ミクロネシアへの人類の5回の主要な移住
ミクロネシアへの人類の移住に関する研究(Liu et al., 2022)が公表されました。日本語の解説記事もあります。現生人類(Homo sapiens)は近オセアニア(ニアオセアニア)に遅くとも47000年前頃に到来し、オーストラリアとニューギニアとビスマルク諸島とソロモン諸島へと広がりました。3500~3000年前頃以後、ヒトは以前には居住されていなかった遠オセアニア(リモートオセアニア)へと拡大しました。以下は本論文の図1です。
太平洋南西部では、最初の遺跡はラピタ(Lapita)複合の人工遺物と関連しており、早くも3350年前頃にはビスマルク諸島に現れ、遠オセアニアの無人の島々には3000~2850年前頃に到達しました。バヌアツとトンガの3000~2500年前頃の11個体の古代DNAから、これらの開拓者は新石器時代中国南東部人との遠い関連があり(関連記事)、台湾の新石器時代および鉄器時代の人々とより密接に関連していて(関連記事)、カンカナイ・イゴロット人(Kankanaey Igorot)など現在のフィリピン北部・中央部集団の祖先と最も密接に関連しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、現在の多くの太平洋南西部諸島人の主要な祖先は「パプア人(本論文では、ニューギニアとビスマルク諸島とソロモン諸島の人々の主要な祖先を示す用語です)」であり、その遺伝的データは2500年前頃に始まった第二の拡大に起因することを示しています。
マリアナ諸島の最初の人々は、3500~3200年前頃に到達しました。その物質文化は太平洋南西部のラピタ文化遺物群とは大きく異なっており、マリアナ赤色土器(Marianas Redware)はフィリピンおよびスラウェシ島北端の遺跡で見つかるものとより似ています。本論文は、3500~1600年前頃の最初の3居住期を「ウナイ(Unai)」と呼ぶ、マリアナ諸島の考古学の改訂年代を用います。分析された被葬者の年代は2800~2200年前頃で、中期~後期ウナイ時代に相当するので、前期ウナイ時代住民の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)特性を反映していないかもしれません。
1100年前頃以後、ラッテと呼ばれる独特な巨石が、「ラッテ(Latte)」期を特徴づける他の物質文化的変化とともにマリアナ諸島に現れ始めました。ミクロネシア西部のパラオにおけるヒト居住の最古の証拠は3700年前頃です。ミクロネシア中部におけるヒト居住の最古の証拠は2000年前頃で、これらの遺跡の土器は後期ラピタ文化の土器および貝殻製人工遺物と似ているので、ニューギニア北部もしくは太平洋南西部のより早期のラピタ文化の起源を反映しているかもしれません。
台湾以外のすべてのオーストロネシア語族を構成するマレー・ポリネシア語派(MP)間の言語学的関係は、ミクロネシアの人々の文化的および地理的起源についての情報の独立した出所を提供します。マリアナ諸島の先住民が話しているチャモロ(CHamoru)語はMP内の最初に分岐した枝であり、もう一つはパラオ語です。他の全てのミクロネシアの言語と太平洋南西部およびポリネシアの言語は、第三の主要な枝である、中東部マレー・ポリネシア諸語(CEMP)を構成します。ほとんどのCEMP言語は、アドミラルティ諸島(Admiralty Islands)とバヌアツとの間のどこかで発展し、ラピタ期末となる2500年前頃に広がった、と仮定されてきた中核ミクロネシア諸語を形成します。対照的に、ヤップ(Yap’s)語はラピタ文化の拡大中に分岐した祖語から直接的に派生したオセアニア諸語祖語の初期の分岐と考えられていますが、ヤップ語はその後、他の言語からの借用の影響も受けました。カロリン諸島のカピンガマランギ(Kapingamarangi)環礁とヌクオロ(Nukuoro)環礁の人々はポリネシア諸語を話し、ポリネシア人の移住による元々の言語の置換が示唆されます。
人口史の代替モデルを検証するため、5ヶ所の遺跡の164個体についてゲノム規模古代DNAデータが生成され、グアム島の2200年前頃の2個体の刊行データ(関連記事)とともに分析されました。合計で、109個体(2800~300年前頃)がグアム島のウナイ期およびラッテ期、46個体がサイパン島のラッテ期(600~200年前頃)に、11個体が、ミクロネシア中央部のナ島とその近くのポンペイ(Pohnpei’)保護環礁のナン・マドル(Nan Madol)遺跡に由来します。
人類遺骸のDNAが抽出されて120万ヶ所の一塩基多型(SNP)共通パネルで濃縮され、配列決定されました。高汚染の証拠がある個体については、特徴的な古代DNA損傷の証拠がある配列に分析は限定されました。分析された個体のSNPの中央値は558971ヶ所です。グアム島とパラオ諸島とチューク諸島とポンペイ島の現代ミクロネシア人112個体も遺伝子型決定されました。31個体で直接的な放射性炭素年代が得られ、そのうち30個体はDNA解析された標本と同じでした。この新たに得られたデータは、先史時代95個体および世界の多様な人口集団の1642個体の刊行データとともに共同分析されました。
●人口構造の概観
現在の中国南部の傣人(Dai)とソロモン諸島のナシオイ(Nasioi)人と東部高地および中部セピク(Sepik)地域のニューギニア人のショットガンデータを用いての軸の計算と、その次に他の個体群を投影することにより主成分分析(PCA)が実行されました(図1B)。第1主成分(PC)はアジア東部関連祖先系統の割合に対応しており、以後は「最初の遠オセアニア(FRO)」と呼ばれます。これは、PC1軸では、左下と右上を示します。PC2軸はソロモン諸島からニューギニアのパプア人祖先系統を区別します(上から下)。ウナイ期とラッテ期とラピタ期の個体群は、右側で現代のフィリピンのカンカナイ人(Kankanaey)および台湾のアミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)とクラスタ化し(まとまり)、高いアジア東部関連祖先系統と対応しています。
2つの勾配が可視化されます。一方(青色の破線)はニューブリテン島とバヌアツとポリネシアのFRO祖先系統の高い割合の集団と関連し、もう一方(灰色の破線)はニューギニアやアドミラルティ諸島やパラオ諸島の集団、およびチューク(Chuuk)諸島やポンペイ島や先史時代ポンペイ島のミクロネシア中部の遺伝的に均質な集団と関連します。これはFROと少なくとも2つの異なる供給源(最初の事例ではニューブリテン島、第二の事例ではニューギニアとより関連しています)からのパプア人祖先系統間のさまざまな割合の混合を示唆しています。f3統計はPCAで示された結果と定性的に類似したパターンを示します。
