井原泰雄「言語の起源と進化 その特殊性と進化の背景」

 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。音声や動きなどで複雑な意思伝達を行なう動物もいますが、それらとの共通点もある言語はヒト(Homo sapiens)に固有と考えられています。言語能力については、広義と狭義に区分する見解があります。意思伝達に関わる仕組み(感覚・運動系)と思考に寄与する仕組み(概念・意図系)が含まれます。狭義の言語能力は文法的な演算を担います。広義の言語能力のさまざまな側面が非ヒト動物と共有されているのに対して、狭義の言語能力はヒトに固有とされます。さらに、狭義の言語能力は入れ子構造を作る操作(再帰)を可能にする認知能力とも言われています。

 言語進化について、さまざまな理由が提案されています。屍肉漁りのさいに競合する肉食獣を共同で追い払うため効率的に協調することが、言語進化の選択圧になった、との見解があります。肉食とも関連しますが、石器製作の教示が言語進化の基盤になった、との見解もあります。最初期のオルドワン(Oldowan)石器の制作技術は、模倣や教示などの社会学習を通じて継承され、それが言語進化の基盤になったかもしれない、というわけです。最近の研究では、オルドワンに続くアシューリアン(Acheulean)石器は、言語もしくは後の言語につながるような音や身振りを使う単純な意思伝達が必要だったかもしれない、と示唆されています(関連記事)。

 装飾品や芸術品の制作は「現代人的行動」とされ、象徴的役割を担っていた、と考えられています。特定の人工物に意味や価値を付与し、社会の構成員の間で共有していたのではないか、というわけです。こうした行為には、完全な統語性を備えた言語(文法規則を持つ言語)が必要だった、と指摘されています。ヨーロッパにおいてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が現生人類に置換されたのは、ネアンデルタール人には言語がなかったからではないか、との見解も提示されています。しかし、ネアンデルタール人に言語があったのか否か、決定的な証拠は得られていません。ネアンデルタール人の象徴的行動を強く示唆する証拠が蓄積されつつあることから(関連記事)、現代人との違いはあっても、ネアンデルタール人にも何らかの言語があった、と考える方が妥当なように思います。


参考文献:
井原泰雄(2021)「言語の起源と進化 その特殊性と進化の背景」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第13章P208-220

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