朝鮮半島三国時代の古代ゲノム研究の解説
朝鮮半島三国時代の古代ゲノム研究(関連記事)の解説(Wang R, and Wang CC., 2022)が公表されました。過去10年間、古ゲノミクスは、時空間的規模でアジア東部における過去の人口史の理解を進めてきました。完新世において、アジア北東部人の形成は、3つの遺伝的系統の広範な混合により特徴づけられました。それは、アムール川流域とモンゴル高原の新石器時代狩猟採集民により表される古代アジア北東部系統(ANA)、新石器時代黄河農耕民(NYR)系統、日本列島に存在した縄文文化と関連する旧石器時代狩猟採集民系統です(関連記事)。
たとえば、最近の古代DNA研究で論証されたのは、日本列島への農耕および技術の移転は、それぞれANA関連祖先系統およびNYR関連祖先系統と関連しており、古代日本列島人の遺伝子プールを縄文文化期(紀元前13000~紀元前300年頃)に続く期間、つまり弥生時代(紀元前300~紀元後250年頃)と古墳時代(紀元後250~538年頃)に変えた、ということです【本論文で提示された各時代の年代には異論があるでしょうし、日本列島でも地域差があるでしょう】。在来の縄文祖先系統は弥生時代の人々の約60%を構成していた(残りはANA関連祖先系統)ものの、古墳時代と現代の日本人では13~15%に希釈され、それは漢人関連祖先系統の流入に起因します(関連記事)。
縄文時代の遺伝的遺産は日本列島に限定されず、新石器時代朝鮮半島でも見られました(関連記事)。しかし、紀元前761~紀元前541年頃となる朝鮮半島青銅器時代のTaejungni個体は、縄文祖先系統の有意な証拠を示さず、縄文祖先系統の平行的希釈が朝鮮半島でも起きた可能性を示唆します(関連記事)。この希釈は、農耕および技術的革新の層準と関連している侵入してきた中国北部祖先系統に起因する可能性が最も高く、おそらくは農耕の後期新石器時代もしくは青銅器時代の拡大と関連しています。この青銅器時代朝鮮半島のTaejungni個体の浅い網羅率を考えると、新石器時代後の朝鮮半島で縄文祖先系統が持続したかもしれません。じっさい、朝鮮半島の人口史は古代DNAデータの不足のため、よく理解されていないままです。最近、朝鮮半島古代人の最初の高網羅率のゲノムデータが報告され、三国時代(紀元後4~7世紀)の遺伝的起源に光が当てられ(関連記事)、朝鮮半島における縄文関連祖先系統の希釈の詳細な評価が可能となりました。
アジア東部には、広範な民族的および言語学的多様性があります。一般的に、アジア東部現代人の遺伝的構造は、遺伝的多様性の複数の供給源からの複雑な混合事象の結果で、地理的および言語的分布との確たる一致を示します(関連記事)。たとえばアジア東部北方では、シナ・チベット語族の拡大はNYRを介して伝わった完新世人口集団の移住事象と関連していました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。シナ・チベット語族に分類される民族集団は、一般的に密接な遺伝的関係を示します。
異なる地理的位置の同じ民族集団は、ボトルネック(瓶首効果)や混合事象など追加の人口統計学的歴史を経たかもしれません。ボトルネックや混合事象は、よく研究されている南北の漢人関連の勾配など、民族集団内の人口構造の形成に寄与しました(関連記事)。しかし、いくつかの例外は、遺伝子と言語の別々の進化史を示します。現代朝鮮人は、全ゲノム規模では明らかな遺伝的下部構造がなく、日本人および北部漢人との密接な遺伝的関係を有するひじょうに均質な人口集団ですが(関連記事)、朝鮮語は一般的に孤立言語とみなされており、他のあらゆる言語とは無関係で、特定の語族に分類できません。Y染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝的変異から、朝鮮人はアジア南東部と北部両方の典型的な系統を含んでいる、と示されており、朝鮮半島は複数の波で居住された、と示唆されます。
