ウルグアイの先スペイン期個体のゲノム解析

 ウルグアイの先スペイン期個体のゲノム解析結果を報告した研究(Lindo et al., 2022)が公表されました。歴史的にウルグアイの自己認識は、16世紀から19世紀までのヨーロッパ人との接触におけるこの地域の先住民集団の絶滅により特徴づけられてきました。絶滅は一連の軍事作戦を通じて行なわれ、1831年のサルシプエデス(Salsipuedes)川の虐殺に至りました。サルシプエデス作戦の標的は、チャルーア人(Charrúa)として知られる民族集団でした。チャルーア人とは、独立したばかりのウルグアイの領土のさまざまな狩猟採集民集団にその時点で使われた用語でした。その後、全ての他の南アメリカ大陸諸国とは対照的に、ウルグアイには先住民集団が存在しないとされ、この見解は依然として広く受け入れられています。しかし、1980年代に始まった集団遺伝学研究は重要な先住民からの寄与を提案し、人口集団の先住民の遺伝的背景への関心の高まりを引き起こしました。

 1989年、チャルーア人はウルグアイに再び現れました。チャルーア人の子孫の協会(Asociación de Descendientes de la Nación Charrúa、略してADENCH)の設立を皮切りに、先住民の子孫の自己認識における進化が起きました。2005年には、さまざまな先住民集団がチャルーア人民族評議会(Consejo de la Nación Charrúa、略してCONACHA)に統合され、自らをチャルーア人と宣言し、その後、自分たちの地位の公式化に向けての多様な政治活動を始めました。

 しかし、この視点の変化は遺伝学的研究における進歩とは直接的に関係がなく、ウルグアイの人口集団の先住民の遺伝的背景はしっかりと確立されていますが、その民族的基盤はまだ解決されていません。チャルーア人の絶滅と関連して、軍事作戦がチャルーア人に向けられている間に、グアラニー(Guaraní)先住民が1828年までに領域に入り続け、この年にリヴェラ(José F. Rivera)将軍が以前のイエズス会から約8000人のグアラニー人を連れてきたことに、注意しなければなりません。これらの数は、1831年に数百人単位で集計されたチャルーア人の数とは対照的で、ウルグアイの人口集団への主要な先住民の寄与はグアラニー人だっただろう、との指摘を招いています。

 過去と現在の人口集団間のつながりは、ヨーロッパ人との接触時点にさかのぼると、より曖昧になってきます。16世紀において現在のウルグアイの領土に存在する先住民族集団に関するデータと命名法さまざまですが、二つの主要な集団の存在に関する合意があります。一方はいわゆるチャルーア大民族集団で、グエノア人(Guenoas)、ボハネ人(Bohanes)、ヤロ人(Yaros)、チャルーア人自身が含まれます。もう一方は、大河の近くで最初に観察されたグアラニー人で、ヨーロッパ人の到来の少し前に現在のウルグアイの領土に到来したようです。これとは別に、ウルグアイ川のカヌーの漕ぎ手や園耕民も、チャナ人(Chanás)の名前で報告されています。チャナ人はチャルーア人と不明確なつながりを有しており、その文化は18世紀初めまでに顕著な変化を経ました。さらにさかのぼって、ウルグアイ東部の墳丘の事例のように、最初の年代記に記録された民族集団と考古学的記録に見える民族集団との間の関連の可能性について注意が払われました。

 本論文の目的は、ウルグアイのロチャ(Rocha)にあるCH2D01-A遺跡の、1450年前頃(CH19B)と668年前頃(CH13)の個体の低網羅率の全ゲノムの提示による、現在のウルグアイの先住民のゲノム先史時代の解明です(表1)。これは、この地域で最初の古代人のゲノムであり、ウルグアイの先住民の進化史およびゲノム観点からの多様性の調査の出発点を提示します。ウルグアイの古代人標本と古代および現代両方の世界規模および地域規模の人口集団との関係を評価するため、データセットがSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)およびアメリカ大陸の古代人の全ゲノムの標本(関連記事)と統合されました。さまざまな集団遺伝学的分析で重複する部位の数を最大化するため、比較として全ゲノムのみが選択されました(図1A)。


