中世ヨーロッパの黒死病の起源
中世ヨーロッパの黒死病の起源に関する研究(Spyrou et al., 2022)が公表されました。中世の黒死病大流行(1346~1353年)の起源は、これが人口動態に及ぼした大きな影響と、その長期にわたる悪影響から、長年の研究課題となってきました。これまで、過去の記録と古代DNAと現代のゲノミクス技術を用いた大規模な研究にも関わらず、黒死病の地理的起源について正確なことは分かっておらず、ユーラシア西部からアジア東部にわたる数々の発祥地が可能性として提唱されています。
そうした中で、黒死病大流行の発端と関連している可能性がある考古学的証拠として最も議論されてきたのは、現在のキルギス共和国のイシク・クル湖(Lake Issyk-Kul)付近にある墓地群から得られたものです。1338~1339年という年代が明記された墓碑銘に被葬者の死因として「悪疫」と記されていることから、これらの墓地には14世紀の感染症の犠牲者が埋葬されていた、と考えられています。この研究は、これらのうちチュイ渓谷(Chüy Valley)に位置するカラ・ジガチ(Kara-Djigach)とブラナ(Burana)という2ヶ所の墓地から発掘された7個体に由来する古代DNAデータについて報告しています。
考古学的証拠からは、1338~1339年までに埋葬された遺体の数が突出して多かったと明らかになり、一定数の墓石には「疫病」が死因だと記されていました。考古学的データを、2ヶ所の墓地に埋葬されていた7人のDNA解析データおよび歴史学的データと総合した結果、ペスト菌(Yersinia pestis)が、この感染症事象に明白に関与していた、と示されました。再構築された2例の古代ペスト菌ゲノムは、これらが単一の菌株のものであることを示しています。また、この株は黒死病大流行の発生と広く関連づけられている重要な多様化の最終共通祖先と突き止められ、その多様化の年代が14世紀前半と特定されました。
さらに、広域の天山地域のペスト菌リザーバーにおける現在の多様性と比較した結果、今回得られた古代の菌株がこの地域で出現した、と支持されました。これら複数の証拠から、ペストの2回目の大流行が14世紀前半にユーラシア中央部で始まった、と裏づけられます。ペスト菌は青銅器時代にもユーラシアで広範な影響を及ぼした可能性がありますが(関連記事)、14世紀には13世紀からのモンゴル勢力の拡大によるユーラシア東西間の交流の活発化により、ペスト菌がより短い期間で広範囲に影響を与えたのでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
微生物学:DNA解析によって示された黒死病の地理的起源
14世紀に死亡した7人のDNA解析が行われて、黒死病が中央ユーラシアで発生した可能性が示唆された。この研究について報告する論文がNature に掲載される。
ペスト菌を原因とする黒死病は、西暦1346〜1353年までユーラシア全土に蔓延し、人口の最大60%が命を落としたと推定されている。黒死病の地理的起源については、過去の記録、古代DNA、現代のゲノミクス技術を用いた大掛かりな研究が行われたにもかかわらず、依然として確かなことが分かっておらず、西ユーラシアから東アジアにわたる数々の発祥地が可能性として提唱されている。
今回、Johannes Krause、Philip Slavinたちは、現在のキルギス共和国にあるイシク・クル湖が、14世紀の黒死病流行の発祥地であった可能性について調べた。チュイ渓谷にあるカラ・ジガチとブラナという2つの近隣の墓地から得られた考古学的証拠から、1338〜1339年までに埋葬された遺体の数が突出して多いことが判明し、一定数の墓石には「疫病」が死因だと記されていた。
Krauseたちは、今も残っている発掘に関するアーカイブデータを翻訳して解析し、その結果と2つの墓地に埋葬されていた7人の古DNA解析の結果を統合した。その結果、DNAサンプルのうち3つからペスト菌の痕跡が発見され、この疫病の流行にペスト菌が関与していたことが示唆された。Krauseたちは、今回発見されたペスト菌のゲノムが、単一の菌株のゲノムであり、この疫病流行の起源に共通に関連付けられる1つの多様化事象の最終共通祖先だとする考えを示している。また、この地域に現存するペスト菌株との比較が行われ、この地域が、古いペスト菌株の発祥地であることが示された。Krauseたちは、過去のデータと人工遺物(墓石の碑文や秘蔵されていた硬貨など)に基づいて、この地域にはユーラシア全土の各地域との交易に依存した多様な共同体があったとする学説を提唱しており、このことが、14世紀に黒死病が蔓延した一因となった可能性があるという考えを示している。
進化遺伝学:黒死病の起源は14世紀のユーラシア中央部にあった
進化遺伝学:14世紀の黒死病パンデミックの起源
今回、現在のキルギス共和国にある14世紀の墓地で発掘された7個体の古代DNAが解析され、それらのデータから再構築されたペスト菌(Yersinia pestis)の2例の古代ゲノムによって、「黒死病」として知られたペストの2回目のパンデミックの起源が、ユーラシア中央部にあったことが示唆された。
参考文献:
