現生人類の起源に関する議論
現生人類(Homo sapiens)の起源に関する議論を検証した研究(Meneganzin et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。まずは本論文で重要となる用語の解説を述べて起きます。
◎異所性種分化
遺伝的交換の機会が制約される、(外部的障壁に起因する)地理的分離の結果として個体群間の多様化が起きる、地理的種分化の形態です。
◎向上進化
任意の期間における同一系統内の特徴の方向性変化を指します。ギリシア語の「上に(ana)」に由来します。
◎固有派生形質
単一系統に限定される派生的特徴の状態です。
◎分岐進化
分岐を通じての進化系統の多様化で、祖先系統は2つかそれ以上の子孫系統に分岐します。ギリシア語の「枝(clados)」に由来します。分岐進化は生物多様性の基本的原理で、種分化がその中核的過程です。
◎球状化(globularization)
頭蓋内形態がより球状的な(丸い)形状へと変化する、現生人類の個体発生の軌跡における初期段階を指します。
◎斑状の進化
第一に、さまざまな速度と時間で半ば独立的に進化する同じ系統内の異なる特徴です。第二に、異なる時間における、人類系統発生全体のさまざまな進化的軌跡を伴う、進化的変化のさまざまな領域です。第三に、異なる進化史を有するさまざまな部分形質を構成する、言語など複雑な特徴の進化です。
◎新形成(neomorphosis)
新たな形態へとつながる、祖先の発生プログラムの構造的側面を修正する、集団間の進化的および発生的分化パターンを指します。
●研究史
現生人類の起源の探求は、「挫折の作り方」もしくは「解決できない難問」として定義されることがありました。じっさい、現生人類が種としてどのように出現したのか、という話は、現在までより複雑になり、同様に理解しにくくなっており、それは、利用可能なデータでは多くの側面で、代替的なシナリオを識別する充分な解像度がないように見えるからです。本論文は、アフリカの化石記録における重要な固有派生形質の出現の背後にある過程に焦点を当てて、種分化についての問題、つまり現生人類が形成された速度と在り様として、起源に関する議論の再考を提案します。進化生物学の知識と一致する視点は、骨格と古環境と考古学とゲノムのデータを統合した場合に役立つことができるので、現在の証拠(関連記事)による仮説の明らかな決定不全を減らせる、と本論文は主張します。
今ではチバニアン(Chibanian)と呼ばれる中期更新世の先祖から現生人類がどのように進化したのか、という現在の全体像は、最近のアフリカ起源(RAO)モデルで定着しており、これは20世紀の最後の10年間における多地域(MRE)モデルとの対立に耐えました。現生人類の中期更新世の先祖は以後、最終共通祖先(LCA)と呼ばれ、これはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と共有されています。
化石記録における形態学的差異のパターンと現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性の合着(合祖)推定年代によりまず示唆されたように、現生人類のアフリカ起源は今や、多くの証拠により裏づけられています。これらには、アフリカにおける最初で議論の余地のない現生人類化石(関連記事1および関連記事2)や、ヒトの遺伝的多様性に関する研究(関連記事)が含まれ、遺伝学的研究では、ヒトの遺伝的多様性は世界においてアフリカが他地域よりも多く、アフリカからの地理的距離の増加に連れて減少する、と示されています。
現代人のゲノムのごく一部が、ユーラシアの「古代型」ホモ属の起源、つまりネアンデルタール人やデニソワ人や他の深く分岐したホモ属系統からの遺伝子移入である、という事実(関連記事)は、完全な置換シナリオというRAOの最も厳密な説明を却下しますが、これはMREにより主張されている大陸間の長期の遺伝子流動への裏づけを提供しません。
現代人の起源に関する研究が、現生人類の出現時にアフリカ大陸内で起きたことに焦点を移した今、一部の学者が提案しているのは、大陸規模の過程が中期更新世後半に起きた可能性で、「汎アフリカ」と一般的に呼ばれる仮説へとつながります(関連記事)。これは、初期のRAOの明確な系統だった説明の一部で示唆されている、分岐進化で種分化の断続的事象で、アフリカの内外における現生人類のその後の拡大を伴う、という見解とは対照的です。
本論文では、種分化の進化生物学的知識により提供される観点から、後者二つの見解(現生人類の起源に関する、汎アフリカ説と、分岐進化で種分化の断続的事象説)を批判的に再調査します。「単純な単一起源」、つまり現代的特徴の完全な「一括」の局所的進化を除外する場合、じっさいの代替案は、汎アフリカシナリオと「拡張単一アフリカ起源」との間にある、と本論文では提案されます。これは本論文では、特徴の斑状の進化の現代的段階の前後両方の結果としてみなされ、その根底にある個体発生の過程と決定要因を伴う、神経頭蓋の新たな構造(つまり球状化)の出現により表される重要な変化により挿入されます。
●現代人の発祥地の候補
現生人類が、アフリカの局所的地域にたどれるはずの単一の祖先人口集団内で進化した、という見解の裏づけに、さまざまな証拠が用いられてきました。独立した一連の証拠のさまざまな論争に基づいて、現生人類の起源地としてアフリカの東部と南部が提案されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。アフリカ東部の地溝帯体系は、生態的地位の細分化を促進する複雑な地形学的および生態学的構造があるので多様性を促進し、常にヒト進化研究で注目され、古人類学および考古学の豊富な発見を提供してきたので、「人類の揺り籠」の有力候補になりました。斑状の環境と多様な生物群系は、多くの脊椎動物分類群(とくに両生類と鳥類と哺乳類)の固有種が生息してきた、と示されました。したがって、人類の起源について提案された「東側の物語」は、現生人類の出現についても提案されてきました。
通常は現生人類のアフリカ東部起源発を裏づけるものとして引用される地生物学的証拠は、二つの要素から構成されます。まず、完全に現生人類の頭蓋と受け入れられている最古の頭蓋は、エチオピア南部のオモ渓谷(Omo Valley)下流のキビシュ層(Kibish Formation)と、エチオピアのアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)のヘルト(Herto)で発見され、一般的にその年代は、それぞれ197000年前頃と16万年前頃とされています。最近、オモ化石の新たな下限年代が、シャラ(Shala)火山噴火の近位堆積物の年代測定により、233000±22000年前と提案されました(関連記事)。
オモ・キビシュ1号とヘルト1号標本は現代的な頭蓋形態となっており、その現代的特徴は通常、高くて丸くて大きな頭蓋冠と、小さく華奢な顔面で構成され、オモ1号では犬歯窩と顎突出の証拠があるので、ヒトの表現型進化の最強の事例としてアフリカ東部が提示されます。解剖学的現代人のこれらの代表は、もっと最近の現生人類と比較して依然として頑丈で、一部の標本は中央部と遠位部に分かれているものの、強い眼窩上隆起を依然として示します。
現生人類の派生的(固有派生形質的)特徴は、さまざまな研究で報告されています。そうした特徴は、進化の観点から同等とみなされるべきではありません(図1、後述)。頭蓋形態のような「構造的」特徴における変化には、固有の別々の特徴の現れ(ヘルト1号のように、強い眼窩上隆起のような「古代型を想起させる」特徴)と組み合わさって見られる場合でさえ大きな進化的意味がある、と考えられます。地理的観点から、アフリカ東部の堆積盆地の物質的証拠は化石化のとくに好適な条件を利用できますが、特別な生物地理学的状況の固有性の重要な地域としての、アフリカ東部の大きな役割を主張する研究者もいます。以下は本論文の図1です。
次に、オモとヘルトの現生人類遺骸の上述の年代は、さまざまな世界規模の現代の人口集団のmtDNAの先駆的な遺伝学的研究と整合的です。1980年代後半の研究では、mtDNAの最も近い共通祖先(mt-MRCA)、いわゆる「ミトコンドリアイヴ」の年代は20万年前頃で、サハラ砂漠以南のアフリカに暮らしていた、と推定されました。元々の研究はいくつかの分析上の限界が示されていましたが、この推定値はその後の研究で確証され(もしくは若干訂正され)、ミトコンドリア時計の新たな較正点と置換率では、mt-MRCAが197000~12万年頃と推定されています。しかし、単一の遺伝子座の系統樹で対処できる人口史への疑問には要注意です(後述)。
エチオピアだけが、人類の坩堝と主張されてきたわけではありません。アフリカ南部起源説も、核ゲノムとmtDNAの多様性(関連記事1および関連記事2)、考古学的証拠(関連記事)、寒冷期となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)6において安定した供給源と退避地を提供する能力、人類の時空間的生息適合性の模擬実験(関連記事)に基づいて提案されてきました。
アフリカの狩猟採集民は世界で最高水準のゲノム多様性を示し、他のアフリカの人口集団には見られない多様性の構成要素を含んでいます。以前の研究(関連記事)では、ザンベジ盆地の南側に位置する、現在はマカディカディ塩湖(Makgadikgadi Pans)となっているボツワナ北部のマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi–Okavango)古湿地という残存古湿地内が解剖学的現代人の起源地と特定された、と主張されました。その結論は、稀で深く分岐したmtDNAハプログループ(mtHg)L0の1217点のmtDNA標本(そのうち198点は新たに生成されました)に基づく推定系統樹の構造に由来し、mtHg-L0はコイサン人において高頻度です。
この研究には広く批判が寄せられ、最も深刻なのは、系統発生過程の無作為な結果である単一の非組換え遺伝子座の系統樹を、人口史の推定に使用したことです(関連記事)。さらに、人口集団の現在の地理的位置が何万年もの間実質的に変わっていない、との暗黙の仮定は議論となり、そうした深い期間にはひじょうに稀な化石と理想的には古代DNAの証拠により裏づけられる必要があり、それは完新世の人口集団の研究の結果とは矛盾するでしょう。
考古学的観点からは、海洋資源や顔料や抽象的画像の使用など現代人的行動の重要な要素の出現について、アフリカ南部には初期の重要な証拠があります。しかし、考古学的証拠はこの文脈では注意して扱われねばなりません。それは、製作者が確実に特定できず(とくに、重複する種や人口集団の状況で)、文化的動態が生物学的特徴の進化と伝播の同じパターンに従うとは限らないからです(しかし、生物学的および文化的側面は、相互に強く作用する可能性があります)。換言すると、現代的な行動の進化の痕跡はアフリカ南部に限定される必要はなく、後期石器時代に最初に出現します。じっさい、行動的現代性についてより複雑で多元的なシナリオが最近提案されており、その場合、重要な文化的核心は非同時的で多中心的な様式で出現して消滅し、それはアフリカの中期石器時代(その最初の証拠はアフリカ大陸のほぼ全域で30万~25万年前頃に同時に見られます)だけではなく、ユーラシアの中部旧石器時代でも同様で、複数系統が含まれます。
●RAOモデルの進化的背景
現生人類の進化的過去の分析における地域的規模の解決に到達することを困難にする方法論的および実証的限界にも関わらず、単一起源の見解は進化生物学のよく知られた遺産からその強みを引き出します。エルンスト・マイヤー(Ernst Mayr)により擁護されていたことで有名な種分化の異所性的モデルによると、種分化はより大きな親個体群から地理的に分離した、小さく周辺的な個体群で起きる可能性が最も高い、とされています。小さな個体群は(遺伝的浮動もしくは自然選択による)急速な進化的変化をひじょうに受けやすくなり、それは小さな個体群が大きな個体群よりも遺伝的差異が少なく、したがって安定性が低いからです。
ナイルズ・エルドリッジ(Niles Eldredge)とスティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould)は種分化に関するマイヤーの地理的観点を拡張し、進化速度の変動性について大進化の仕組みである「断続平衡」理論を導き出し、種分化は明らかな平衡(もしくは「停滞」)を中断する稀な事象である、と主張しました。そうした見解によると、新種の発生はしばしば(地質学的には)急速な過程で、新種はその祖先の地域から地理的に遠く離れた(もしくは孤立した)狭く限られた地域で発見されます。
必然的に、これらの見解は古人類学的研究に間接的ではあるものの顕著な影響を及ぼし、それは今でも続いており、利用可能な化石記録からの多様な証拠の評価を長く方向づけ、RAOモデルの進化的枠組みを提供しました。一方、以前も今も異議を唱えられている多地域仮説は、標準的な進化の現代的総合により促進された系統発生の漸進主義とよく合致します。単一起源仮説の中心は、経時的な変化に伴うとみなされる進化が、ほぼ生態学的不安定性の期間に空間(つまり地理的場所)で本質的に始まる、という考えです。本論文では、この枠組みが、極端な過度の単純化と混同されない場合、依然として現生人類の進化の文脈に情報を提供する、と主張されます。
