荻原直道「ヒトはなぜ直立二足歩行を獲得したのか 身体構造と運動機能の進化」

 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。常習的な直立二足歩行は、ヒトと他の霊長類を区別する最重要の特徴です。そのため、常習的な直立二足歩行の起源について、大きな関心が寄せられてきました。本論文は、運動学と生体力学の観点から直立二足歩行の進化を検証します。直立二足歩行は、体幹を垂直に立て、左右の下肢を筋活動により交互に動かし、比較的低速で身体を移動させる周期運動です。ヒトの場合、左右の脚が両方とも地面と接触している期間(両脚支持期)のある比較的ゆっくりとした移動様式は、「歩行」と呼ばれます。一方、左右の脚が両方とも地面から離れるような、空中期が存在する比較的速い移動様式は「走行」と呼ばれます。片方の足が踵接地してから、同じ足がもう一度接地するまでの時間は歩行周期、このうち足が地面に接地している期間を立脚期、足が地面から離れている期間は遊脚期と呼ばれます。ヒトの二足歩行において、歩行周期に占める立脚期の割合(接地率)は約60%で、両脚支持期が存在します。接地率が50%を下回ると空中期が存在し、走行となります。

 ヒトの二足歩行では身体の重心位置が、立脚期中期に最も高く、両脚支持期で最も低くなります。一方、歩行速度は、両脚支持期で最も速く、立脚期中期で最も遅くなります。ヒトの歩行運動では、重心を上昇させた蓄えた位置エネルギーを開放し、運動エネルギーに変換することで重心を前に移動させ、この運動エネルギー(の一部)を位置エネルギーとして保存し、次の一歩に再利用することでエネルギーの節約が図られています。移動のエネルギー効率の比較では、指標として1m移動するのに体重1kg当たり消費するエネルギーが用いられます。移動のエネルギー効率は、ヒトの二足歩行ではチンパンジーの四足歩行(ナックルウォーキング)の約1/4となり、他の哺乳類や鳥類と比較しても小さい、と明らかになっています。この高い移動エネルギー効率は、より長距離の移動を可能とし、採食効率や繁殖機会を高めるので、移動エネルギー効率に強い選択が作用した、と示唆されます。この過程で、ヒトの身体構造も二足歩行に適した選択圧を受けていきます。

 具体的にヒトの二足歩行がどう進化してきたのか、とくに初期進化については、議論が続いています。現時点で最古の人類(候補)化石は、チャドで発見された700万年前頃のサヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)です。サヘラントロプス・チャデンシスの化石は頭蓋骨以外が発見されていませんが、大後頭孔(頭蓋骨底部に位置し、脳から連続する脊髄が通り、頭蓋骨の外にでる孔)の位置から、二足歩行をしていた、と推測されています。その次に古い人類(候補)化石は、ケニアで発見された600万年前頃のオロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)で、大腿骨近位部の形態的特徴から、二足歩行をしていた、と判断されています。ただ、化石の保存状態から、移動様式について得られた情報は限定的です。二足歩行の進化史について多くの情報をもたらしたのは、エチオピアで発見された440万年前頃のアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)です。アルディピテクス・ラミダスが二足歩行をしていたことは確実ですが、樹上生活に適応的な形質も見られ、地上での直立二足歩行を常習的に行なっていたわけではない可能性も示唆されます。エチオピアで発見された320万年前頃のアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)は、現代人の二足歩行のように脚を進展させた直立二足歩行を常習的に行なっていたものの、足趾が相対的に長くて湾曲しているなど、樹上生活への適応も残っています。現代人と完全に同じ二足歩行は、180万年前頃や150万年前頃のホモ・エルガスター(Homo ergaster)化石などから、ホモ属以降と考えられています。

 何が直立二足歩行の選択圧だったのかについて、さまざまな仮説が提示されてきました。二足歩行で立ち上がることにより、高い位置にある果実を採取できたり、自分を大きく見せて捕食者を威嚇したりする、といった仮説が提示されていますが、ヒヒなど多くの現生霊長類は必要に応じて二足歩行が可能にも関わらず、常習的な二足歩行へと進化していないことから、説得力に乏しい、と本論文は指摘します。二足歩行により日射への暴露面積が小さくなり、日中の時間活動を長くできた、との仮説も提示されています。しかし、初期人類の二足歩行はサバンナではなく森林性の環境で進化し、アフリカ東部の乾燥化が300万~200万年前頃であることから、これが選択圧とは考えにくい、と本論文は指摘します。二足歩行の移動エネルギー効率の高さから、採食効率や繁殖機会が高まった、との仮説については、直立二足歩行を始めた頃には四足歩行よりも移動高率がよかったとは考えにくい、と本論文は指摘します。本論文は現時点で最有力の仮説として、直立二足歩行により雌と子に食料を運搬し、分配する雄に選択圧が作用した、とする「食料供給仮説」を挙げます。

 ヒトとチンパンジーの最終共通祖先については、そこから分岐した現生ゴリラも現生チンパンジーと同様にナックルウォーキングを行なうことから、ナックルウォーキングだった可能性が指摘されています。しかし、ヒトとチンパンジーの最終共通祖先は木登りを主とする樹上四足生活者だった、との仮説も提示されています。また、チンパンジーとゴリラのナックル歩行は収斂進化で、ヒトとチンパンジーとゴリラの最終共通祖先は「普通のサルのような四足歩行」をしていたのではないか、と示唆する見解も提示されています(関連記事)。ヒトの直立二足歩行の起源については、化石証拠が少ないため、今後も議論が続いてくでしょう。


参考文献:
荻原直道(2021)「ヒトはなぜ直立二足歩行を獲得したのか 身体構造と運動機能の進化」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第9章P142-162

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