中国南西部で発見された後期更新世人類のゲノムデータ(追記有)
追記(2024年1月10日)
指摘を受けて福建省の前期新石器時代遺跡(Qihe)の漢字表記を斎河から奇和洞に訂正し、要約を新たに掲載しました。
中国南西部で発見された後期更新世人類のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。
●要約
アジア南東部は、アジア太平洋地域における現生人類の先史時代の定住と移住に関する拡散の中心地です。しかし、この地域における旧石器時代のヒトの定住パターンと人口構造は分かりにくいままで、古代DNAは直接的情報を提供できます。ここで我々は、中国南西部に位置する馬鹿洞(Maludong、Red Deer Cave)の14000年前頃の後期更新世人類(MZR)のゲノムを配列決定しました。MZRは以前には、現代と古代の人類の斑状の特徴を有すると報告されました。MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世のゲノムです。本論文の結果から、MZRはアジア東部における初期に多様化した系統を表す現生人類(Homo sapiens)である、と示唆されます。
MZRのmtDNAはM9ハプログループの絶滅した基底部系統に属しており、後期更新世のアジア東部南方における豊富な母系多様性を反映しています。本論文は刊行されたデータと組み合わせて、アジア東部および南東部の古代の南方人口集団における明確な遺伝的階層化と、後期更新世における南対北の相違を検出し、現在の人口集団への遺伝的連続性を示すMZRをアジア東部南方人として特定しました。注目すべきことに、MZRは最初のアメリカ人に寄与したアジア東部祖先系統と深く関連しています。
●研究史
遺伝学および考古学両方のデータは、解剖学的現代人(Homo sapiens)のアジア東部南方への65000~50000年前頃となる初期侵入を裏づけており(関連記事)、先史時代の南から北への移住は、アジア東部人口集団における遺伝的多様性の現在の勾配構造につながりました(関連記事)。発掘された遺跡によると、アジア東部南方(アジア南東部本土と現在の中国南部)におけるこれら最初の解剖学的現代人の移住者は、この地域で4000年前頃まで栄えた後のホアビン文化(Hòabìnhian)狩猟採集民の祖先でした。
これまで、中国南部における考古学的調査により、多くの後期更新世遺跡(50000~11000年前頃)が発掘されており、ホアビン文化の人々および剥片石器と関連する最古の放射性炭素年代(43500年前頃)は、現時点では中国南西部の雲南省に由来します。幸いなことに、後期更新世遺跡の一部には、30000~11500年前頃のヒト遺骸が含まれています。そのうち、雲南省の馬鹿洞(Malu Dong、Red Deer Cave)の14000年前頃となる蒙自人(Mengzi Ren、略してMZR)と、中国南部の広西壮族(チワン族)自治区の老毛桃洞(Laomaocao Dong)の10500年前頃となる(関連記事)隆林人(Longlin Ren、略してLLR)は、形態学的特徴に基づいて解剖学的現代人(AMH)と古代型人類の斑状の特徴を有する、と報告されました(関連記事1および関連記事2)。
雲南省は熱帯雨林のアジア南東部本土(MSEA)に隣接しており、古い固有性の生物地理的および種の多様性の高さにより特徴づけられます。雲南省には200ヶ所以上の化石を含む堆積性盆地があり、生物多様性の進化史とモンスーンの発達と地域的な標高変化が記録され、亜熱帯常緑広葉樹針葉樹混交林を含んでおり、中国において、最も植物の特有な中心地の一つであるとともに、民族的および言語学的に多様な地域の一つです。
東経103度24分、北緯23度20分に位置する馬鹿洞は、雲南省南東部に位置する部分的に採掘された洞窟充填物です。馬鹿洞は元々1989年に発掘され、主要な標本抽出は2008年に国際調査団により行なわれました。馬鹿洞では人類遺骸約30点が発掘され、その中にはほぼ完全な頭蓋冠(本論文で調べられたMLDG-1704標本)や近位大腿骨(MLDG-1678)が含まれます。これらの人類遺骸が同じ個体のものなのかどうか、不明です。
馬鹿洞の較正放射性炭素年代系列は、18070~17590年前から13415~13165年前の間隔にわたり、一連の堆積物で見つかった人類遺骸の年代は14650~13970年前から13750~13430年前です。この研究で用いられたMZR標本の正確な直接的年代測定も試みられましたが、残念ながら保存状態が悪く、標本の量が少なかったため、放射性炭素年代測定に充分なコラーゲンの断片が回収されませんでした。したがって、MZRの14000年前頃との年代は完全には確実ではありませんが、人類遺骸を含む堆積物の年代測定系列はかなり狭く、後期更新世(11700年前頃以前)の年代を裏づけます。
身体的な人類学的調査では上述のように、MZR遺骸はAMHと古代的な特徴の組み合わせを示している、と示唆されています。全体的に、MZRの独特な形態学的特徴を説明するために、3つのあり得るシナリオが提案されました。まず、MZRはアジアにおける最新(19万~5万年前頃)のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)よりもさらに新しい(関連記事)、後期まで生き残った古代型人類(非現生人類ホモ属)集団を表している、というものです。次に、MZRの斑状の形態は、おそらくAMHと未知の古代型人類種との間の交雑に起因する、というものです。最後に、MZRの異常な形態は、旧石器時代の解剖学的現代人の多型の保持を表している、というものです。これらの代替的なシナリオを調べるためには、人類遺骸から回収された古代ゲノム配列が、MZRの正体と、アジア東部南方における後期更新世人類の遺伝的多様性の解明に、重要な証拠として役立ちます。
●ミトコンドリアと核のゲノムの配列はMZRが後期更新世の解剖学的現代人だと確証します
MZRの頭蓋冠(MLDG-1704)を用いて(図1)、古代DNAの抽出とゲノム配列決定が実行されました。MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世ゲノムとなります(図1A)。南部の低緯度地域から古代DNAを得るのは、古代DNAの保存に適していない温暖湿潤気候で酸性土壌のため困難です。さらに、発掘されたMZR遺骸では、理想的な資料(錐体骨や歯など)が古代DNA研究では利用できず、この研究では古代DNAの抽出にMZRの頭蓋冠(MLDG-1704)が用いられました(図1B)。以下は本論文の図1です。
MZR遺骸の核ゲノムの網羅率は0.113倍です。1000人ゲノム計画(TGP)のアジアの現代人5集団とMZRで主成分分析(PCA)が実行され、一塩基多型(SNP)全て(2727839ヶ所)か、塩基転換のみ(876456ヶ所)が用いられました。両方のSNP一式に由来するPCA図では、同じクラスタ化(まとまり)パターンが観察されました。さらに、アジア東部現代人とMZRとの遺伝的類似性の同様の水準が、f3統計により検出されました。MZRは、Y染色体と常染色体のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)比から、女性と識別されました。
ミトコンドリアゲノムでは、平均125.05倍の配列決定深度が得られました。MZRのミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、M9の基底部に位置づけられます。mtHg-M9は現代人では2つの主要な枝で構成され(M9a’bとE)、MZRは1ヶ所の固有の変異(T16304C)を有する第三の主要な枝を表しており、現代の人口集団では消滅しています。mtHg-M9a’bは現在、アジア東部本土に分布しており、南方起源で、28000~18000年前頃に北方へ拡大しています。対照的に、mtHg-Eはおもにアジア南東部島嶼部(ISEA)とメラネシアのソロモン諸島に分布しており、オーストロネシア語族話者の新石器時代の拡大を反映しています(図2A)。したがって、MZRの今では消滅したmtHg-M9基底部系統の発見は、後期更新世におけるアジア東部南方の人口集団の豊かな母系多様性を示唆します。以下は本論文の図2です。
一貫して、核ゲノム配列もMZRをAMHとして裏づけます。アジア東部の現代人および古代人の標本を網羅するPCA図では、MZRは現代人の変異内に収まり、アジア東部南方人と密接です。MZRのアジア東部南方人との類似性は、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性(関連記事)が、アジア東部北方人と類似していることと対照的です(図2B)。