エリザベス・ヴルバ(Elizabeth Vrba)の哺乳類古生物学と大進化理論への貢献は、絶滅と種分化の過程両方の促進(ターンオーバーパルス)における環境破壊の役割の理解に道標をもたらしてきました。新たな系統の起源は生息地の断片化にひじょうに好まれ、異所性個体群の多様化の機会をもたらしました。この視点は、現生人類系統の起源が、とくにMIS6で目立つようになった強い環境変化の段階内で起きたならば(ただ、後述のように明らかにより深い起源があります)、重要になります。そうした強い環境変化期は、景観地形、したがって人口規模と相互接続性と分布に大きな影響を及ぼしたかもしれません。
後述のように、現在の議論が現生人類の起源の物語に新たな深みと複雑さを追加したことは間違いありません。しかし、たとえば現生人類の初期構成員の形態学的診断可能性や、アフリカの状況に適用した場合の「多地域主義」という符号の重要性に関する理論的曖昧さは、現生人類の歴史的過去の理解における有益な進歩を妨げる可能性があり、以前の物語の真の改定を構成するものと、統合を表すものとの間の区別ができません。以下、現生人類の起源の統合的で進化的な枠組みの概略の前に、汎アフリカモデルのいくつかの主要な仮定と重要な側面過程がよく調べられます。
●ジェベル・イルード化石の課題と影響
モロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)遺跡における最近の発見と新たな年代測定の試みが、現生人類の起源がより広範な規模およびより長い期間にアフリカ大陸と関わっていたかもしれない、との見解の促進に大きな役割を果たしたことについて、疑いはほとんどありません(関連記事)。ジェベル・イルード遺跡は1960年代に採掘活動中に発見され、それ以来、多くのヒト標本が発見されており、とくに注目されるのは、ほぼ完全な頭蓋(イルード1号)、成人の脳頭蓋(イルード2号)、未成年の下顎(イルード3号)です。これらの化石の解釈は、地質学的年代の不確実性と、古代型(祖先型)と派生的な(より現生人類的な)形態の問題のある混合のため、長きにわたってひじょうに議論されてきており、さまざまな結論と示唆の間で揺れ動いてきました。たとえば、アフリカのネアンデルタール人との評価とその否定、現生人類への過渡的形態、ネアンデルタール人と現生人類との混合、初期現生人類、アフリカ北部の後期古代型集団、現生人類クレード(単系統群)の初期段階です。
最近の研究(関連記事)では、新たなヒト標本(頭蓋断片のイルード10号と下顎のイルード11号)や石器や狩られた動物遺骸が提示され、新たな熱ルミネッセンス年代測定ではジェベル・イルード遺跡は315000年前頃と推定され、「現代的な形態の重要な特徴が確立した現生人類クレードの初期段階」と主張されました。これが意味するのは、ジェベル・イルード遺跡の人類遺骸が、最終的には現生人類へとつながっただろう単系統集団の根本のどこかに属したものの、それ自体は現生人類ではない、ということです。
この調査結果は、メディアの報道だけではなく、学術的な出版物でも、「最古の現生人類化石」もしくは「現生人類化石」としてあまりにも軽率に言及されています。じっさい、最近の研究において主成分分析(PCA)により示されているように、ジェベル・イルード遺跡の人類遺骸標本の脳頭蓋は細長く、後頭部には角度があるので、「現生人類」的には見えません(図1)。一方、比較的華奢な顔面と歯列は、重要な現代的特徴(つまり頤)が欠けているにも関わらず、現代人の変異性により近いようです。
重要なことに、ジェベル・イルード化石は、26万年前頃の祖先的現生人類とされる、南アフリカ共和国で発見された頭蓋顔面断片と1点の歯から構成されるフロリスバッド(Florisbad)資料の解釈を裏づける、と言われてきました。しかし、以前の分類学的解釈では、フロリスバッド標本は「後期古代型ヒト」集団に分類され、一部の学者は区別して、中期石器時代技術と関連するホモ・ヘルメイ(Homo helmei)として分類しました。汎アフリカ的な見解の支持者(関連記事)は、フロリスバッド頭蓋を、アフリカ大陸北部から南部までの初期現生人類の広範な存在を証明する重要な資料として提示します。しかし、そうした主張は信頼できる年代に基づいていることが重要です。
1996年の研究では、頭蓋顔面の断片と同じ個体のものと仮定された大臼歯に基づいて、フロリスバッド遺跡の年代決定が提供されました。しかし、フロリスバッド遺跡の複雑な層序と頭蓋顔面断片の出所の良好な記録の欠如により、そうした遺骸の同時代性について、さらにはアフリカ南部における26万年前頃の現生人類の実際の存在について、疑問も呈されています。さらに、分類学的曖昧さの問題が残っています。以前の再構築では、フロリスバッド頭蓋は現生人類よりも古代型の種に属するかもしれない、とすでに示唆されていました。最近の研究では、派生的特徴と祖先的特徴の斑状のパターン(現代人の多様性内では前頭鱗が考慮されているものの、ネアンデルタール人的な前頭蓋窩と祖先的な頭頂葉および血管網が伴います)は、さまざまな系統発生シナリオと合致する、と強調されました。
それにも関わらず、ジェベル・イルード標本はさまざまな水準で重要な手がかりを提供します。まず、古人類学の研究において注目を集めつつある進化的パターン、つまり特徴の「斑状の進化」と形態学的不安定性が示されます。じっさい、とくに種分化過程の始まりにおいて、新種を特徴づける重要な固有派生形質は、単一の進化的軌跡内における完全に組み立てられた一括として現れません。新規性は非同時的在り様で、人類の進化を通じて別々の間隔で発生する可能性があります(つまり、さまざまな速度と時間で進化します)。
アフリカ北部が現生人類の起源において何らかの役割を果たしたかどうかに関わらず(関連記事)、中期更新世人口集団においてより現代的な顔面が球状の脳頭蓋に先行したことは明確なようで、それは、顔面がさまざまな機能に関わっており、したがってさまざまな選択圧により多く曝されているから、という可能性が高そうです。モロッコのジェベル・イルード資料により確証された第二の含意は、すでに指摘されているように(関連記事)、起源の問題が、中期更新世においてヒトの多様性を形成した進化的仕組みに深く根差していることです。これは、顕著な表現型の多様性により特徴づけられるシナリオで、まだ不可解であり、一部の側面ではほとんど知られていません。
●「アフリカの多地域主義」と古代のメタ個体群
Scerri et al., 2018(関連記事)は、現生人類が単一の人口集団および/もしくはアフリカの地域で進化した、とするシナリオは、化石と考古学と遺伝学と古環境のデータにより異議を唱えられており、代わりに、「現生人類はおそらくアフリカ全域で暮らしていた強く細分化された(つまり構造化された)人口集団内に起源があって多様化し、そうした人口集団は散発的な遺伝子流動により接続していた、という見解と一致する」と主張しました。
最近の研究(関連記事)ではより多元的な視点が開かれ、汎アフリカ的見解はあり得るモデルの範囲に(そのうち、単一地域からの完全な置換シナリオのみが、現在のデータにより却下されるようです)含まれる、と指摘されました。本論文は、解釈の互換性、用語上の問題、進化的意味に注意を払いながら、学術的刊行物(関連記事1および関連記事2)において詳細に述べられた汎アフリカ的シナリオに言及します。
汎アフリカ主義の裏づけのために用いられた複数の一連の証拠に関して、本論文では上述のように、化石側について解釈の注意が必要だ、と見てきました。不確実な年代は別として、「現生人類」の診断可能な箱に保持されると決定するものとその外に残すものは、粗探しの問題ではありませんが、進化の軌跡の理解を顕著に形成します。現生人と診断されるべき詳細な特徴一式と、その程度もしくは解像度に関する議論の余地があるとしても、頭蓋の球状性はさほど論争の余地がないようです。
汎アフリカ説の支持者は、深いアフリカ起源の進化する系統として現生人類を考えており、ジェベル・イルードとフロリスバッドのような化石を、現生人類クレードの初期構成員により示される多様性の一部とみなします(関連記事)。汎アフリカ説の支持者は、頭蓋の派生的形態のような重要な新規性は、現生人類的とすでにみなされる系統内で進化した、と示唆しているので、現生人類の定義と、解剖学的現代人標本とみなされるものとの間の区別を示しています。
これにより、解剖学的現代性(とくに、頭蓋球状性)のいくつかの重要な基準を満たす必要がないならば、現生人類系統に沿った形態学的診断可能性の問題が残ります。許容度の低い診断基準では、ゲノムデータが欠如しているジェベル・イルードとフロリスバッドのような初期標本の代替的な分類学的解釈は、じっさいに除外できません。これにより、独特な系統が、地域的特殊化と派生的および祖先的特徴のさまざまな組み合わせを有する比較的広範な古代型種から局所的に現れた、という可能性が開けます(後述)。
遺伝学的側面については、汎アフリカ的シナリオで、より深い人口集団の分岐が予測されます。南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)の2000年前頃となる石器時代狩猟採集民のゲノム配列に基づく研究(関連記事)は、最も深い人口集団の分岐を35万~26万年前頃と推定し、それはコイサン人と他の全現代人との分離でした。遺伝的データから推測される分岐年代は、変異率と1世代あたりの推定年数に大きく依存しており、それは依然として議論になっています。
その後の研究(関連記事)は、アフリカ西部中央のシュムラカ(Shum Laka)岩陰遺跡の8000~3000年前頃の子供の全ゲノム配列データを分析し、以前の閾値をわずかに修正し、少なくとも4つのヒト系統が25万~20万年前頃に分岐した、と示唆しました。この研究によると、「4つの放散」は、コイサン狩猟採集民とアフリカ中央部狩猟採集民と東西アフリカ人と「ゴースト(亡霊)現代人」の人口集団につながる系統を含んでいました。現在、さまざまな手法が文献にあり、分岐過程のさまざまな側面を部分的に反映しているかもしれませんが、ヒトの遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大半は25万~10万年前頃に収束しているようです(関連記事)。
本論文の見解では、これらの推定値は複雑で長期にわたる「現代化」の段階(35万~25万年前頃)と一致する可能性があり、現生人類の派生的特徴の完全な一式の合着(合祖)に先行する、顔面や歯列などの特徴に影響を及ぼした可能性が高そうです。そうした段階は部分的に、構造化されたメタ個体群の動態に続いた可能性があります(関連記事)。現代的特徴は、接続性と孤立への移行が古気候動態と生息地の機会により形成された、一連の相互に関連する人口集団において、斑状のパターンを通じて出現しました。
じっさい、現生人類とネアンデルタール人の祖先であり、アフリカに存在した可能性が高い人口集団の物語に根差した、現生人類出現のこのシナリオを本論文は想定します。地理的に広範囲にわたる分類群の事例では、個体群が局所的水準で祖先的および派生的特徴の多様な組み合わせで進化を始めることは、不思議ではありません。このパターンは中期石器時代(MSA)初期の道具一式の地域的多様化と並行しており、現在では、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)とホモ・ナレディ(Homo naledi)および/もしくは他の推定される分類群を含む、中期更新世アフリカにおける複数系統の共存を考えると(関連記事1および関連記事2)、MSA初期の道具一式を完全に現生人類の所産に帰することはできません。
汎アフリカ的見解の説明に用いられてきた「アフリカの多地域主義」という用語は、議論、とくに「複数起源」という表現に関連づけられる場合、曖昧さのさらなる原因です。それは、人種差別主義者【と本論文は評価していますが、これには議論があると思います】の人類学者であるカールトン・クーン(Carleton Coon)の枝付き燭台モデルでの、世界規模の多地域主義の後者の解釈の歴史的合成に起因します。「アフリカの多地域主義」という用語は、むしろ誤った名称なので、破棄されるべきです。アフリカの文脈では、汎アフリカ説の支持者は、さまざまに寄与する人口集団間の遺伝子流動の役割を評価しており、これは進化の並行様式との見解とも、複数の独立した起源とも一致しません。しかし、多地域モデルにより共有される地理的連続性の中心的原則も、人口集団の分裂と融合と遺伝子流動と消滅を含むより動的な人口史を支持して、より弱められるようです(関連記事)。
しかし、そのように説明されたメタ個体群モデルはひじょうに柔軟的にすぎるようなので、容易に反証可能ではありません。遺伝子流動の程度(これまで、より早期の古代DNAがないため、推測に留まっています)に基づくと、明快な分岐パターンと、完全に任意交配のシナリオの両方に対応できます。上述の観点に照らして、アフリカ大陸のような広大で環境的に不均質な地域における多中心体の種分化を促進する生物学的過程は、不明なままです。
じっさい、Scerri et al., 2018は、多くの人口集団と地理的領域と環境が現生人類の起源にどのように効果的に役割を果たしたのか、という問題を未解決にしているようです。しかし、どれだけの遺伝子流動と、どのくらいの地理的距離を仮定すべきでしょうか?選択について(役割を果たす場合)、どのような強力で持続する選択圧が、広大で不均質な地理的規模にわたって、現生人類の診断特性を進化させるさまざまな人口集団につながったでしょうか?さらに重要なことに、どのような生物物理学的および古気候的条件が、汎アフリカ的な過程の展開を可能にしたのでしょうか?
