望月雅士『枢密院 近代日本の「奥の院」』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2022年6月に刊行されました。電子書籍での購入です。まず本書は、大日本帝国憲法と日本国憲法には共通点が少なくないものの、決定的な違いとして、後者では戦争放棄が加えられ、枢密顧問が削除されたことだ、と指摘します。枢密院は、内閣とともに天皇を補佐する最高機関と位置づけられ、「重要の国務」を審議する、と大日本帝国憲法では規定されました。内閣は内外の政務を担って迅速に対応して処理し、枢密院は思慮を凝らして古今の歴史を踏まえ、学識にのっとってその可否を判断し、天皇が最終的な決断を下す、とされました。「重要の国務」とは、時代による変遷はありますが、憲法の条項や憲法に附属する法律・勅令や国際条約など、国家の根幹に関わる事項が該当します。政府(内閣)がこうした重要国務を成立させるには天皇の裁可が必要で、政府が裁可を得るために上奏すると、天皇は枢密院に審議を命じて意見を求めます(諮詢)。枢密院はそれについて審議し、本会議でその可否を決定して天皇に奉答します。天皇はその奉答に基づいて、政府に裁可もしくは不裁可を下します。本来は、政府への権力集中を抑制し、権力の均衡状態を図ることが狙いでしたが、実際には、枢密院と政府との間ではしばしば対立関係が生じました。こうした枢密院に対してすでに同時代から、政権を追われた伊藤博文が権力を維持するための「逃避所」で、老人たちが立憲政治を妨害する拠点になった、という悪評がありました。しかし本書は、政府や世論の意向とは違っても、枢密院の判断には合理的な説明があるのではないか、との観点から、同時代の政治状況の文脈で枢密院の全体像と経時的な変容を検証します。

 枢密院発足で重要な役割を果たしたのは伊藤博文でした。枢密院発足当時、顧問官には井上馨外相の条約改正交渉に反発した、藩閥内の「国権貫習」派が多く、これは伊藤が「反主流派」を体制内に取り込もうと考えたからでした。しかし、憲法が公布されて議会が開設され、憲法附属法など国家の基本法の審議が一通り終わると、それまで熱心だった天皇の枢密院本会への欠席が目立ち、伊藤も同様で、枢密顧問官を「閑職」と言うほどでした。しかし、枢密顧問官には高給という魅力があり、任期がないため、一旦就任すると生涯在任する事例も多くありました。枢密院は第一次護憲運動で批判の対象となり、桂太郎内閣が退陣して成立した山本権兵衛内閣は、文官任用令の改正で枢密院と激しく対立します。枢密院は山本内閣に大きく譲歩しますが、これは、枢密院も世論に向き合う必要が出てきたことを意味していた、と本書は評価します。

 元老が少なくなり、ついには西園寺公望だけになった頃には、かつて伊藤博文が構想した、元老機能の枢密院への移譲が、再び検討されるようになりますが、その構想は度々出ては消えていきました。また、台湾銀行救済緊急勅令案を枢密院が否決したことにより、若槻礼次郎内閣が退陣に追い込まれたことや、治安維持法改正問題などにより、枢密院改革が改めて議論になりました。枢密院改革論はおもに、官制改正による権限の縮小、顧問官人事の見直し、強力な政党内閣による抑制に区分できます。これらは以前からの提案でしたが、枢密院の政党化が新たな論点として提示されるようになります。一方で、枢密院廃止論もありましたが、現実的な課題と考える人は少なかったようです。日本にとって大きな転機となった満洲事変では、諸新聞が関東軍を支持したのに対して、枢密院では疑念の声が強まり、日本の孤立が懸念されます。しかし、枢密顧問官の立場はさまざまで、じっさいに孤立が進むと、国際連盟からの脱退を主張する者も現れます。

 盧溝橋事件後、日本は結果的に長期の戦争体制に移行していき、ついには敗戦を迎えます。国際的に孤立していった日本は、同様の立場のドイツに反共の観点から接近しますが、枢密院では、ドイツのナチス政権のドイツ民族至上主義への懸念も指摘されました。日中戦争が泥沼化するにつれて、戦争指導の効率化のため権力の一元化が目指されますが、枢密院がその障壁とみなされるようになります。日独伊三国同盟について、枢密院では懸念が大きかったものの、結局は承認されました。これは一つには、その問題点を天皇に提示し、政府に善処を促す、との意図もあったようです。日中戦争勃発から太平洋戦争期にかけての御前会議は基本的に形式的なものでしたが、枢密院議長だけが議案に反対意見を述べられる立場にありました。ただ枢密院では、対米戦への懸念は指摘されつつも、結局は日本国内の分裂を恐れて対米戦が承認されました。しかし枢密院では、国会のような対米戦への高揚はなかったようです。戦局の悪化に伴い、枢密院の会議には形骸化傾向が強くなります。敗戦後、政府は改革による枢密院存続を構想していましたが、世論の反発は強く、枢密院は憲法改正により廃止となりました。

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