アフリカ北部の中期石器時代のホモ属の下顎

 アフリカ北部の中期石器時代のホモ属の下顎に関する研究(Bergmann et al., 2022)が公表されました。鮮新世~更新世のほとんどの期間、アフリカは人類進化の中核的大陸でした。遺伝学的および化石証拠から、現代人全員の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はアフリカにたどることができる、と示唆されているものの(関連記事1および関連記事2)、その人口動態についてはほとんど知られていません。旧北区とエチオピア区の生物地理区間の変化する境界面に位置するアフリカ大陸北部は、現生人類(Homo sapiens)の拡大に重要な役割を果たし、中期更新世人類間の遭遇にとって戦略的地域を表しています。

 ザンビアのカブウェ(Kabwe)遺跡(関連記事)やモロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)遺跡(関連記事)の化石の年代は30万年前頃と見直され、エチオピアのボド(Bodo)やカブウェや南アフリカ共和国のホープフィールド(Hopefield)といった、ホモ・ローデシエンシス(Homo rhodesiensis)もしくは広義のホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)と分類されてきたアフリカの大きな脳の中期更新世ホモ属標本の1集団から現代人の系統の直接的子孫が生じたのか、疑問視されるようになりました。ジェベル・イルード化石の証拠で、アフリカ北部のティゲニフ(Tighenif)もしくはトーマス採石場の前期更新世後期・中期更新世人類は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の祖先形態の候補の可能性が出てきました。しかし、化石記録が疎らであることと、複雑な環境動態を考えて、アフリカ内の地域的連続性は激しく議論されています(関連記事)。

 本論文の目的は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6~4となるモロッコのホモ属下顎の最初の詳細な形態計測分析で、ジェベル・イルードとイベロモーラシアンのヒト遺骸の間の「間隙を埋める」ことです(図1)。下顎遺骸は系統発生的兆候を有しており、古人類学的文脈では多数あるので、これらの標本は最後の出アフリカ拡散時の人々への洞察を与えます。研究対象の標本のうち3点は「アテリアン(Aterian)」と関連しており、これはマグレブの中期石器時代(MSA)石器インダストリーの類型論的変種で、145000~30000年前頃にナイル川流域の西側の考古学的記録で優占します。

 アテリアン物質文化は早くも142000年前頃に、穿孔されてオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)で装飾されたムシロガイ属の貝殻、炉床、石壁の構造、定格の骨器(関連記事)といった形で、現代的行動の出現を記録しています。以下、アテリアン個体群と呼ばれる3個体は、相互に近接したマグレブ沿岸の洞窟遺跡から回収されました。つまり、コントルバンディエ洞窟(Grotte des Contrebandiers)とダル・エス・ソルターネ2(Dar-es-Soltane II)とエル・ハーフラ1(El Harhoura 1)です。同様に後期MSA起源の、ケビバット(Kébibat)の化石下顎は、考古学的情報が欠けているので、集団に分類せず参照されます。以下は本論文の図1です。
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 アフリカ南部の初期現生人類はかなり大きな差異を示しますが、ジェベル・イルードとアテリアンのヒト遺骸はアフリカ北部の前期更新世後期・中期更新世人類と、頑丈な頭蓋顔面・下顎形態を、とくに少数の古代型の特徴で共有しています。ジェベル・イルードとコントルバンディエとダル・エス・ソルターネ2の5点の頭蓋におけるよく定義された上部構造の広い脳頭蓋と顔面は、先行集団(ティゲニフとケビバット)と後続集団(イベロモーラシアン)との間の中間として報告されました。

 ティゲニフやトーマス採石場やシディ・アブダールハマン(Sidi Abderrhaman)やケビバットやジェベル・イルードやコントルバンディエの関連する下顎について漸進的進化の動揺のパターンが報告されていますが、地質学的なずっと新しいものの(14万年前頃)、より古代型の形態のケビバット遺骸とは対照的な、ジェベル・イルードのヒト遺骸における現代的な顔面および多い脳容量と、より古い(40万年前頃)モロッコのサレ(Salé)遺跡のホモ属のより小さい頭蓋容量の存在により異議が唱えられています。すでに示唆されたように、巨大なイベロモーラシアン頭蓋は同じ地域のアテリアンおよびジェベル・イルード頭蓋と比較されたこともあります。しかし、中期石器時代から後期石器時代への移行期における明らかな考古学的間隙は、アテリアンとイベロモーラシアンとの間の人口集団の連続性を未解決にします。