●ミトコンドリアDNA

 CH13個体のミトコンドリアゲノムは、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)C1dの全ての特徴的変異(194Tと16051G)を有しており、その下位分類C1d3内に位置する追加の変異(12378Tと16140Cと16288C)が含まれます。mtHg-C1d3の起源は9000年前頃となり、現在のウルグアイで進化したようで、同じ遺跡で発見された700~1000年ほど古い個体(CH20)でも見つかります。CH19B個体のmtDNAには、mtHg-C1cに特徴的な変異(1888Aと15930A)があるものの、その下位分類(C1c1からC1c8)と関連するさらなる変異は欠けています。さらに、CH19B個体には7471部位に606Gと欠失があり、そのどちらも刊行されたミトコンドリア配列では見つかりませんでした。CH19B個体により表されるmtDNA系統は、絶滅した可能性がひじょうに高そうです。


●ゲノム解析

 ウルグアイの古代人とアメリカ大陸の他の古代人との関係をより深く理解するため、主成分分析(PCA)が実行されました。C/TおよびG/Aの転移はとくに明記されていない限り全てのデータセットから削除されました。これは、死後のDNA損傷の最も一般的な形態を防ぎ、古代人標本における間違った類似性を防ぐためです。ウルグアイの古代人2個体の網羅率は、参照データの現代人および古代人の高網羅率標本と比較して低いので、SmartPCAを用いて現代人の標本から特定される上位2主成分(PC)に投影されました。

 興味深いことに、同時代(1400年前頃)の古代人標本となるウルグアイのCH19B個体とパナマのPAPV173個体は、最初の2PCで強い類似性を示し(図1B)、より新しい600年前頃のウルグアイ標本(CH13)は、より遠い関係を示します。ウルグアイとその他のアメリカ大陸の古代人における関係をさらに解明するため、ADMIXTUREに基づくクラスタ(まとまり)分析が実行され、K(系統構成要素数)=4のクラスタが最良の交差検証値を示します(図1C)。

 ウルグアイの古代人標本は、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された(関連記事)11600~11270年前頃の1個体(USR1)および12800年前頃となるアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された(関連記事)男児であるアンジック1号(Anzick-1)と共有される緑色の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を示します。南アメリカ大陸と関連して、この緑色のクラスタはブラジルの1万年前頃となるスミドウロ5(Sumidouro)標本(関連記事)およびパナマの1400年前頃となるPAP173標本と共有されており、最大の共有される断片を示します。参照パネルの現代人標本に関して、緑色のクラスタはマヤの個体で明らかですが、他の人口集団では観察されません。以下は本論文の図1です。
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 世界の人口集団とウルグアイの古代人との関係をさらに調べるため、f3統計が用いられ、SGDPの現代人との共有される祖先系統が評価されました。世界規模のデータセットの外群f3統計では、ウルグアイの古代人は他の人口集団とよりも南アメリカ大陸の先住民集団の方と類似性が大きい、と示されます(図2A・C)。ランク付けされたf3統計では、ウルグアイの古代人2個体(1450年前頃のCH19Bと668年前頃のCH13)は、スルイ人(Surui)およびカリティアナ人(Karitiana)というブラジルの現代人集団と最大の類似性を共有する傾向にある、と示唆されます。しかし、ウルグアイのどちらの古代人個体でもオーストロネシア人の兆候は検出されず、アマゾンの人口集団とのより微妙な関係を示唆しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
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 ウルグアイの古代人と他のアメリカ大陸人との間の関係を調べるため、TreeMixで推測された最尤系統樹が用いられました。ブラジルの1万年前頃の古代人標本(スミドウロ5号)は、パナマとウルグアイ両方の古代人の基底部に位置します(図3A)。2回の移動を伴い、遺伝子流動がウルグアイからスミドウロ5までの両方の古代人の間で検出されます。これは、共通の移住経路もしくは共有された祖先系統に起因するかもしれない標本間の関係を示している可能性があり、スルイ人とカリティアナ人という現代のアマゾン地域人口集団につながる移住・祖先系統とは異なるかもしれません。

 標本の地理的位置もこれを裏づけているかもしれず、スミドウロ5号はブラジル東岸の遺跡で発見され、アマゾン地域の人口集団はブラジル西部に位置します(図1A)。古代人と現代人の標本における決定的な関係を主張しないよう、本論文は注意していますが、系統樹はペルーのリオ・アンカナッレ(Rio Uncanalle)遺跡の高地の古代人を、同じ地域の現代の個体群であるケチュア人(Quechua)と正確に位置づけているようです。さらに、11500年前頃のUSR1個体は、アメリカ大陸の全ての人口集団の外群として位置づけられ、系統樹構造の追加の検証に役立ちます。