●起源の問題のための進化的および生物地理学的構成
現在の議論を活発化する利用可能な証拠と概念的中心点では、現生人類の出現は多段階の過程として理解されるべきだ、と示唆されます。本論文はこの枠組み内で、人口統計学的複雑さと形態学的変異性と変化する構造により特徴づけられる、祖先のメタ個体群(つまり推定されるLCA)により表される最初の条件から、より派生的な形態、つまり「冠節(crown node、対象クレードの標本抽出種の最新の共通祖先)」は、局所的に出現した可能性が高い、と主張します。これは後にアフリカ全域に広がり、LCAの人口集団と交雑し、現生人類とその姉妹分類群で遺伝子流動の証拠があるユーラシアにも拡大しました。
アフリカは確かに広大な大陸で(約3030万km²)、地球の陸地の20%を覆っており、現生人類がアフリカ全体で進化した、という結論は、進化的にあまり情報価値はありません。地理的場所への寄与と関連してヒトの起源について考えることは、地域的な人口構造の形成につながった要因の質問と、主要な寄与の地域の事例では、新たな表現型の発生の状況に関する手がかりの獲得を意味します。隣接する人口集団間で遺伝子流動が起き、完全に任意交配のシナリオはそうした広範な地域ではありそうにないので、供給源人口集団が現生人類の出現に全て寄与した(もしくは等しく寄与した)可能性は低そうです。現在まで、地理的に広範なメタ個体群(北方から南方まで)が、単一の進化史に充分な遺伝子流動がある、との証拠は弱いようで、それは、アフリカの南北における25万年以上前の現生人類的な形態の証拠が、現在では不足しているからです。
アフリカ大陸のさまざまな地域に拡大した、構造化された元々の人口集団の初期開始条件を考えると、考えられる結果は二つあります(図2)。まず、派生的現生人類はさまざまな地理的場所で進化し、それはほぼ同じ時間窓内でのことで、多様な人口集団の寄与が伴う、というものです(汎アフリカ主義)。次に、古代型と派生的な特徴の斑状により特徴づけられる祖先のメタ個体群が、形態学的に特徴的な集団の異所性で断続的な出現をもたらし、初めて球状の脳頭蓋を示した、というものです。その後の拡大および親種系統との混合を経て、拡大地域集団内で、他の進化的新規性が組み込まれ、安定化します。本論文は後者の代替案を支持します。これは、拡張単一アフリカ起源と呼ばれるべきで、それは以前の過度に単純化された物語と区別するためです。以下は本論文の図2です。
これらのシナリオが、最近の研究(関連記事)で提案されたモデル、つまり「長期の汎アフリカ接続性」および「拡張の波動」のモデルと共鳴することに要注意です。その研究では、最近のヒト進化における主要な3段階が有益に区別されています。第一に、古代型ヒト集団からの現生人類の祖先の分離です(100万~30万年前頃)。第二に、現生人類の多様性のアフリカ起源です(30万~6万年前頃)。第三に、現生人類の世界規模の拡大と、ネアンデルタール人やデニソワ人との接触です(6万~4万年前頃)。興味深いことに、その研究では、汎アフリカ仮説と拡張波動仮説の両方が、現在ではゲノム証拠で検証困難だと主張されています。そのため本論文では、これらのシナリオに生物学的枠組みを提供するために、とくに関連性のあるもう一方に対して一方を選択する進化的理由について議論されます。
本論文は以下で、中期更新世後期のアフリカにおける人類の変異性から生じる種分化過程の観点で議論に取り組み、生物地理と選択条件とさまざまな地域集団間の接続性の形成における気候的背景の役割を検討します。そのためには、「種分化」と「種」により何が意味されるのか、ということと、現代的な形態学的特徴としての頭蓋球状性の重要性を詳細に説明する必要があります。
●種と種分化
進化論では、種分化過程の大半は、親種の範囲の比較的狭い地域で人口集団が地理的に孤立したところ(つまり、異所性の条件)で起きる、と示唆されます。主要な分類群集団全体で行なわれた種分化形態に関する最近の包括的な再調査は、脊椎動物全体で優勢な過程である可能性が高いものとして、異所性の種分化形態を確証します。
通常の異所性種分化の地質学的時間への予測された拡大縮小として断続的パターンが現れるので、化石記録に影響を及ぼします。種分化のそうした「帰無モデル」からの逸脱(相対頻度の観点で)は、汎アフリカ的見解で示唆されているように、現生人類が例外を構成する理由を説明する、明確な進化的枠組みを必要とします。種分化の向上進化形態(系統発生進化)が(そうした用語で明示的に組み立てられていないものの)示唆されるならば、大陸規模で展開するそうした過程を可能とする生態学的および生物地理学的条件に取り組むべきです。個体群の分化は異所性種分化の第一段階を表しており、新種は孤立した(もしくは半ば孤立した)状況の構造化されたメタ個体群から、遺伝子流動を通じて維持された広範な遺伝的結合内よりも迅速に生じることにも要注意です。
本論文は、種分化過程に関する地理的見解の重要性の根底にあることにより、種が厳密な生殖隔離により定義されるべきである、と示唆するつもりはありません。じっさい本論文は、現生人類の種分化の過程の全段階において遺伝子流動の入力を認識しています(図2)。より一般的には、「種の問題」に関する広大で複雑な文献において、議論の共通の筋道は成長しており、利用可能な種概念の多くは、共通の進化史を有する進化的集団(もしくは別々に進化したメタ個体群系統)として、種の根底にある考えを共有している、と主張されます。種の境界決定が依拠するさまざまな特性(生殖隔離を含みます)が同時に現れないものの、蓄積されて経時的にますます顕著になることも明らかです。
したがって、現生人類の種分化中に、球状の神経頭蓋のようないくつかの重要な表現型の固有派生形質が局所的に出現したことは尤もだと考えられ、別々に進化した系統がすでに進行中だった、と示唆されます。これらはその後に拡大し始めたので、現代的な形態学的特徴の一式は、漸進的に多くなり、安定化しました。分岐時間の関数である完全な生殖隔離については、最近の進化時間において分離した密接に関連する系統間では、予測されるべきではありません。一方、汎アフリカ説が現生人類の進化史をよりよく説明しているならば、化石記録で、地理的に分散した地域で広く準同時代において、頭蓋球状性の特徴(アフリカ東部の化石記録を特徴づけるものなど)を伴う、ひじょうに派生的な形態を観察するはずです。これらの予測を、利用可能な証拠に対して検証できます。
●球状化
頭蓋の解剖学的構造を考慮すると、現生人類の形態は、大幅な顔面の後退(頤の前方への突出を伴います)と、頭蓋冠の顕著な球状拡大により特徴づけられます(関連記事)。化石記録とより最近のヒト標本の比較において観察された、二面性の変異性に取り組んだいくつかの研究により論証されているように、現代の人口集団はほぼ球状の神経頭蓋を共有しています。次にこれは、「古代型(つまり、前後に細長い頭蓋冠により特徴づけられます)」と、かなり球状の脳頭蓋を有する「現代型」のヒトとの間でホモ属内の区別を示します。本論文における「古代型」との用語の使用は、問題があると知られていますが、純粋に記述的であり、(現生人類の前の)ホモ属の構成員により一般的に共有される頭蓋の特徴と、その変異性の関連パターンを指します。したがって本論文は、進化の時間と変異性の範囲を通じての異形態における変化を認識しているので、本論文での使用は非本質的な仕様として意図されています。
主成分分析(PCA)がヒト頭蓋の幾何学的計測データで実行される場合(図3)、現生人類(後期更新世の化石標本を含みます)の変異性の範囲を表すと、古代型および初期ホモ属の両方の代表とは明確に異なります。分析結果は、さまざまな頭蓋構造の観点でこの区別を説明します。つまり、細長い形態(古代型)に対して、球状の形態(現代型)です。したがって、球状の脳頭蓋が最近の人口集団では変動的であるにも関わらず、現代的形態はいくつかのヨーロッパ中心主義の類型論的思考の基礎を有しているものの、世界規模の現存の人口集団の標本を含む最近の研究(関連記事)においても、球状性自体は現生人類の種固有の特性のようです。以下は本論文の図3です。
確かに球状性だけが現生人類の派生的特徴ではありませんが、そうした構造的特徴の変化は、主要な頭蓋と脳の再評価および全体的な新しい発達プログラムが要求されるような重要な進化的移行、つまり種分化過程である段階的変化を明らかにしている、と思われます。じっさい、現生人類の神経頭蓋の球状性の根底にある形態学的変化は、個体発生の初期、とくに生後1年間に起きる、と論証されてきました。頭蓋内鋳型(脳と髄膜)に関しては、変化には「頭頂部の新形態の肥大が含まれ、背部の成長と腹側の屈曲(脳回)につながる結果、全体的な構造化が球状になります」。頭蓋内の球状性が、初期の脳発達における進化的変化を反映している可能性も示唆されてきました。さらに、いくつかの認知心理学の評価によると、球状の脳の発達は、現生人類における言語能力の生物学的基礎に関係しているかもしれません。
これらの前提を考えると、次のように結論づけるのが合理的です。第一に、頭蓋の球状性は現生人類種の重要な種固有の特徴です。第二に、この複雑な特徴は、発達プログラムおよびその根底にある遺伝的調節における顕著な変化と関連しているので、進化発生学的観点から検討すべきです。第三に、ホモ属の分岐後、過去200万年間に発達した全ての他の大脳化の軌跡が、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)という単一の顕著な事例を除いて、頭蓋とその頭蓋内の構成の両方で異なる(つまり、前後に細長い)形態につながったことを考えると、球状化はおそらく時に起こる事象の結果でした(関連記事)。
したがって本論文の見解では、この証拠から、頭蓋冠の球状の構造の発達はありそうにない(したがって、稀で時に局所的に起きる)事象で、その形成には遺伝的調節の顕著な再編成が必要になる、と示唆されます。この意味で本論文は球状化を、新たな構造的および機能的並行の確立として想定し、他の特徴や関連する生体力学的調整を含んでいる可能性にも関わらず、漸進主義の観点から見ることのできる過程としては想定しません。本論文は、これらの結論が現生人類の起源についてのあらゆる推測に受け入れられるべきである、と考えています。
●拡張された単一アフリカ起源:新たなシナリオ