対称性f4統計(検証集団X、カンカナイ・イゴロット人;ニューギニア高地人、傣人)も計算され、どの個体群が有意なパプア人混合を有しているのか、検証されました(パプア人祖先系統の証拠がない基準として、カンカナイ人が用いられました)。ラッテ期の4個体を除いて、ウナイ期とラッテ期の個体群は、パプア人祖先系統を殆ど若しくは全く有していませんでした。バヌアツ(0.4~4.4%)とトンガ(3.3~7.7%)のラピタ期個体群は、少ない割合ではあるもののパプア人祖先系統を有していました。パプア人との混合は、ポンペイ島(27%以下)の全ての先史時代および現代の個体群と、チューク諸島(27%以下)およびパラオ諸島(38%以下)の全ての人々に存在しました。現代チャモロ人では、推定されるパプア人祖先系統はゼロと一致し、チャモロ人はパプア人祖先系統の証拠がない唯一の遺伝的に分析された先住遠オセアニア集団となります。
ADMIXTUREを用いた教師なしクラスタ化はPCAのパターンを再現し、最初の遠オセアニア人のFRO構成要素を区別します(図2)。図2で示されるK(系統構成要素数)=9では、2つのクラスタはアジア東部関連祖先系統に対応しており、明るい灰色はラピタ期個体群で最大化し、濃い灰色はマリアナ諸島個体群で最大化します。ミクロネシア中部のポンペイ島とチューク諸島の個体群は、おもに明るい灰色のラピタ関連構成要素を有しています。グアム島の現代チャモロ人は濃い灰色の割合が最高の人口集団で、地域的連続性が示唆されます。パラオとミクロネシア中部の個体群だけが、ニューギニアで最大化される緑色のパプア人関連構成要素を有しており、ニューブリテン島や太平洋南西部やポリネシアの個体群に特徴的な橙色と青色と緑色の混合はなく、ミクロネシアへのこれまで記録されていないパプア人の拡大が示唆されます。以下は本論文の図2です。
●ミクロネシアへの移住の少なくとも5つの流れの証拠
データを説明するために必要なミクロネシアへの移住の流れの最小数を決定するため、FRO祖先系統に比例する統計値f4(検証集団X、ニューギニア高地人;カンカナイ人、オーストラリア先住民)が計算され、アジア東部およびパプア人関連祖先系統のさまざまな種類に敏感な統計と相関されました。その結果、以下のように少なくとも5つの移住の波が特定されました。
M1(移住1)からM3は、以前には知られていなかった系統を含む、ミクロネシアへのFRO移住の3つの流れです。以前に特定された2つの系統であるFRO太平洋南西部とFROマリアナ諸島への類似性を測定する統計値が記入されました。具体的には、全体的な祖先系統の割合を測定する本論文の統計値に対するf4統計(検証集団X、ニューギニア高地人;ラピタ期個体群、ウナイ期個体群)です。太平洋南西部およびポリネシアの全ての人口集団は正の勾配の線上にあり、ウナイ期個体群よりもラピタ期個体群の方との密接な類似性を示唆し、ラピタ文化関連系統がアジア東部関連祖先系統の供給源であることと一致します(図3B)。以下は本論文の図3です。
ポンペイ島やチューク諸島やいくつかの他の現代のメラネシア諸島といったミクロネシア中部の個体群もこの線を近くでたどっており、ラピタ文化の拡大からのFRO祖先系統を示唆します。対照的に、パラオ諸島とマリアナ諸島の現代の個体群では負のf4統計が得られ、ラピタ期個体群とさほど密接に関連していないFRO供給源が示唆されます。f4対称統計では、ほぼ完全にアジア東部関連祖先系統を有する全ての先史時代遠オセアニア集団(ラピタ期とウナイ期とラッテ期)が、先住および鉄器時代台湾人の祖先とより早期に分岐し、カンカナイ・イゴロット人の祖先とさえより早期に分岐した、共通の祖先FRO人口集団の子孫だった、と確証されます。
驚くべきことに、ラッテ期とウナイ期の個体群が、どちらかがラピタ期個体群とよりも相互に多くのアレル(対立遺伝子)を共有している、という事実にも関わらず、これら3集団と関連する単純な系統樹はなく、f4統計(ラッテ期、ウナイ期;ラピタ期、多様なアジア東部人)では多くの有意な負のZ値が得られます。この結果から、ラッテ期個体群が、ウナイ期およびラピタ期の個体群の祖先系統と、それが相互に分離する前に分岐した基底部FRO系統からの混合を有している、と示唆されます。これは、明示的な混合図モデル化(図4C)におけるデータと合致するシナリオです。この第三の系統はFROパラオと呼ばれます。それは、この系統の割合がパラオ諸島現代人で最大化される(ラッテ期個体群では15%に対して、パラオ諸島現代人では62%)からです。以下は本論文の図4です。
M4は、以前には知られていなかったミクロネシアへのパプア人移住の流れです。f4統計(検証集団X、傣人;ナシオイ人、ニューギニア高地人)が計算されました。後二者の人口集団は区別されたパプア人集団で、FRO祖先系統の割合を測定する本論文の統計値に対して記入されました。太平洋南西部とポリネシアの現代および先史時代集団はニューブリテン島も含む線に位置し、パプア人ニューブリテン島と呼ばれるニューブリテン島関連供給源からの祖先系統と一致します。対照的に、パプア人祖先系統を有するミクロネシアの全ての先史時代および現代の個体群はこの線の下に位置し、PCAでの2勾配パターンを反映しています。ミクロネシアとニューギニアとアドミラルティ諸島について別の線を適合させると、Z<2の外れ値は観察されず、ニューギニアおよびその北端のアドミラルティ諸島とより密接に関連するパプア人ニューギニア系統からの、パプア人祖先系統の以前には知られていなかった拡大と一致します。
M5はミクロネシアへのポリネシアからの遺伝子流動です。f4統計(検証集団X、トライ人;カンカナイ・イゴロット人、多様なポリネシア人)が計算され、FRO祖先系統への本論文のf4統計値の割合に対してそれが記入され、これは、ポリネシア人固有の混合の敏感な検定を提供する手順です。ポンペイ島の後期先史時代個体群はこの基準線の近くをたどっており、ポリネシア人との混合の証拠を提供しません。メラネシア現代人の1個体(Jk2812)は、この線から外れています。この個体が島に到来した記録がないので、ミクロネシアに対するポリネシア人の影響の特性評価には、さらなる標本抽出が必要でしょう。
●ミクロネシアの人口史の作業モデル
太平洋南西部系統を調べるために用いられたモデルで始めて、次に系統と混合事象が追加され、代替モデルの適合性が検証されました(図4C)。ひじょうに多くの人口集団だと、あり得る混合図形態の空間は広大で、示された形態がf統計に唯一適合する可能性は低そうです。それにも関わらず、混合図モデルの特定は、個々のf統計分析で説明されている全ての特徴がデータにともに適合できる、との論証に役立ちます。深い系統発生的関係について特定の仮定を必要とせず、祖先系統の代理として用いられた人口集団に存在しない遺伝的浮動を有する集団が存在するのかどうか、検証を可能とするqpWaveとqpAdmを用いて、分析された集団の混合割合と最も近い系統発生的近縁に関する重要な推論が確証されました。最後に、混合連鎖不平衡を用いて、ソフトウェアDATESでいくつかの検出された混合事象の年代が推定されました。
(1)マリアナ諸島:パプア人との混合がない独特なFRO祖先系統