●モロッコの後期MSA遺跡の地質学的背景と関連する化石の説明

 1933年、モロッコのラバト(Rabat)郊外のケビバットで、道路工事用の丸石の山から下顎化石が発見されました。この思春期(15~16歳)個体は沿岸のミフスド・ギウダイス(Mifsud-Giudice)採石場に由来すると推測され、この採石場の化石は23点の頭蓋断片と不完全な左上顎から構成され、爆発によりひどく損傷し、関連する考古学的資料はありませんでした。このいわゆる「ラバト人」の地質学的起源は、石灰砂岩の口蓋とその大臼歯の痕跡を介して追跡できます。層序2の関連する堆積物ユニット2の年代は、赤外光ルミネッセンス法(Infrared Stimulated Luminescence、略してIRSL)により137000±7000年前と推定され、その下の海洋性貝殻層の以前の年代測定の試みと一致します。ケビバットのヒト遺骸(図1)は、古代と現代の混合を特徴とする人口集団に分類され、当時のヒト形態の斑状の特徴と一致します。

 1955~1957年に密輸業者の洞窟(Grotte des Contrebandiers)で何度か試掘が行なわれた後で、ヒトの下顎(以下、コントルバンディエ1号)が第9層で発見され、光刺激ルミネッセンス法(OSL)では111000~92000年前と推定されました。第9層は最近の発掘の中央領域の第4層下部と対応しており、1975年の発掘終了直前に別のヒトの頭蓋冠が露出しました。発掘は2018年に再開されました。不完全な下顎体1点と下顎枝3点から構成されるコントルバンディエ1号の骨と歯はひじょうに頑丈なので、当初はアシューリアン(Acheulian)堆積物に由来する、と考えられました。したがって、第四小臼歯/第一大臼歯の下に位置する頤孔とともに、下横方向の円環体と下顎突出と垂直癒合を示します。対照的に、前後に減少する下顎体の高さは現生人類的特徴を表しています。

 ラバトの近くのダル・エス・ソルターネ2洞窟で1975年に、顔面の左半分の部分的な頭蓋(H5)と思春期の下顎体(H4)と幼児の頭蓋冠(H3)が発掘されました。これらの標本は考古学的痕跡のない海洋性の砂堆積物に由来し、その直上はアテリアンMSA層で覆われています。OSLに基づいて、ユニット7の年代はおそらく10万年以上前と提案されました。加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)放射性炭素年代測定により較正されたツタノハガイ科の貝殻のアミノ酸ラセミ化は、85000~75000年前頃の上限値を示します。

 個体H5の形態は、ジェベル・イルード個体とイベロモーラシアン個体群との間の中間として解釈されており、並外れた幅の寸法と顕著な眉上隆起と強い頑丈性を示します。いくつかの顔の構造は、ネアンデルタール人的としてさえ説明されました。しかし、関連する左側下顎(以下、ダル・エス・ソルターネ2・5号)は、大臼歯後方の空隙が欠けており、その大きな頤孔は第四小臼歯の下にあります(図1)。ダル・エス・ソルターネ2・5号は成人個体に分類され、研究された最大の標本の一つです。その下顎枝は広く、中間の翼状小結節を示す内側の顎角点領域が拡大していますが、顕著な咬筋窩も見られます。保存されていない劣化した癒合にも関わらず、湾曲した顎特性が識別できます。

 ゾウフラー(Zouhrah)洞窟(エル・ハーフラ1)の第二の考古学的層位では、大きく頑丈な下顎体(図1)と巨大で遊離した犬歯が1977~1978年の回収発掘中に発見されました。下の第1層にある焼けた砂岩構造の年代は、熱ルミネッセンス(TL)法により32150±4800年前と測定されました。第1層もしくは第2層の25580±130年前(非較正)というリンゴマイマイ属の貝殻の比較的新しい放射性炭素年代は、これら腹足類による二次定着の結果と疑われてきました。第2層を覆う二次生成物の未刊行のウラン・トリウム年代はむしろ、エル・ハーフラ下顎の下限年代が66000年前頃と示唆しています。そうした比較的最近の年代とヒトの頤の存在(下顎突出)にも関わらず、この化石は均一な下顎体の高さと下顎突出とU字型の歯列弓と下側横方向の円環体を示します。