これまで、わずか数点の低網羅率の新石器時代および青銅器時代の朝鮮半島古代人のゲノムが利用可能です。それは部分的には、朝鮮半島の酸性土壌が古代ゲノムの保存を妨げているからです。これらの研究の限定的な解像度では、朝鮮半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。2つの主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、さまざまな割合で朝鮮半島古代人において観察されました。それは、アジア東部北方関連祖先系統と、在来の縄文関連祖先系統です(関連記事)。
アジア東部北方祖先系統は、ANAおよびNYR祖先系統の混合である現在の中国北東部の新石器時代西遼河農耕民と関連している、と提案されました(関連記事)。その調査結果から、西遼河関連農耕民は朝鮮語祖語を広めたかもしれない、と示唆されました。それは、西遼河農耕民の祖先系統が現代朝鮮人では支配的だからです。次に、朝鮮語祖語集団は、西遼河的祖先系統を現代日本人の遺伝子プールにもたらしました。現代日本人は、縄文時代個体群と関連する基底部アジア東部系統からの限定的な遺伝的遺産(9%)と朝鮮人(91%)の混合として表すことができ(関連記事)、例外は縄文時代の人々の直接的子孫とみなされているアイヌです【本論文はこのように述べますが、最近の研究で示されているように(関連記事)、オホーツク文化集団および現代日本人の主要な直接的祖先集団からの遺伝的影響も強く受けています】。
このシナリオは、雑穀(紀元前3500年頃)、稲作(紀元前1300年頃)、鉄生産(紀元前400年頃)など、中国北部からの移民を通じての高度な技術の複数段階の導入が、朝鮮半島の生活様式を狩猟採集漁撈経済からより定住的な農耕へと劇的に変えた、とする考古学的記録と一致します。これらの技術はその後、朝鮮半島から日本列島へと伝わった可能性が高そうです。しかし、言語もしくは文化の変化が、常に遺伝的相互作用事象を伴うわけではありませんでした。たとえば、アムール川流域とモンゴルでの持続的な遺伝的連続性から、これらの地域は西遼河農耕民の移住の波に直接的には影響を受けなかった、と明らかになっています(関連記事)。
朝鮮半島における縄文祖先系統の遺産と、中国北部から朝鮮半島への経時的な高度な技術の拡大が人口移住もしくは着想の伝播によりどの程度達成されたのかを解明するためには、高品質の古代人の核ゲノムが緊急に必要でした。最近の研究(関連記事)では、朝鮮半島の文化および歴史の形成で重要な期間である三国時代の8個体(紀元後4~5世紀)の、ゲノム規模一塩基多型(SNP)の充分な網羅率とハプロタイプが分析されました。これらの個体は、朝鮮半島南部の伽耶(加羅)諸国の政治および交易の中心地であった金海(Gimhae)の2ヶ所の重要な埋葬複合施設に由来します。「三国時代」という用語は、高句麗と百済と新羅を指します。伽耶は王国ではなく連合国でしたが、これら三国と同時代でした。
最近の研究では、可能性のある供給源としてアジア北東部と縄文を割り当てる2方向混合モデルが、全ての標本抽出された朝鮮半島古代人の遺伝的構成を完全に説明できる、と分かりました。この場合のアジア北東部人とは、中国北部の青銅器時代の西遼河もしくは黄河関連農耕民を指します。一方で縄文は、最近の考古学的証拠によると、日本列島の縄文文化と関連するのではなく、朝鮮半島の在来祖先系統の可能性が高そうです。2ヶ所の遺跡の8個体のみに限定されているにも関わらず、最近の研究は、三国時代の朝鮮半島における高い遺伝的多様性と人口階層化を明らかにしました。この8個体内では遺伝的下部構造が観察され、2個体(34%)は他の個体(7%)よりも縄文関連祖先系統が多くなっています(図1)。この下部構造が社会的地位もしくは性別に起因する可能性は低そうで、代わりに、縄文関連祖先系統の分布の違いとのみ関連しています。
縄文関連祖先系統を7%ほど有する三国時代朝鮮人は、混合年代推定において標的集団として用いられた場合、黄河流域農耕民と縄文時代狩猟採集民との間の混合事象が紀元前1400~紀元前600年頃と推定され、これは朝鮮半島における青銅器時代(紀元前1400~紀元前300年頃)に相当します。Taejungniの単一の青銅器時代個体の浅い網羅率のゲノムでは、以前の研究において縄文関連祖先系統の欠如が指摘されましたが(関連記事)、新たな高網羅率のデータでは裏づけられず、縄文関連祖先系統は朝鮮半島南部において高水準で少なくとも三国時代の紀元後500年頃までは存続した、と示されます。以下は本論文の図1です。