一貫して、TreeMix分析で示唆されるのは、主要なアジア東部古代人のDNA標本(40000~7000年前頃)のうち、MZRは前期新石器時代沿岸部アジア東部南方人(アジア東部南方EN)とクラスタ化し、これには11500年前頃の奇和洞3号(Qihe3)や7500年前頃の亮島2号(Liangdao2)や7400年前頃の包󠄁家山5号(Baojianshan5)や8700年前頃の独山4号(Dushan4)が含まれることと、それらの標本が南方クレード(単系統群)を形成し、前期新石器時代(EN)沿岸部アジア東部北方人(アジア東部北方EN)を網羅する北方クレードと明確に分離しており、北方クレードには9500年前頃の變變(Bianbian)個体や8200年前頃の淄博(Boshan)個体や8600年前頃の小高(Xiaogao)個体や8400年前頃の裕民(Yumin)個体や7600年前頃の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave)個体や19000年前頃のアムール川流域個体が含まれることです(図2C)。
したがって、MZRのゲノムは同様の年代のアジア東部南方人との類似性を示し、アジア東部の南方人と北方人との間のある程度の遺伝的分岐が後期更新世には存在していた可能性が高いものの、MZRからアジア東部北方ENへの低い遺伝子流動も検出された、と示唆されます(図2C)。この観察結果は、D検定(MZR、UKY;7000年以上前のユーラシア東部古代人、ムブティ人)の結果でも裏づけられ、アジア東部における勾配的な南方から北方への分岐が検出されます。UKYとは、バイカル湖の南側のウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡で発見された14000年前頃となる個体です。
MZRは、亮島2号などアジア東部南方古代人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有していますが、UKYはアジア東部北方人と比較的密接です(図3A)。さらに、アジア東部南方の全ての古代人標本(14000~7500年前頃)は、現代中国人と比較した場合、緯度と負の相関を示しますが、アジア東部北方の古代人(40000~7600年前頃)のほとんどは相関を示さず、2点の標本(裕民遺跡と悪魔の門洞窟遺跡)が緯度との正の相関を示します(図3B)。このパターンは、南北のアジア東部人の間におけるある程度の遺伝的分岐が後期更新世に存在した、という上述の見解と一致します。注目すべきことに、LLRと愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2600年前頃となる縄文時代個体のクラスタ化パターンは、以前の報告(関連記事)とはわずかに異なっており、これは恐らく、2点の標本の統合されたゲノムデータセットの高い欠落率(LLRは69.14%、伊川津個体は18.09%)に起因します。以下は本論文の図3です。
MZRがAMHであることを前提として、古代型人類からの遺伝子移入の水準を評価するために、アフリカのムブティ人を対照群(古代型人類からの遺伝子移入がないと仮定されます)として用いて、ADMIXTOOLS でf4比検定が実行されました。MZRにおける古代型人類からの推定される遺伝子移入水準は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が1.29%、ネアンデルタール人祖先系統が1.27%で、アジア東部現代人で報告されている遺伝子移入の水準(平均で1.20~2.90%)と類似しています。さらに、チンパンジーを外群として、D検定(アジア東部人、MZR;デニソワ人およびネアンデルタール人、チンパンジー)が実行され、MZRとアジア東部現代人との間の遺伝子移入比の違いが比較され、違いは検出されませんでした。一貫して、LLRも古代型人類からの同様の低い遺伝子移入水準のAMHとして報告されました(関連記事)。
したがって、これらの結果は、MZRとLLRについて、古代型人類の生き残りか、AMHと未知の古代型人類との間の交雑だとするシナリオのどちらも、誤りだと証明する傾向にあります。むしろ、「(現生人類としては)異常な」形態を有するこれら2点の標本のゲノムの特徴は、アジア東部南方の旧石器時代AMHの豊富な多様性を反映しているかもしれません。要注意なのは、MZRの配列されたゲノムの網羅率が低いので、MZRの形態学的特徴に寄与したかもしれない、ネアンデルタール人およびデニソワ人か、未知の古代型人類から遺伝子移入されたMZRのゲノムにおける古代型アレルの存在の可能性を完全には除外できない、ということです。
まとめると、mtDNAと核ゲノムの配列は両方、MZRがAMHだと論証します。MZRのmtDNAは消滅した基底部系統を表し、その核ゲノムは、深く分岐したアジアのAMH祖先系統を有しており、アジア東部南方における後期更新世の古代の人口集団の豊富な多様性を反映しています。
●MZRと他の古代人のゲノムデータに基づく後期更新世におけるアジア東部の人口史の推測
地理的に多様なヒト遺骸の古代DNAの解読は、人口史の理解に多くの情報をもたらします。ユーラシア西部における体系的なDNA精査(関連記事)と比較して、アジア東部における古代DNA研究はまだ限られています。後期更新世古代人のゲノムの報告は、これまで中国北部だけで(関連記事1および関連記事2)、MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世のゲノムとなります。
現在の世界規模の人口集団のゲノムと刊行された古代人のゲノムの統合により、ADMIXTUREを用いて詳細なゲノム構造の分析が実行されました(図4A)。PCAおよびTreeMixの結果と一致して、MZRにおける主要な遺伝的構成要素はアジア東部南方人に属しており(図4Aの黄緑色)、11500年前頃となる福建省で発見された奇和洞3号(関連記事)も同様です。対照的に、19000年前頃となるアムール川流域個体と9500年前頃となる山東省で発見された變變個体はおもにアジア東部北方構成要素を有しており、後期更新世におけるアジア東部人の提案された南北の分岐を裏づけ、最近の報告(関連記事)とも一致します。注目すべきことに、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の全ての初期の旧シベリア人は、アメリカ大陸先住民の構成要素(赤色)をかなりの割合で含んでおり、アメリカ大陸への人類最初の移住の前哨地としてのシベリアを確証します(図4A)。以下は本論文の図4です。
次にf3分析が実行され、後期更新世人口集団の関係と、前期完新世および現在のアジア東部人口集団とのMZRの関係が明らかにされました。対での比較の実行のさいには少なくとも2万ヶ所のSNPが含まれ、アフリカの人口集団(ムブティ人)が外群として用いられました。上述の結果(図2B・Cおよび図4A)と一致して、f3検定(アジア東部現代人、MZR;ムブティ人)では、現代人の標本のうち、MZRは中国北部人よりも中国南部人の方に近く、一方で古代人標本のうち、この対比はさほど明らかではないものの、最高のf3値は依然として南部人口集団に見られる、と示唆されます(図4B)。とくに、MZRの地理的位置はアジア南東部に近いものの、MZRはアジア南東部の現代人および古代人両方との類似性は有意に少なく、アジア東部におけるすでに構造化され多様化した古代の人口集団を示唆しており、mtDNAのデータと一致します(図2A)。
アジア東部におけるAMHの最初の南方の移住に加えて、ユーラシア西部からの「北方経路」でのアジア東部への古代の移住(40000~18000年前頃)が以前に提案されました。「北方経路」仮説は、微妙な共有された古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統が、アメリカ大陸先住民とも共有されている祖先系統から来た場所も説明します。さらに、「北方経路」はアジア東部人の南北の分岐にも寄与したかもしれません。これは、考古学と遺伝学両方の証拠により裏づけられていますが(関連記事1および関連記事2)、アジア東部現代人への「北方経路」の寄与は、Y染色体データに基づくと比較的小さい(6.78%)と推定されています。「北方経路」の供給源を検証するために、対でのFstを用いて人口集団分岐水準が計算され、アジア中央部人とシベリア人が、アジア東部人、とくに中国北部のアルタイ諸語話者と比較して、最低のFst値を示す最良の候補と分かりました。この結果は、中国北部へのアジア中央部とシベリアの地理的近さを考えると予測され、報告された考古学的および遺伝学的証拠により推定された移住経路とも一致します。
