『卑弥呼』第90話「秦の邑にて」

 『ビッグコミックオリジナル』2022年7月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが穂波(ホミ)の国境にある謎めいた漢人(という分類を作中の舞台である紀元後3世紀に用いてよいのか、疑問は残りますが)の邑を一人で訪れ、長老らしき男性から邑に入ることを許可されたところで終了しました。今回は、穂波(ホミ)の国境にある漢人の邑を訪れたヤノハが、邑の長老に案内されている場面から始まります。ヤノハは長老から聞いて、屋根に載っている瓦(ワ)を初めて知ります。長老の名前は徐平(ジョヘイ)で、邑を、邑人たちは秦邑(シンノムラ)と呼び、近隣の倭人や菟狭(ウサ、現在の大分県宇佐市でしょうか)の祈祷女(イノリメ)たちは「ハタの邑」と呼んでいるので、自分たちは秦(ハタ)一族だ、と長老は言います。その由来は機織り機を倭人に伝えたからでした。「秦(シン)」の意味は、先祖の方士だった徐福が仕えていた国の名だ、と長老はヤノハに説明します。秦とはどのような国なのか、ヤノハに訊かれた長老は、400年前、群雄割拠の大乱に終止符を打ち、広大な地を初めて統一した国家だ、と答えます。よほど偉大な王がいたのだな、と感心するヤノハに、徐福の主君である趙正(チョウセイ)は自らを王ではなく始皇帝と称し、皇帝とは昔の8人の聖人君主である三皇五帝に由来する、と教えます。徐福はそんな素晴らしい主君から離れてなぜ倭国に来たのか、とヤノハに問われた長老は、始皇帝は偉大だったが冷酷無比で、己の欲望に忠実だった、と答えます。始皇帝は徐福に不老不死の妙薬を探させ、徐福は大海を彷徨って倭国にたどり着いた、と説明する長老に、ヤノハは不老不死の妙薬について尋ねます。長老はヤノハに、あると思うか、と逆に問いかけます。

 金砂(カナスナ)国の肥河(コイノカワ、現在の斐伊川でしょうか)上流では、吉備の首長で日下(ヒノモト)国に従っている吉備津彦(キビツヒコ)と、金砂国のミクマ王が川に入り、裸で会見していました。ミクマ王は吉備津彦に、配下の民の扱いについては譲れない、と釘を刺します。鬼国(キノクニ)の温羅(ウラ)将軍は征服した民を奴婢にするというが、我が国は敗れたわけではない、とミクマ王は主張します。それは道理だ、と吉備津彦は言い、鬼の戦人には金砂の民を奴にすることを厳しく禁じる、とミクマ王に約束します。するとミクマ王は、ならば我が国で鉄(カネ)の山を探すことも、フイゴ場を作ることも認める、と吉備津彦に言います。吉備の国はどこまで兵を進めるつもりなのか、宍門(アナト)国を攻めて豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)全てを掌握するつもりなのか、とミクマ王に問われた吉備津彦は、それでは足りない、と答えます。筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)まで攻めるつもりなのか、と驚き警戒するミクマ王に対して、日下のフトニ王(記紀の第7代孝霊天皇でしょうか)は初代のサヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の遺言を忠実に守っているだけだ、と答えます。サヌ王の遺言についてミクマ王に問われた吉備津彦は、サヌ王は倭国平定のために航海して現在の日下に上陸し、そこから西に兵を進め、筑紫島の国々が東へと挙兵し、挟み撃ちにする策略だったが、筑紫島のどの国も呼応しなかった、と答えます。そこで何世代にもわたって怨念を抱いてきたのか、とミクマ王に問われた吉備津彦は、怨みを晴らす日は近い、と答えます。倭国統一の次はどうするのか、とミクマ王に問われた吉備津彦は、漢に使者を送る、と答えます。いずれ自分たちより武器も航海術も優れた外敵が来襲するので、その時に倭国には漢の庇護が必要になり、漢に渡るのに最も安全な道は筑紫島の北の港になる、というわけです。感心するミクマ王に、日下の王が倭王として最も相応しいと分かっていただけたか、と言う吉備津彦に対して、山社国(ヤマトノクニ)の日見子(ヒミコ)は手強いぞ、とミクマ王は忠告します。すると吉備津彦は、必ず山社の日見子(ヤノハのこと)の首を獲り、現在は日下の日見子である自分の姉(モモソ)を山社の日見子に据えてみせる、と余裕のある表情で言います。しかし、ミクマ王は懐疑的で、事代主(コトシロヌシ)が、山社の日見子は百年に一度の顕人神(アラヒトガミ)なので、日下は必ずしくじると言っていた、と吉備津彦に伝えます。すると吉備津彦は、ミクマ王に条件を提案します。それは、事代主は残すがミクマ王の家は断絶として、金砂国は消えて出雲として日下国の直領になってもらう、というものでした。ミクマ王は激昂して立ち上がり、剣を取ります。剣での戦いは自分の方が上で、それに剣を交換したので自分の検は鉄製、吉備津彦の剣は青銅製となり、その点でも有利だ、とミクマ王は自分の勝利を確信します。すると吉備津彦は、未熟者だが挑まれれば勝利する、と言って刀を抜きます。ミクマ王も刀を抜こうとしますが、それは櫟(イチイ、クヌギ)の木の模擬刀でした。吉備津彦はミクマ王を斬り、止屋淵(トメヤノフチ)と呼ばれている底なし沼にミクマ王の遺骸を投げ込みます。吉備津彦は川を渡って金砂国の兵士に、ミクマ王が止屋淵に吸い込まれたので助けてくれ、と伝えます。金砂国の兵士たちが川に入ると、吉備津彦は配下の兵士に弩で金砂国の兵士を射るよう命じ、全滅させます。吉備津彦の配下のフリネはこの卑劣な策に動揺しますが、吉備津彦は平然として、これが我々日下の伝統の兵法だ、と言います。吉備津彦は笑顔で、フリネを出雲の政の長(出雲フリネ)に任じます。