グアム島とサイパン島の700年前頃以後のウナイ期個体群は、その祖先系統の85%が同じ供給源に由来し、ウナイ期で見られる同じミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)E1およびE2を有することによっても確証される、かなりの連続性があります。ラッテ期個体群も以前には特定されていなかったFROパラオ系統(M2)にその祖先系統の15%が由来し、FROマリアナとの混合はラッテ期個体群の45~50世代前と推定されました(1世代28年と仮定して2400~1700年前頃)。その混合データから、この移住と混合の過程はずっと後の1100年前頃に始まった、マリアナ諸島におけるラッテ考古学現象の起源を説明できない、と示されます。グアム島の現代チャモロ人はヨーロッパ人(19%以下)およびアメリカ大陸先住民(9%以下)の祖先系統と混合しており(図4B)、16世紀半ば以降のスペインの植民地活動と関連しているようです。残りの祖先系統は完全にFROです。現代チャモロ人は、分析ではそのFRO供給源を明確に特定できませんが、FRO太平洋南西部とよりもFROマリアナの方とより大きな遺伝的類似性を示しており、そのmtHg-E1およびE2はウナイ期およびラッテ期個体群でも見つかっているので、グアム島のより早期の集団にアジア東部関連祖先系統の大半が由来する、と示唆されます。
(2)パラオ諸島:FROパラオとパプア人ニューギニア祖先系統の混合
パラオ諸島現代人は、ラッテ期個体群により小さい割合で混合した同じ系統からの62%のFROパラオ祖先系統(M2)と、38%のパプア人ニューギニア祖先系統(M4)を有する、と推測されます。FROパラオとパプア人ニューギニアの混合年代は2500~2200年前頃と推定され、この時までにこの地域へとパプア人の移住があった可能性を示唆します。
(3)ミクロネシア中部:FRO太平洋南西部とパプア人ニューギニアの混合
時空間にわたるミクロネシア中部の遺伝的均一性が推定され、ポンペイ島とチューク諸島の個体群は、73%以下のFRO太平洋南西部(M3)と27%以下のパプア人ニューギニア(M4)祖先系統という類似の割合になり、先史時代ポンペイ島の11個体とクレード(単系統群)を形成します(図4B)。FRO太平洋南西部はFROマリアナよりも、メラネシア中部における最初の主要な遠オセアニア祖先系統のより良好な単一供給源代理ですが、完全なFRO太平洋南西部供給源の想定は、ウナイ期およびラッテ期個体群を外群として含めるとqpAdmでは失敗し、FRO太平洋南西部とFROマリアナの両方が寄与した、と示唆されます。
これらの調査結果は、中核ミクロネシア諸語の起源も解明します。中核ミクロネシア人には、ソロモン諸島で優勢なパプア人祖先系統が欠けており、主要な三つの地理的領域候補の一つに対する証拠を提供します。中核ミクロネシア人には中核ミクロネシアの移住の時までにバヌアツに遍在していたパプア人ニューギニアの痕跡も欠けており、別の候補地域に対する証拠を提供します。代わりにqpAdmで示されるのは、マヌス島の人々はニューギニア本土の祖先系統よりもパプア人ニューギニア祖先系統の良好な代理供給源だということで、これらの言語と、それをもたらした移住の流れの供給源として、第三の候補、つまりアドミラルティ諸島の可能性が高まります。これは、具体的にマヌス島の人々が真の供給源だったことではなく、むしろ、その供給源がおそらく、アドミラルティ諸島もしくはニューギニア本土北端の沿岸地域の遺伝的に類似の人口集団だったことを示唆するものとして、解釈されるべきです。
チューク諸島とポンペイ島における混合の年代は2100~1800年前頃と推定され、これらの系統は2000年前頃となるミクロネシア中部の移住の時までには接触していた、と示されます。M3およびM4系統のミクロネシア中部への拡大が、初期中核ミクロネシア諸語を話す人々のすでに混合した波の一部として到来した可能性を高めます。しかし、代替案では中核ミクロネシア諸語の起源について異なる視点が取り入れられ、M3はソロモン諸島南東部の言語を話していたFRO太平洋南西部集団に由来し、後にすでに確立していた中核ミクロネシア諸語を置換しなかったM4のパプア人アドミラルティ諸島集団が加わった、とされます。人口集団置換にも関わらず言語の連続性を想定するそうしたシナリオは、バヌアツで想定される状況と相似しています(関連記事1および関連記事2)。ヤップ島のデータはまだありませんが、ヤップ語がオセアニア諸語祖語のより早期の枝であることを考えると、先住民のヤップ島人は、他の中核ミクロネシア人とは異なる供給源人口集団の混合に由来するかもしれない、と仮定されます。
●初期太平洋諸島人の母方居住
FROマリアナとFRO太平洋南西部系統との間で、mtDNA分化の顕著な程度が観察されました。mtHgが決定され、高汚染の証拠がないウナイ期個体は全てmtHg-E1およびE2ですが、ラピタ期の個体群は全てmtHg-B4です。これは、3系統のmtHgが全て鉄器時代台湾人で見つかっており、鉄器時代台湾人はウナイ期およびラピタ期個体群の祖先でもあった人口集団の比較的浮動していない子孫だった、という調査結果と一致します。そうした高水準のミトコンドリアの分化は、人口集団の遺伝的分化を測定する標準的な統計値である遺伝的距離(Fst)により測定される常染色体の分化が中程度(ウナイ期とラピタ期の集団間で0.083)であることを考えると、驚くべきです。これは、FRO系統の初期の分岐と放散における、父系よりも母系の方での大きな遺伝的浮動の可能性を高めます。
男女が同じ人口統計学的行動を取るとの仮定下で、常染色体について観察された遺伝的浮動を考慮して、完全に異なるmtHgが分岐以降に2つの人口集団で広がる確率を決定するため、模擬実験が実行されました。この帰無仮説は却下されました(P値=0.0014)。このP値は、FROマリアナとFRO太平洋南西部系統の分岐年代についての仮定に敏感ではありません。これらのパターンは、家族で男性よりも女性の移動性が大きい父方居住パターンが古代DNAデータの分析により推測されてきた(関連記事1および関連記事2)、新石器時代および青銅器時代ヨーロッパとは定性的に反対です。初期遠オセアニア人における母方居住は、現在の共同体の遺伝学および民族誌的研究に基づいて仮定されてきており、そうした共同体の多くでは、女性が自身の育った同じ家族で子供を育てる傾向のある、母方居住慣行です。本論文の結果は、FRO人口集団における母方居住慣行の直接的証拠を提供します。
パプア人祖先系統があったとしてもほとんどない、ラピタ期とウナイ期の個体群における母方居住に関するこれらの調査結果は、一部の太平洋人口集団におけるパプア人とFROの祖先系統間の性別の偏った混合の以前の証拠とは関連していません。しかし、本論文の新たな調査結果は、性別の偏った混合に関係しています。具体的には、パラオ諸島とミクロネシア中部のパプア人祖先系統はおもに男性の祖先に由来しており、それは、X染色体よりも常染色体で有意に多いパプア人祖先系統に基づいています。現在記録されているFROとパプア人の混合の各3事例(パラオ諸島とミクロネシア中部と太平洋南西部およびポリネシア)が、パプア人とFRO集団のさまざまな組み合わせを含んでいるので、これは注目に値します。これらの事象は独立して起きたに違いありませんが、その全てはおもに男性の祖先により伝えられたパプア人祖先系統の特徴を共有しています。