最後に、時系列古代DNAデータを、適応的な配列多様体の出現と拡大パターンの追跡に用いることができます。刊行された古代DNAデータの活用により、アジア東部人特有の多様体の時空間的分布(OCA2遺伝子の多型His615Arg)が再構築されました。この多様体は、局所的なダーウィン的正の選択に起因して、肌の色を薄くします(図5の左側)。全ての後期更新世個体(MZRや田園個体やアムール川流域の33000年前頃と19000年前頃の個体やUKYなど)には、派生的アレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)が存在しない、と分かりました。適応的なアレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)の最初の存在は、中国南部沿岸(福建省)の7500年前頃となる亮島2号で確認され、すぐに中程度の頻度(113個体のうち29個体、25.67%)に達し、おもにアジア東部沿岸、次にアジア東部北方に3500年前頃に拡大して、アジア東部現代人では主流(60.00%)になりました(図5の左側)。このパターンから、アジア東部人における選択事象は後期完新世に起きた可能性が高く、その期間における提案された準指数関数的な人口増加と一致する、と示唆されます。しかし、別のアジア東部人特有の多様体(EDAR遺伝子のV370A変異)は異なるパターンを示します(図5の右側)。以下は本論文の図5です。
●アメリカ大陸へのAMHの複雑な移住史の追跡
外群f3検定(世界規模の後期更新世/前期完新世人口集団、MZR;ムブティ人)を適用して、世界規模の人口集団とのMZRの遺伝的類似性が決定されました。後期更新世標本(45000~11700年前頃)のうち、MZRは、アメリカ大陸最初の人類と密接に関連する旧シベリア人のUKY個体(13900年前頃)およびアメリカ大陸最初の人類と最も密接な類似性を示し、田園個体やアムール川流域個体群(33000年前頃や19000年前頃の個体)とさえ密接です。
D検定では、MZR/UKYとMZR/アムール川流域の19000年前頃の個体はアメリカ大陸最初の人類に関してクレードを形成するので、アメリカ大陸先住民へのアジア東部人の寄与はアジア東部人の南北の分岐前に由来する可能性が高い、とも示唆されます。さらに、D検定(MZR、検証集団X;アメリカ大陸最初の人類、ムブティ人)が実行され、アメリカ大陸最初の人類と、MZRやアジア東部沿岸部古代人や旧シベリア人との類似性が比較され(図6B)、アメリカ大陸最初の人類は全て、アジア南東部の後期ホアビン文化人口集団、日本列島の縄文時代人口集団(狩猟漁撈民)、LGM前の後期更新世個体群とよりも、MZRの方と高い類似性を示した、と観察されました。アメリカ大陸最初の人類には、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)、アメリカ合衆国ネバダ州の精霊洞窟(Spirit Cave)の11000年前頃の個体、チリの11900年前頃のロスリーレス(Los Rieles)個体、ブラジルの10400年前頃となるスミドウロ(Sumidouro)個体が含まれます。LGM前の後期更新世個体群には、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる男性個体、4万年前頃の田園個体、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃となる個体、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡の33000年前頃となる個体群、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の個体(MA-1)が含まれます。
したがって、亮島2号のような前期完新世アジア東部沿岸部人(図3A)やアジア東部北方EN(図2C)とのつながりにより、MZRは最初のアメリカ人に寄与したアジア東部祖先系統と深く間接的に関連しています。一貫して、シベリア極東地域の、アムール川流域の14100年前頃や6300年前頃の個体、コリマ川(Kolyma River)近くで発見された1万年前頃の個体(コリマ1号)、悪魔の門洞窟個体、シャマンカ(Shamanka)文化個体、ウスチベラヤ(UstBelaya)個体などLGM後の標本は、アメリカ大陸最初の人類と密接な類似性を示し、シベリアの極東地域経由での提案された移住経路と、ベーリング海峡(もしくは海面低下時のベーリング陸橋)を渡ってアメリカ大陸へと拡散したことが裏づけられます。以下は本論文の図6です。
後期更新世アジア東部人のアメリカ大陸最初の人類への寄与をさらに検証するため、現在の人口集団の遺伝的データに基づいて3万年前頃に出現したと推定されている、アジア東部人特有の多様体(EDAR遺伝子のV370A変異)の時空間的分布が調べられました。古代人標本のうち、この多様体の最初の存在はアジア東部北方のアムール川流域の19000年前頃の個体で確認され(関連記事)、後期更新世においてそれに続くのが、13900年前頃のUKY個体と、アムール川流域の14500年前頃および14100年前頃の個体です(図5E)。この多様体が確認されるアメリカ大陸最古の個体は、チリ沿岸部のロスリーレス遺跡の11900年前頃となる個体です。
その後、前期完新世(11600~5000年前頃)には、EDAR遺伝子のV370A多様体はアジア東部(85個体のうち76個体、89.41%)とアメリカ大陸(30個体のうち28個体、93.33%)の両方でひじょうに高い頻度に増加し(図5F)、後期完新世(図5G)と現代(図5H)でも高頻度が継続しました。したがって、EDAR遺伝子のV370A多様体の時空間的分布は、アメリカ大陸最初の人類の移住への後期更新世アジア東部人の明確な寄与を裏づけます。一貫して、後期完新世に出現したOCA2遺伝子の多型His615Argの多様体については、古代および現代のアメリカ大陸先住民のどちらでも、その存在が見られません(図5A~D)。
全ての先コロンブス期(500年以上前)アメリカ大陸先住民がf3分析に含まれた場合、MZRとの類似性の明らかな地理的偏りは観察されませんでしたが、北アメリカ大陸先住民は南アメリカ大陸先住民よりもわずかにMZRに近いものの、統計的に有意ではありません。これは、アメリカ大陸先住民の遺伝的均質性につながると提案されたボトルネック(瓶首効果)や、アメリカ大陸ではユーラシアとアフリカよりも人口移動と置換が低頻度であることと一致します(関連記事)。
●考察
アジア南東部には豊富な考古学・人類学的遺跡があり、その形態学的多様性は高く、その中には、中国南部では、広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhiren Cave)で発見された10万年前頃の歯(関連記事)、湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された10万年前頃の下顎前部と歯(関連記事)が、アジア南東部では、19万~5万年前頃となるインドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)遺骸(関連記事)、ルソン島の67000年前頃となるホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)遺骸(関連記事)が含まれます。なお、中国南部のこれら初期現生人類(Homo sapiens)とされる遺骸の年代については、議論になっています(関連記事)。
じっさい、刊行されたミトコンドリアゲノムのデータに基づくと、ユーラシア東部における後期更新世人類の母系多様性はじつに高く、そのmtHgは、45000年前頃のウスチイシム個体がN∗、34000年前頃のサルキート個体が別のN∗(関連記事)、田園個体が基底部B∗、31600年前頃のヤナRHSの2個体がU(関連記事)、24300年前頃のMA-1がU∗(関連記事)、11000年前頃のLLRがM27d、14000年前頃のMZRが基底部M9∗となり、その多くは更新世以後(11700年前頃以後)の進化史において失われました。さらに、MZRやLLRなどこれらの遺跡の人類化石は全て、豊富な身体の人類学的多様性を示し、そのうち一部は古代型人類の形態学的特徴と重複しており、この地域におけるヒト進化のさまざまなシナリオの提案の契機となりました。
