ホモ・フロレシエンシスの進化と人類の多様性

 ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)については、以下のようにまとめ記事をたびたび掲載してきました。

2008年
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/055-10.htm

2014年
https://sicambre.seesaa.net/article/201408article_5.html

2016年
https://sicambre.seesaa.net/article/201609article_16.html

2020年
https://sicambre.seesaa.net/article/202008article_22.html

 一度参考文献を整理してこれらの記事をまとめようと考えていますが、気力が湧かないので、短くまとめておきます。ホモ・フロレシエンシスの遺骸はまずインドネシア領フローレス島のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟で発見され(遺骸の下限年代は6万年前頃、ホモ・フロレシエンシスと関連していると考えられる石器群の下限年代は5万年前頃)、その祖先かもしれない70万年前頃の人類遺骸が、フローレス島中央のソア盆地のマタ・メンゲ(Mata Menge)遺跡で発見されています。

 ホモ・フロレシエンシスについての主要な論点は、どの人類系統から進化し、どこからどのようにフローレス島へと到達したのか、ということです。ホモ・フロレシエンシスの祖先については、大別すると、ジャワ島というかスンダランドのホモ・エレクトス(Homo erectus)か、エレクトスよりもさらに祖先的、つまりアウストラロピテクス属的な特徴を有する分類群ではないか、という見解に二分されるようです。私はホモ・エレクトスの子孫説の方が妥当だと考えていますが、この問題の解明にはより多くの関連化石の発見が必要になるでしょう。

 ホモ・フロレシエンシスがどこからフローレス島に到達したのか、という問題も解決したとは言えないようです。フローレス島は更新世には他の島々や大陸と陸続きになったことはないようなので、フロレシエンシス(もしくはその祖先)は渡海したことになります。有力候補地としてスラウェシ島が考えられますが、そうだとしても、どのようにフローレス島へと到達したのか、という問題が残ります。ある程度意図的なのか、それとも地震による津波や台風などで流木につかまって偶然漂着したのかが問題となります。フローレス島の考古学的痕跡からは、ホモ・フロレシエンシスは一定以上の規模の集団だったと考えられますが、偶然の漂着でそれを可能とするだけの個体数が同時に(もしくはごく短期間で複数回)フローレス島に到達することはあり得るのか、問題となるでしょう。

 さらに、ホモ・フロレシエンシス(もしくはその祖先)がスラウェシ島から偶然漂着したとすると、リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスと、類似した70万年前頃のマタ・メンゲの人類との祖先・子孫関係も確定的とは言えないように思います。つまり、ホモ・フロレシエンシスはスラウェシ島で進化し、たびたびフローレス島へと漂着したものの、その都度絶滅したので、リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスと70万年前頃のマタ・メンゲの人類とに直接的な祖先・子孫関係はなかったかもしれない、というわけです。さらに言えば、リアン・ブア洞窟の年代の異なるホモ・フロレシエンシスも、直接的な祖先・子孫関係はなかったかもしれません。

 ホモ・フロレシエンシスとの関連で注目されるのは、ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)で発見された67000~50000年以上前の人類遺骸で、の歯・手・足の形態の組み合わせがひじょうに独特であることから、ホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)と分類されました。ホモ・ルゾネンシスは、手と足の形態においてアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)やアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)との類似性が、歯についてはさらにさまざまな人類との類似性が指摘されています。非現生人類ホモ属の人口密度は低かったでしょうから、アジア南東部も含めてアフリカからユーラシアへと拡散したホモ属はそれぞれ孤立しやすく、遺伝子交換の頻度は少なかったでしょうから、多様化しやすい傾向にあった、と考えられます。その意味で、今後もホモ属の新種が発見される可能性は高そうです。

 フローレス島の石器技術も問題で、リアン・ブア洞窟において更新世のフロレシエンシスから完新世の現生人類(Homo sapiens)まで類似した石器技術が継続し、中期更新世でも前期となる70万年前頃のマタ・メンゲ遺跡の石器群と、中期更新世~後期更新世にかけてのリアン・ブア洞窟の石器群も技術的に類似している、と指摘されています。アジア南東部島嶼部の石器群の変遷に関しては、更新世~完新世にかけての技術的連続性が指摘されていますが、それはリアン・ブア洞窟でも同様というわけです。現生人類(Homo sapiens)が存在したとはとても考えられない時代から、まず間違いなく現生人類ではない人類はすでに絶滅していただろう完新世まで、人類系統の違いにも関わらず石器製作技術が共通していることは、人類史における大きな謎と言えるでしょう。

 ただ、リアン・ブア洞窟の石器群は、更新世と完新世とで違いも見られます。完新世になると、更新世とは石材の選択が異なっていたり、石器が研磨されるようになったり、火で加熱処理がされたりするようになります。製作技術的により複雑さの要求される手斧も製作されるようになります。リアン・ブア洞窟においては、石器技術では様式1(Mode 1)のオルドワン(Oldowan)的な石器技術がずっと見られ、大きな剥片を製作して洞窟に持ち込み、小さな剥片を製作するという更新世~完新世にかけての共通点とともに、上記のような相違点も見られ、それは製作者の生物学的系統の違いを反映しているのではないか、と指摘されています。石器技術などの文化と生物学的特徴および分類との関係は多様なので、安易に文化と生物学的分類群とを相関させてはならないでしょう。

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