●ラッテ期の家族構造と人口規模
分析可能となる充分に高品質なデータのあるラッテ期の113個体について、4 cM(センチモルガン)以上のROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)が測定されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
2個体だけが50 cM以上のROH範囲を有しており、ラッテ期の人々では近親者の交配が避けられたことを示唆します。グアム島の9個体とサイパン島の9個体は、少なくとも1つの20 cM以上のROHを有しており、両方の島でマタイトコもしくはミイトコのような親族の配偶の組み合わせが比較的一般的だった、と示唆されます。4cM超のより短いROH兆候も豊富で、各世代における繁殖相手の要員が限定されていたことを示唆します。人口規模は、グアム島が315~356個体、サイパン島が361~424個体と推定されました。
さらに、男性個体(1個体はグアム島で、他はサイパン島)のX染色体間で、長い共有されたDNA断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の塊が分析されました。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示しており、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。8 cM 以上のIBD断片を共有する149組の個体がと規定されました。これは、マリアナ諸島を合わせた配偶人口集団の規模である有効人口規模(Ne)の上限を、1203~1712個体(95%信頼区間)とします。島間の移動が制約されているか、比較された個体の年代に時間的差異がある場合、これらの数値は過大評価となるでしょう。これは、ラッテ期における長期の小さな人口規模か、強い創始者事象を示唆します。密接に関連するラッテ期個体の122組が特定されました。調べられたラッテ期の125個体のうち80個体には、1人もしくは数人の親族がいました。
●考察
本論文の注目すべき発見は、おもに男性のパプア人移民が以前に居住していたFRO人口集団と2500~2000年前頃に混合した事象が少なくとも3回起きた、ということです。それは、混合供給源の組み合わせが3地域で異なっていたからです(図4D)。これらの移住および混合過程の一つは平均して2500~2200年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFROパラオの混合がパラオ諸島現代人を形成しました。第二の混合は2300~1600年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFRO太平洋南西部の混合が古代と現代のミクロネシア中部人を形成しました。第三の混合は2300~1500年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFRO太平洋南西部との混合が、太平洋南西部とポリネシアの古代人および現代人の祖先系統を形成しました。これら3回の混合は性別非対称で、パプア人祖先系統のほとんどは男性に由来します(図4C)。パプア人との混合の証拠がないマリアナ諸島でさえ、ラッテ期個体群におけるFROパラオとFROマリアナの推定混合年代は2400~1700年前頃で、完全にFRO集団を含んでいた最初の移住事象のずっと後となる、平均して2500~2000年前頃に起きた遠オセアニアにおける移住と混合の第四の事例を提供します。
バヌアツの高解像度の古代DNA時間横断区は、太平洋南西部におけるこの過程の原動力を明らかにしてきました。太平洋南西部では、おそらくはニューブリテン島からの最初のFRO太平洋南西部の移住の波は、ラピタ文化後期におけるおもに男性のパプア人ニューブリテン島の波へと変わり、同じ供給源に由来する可能性が高く、以前に確立していた交通経路に従いました。本論文の結果は、少なくとも2つの他地域における同様の過程の可能性を高めます。ポンペイ島で発見された最古の土器は2000年前頃で、ラピタ文化後期のものと類似しており、この地域への混合したFRO太平洋南西部とパプア人ニューギニア祖先系統の拡大について、考古学的相関を提供します。並行過程により、パプア人ニューギニア祖先系統をパラオ諸島へ、FROパラオ祖先系統をマリアナ諸島へともたらした可能性があります。
FROパラオ系統の特定により、FROの3系統が、マレー・ポリネシア語派における最初の3言語分岐に対応している可能性が高まります。FROマリアナはチャモロ語へとつながり、2800年前頃のウナイ期被葬者と関連します。FRO太平洋南西部はCEMP(中東部マレー・ポリネシア諸語)言語につながり、ラピタ考古学複合およびバヌアツの3000年前頃の被葬者と関連しています。FROパラオはパプア人祖先系統を有しており、おそらくはパラオ諸島における最初の祖先系統種類でした。それは、チェレコル・ラ・オラック(Chelechol ra Orrak)の3000~1800年前頃の遺骸のmtDNAが、アジア東部祖先系統を示唆しているからです。
FRO系統の分岐順も重要です。FROパラオ系統がまず分岐したという事実は、マリアナ諸島への単一の遠オセアニア拡大があり、それが他の系統を生み出した、という理論により説明できず、それは、この事例では、FROマリアナ諸島個体群が最初に分岐したと考えられるからです。マリアナ諸島人口集団が全てのFRO系統の祖先である、という理論は、mtDNAの証拠によりさらに異議を唱えられます。この理論が正しければ、最も節約的な予測は、グアム島の2800~2200年前頃のウナイ期個体群で観察されたmtHg(E1とE2)が、3000~2500年前頃のラピタ期個体群でも観察されることです。しかし、「ポリネシア人に特徴的な配列」であるmtHg-B4a1a1のみが観察されます。したがって、本論文の結果が示すシナリオでは、最初の遠オセアニア3系統はアジア南東部島嶼部のMP(マレー・ポリネシア語派)話者の幹から分岐し、遠オセアニアへの少なくとも3回の独立した移住の波があったことになります。
植民地期以降、太平洋の人々は、起源を共有するという理論により、「メラネシア人」と「ポリネシア人」と「ミクロネシア人」に分けられてきました。しかし本論文の結果から、ミクロネシアの人々は同じ地域内でさえ多様な祖先的起源を有していると示され、「ミクロネシア人」という用語が、特定の生物学的特性を示唆せずに地理的表示として使われるべきである、と示唆されます。
参考文献:
Liu YC. et al.(2022): Ancient DNA reveals five streams of migration into Micronesia and matrilocality in early Pacific seafarers. Science, 377, 6601, 72–79.