●現在の研究におけるアフリカ北部の後期前期更新世・中期更新世遺跡の情報

 1969~2008年に、カサブランカの近くのトーマス1および3(図2の2)では、頭蓋顔面と歯の人類化石が発見され、アシューリアン石器群および豊富な動物相と関連していました。トーマス1では、同名の左下顎体断片と完全な顎(以下、トーマスGh10717)と学童期(6~7歳から12~13歳頃)の右側下顎体断片が発見されました。地質年代学と生物層序学と歯のエナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)年代測定は、70万~60万年前頃となる中期更新世初期を示します。以下は本論文の図2です。
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 地質学的および小型哺乳類の証拠は、開地環境の季節的な湖により特徴づけられる短い遺跡形成過程を示唆します。生物層序学および古磁気学は当初、この遺跡を70万年前頃となる中期更新世初期に位置づけ、その石器群は下部旧石器時代後期のアシューリアンに分類されました。生物層序学の修正後、100万年前頃となるハラミヨ(Jaramillo)事象内の前期更新世後期の年代と提案されました。ハラミヨ正磁極亜期は106万~90万年前頃となります。これは、動物相との関連の再評価により確証されたようです。データ分析のため、ティゲニフ化石はアフリカの中期更新世と分類されます。


●目的と作業仮説

 初期現生人類下顎の全てが最近の現生人類の形態学的範囲に収まるわけではなく、診断的な現生人類の特徴の出現は付加パターンに従う可能性が高そうです。現代的な下顎形態が経時的な現代的特徴のそうした頻度変化によって現れたならば、モロッコの全ての4点の後期MSA下顎における古代的特徴と現代的特徴との間の混合が予測されます(図1)。アテリアン遺骸はジェベル・イルードの最初の既知の現生人類よりも古代的ではないと説明されていますが、イベロモーラシアン個体群もしくはヨーロッパ上部旧石器時代集団ほど現代的ではありません。この点で、アテリアン下顎の形態と大きさは、初期と後期の現生人類間に現時点で存在するヒト化石記録の間隙を埋めるかもしれません。孤立したケビバット人類は、アフリカの古代的人口集団と現代的人口集団との間の形態学的つながりとして分類されてきました。最初の現生人類の出現からずっと後になるこの非現代的標本の存在は、現生人類に向かっての非直線的進化を反映しており、特定の形質の頻度の急速な変化を示唆しているかもしれません。

 ジェベル・イルードとアテリアンのヒトとは別に、マグレブは前期更新世後期・中期更新世の人類化石を提供しましたが(図2)、地中海東部域と南方のサハラ地帯の生物学的交流も同様に記録されています。頭蓋顔面の研究は、現生人類に向かっての漸進的進化に疑問を呈していますが、この地域の中期更新世と後期更新世の人口集団間の顕著な類似性を明らかにしています。アフリカ北部人口集団の進化と、中期および後期更新世における近隣地域からの影響の可能性を突き止めるために、ケビバットとコントルバンディエ1とダル・エス・ソルターネ2・H5とエル・ハーフラにおける下顎の差異が、前期更新世後期・中期更新世人類やネアンデルタール人や後期現生人類とともに定量化されます。

 三次元幾何学形態測定を用いて、更新世の形態空間で主成分分析(PCA)が実行され、絶対的な下顎寸法の違いとともに集団平均形態が視覚化されました。この手法の強みは、大きさとは別に下顎形態を見通すことで、異なる期間にわたる形態の連続性を突き止めることができます。別々の下顎形質の補足的記録は、個体間の違いへの洞察を提供します。


