アドリア海の人口史

 アドリア海の人口史に関する研究(Raveane et al., 2022)が公表されました。イタリア半島南部は、ヨーロッパにおいて現生人類(Homo sapiens)が最初に生息した地域の一つでした。現生人類のものとされる最古の考古学的遺物はプッリャ州のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)で発見されており(45000年前頃)、最近になってウルツォ文化(Uluzzian culture)と関連づけられ(関連記事)、ギリシアの中部旧石器時代と上部旧石器時代でも報告されましたが、他の解釈が提案されてきました。

 2万年前頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末には、ヨーロッパ南東部とアジア西部の人口集団が部分的にヨーロッパ大陸部狩猟採集民(HG)を置換しました(関連記事)。最近、古代DNA分析により、いわゆるヴィラブルナ(Villabruna)クラスタ(まとまり)もしくはヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)との高い類似性を有する、ヨーロッパ狩猟採集民の初期の到来の裏づけが見つかりました。この変化の最初の証拠は17000年前頃となるイタリア半島北東部の人類遺骸のゲノムで記録されました。この移行は、考古学的データにより確証されるように、17000年前頃となるヨーロッパ南部における続グラヴェティアン(Epigravettian)の前期から後期の間に起きた人口統計学的変化(関連記事1および関連記事2)と関連していました。これらの観察結果は、新石器時代のずっと前のヨーロッパ東西間のつながりの存在を浮き彫りにし、イタリア半島は陸橋もしくは退避地のいずれかの役割を果たしました(関連記事)。

 新石器化はヨーロッパ大陸の文化と人口統計に革命をもたらし、イタリア半島南部はアドリア海の西側で最初に移住された場所でした(関連記事)。最近、ヨーロッパ南部古代人のゲノムが利用可能になり、青銅器時代に起きたポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)人口集団の初期段階の動態の解明に役立ちました。ヨーロッパの他地域とは異なり、ギリシアとイタリア半島南部はこの人口拡散の影響が少なかったようで、追加のイラン関連祖先系統により特徴づけられます(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 しかし、新石器時代のイタリア半島南部の古代人のゲノムの欠如は、この地域におけるこうした大きな文化的および人口統計学変化に関する重要な問題を残しています。5500年前頃の考古学的証拠に始まり、アドリア海とイオニア海の軸に沿って相互作用し、2つかそれ以上のさまざまな中核地域間で動作し、小さなヒト集団の移動の契機となった、つながりと拡大を横断して放射状に広がる、文化的つながりのネットワークの概略を示すことができます。実際のところ、4300~4000年前頃に、よく知られたセティナ(Cetina)様式の文化要素が、バルカン半島北部・西部における鐘状ビーカー(Bell Beaker)現象とも関連しており、プッリャ州北部とイタリア半島南部・東部全域のダルマチア中核地域から南方へと広がり、イオニア諸島とギリシア西部にも影響を及ぼした、活発な役割を果たしました。

 その後、4000年前頃に始まり、とくに青銅器時代後半以降から(3300~3200年前頃)、イタリア半島南部とエーゲ海の共同体間で、繁栄した継続的な文化的関係が確立しました。これらの接触の人口統計学的範囲は明らかではありませんが、移動性に関するいくつかの貴重な洞察は、土器工芸品から推測できます。ティレニア・カラブリア(Tyrrhenian Calabria)のプンタ・ディ・ザンブローネ(Punta di Zambrone)とアドリア海南部のプッリャ州のロカ・ヴェッキア(Roca Vecchia)の中核遺跡のエーゲ海様式土器と関連する最新の分析的証拠により、ギリシア西部地域、つまりイオニア諸島とアカルナニア(Acarnania)とアカイア(Achaea)とエーリス(Elis)との強いつながりと、それよりは弱いもののクレタ島西部とのつながりを浮き彫りにできます。