https://doi.org/10.1126/science.abm6536
太平洋南西部では、最初の遺跡はラピタ(Lapita)複合の人工遺物と関連しており、早くも3350年前頃にはビスマルク諸島に現れ、遠オセアニアの無人の島々には3000~2850年前頃に到達しました。バヌアツとトンガの3000~2500年前頃の11個体の古代DNAから、これらの開拓者は新石器時代中国南東部人との遠い関連があり(関連記事)、台湾の新石器時代および鉄器時代の人々とより密接に関連していて(関連記事)、カンカナイ・イゴロット人(Kankanaey Igorot)など現在のフィリピン北部・中央部集団の祖先と最も密接に関連しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、現在の多くの太平洋南西部諸島人の主要な祖先は「パプア人(本論文では、ニューギニアとビスマルク諸島とソロモン諸島の人々の主要な祖先を示す用語です)」であり、その遺伝的データは2500年前頃に始まった第二の拡大に起因することを示しています。
マリアナ諸島の最初の人々は、3500~3200年前頃に到達しました。その物質文化は太平洋南西部のラピタ文化遺物群とは大きく異なっており、マリアナ赤色土器(Marianas Redware)はフィリピンおよびスラウェシ島北端の遺跡で見つかるものとより似ています。本論文は、3500~1600年前頃の最初の3居住期を「ウナイ(Unai)」と呼ぶ、マリアナ諸島の考古学の改訂年代を用います。分析された被葬者の年代は2800~2200年前頃で、中期~後期ウナイ時代に相当するので、前期ウナイ時代住民の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)特性を反映していないかもしれません。
1100年前頃以後、ラッテと呼ばれる独特な巨石が、「ラッテ(Latte)」期を特徴づける他の物質文化的変化とともにマリアナ諸島に現れ始めました。ミクロネシア西部のパラオにおけるヒト居住の最古の証拠は3700年前頃です。ミクロネシア中部におけるヒト居住の最古の証拠は2000年前頃で、これらの遺跡の土器は後期ラピタ文化の土器および貝殻製人工遺物と似ているので、ニューギニア北部もしくは太平洋南西部のより早期のラピタ文化の起源を反映しているかもしれません。
台湾以外のすべてのオーストロネシア語族を構成するマレー・ポリネシア語派(MP)間の言語学的関係は、ミクロネシアの人々の文化的および地理的起源についての情報の独立した出所を提供します。マリアナ諸島の先住民が話しているチャモロ(CHamoru)語はMP内の最初に分岐した枝であり、もう一つはパラオ語です。他の全てのミクロネシアの言語と太平洋南西部およびポリネシアの言語は、第三の主要な枝である、中東部マレー・ポリネシア諸語(CEMP)を構成します。ほとんどのCEMP言語は、アドミラルティ諸島(Admiralty Islands)とバヌアツとの間のどこかで発展し、ラピタ期末となる2500年前頃に広がった、と仮定されてきた中核ミクロネシア諸語を形成します。対照的に、ヤップ(Yap’s)語はラピタ文化の拡大中に分岐した祖語から直接的に派生したオセアニア諸語祖語の初期の分岐と考えられていますが、ヤップ語はその後、他の言語からの借用の影響も受けました。カロリン諸島のカピンガマランギ(Kapingamarangi)環礁とヌクオロ(Nukuoro)環礁の人々はポリネシア諸語を話し、ポリネシア人の移住による元々の言語の置換が示唆されます。
人口史の代替モデルを検証するため、5ヶ所の遺跡の164個体についてゲノム規模古代DNAデータが生成され、グアム島の2200年前頃の2個体の刊行データ(関連記事)とともに分析されました。合計で、109個体(2800~300年前頃)がグアム島のウナイ期およびラッテ期、46個体がサイパン島のラッテ期(600~200年前頃)に、11個体が、ミクロネシア中央部のナ島とその近くのポンペイ(Pohnpei’)保護環礁のナン・マドル(Nan Madol)遺跡に由来します。
人類遺骸のDNAが抽出されて120万ヶ所の一塩基多型(SNP)共通パネルで濃縮され、配列決定されました。高汚染の証拠がある個体については、特徴的な古代DNA損傷の証拠がある配列に分析は限定されました。分析された個体のSNPの中央値は558971ヶ所です。グアム島とパラオ諸島とチューク諸島とポンペイ島の現代ミクロネシア人112個体も遺伝子型決定されました。31個体で直接的な放射性炭素年代が得られ、そのうち30個体はDNA解析された標本と同じでした。この新たに得られたデータは、先史時代95個体および世界の多様な人口集団の1642個体の刊行データとともに共同分析されました。
●人口構造の概観
現在の中国南部の傣人(Dai)とソロモン諸島のナシオイ(Nasioi)人と東部高地および中部セピク(Sepik)地域のニューギニア人のショットガンデータを用いての軸の計算と、その次に他の個体群を投影することにより主成分分析(PCA)が実行されました(図1B)。第1主成分(PC)はアジア東部関連祖先系統の割合に対応しており、以後は「最初の遠オセアニア(FRO)」と呼ばれます。これは、PC1軸では、左下と右上を示します。PC2軸はソロモン諸島からニューギニアのパプア人祖先系統を区別します(上から下)。ウナイ期とラッテ期とラピタ期の個体群は、右側で現代のフィリピンのカンカナイ人(Kankanaey)および台湾のアミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)とクラスタ化し(まとまり)、高いアジア東部関連祖先系統と対応しています。
2つの勾配が可視化されます。一方(青色の破線)はニューブリテン島とバヌアツとポリネシアのFRO祖先系統の高い割合の集団と関連し、もう一方(灰色の破線)はニューギニアやアドミラルティ諸島やパラオ諸島の集団、およびチューク(Chuuk)諸島やポンペイ島や先史時代ポンペイ島のミクロネシア中部の遺伝的に均質な集団と関連します。これはFROと少なくとも2つの異なる供給源(最初の事例ではニューブリテン島、第二の事例ではニューギニアとより関連しています)からのパプア人祖先系統間のさまざまな割合の混合を示唆しています。f3統計はPCAで示された結果と定性的に類似したパターンを示します。
対称性f4統計(検証集団X、カンカナイ・イゴロット人;ニューギニア高地人、傣人)も計算され、どの個体群が有意なパプア人混合を有しているのか、検証されました(パプア人祖先系統の証拠がない基準として、カンカナイ人が用いられました)。ラッテ期の4個体を除いて、ウナイ期とラッテ期の個体群は、パプア人祖先系統を殆ど若しくは全く有していませんでした。バヌアツ(0.4~4.4%)とトンガ(3.3~7.7%)のラピタ期個体群は、少ない割合ではあるもののパプア人祖先系統を有していました。パプア人との混合は、ポンペイ島(27%以下)の全ての先史時代および現代の個体群と、チューク諸島(27%以下)およびパラオ諸島(38%以下)の全ての人々に存在しました。現代チャモロ人では、推定されるパプア人祖先系統はゼロと一致し、チャモロ人はパプア人祖先系統の証拠がない唯一の遺伝的に分析された先住遠オセアニア集団となります。