現代朝鮮人は、アレル(対立遺伝子)およびハプロタイプの共有パターンと、共有される支配的なY染色体およびmtDNAのハプログループの特性から推測される三国時代の個体群と、遺伝的に密接に関連しています。現代朝鮮人のいくつかの固有の表現型の特徴関連の遺伝的多様体は、すでに三国時代の古代人のゲノムに存在しました(関連記事)。縄文祖先系統を有する朝鮮半島古代人は、朝鮮半島現代人の遺伝的形成にかなり寄与しましたが、朝鮮半島現代人は縄文関連祖先系統なしで高い遺伝的均質性を示します。朝鮮半島のTaejungniの青銅器時代個体が遺伝的に朝鮮半島現代人と類似しているのかどうかは、この個体のゲノム網羅率がひじょうに低いため、確信的には示されませんでした(関連記事)。この青銅器時代標本を考慮しなければ、あり得るシナリオは、在来の縄文関連祖先系統が侵入してきた中国北部人口集団との混合を通じてほぼ置換されており、その後で消滅して、比較的均質な現代朝鮮人が形成されました。
まとめると、最近の研究(関連記事)では、金海の古代人個体群の発見により、三国時代朝鮮半島の人々の二重起源は、青銅器時代西遼河もしくは黄河流域関連農耕民と縄文時代狩猟採集民の両方に祖先系統が由来する、と提案されました。興味深いことに、縄文関連祖先系統は少なくとも紀元後5世紀まで朝鮮半島南部において高水準で存続しました。これらの調査結果は新たな問題を提起します。たとえば、縄文時代の人々の地理的範囲、あるいは縄文祖先系統はかつてアジア東部もしくは北東部本土に到達しましたか?朝鮮半島で最初の農耕民は誰でしたか?後期新石器時代もしくは青銅器時代の西遼河農耕民か、あるいは黄河流域関連農耕民でしたか?これらの問題の解決には、朝鮮半島およびその周辺の未調査地域からの、より多くの考古学的および高網羅率の遺伝的データが必要です。
参考文献:
Wang R, and Wang CC.(2022): Human genetics: The dual origin of Three Kingdoms period Koreans. Current Biology, 32, 15, R844–R847.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.044
たとえば、最近の古代DNA研究で論証されたのは、日本列島への農耕および技術の移転は、それぞれANA関連祖先系統およびNYR関連祖先系統と関連しており、古代日本列島人の遺伝子プールを縄文文化期(紀元前13000~紀元前300年頃)に続く期間、つまり弥生時代(紀元前300~紀元後250年頃)と古墳時代(紀元後250~538年頃)に変えた、ということです【本論文で提示された各時代の年代には異論があるでしょうし、日本列島でも地域差があるでしょう】。在来の縄文祖先系統は弥生時代の人々の約60%を構成していた(残りはANA関連祖先系統)ものの、古墳時代と現代の日本人では13~15%に希釈され、それは漢人関連祖先系統の流入に起因します(関連記事)。
縄文時代の遺伝的遺産は日本列島に限定されず、新石器時代朝鮮半島でも見られました(関連記事)。しかし、紀元前761~紀元前541年頃となる朝鮮半島青銅器時代のTaejungni個体は、縄文祖先系統の有意な証拠を示さず、縄文祖先系統の平行的希釈が朝鮮半島でも起きた可能性を示唆します(関連記事)。この希釈は、農耕および技術的革新の層準と関連している侵入してきた中国北部祖先系統に起因する可能性が最も高く、おそらくは農耕の後期新石器時代もしくは青銅器時代の拡大と関連しています。この青銅器時代朝鮮半島のTaejungni個体の浅い網羅率を考えると、新石器時代後の朝鮮半島で縄文祖先系統が持続したかもしれません。じっさい、朝鮮半島の人口史は古代DNAデータの不足のため、よく理解されていないままです。最近、朝鮮半島古代人の最初の高網羅率のゲノムデータが報告され、三国時代(紀元後4~7世紀)の遺伝的起源に光が当てられ(関連記事)、朝鮮半島における縄文関連祖先系統の希釈の詳細な評価が可能となりました。