現生人類出現の年代と地理の拡張された視点において考慮されるべき遺骸は、中期更新世後期のアフリカ全体で記録されている表形分類の多様性を特徴づけるものです。形態学的パターンは60万年前頃以後の標本を特徴づけ、90万~60万年前頃の期間は化石記録が乏しいと示されています(関連記事)。このパターンには、細長い頭蓋冠のようなホモ属の祖先的特徴の保持が含まれ、増加した頭蓋容量や眼窩上隆起の独特な形態や、あまり平坦ではない正中矢状特性など、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の標本の代表と比較した場合により派生的な特徴と組み合わされています。
これらの人類は、アフリカからユーラシアまでにわたる広範な地理的範囲に分布していたようで、アフリカのホモ・ナレディや極東の後期ホモ・エレクトスおよびホモ・フロレシエンシスなど、両地域においてそれ以前の人類を想起させる形態の持続が伴っていました。アフリカでは、エチオピアのボド(Bodo)で60万年前頃、ケニアのエリー・スプリングス(Eliye Springs)で30万~20万年前頃とグオモデ(Guomde)で30万~27万年前頃、タンザニアのンドゥトゥー(Ndutu)で40万年前頃とンガロバ(Ngaloba)で30万~20万年前頃、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)もしくはカブウェ(Kabwe)で299000年前頃(関連記事)、南アフリカ共和国のエランズフォンテイン(Elandsfontein)で100万~60万年前頃の人類化石が発見されており、さらに上述のフロリスバッドとジェベル・イルードもあります。
過去には、そうしたかなり多型性の記録は通常、「古代型ホモ・サピエンス」と呼ばれていましたが、最近では、ホモ・ハイデルベルゲンシス1種や、ホモ・ハイデルベルゲンシスおよび/もしくはホモ・ローデシエンシス(Homo rhodesiensis)、ホモ・ヘルメイおよび/もしくはホモ・ボドエンシス(Homo bodoensis)など(関連記事)、複数種を表している、みなされています。中期更新世のこれら違いのある形態は、とくに局所的な人口集団が選択圧と遺伝的浮動の両方に強く曝されていた期間における、解剖学的現代人の基底部人口集団についての考察に文脈を提供します。
古気候条件を見ると、43万年前頃以後に大きな変曲点の証拠があります。これはMIS12~11の境界に近い中期ブリュンヌ期事象(Mid-Brunhes Event、略してMBE)の頃で、その後、気候変動の増加が観察され、より寒冷な氷期とより温暖な間氷期の相互の発達が見られます。ケニア南部のクーラ(Koora)盆地のマガディ湖(Lake Magadi)の大陸の花粉記録は、MBEにおける顕著な気候変動の強い裏づけを提供し、43万年前頃以後のより湿潤な状態からより乾燥した状態への大きな変化を示します(関連記事)。
とくに、35万~5万年前頃の期間は、中期~後期更新世における離心率変調高振幅太陽放射変動(eccentricity-modulated high-amplitude insolation variability)の最長の事象がありました。ケニア南部地溝では、この期間は顕著な環境と人類の変化により特徴づけられ、それは、変動性選択のような仮説への証拠となる裏づけの提供として解釈されてきました。変動性選択では、適応的な進化の変化が、増加する環境変動性事象内で起きる可能性が最も高い、とされます。この点に関して最近の研究(関連記事)の仮説は、ケニア南部における32万年前頃となるMSA技術の出現とアシューリアン(Acheulian)の置換が、(長期の乾燥と湿潤の変動の結果としての)予測不能な採食と変化する供給源景観への進化的で行動的な反応を表しており、動物相置換の原因でもある、というものです。
地理的地域間で非同時性だった気候変化と降水量変動と環境の不安定性は、中期更新世後期において人口構造と形態の空間的差異の形成に顕著な役割をよく果たしたかもしれません。したがって、困難な環境に起因する孤立段階の結果として、古代型の特徴が、カブウェ1号(もしくはブロークンヒル頭蓋)、もしくはホモ・ナレディのようなさらに完全な別種の事例など、一部の人口集団で保持されたのかもしれません。
気候条件の変化に起因する地理的再構築は、人口集団の分離と孤立、および移住と遺伝子流動(遠い関係の集団との混合も含まれていた可能性があります)の回廊と機会の形成に寄与したかもしれません(関連記事)。じっさい、乾燥した間雨期において、降水量と二酸化炭素の減少は、サバンナ被覆の拡大に有利となり、南半球の草地の北進と、低地森林の代わりにアフリカ西部のサバンナの増加がありました。逆に、湿潤な多雨期には、拡大した熱帯林が草地を置換しました。この繰り返される環境は、氷期周期における人口縮小と進化的変化の重要な触媒としての退避地の役割(関連記事)とともに、人口集団の接続性と分岐を条件づけました。
重要なことに、気候と生態系への大きな変化は、種分化事象のような顕著な大進化的変化をよく促進したかもしれません。非ヒト分類群の生物地理学は他の重要な手がかりを提供し、このシナリオを確証します。たとえば有蹄類に関する研究は、アフリカ東部において環境不安定性が時空間的な退避地を促進する固有種の大きな地帯と、異所性で分岐した系統が二次的に接触する地域である「縫合地帯」を特定しました。とくに、アフリカの哺乳類動物相に関する研究も、気候変化がかなりの種の交代を開始し、乾燥度と季節性の増加が主要な刺激だった、と結論づけました。哺乳類では解剖学的および行動的変化の多くの事例があり、それは人類の新規性の出現とほぼ一致し、類似のパターンを示します。
進化的変化が、遺伝子から生態系までさまざまな水準の進化と生態学の階層を含むことは、よく見過ごされます。種水準以下および個体群で起きる変化の小進化的説明(つまり、遺伝子頻度の変化、選択圧と遺伝的浮動の作用)は、生態学的および気候の過程により形成された大進化のパターンに照らして見たならば、生物学的に意味があります。したがって、上記二つの進化の結果、つまり汎アフリカ説に対する現生人類への主要な局所的寄与もしくは拡張単一アフリカ起源説の間を区別できるのは、古生物地理学的条件により果たされた役割です。これには、地理的障壁の存在、人口集団間の距離、LCA人口集団間の差異の程度を形成した気候事象の混乱が含まれます。
拡張単一アフリカ起源仮説とともに本論文が提案するのは、進化的知識および環境と気候の制約の役割と首尾一貫した統合的枠組みの提供が可能である、ということです。このモデルは、3段階を考慮に入れています(図4)。後期LCA人口集団間の斑状の進化の後(第一段階)、大きな環境変化の状況で、他集団と共有される顔面と歯列に関する一連の派生的特徴が孤立した人口集団で合体し、さらにその孤立した人口集団は、初めて球状の神経頭蓋の重要な形態学的新規性を示した(第二段階)、という可能性が高そうです。これはアフリカ東部の化石記録において、断続的な進化の変化として現れ(冠節)、その後に安定化し、拡大の波動とアフリカ大陸内のLCAの他の人口集団との、後にはアフリカ外で進化した密接に関連する種との遺伝子交換を通じて、現代的な形態学的特徴の完全な一式が濃縮されたのでしょう(第三段階)。以下は本論文の図4です。
要約すると、20万年前頃(MIS6)に近い劇的な気候不安定性の期間は、おそらくアフリカにおいて、孤立した人口集団が長期の進化過程の具体化と、現生人類の完全に派生的な特徴の蓄積を経た条件に対応するかもしれません。現生人類の完全に派生的な特徴の議論の余地のない最初の化石証拠は、これまでに20万年前頃のエチオピアの遺跡で見つかりました。
●まとめ
本論文は、現生人類の起源(つまり種分化)の二つの代替的シナリオに関する証拠が批判的に再検討されました。それは単一起源仮説と汎アフリカ的モデルで、両者ともにRAOの一般的な理論的枠組み内にあります。単一起源仮説は一種の「進化的普通」を表しており、他の脊椎動物もしくは哺乳類種について最も高い可能性で予測されるので、現生人類の大陸規模の種分化に関してはより節約的で、進化生物学の現在の背景知識とより一致している、と本論文は主張します。対照的に、汎アフリカ的モデルは、現生人類の固有派生形質一式について多元的出現を仮定しており、亜種の分類学的階級につながる多様化の小進化過程により適しているようです。
大進化の観点から見ると、同様のシナリオはユーラシアにも拡張され、現生人類の究極的起源がある集団全体、つまり「汎集団」の進化史を説明できるかもしれません。したがって、この場合、汎集団は、その祖先が地理的に広範に分布し、表現型が多様である(同様に分類学的にも議論があります)と推定されるものとして、言及されるべきです。分岐したネアンデルタール人とデニソワ人の系統を含むホモ・ハイデルベルゲンシスは、現生人類も属する冠集団(ある系統の現生種の直近の共通祖先の子孫全てで構成される系統群)の一部とみなされます。
逆に、現生人類の起源について、利用可能な証拠は種分化の大きな事象と一致し、球状の脳頭蓋の重要で異所性の出現の観点では、その事象は広範なアフリカのシナリオ内でおそらくより断続的でした。現生人類の独自性のそうした重要な新規性は、オモ・キビシュ1号(Omo-Kibish 1)やヘルトなどアフリカ東部の化石記録において初めて示されることは、無関係ではありません。ジェベル・イルードやフロリスバッドなど中期更新世後期の他のアフリカの一部の標本は、現代の人口集団と一連の形態学的特徴を共有しており、それはより脆弱な顔面もしくは現代的な歯列ですが、同じ冠節の一部としてこれらの標本を想定するには不充分です。代わりに、そうした標本は、同じ基部節から出現した幹集団(対象としている分岐の直上の祖先集団)の発生を表している可能性の方が高そうです。
本論文の見解で情報価値のあるものは、そのような新規性が地理的に合着し、神経頭蓋の重要な固有派生形質を伴うということなので、個体発生過程の重要な再編が示唆されます。じっさい、グールドが指摘したように、分岐進化事象後の祖先とされる人口集団の存続は、古生物学の文献で盛んに取り上げられているように、進化の観点からは問題とはならないはずです。
参考文献:
Meneganzin A, Pievani T, and Manzi G.(2022): Pan-Africanism vs. single-origin of Homo sapiens: Putting the debate in the light of evolutionary biology. Evolutionary Anthropology, 31, 4, 199–212.