ADMIXTUREを用いた教師なしクラスタ化はPCAのパターンを再現し、最初の遠オセアニア人のFRO構成要素を区別します(図2)。図2で示されるK(系統構成要素数)=9では、2つのクラスタはアジア東部関連祖先系統に対応しており、明るい灰色はラピタ期個体群で最大化し、濃い灰色はマリアナ諸島個体群で最大化します。ミクロネシア中部のポンペイ島とチューク諸島の個体群は、おもに明るい灰色のラピタ関連構成要素を有しています。グアム島の現代チャモロ人は濃い灰色の割合が最高の人口集団で、地域的連続性が示唆されます。パラオとミクロネシア中部の個体群だけが、ニューギニアで最大化される緑色のパプア人関連構成要素を有しており、ニューブリテン島や太平洋南西部やポリネシアの個体群に特徴的な橙色と青色と緑色の混合はなく、ミクロネシアへのこれまで記録されていないパプア人の拡大が示唆されます。以下は本論文の図2です。
●ミクロネシアへの移住の少なくとも5つの流れの証拠
データを説明するために必要なミクロネシアへの移住の流れの最小数を決定するため、FRO祖先系統に比例する統計値f4(検証集団X、ニューギニア高地人;カンカナイ人、オーストラリア先住民)が計算され、アジア東部およびパプア人関連祖先系統のさまざまな種類に敏感な統計と相関されました。その結果、以下のように少なくとも5つの移住の波が特定されました。
M1(移住1)からM3は、以前には知られていなかった系統を含む、ミクロネシアへのFRO移住の3つの流れです。以前に特定された2つの系統であるFRO太平洋南西部とFROマリアナ諸島への類似性を測定する統計値が記入されました。具体的には、全体的な祖先系統の割合を測定する本論文の統計値に対するf4統計(検証集団X、ニューギニア高地人;ラピタ期個体群、ウナイ期個体群)です。太平洋南西部およびポリネシアの全ての人口集団は正の勾配の線上にあり、ウナイ期個体群よりもラピタ期個体群の方との密接な類似性を示唆し、ラピタ文化関連系統がアジア東部関連祖先系統の供給源であることと一致します(図3B)。以下は本論文の図3です。
ポンペイ島やチューク諸島やいくつかの他の現代のメラネシア諸島といったミクロネシア中部の個体群もこの線を近くでたどっており、ラピタ文化の拡大からのFRO祖先系統を示唆します。対照的に、パラオ諸島とマリアナ諸島の現代の個体群では負のf4統計が得られ、ラピタ期個体群とさほど密接に関連していないFRO供給源が示唆されます。f4対称統計では、ほぼ完全にアジア東部関連祖先系統を有する全ての先史時代遠オセアニア集団(ラピタ期とウナイ期とラッテ期)が、先住および鉄器時代台湾人の祖先とより早期に分岐し、カンカナイ・イゴロット人の祖先とさえより早期に分岐した、共通の祖先FRO人口集団の子孫だった、と確証されます。
驚くべきことに、ラッテ期とウナイ期の個体群が、どちらかがラピタ期個体群とよりも相互に多くのアレル(対立遺伝子)を共有している、という事実にも関わらず、これら3集団と関連する単純な系統樹はなく、f4統計(ラッテ期、ウナイ期;ラピタ期、多様なアジア東部人)では多くの有意な負のZ値が得られます。この結果から、ラッテ期個体群が、ウナイ期およびラピタ期の個体群の祖先系統と、それが相互に分離する前に分岐した基底部FRO系統からの混合を有している、と示唆されます。これは、明示的な混合図モデル化(図4C)におけるデータと合致するシナリオです。この第三の系統はFROパラオと呼ばれます。それは、この系統の割合がパラオ諸島現代人で最大化される(ラッテ期個体群では15%に対して、パラオ諸島現代人では62%)からです。以下は本論文の図4です。
M4は、以前には知られていなかったミクロネシアへのパプア人移住の流れです。f4統計(検証集団X、傣人;ナシオイ人、ニューギニア高地人)が計算されました。後二者の人口集団は区別されたパプア人集団で、FRO祖先系統の割合を測定する本論文の統計値に対して記入されました。太平洋南西部とポリネシアの現代および先史時代集団はニューブリテン島も含む線に位置し、パプア人ニューブリテン島と呼ばれるニューブリテン島関連供給源からの祖先系統と一致します。対照的に、パプア人祖先系統を有するミクロネシアの全ての先史時代および現代の個体群はこの線の下に位置し、PCAでの2勾配パターンを反映しています。ミクロネシアとニューギニアとアドミラルティ諸島について別の線を適合させると、Z<2の外れ値は観察されず、ニューギニアおよびその北端のアドミラルティ諸島とより密接に関連するパプア人ニューギニア系統からの、パプア人祖先系統の以前には知られていなかった拡大と一致します。
M5はミクロネシアへのポリネシアからの遺伝子流動です。f4統計(検証集団X、トライ人;カンカナイ・イゴロット人、多様なポリネシア人)が計算され、FRO祖先系統への本論文のf4統計値の割合に対してそれが記入され、これは、ポリネシア人固有の混合の敏感な検定を提供する手順です。ポンペイ島の後期先史時代個体群はこの基準線の近くをたどっており、ポリネシア人との混合の証拠を提供しません。メラネシア現代人の1個体(Jk2812)は、この線から外れています。この個体が島に到来した記録がないので、ミクロネシアに対するポリネシア人の影響の特性評価には、さらなる標本抽出が必要でしょう。
●ミクロネシアの人口史の作業モデル
太平洋南西部系統を調べるために用いられたモデルで始めて、次に系統と混合事象が追加され、代替モデルの適合性が検証されました(図4C)。ひじょうに多くの人口集団だと、あり得る混合図形態の空間は広大で、示された形態がf統計に唯一適合する可能性は低そうです。それにも関わらず、混合図モデルの特定は、個々のf統計分析で説明されている全ての特徴がデータにともに適合できる、との論証に役立ちます。深い系統発生的関係について特定の仮定を必要とせず、祖先系統の代理として用いられた人口集団に存在しない遺伝的浮動を有する集団が存在するのかどうか、検証を可能とするqpWaveとqpAdmを用いて、分析された集団の混合割合と最も近い系統発生的近縁に関する重要な推論が確証されました。最後に、混合連鎖不平衡を用いて、ソフトウェアDATESでいくつかの検出された混合事象の年代が推定されました。
(1)マリアナ諸島:パプア人との混合がない独特なFRO祖先系統