 正確には、青銅器時代に続いて、いわゆるギリシアの「暗黒時代」とアルカイックとの間(2700~2500年前頃)には、イタリア半島南部はギリシアの植民地設立の中心地となりました。最初のギリシア人植民地はギリシア東部(エウボイア島)から到来した入植者により2800年前頃にカンパニア州とシチリア島に設置され、その後すぐカラブリア州とバジリカータ州とプッリャ州での植民地設置が続き、マグナ・グラエキア(Magna Grecia)として後に知られる地域を含みます。2700~2600年前頃に、これら植民地の一部は、とくにシチリア島南部・東部のシラクサ(Siracusa)とメガラ・イブレア(Megara Iblea)およびプッリャ州のターラント(Taranto)では、ペロポネソス半島東部の創始者によるものでした。

 初期植民地の性質と人口統計学的影響の規模と遺伝的遺産は、依然として議論になっています。いくつかの遺伝学的研究はイタリア半島の現代の人口集団を用いて、イタリア半島南部におけるこれらの過程の人口統計学的影響を特徴づけようと試みましたが、これら古代の構成要素の詳細な分析の意図はありませんでした。さらに、最近の古代DNA研究では、鉄器時代のプッリャ州の人々はまだ現在のイタリア半島南部人と重ね合わせることができない、と示され、イタリア半島における現在の遺伝的多様性理解の鍵として後の過程が指摘されています。この複雑な人口統計学的シナリオの結果として、イタリア半島はこれまでヨーロッパにおいて特定された遺伝学的な人口構造の最大程度を抱えており、その人口集団は適応研究の貴重な利点になっています。

 この研究ではゲノム規模分析が実行され、ヨーロッパ南部と東部の人口集団の現在の遺伝的構造が明かされ、イタリア半島南部とギリシアとの間の最近および過去の相互作用が浮き彫りになります。さらに、利用可能な古代ゲノムの統合により、イタリア半島南部の現代人とさまざまなユーラシア古代人集団との間の遺伝的類似性が細かく特徴づけられました。最後に、イタリア人の南北間のアレル(対立遺伝子)頻度における違いの評価により、推定される選択されたゲノム領域が調べられ、免疫学的および食性の特徴と関連する選択下にあった可能性のある一塩基多型(SNP)が特定されました。


●イタリア半島南部の人々の遺伝的構造

 ADMIXTUREでK(系統構成要素数)=9により推測されるユーラシア個体群の遺伝的階層化により、本論文のデータセットに含められる全てのヨーロッパ人により実質的に共有される3つの主要な構成要素の存在が明らかになりました(図1A)。これらは次のように構造化されていました(図1A)。サルデーニャ島人で最高頻度となる鮭肉色は現代のイタリア半島とギリシアの人口集団においても高い割合で存在します。ドイツとスロヴァキアで最も一般的な黄色は、ギリシアとコソボとイタリア半島全域において類似の割合で見られます。追加の構成要素(緑色)はコーカサス地域において最高頻度となり、イタリア半島とギリシアにもおもに存在します。以下は本論文の図1です。
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 f4分析では、コーカサス現代人がヨーロッパ南部・東部の現代人とよりもヨーロッパ中央部現代人の方とアレル共有の割合は高い、と示され、おそらくは青銅器時代の移住の結果です。主成分分析(PCA)の最初の2主成分(PC)は、イタリア半島南部人と分析されたギリシアの人口集団の大半との間の遺伝的類似性を浮き彫りにし、唯一の例外は以前に特異な集団として識別されたペロポネソス半島集団で、この集団は第3主成分を評価しても密集したクラスタ(まとまり)を形成します。

 アドリア海全域の人口集団間の類似性の程度をさらに分析するため、現代人682個体で構成された部分集合で実行された、PCAの最初の10主成分でのクラスタ化手法が適用されました。これらの人口集団で遺伝的類似性を要約した12のクラスタが検出され、そのうち9クラスタはイタリア半島で見つかります。プッリャ州とカラブリア州の現代人は類似の特性により特徴づけられ、その個体のほとんどは3クラスタ(クラスタ1と4と6)に分類されます。

 シチリア島西部人はおもにクラスタ4に収まり、シチリア島東部では実質的に存在しないものの、ペロポネソス半島西部では最高頻度となります。クラスタ6はプッリャ州とカラブリア州とシチリア島では2番目に多いクラスタで、ペロポネソス半島西部でも見られます。とくに、クラスタ1はイタリア半島南部全体において中程度の頻度(16~23%)で見つかり、メッシニア(Messenia)県を除いて見つからないようにペロポネソス半島西部においては稀であるものの、ペロポネソス半島東部では、ラコニア(Laconia)県で36%、ギリシアのマケドニア地域で33%、コソボで42%というように、人口集団高い割合で存在します。