●分析結果と考察

 完全な下顎データセットでは、主成分(PC)1軸は全差異の29.7%を占め、集団間のかなりの重複を明らかにします。PC2軸沿いでは全差異の18.9%が占められ、古代的集団(前期更新世後期・中期更新世人類とネアンデルタール人)はほとんどの現生人類とよく分離しますが、初期現生人類と古代のサハラ砂漠以南の標本は両クラスタ(まとまり)と重複します(図3a)。ティゲニフ下顎はネアンデルタール人と異なります。ヨーロッパの中期更新世個体群とネアンデルタール人はPC2軸の負の端に向かって位置しますが、完新世現生人類とイベロモーラシアン個体群は正の極に向かって図示されます。ナトゥーフィアン(Natufian)と上部旧石器時代の標本群は中間的な得点を示しますが、前2者集団(完新世現生人類とイベロモーラシアン個体群)とかなり交差します。下顎体データセットでは、古代的集団はPC1軸に沿って現生人類から最もよく分離され(図3b)、全差異の34.1%を占めます。繰り返すと、初期現生人類と古代のサハラ砂漠以南の標本は中間に位置します。以下は本論文の図3です。
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 集団平均形態の三次元視覚化(図4)は、アフリカの中期更新世人類からその後の現生人類までの形態学的連続性を明らかにする、初期現生人類の中間的位置を裏づけます。ジェベル・イルード11号を除いて、初期現生人類は歯列弓の長さと顎角点と下顎枝の幅と冠顎骨の大きさの縮小を示し、咀嚼器官華奢化の開始は中期更新世と後期更新世の移行期にさかのぼります。以下は本論文の図4です。
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 この過程は完新世へと続き、完新世の人々は平均して最小の下顎を特徴としており、それにナトゥーフィアンとサハラ砂漠以南の古代人と上部旧石器時代集団が続きます。イベロモーラシアン個体群は明らかに同時代人より大きく、アテリアン個体群や初期現生人類と類似の大きさの範囲を網羅しています。全標本のうち、アフリカの中期更新世下顎は平均して最大の寸法を示します。以下は本論文の図5です。
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 マグレブの前期更新世後期・中期更新世下顎(ティゲニフとトーマス採石場)の最も近い隣人のプロクルステス(ギリシア神話の巨人)は、イベロモーラシアン個体群および同じ地域の最近のヒトとの形態類似性を明らかにします。マグレブの前期更新世後期・中期更新世下顎は、ジェベル・イルード11号とトーマスGh10717との間と同様に、ティゲニフ2号とジェベル・イルード11号とダル・エス・ソルターネ2・H5との間の関連性も明らかにしており、三次元重畳により視覚化されます(図6および図7)。以下は本論文の図6です。
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 これらの結果はマグレブにおける形態学的連続性を示唆しており、前期更新世後期・中期更新世個体群(ティゲニフとトーマス採石場とケビバット)がジェベル・イルード11号およびアテリアン個体群と共有する、多くの古代的特徴により実証されます。ダル・エス・ソルターネ2・H5に最も近い巨人(プロクルステス)の隣人の1/3はネアンデルタール人で、PCA結果を反映しています。これら一連の証拠によると、ダル・エス・ソルターネ2・H5は下顎形態においてイベロモーラシアン個体群とよりもネアンデルタール人の方と類似しています。最も近い隣人の巨人(プロクルステス)と、エル・ハーフラ対モロッコのタフォラルト(Taforalt)18号の三次元重畳(図7)は、アテリアン個体群とイベロモーラシアン個体群の頭蓋間の形態学的つながりを部分的に裏づけます。イベロモーラシアン個体群の下顎は、準同時代のサハラ砂漠以南の標本群、つまりコンゴのイシャンゴ(Ishango)やスーダンのジェベルサハバ(Jebel Sahaba)やザンビアのムンブワ3(Mumbwa 3)やタンザニアの(Olduvai 1)やニジェールのゴベロ(Gobero)やマリのアッセラー(Asselar)やカメルーンのシュムラカ(Shum Laka)とは異なっています(図3a)。以下は本論文の図7です。
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 ケビバット標本は最近、アフリカ北部の古代と現代の人口集団間の系統発生的つながりとして分類されており、頭蓋で現生人類の診断的特徴を示しますが、下顎では現生人類的特徴が欠けています。ケビバット標本の提案された強い頑丈性、その前後に均一な下顎体の高さ、垂直方向の対称性、頤の欠如も特定されました。以前の研究では、ケビバット標本が、モロッコのシディ・アブダーラフマン(Sidi Abderrahman)のずっと古い下顎断片(60万年前頃)、およびより新しいコントルバンディエ1下顎と共有するかなりの数の古代的特徴が明らかにされており、本論文のデータにより裏づけられます。