https://doi.org/10.1002/evan.21955
◎異所性種分化
遺伝的交換の機会が制約される、(外部的障壁に起因する)地理的分離の結果として個体群間の多様化が起きる、地理的種分化の形態です。
◎向上進化
任意の期間における同一系統内の特徴の方向性変化を指します。ギリシア語の「上に(ana)」に由来します。
◎固有派生形質
単一系統に限定される派生的特徴の状態です。
◎分岐進化
分岐を通じての進化系統の多様化で、祖先系統は2つかそれ以上の子孫系統に分岐します。ギリシア語の「枝(clados)」に由来します。分岐進化は生物多様性の基本的原理で、種分化がその中核的過程です。
◎球状化(globularization)
頭蓋内形態がより球状的な(丸い)形状へと変化する、現生人類の個体発生の軌跡における初期段階を指します。
◎斑状の進化
第一に、さまざまな速度と時間で半ば独立的に進化する同じ系統内の異なる特徴です。第二に、異なる時間における、人類系統発生全体のさまざまな進化的軌跡を伴う、進化的変化のさまざまな領域です。第三に、異なる進化史を有するさまざまな部分形質を構成する、言語など複雑な特徴の進化です。
◎新形成(neomorphosis)
新たな形態へとつながる、祖先の発生プログラムの構造的側面を修正する、集団間の進化的および発生的分化パターンを指します。
●研究史
現生人類の起源の探求は、「挫折の作り方」もしくは「解決できない難問」として定義されることがありました。じっさい、現生人類が種としてどのように出現したのか、という話は、現在までより複雑になり、同様に理解しにくくなっており、それは、利用可能なデータでは多くの側面で、代替的なシナリオを識別する充分な解像度がないように見えるからです。本論文は、アフリカの化石記録における重要な固有派生形質の出現の背後にある過程に焦点を当てて、種分化についての問題、つまり現生人類が形成された速度と在り様として、起源に関する議論の再考を提案します。進化生物学の知識と一致する視点は、骨格と古環境と考古学とゲノムのデータを統合した場合に役立つことができるので、現在の証拠(関連記事)による仮説の明らかな決定不全を減らせる、と本論文は主張します。
今ではチバニアン(Chibanian)と呼ばれる中期更新世の先祖から現生人類がどのように進化したのか、という現在の全体像は、最近のアフリカ起源(RAO)モデルで定着しており、これは20世紀の最後の10年間における多地域(MRE)モデルとの対立に耐えました。現生人類の中期更新世の先祖は以後、最終共通祖先(LCA)と呼ばれ、これはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と共有されています。
化石記録における形態学的差異のパターンと現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性の合着(合祖)推定年代によりまず示唆されたように、現生人類のアフリカ起源は今や、多くの証拠により裏づけられています。これらには、アフリカにおける最初で議論の余地のない現生人類化石(関連記事1および関連記事2)や、ヒトの遺伝的多様性に関する研究(関連記事)が含まれ、遺伝学的研究では、ヒトの遺伝的多様性は世界においてアフリカが他地域よりも多く、アフリカからの地理的距離の増加に連れて減少する、と示されています。
現代人のゲノムのごく一部が、ユーラシアの「古代型」ホモ属の起源、つまりネアンデルタール人やデニソワ人や他の深く分岐したホモ属系統からの遺伝子移入である、という事実(関連記事)は、完全な置換シナリオというRAOの最も厳密な説明を却下しますが、これはMREにより主張されている大陸間の長期の遺伝子流動への裏づけを提供しません。
現代人の起源に関する研究が、現生人類の出現時にアフリカ大陸内で起きたことに焦点を移した今、一部の学者が提案しているのは、大陸規模の過程が中期更新世後半に起きた可能性で、「汎アフリカ」と一般的に呼ばれる仮説へとつながります(関連記事)。これは、初期のRAOの明確な系統だった説明の一部で示唆されている、分岐進化で種分化の断続的事象で、アフリカの内外における現生人類のその後の拡大を伴う、という見解とは対照的です。
本論文では、種分化の進化生物学的知識により提供される観点から、後者二つの見解(現生人類の起源に関する、汎アフリカ説と、分岐進化で種分化の断続的事象説)を批判的に再調査します。「単純な単一起源」、つまり現代的特徴の完全な「一括」の局所的進化を除外する場合、じっさいの代替案は、汎アフリカシナリオと「拡張単一アフリカ起源」との間にある、と本論文では提案されます。これは本論文では、特徴の斑状の進化の現代的段階の前後両方の結果としてみなされ、その根底にある個体発生の過程と決定要因を伴う、神経頭蓋の新たな構造(つまり球状化)の出現により表される重要な変化により挿入されます。
●現代人の発祥地の候補
現生人類が、アフリカの局所的地域にたどれるはずの単一の祖先人口集団内で進化した、という見解の裏づけに、さまざまな証拠が用いられてきました。独立した一連の証拠のさまざまな論争に基づいて、現生人類の起源地としてアフリカの東部と南部が提案されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。アフリカ東部の地溝帯体系は、生態的地位の細分化を促進する複雑な地形学的および生態学的構造があるので多様性を促進し、常にヒト進化研究で注目され、古人類学および考古学の豊富な発見を提供してきたので、「人類の揺り籠」の有力候補になりました。斑状の環境と多様な生物群系は、多くの脊椎動物分類群(とくに両生類と鳥類と哺乳類)の固有種が生息してきた、と示されました。したがって、人類の起源について提案された「東側の物語」は、現生人類の出現についても提案されてきました。
通常は現生人類のアフリカ東部起源発を裏づけるものとして引用される地生物学的証拠は、二つの要素から構成されます。まず、完全に現生人類の頭蓋と受け入れられている最古の頭蓋は、エチオピア南部のオモ渓谷(Omo Valley)下流のキビシュ層(Kibish Formation)と、エチオピアのアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)のヘルト(Herto)で発見され、一般的にその年代は、それぞれ197000年前頃と16万年前頃とされています。最近、オモ化石の新たな下限年代が、シャラ(Shala)火山噴火の近位堆積物の年代測定により、233000±22000年前と提案されました(関連記事)。
オモ・キビシュ1号とヘルト1号標本は現代的な頭蓋形態となっており、その現代的特徴は通常、高くて丸くて大きな頭蓋冠と、小さく華奢な顔面で構成され、オモ1号では犬歯窩と顎突出の証拠があるので、ヒトの表現型進化の最強の事例としてアフリカ東部が提示されます。解剖学的現代人のこれらの代表は、もっと最近の現生人類と比較して依然として頑丈で、一部の標本は中央部と遠位部に分かれているものの、強い眼窩上隆起を依然として示します。
現生人類の派生的(固有派生形質的)特徴は、さまざまな研究で報告されています。そうした特徴は、進化の観点から同等とみなされるべきではありません(図1、後述)。頭蓋形態のような「構造的」特徴における変化には、固有の別々の特徴の現れ(ヘルト1号のように、強い眼窩上隆起のような「古代型を想起させる」特徴)と組み合わさって見られる場合でさえ大きな進化的意味がある、と考えられます。地理的観点から、アフリカ東部の堆積盆地の物質的証拠は化石化のとくに好適な条件を利用できますが、特別な生物地理学的状況の固有性の重要な地域としての、アフリカ東部の大きな役割を主張する研究者もいます。以下は本論文の図1です。
次に、オモとヘルトの現生人類遺骸の上述の年代は、さまざまな世界規模の現代の人口集団のmtDNAの先駆的な遺伝学的研究と整合的です。1980年代後半の研究では、mtDNAの最も近い共通祖先(mt-MRCA)、いわゆる「ミトコンドリアイヴ」の年代は20万年前頃で、サハラ砂漠以南のアフリカに暮らしていた、と推定されました。元々の研究はいくつかの分析上の限界が示されていましたが、この推定値はその後の研究で確証され(もしくは若干訂正され)、ミトコンドリア時計の新たな較正点と置換率では、mt-MRCAが197000~12万年頃と推定されています。しかし、単一の遺伝子座の系統樹で対処できる人口史への疑問には要注意です(後述)。
エチオピアだけが、人類の坩堝と主張されてきたわけではありません。アフリカ南部起源説も、核ゲノムとmtDNAの多様性(関連記事1および関連記事2)、考古学的証拠(関連記事)、寒冷期となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)6において安定した供給源と退避地を提供する能力、人類の時空間的生息適合性の模擬実験(関連記事)に基づいて提案されてきました。
アフリカの狩猟採集民は世界で最高水準のゲノム多様性を示し、他のアフリカの人口集団には見られない多様性の構成要素を含んでいます。以前の研究(関連記事)では、ザンベジ盆地の南側に位置する、現在はマカディカディ塩湖(Makgadikgadi Pans)となっているボツワナ北部のマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi–Okavango)古湿地という残存古湿地内が解剖学的現代人の起源地と特定された、と主張されました。その結論は、稀で深く分岐したmtDNAハプログループ(mtHg)L0の1217点のmtDNA標本(そのうち198点は新たに生成されました)に基づく推定系統樹の構造に由来し、mtHg-L0はコイサン人において高頻度です。
この研究には広く批判が寄せられ、最も深刻なのは、系統発生過程の無作為な結果である単一の非組換え遺伝子座の系統樹を、人口史の推定に使用したことです(関連記事)。さらに、人口集団の現在の地理的位置が何万年もの間実質的に変わっていない、との暗黙の仮定は議論となり、そうした深い期間にはひじょうに稀な化石と理想的には古代DNAの証拠により裏づけられる必要があり、それは完新世の人口集団の研究の結果とは矛盾するでしょう。
考古学的観点からは、海洋資源や顔料や抽象的画像の使用など現代人的行動の重要な要素の出現について、アフリカ南部には初期の重要な証拠があります。しかし、考古学的証拠はこの文脈では注意して扱われねばなりません。それは、製作者が確実に特定できず(とくに、重複する種や人口集団の状況で)、文化的動態が生物学的特徴の進化と伝播の同じパターンに従うとは限らないからです(しかし、生物学的および文化的側面は、相互に強く作用する可能性があります)。換言すると、現代的な行動の進化の痕跡はアフリカ南部に限定される必要はなく、後期石器時代に最初に出現します。じっさい、行動的現代性についてより複雑で多元的なシナリオが最近提案されており、その場合、重要な文化的核心は非同時的で多中心的な様式で出現して消滅し、それはアフリカの中期石器時代(その最初の証拠はアフリカ大陸のほぼ全域で30万~25万年前頃に同時に見られます)だけではなく、ユーラシアの中部旧石器時代でも同様で、複数系統が含まれます。
●RAOモデルの進化的背景
現生人類の進化的過去の分析における地域的規模の解決に到達することを困難にする方法論的および実証的限界にも関わらず、単一起源の見解は進化生物学のよく知られた遺産からその強みを引き出します。エルンスト・マイヤー(Ernst Mayr)により擁護されていたことで有名な種分化の異所性的モデルによると、種分化はより大きな親個体群から地理的に分離した、小さく周辺的な個体群で起きる可能性が最も高い、とされています。小さな個体群は(遺伝的浮動もしくは自然選択による)急速な進化的変化をひじょうに受けやすくなり、それは小さな個体群が大きな個体群よりも遺伝的差異が少なく、したがって安定性が低いからです。
ナイルズ・エルドリッジ(Niles Eldredge)とスティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould)は種分化に関するマイヤーの地理的観点を拡張し、進化速度の変動性について大進化の仕組みである「断続平衡」理論を導き出し、種分化は明らかな平衡(もしくは「停滞」)を中断する稀な事象である、と主張しました。そうした見解によると、新種の発生はしばしば(地質学的には)急速な過程で、新種はその祖先の地域から地理的に遠く離れた(もしくは孤立した)狭く限られた地域で発見されます。
必然的に、これらの見解は古人類学的研究に間接的ではあるものの顕著な影響を及ぼし、それは今でも続いており、利用可能な化石記録からの多様な証拠の評価を長く方向づけ、RAOモデルの進化的枠組みを提供しました。一方、以前も今も異議を唱えられている多地域仮説は、標準的な進化の現代的総合により促進された系統発生の漸進主義とよく合致します。単一起源仮説の中心は、経時的な変化に伴うとみなされる進化が、ほぼ生態学的不安定性の期間に空間(つまり地理的場所)で本質的に始まる、という考えです。本論文では、この枠組みが、極端な過度の単純化と混同されない場合、依然として現生人類の進化の文脈に情報を提供する、と主張されます。