 興味深いことに、シチリア島人のかなりの割合(16~30%)は、イタリア半島北部および中央部地域を含むクラスタの一部で(クラスタ9)、ギリシアとペロポネソス半島には存在しません。シチリア島東部とプッリャ州は、北部と南部のツァコニア人(Tsakonian)で観察される特有のクラスタ(クラスタ3)に分類される個体群を有する唯一のイタリア半島集団です。同様に、カラブリア州の17個体のうち1個体とサルデーニャ島の24個体のうち2個体は、ディープ・マニ(Deep Mani)とタイゲトス(Taygetos)の標本でおもに構成されるクラスタ5に分類され、これは以前に、遺伝的浮動を経た人口集団として報告されました。


●イタリア半島南部現代人とユーラシア古代人との間の関係のモデル化

 旧石器時代から中世までの、旧石器時代と鉄器時代との間のユーラシア古代人138個体と、旧石器時代から中世のイタリア半島の古代人184個体で構成されるデータセットを組み立てる古代人集団について、イタリア半島南部における遺伝的差異が評価されました。古代の遺伝的特性は、古代人の遺伝子型を現代の個体群で推定された最初の2つの固有ベクトルに投影することにより、PCAを通じておもに調べられました(図2A)。ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)は第2主成分に沿った西から東への勾配を描くPCAの右側でクラスタ化し(まとまり)、おそらくはイタリア半島における17000年前頃の到来後の遺伝的浮動の結果として、イタリア半島の狩猟採集民はこのクラスタの一端に位置します(関連記事)。

 「新石器時代祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)」が豊富な個体のほとんどは、サルデーニャ島現代人の遺伝的バラツキの近くに位置し、以前に観察されたように(関連記事1および関連記事2)、高いアナトリア半島新石器時代祖先系統により特徴づけられる2つの異なる集団の形成が伴います。標本の一方の集団は、新石器時代と銅器時代のイベリア半島人とともに、新石器時代と銅器時代と青銅器時代のサルデーニャ島人によりおもに構成されます。このクラスタは銅器時代と青銅器時代のイタリア半島北部・中央部の数個体および新石器時代のブリテン諸島人口集団も含みました。もう一方の集団は、アナトリア半島とイタリア半島中央部とシチリア島とギリシアの新石器時代個体群によりほぼ形成されます。とくに、サルデーニャ島現代人はこの2集団のどちらとも完全には重ならず、サルデーニャ島における遺伝的連続性の欠如を確証します。

 この2集団が農耕拡大のいわゆる「地中海」および「ドナウ川」経路を反映しているならば、これらの観察結果は、サルデーニャ島における「ドナウ川経路」の主要な拡大を示唆しているかもしれず(関連記事)、サルデーニャ島現代人で観察される遺伝的バラツキを形成する後の人口統計学的事象が伴います。しかし、PCAの分類が狩猟採集民の寄与の程度とある程度相関している、という観察結果は、さまざまな新石器時代集団におけるさまざまな混合のシナリオという仮説も裏づけるかもしれません。詳しくは、ギリシアの新石器時代の1個体はヨーロッパ前期新石器時代標本と近く、新石器時代のアナトリア半島人およびペロポネソス半島2個体が含まれるクラスタを形成します。以下は本論文の図2です。
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 イタリア半島現代人はサルデーニャ島人を除いて、同じ地域の中石器時代と新石器時代と青銅器時代の個体群とは大きく異なり、鉄器時代標本においてのみいくつかの類似性があります。注目すべき例外は、調べられた鉄器時代イタリア半島南部人が、同じ地域の現代の個体群で観察された遺伝的多様性と重ならず、以前の観察と一致する、という事実です。興味深いことに、新石器時代ペロポネソス半島人5個体のうち3個体は、本論文のデータセットで含められたミノア人およびミケーネ人の全体とともに、ペロポネソス半島南部およびイタリア半島南部地域(シチリア島とカラブリア州とプッリャ州)に現在居住する人々の遺伝的バラツキへと区分されます(図2B)。イタリア半島南部現代人は、ディープ・マニとタイゲトスの個体群を除いて、ほとんどのペロポネソス半島現代人集団とよりも、ヨーロッパ南部の新石器時代および青銅器時代標本(新石器時代ペロポネソス半島人とミノア人)の方と密接です(図2B)。