 多くの人口集団の組み合わせでf2統計一式を用いて混合図の形態を推定するqpGraph を使って、1400年前頃となるウルグアイの古代人(CH19B)と南アメリカ大陸の現代の人口集団との関係も検証されました。その結果、モデルはSGDP の主要な人口集団を組み込んだ2回の移住事象と最適に合致する、と分かりました。図の形態からは、ウルグアイの古代人標本の祖先系統が2つの供給源に由来することも示唆されます。それは、深い祖先供給源と、ブラジルのカリティアナ人およびスルイ人につながる供給源です。

 最尤系統樹とqpGraphの両方は、アマゾン地域の人口集団がウルグアイの古代人とより遠いつながりを共有するf3統計の場合よりも、複雑な全体像を示しています。このつながりは、直接的なものではなく、南アメリカ大陸のより一般的な祖先系統兆候と関連している可能性があり、アメリカ大陸への到来の異なる移住の結果かもしれません。対照的に、最尤系統樹でのブラジルとパナマとウルグアイの古代人のつながりが見られ、そこでは自らの枝を形成します(図3A)。qpGraphはパナマの古代人標本とウルグアイの最古の古代人(CH19B個体)との間のつながりを示し、qpGraphにより定義されるように、両者の間の1回の移住事象を論証します。まとめると、このつながりは南アメリカ大陸の大西洋岸沿いに起きた移住経路を反映しているかもしれません。以下は本論文の図3です。
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 ウルグアイの古代人標本に寄与した深い祖先構成要素にも要注意です。これは祖先系統クラスタと組み合わせると、南アメリカ大陸における以前には検証されていない祖先系統を表しているかもしれません。この異なる祖先系統は、絶滅しているかもしれないCH19B個体のミトコンドリア系統とも相関している可能性があります。しかし、この祖先系統はアンジック1号個体およびUSR1個体の両方にも存在しているようで(図1Cの緑色の祖先構成要素)、両者ともにアメリカ大陸の先住民集団の祖先とみなされています。この深い祖先的系統が、CH19B個体よりも新しいCH13個体にも存在することに要注意です。


●考察

 本論文は、ウルグアイの先住民の起源の解明を始めます。ウルグアイの古代人の祖先集団は、大西洋沿岸により近い移住に由来しているかもしれない、と分かりました。これは、ブラジルの大西洋沿岸南東部の集団とより近いと分かった古代人スミドウロ5号との類似性により証明され(図4)、古環境および年代学的データにより裏づけられます。ブラジルのアマゾン地域の先住民集団が本論文の分析では繰り返し明確な集団を形成することを考えると、この移住はブラジルの現代のアマゾン地域人口集団につながった移住とは異なるかもしれません。5000kmほど離れた予期せぬ共有された祖先系統も見つかり、北アメリカ大陸からの共有された移住経路か、メソアメリカへと戻ったかもしれない移住を示している可能性があります。以下は本論文の図4です。
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 大陸水準でのウルグアイの先住民の関係の解明が始まりましたが、南アメリカ大陸における異なる祖先的構成要素の発見の可能性に加えて、ウルグアイ全域、とくにヨーロッパ人との接触の時期に近い他の遺跡からの古代人のDNAの必要性を指摘することも重要です。そうした標本は、16世紀におけるスペインとの接触時に存在した先住民の遺伝的多様性をよりよく把握することや、さらには、存在した先住民集団の多様性の理解を深めるのに役立つでしょう。そうすることで将来のDNA研究は、ウルグアイの現代人による「チャルーア人」に限定されない先住民祖先系統の特定の可能性を支援できるでしょう。さらに、ウルグアイの現代の人口集団で見つかった先住民祖先系統に照らしてのCH2D01-A遺跡の古代人のDNAデータの分析は、mtDNAから初めて垣間見えた、先史時代と現代の人口集団間の遺伝的連続性の多様な構成要素の解明に役立つでしょう。


参考文献:
Lindo J. et al.(2022): The genomic prehistory of the Indigenous peoples of Uruguay. PNAS Nexus, 1, 2, pgac047.
https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgac047

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