 本論文のPCA(図3b)では、「ラバトのケビバット人」が、その頭蓋形態により以前に示唆された、アフリカにおける古代的人口集団から現代的人口集団への複雑な移行に加わる、との見解が実証されます。下顎の多くの診断部位が欠落しており(下顎後臼歯領域や顎角点や下顎切痕)、他は損傷しているので(癒合と歯列弓)、ケビバット標本を初期現生人類と古代的な中期更新世形態のどちらかに確証的には分類できませんでした。古代的形質と現代的形質との間の混合はアテリアン標本を通じて持続し、現生人類系統の斑状の進化と一致します。同時に、現代的形質の頻度には識別可能な変化があり、個体間の違いとして視覚化され(図3)、経時的な現代的形質の増加に起因する可能性が高そうです。

 この漸進的増加は、より早期の個体群が有する現代的特徴、より最近の標本が有する古代的特徴、準同時代標本間の特徴のさまざまな混合とともに、経時的に非直線的に発達します。たとえば、それらと古代的特徴の存在との間の時間的距離が長いにも関わらず、ジェベル・イルード11号とダル・エス・ソルターネ2・H5は下顎体における強い前後の高さの減少を示します(図1および図7)。対照的に、エル・ハーフラ1のより新しいと年代測定された化石は完全にこの明確な現代的特徴を欠いており、劣った横方向の円環体すら示し、同時に完全な頤を有しています。そうした混合形態は、アテリアン個体群がレヴァントやアフリカ北部および東部の初期現生人類と共有する歯の形態のパパターンにより裏づけられます。とくに、歯の質量付加形質と巨大な歯根寸法の発達で現れる巨歯症は古代的人類を想起させますが、歯の組織の割合と歯根形態はすでに現生人類の変異内に収まります。

 地域的観点から、下顎形態の類似性(図6および図7)と個別の特徴は、ティゲニフとトーマス採石場とケビバットの人類がジェベル・イルードやアテリアンやイベロモーラシアンや最近のアフリカ北部のヒトと同じ進化系統の一部だったことを示唆します。アテリアン下顎の絶対的大きさは、初期現生人類とイベロモーラシアン個体群の範囲内です(図5)。その場での人口集団連続の証拠はありませんが、アテリアン個体群の形態は、ジェベル・イルード11号とイベロモーラシアン個体群との間のヒト化石記録の間隙に合致し、アフリカ北部における地域的連続性の以前の想定(関連記事)よりも大きな深い時間を示唆しています。

 中期石器時代から後期石器時代への移行における考古学的中断は、人口統計学的ボトルネック(瓶首効果)の結果であり、イベロモーラシアン個体群によるアテリアン個体群の人口集団置換の結果ではないかもしれません。しかし、以前の研究で提案されたイベロモーラシアン個体群とダル・エス・ソルターネ2・H5の形態学的つながりは、この集団が下顎形態でのみ遠い関係にあるので、曖昧なままです(図3)。これは、ダル・エス・ソルターネ2・H5の顔面分析と一致しますが、同じ標本の大きなサイズにより不明瞭になるかもしれない、との主張にも本論文は同意します。

 ヒトの下顎に関する以前の非比例的研究では、成人の形態差異のいくつかの側面は個体の下顎の大きさと相関する、と明らかになりました。この文脈では、初期現生人類におけるほとんどのネアンデルタール人的形態は、その大きなサイズに起因するかもしれません。興味深いことに、本論文におけるアテリアンの2点の大きな標本は類似の特徴、つまり下顎突出のU字型歯列弓(エル・ハーフラ)と、大きな顎角点のある広い下顎枝と、広い双顆状を有しています。アテリアン個体群は年代的に後のヒト集団よりも初期現生人類の方と近いので、同様の非比例的制約が想定されます。初期現生人類における下顎の大きさ(10.2%)と、集められた標本(4.6%)により説明される形態分散の量は似ています。ダル・エス・ソルターネ2・H5における双顆状距離は、ネアンデルタール人や中期更新世人類の平均を超過してさえいます。頭蓋と顔面の形態は、大きさの点でネアンデルタール人的形態も示すジェベル・イルード標本と近くなっています。同様に、下顎突出およびU字型のエル・ハーフラ下顎体は、例外的大きさと相関しています(図5)。