 イタリア半島南部人と古代人標本との間の類似性も、f統計により調べられました。まず、アナトリア半島新石器時代(AN)標本に関して、イタリア半島北部人と他のイタリア半島集団(OIG)の類似性の対称性が検証されました。全てのf4検定(ムブティ人、AN、OIG、ロンバルディア州個体群)は、サルデーニャ島人のみを除いて、ロンバルディア州個体群とANとの間の有意により高い類似性を示します。このパターンは、青銅器時代ギリシア集団もしくは古代草原地帯集団をANの位置に用いても明らかです。これらの観察結果から、イタリア半島中央部および南部の人口集団はロンバルディア州個体群よりもANからの寄与が低いか、あるいは、イタリア半島中央部および南部人が、おそらくは現在の中東もしくはアフリカと関連する、他のさまざまな集団からの寄与を受けた、と示唆されます。

 シチリア島東部とカラブリア州を除いて、f4の組み合わせ(ムブティ人、草原地帯、OIG、ディープ・マニ)で有意な結果は検出されず、イタリア半島南部人口集団と(古代スパルタ人の末裔とされる)マニアテス(Maniots)について、同様の草原地帯の寄与が示唆されます。対照的に、ディープ・マニをさまざまなペロポネソス半島地域の他の集団と置き換えると、後者はイタリア半島南部現代人よりも草原地帯祖先系統に対して高い類似性を示します。

 さらに、右側の人口集団一式に対して検証集団と供給源集団(左側の人口集団)の関係を要約する、f4値のベクトルに適合するqpAdmを用いて、イタリア半島南部集団の混合モデルが調べられました。まず、推定される供給源として、ヨーロッパ現代人の主要な祖先人口集団(アナトリア半島N、WHG、イランN、EHG)が用いられました(図2C)。全ての検証された人口集団は、サルデーニャ島人(アナトリア半島Nを71%有するとモデル化されます)を除いて、AN供給源の顕著に類似した割合を示し、f4統計で観察された祖先系統における違いがひじょうに微妙である、と示唆されます。さらに、サルデーニャ島人(イランNを18%有するとモデル化されます)を除いて検証された人口集団のほとんどは、新石器時代イランの標本と関連する祖先系統の比較的高い割合(29~36%)を示します(図2C)。

 一般的に、ヨーロッパ前期新石器時代(EN)と草原地帯EMBA(前期~中期青銅器時代)とイランNを含むモデルが考慮された場合、類似のヨーロッパ新石器時代の割合が観察されました(図2D)。以前の設定と比較すると、イランN的祖先系統のかなりの割合が草原地帯牧畜民とともに到来した、という事実に起因する、イランNの寄与の急激な減少(10~26%)が観察されました。さらに、サルデーニャ島とイタリア半島北部の人口集団は、上述の3供給源(ヨーロッパENと草原地帯EMBAとイランN)のみを用いてはモデル化されず、おそらくはヨーロッパENに関してWHGが過剰であるからです。じっさい、追加の供給源としてWHGを用いると、全ての3人口集団は上手くモデル化できます。

 混合図(図3)は、全体的なより高い草原地帯関連祖先系統が検出された、現在のイタリア半島南部人とギリシア人との間の祖先の遺伝的人口集団の違いと類似性を描くのに役立ちました(図2D)。とくに、ミノア人のゲノムの63%がプッリャ州現代人の遺伝子プールの97%に寄与した人口集団で見つかった、混合図モデルに適合させることができました(図3A)。逆に、現代ギリシア人は、現在のバルカン半島人口集団(セルビア人)と関連する人口集団と、本論文ではミノア人として表される青銅器時代ギリシア人集団の混合として上手くモデル化されました(図3B)。これは、イタリア半島南部とギリシアの現代の人口集団間の草原地帯関連祖先系統で見つかった違いを説明できるかもしれません。さらに、これらの結果は、ギリシアとその近隣のスラブ関連人口集団間のより最近の遺伝子交換を示唆します。あるいは、バルカン半島人における青銅器時代前の遺伝的構造の結果として、アドリア海の両側の間の異なる古代の遺産により説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
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●南北イタリア半島の人々の適応の推定される痕跡の調査