エリザベス・ヴルバ(Elizabeth Vrba)の哺乳類古生物学と大進化理論への貢献は、絶滅と種分化の過程両方の促進(ターンオーバーパルス)における環境破壊の役割の理解に道標をもたらしてきました。新たな系統の起源は生息地の断片化にひじょうに好まれ、異所性個体群の多様化の機会をもたらしました。この視点は、現生人類系統の起源が、とくにMIS6で目立つようになった強い環境変化の段階内で起きたならば(ただ、後述のように明らかにより深い起源があります)、重要になります。そうした強い環境変化期は、景観地形、したがって人口規模と相互接続性と分布に大きな影響を及ぼしたかもしれません。
後述のように、現在の議論が現生人類の起源の物語に新たな深みと複雑さを追加したことは間違いありません。しかし、たとえば現生人類の初期構成員の形態学的診断可能性や、アフリカの状況に適用した場合の「多地域主義」という符号の重要性に関する理論的曖昧さは、現生人類の歴史的過去の理解における有益な進歩を妨げる可能性があり、以前の物語の真の改定を構成するものと、統合を表すものとの間の区別ができません。以下、現生人類の起源の統合的で進化的な枠組みの概略の前に、汎アフリカモデルのいくつかの主要な仮定と重要な側面過程がよく調べられます。
●ジェベル・イルード化石の課題と影響
モロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)遺跡における最近の発見と新たな年代測定の試みが、現生人類の起源がより広範な規模およびより長い期間にアフリカ大陸と関わっていたかもしれない、との見解の促進に大きな役割を果たしたことについて、疑いはほとんどありません(関連記事)。ジェベル・イルード遺跡は1960年代に採掘活動中に発見され、それ以来、多くのヒト標本が発見されており、とくに注目されるのは、ほぼ完全な頭蓋(イルード1号)、成人の脳頭蓋(イルード2号)、未成年の下顎(イルード3号)です。これらの化石の解釈は、地質学的年代の不確実性と、古代型(祖先型)と派生的な(より現生人類的な)形態の問題のある混合のため、長きにわたってひじょうに議論されてきており、さまざまな結論と示唆の間で揺れ動いてきました。たとえば、アフリカのネアンデルタール人との評価とその否定、現生人類への過渡的形態、ネアンデルタール人と現生人類との混合、初期現生人類、アフリカ北部の後期古代型集団、現生人類クレード(単系統群)の初期段階です。
最近の研究(関連記事)では、新たなヒト標本(頭蓋断片のイルード10号と下顎のイルード11号)や石器や狩られた動物遺骸が提示され、新たな熱ルミネッセンス年代測定ではジェベル・イルード遺跡は315000年前頃と推定され、「現代的な形態の重要な特徴が確立した現生人類クレードの初期段階」と主張されました。これが意味するのは、ジェベル・イルード遺跡の人類遺骸が、最終的には現生人類へとつながっただろう単系統集団の根本のどこかに属したものの、それ自体は現生人類ではない、ということです。
この調査結果は、メディアの報道だけではなく、学術的な出版物でも、「最古の現生人類化石」もしくは「現生人類化石」としてあまりにも軽率に言及されています。じっさい、最近の研究において主成分分析(PCA)により示されているように、ジェベル・イルード遺跡の人類遺骸標本の脳頭蓋は細長く、後頭部には角度があるので、「現生人類」的には見えません(図1)。一方、比較的華奢な顔面と歯列は、重要な現代的特徴(つまり頤)が欠けているにも関わらず、現代人の変異性により近いようです。
重要なことに、ジェベル・イルード化石は、26万年前頃の祖先的現生人類とされる、南アフリカ共和国で発見された頭蓋顔面断片と1点の歯から構成されるフロリスバッド(Florisbad)資料の解釈を裏づける、と言われてきました。しかし、以前の分類学的解釈では、フロリスバッド標本は「後期古代型ヒト」集団に分類され、一部の学者は区別して、中期石器時代技術と関連するホモ・ヘルメイ(Homo helmei)として分類しました。汎アフリカ的な見解の支持者(関連記事)は、フロリスバッド頭蓋を、アフリカ大陸北部から南部までの初期現生人類の広範な存在を証明する重要な資料として提示します。しかし、そうした主張は信頼できる年代に基づいていることが重要です。
1996年の研究では、頭蓋顔面の断片と同じ個体のものと仮定された大臼歯に基づいて、フロリスバッド遺跡の年代決定が提供されました。しかし、フロリスバッド遺跡の複雑な層序と頭蓋顔面断片の出所の良好な記録の欠如により、そうした遺骸の同時代性について、さらにはアフリカ南部における26万年前頃の現生人類の実際の存在について、疑問も呈されています。さらに、分類学的曖昧さの問題が残っています。以前の再構築では、フロリスバッド頭蓋は現生人類よりも古代型の種に属するかもしれない、とすでに示唆されていました。最近の研究では、派生的特徴と祖先的特徴の斑状のパターン(現代人の多様性内では前頭鱗が考慮されているものの、ネアンデルタール人的な前頭蓋窩と祖先的な頭頂葉および血管網が伴います)は、さまざまな系統発生シナリオと合致する、と強調されました。
それにも関わらず、ジェベル・イルード標本はさまざまな水準で重要な手がかりを提供します。まず、古人類学の研究において注目を集めつつある進化的パターン、つまり特徴の「斑状の進化」と形態学的不安定性が示されます。じっさい、とくに種分化過程の始まりにおいて、新種を特徴づける重要な固有派生形質は、単一の進化的軌跡内における完全に組み立てられた一括として現れません。新規性は非同時的在り様で、人類の進化を通じて別々の間隔で発生する可能性があります(つまり、さまざまな速度と時間で進化します)。
アフリカ北部が現生人類の起源において何らかの役割を果たしたかどうかに関わらず(関連記事)、中期更新世人口集団においてより現代的な顔面が球状の脳頭蓋に先行したことは明確なようで、それは、顔面がさまざまな機能に関わっており、したがってさまざまな選択圧により多く曝されているから、という可能性が高そうです。モロッコのジェベル・イルード資料により確証された第二の含意は、すでに指摘されているように(関連記事)、起源の問題が、中期更新世においてヒトの多様性を形成した進化的仕組みに深く根差していることです。これは、顕著な表現型の多様性により特徴づけられるシナリオで、まだ不可解であり、一部の側面ではほとんど知られていません。
●「アフリカの多地域主義」と古代のメタ個体群
Scerri et al., 2018(関連記事)は、現生人類が単一の人口集団および/もしくはアフリカの地域で進化した、とするシナリオは、化石と考古学と遺伝学と古環境のデータにより異議を唱えられており、代わりに、「現生人類はおそらくアフリカ全域で暮らしていた強く細分化された(つまり構造化された)人口集団内に起源があって多様化し、そうした人口集団は散発的な遺伝子流動により接続していた、という見解と一致する」と主張しました。
最近の研究(関連記事)ではより多元的な視点が開かれ、汎アフリカ的見解はあり得るモデルの範囲に(そのうち、単一地域からの完全な置換シナリオのみが、現在のデータにより却下されるようです)含まれる、と指摘されました。本論文は、解釈の互換性、用語上の問題、進化的意味に注意を払いながら、学術的刊行物(関連記事1および関連記事2)において詳細に述べられた汎アフリカ的シナリオに言及します。
汎アフリカ主義の裏づけのために用いられた複数の一連の証拠に関して、本論文では上述のように、化石側について解釈の注意が必要だ、と見てきました。不確実な年代は別として、「現生人類」の診断可能な箱に保持されると決定するものとその外に残すものは、粗探しの問題ではありませんが、進化の軌跡の理解を顕著に形成します。現生人と診断されるべき詳細な特徴一式と、その程度もしくは解像度に関する議論の余地があるとしても、頭蓋の球状性はさほど論争の余地がないようです。
汎アフリカ説の支持者は、深いアフリカ起源の進化する系統として現生人類を考えており、ジェベル・イルードとフロリスバッドのような化石を、現生人類クレードの初期構成員により示される多様性の一部とみなします(関連記事)。汎アフリカ説の支持者は、頭蓋の派生的形態のような重要な新規性は、現生人類的とすでにみなされる系統内で進化した、と示唆しているので、現生人類の定義と、解剖学的現代人標本とみなされるものとの間の区別を示しています。
これにより、解剖学的現代性(とくに、頭蓋球状性)のいくつかの重要な基準を満たす必要がないならば、現生人類系統に沿った形態学的診断可能性の問題が残ります。許容度の低い診断基準では、ゲノムデータが欠如しているジェベル・イルードとフロリスバッドのような初期標本の代替的な分類学的解釈は、じっさいに除外できません。これにより、独特な系統が、地域的特殊化と派生的および祖先的特徴のさまざまな組み合わせを有する比較的広範な古代型種から局所的に現れた、という可能性が開けます(後述)。
遺伝学的側面については、汎アフリカ的シナリオで、より深い人口集団の分岐が予測されます。南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)の2000年前頃となる石器時代狩猟採集民のゲノム配列に基づく研究(関連記事)は、最も深い人口集団の分岐を35万~26万年前頃と推定し、それはコイサン人と他の全現代人との分離でした。遺伝的データから推測される分岐年代は、変異率と1世代あたりの推定年数に大きく依存しており、それは依然として議論になっています。
その後の研究(関連記事)は、アフリカ西部中央のシュムラカ(Shum Laka)岩陰遺跡の8000~3000年前頃の子供の全ゲノム配列データを分析し、以前の閾値をわずかに修正し、少なくとも4つのヒト系統が25万~20万年前頃に分岐した、と示唆しました。この研究によると、「4つの放散」は、コイサン狩猟採集民とアフリカ中央部狩猟採集民と東西アフリカ人と「ゴースト(亡霊)現代人」の人口集団につながる系統を含んでいました。現在、さまざまな手法が文献にあり、分岐過程のさまざまな側面を部分的に反映しているかもしれませんが、ヒトの遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大半は25万~10万年前頃に収束しているようです(関連記事)。
本論文の見解では、これらの推定値は複雑で長期にわたる「現代化」の段階(35万~25万年前頃)と一致する可能性があり、現生人類の派生的特徴の完全な一式の合着(合祖)に先行する、顔面や歯列などの特徴に影響を及ぼした可能性が高そうです。そうした段階は部分的に、構造化されたメタ個体群の動態に続いた可能性があります(関連記事)。現代的特徴は、接続性と孤立への移行が古気候動態と生息地の機会により形成された、一連の相互に関連する人口集団において、斑状のパターンを通じて出現しました。
じっさい、現生人類とネアンデルタール人の祖先であり、アフリカに存在した可能性が高い人口集団の物語に根差した、現生人類出現のこのシナリオを本論文は想定します。地理的に広範囲にわたる分類群の事例では、個体群が局所的水準で祖先的および派生的特徴の多様な組み合わせで進化を始めることは、不思議ではありません。このパターンは中期石器時代(MSA)初期の道具一式の地域的多様化と並行しており、現在では、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)とホモ・ナレディ(Homo naledi)および/もしくは他の推定される分類群を含む、中期更新世アフリカにおける複数系統の共存を考えると(関連記事1および関連記事2)、MSA初期の道具一式を完全に現生人類の所産に帰することはできません。
汎アフリカ的見解の説明に用いられてきた「アフリカの多地域主義」という用語は、議論、とくに「複数起源」という表現に関連づけられる場合、曖昧さのさらなる原因です。それは、人種差別主義者【と本論文は評価していますが、これには議論があると思います】の人類学者であるカールトン・クーン(Carleton Coon)の枝付き燭台モデルでの、世界規模の多地域主義の後者の解釈の歴史的合成に起因します。「アフリカの多地域主義」という用語は、むしろ誤った名称なので、破棄されるべきです。アフリカの文脈では、汎アフリカ説の支持者は、さまざまに寄与する人口集団間の遺伝子流動の役割を評価しており、これは進化の並行様式との見解とも、複数の独立した起源とも一致しません。しかし、多地域モデルにより共有される地理的連続性の中心的原則も、人口集団の分裂と融合と遺伝子流動と消滅を含むより動的な人口史を支持して、より弱められるようです(関連記事)。
しかし、そのように説明されたメタ個体群モデルはひじょうに柔軟的にすぎるようなので、容易に反証可能ではありません。遺伝子流動の程度(これまで、より早期の古代DNAがないため、推測に留まっています)に基づくと、明快な分岐パターンと、完全に任意交配のシナリオの両方に対応できます。上述の観点に照らして、アフリカ大陸のような広大で環境的に不均質な地域における多中心体の種分化を促進する生物学的過程は、不明なままです。
じっさい、Scerri et al., 2018は、多くの人口集団と地理的領域と環境が現生人類の起源にどのように効果的に役割を果たしたのか、という問題を未解決にしているようです。しかし、どれだけの遺伝子流動と、どのくらいの地理的距離を仮定すべきでしょうか?選択について(役割を果たす場合)、どのような強力で持続する選択圧が、広大で不均質な地理的規模にわたって、現生人類の診断特性を進化させるさまざまな人口集団につながったでしょうか?さらに重要なことに、どのような生物物理学的および古気候的条件が、汎アフリカ的な過程の展開を可能にしたのでしょうか?