本論文は、中国南西部の馬鹿洞の後期完新世となるMZRがAMHである説得力のある証拠を提供します。核ゲノムデータから、MZRはアジア東部における初期に多様化したAMH系統を表している、と示唆されます。MZRのmtHgは、アジア東部南方においてAMHの基底部母系の一つに分類されます。mtHgがM9系統と特定されたMZRは、前期新石器時代に黄河流域と長江流域に出現した、中国における雑穀農耕民と稲作農耕民の祖先である絶滅した先駆的狩猟採集民の一つを表しているかもしれません。さらに、中国南部とアジア南東部本土との間の古代の人口集団の階層化と下部構造が観察され、アジア東部南方における後期更新世人口集団のすでに多様化した遺伝的背景を示しています。
重要なことに、アジア東部現代人と比較して、MZRにおけるデニソワ人とネアンデルタール人の祖先系統の遺伝子移入は同水準と観察され、これはLLRにおける以前に報告された遺伝子移入の水準と一致します(関連記事)。したがって、これらの観察結果は、MZRの異常な形態の説明における、AMHと古代型人類との間の交雑との提案に反しています。しかし、報告されたMZRの核ゲノムは低網羅率のため、MZRが、その異常な形態学的特徴に寄与した重要なゲノム領域において、個々の古代型アレルを有していた可能性は除外できず、この可能性は高網羅率のデータが利用可能になった将来に検証できるでしょう。
MZRの形態学的データはじっさい、アジア東部南方の後期更新世におけるヒトの形態学的多様性の再構築に情報をもたらすことに要注意です。しかし、ヒト遺骸が限られており、形態学的特徴の数も限定的なため、研究対象の独自性を、確信を持って解明するのは困難でしょう。ゲノム配列データはこの目的のため、明確な種の特定、遺伝子移入の定量化、人口史の再構築にとって重要です。
人口集団の表現型変化と関連する変異の時空間的追跡は、自然選択がこれらの適応的事象をどのように形成してきたのか、という先史時代のパターンの再構築に役立つことができます。OCA2遺伝子のHis615Arg(rs1800414)多様体は、アジア東部人の明るい肌の色の原因となる重要な適応的変異で、初期新石器時代において中国南部沿岸で初めて出現しました(7500年前頃の福建省の亮島2号)。アジア東部における過去4000年のこの多様体の急速な拡散は、適応的アレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)の提案されたダーウィン的自然選択と一致し、高緯度地域における比較的低い紫外線放射への対処となる、肌の色が明るくなることにつながります。興味深いことに、OCA2遺伝子の多型615Argの急速な拡大は、後期完新世の中国における既知の大きな人口拡大と一致します。アジア東部における限定的な古代DNAデータのため、OCA2遺伝子の多型615Argの選択開始の推定時期は大まかな推定値であることに要注意です。将来、利用可能な古代DNAデータが増えるにつれて、より正確な年代推定と、アジア東部における適応的な遺伝的多様体の高解像度の時空間的追跡が期待されます。
MZRの14000年前頃の年代測定と一致して、LGM(26500~19000年前頃)末とベーリンジア(ベーリング陸橋)における最初の確実に年代測定された遺跡(15000~14000年前頃)に続いて、MZRは4万年前頃の田園個体や全てのLGM前の後期更新世シベリア人とよりも、アメリカ大陸最初の人類の方と高い類似性を有している、と論証されました。MZRとアムール川流域の19000年前頃の個体とUKY個体は、アメリカ大陸最初の人類に関してクレードを形成しますが、アムール川流域の14000年前頃の個体とUKY個体は、MZRと比較してアメリカ大陸先住民とより高い類似性を示します。したがって、MZRはアメリカ大陸最初の人類に寄与した祖先系統と深く間接的に関連しています。
後期更新世に、アジア東部南方に始まり中国沿岸部を通ってAMHの北方への急速な拡大があり、おそらくは日本列島を経由し、最終的にはベーリング海峡(もしくは寒冷期にはベーリング陸橋)を渡ってアメリカ大陸へと到達した、と推測されます。しかし、MZRが縄文時代個体群と比較してアメリカ大陸先住民とより高い類似性を示すというシナリオは、2600年前頃の縄文時代人口集団が、日本列島に移住した初期のLGM後のヒトを表していない、と反映している可能性があります。提案された日本列島を経由してのアジア東部沿岸の移住経路は、アメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(以下、CF遺跡)の16000年前頃となる旧石器時代遺跡の最近の発見により裏づけられ、CF遺跡では、クローヴィス(Clovis)旧先住民伝統の出現前の、樋状剥離のない有茎尖頭器技術の使用が見つかっています(関連記事)。とくに、それは日本列島の旧石器時代の尖頭器伝統と初期の文化的つながりを示しています。本州の両面尖頭器と背付き石刃技術は、アメリカ大陸と共有される生態学的および地理的要因に技術的相関をもたらします。
このシナリオは、アジア東部沿岸部とシベリアと北アメリカ大陸における古代のY染色体ハプログループ(YHg)の現時点での分布パターンによっても裏づけられます。4万年前頃のアジア東部南方に由来するYHg-Cを有する人々は、中国本土と朝鮮半島と日本列島の沿岸地域を北方へと拡大し、シベリアに15000年前頃に到達し、最終的にはアメリカ大陸に移住しました。さらに、他の全てのアジア東部人口集団とは異なり、日本列島北部とロシアのサハリン島(樺太)の先住民であるアイヌは、沿岸部シベリア人とよりも北東部シベリア人の方と密接な遺伝的類似性を示します。したがって、日本列島は提案された移住経路沿いの中間地として機能したかもしれず、日本列島の後期更新世ヒト遺骸の古代DNAデータは、提案された沿岸部経路の検証に多くの情報をもたらすでしょう。最後に、アジア東部人特有のEDAR遺伝子のV370A多様体の時空間的分布は、南アメリカ大陸のチリ沿岸部の12000年前頃となるロスリーレス遺跡個体におけるその初期の散在とともに、アメリカ大陸最初の人類への後期更新世アジア東部人の明確な寄与を裏づけます。
要約すると、この研究は、世界的な生物多様性のホットスポットと氷期の退避地域の一つとなる、中国南西部の後期更新世の女性であるMZRの古代のゲノム配列を生成しました。その古代DNAデータから、MZRは多様な遺伝的構成要素を有しており、初期の多様化した人口集団を表している、と確証され、アジア東部南方の後期更新世における以前に考えられていたよりも多様なAMH系統のシナリオが示唆されます。この研究は、初期人類の形態学的複雑さの遺伝学的説明の調査への道を開きます。MZRは、アメリカ大陸最初の人類へと寄与した祖先系統への深く間接的なつながりも示し、それはアジア東部からアメリカ大陸への最初の移住経路の再構築に役立つかもしれません。以下は本論文の要約図です。
MZRの提示された配列決定データは網羅率が比較的低く、人口集団間分析のために共有される情報をもたらすSNPの数が限られることにつながり、たとえばf3統計やD統計において偏りをもたらすかもしれないことに要注意です。したがって、アジア東部の後期更新世人類のより多くの古代DNA研究が、この地域のAMHの最初の移住の明確な全体像を描くために必要です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、非現生人類ホモ属か、非現生人類ホモ属と現生人類との混合の可能性が指摘されていたMZRについて、明確に出アフリカユーラシア東部現生人類の範囲内に収まることを確証した点で、意義深いと思います。断片的な形態学的特徴に基づいて種(あるいは分類群)を区分することがいかに困難なのか、改めて示されたように思います(関連記事)。また、更新世の中国南部の人類遺骸のゲノムデータを報告した点でも、たいへん意義深いと言えるでしょう。ただ、ユーラシア東部現生人類集団とアメリカ大陸先住民集団との関係も含めて、ユーラシア東部における人口史については、もっと更新世と前期~中期完新世の人類の古代ゲノムデータが得られないことには、はっきりしたことは言いにくいように思います。本論文からは、日本列島の縄文時代の人類集団についての示唆も得られましたが、現時点では、縄文時代の人類集団の遺伝的な形成過程と日本列島への到来時期について、不明な点が多い、と考えるべきなのでしょう。この問題の解明には古代DNA研究の進展が必要ですが、日本列島は更新世の人類遺骸がきわめて少ない地域なので、洞窟堆積物のDNA解析に期待しています。
参考文献:
Zhang X. et al.(2022): A Late Pleistocene human genome from Southwest China. Current Biology, 32, 14, 3095–3109.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.016