 イタリア半島全体の古代の祖先系統寄与の違いに続いて、外群として北京漢人(CHB)を用いてのイタリア半島人口集団の組み合わせの有意なアレル頻度の違いを示す遺伝標識を特定するために、人口集団分枝統計(Population Branch Statistics、略してPBS)分析が適用されました。5ヶ所の連続するSNPのウィンドウ全体にわたる平均PBSが推定され、イタリア半島北部(正のPBS値)とイタリア半島南部(負のPBS値)においてより高い頻度を有する上位10点のウィンドウに焦点が当てられました。最終的に、最も極端なPBS値(百分位数で99.5超と0.05未満)の多様体が注釈され、生物学的もしくは機能的特徴が豊富なのかどうか、評価されました。

 上位20ウィンドウのうち7つは、既知の遺伝子と重複していません(図4)。イタリア半島北部における最高頻度のアレルを示すウィンドウのうち1つは、静脈血栓塞栓症や出生時体重や血中タンパク質濃度やアルコール消費と関連する遺伝子であるPABPC4L(ポリA結合タンパク質細胞質4様)を含んでいます。別のウィンドウは1番染色体に位置し、血中タンパク質濃度や血小板濃度と関連するNID1(ニドゲン1)遺伝子を含んでいます。3番染色体の第三のウィンドウは、CBLB(Cbl癌原遺伝子E3ユビキチンタンパク質連結酵素B)遺伝子内に位置し、TおよびB細胞受容体の調節による免疫反応と関わっています。以下は本論文の図4です。
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極端な負のPBS値のウィンドウのうち、最も分岐した2つは12番染色体内に位置し、15個の遺伝子を含みます(図4)。それらには、アルコール代謝に影響すると知られており、アルコール消費と関連するさまざまな行動特性と相関するALDH2遺伝子が含まれます。本論文のデータセットはこの遺伝子内のSNPを含んでいないので、この兆候が他の領域の多様体によりもたらされている可能性に要注意です。最後に、毛髪形態および顔の毛の厚さにおける多様体と関連する、EDAR(エクトジスプラシンA受容体)遺伝子内の領域におけるきょくたんな分岐が見つかりました。毛包の厚さと形状に影響するSNPのrs3827760(2番染色体109513601)は、本論文のデータセットでは存在しませんが、以前のエクソーム解析でも観察されたように、それが適応的兆候を促進している可能性は低そうです。


●考察

 先史時代以来、イタリア半島南部は多くのヒトの移住と相互作用の交差点で、その遺伝的痕跡はこの地域に現在居住している個体群のDNAにまだ存在しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文では、イタリア半島南部とペロポネソス半島との間の高い類似性が浮き彫りになりました。じっさい、本論文のクラスタ分析では、現在のペロポネソス半島南部・東部の人口集団は、他のギリシア人集団により示されるものとは異なるクラスタ構成により特徴づけられるプッリャ州とカラブリア州とシチリア島南部・東部の現代人と高い遺伝的類似性を有している、と示されました(図1B)。さらに、シチリア島西部の個体群は、ペロポネソス半島西部に居住する人口集団と類似性を示します(図1B)。

 現代人のゲノムを用いての、この類似性の年代的状況の確立は困難ですが、本論文の結果は、ペロポネソス半島南部および東部に居住する人口集団からシチリア島南部・東部とプッリャ州のギリシア人植民地の起源に寄与した、考古学および歴史学の情報源と一致します。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のY染色体の調査結果も、シチリア島東部におけるペロポネソス半島東部祖先系統を明らかにした観察結果、および現代ギリシア人とプッリャ州のサレント(Salento)などギリシア人により植民されたイタリア半島南部地域に居住する人口集団で共有されたハプログループと一致します。

