下部旧石器時代のレヴァントにおける人類の火の使用

 下部旧石器時代のレヴァントにおける火の使用に関する研究(Stepka et al., 2022)が公表されました。火の技術は、人類の適応と社会と技術と生物学的進化の発展において重要な要素でした。人類を火と関連づける証拠は50万年以上前となる遺跡では稀で、世界規模では一握りの事例に限られています。具体的には、南アフリカ共和国(関連記事)のワンダーワーク洞窟(Wonderwerk Cave)とスワートクランズ(Swartkrans)、ケニアのクービフォラ(Koobi Fora)と(可能性がある)チェソワンジャ(Chesowanja)、イスラエルのジスル・バノト・ヤコブ(Gesher Benot Ya’aqov)、スペインのネグラ洞窟(Cueva Negra)です。これらの遺跡は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の年代範囲内となります。この年代以降、遺跡における燃焼の証拠の頻度と強度が増し、そうした証拠は20万年前頃以後には広範囲にわたるようになります(関連記事)。

 遺跡における火の識別はおもに、変化した堆積物や石器や骨(たとえば、土壌の赤み、変色、鍋の蓋状の土層、歪み、ひび割れ、収縮、黒ずみ、石灰焼成)など視覚的識別に依存しています。粘土堆積物や石器や骨の熱暴露を識別するために広く用いられている他の補完的分析技術には、磁気感受性、フーリエ変換赤外分光分析(Fourier-transform infrared spectroscopy、略してFTIR)、熱発光、微細形態学が含まれます。最近、ラマン分光法と深層学習(DL)アルゴリズム(演算法)に基づく分光「温度計」が開発され、熱暴露の視覚的指標とは関係なく、熱への燧石製人工物の暴露が推定されました(関連記事)。


●エヴロン採石場

 エヴロン採石場(Evron Quarry)遺跡はイスラエルのガリラヤ西部の沿岸平野に位置し(図1A)、古磁気と光刺激発光法(OSL)により100万~80年前頃と推定されています。化石動物相と下部旧石器時代(LP)の道具の発見により、1976~1977年にかけてローネン(Avraham Ronen)氏によるこの遺跡での一連の発掘が促され、その調査では考古学的層の70 m²が発掘され(図1C)、海抜14~15mの深さに達しました。考古学的発見物の文脈はLP占拠層準(ユニット4)で、最下部とその下にあるハムラ(Hamra)と呼ばれる赤色の砂の壌土との境界(ユニット5)で見つかった人口遺物と動物相を伴う、黄色の砂層として記述されています(図1D)。以下は本論文の図1です。
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 この研究は、動物相遺骸および動物相と関連する堆積物と燧石製石器から構成される、1976~1977年の発掘資料で行なわれました。これらの資料には、熱と関連する特徴の視覚的証拠、つまり、土壌の赤み、鍋の蓋状の土層、燧石製石器の光沢の変色もしくは存在、歪み、ひび割れ、収縮、動物相遺骸の色の変化はありません。


●石器の紫外線ラマンおよび深層学習分析

 エヴロン採石場ユニット4の石器群には、小型剥片と二次加工剥片と石核が、少数の不充分な握斧や小型から中型の礫とともに含まれています。道具の小さなサイズは、遺跡のすぐ近くで見つかる石材による制約のためです。石器形態の分析から、先の尖った石器は、持ち上げられたのではなく、屠殺を含む作業のため手に持ったまま力を入れて使用された、と示唆されます。区画L5とK5とK3(図1C)には、出所データのある最大の石器群が含まれます。本論文では、石器群のサイズ範囲と道具の種類を反映する26点の石器が選択され、その中には剥片と二次加工剥片と1点の石核が含まれます。

 選択されたエヴロン採石場の人口遺物が過熱された温度を推定するため、紫外線(UV)ラマン分光法と、イスラエル全域のさまざまな燧石供給源から収集され、実験室制御状態下で既知の温度に過熱された現代の燧石について事前に訓練された、一次元畳み込み神経網(1D-CNN)と呼ばれる深層学習モデルが用いられました。この手法は、燧石の有機成分と無機成分で発生し、その固有の変動性を克服する、不可逆的な熱による構造変化に依存しています。温度推定に深層学習を用いる利点は、深層学習モデルが、熱とその結果としての固有のα石英・モガン石・DおよびG帯分光領域との間の非線形決定境界に近似できることです。

 この研究では、以前の研究(関連記事)と比較して改善された深層学習モデルが開発され、平均絶対誤差を118度から103度に減らし、検証実験において真の温度と推定温度との間のピアソン相関係数が0.72から0.78へと改善されました。図2Aは、火の暴露の視覚的痕跡を示さない石器を表しています。本論文の深層学習モデルを用いて、選択された各石器(26点)から収集された紫外線ラマン分光法で加熱暴露温度が推定されました。その結果、選択された石器は広範な温度で加熱されたものの、相互に近い温度で、発掘区画内の比較では同じと分かりました(図2C)。さまざまな区画から収集された石器のいずれにも、制約された温度範囲内に収まる焼けた人工遺物のクラスタ(まとまり)は見つけられませんでした。石器の(過熱)推定温度とサイズ(長さと厚さと表面領域)もしくは種類との間の説得力のある相関関係は見つかりませんでした。以下は本論文の図2です。
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●動物相と堆積物のFTIR分析