指摘を受けて福建省の前期新石器時代遺跡(Qihe)の漢字表記を斎河から奇和洞に訂正し、要約を新たに掲載しました。
中国南西部で発見された後期更新世人類のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。
●要約
アジア南東部は、アジア太平洋地域における現生人類の先史時代の定住と移住に関する拡散の中心地です。しかし、この地域における旧石器時代のヒトの定住パターンと人口構造は分かりにくいままで、古代DNAは直接的情報を提供できます。ここで我々は、中国南西部に位置する馬鹿洞(Maludong、Red Deer Cave)の14000年前頃の後期更新世人類(MZR)のゲノムを配列決定しました。MZRは以前には、現代と古代の人類の斑状の特徴を有すると報告されました。MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世のゲノムです。本論文の結果から、MZRはアジア東部における初期に多様化した系統を表す現生人類(Homo sapiens)である、と示唆されます。
MZRのmtDNAはM9ハプログループの絶滅した基底部系統に属しており、後期更新世のアジア東部南方における豊富な母系多様性を反映しています。本論文は刊行されたデータと組み合わせて、アジア東部および南東部の古代の南方人口集団における明確な遺伝的階層化と、後期更新世における南対北の相違を検出し、現在の人口集団への遺伝的連続性を示すMZRをアジア東部南方人として特定しました。注目すべきことに、MZRは最初のアメリカ人に寄与したアジア東部祖先系統と深く関連しています。
●研究史
遺伝学および考古学両方のデータは、解剖学的現代人(Homo sapiens)のアジア東部南方への65000~50000年前頃となる初期侵入を裏づけており(関連記事)、先史時代の南から北への移住は、アジア東部人口集団における遺伝的多様性の現在の勾配構造につながりました(関連記事)。発掘された遺跡によると、アジア東部南方(アジア南東部本土と現在の中国南部)におけるこれら最初の解剖学的現代人の移住者は、この地域で4000年前頃まで栄えた後のホアビン文化(Hòabìnhian)狩猟採集民の祖先でした。
これまで、中国南部における考古学的調査により、多くの後期更新世遺跡(50000~11000年前頃)が発掘されており、ホアビン文化の人々および剥片石器と関連する最古の放射性炭素年代(43500年前頃)は、現時点では中国南西部の雲南省に由来します。幸いなことに、後期更新世遺跡の一部には、30000~11500年前頃のヒト遺骸が含まれています。そのうち、雲南省の馬鹿洞(Malu Dong、Red Deer Cave)の14000年前頃となる蒙自人(Mengzi Ren、略してMZR)と、中国南部の広西壮族(チワン族)自治区の老毛桃洞(Laomaocao Dong)の10500年前頃となる(関連記事)隆林人(Longlin Ren、略してLLR)は、形態学的特徴に基づいて解剖学的現代人(AMH)と古代型人類の斑状の特徴を有する、と報告されました(関連記事1および関連記事2)。
雲南省は熱帯雨林のアジア南東部本土(MSEA)に隣接しており、古い固有性の生物地理的および種の多様性の高さにより特徴づけられます。雲南省には200ヶ所以上の化石を含む堆積性盆地があり、生物多様性の進化史とモンスーンの発達と地域的な標高変化が記録され、亜熱帯常緑広葉樹針葉樹混交林を含んでおり、中国において、最も植物の特有な中心地の一つであるとともに、民族的および言語学的に多様な地域の一つです。
東経103度24分、北緯23度20分に位置する馬鹿洞は、雲南省南東部に位置する部分的に採掘された洞窟充填物です。馬鹿洞は元々1989年に発掘され、主要な標本抽出は2008年に国際調査団により行なわれました。馬鹿洞では人類遺骸約30点が発掘され、その中にはほぼ完全な頭蓋冠(本論文で調べられたMLDG-1704標本)や近位大腿骨(MLDG-1678)が含まれます。これらの人類遺骸が同じ個体のものなのかどうか、不明です。
馬鹿洞の較正放射性炭素年代系列は、18070~17590年前から13415~13165年前の間隔にわたり、一連の堆積物で見つかった人類遺骸の年代は14650~13970年前から13750~13430年前です。この研究で用いられたMZR標本の正確な直接的年代測定も試みられましたが、残念ながら保存状態が悪く、標本の量が少なかったため、放射性炭素年代測定に充分なコラーゲンの断片が回収されませんでした。したがって、MZRの14000年前頃との年代は完全には確実ではありませんが、人類遺骸を含む堆積物の年代測定系列はかなり狭く、後期更新世(11700年前頃以前)の年代を裏づけます。
身体的な人類学的調査では上述のように、MZR遺骸はAMHと古代的な特徴の組み合わせを示している、と示唆されています。全体的に、MZRの独特な形態学的特徴を説明するために、3つのあり得るシナリオが提案されました。まず、MZRはアジアにおける最新(19万~5万年前頃)のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)よりもさらに新しい(関連記事)、後期まで生き残った古代型人類(非現生人類ホモ属)集団を表している、というものです。次に、MZRの斑状の形態は、おそらくAMHと未知の古代型人類種との間の交雑に起因する、というものです。最後に、MZRの異常な形態は、旧石器時代の解剖学的現代人の多型の保持を表している、というものです。これらの代替的なシナリオを調べるためには、人類遺骸から回収された古代ゲノム配列が、MZRの正体と、アジア東部南方における後期更新世人類の遺伝的多様性の解明に、重要な証拠として役立ちます。
●ミトコンドリアと核のゲノムの配列はMZRが後期更新世の解剖学的現代人だと確証します
MZRの頭蓋冠(MLDG-1704)を用いて(図1)、古代DNAの抽出とゲノム配列決定が実行されました。MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世ゲノムとなります(図1A)。南部の低緯度地域から古代DNAを得るのは、古代DNAの保存に適していない温暖湿潤気候で酸性土壌のため困難です。さらに、発掘されたMZR遺骸では、理想的な資料(錐体骨や歯など)が古代DNA研究では利用できず、この研究では古代DNAの抽出にMZRの頭蓋冠(MLDG-1704)が用いられました(図1B)。以下は本論文の図1です。
MZR遺骸の核ゲノムの網羅率は0.113倍です。1000人ゲノム計画(TGP)のアジアの現代人5集団とMZRで主成分分析(PCA)が実行され、一塩基多型(SNP)全て(2727839ヶ所)か、塩基転換のみ(876456ヶ所)が用いられました。両方のSNP一式に由来するPCA図では、同じクラスタ化(まとまり)パターンが観察されました。さらに、アジア東部現代人とMZRとの遺伝的類似性の同様の水準が、f3統計により検出されました。MZRは、Y染色体と常染色体のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)比から、女性と識別されました。
ミトコンドリアゲノムでは、平均125.05倍の配列決定深度が得られました。MZRのミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、M9の基底部に位置づけられます。mtHg-M9は現代人では2つの主要な枝で構成され(M9a’bとE)、MZRは1ヶ所の固有の変異(T16304C)を有する第三の主要な枝を表しており、現代の人口集団では消滅しています。mtHg-M9a’bは現在、アジア東部本土に分布しており、南方起源で、28000~18000年前頃に北方へ拡大しています。対照的に、mtHg-Eはおもにアジア南東部島嶼部(ISEA)とメラネシアのソロモン諸島に分布しており、オーストロネシア語族話者の新石器時代の拡大を反映しています(図2A)。したがって、MZRの今では消滅したmtHg-M9基底部系統の発見は、後期更新世におけるアジア東部南方の人口集団の豊かな母系多様性を示唆します。以下は本論文の図2です。
一貫して、核ゲノム配列もMZRをAMHとして裏づけます。アジア東部の現代人および古代人の標本を網羅するPCA図では、MZRは現代人の変異内に収まり、アジア東部南方人と密接です。MZRのアジア東部南方人との類似性は、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性(関連記事)が、アジア東部北方人と類似していることと対照的です(図2B)。