グアム島とサイパン島の700年前頃以後のウナイ期個体群は、その祖先系統の85%が同じ供給源に由来し、ウナイ期で見られる同じミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)E1およびE2を有することによっても確証される、かなりの連続性があります。ラッテ期個体群も以前には特定されていなかったFROパラオ系統(M2)にその祖先系統の15%が由来し、FROマリアナとの混合はラッテ期個体群の45~50世代前と推定されました(1世代28年と仮定して2400~1700年前頃)。その混合データから、この移住と混合の過程はずっと後の1100年前頃に始まった、マリアナ諸島におけるラッテ考古学現象の起源を説明できない、と示されます。グアム島の現代チャモロ人はヨーロッパ人(19%以下)およびアメリカ大陸先住民(9%以下)の祖先系統と混合しており(図4B)、16世紀半ば以降のスペインの植民地活動と関連しているようです。残りの祖先系統は完全にFROです。現代チャモロ人は、分析ではそのFRO供給源を明確に特定できませんが、FRO太平洋南西部とよりもFROマリアナの方とより大きな遺伝的類似性を示しており、そのmtHg-E1およびE2はウナイ期およびラッテ期個体群でも見つかっているので、グアム島のより早期の集団にアジア東部関連祖先系統の大半が由来する、と示唆されます。
(2)パラオ諸島:FROパラオとパプア人ニューギニア祖先系統の混合
パラオ諸島現代人は、ラッテ期個体群により小さい割合で混合した同じ系統からの62%のFROパラオ祖先系統(M2)と、38%のパプア人ニューギニア祖先系統(M4)を有する、と推測されます。FROパラオとパプア人ニューギニアの混合年代は2500~2200年前頃と推定され、この時までにこの地域へとパプア人の移住があった可能性を示唆します。
(3)ミクロネシア中部:FRO太平洋南西部とパプア人ニューギニアの混合
時空間にわたるミクロネシア中部の遺伝的均一性が推定され、ポンペイ島とチューク諸島の個体群は、73%以下のFRO太平洋南西部(M3)と27%以下のパプア人ニューギニア(M4)祖先系統という類似の割合になり、先史時代ポンペイ島の11個体とクレード(単系統群)を形成します(図4B)。FRO太平洋南西部はFROマリアナよりも、メラネシア中部における最初の主要な遠オセアニア祖先系統のより良好な単一供給源代理ですが、完全なFRO太平洋南西部供給源の想定は、ウナイ期およびラッテ期個体群を外群として含めるとqpAdmでは失敗し、FRO太平洋南西部とFROマリアナの両方が寄与した、と示唆されます。
これらの調査結果は、中核ミクロネシア諸語の起源も解明します。中核ミクロネシア人には、ソロモン諸島で優勢なパプア人祖先系統が欠けており、主要な三つの地理的領域候補の一つに対する証拠を提供します。中核ミクロネシア人には中核ミクロネシアの移住の時までにバヌアツに遍在していたパプア人ニューギニアの痕跡も欠けており、別の候補地域に対する証拠を提供します。代わりにqpAdmで示されるのは、マヌス島の人々はニューギニア本土の祖先系統よりもパプア人ニューギニア祖先系統の良好な代理供給源だということで、これらの言語と、それをもたらした移住の流れの供給源として、第三の候補、つまりアドミラルティ諸島の可能性が高まります。これは、具体的にマヌス島の人々が真の供給源だったことではなく、むしろ、その供給源がおそらく、アドミラルティ諸島もしくはニューギニア本土北端の沿岸地域の遺伝的に類似の人口集団だったことを示唆するものとして、解釈されるべきです。
チューク諸島とポンペイ島における混合の年代は2100~1800年前頃と推定され、これらの系統は2000年前頃となるミクロネシア中部の移住の時までには接触していた、と示されます。M3およびM4系統のミクロネシア中部への拡大が、初期中核ミクロネシア諸語を話す人々のすでに混合した波の一部として到来した可能性を高めます。しかし、代替案では中核ミクロネシア諸語の起源について異なる視点が取り入れられ、M3はソロモン諸島南東部の言語を話していたFRO太平洋南西部集団に由来し、後にすでに確立していた中核ミクロネシア諸語を置換しなかったM4のパプア人アドミラルティ諸島集団が加わった、とされます。人口集団置換にも関わらず言語の連続性を想定するそうしたシナリオは、バヌアツで想定される状況と相似しています(関連記事1および関連記事2)。ヤップ島のデータはまだありませんが、ヤップ語がオセアニア諸語祖語のより早期の枝であることを考えると、先住民のヤップ島人は、他の中核ミクロネシア人とは異なる供給源人口集団の混合に由来するかもしれない、と仮定されます。
●初期太平洋諸島人の母方居住
FROマリアナとFRO太平洋南西部系統との間で、mtDNA分化の顕著な程度が観察されました。mtHgが決定され、高汚染の証拠がないウナイ期個体は全てmtHg-E1およびE2ですが、ラピタ期の個体群は全てmtHg-B4です。これは、3系統のmtHgが全て鉄器時代台湾人で見つかっており、鉄器時代台湾人はウナイ期およびラピタ期個体群の祖先でもあった人口集団の比較的浮動していない子孫だった、という調査結果と一致します。そうした高水準のミトコンドリアの分化は、人口集団の遺伝的分化を測定する標準的な統計値である遺伝的距離(Fst)により測定される常染色体の分化が中程度(ウナイ期とラピタ期の集団間で0.083)であることを考えると、驚くべきです。これは、FRO系統の初期の分岐と放散における、父系よりも母系の方での大きな遺伝的浮動の可能性を高めます。
男女が同じ人口統計学的行動を取るとの仮定下で、常染色体について観察された遺伝的浮動を考慮して、完全に異なるmtHgが分岐以降に2つの人口集団で広がる確率を決定するため、模擬実験が実行されました。この帰無仮説は却下されました(P値=0.0014)。このP値は、FROマリアナとFRO太平洋南西部系統の分岐年代についての仮定に敏感ではありません。これらのパターンは、家族で男性よりも女性の移動性が大きい父方居住パターンが古代DNAデータの分析により推測されてきた(関連記事1および関連記事2)、新石器時代および青銅器時代ヨーロッパとは定性的に反対です。初期遠オセアニア人における母方居住は、現在の共同体の遺伝学および民族誌的研究に基づいて仮定されてきており、そうした共同体の多くでは、女性が自身の育った同じ家族で子供を育てる傾向のある、母方居住慣行です。本論文の結果は、FRO人口集団における母方居住慣行の直接的証拠を提供します。
パプア人祖先系統があったとしてもほとんどない、ラピタ期とウナイ期の個体群における母方居住に関するこれらの調査結果は、一部の太平洋人口集団におけるパプア人とFROの祖先系統間の性別の偏った混合の以前の証拠とは関連していません。しかし、本論文の新たな調査結果は、性別の偏った混合に関係しています。具体的には、パラオ諸島とミクロネシア中部のパプア人祖先系統はおもに男性の祖先に由来しており、それは、X染色体よりも常染色体で有意に多いパプア人祖先系統に基づいています。現在記録されているFROとパプア人の混合の各3事例(パラオ諸島とミクロネシア中部と太平洋南西部およびポリネシア)が、パプア人とFRO集団のさまざまな組み合わせを含んでいるので、これは注目に値します。これらの事象は独立して起きたに違いありませんが、その全てはおもに男性の祖先により伝えられたパプア人祖先系統の特徴を共有しています。
●ラッテ期の家族構造と人口規模
