本郷和人『歴史学者という病』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2022年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。著者の提示する歴史像にはどうも納得できないことが多いものの、読みやすく教えられるところが多いので、これまでにも何冊か読んできました。本書は、日本中世史の研究者である著者が歴史学の現状を憂いて執筆した内容と予想されたので、歴史学を専攻したわけではないものの、長年の歴史愛好者である私にとっても学ぶところが多いのではないか、と思って読んでみました。著者は一般向け書籍を多く執筆しているだけに、本書は全体的にかなり読みやすいと思います。

 本書には著者の自伝的側面も多分にあり、著者は、自分は天才ではなく、劣等感に苛まれていた、と強調しますが、確かに上には上がいるとはいえ、著者はかなり早熟で優秀な子供だったように思えます。著者の小学校から高校までの生活と心境にもかなりの分量が割かれていますが、それと比較すると、同じ年代の頃の私は本当に物知らずだったな、と痛感させられます(それは成人した後も変わらず、何とも情けない限りですが)。上述のように著者の提示する歴史像には納得できないことも多いものの、子供の頃の著者の不安には大いに共感できるところもあり、何とも単純ではありますが、著者への印象は本書を読んで一定以上改善されました。

 著者は歴史学を専攻し始めた時に、子供の頃から馴染んできた「物語としての歴史」と、「科学としての歴史」の違いにかなり戸惑ったそうです。これは、確か著者の他の著書だか雑誌の記事だかで読んだ記憶がありますが、私も歴史学を先行していたら、著者のように悩んでいたように思います。この問題に悩んだ著者は、歴史学は人間の内面の推量行為を慎まねばならない、と強調し、最近の一部の若手の歴史学研究者が歴史上の人物の心中や感情を忖度し、あたかも代弁するような行為は危険だ、と注意を喚起します。これは尤もなのでしょうが、素人の私としては、歴史とは人間の営為であり、人間の内面に踏み込む必要もあるのではないか、とも思います。

 著者が冒頭で述べているように、本書は人間関係にもかなり踏み込んでおり、恩師の石井進氏とは確執もあったことや、その石井氏とともに「四人組」の一人とされた勝俣鎭夫氏(他の二人は網野善彦氏と笠松宏至氏)とは「合わなかった」ので積極的に教わりに行かなかったが述べられています。著者は1988年に東大史料編纂所に入りますが、当時はまだ、知識人は「左」でなければならない、という雰囲気が強くあったそうです。現在ではそれが明示的に語られることはないとしても、そうした雰囲気が形を変えてまだ残っているのではないか、とも外部の素人である私は考えてしまいます。

 人間関係にかなり踏み込んでいる点では、東大史料編纂所で親しくしていたX氏との大喧嘩がかなり赤裸々に描かれています。X氏について、日本中世史に関心があれば、私のような非専門家の読者でも誰なのか容易に推測できそうなので、ここまで踏み込んでいることにはやや驚きました。なるほど、本書のような経緯であれば、X氏が著者を厳しく批判し、時には罵倒に近いような発言をすることも了解されます。著者の「単なる」実証への批判には尤もなところもありますが、正直なところ、藁人形的批判もあるのではないか、との疑問はあります。ここは、歴史学の研究者の意見を聞きたいところです。

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