●起源の問題のための進化的および生物地理学的構成
現在の議論を活発化する利用可能な証拠と概念的中心点では、現生人類の出現は多段階の過程として理解されるべきだ、と示唆されます。本論文はこの枠組み内で、人口統計学的複雑さと形態学的変異性と変化する構造により特徴づけられる、祖先のメタ個体群(つまり推定されるLCA)により表される最初の条件から、より派生的な形態、つまり「冠節(crown node、対象クレードの標本抽出種の最新の共通祖先)」は、局所的に出現した可能性が高い、と主張します。これは後にアフリカ全域に広がり、LCAの人口集団と交雑し、現生人類とその姉妹分類群で遺伝子流動の証拠があるユーラシアにも拡大しました。
アフリカは確かに広大な大陸で(約3030万km²)、地球の陸地の20%を覆っており、現生人類がアフリカ全体で進化した、という結論は、進化的にあまり情報価値はありません。地理的場所への寄与と関連してヒトの起源について考えることは、地域的な人口構造の形成につながった要因の質問と、主要な寄与の地域の事例では、新たな表現型の発生の状況に関する手がかりの獲得を意味します。隣接する人口集団間で遺伝子流動が起き、完全に任意交配のシナリオはそうした広範な地域ではありそうにないので、供給源人口集団が現生人類の出現に全て寄与した(もしくは等しく寄与した)可能性は低そうです。現在まで、地理的に広範なメタ個体群(北方から南方まで)が、単一の進化史に充分な遺伝子流動がある、との証拠は弱いようで、それは、アフリカの南北における25万年以上前の現生人類的な形態の証拠が、現在では不足しているからです。
アフリカ大陸のさまざまな地域に拡大した、構造化された元々の人口集団の初期開始条件を考えると、考えられる結果は二つあります(図2)。まず、派生的現生人類はさまざまな地理的場所で進化し、それはほぼ同じ時間窓内でのことで、多様な人口集団の寄与が伴う、というものです(汎アフリカ主義)。次に、古代型と派生的な特徴の斑状により特徴づけられる祖先のメタ個体群が、形態学的に特徴的な集団の異所性で断続的な出現をもたらし、初めて球状の脳頭蓋を示した、というものです。その後の拡大および親種系統との混合を経て、拡大地域集団内で、他の進化的新規性が組み込まれ、安定化します。本論文は後者の代替案を支持します。これは、拡張単一アフリカ起源と呼ばれるべきで、それは以前の過度に単純化された物語と区別するためです。以下は本論文の図2です。
これらのシナリオが、最近の研究(関連記事)で提案されたモデル、つまり「長期の汎アフリカ接続性」および「拡張の波動」のモデルと共鳴することに要注意です。その研究では、最近のヒト進化における主要な3段階が有益に区別されています。第一に、古代型ヒト集団からの現生人類の祖先の分離です(100万~30万年前頃)。第二に、現生人類の多様性のアフリカ起源です(30万~6万年前頃)。第三に、現生人類の世界規模の拡大と、ネアンデルタール人やデニソワ人との接触です(6万~4万年前頃)。興味深いことに、その研究では、汎アフリカ仮説と拡張波動仮説の両方が、現在ではゲノム証拠で検証困難だと主張されています。そのため本論文では、これらのシナリオに生物学的枠組みを提供するために、とくに関連性のあるもう一方に対して一方を選択する進化的理由について議論されます。
本論文は以下で、中期更新世後期のアフリカにおける人類の変異性から生じる種分化過程の観点で議論に取り組み、生物地理と選択条件とさまざまな地域集団間の接続性の形成における気候的背景の役割を検討します。そのためには、「種分化」と「種」により何が意味されるのか、ということと、現代的な形態学的特徴としての頭蓋球状性の重要性を詳細に説明する必要があります。
●種と種分化
進化論では、種分化過程の大半は、親種の範囲の比較的狭い地域で人口集団が地理的に孤立したところ(つまり、異所性の条件)で起きる、と示唆されます。主要な分類群集団全体で行なわれた種分化形態に関する最近の包括的な再調査は、脊椎動物全体で優勢な過程である可能性が高いものとして、異所性の種分化形態を確証します。
通常の異所性種分化の地質学的時間への予測された拡大縮小として断続的パターンが現れるので、化石記録に影響を及ぼします。種分化のそうした「帰無モデル」からの逸脱(相対頻度の観点で)は、汎アフリカ的見解で示唆されているように、現生人類が例外を構成する理由を説明する、明確な進化的枠組みを必要とします。種分化の向上進化形態(系統発生進化)が(そうした用語で明示的に組み立てられていないものの)示唆されるならば、大陸規模で展開するそうした過程を可能とする生態学的および生物地理学的条件に取り組むべきです。個体群の分化は異所性種分化の第一段階を表しており、新種は孤立した(もしくは半ば孤立した)状況の構造化されたメタ個体群から、遺伝子流動を通じて維持された広範な遺伝的結合内よりも迅速に生じることにも要注意です。
本論文は、種分化過程に関する地理的見解の重要性の根底にあることにより、種が厳密な生殖隔離により定義されるべきである、と示唆するつもりはありません。じっさい本論文は、現生人類の種分化の過程の全段階において遺伝子流動の入力を認識しています(図2)。より一般的には、「種の問題」に関する広大で複雑な文献において、議論の共通の筋道は成長しており、利用可能な種概念の多くは、共通の進化史を有する進化的集団(もしくは別々に進化したメタ個体群系統)として、種の根底にある考えを共有している、と主張されます。種の境界決定が依拠するさまざまな特性(生殖隔離を含みます)が同時に現れないものの、蓄積されて経時的にますます顕著になることも明らかです。
したがって、現生人類の種分化中に、球状の神経頭蓋のようないくつかの重要な表現型の固有派生形質が局所的に出現したことは尤もだと考えられ、別々に進化した系統がすでに進行中だった、と示唆されます。これらはその後に拡大し始めたので、現代的な形態学的特徴の一式は、漸進的に多くなり、安定化しました。分岐時間の関数である完全な生殖隔離については、最近の進化時間において分離した密接に関連する系統間では、予測されるべきではありません。一方、汎アフリカ説が現生人類の進化史をよりよく説明しているならば、化石記録で、地理的に分散した地域で広く準同時代において、頭蓋球状性の特徴(アフリカ東部の化石記録を特徴づけるものなど)を伴う、ひじょうに派生的な形態を観察するはずです。これらの予測を、利用可能な証拠に対して検証できます。
●球状化
頭蓋の解剖学的構造を考慮すると、現生人類の形態は、大幅な顔面の後退(頤の前方への突出を伴います)と、頭蓋冠の顕著な球状拡大により特徴づけられます(関連記事)。化石記録とより最近のヒト標本の比較において観察された、二面性の変異性に取り組んだいくつかの研究により論証されているように、現代の人口集団はほぼ球状の神経頭蓋を共有しています。次にこれは、「古代型(つまり、前後に細長い頭蓋冠により特徴づけられます)」と、かなり球状の脳頭蓋を有する「現代型」のヒトとの間でホモ属内の区別を示します。本論文における「古代型」との用語の使用は、問題があると知られていますが、純粋に記述的であり、(現生人類の前の)ホモ属の構成員により一般的に共有される頭蓋の特徴と、その変異性の関連パターンを指します。したがって本論文は、進化の時間と変異性の範囲を通じての異形態における変化を認識しているので、本論文での使用は非本質的な仕様として意図されています。
主成分分析(PCA)がヒト頭蓋の幾何学的計測データで実行される場合(図3)、現生人類(後期更新世の化石標本を含みます)の変異性の範囲を表すと、古代型および初期ホモ属の両方の代表とは明確に異なります。分析結果は、さまざまな頭蓋構造の観点でこの区別を説明します。つまり、細長い形態(古代型)に対して、球状の形態(現代型)です。したがって、球状の脳頭蓋が最近の人口集団では変動的であるにも関わらず、現代的形態はいくつかのヨーロッパ中心主義の類型論的思考の基礎を有しているものの、世界規模の現存の人口集団の標本を含む最近の研究(関連記事)においても、球状性自体は現生人類の種固有の特性のようです。以下は本論文の図3です。
確かに球状性だけが現生人類の派生的特徴ではありませんが、そうした構造的特徴の変化は、主要な頭蓋と脳の再評価および全体的な新しい発達プログラムが要求されるような重要な進化的移行、つまり種分化過程である段階的変化を明らかにしている、と思われます。じっさい、現生人類の神経頭蓋の球状性の根底にある形態学的変化は、個体発生の初期、とくに生後1年間に起きる、と論証されてきました。頭蓋内鋳型(脳と髄膜)に関しては、変化には「頭頂部の新形態の肥大が含まれ、背部の成長と腹側の屈曲(脳回)につながる結果、全体的な構造化が球状になります」。頭蓋内の球状性が、初期の脳発達における進化的変化を反映している可能性も示唆されてきました。さらに、いくつかの認知心理学の評価によると、球状の脳の発達は、現生人類における言語能力の生物学的基礎に関係しているかもしれません。
これらの前提を考えると、次のように結論づけるのが合理的です。第一に、頭蓋の球状性は現生人類種の重要な種固有の特徴です。第二に、この複雑な特徴は、発達プログラムおよびその根底にある遺伝的調節における顕著な変化と関連しているので、進化発生学的観点から検討すべきです。第三に、ホモ属の分岐後、過去200万年間に発達した全ての他の大脳化の軌跡が、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)という単一の顕著な事例を除いて、頭蓋とその頭蓋内の構成の両方で異なる(つまり、前後に細長い)形態につながったことを考えると、球状化はおそらく時に起こる事象の結果でした(関連記事)。
したがって本論文の見解では、この証拠から、頭蓋冠の球状の構造の発達はありそうにない(したがって、稀で時に局所的に起きる)事象で、その形成には遺伝的調節の顕著な再編成が必要になる、と示唆されます。この意味で本論文は球状化を、新たな構造的および機能的並行の確立として想定し、他の特徴や関連する生体力学的調整を含んでいる可能性にも関わらず、漸進主義の観点から見ることのできる過程としては想定しません。本論文は、これらの結論が現生人類の起源についてのあらゆる推測に受け入れられるべきである、と考えています。
●拡張された単一アフリカ起源:新たなシナリオ