一貫して、TreeMix分析で示唆されるのは、主要なアジア東部古代人のDNA標本(40000~7000年前頃)のうち、MZRは前期新石器時代沿岸部アジア東部南方人(アジア東部南方EN)とクラスタ化し、これには11500年前頃の奇和洞3号(Qihe3)や7500年前頃の亮島2号(Liangdao2)や7400年前頃の包󠄁家山5号(Baojianshan5)や8700年前頃の独山4号(Dushan4)が含まれることと、それらの標本が南方クレード(単系統群)を形成し、前期新石器時代(EN)沿岸部アジア東部北方人(アジア東部北方EN)を網羅する北方クレードと明確に分離しており、北方クレードには9500年前頃の變變(Bianbian)個体や8200年前頃の淄博(Boshan)個体や8600年前頃の小高(Xiaogao)個体や8400年前頃の裕民(Yumin)個体や7600年前頃の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave)個体や19000年前頃のアムール川流域個体が含まれることです(図2C)。
したがって、MZRのゲノムは同様の年代のアジア東部南方人との類似性を示し、アジア東部の南方人と北方人との間のある程度の遺伝的分岐が後期更新世には存在していた可能性が高いものの、MZRからアジア東部北方ENへの低い遺伝子流動も検出された、と示唆されます(図2C)。この観察結果は、D検定(MZR、UKY;7000年以上前のユーラシア東部古代人、ムブティ人)の結果でも裏づけられ、アジア東部における勾配的な南方から北方への分岐が検出されます。UKYとは、バイカル湖の南側のウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡で発見された14000年前頃となる個体です。
MZRは、亮島2号などアジア東部南方古代人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有していますが、UKYはアジア東部北方人と比較的密接です(図3A)。さらに、アジア東部南方の全ての古代人標本(14000~7500年前頃)は、現代中国人と比較した場合、緯度と負の相関を示しますが、アジア東部北方の古代人(40000~7600年前頃)のほとんどは相関を示さず、2点の標本(裕民遺跡と悪魔の門洞窟遺跡)が緯度との正の相関を示します(図3B)。このパターンは、南北のアジア東部人の間におけるある程度の遺伝的分岐が後期更新世に存在した、という上述の見解と一致します。注目すべきことに、LLRと愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2600年前頃となる縄文時代個体のクラスタ化パターンは、以前の報告(関連記事)とはわずかに異なっており、これは恐らく、2点の標本の統合されたゲノムデータセットの高い欠落率(LLRは69.14%、伊川津個体は18.09%)に起因します。以下は本論文の図3です。
MZRがAMHであることを前提として、古代型人類からの遺伝子移入の水準を評価するために、アフリカのムブティ人を対照群(古代型人類からの遺伝子移入がないと仮定されます)として用いて、ADMIXTOOLS でf4比検定が実行されました。MZRにおける古代型人類からの推定される遺伝子移入水準は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が1.29%、ネアンデルタール人祖先系統が1.27%で、アジア東部現代人で報告されている遺伝子移入の水準(平均で1.20~2.90%)と類似しています。さらに、チンパンジーを外群として、D検定(アジア東部人、MZR;デニソワ人およびネアンデルタール人、チンパンジー)が実行され、MZRとアジア東部現代人との間の遺伝子移入比の違いが比較され、違いは検出されませんでした。一貫して、LLRも古代型人類からの同様の低い遺伝子移入水準のAMHとして報告されました(関連記事)。
したがって、これらの結果は、MZRとLLRについて、古代型人類の生き残りか、AMHと未知の古代型人類との間の交雑だとするシナリオのどちらも、誤りだと証明する傾向にあります。むしろ、「(現生人類としては)異常な」形態を有するこれら2点の標本のゲノムの特徴は、アジア東部南方の旧石器時代AMHの豊富な多様性を反映しているかもしれません。要注意なのは、MZRの配列されたゲノムの網羅率が低いので、MZRの形態学的特徴に寄与したかもしれない、ネアンデルタール人およびデニソワ人か、未知の古代型人類から遺伝子移入されたMZRのゲノムにおける古代型アレルの存在の可能性を完全には除外できない、ということです。
まとめると、mtDNAと核ゲノムの配列は両方、MZRがAMHだと論証します。MZRのmtDNAは消滅した基底部系統を表し、その核ゲノムは、深く分岐したアジアのAMH祖先系統を有しており、アジア東部南方における後期更新世の古代の人口集団の豊富な多様性を反映しています。
●MZRと他の古代人のゲノムデータに基づく後期更新世におけるアジア東部の人口史の推測
地理的に多様なヒト遺骸の古代DNAの解読は、人口史の理解に多くの情報をもたらします。ユーラシア西部における体系的なDNA精査(関連記事)と比較して、アジア東部における古代DNA研究はまだ限られています。後期更新世古代人のゲノムの報告は、これまで中国北部だけで(関連記事1および関連記事2)、MZRはアジア東部南方の最初の後期更新世のゲノムとなります。
現在の世界規模の人口集団のゲノムと刊行された古代人のゲノムの統合により、ADMIXTUREを用いて詳細なゲノム構造の分析が実行されました(図4A)。PCAおよびTreeMixの結果と一致して、MZRにおける主要な遺伝的構成要素はアジア東部南方人に属しており(図4Aの黄緑色)、11500年前頃となる福建省で発見された奇和洞3号(関連記事)も同様です。対照的に、19000年前頃となるアムール川流域個体と9500年前頃となる山東省で発見された變變個体はおもにアジア東部北方構成要素を有しており、後期更新世におけるアジア東部人の提案された南北の分岐を裏づけ、最近の報告(関連記事)とも一致します。注目すべきことに、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の全ての初期の旧シベリア人は、アメリカ大陸先住民の構成要素(赤色)をかなりの割合で含んでおり、アメリカ大陸への人類最初の移住の前哨地としてのシベリアを確証します(図4A)。以下は本論文の図4です。
次にf3分析が実行され、後期更新世人口集団の関係と、前期完新世および現在のアジア東部人口集団とのMZRの関係が明らかにされました。対での比較の実行のさいには少なくとも2万ヶ所のSNPが含まれ、アフリカの人口集団(ムブティ人)が外群として用いられました。上述の結果(図2B・Cおよび図4A)と一致して、f3検定(アジア東部現代人、MZR;ムブティ人)では、現代人の標本のうち、MZRは中国北部人よりも中国南部人の方に近く、一方で古代人標本のうち、この対比はさほど明らかではないものの、最高のf3値は依然として南部人口集団に見られる、と示唆されます(図4B)。とくに、MZRの地理的位置はアジア南東部に近いものの、MZRはアジア南東部の現代人および古代人両方との類似性は有意に少なく、アジア東部におけるすでに構造化され多様化した古代の人口集団を示唆しており、mtDNAのデータと一致します(図2A)。
アジア東部におけるAMHの最初の南方の移住に加えて、ユーラシア西部からの「北方経路」でのアジア東部への古代の移住(40000~18000年前頃)が以前に提案されました。「北方経路」仮説は、微妙な共有された古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統が、アメリカ大陸先住民とも共有されている祖先系統から来た場所も説明します。さらに、「北方経路」はアジア東部人の南北の分岐にも寄与したかもしれません。これは、考古学と遺伝学両方の証拠により裏づけられていますが(関連記事1および関連記事2)、アジア東部現代人への「北方経路」の寄与は、Y染色体データに基づくと比較的小さい(6.78%)と推定されています。「北方経路」の供給源を検証するために、対でのFstを用いて人口集団分岐水準が計算され、アジア中央部人とシベリア人が、アジア東部人、とくに中国北部のアルタイ諸語話者と比較して、最低のFst値を示す最良の候補と分かりました。この結果は、中国北部へのアジア中央部とシベリアの地理的近さを考えると予測され、報告された考古学的および遺伝学的証拠により推定された移住経路とも一致します。