 エヴロン採石場の動物相は、さまざまな大きさの草食獣の遺骸から構成されています。具体的には、ガゼル、シカ科、オーロックス、カバ、長鼻類の2種、イノシシ科です。これらは頭蓋と頭蓋後方遺骸により表されますが、完全で断片的な歯が優占しており、おそらくは保存の偏りに起因します。この研究ではFTIRが用いられ、さまざまな発掘区画で収集され、色が暗褐色と灰色から白色までの、87点の小さな断片(長さ2cm未満)の無作為に選択された標本が分析されました(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 動物遺骸が600度以上で加熱されたのかどうか判断するため、630cm⁻¹の最高点の有無が用いられました。この最高点は、600度に曝された後の骨の鉱物結晶構造の不可逆的な熱誘導水酸化によってのみ現れ、続成作用に起因し得ません。区画L5の13点の動物相断片における顕著な630cm⁻¹の最高点と、区画K4の断片1点における小さな最高点が識別されました。走査電子顕微鏡(SEM)画像から、全ての焼けた遺骸は歯状細管の存在により牙だと確証されました。区画L5における単一の長鼻類の牙の存在を考えると、これらの断片が同じ牙である可能性は破棄されません。牙とともに骨の断片から構成される他の69点の動物遺骸全ては、630cm⁻¹水酸化最高点を示しません(図3B)。これには、19点の白色の動物相断片が含まれており、この動物遺骸における熱の暴露を色では診断できない、と示唆されます。

 一部の動物相断片(34点)には、動物相の入った堆積物の塊として、もしくは動物遺骸に直接的に付着したものとして、関連する赤色の堆積物(ハムラ)がありました。FTIRを用いると、ハムラはおもにα石英と粘土で構成され、少量の方解石を示す堆積物が一部伴っていた、と分かりました。燃焼と関連する可能性がある、炭酸燐灰石や無定形の珪酸・蛋白石など、他の相は特定されませんでした。これらの堆積物のFTIR分析から、全ての遊離した粘土断片は3600cm⁻¹領域で粘土構造水の存在を示す、と示唆されます。これらの結果から、L5区画の焼けた牙の断片と関連するものも含めて堆積物は、400度以上では曝露されていない、と示唆されます。


●考察

 この研究では、エヴロン採石場の下部旧石器時代開地遺跡における明確に定義された考古学的層準内の焼けた牙と石器の関連が論証され、初期人類の人口遺物および火と関連する証拠を有するわずかな遺跡に、新たな下部旧石器時代遺跡を追加します(図4A)。この段階では、エヴロン採石場の考古学的文脈において、火の存在における人類の役割を決定的に確証することはできません。こうした開地状況における人工遺物と動物相の関連は、単純に景観への自然火災影響を反映しているかもしれません。以下は本論文の図4です。
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 近隣のジスル・バノト・ヤコブ遺跡では、焼け跡の空間パターンが、人類の介在の証拠として解釈されてきました。なぜならば、自然火災は焼けた領域全体での均一な熱変化をもたらすだろう、と予測されるからです。エヴロン採石場遺跡では、空間的パターンなしの同じ考古学的層準で見つかった石器(図2C)で、温度推定値の差が見つかりました。分析された動物遺骸では、牙だけが焼かれていました(図3)。このパターンは、複数の居住事象の最終的な結果かもしれません。焼けた堆積物の欠如は、ジスル・バノト・ヤコブ遺跡で見つかったような外見上の炉床が保存されているとは予測されないような遺物群の二次的な再加工を示唆するかもしれません。野火と斑状の植生も、遺跡全体の温度の不均一な分布をもたらすかもしれず、温度は野火と人為的に制御された火との間の信頼できる指標ではない、と本論文は認識しています。それにも関わらず、別々の考古学的層準内での、石器群の推定温度、焼けた動物相、制約された空間分布(近接性)は、人類による火の使用の可能性を提起します。

 本論文の手法は、古典的となる視覚的な最初の評価を超えて、火の技術と関連する活動についての「隠れた」情報抽出の可能性を浮き彫りにします。したがって本論文は、レヴァントも含めて他の下部旧石器時代遺跡の加熱された人工遺物を再検討することで、初期人類と火との間の関係や、局所的および世界的規模での火と関連する知識の伝播や拡散経路の潜在的意味(関連記事)について、時空間的理解を広げられる可能性がある、と提案します。


参考文献:
Stepka Z. et al.(2022): Hidden signatures of early fire at Evron Quarry (1.0 to 0.8 Mya). PNAS, 119, 25, e2123439119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2123439119

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