分析可能となる充分に高品質なデータのあるラッテ期の113個体について、4 cM(センチモルガン)以上のROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)が測定されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
2個体だけが50 cM以上のROH範囲を有しており、ラッテ期の人々では近親者の交配が避けられたことを示唆します。グアム島の9個体とサイパン島の9個体は、少なくとも1つの20 cM以上のROHを有しており、両方の島でマタイトコもしくはミイトコのような親族の配偶の組み合わせが比較的一般的だった、と示唆されます。4cM超のより短いROH兆候も豊富で、各世代における繁殖相手の要員が限定されていたことを示唆します。人口規模は、グアム島が315~356個体、サイパン島が361~424個体と推定されました。
さらに、男性個体(1個体はグアム島で、他はサイパン島)のX染色体間で、長い共有されたDNA断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の塊が分析されました。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示しており、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。8 cM 以上のIBD断片を共有する149組の個体がと規定されました。これは、マリアナ諸島を合わせた配偶人口集団の規模である有効人口規模(Ne)の上限を、1203~1712個体(95%信頼区間)とします。島間の移動が制約されているか、比較された個体の年代に時間的差異がある場合、これらの数値は過大評価となるでしょう。これは、ラッテ期における長期の小さな人口規模か、強い創始者事象を示唆します。密接に関連するラッテ期個体の122組が特定されました。調べられたラッテ期の125個体のうち80個体には、1人もしくは数人の親族がいました。
●考察
本論文の注目すべき発見は、おもに男性のパプア人移民が以前に居住していたFRO人口集団と2500~2000年前頃に混合した事象が少なくとも3回起きた、ということです。それは、混合供給源の組み合わせが3地域で異なっていたからです(図4D)。これらの移住および混合過程の一つは平均して2500~2200年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFROパラオの混合がパラオ諸島現代人を形成しました。第二の混合は2300~1600年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFRO太平洋南西部の混合が古代と現代のミクロネシア中部人を形成しました。第三の混合は2300~1500年前頃に起き、パプア人ニューギニアとFRO太平洋南西部との混合が、太平洋南西部とポリネシアの古代人および現代人の祖先系統を形成しました。これら3回の混合は性別非対称で、パプア人祖先系統のほとんどは男性に由来します(図4C)。パプア人との混合の証拠がないマリアナ諸島でさえ、ラッテ期個体群におけるFROパラオとFROマリアナの推定混合年代は2400~1700年前頃で、完全にFRO集団を含んでいた最初の移住事象のずっと後となる、平均して2500~2000年前頃に起きた遠オセアニアにおける移住と混合の第四の事例を提供します。
バヌアツの高解像度の古代DNA時間横断区は、太平洋南西部におけるこの過程の原動力を明らかにしてきました。太平洋南西部では、おそらくはニューブリテン島からの最初のFRO太平洋南西部の移住の波は、ラピタ文化後期におけるおもに男性のパプア人ニューブリテン島の波へと変わり、同じ供給源に由来する可能性が高く、以前に確立していた交通経路に従いました。本論文の結果は、少なくとも2つの他地域における同様の過程の可能性を高めます。ポンペイ島で発見された最古の土器は2000年前頃で、ラピタ文化後期のものと類似しており、この地域への混合したFRO太平洋南西部とパプア人ニューギニア祖先系統の拡大について、考古学的相関を提供します。並行過程により、パプア人ニューギニア祖先系統をパラオ諸島へ、FROパラオ祖先系統をマリアナ諸島へともたらした可能性があります。
FROパラオ系統の特定により、FROの3系統が、マレー・ポリネシア語派における最初の3言語分岐に対応している可能性が高まります。FROマリアナはチャモロ語へとつながり、2800年前頃のウナイ期被葬者と関連します。FRO太平洋南西部はCEMP(中東部マレー・ポリネシア諸語)言語につながり、ラピタ考古学複合およびバヌアツの3000年前頃の被葬者と関連しています。FROパラオはパプア人祖先系統を有しており、おそらくはパラオ諸島における最初の祖先系統種類でした。それは、チェレコル・ラ・オラック(Chelechol ra Orrak)の3000~1800年前頃の遺骸のmtDNAが、アジア東部祖先系統を示唆しているからです。
FRO系統の分岐順も重要です。FROパラオ系統がまず分岐したという事実は、マリアナ諸島への単一の遠オセアニア拡大があり、それが他の系統を生み出した、という理論により説明できず、それは、この事例では、FROマリアナ諸島個体群が最初に分岐したと考えられるからです。マリアナ諸島人口集団が全てのFRO系統の祖先である、という理論は、mtDNAの証拠によりさらに異議を唱えられます。この理論が正しければ、最も節約的な予測は、グアム島の2800~2200年前頃のウナイ期個体群で観察されたmtHg(E1とE2)が、3000~2500年前頃のラピタ期個体群でも観察されることです。しかし、「ポリネシア人に特徴的な配列」であるmtHg-B4a1a1のみが観察されます。したがって、本論文の結果が示すシナリオでは、最初の遠オセアニア3系統はアジア南東部島嶼部のMP(マレー・ポリネシア語派)話者の幹から分岐し、遠オセアニアへの少なくとも3回の独立した移住の波があったことになります。
植民地期以降、太平洋の人々は、起源を共有するという理論により、「メラネシア人」と「ポリネシア人」と「ミクロネシア人」に分けられてきました。しかし本論文の結果から、ミクロネシアの人々は同じ地域内でさえ多様な祖先的起源を有していると示され、「ミクロネシア人」という用語が、特定の生物学的特性を示唆せずに地理的表示として使われるべきである、と示唆されます。
参考文献:
Liu YC. et al.(2022): Ancient DNA reveals five streams of migration into Micronesia and matrilocality in early Pacific seafarers. Science, 377, 6601, 72–79.
https://doi.org/10.1126/science.abm6536
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