最後に、時系列古代DNAデータを、適応的な配列多様体の出現と拡大パターンの追跡に用いることができます。刊行された古代DNAデータの活用により、アジア東部人特有の多様体の時空間的分布(OCA2遺伝子の多型His615Arg)が再構築されました。この多様体は、局所的なダーウィン的正の選択に起因して、肌の色を薄くします(図5の左側)。全ての後期更新世個体(MZRや田園個体やアムール川流域の33000年前頃と19000年前頃の個体やUKYなど)には、派生的アレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)が存在しない、と分かりました。適応的なアレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)の最初の存在は、中国南部沿岸(福建省)の7500年前頃となる亮島2号で確認され、すぐに中程度の頻度(113個体のうち29個体、25.67%)に達し、おもにアジア東部沿岸、次にアジア東部北方に3500年前頃に拡大して、アジア東部現代人では主流(60.00%)になりました(図5の左側)。このパターンから、アジア東部人における選択事象は後期完新世に起きた可能性が高く、その期間における提案された準指数関数的な人口増加と一致する、と示唆されます。しかし、別のアジア東部人特有の多様体(EDAR遺伝子のV370A変異)は異なるパターンを示します(図5の右側)。以下は本論文の図5です。
●アメリカ大陸へのAMHの複雑な移住史の追跡
外群f3検定(世界規模の後期更新世/前期完新世人口集団、MZR;ムブティ人)を適用して、世界規模の人口集団とのMZRの遺伝的類似性が決定されました。後期更新世標本(45000~11700年前頃)のうち、MZRは、アメリカ大陸最初の人類と密接に関連する旧シベリア人のUKY個体(13900年前頃)およびアメリカ大陸最初の人類と最も密接な類似性を示し、田園個体やアムール川流域個体群(33000年前頃や19000年前頃の個体)とさえ密接です。
D検定では、MZR/UKYとMZR/アムール川流域の19000年前頃の個体はアメリカ大陸最初の人類に関してクレードを形成するので、アメリカ大陸先住民へのアジア東部人の寄与はアジア東部人の南北の分岐前に由来する可能性が高い、とも示唆されます。さらに、D検定(MZR、検証集団X;アメリカ大陸最初の人類、ムブティ人)が実行され、アメリカ大陸最初の人類と、MZRやアジア東部沿岸部古代人や旧シベリア人との類似性が比較され(図6B)、アメリカ大陸最初の人類は全て、アジア南東部の後期ホアビン文化人口集団、日本列島の縄文時代人口集団(狩猟漁撈民)、LGM前の後期更新世個体群とよりも、MZRの方と高い類似性を示した、と観察されました。アメリカ大陸最初の人類には、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)、アメリカ合衆国ネバダ州の精霊洞窟(Spirit Cave)の11000年前頃の個体、チリの11900年前頃のロスリーレス(Los Rieles)個体、ブラジルの10400年前頃となるスミドウロ(Sumidouro)個体が含まれます。LGM前の後期更新世個体群には、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる男性個体、4万年前頃の田園個体、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃となる個体、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡の33000年前頃となる個体群、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の個体(MA-1)が含まれます。
したがって、亮島2号のような前期完新世アジア東部沿岸部人(図3A)やアジア東部北方EN(図2C)とのつながりにより、MZRは最初のアメリカ人に寄与したアジア東部祖先系統と深く間接的に関連しています。一貫して、シベリア極東地域の、アムール川流域の14100年前頃や6300年前頃の個体、コリマ川(Kolyma River)近くで発見された1万年前頃の個体(コリマ1号)、悪魔の門洞窟個体、シャマンカ(Shamanka)文化個体、ウスチベラヤ(UstBelaya)個体などLGM後の標本は、アメリカ大陸最初の人類と密接な類似性を示し、シベリアの極東地域経由での提案された移住経路と、ベーリング海峡(もしくは海面低下時のベーリング陸橋)を渡ってアメリカ大陸へと拡散したことが裏づけられます。以下は本論文の図6です。
後期更新世アジア東部人のアメリカ大陸最初の人類への寄与をさらに検証するため、現在の人口集団の遺伝的データに基づいて3万年前頃に出現したと推定されている、アジア東部人特有の多様体(EDAR遺伝子のV370A変異)の時空間的分布が調べられました。古代人標本のうち、この多様体の最初の存在はアジア東部北方のアムール川流域の19000年前頃の個体で確認され(関連記事)、後期更新世においてそれに続くのが、13900年前頃のUKY個体と、アムール川流域の14500年前頃および14100年前頃の個体です(図5E)。この多様体が確認されるアメリカ大陸最古の個体は、チリ沿岸部のロスリーレス遺跡の11900年前頃となる個体です。
その後、前期完新世(11600~5000年前頃)には、EDAR遺伝子のV370A多様体はアジア東部(85個体のうち76個体、89.41%)とアメリカ大陸(30個体のうち28個体、93.33%)の両方でひじょうに高い頻度に増加し(図5F)、後期完新世(図5G)と現代(図5H)でも高頻度が継続しました。したがって、EDAR遺伝子のV370A多様体の時空間的分布は、アメリカ大陸最初の人類の移住への後期更新世アジア東部人の明確な寄与を裏づけます。一貫して、後期完新世に出現したOCA2遺伝子の多型His615Argの多様体については、古代および現代のアメリカ大陸先住民のどちらでも、その存在が見られません(図5A~D)。
全ての先コロンブス期(500年以上前)アメリカ大陸先住民がf3分析に含まれた場合、MZRとの類似性の明らかな地理的偏りは観察されませんでしたが、北アメリカ大陸先住民は南アメリカ大陸先住民よりもわずかにMZRに近いものの、統計的に有意ではありません。これは、アメリカ大陸先住民の遺伝的均質性につながると提案されたボトルネック(瓶首効果)や、アメリカ大陸ではユーラシアとアフリカよりも人口移動と置換が低頻度であることと一致します(関連記事)。
●考察
アジア南東部には豊富な考古学・人類学的遺跡があり、その形態学的多様性は高く、その中には、中国南部では、広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhiren Cave)で発見された10万年前頃の歯(関連記事)、湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された10万年前頃の下顎前部と歯(関連記事)が、アジア南東部では、19万~5万年前頃となるインドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)遺骸(関連記事)、ルソン島の67000年前頃となるホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)遺骸(関連記事)が含まれます。なお、中国南部のこれら初期現生人類(Homo sapiens)とされる遺骸の年代については、議論になっています(関連記事)。
じっさい、刊行されたミトコンドリアゲノムのデータに基づくと、ユーラシア東部における後期更新世人類の母系多様性はじつに高く、そのmtHgは、45000年前頃のウスチイシム個体がN∗、34000年前頃のサルキート個体が別のN∗(関連記事)、田園個体が基底部B∗、31600年前頃のヤナRHSの2個体がU(関連記事)、24300年前頃のMA-1がU∗(関連記事)、11000年前頃のLLRがM27d、14000年前頃のMZRが基底部M9∗となり、その多くは更新世以後(11700年前頃以後)の進化史において失われました。さらに、MZRやLLRなどこれらの遺跡の人類化石は全て、豊富な身体の人類学的多様性を示し、そのうち一部は古代型人類の形態学的特徴と重複しており、この地域におけるヒト進化のさまざまなシナリオの提案の契機となりました。