 他のバルカン半島人口集団とのより低い類似性は、スラブ関連の人々など内陸部人口集団によるより低い影響、および/もしくは歴史的情報源により示唆されているようにツァコネス(Tsakones)とマニアテスなどにおける遺伝的浮動に起因するかもしれません。しかし、一部の分析で、イタリア半島南部人と古代ギリシア人が現代および古代のペロポネソス半島人よりも多くのアレルを共有している、という観察結果は、ギリシアにおける内陸部の移住により希釈された可能性が高い、イタリア半島南部人のゲノムにおける古代の人口集団の兆候の保存などのシナリオを示唆するかもしれません(図3)。したがって、本論文の結果は、イタリア半島南部人とペロポネソス半島人との間の高い類似性を示唆しており、中世において記録されているような移住および/もしくは混合などおそらく最近の人口統計学的事象に起因する、アドリア海の両側での一部の違いがあります。

 とくに、かなりの遺伝的類似性が、新石器時代と青銅器時代のペロポネソス半島個体群間で浮き彫りになり、その痕跡はイタリア半島でも記録されています。最近のゲノム研究(関連記事)は、イタリア半島南部現代人における最終的にはコーカサス狩猟採集民(CHG)に由来する寄与を検出し、早くも青銅器時代にはもたらされた可能性があるものの、その人口動態はまだ不明です。全体的にこれらの結果は、ミケーネ文化の拡大と仮に関連づけることができる、シチリア島中期青銅器時代標本におけるイラン関連祖先系統の小さな割合の検出と一致します。

 興味深いことに、本論文の結果は、ANとイランN祖先系統の混合としてこの寄与の供給源をモデル化しました。イランN祖先系統は一貫してイタリア半島南部とペロポネソス半島に見つかり、両地域間で共有される類似の共通の遺伝的供給源の祖先特性を確証します(図2C・D)。さらに、古代人と現代人の標本間の比較は、イタリア半島南部人と鉄器時代個体群との間の全体的な類似性を示し、CHG/イランN痕跡が複数回にわたってか、あるいは継続的な遺伝子流動の結果としてアドリア海の東側に到達した、と示唆するかもしれません。

 ヨーロッパ大陸全域における遺伝的異質性の最大程度はこれまでイタリア半島で記録されており、イタリアにおける疫学的研究や翻訳(タンパク質合成)研究の計画のさいには考慮すべき重要な点です。高網羅率の全ゲノムと全エクソーム配列を利用した研究は、イタリア人における選択下の多様体を、インシュリン分泌や肥満や熱産生やアルコール消費や病原反応や肌の色や癌と関連する遺伝子に関連づけました。本論文では、ALDH2とNID1とCBLB(それぞれアルコール代謝と免疫学的特徴と母斑症の特徴で役割を果たしているかもしれません)遺伝子に近い、イタリア半島南北間のアレル頻度における極端な違いの発生が評価されました。分析されたデータセットは10万ヶ所のSNPしか含んでいませんが、おそらくは影響を受ける表現型におけるこの再現は、イタリア半島の両側の集団において実際の重要な違いを示唆するかもしれません。それにも関わらず、ゲノムの綿密な調査は時として議論を呼び、解釈困難で、より高密度のデータセットでの複数の検証を含むより深い調査が強く望まれます。

 結論として、本論文は、ヨーロッパでもまだ標本抽出の少ないイタリア半島南部で収集された現代人のゲノム構成について、新たな洞察を提供しました。検出された古代の兆候と関連する到来時期と移住経路の特徴づけは、後期新石器時代から前期および中期青銅器時代にまたがる期間を網羅するプッリャ州の古代人のゲノムの分析によってのみ対処できる、と予測されます。イタリア半島南北の現代人において識別された違いは、大きな表現型への示唆を有しており、より多数の遺伝標識と個体の広範な調査が必要です。


参考文献:
Raveane A. et al.(2022): Assessing temporal and geographic contacts across the Adriatic Sea through the analysis of genome-wide data from Southern Italy. Genomics, 114, 4, 110405.
https://doi.org/10.1016/j.ygeno.2022.110405

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