にマラッカ海峡の北西部の入口に位置し、ベンガル湾に面するブジャン渓谷(Bujang Valley)には、中国とインド南部の交易民が継続的に訪れていました。そうしたことは、紀元後5世紀~14世紀の、交易による土器や彫刻や碑銘や記念碑の発見により証明されました。マレー半島におけるアジア南部祖先系統の供給源とボルネオ島におけるその欠如に取り組むには、より多くの研究が必要です。

 グア・チャ(Gua Cha)遺跡の古代人DNAとのオラン・アスリ人の分析は、マレーシアのネグリートの遺伝子プールへの、これらの標本と遺伝的に近い人口集団の寄与を明らかにしました。グア・チャ遺跡はマレー半島北部の岩陰です。1954年の研究に基づいて、グア・チャ遺跡では2つの考古学的段階が認識されました。それは、この岩陰が居住や時として埋葬に用いられたホアビン文化期と、墓地として機能した新石器時代期です。放射性炭素年代測定から、グア・チャ遺跡では、ホアビン文化は9000年前頃から始まり、新石器時代農耕民は3000年前頃から用いた、と示されました。

 本論文の外群f3分析は、グア・チャ洞窟における狩猟採集から農耕生活様式への移行に関する考古学的調査結果と一致します。ホアビン文化層のMa911個体がマレーシアのネグリートと最も多くアレル(対立遺伝子)を共有する一方で、新石器時代農耕民のMa912個体はセノイ人の農耕民により近くなっています。本論文の結果から、マレーシアの現代のネグリートは古代人2集団に遺伝的に由来する、と確証されます。それは、中国南部もしくはアジア南東部本土に起源があるホアビン文化狩猟採集民と新石器時代農耕民です。

 本論文の分析は、さまざまなオラン・アスリ人部族間、とくにマレーシアのネグリート間、マーメリ人とジャクン人との遺伝子流動を検出しました。近隣のオラン・アスリ人部族間もしくはオラン・アスリ人とマレーの人口集団との間の混合は、以前に報告されました。たとえば、ジェハイ人とその近隣のマレー人との間の最近の混合が報告された一方で、そうした混合は別のネグリート集団であるケンシウ人(Kensiu)としても知られるマニ人(Maniq)では存在しませんでした。ドゥスン人ではネグリートもしくはホアビン文化関連祖先系統のあらゆる痕跡が見つかりませんでした。同様に以前の研究では、ボルネオ島北部とダヤク(Dayak)とビダユー(Bidayuh)の人口集団における、ネグリート祖先系統の欠如が報告されました。ボルネオ島におけるオーストラロ・メラネシア人の存在を裏づける人口統計学的および考古学的証拠を考慮すると、ボルネオ島におけるネグリート祖先系統の欠如についての最良の説明は、オーストロネシア人によるボルネオ島の最初のオーストラロ・メラネシア人住民の置換かもしれません。

 興味深いことに、セレター人標本のmtHgは全てN9a6bでした。mtHg-N9a6はアジア南東部島嶼部に限られているようで、マレーシアで最高頻度に達します。本論文の結果は、セレター人におけるわずか4系統のmtHg(mtHg-N9a6bが71%を占めます)を報告した以前の研究と一致します。セレター人は、マレーシアとシンガポールを隔てる水路であるジョホール海峡に沿って暮らす海洋民です。セレター人の歴史はよく記録されていません。セレター人は通常、マレー語で「海の人々」を意味するオラン・ラウト(Orang Laut)と関連しており、マラッカ海峡を占拠した海洋民の集合です。本論文のTreeMixとROHの結果から、セレター人は遺伝的にオーストロネシア語族話者とより近いものの、深刻な遺伝的浮動を経た、と示唆されます。

 要約すると、本論文の提案は、少なくとも3つの祖先構成要素が現在のマレーシアの人口集団の形成に関わっており、それはホアビン文化狩猟採集民と新石器時代農耕民とオーストロネシア語族話者だった、というものです。本論文は、マレー半島のさまざまなオラン・アスリ人部族間の遺伝的相互作用も示しました。


参考文献:
Aghakhanian F. et al.(2022): Sequence analyses of Malaysian Indigenous communities reveal historical admixture between Hoabinhian hunter-gatherers and Neolithic farmers. Scientific Reports, 12, 13743.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-17884-8

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