 秦邑では、長老がヤノハから話を聞き、日下が鬼を使って倭全土を支配しようとしており、日下に勝つには秦邑の秘密の武器が必要だ、と悟りました。しかし、いずれ倭は誰かの手で統一されるので、日下国に明け渡すのも手ではないか、と長老はヤノハに問いかけます。するとヤノハは、日下だけはだめだ、と答えます。戦を好む国から泰平は生まれず、次の戦が起きるだけだ、というわけです。ヤノハは、自分が倭国を平らかにできたらどうするのか、と長老から尋ねられ、漢に使者を送る、と答えます。大国に庇護を求めるのか、と長老に問われたヤノハは、知恵が欲しい、と答えます。漢にはきっと、戦わずして泰平の世を実現する教えがあるはず、と言うヤノハに、百年に一人の顕人神だな、と長老は感心します。ヤノハが、己の欲に忠実なただの女子だ、と長老に言うところで今回は終了です。


 今回は、秦邑でのヤノハと長老との会話と、吉備津彦によるミクマ王と金砂国の兵士の騙し討ちが描かれました。吉備津彦の騙し討ちは予想の範囲内でしたが、トメ将軍とミマアキにより吉備の兵士から解放された事代主がどう動くのかも注目され、このまま日下の配下の吉備が出雲も含めて金砂国を順調に支配できるのか、まだ分かりません。吉備津彦の発言で注目されるのは、いずれ自分たちより武器も航海術も優れた外敵が来襲するので、その時に倭国には漢の庇護が必要になる、という予測です。これはミクマ王を油断させる出鱈目かもしれませんが、日下の支配層がじっさいにそうした脅威を認識しているとしたら、朝鮮半島の勢力かもしれませんが、あるいは、遼東半島から朝鮮半島北部を支配した遼東公孫氏の可能性も考えられます。

 謎めいた漢人の邑は、秦邑と呼ばれていることが明かされました。『隋書』の「秦王国」の前身で、秦氏の祖先という設定でしょうか。秦邑の不老不死の噂の真相も、穂波を度々退けた武器の秘密もまだ明かされておらず、注目されますが、おそらくは「現実的な」設定でしょう。当面は、日下と山社を盟主とする諸国との戦いが中心に描かれるでしょうが、山社も日下も漢との通交を重視しており、やがては大陸情勢も本格的に描かれるのではないか、と期待されます。ただ、津島(ツシマ、現在の対馬でしょう)のアビル王が以前説明したように(第39話)、すでに作中の現時点では漢(後漢)が衰えて滅亡も予感されており、じっさいにヤノハが関わるのは魏になりそうです。諸葛孔明が登場することはないかもしれませんが、司馬仲達は、倭国の魏への遣使とも深く関わっているとも言えそうなので、終盤で登場するかもしれません。邪馬台国と三国志は戦後日本社会においてとくに一般的な関心の高い分野で、同時代というか直接的に深く関わっていますが、それが一般層では上手く接続していないというか、別々のものとして消費されている側面が大きいように思います。本作は、邪馬台国と三国志をつなげる娯楽作品になるかもしれない、という点でも楽しみです。

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