『昭和の戦争、令和の視点』

 中央公論新社より2021年8月に刊行されました。本書は『中央公論』2021年9月号の特集の電子書籍化です。構成は、戸部良一氏と小山俊樹氏との対談(歴史研究から戦争を問い続ける意味)、加藤聖文「満洲事変 国民と軍部を結びつけた起点」、岩谷將「盧溝橋事件 相互不信から生み出された泥沼への道」、庄司潤一郎「第二次上海事変 全面戦争への転換点」、花田智之「ノモンハン事件 日ソ衝突から学現代史的意義」、波多野澄雄「大東亜戦争 「先の戦争」をどう伝えるか」です。執筆者諸氏の本もしくは論考を当ブログでも取り上げてきたので、すでに馴染み深い見解もありますが、以下、改めてとくに興味深いと思った本書の指摘を述べていきます。

 小山氏は戦前昭和史の大きな転機として満洲事変を挙げており、対外的には日本の国際的信頼が失われ、太平洋戦争へと続く英米中との対立構造が形成され、国内的には政党内閣の統治が強く問われ、政治に対する軍や官僚の信頼が低下した、と指摘しています。昭和史関連の本を読むと、満洲事変の影響の大きさがよく指摘されており、満洲事変を主題とする本格的な書籍を一度読まねばならない、と考えています。小山氏は、満洲事変の3年前に起きた張作霖爆殺事件を重視しており、首謀者が軽い停職処分ですんだことから、満洲事変へとつながる規律の弛緩を指摘しています。戸部氏は、満洲事変から敗戦までを一直線上に把握する見解を批判し、敗戦に至る転機として日独伊三国同盟と仏印進駐を重視しています。

 日中戦争は盧溝橋事件で始まったと一般的には言われていますが、日中ともに上層部は拡大を望まず、現地当局者も日中ともに事態を沈静化できると考えていました。しかし、相互理解の欠如により、状況は緊張と緩和を繰り返し、新たな衝突のたびに新たな解決条件が加えられ、日中双方とも受け入れる余地がなくなった、と岩谷氏は指摘します。日中戦争は盧溝橋事件の翌月の第二次上海事変により、泥沼化していきます。盧溝橋事件勃発直後、海軍は中国全土に影響が及ぶ可能性を考え、全面作戦に備えつつも、米内光政海相は不拡大と局地的解決を主張しました。しかし、盧溝橋事件翌月(1937年8月)9日の大山事件後、米内海相は強硬論を主張するようになり、海軍は南京などを爆撃し、戦線は上海だけではなくなります。一方、蒋介石は上海での決戦を選択し、これは国際都市の上海で有利な戦いを示して外国の支援を得る、との意図があったようです。こうして、第二次上海事変により日中戦争は本格化しました。

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