Spyrou MA. et al.(2022): The source of the Black Death in fourteenth-century central Eurasia. Nature, 606, 7915, 718–724.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-04800-3
そうした中で、黒死病大流行の発端と関連している可能性がある考古学的証拠として最も議論されてきたのは、現在のキルギス共和国のイシク・クル湖(Lake Issyk-Kul)付近にある墓地群から得られたものです。1338~1339年という年代が明記された墓碑銘に被葬者の死因として「悪疫」と記されていることから、これらの墓地には14世紀の感染症の犠牲者が埋葬されていた、と考えられています。この研究は、これらのうちチュイ渓谷(Chüy Valley)に位置するカラ・ジガチ(Kara-Djigach)とブラナ(Burana)という2ヶ所の墓地から発掘された7個体に由来する古代DNAデータについて報告しています。
考古学的証拠からは、1338~1339年までに埋葬された遺体の数が突出して多かったと明らかになり、一定数の墓石には「疫病」が死因だと記されていました。考古学的データを、2ヶ所の墓地に埋葬されていた7人のDNA解析データおよび歴史学的データと総合した結果、ペスト菌(Yersinia pestis)が、この感染症事象に明白に関与していた、と示されました。再構築された2例の古代ペスト菌ゲノムは、これらが単一の菌株のものであることを示しています。また、この株は黒死病大流行の発生と広く関連づけられている重要な多様化の最終共通祖先と突き止められ、その多様化の年代が14世紀前半と特定されました。
さらに、広域の天山地域のペスト菌リザーバーにおける現在の多様性と比較した結果、今回得られた古代の菌株がこの地域で出現した、と支持されました。これら複数の証拠から、ペストの2回目の大流行が14世紀前半にユーラシア中央部で始まった、と裏づけられます。ペスト菌は青銅器時代にもユーラシアで広範な影響を及ぼした可能性がありますが(関連記事)、14世紀には13世紀からのモンゴル勢力の拡大によるユーラシア東西間の交流の活発化により、ペスト菌がより短い期間で広範囲に影響を与えたのでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
微生物学:DNA解析によって示された黒死病の地理的起源
14世紀に死亡した7人のDNA解析が行われて、黒死病が中央ユーラシアで発生した可能性が示唆された。この研究について報告する論文がNature に掲載される。
ペスト菌を原因とする黒死病は、西暦1346〜1353年までユーラシア全土に蔓延し、人口の最大60%が命を落としたと推定されている。黒死病の地理的起源については、過去の記録、古代DNA、現代のゲノミクス技術を用いた大掛かりな研究が行われたにもかかわらず、依然として確かなことが分かっておらず、西ユーラシアから東アジアにわたる数々の発祥地が可能性として提唱されている。
今回、Johannes Krause、Philip Slavinたちは、現在のキルギス共和国にあるイシク・クル湖が、14世紀の黒死病流行の発祥地であった可能性について調べた。チュイ渓谷にあるカラ・ジガチとブラナという2つの近隣の墓地から得られた考古学的証拠から、1338〜1339年までに埋葬された遺体の数が突出して多いことが判明し、一定数の墓石には「疫病」が死因だと記されていた。
Krauseたちは、今も残っている発掘に関するアーカイブデータを翻訳して解析し、その結果と2つの墓地に埋葬されていた7人の古DNA解析の結果を統合した。その結果、DNAサンプルのうち3つからペスト菌の痕跡が発見され、この疫病の流行にペスト菌が関与していたことが示唆された。Krauseたちは、今回発見されたペスト菌のゲノムが、単一の菌株のゲノムであり、この疫病流行の起源に共通に関連付けられる1つの多様化事象の最終共通祖先だとする考えを示している。また、この地域に現存するペスト菌株との比較が行われ、この地域が、古いペスト菌株の発祥地であることが示された。Krauseたちは、過去のデータと人工遺物(墓石の碑文や秘蔵されていた硬貨など)に基づいて、この地域にはユーラシア全土の各地域との交易に依存した多様な共同体があったとする学説を提唱しており、このことが、14世紀に黒死病が蔓延した一因となった可能性があるという考えを示している。
進化遺伝学:黒死病の起源は14世紀のユーラシア中央部にあった
進化遺伝学:14世紀の黒死病パンデミックの起源
今回、現在のキルギス共和国にある14世紀の墓地で発掘された7個体の古代DNAが解析され、それらのデータから再構築されたペスト菌(Yersinia pestis)の2例の古代ゲノムによって、「黒死病」として知られたペストの2回目のパンデミックの起源が、ユーラシア中央部にあったことが示唆された。
参考文献:
Spyrou MA. et al.(2022): The source of the Black Death in fourteenth-century central Eurasia. Nature, 606, 7915, 718–724.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-04800-3
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