現生人類出現の年代と地理の拡張された視点において考慮されるべき遺骸は、中期更新世後期のアフリカ全体で記録されている表形分類の多様性を特徴づけるものです。形態学的パターンは60万年前頃以後の標本を特徴づけ、90万~60万年前頃の期間は化石記録が乏しいと示されています(関連記事)。このパターンには、細長い頭蓋冠のようなホモ属の祖先的特徴の保持が含まれ、増加した頭蓋容量や眼窩上隆起の独特な形態や、あまり平坦ではない正中矢状特性など、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の標本の代表と比較した場合により派生的な特徴と組み合わされています。
これらの人類は、アフリカからユーラシアまでにわたる広範な地理的範囲に分布していたようで、アフリカのホモ・ナレディや極東の後期ホモ・エレクトスおよびホモ・フロレシエンシスなど、両地域においてそれ以前の人類を想起させる形態の持続が伴っていました。アフリカでは、エチオピアのボド(Bodo)で60万年前頃、ケニアのエリー・スプリングス(Eliye Springs)で30万~20万年前頃とグオモデ(Guomde)で30万~27万年前頃、タンザニアのンドゥトゥー(Ndutu)で40万年前頃とンガロバ(Ngaloba)で30万~20万年前頃、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)もしくはカブウェ(Kabwe)で299000年前頃(関連記事)、南アフリカ共和国のエランズフォンテイン(Elandsfontein)で100万~60万年前頃の人類化石が発見されており、さらに上述のフロリスバッドとジェベル・イルードもあります。
過去には、そうしたかなり多型性の記録は通常、「古代型ホモ・サピエンス」と呼ばれていましたが、最近では、ホモ・ハイデルベルゲンシス1種や、ホモ・ハイデルベルゲンシスおよび/もしくはホモ・ローデシエンシス(Homo rhodesiensis)、ホモ・ヘルメイおよび/もしくはホモ・ボドエンシス(Homo bodoensis)など(関連記事)、複数種を表している、みなされています。中期更新世のこれら違いのある形態は、とくに局所的な人口集団が選択圧と遺伝的浮動の両方に強く曝されていた期間における、解剖学的現代人の基底部人口集団についての考察に文脈を提供します。
古気候条件を見ると、43万年前頃以後に大きな変曲点の証拠があります。これはMIS12~11の境界に近い中期ブリュンヌ期事象(Mid-Brunhes Event、略してMBE)の頃で、その後、気候変動の増加が観察され、より寒冷な氷期とより温暖な間氷期の相互の発達が見られます。ケニア南部のクーラ(Koora)盆地のマガディ湖(Lake Magadi)の大陸の花粉記録は、MBEにおける顕著な気候変動の強い裏づけを提供し、43万年前頃以後のより湿潤な状態からより乾燥した状態への大きな変化を示します(関連記事)。
とくに、35万~5万年前頃の期間は、中期~後期更新世における離心率変調高振幅太陽放射変動(eccentricity-modulated high-amplitude insolation variability)の最長の事象がありました。ケニア南部地溝では、この期間は顕著な環境と人類の変化により特徴づけられ、それは、変動性選択のような仮説への証拠となる裏づけの提供として解釈されてきました。変動性選択では、適応的な進化の変化が、増加する環境変動性事象内で起きる可能性が最も高い、とされます。この点に関して最近の研究(関連記事)の仮説は、ケニア南部における32万年前頃となるMSA技術の出現とアシューリアン(Acheulian)の置換が、(長期の乾燥と湿潤の変動の結果としての)予測不能な採食と変化する供給源景観への進化的で行動的な反応を表しており、動物相置換の原因でもある、というものです。
地理的地域間で非同時性だった気候変化と降水量変動と環境の不安定性は、中期更新世後期において人口構造と形態の空間的差異の形成に顕著な役割をよく果たしたかもしれません。したがって、困難な環境に起因する孤立段階の結果として、古代型の特徴が、カブウェ1号(もしくはブロークンヒル頭蓋)、もしくはホモ・ナレディのようなさらに完全な別種の事例など、一部の人口集団で保持されたのかもしれません。
気候条件の変化に起因する地理的再構築は、人口集団の分離と孤立、および移住と遺伝子流動(遠い関係の集団との混合も含まれていた可能性があります)の回廊と機会の形成に寄与したかもしれません(関連記事)。じっさい、乾燥した間雨期において、降水量と二酸化炭素の減少は、サバンナ被覆の拡大に有利となり、南半球の草地の北進と、低地森林の代わりにアフリカ西部のサバンナの増加がありました。逆に、湿潤な多雨期には、拡大した熱帯林が草地を置換しました。この繰り返される環境は、氷期周期における人口縮小と進化的変化の重要な触媒としての退避地の役割(関連記事)とともに、人口集団の接続性と分岐を条件づけました。
重要なことに、気候と生態系への大きな変化は、種分化事象のような顕著な大進化的変化をよく促進したかもしれません。非ヒト分類群の生物地理学は他の重要な手がかりを提供し、このシナリオを確証します。たとえば有蹄類に関する研究は、アフリカ東部において環境不安定性が時空間的な退避地を促進する固有種の大きな地帯と、異所性で分岐した系統が二次的に接触する地域である「縫合地帯」を特定しました。とくに、アフリカの哺乳類動物相に関する研究も、気候変化がかなりの種の交代を開始し、乾燥度と季節性の増加が主要な刺激だった、と結論づけました。哺乳類では解剖学的および行動的変化の多くの事例があり、それは人類の新規性の出現とほぼ一致し、類似のパターンを示します。
進化的変化が、遺伝子から生態系までさまざまな水準の進化と生態学の階層を含むことは、よく見過ごされます。種水準以下および個体群で起きる変化の小進化的説明(つまり、遺伝子頻度の変化、選択圧と遺伝的浮動の作用)は、生態学的および気候の過程により形成された大進化のパターンに照らして見たならば、生物学的に意味があります。したがって、上記二つの進化の結果、つまり汎アフリカ説に対する現生人類への主要な局所的寄与もしくは拡張単一アフリカ起源説の間を区別できるのは、古生物地理学的条件により果たされた役割です。これには、地理的障壁の存在、人口集団間の距離、LCA人口集団間の差異の程度を形成した気候事象の混乱が含まれます。
拡張単一アフリカ起源仮説とともに本論文が提案するのは、進化的知識および環境と気候の制約の役割と首尾一貫した統合的枠組みの提供が可能である、ということです。このモデルは、3段階を考慮に入れています(図4)。後期LCA人口集団間の斑状の進化の後(第一段階)、大きな環境変化の状況で、他集団と共有される顔面と歯列に関する一連の派生的特徴が孤立した人口集団で合体し、さらにその孤立した人口集団は、初めて球状の神経頭蓋の重要な形態学的新規性を示した(第二段階)、という可能性が高そうです。これはアフリカ東部の化石記録において、断続的な進化の変化として現れ(冠節)、その後に安定化し、拡大の波動とアフリカ大陸内のLCAの他の人口集団との、後にはアフリカ外で進化した密接に関連する種との遺伝子交換を通じて、現代的な形態学的特徴の完全な一式が濃縮されたのでしょう(第三段階)。以下は本論文の図4です。
要約すると、20万年前頃(MIS6)に近い劇的な気候不安定性の期間は、おそらくアフリカにおいて、孤立した人口集団が長期の進化過程の具体化と、現生人類の完全に派生的な特徴の蓄積を経た条件に対応するかもしれません。現生人類の完全に派生的な特徴の議論の余地のない最初の化石証拠は、これまでに20万年前頃のエチオピアの遺跡で見つかりました。
●まとめ
本論文は、現生人類の起源(つまり種分化)の二つの代替的シナリオに関する証拠が批判的に再検討されました。それは単一起源仮説と汎アフリカ的モデルで、両者ともにRAOの一般的な理論的枠組み内にあります。単一起源仮説は一種の「進化的普通」を表しており、他の脊椎動物もしくは哺乳類種について最も高い可能性で予測されるので、現生人類の大陸規模の種分化に関してはより節約的で、進化生物学の現在の背景知識とより一致している、と本論文は主張します。対照的に、汎アフリカ的モデルは、現生人類の固有派生形質一式について多元的出現を仮定しており、亜種の分類学的階級につながる多様化の小進化過程により適しているようです。
大進化の観点から見ると、同様のシナリオはユーラシアにも拡張され、現生人類の究極的起源がある集団全体、つまり「汎集団」の進化史を説明できるかもしれません。したがって、この場合、汎集団は、その祖先が地理的に広範に分布し、表現型が多様である(同様に分類学的にも議論があります)と推定されるものとして、言及されるべきです。分岐したネアンデルタール人とデニソワ人の系統を含むホモ・ハイデルベルゲンシスは、現生人類も属する冠集団(ある系統の現生種の直近の共通祖先の子孫全てで構成される系統群)の一部とみなされます。
逆に、現生人類の起源について、利用可能な証拠は種分化の大きな事象と一致し、球状の脳頭蓋の重要で異所性の出現の観点では、その事象は広範なアフリカのシナリオ内でおそらくより断続的でした。現生人類の独自性のそうした重要な新規性は、オモ・キビシュ1号(Omo-Kibish 1)やヘルトなどアフリカ東部の化石記録において初めて示されることは、無関係ではありません。ジェベル・イルードやフロリスバッドなど中期更新世後期の他のアフリカの一部の標本は、現代の人口集団と一連の形態学的特徴を共有しており、それはより脆弱な顔面もしくは現代的な歯列ですが、同じ冠節の一部としてこれらの標本を想定するには不充分です。代わりに、そうした標本は、同じ基部節から出現した幹集団(対象としている分岐の直上の祖先集団)の発生を表している可能性の方が高そうです。
本論文の見解で情報価値のあるものは、そのような新規性が地理的に合着し、神経頭蓋の重要な固有派生形質を伴うということなので、個体発生過程の重要な再編が示唆されます。じっさい、グールドが指摘したように、分岐進化事象後の祖先とされる人口集団の存続は、古生物学の文献で盛んに取り上げられているように、進化の観点からは問題とはならないはずです。
参考文献:
Meneganzin A, Pievani T, and Manzi G.(2022): Pan-Africanism vs. single-origin of Homo sapiens: Putting the debate in the light of evolutionary biology. Evolutionary Anthropology, 31, 4, 199–212.
https://doi.org/10.1002/evan.21955
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