アジア東部には、広範な民族的および言語学的多様性があります。一般的に、アジア東部現代人の遺伝的構造は、遺伝的多様性の複数の供給源からの複雑な混合事象の結果で、地理的および言語的分布との確たる一致を示します(関連記事)。たとえばアジア東部北方では、シナ・チベット語族の拡大はNYRを介して伝わった完新世人口集団の移住事象と関連していました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。シナ・チベット語族に分類される民族集団は、一般的に密接な遺伝的関係を示します。
異なる地理的位置の同じ民族集団は、ボトルネック(瓶首効果)や混合事象など追加の人口統計学的歴史を経たかもしれません。ボトルネックや混合事象は、よく研究されている南北の漢人関連の勾配など、民族集団内の人口構造の形成に寄与しました(関連記事)。しかし、いくつかの例外は、遺伝子と言語の別々の進化史を示します。現代朝鮮人は、全ゲノム規模では明らかな遺伝的下部構造がなく、日本人および北部漢人との密接な遺伝的関係を有するひじょうに均質な人口集団ですが(関連記事)、朝鮮語は一般的に孤立言語とみなされており、他のあらゆる言語とは無関係で、特定の語族に分類できません。Y染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝的変異から、朝鮮人はアジア南東部と北部両方の典型的な系統を含んでいる、と示されており、朝鮮半島は複数の波で居住された、と示唆されます。
これまで、わずか数点の低網羅率の新石器時代および青銅器時代の朝鮮半島古代人のゲノムが利用可能です。それは部分的には、朝鮮半島の酸性土壌が古代ゲノムの保存を妨げているからです。これらの研究の限定的な解像度では、朝鮮半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。2つの主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、さまざまな割合で朝鮮半島古代人において観察されました。それは、アジア東部北方関連祖先系統と、在来の縄文関連祖先系統です(関連記事)。
アジア東部北方祖先系統は、ANAおよびNYR祖先系統の混合である現在の中国北東部の新石器時代西遼河農耕民と関連している、と提案されました(関連記事)。その調査結果から、西遼河関連農耕民は朝鮮語祖語を広めたかもしれない、と示唆されました。それは、西遼河農耕民の祖先系統が現代朝鮮人では支配的だからです。次に、朝鮮語祖語集団は、西遼河的祖先系統を現代日本人の遺伝子プールにもたらしました。現代日本人は、縄文時代個体群と関連する基底部アジア東部系統からの限定的な遺伝的遺産(9%)と朝鮮人(91%)の混合として表すことができ(関連記事)、例外は縄文時代の人々の直接的子孫とみなされているアイヌです【本論文はこのように述べますが、最近の研究で示されているように(関連記事)、オホーツク文化集団および現代日本人の主要な直接的祖先集団からの遺伝的影響も強く受けています】。
このシナリオは、雑穀(紀元前3500年頃)、稲作(紀元前1300年頃)、鉄生産(紀元前400年頃)など、中国北部からの移民を通じての高度な技術の複数段階の導入が、朝鮮半島の生活様式を狩猟採集漁撈経済からより定住的な農耕へと劇的に変えた、とする考古学的記録と一致します。これらの技術はその後、朝鮮半島から日本列島へと伝わった可能性が高そうです。しかし、言語もしくは文化の変化が、常に遺伝的相互作用事象を伴うわけではありませんでした。たとえば、アムール川流域とモンゴルでの持続的な遺伝的連続性から、これらの地域は西遼河農耕民の移住の波に直接的には影響を受けなかった、と明らかになっています(関連記事)。
朝鮮半島における縄文祖先系統の遺産と、中国北部から朝鮮半島への経時的な高度な技術の拡大が人口移住もしくは着想の伝播によりどの程度達成されたのかを解明するためには、高品質の古代人の核ゲノムが緊急に必要でした。最近の研究(関連記事)では、朝鮮半島の文化および歴史の形成で重要な期間である三国時代の8個体(紀元後4~5世紀)の、ゲノム規模一塩基多型(SNP)の充分な網羅率とハプロタイプが分析されました。これらの個体は、朝鮮半島南部の伽耶(加羅)諸国の政治および交易の中心地であった金海(Gimhae)の2ヶ所の重要な埋葬複合施設に由来します。「三国時代」という用語は、高句麗と百済と新羅を指します。伽耶は王国ではなく連合国でしたが、これら三国と同時代でした。