本論文は、中国南西部の馬鹿洞の後期完新世となるMZRがAMHである説得力のある証拠を提供します。核ゲノムデータから、MZRはアジア東部における初期に多様化したAMH系統を表している、と示唆されます。MZRのmtHgは、アジア東部南方においてAMHの基底部母系の一つに分類されます。mtHgがM9系統と特定されたMZRは、前期新石器時代に黄河流域と長江流域に出現した、中国における雑穀農耕民と稲作農耕民の祖先である絶滅した先駆的狩猟採集民の一つを表しているかもしれません。さらに、中国南部とアジア南東部本土との間の古代の人口集団の階層化と下部構造が観察され、アジア東部南方における後期更新世人口集団のすでに多様化した遺伝的背景を示しています。
重要なことに、アジア東部現代人と比較して、MZRにおけるデニソワ人とネアンデルタール人の祖先系統の遺伝子移入は同水準と観察され、これはLLRにおける以前に報告された遺伝子移入の水準と一致します(関連記事)。したがって、これらの観察結果は、MZRの異常な形態の説明における、AMHと古代型人類との間の交雑との提案に反しています。しかし、報告されたMZRの核ゲノムは低網羅率のため、MZRが、その異常な形態学的特徴に寄与した重要なゲノム領域において、個々の古代型アレルを有していた可能性は除外できず、この可能性は高網羅率のデータが利用可能になった将来に検証できるでしょう。
MZRの形態学的データはじっさい、アジア東部南方の後期更新世におけるヒトの形態学的多様性の再構築に情報をもたらすことに要注意です。しかし、ヒト遺骸が限られており、形態学的特徴の数も限定的なため、研究対象の独自性を、確信を持って解明するのは困難でしょう。ゲノム配列データはこの目的のため、明確な種の特定、遺伝子移入の定量化、人口史の再構築にとって重要です。
人口集団の表現型変化と関連する変異の時空間的追跡は、自然選択がこれらの適応的事象をどのように形成してきたのか、という先史時代のパターンの再構築に役立つことができます。OCA2遺伝子のHis615Arg(rs1800414)多様体は、アジア東部人の明るい肌の色の原因となる重要な適応的変異で、初期新石器時代において中国南部沿岸で初めて出現しました(7500年前頃の福建省の亮島2号)。アジア東部における過去4000年のこの多様体の急速な拡散は、適応的アレル(OCA2遺伝子の多型615Arg)の提案されたダーウィン的自然選択と一致し、高緯度地域における比較的低い紫外線放射への対処となる、肌の色が明るくなることにつながります。興味深いことに、OCA2遺伝子の多型615Argの急速な拡大は、後期完新世の中国における既知の大きな人口拡大と一致します。アジア東部における限定的な古代DNAデータのため、OCA2遺伝子の多型615Argの選択開始の推定時期は大まかな推定値であることに要注意です。将来、利用可能な古代DNAデータが増えるにつれて、より正確な年代推定と、アジア東部における適応的な遺伝的多様体の高解像度の時空間的追跡が期待されます。
MZRの14000年前頃の年代測定と一致して、LGM(26500~19000年前頃)末とベーリンジア(ベーリング陸橋)における最初の確実に年代測定された遺跡(15000~14000年前頃)に続いて、MZRは4万年前頃の田園個体や全てのLGM前の後期更新世シベリア人とよりも、アメリカ大陸最初の人類の方と高い類似性を有している、と論証されました。MZRとアムール川流域の19000年前頃の個体とUKY個体は、アメリカ大陸最初の人類に関してクレードを形成しますが、アムール川流域の14000年前頃の個体とUKY個体は、MZRと比較してアメリカ大陸先住民とより高い類似性を示します。したがって、MZRはアメリカ大陸最初の人類に寄与した祖先系統と深く間接的に関連しています。
後期更新世に、アジア東部南方に始まり中国沿岸部を通ってAMHの北方への急速な拡大があり、おそらくは日本列島を経由し、最終的にはベーリング海峡(もしくは寒冷期にはベーリング陸橋)を渡ってアメリカ大陸へと到達した、と推測されます。しかし、MZRが縄文時代個体群と比較してアメリカ大陸先住民とより高い類似性を示すというシナリオは、2600年前頃の縄文時代人口集団が、日本列島に移住した初期のLGM後のヒトを表していない、と反映している可能性があります。提案された日本列島を経由してのアジア東部沿岸の移住経路は、アメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(以下、CF遺跡)の16000年前頃となる旧石器時代遺跡の最近の発見により裏づけられ、CF遺跡では、クローヴィス(Clovis)旧先住民伝統の出現前の、樋状剥離のない有茎尖頭器技術の使用が見つかっています(関連記事)。とくに、それは日本列島の旧石器時代の尖頭器伝統と初期の文化的つながりを示しています。本州の両面尖頭器と背付き石刃技術は、アメリカ大陸と共有される生態学的および地理的要因に技術的相関をもたらします。
このシナリオは、アジア東部沿岸部とシベリアと北アメリカ大陸における古代のY染色体ハプログループ(YHg)の現時点での分布パターンによっても裏づけられます。4万年前頃のアジア東部南方に由来するYHg-Cを有する人々は、中国本土と朝鮮半島と日本列島の沿岸地域を北方へと拡大し、シベリアに15000年前頃に到達し、最終的にはアメリカ大陸に移住しました。さらに、他の全てのアジア東部人口集団とは異なり、日本列島北部とロシアのサハリン島(樺太)の先住民であるアイヌは、沿岸部シベリア人とよりも北東部シベリア人の方と密接な遺伝的類似性を示します。したがって、日本列島は提案された移住経路沿いの中間地として機能したかもしれず、日本列島の後期更新世ヒト遺骸の古代DNAデータは、提案された沿岸部経路の検証に多くの情報をもたらすでしょう。最後に、アジア東部人特有のEDAR遺伝子のV370A多様体の時空間的分布は、南アメリカ大陸のチリ沿岸部の12000年前頃となるロスリーレス遺跡個体におけるその初期の散在とともに、アメリカ大陸最初の人類への後期更新世アジア東部人の明確な寄与を裏づけます。
要約すると、この研究は、世界的な生物多様性のホットスポットと氷期の退避地域の一つとなる、中国南西部の後期更新世の女性であるMZRの古代のゲノム配列を生成しました。その古代DNAデータから、MZRは多様な遺伝的構成要素を有しており、初期の多様化した人口集団を表している、と確証され、アジア東部南方の後期更新世における以前に考えられていたよりも多様なAMH系統のシナリオが示唆されます。この研究は、初期人類の形態学的複雑さの遺伝学的説明の調査への道を開きます。MZRは、アメリカ大陸最初の人類へと寄与した祖先系統への深く間接的なつながりも示し、それはアジア東部からアメリカ大陸への最初の移住経路の再構築に役立つかもしれません。以下は本論文の要約図です。
MZRの提示された配列決定データは網羅率が比較的低く、人口集団間分析のために共有される情報をもたらすSNPの数が限られることにつながり、たとえばf3統計やD統計において偏りをもたらすかもしれないことに要注意です。したがって、アジア東部の後期更新世人類のより多くの古代DNA研究が、この地域のAMHの最初の移住の明確な全体像を描くために必要です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、非現生人類ホモ属か、非現生人類ホモ属と現生人類との混合の可能性が指摘されていたMZRについて、明確に出アフリカユーラシア東部現生人類の範囲内に収まることを確証した点で、意義深いと思います。断片的な形態学的特徴に基づいて種(あるいは分類群)を区分することがいかに困難なのか、改めて示されたように思います(関連記事)。また、更新世の中国南部の人類遺骸のゲノムデータを報告した点でも、たいへん意義深いと言えるでしょう。ただ、ユーラシア東部現生人類集団とアメリカ大陸先住民集団との関係も含めて、ユーラシア東部における人口史については、もっと更新世と前期~中期完新世の人類の古代ゲノムデータが得られないことには、はっきりしたことは言いにくいように思います。本論文からは、日本列島の縄文時代の人類集団についての示唆も得られましたが、現時点では、縄文時代の人類集団の遺伝的な形成過程と日本列島への到来時期について、不明な点が多い、と考えるべきなのでしょう。この問題の解明には古代DNA研究の進展が必要ですが、日本列島は更新世の人類遺骸がきわめて少ない地域なので、洞窟堆積物のDNA解析に期待しています。
参考文献:
Zhang X. et al.(2022): A Late Pleistocene human genome from Southwest China. Current Biology, 32, 14, 3095–3109.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.016
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