 原則として、アテリアン標本を通じての現生人類の診断的特徴(前後に減少する下顎体の高さや初期の頤)により、単一の進化系統内に分類できます。アテリアン標本は初期と後期の現生人類間の世界的なヒト化石記録の時間的間隙を埋め、その不均一な下顎形態は現代的形態の出現の付加パターンを示します。地域的連続性は別として、アテリアンと古代アフリカ北部の個体群はナトゥーフィアンやサハラ砂漠以南や上部旧石器時代の人々と類似しており、アフリカ北部と隣接地域との間の交流の可能性の性質についていくぶん光を当てています。

 この調査結果は遺伝学的に、こイベロモーラシアン個体群のナトゥーフィアンとヨーロッパ南部と(より小さな規模で)サハラ砂漠以南のアフリカの個体群(関連記事)との密接な関連性と一致します。そのために、地中海と近東経由での後期氷期のアフリカへの「逆移住」(関連記事)は、説明的なシナリオを提供します。そうした人口移動は、氷期の海水準低下か、サハラやシナイやネゲヴやネフドといった砂漠における緑の回廊の出現期間に依存していました。砂漠における緑の回廊の出現は、アフリカ北部とサヘル地帯との間のヒトの交流を可能とし、アフリカの湿潤期(中期完新世までの後期石器時代)のほとんどの発見における、例外的な骨格差異および/もしくは遺伝子流動の痕跡を説明します。本論文の標本のうち、とくにエル・ハーフラ下顎は、ジェベルサハバの一連の標本とかなり一致します。


●まとめ

 アフリカの人口動態は、地中海地帯と熱帯地帯との間の変化する生態学的境界により決定されました。乾燥減少の緑の窓の期間には、アフリカ北部とレヴァントとアラビア半島を通る移住回廊により人類拡散の波が起き、湿潤段階が終わると最終的には人口集団の収縮が続きました。サハラはこの移行帯の主要な一部を形成し、近東とだけではなく、サハラ砂漠以南のアフリカとも定期的に双方向の遭遇が伴いました。この文脈では、アフリカ北部は中期~後期更新世における人類集団の地域を越えた活動の理解に独特な位置を占めています。

 本論文のデータは、好適な気候条件期に限定的だっただろう、アフリカ北部と近東とヨーロッパとサハラ砂漠以南のアフリカとの間の散発的なヒトの交流を実証します。それにも関わらず、マグレブのMSAの化石下顎(ケビバットやジェベル・イルード11号やアテリアン標本)は、マグレブの前後の期間の人口集団との形態と個別の特徴における顕著な類似性を示し、アフリカ北部における人類の長期の連続性を示唆します。この主張では、ケビバットとアテリアンの標本は、年代だけではなく、ジェベル・イルードの現時点で最初の既知の現生人類と後の現生人類との間の、かなり興味深い形態の間隙も埋めます。同時に、それら斑状の下顎形態は、後期更新世の多様性にいくぶん光を当て、現代的形質の付加および進行中の咀嚼器官の華奢化と一致します。


 以上、本論文についてざっと見てきましたが、下顎が系統発生の兆候を示すとはいえ、一部の形態に基づいて人類集団の連続性と断絶を検証することはなかなか難しく(関連記事)、マグレブにおけるMSAからの人類集団の連続性との本論文の見解が直ちに通説になることはないでしょう。本論文が示すように、現代人的形態の出現はかなり複雑な過程を経たようで、「付加的」なところがあるのでしょう。現生人類の形成に関しては、アフリカにおける特定のごく狭い地域に出現した小規模な1集団が、先住集団とわずかに混合したり先住集団を置換したりしつつ拡散していった、という単純なものではなかったのでしょう(関連記事)。


参考文献:
Bergmann I. et al.(2022): The relevance of late MSA mandibles on the emergence of modern morphology in Northern Africa. Scientific Reports, 12, 8841.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-12607-5

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