最近の研究では、可能性のある供給源としてアジア北東部と縄文を割り当てる2方向混合モデルが、全ての標本抽出された朝鮮半島古代人の遺伝的構成を完全に説明できる、と分かりました。この場合のアジア北東部人とは、中国北部の青銅器時代の西遼河もしくは黄河関連農耕民を指します。一方で縄文は、最近の考古学的証拠によると、日本列島の縄文文化と関連するのではなく、朝鮮半島の在来祖先系統の可能性が高そうです。2ヶ所の遺跡の8個体のみに限定されているにも関わらず、最近の研究は、三国時代の朝鮮半島における高い遺伝的多様性と人口階層化を明らかにしました。この8個体内では遺伝的下部構造が観察され、2個体(34%)は他の個体(7%)よりも縄文関連祖先系統が多くなっています(図1)。この下部構造が社会的地位もしくは性別に起因する可能性は低そうで、代わりに、縄文関連祖先系統の分布の違いとのみ関連しています。
縄文関連祖先系統を7%ほど有する三国時代朝鮮人は、混合年代推定において標的集団として用いられた場合、黄河流域農耕民と縄文時代狩猟採集民との間の混合事象が紀元前1400~紀元前600年頃と推定され、これは朝鮮半島における青銅器時代(紀元前1400~紀元前300年頃)に相当します。Taejungniの単一の青銅器時代個体の浅い網羅率のゲノムでは、以前の研究において縄文関連祖先系統の欠如が指摘されましたが(関連記事)、新たな高網羅率のデータでは裏づけられず、縄文関連祖先系統は朝鮮半島南部において高水準で少なくとも三国時代の紀元後500年頃までは存続した、と示されます。以下は本論文の図1です。
現代朝鮮人は、アレル(対立遺伝子)およびハプロタイプの共有パターンと、共有される支配的なY染色体およびmtDNAのハプログループの特性から推測される三国時代の個体群と、遺伝的に密接に関連しています。現代朝鮮人のいくつかの固有の表現型の特徴関連の遺伝的多様体は、すでに三国時代の古代人のゲノムに存在しました(関連記事)。縄文祖先系統を有する朝鮮半島古代人は、朝鮮半島現代人の遺伝的形成にかなり寄与しましたが、朝鮮半島現代人は縄文関連祖先系統なしで高い遺伝的均質性を示します。朝鮮半島のTaejungniの青銅器時代個体が遺伝的に朝鮮半島現代人と類似しているのかどうかは、この個体のゲノム網羅率がひじょうに低いため、確信的には示されませんでした(関連記事)。この青銅器時代標本を考慮しなければ、あり得るシナリオは、在来の縄文関連祖先系統が侵入してきた中国北部人口集団との混合を通じてほぼ置換されており、その後で消滅して、比較的均質な現代朝鮮人が形成されました。
まとめると、最近の研究(関連記事)では、金海の古代人個体群の発見により、三国時代朝鮮半島の人々の二重起源は、青銅器時代西遼河もしくは黄河流域関連農耕民と縄文時代狩猟採集民の両方に祖先系統が由来する、と提案されました。興味深いことに、縄文関連祖先系統は少なくとも紀元後5世紀まで朝鮮半島南部において高水準で存続しました。これらの調査結果は新たな問題を提起します。たとえば、縄文時代の人々の地理的範囲、あるいは縄文祖先系統はかつてアジア東部もしくは北東部本土に到達しましたか?朝鮮半島で最初の農耕民は誰でしたか?後期新石器時代もしくは青銅器時代の西遼河農耕民か、あるいは黄河流域関連農耕民でしたか?これらの問題の解決には、朝鮮半島およびその周辺の未調査地域からの、より多くの考古学的および高網羅率の遺伝的データが必要です。
参考文献:
Wang R, and Wang CC.(2022): Human genetics: The dual origin of Three Kingdoms period Koreans. Current Biology, 32, 15, R844–R847.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.044
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