先史時代ヨーロッパの人口史
先史時代ヨーロッパの人口史についての見解(Choin, and Quintana-Murci., 2022)が公表されました。本論文はおもに最近の研究(関連記事)の解説です。化石遺骸から抽出されたDNAに焦点を当てた古代DNA研究の時代は、19世紀後半に絶滅したアフリカ南部のシマウマであるクアッガからのミトコンドリアDNA(mtDNA)配列の刊行とともに、1984年に始まりました。しかし、古代DNA研究が黄金期に入り、古ゲノミクスが分野として創設されたのは21世紀の最初の10年の半ばになってからでした。
過去10年間で、100万年以上前のマンモスのゲノム規模データ(関連記事)など、わずか数年前には科学的創作だっただろう多くの結果が見られました。同様に、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノムの配列決定では、非アフリカ系人の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の現代の人口集団が、最大6%もの「古代型」の遺伝的物質を有しており、現代人のゲノムにおけるそうした古代型断片の存在が、病原体を含む環境の手がかりへの適応を促進したかもしれない、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。
古ゲノミクスは、ヒトがさまざまな期間を通じてさまざまな環境圧力に生物学的にどのように適応してきたのか、ということと、地球の移住の正確な時空間的詳細にも光を当ててきました。利用可能な古代ゲノムデータ量が増えるにつれて、今ではヒトの先史時代のより詳細な全体像を描くことが可能になりました。こうした研究を踏まえて新たな研究(関連記事)は、人口規模の変化や分岐時期や混合など、先史時代のヨーロッパで起きた人口統計学的過程の全体像を提供しています。
いくつかの理由のため、ヨーロッパは古ゲノミクスで最もよく研究されている地域です。今では、現代ヨーロッパ人は、中石器時代狩猟採集民とアナトリア半島新石器時代農耕民とポントス・カスピ海草原地域(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の牧畜民「草原地帯」人口集団という、3つの主要な祖先系統構成要素間のいくつかの混合事象の結果と知られています(図1)。以下は本論文の図1です。
現生人類(Homo sapiens)はヨーロッパに、遅くとも4万年前頃には狩猟採集民の小集団の形で存在していました。新石器時代の8500年前頃、中石器時代狩猟採集民とは大きく異なる新たな祖先系統が南東部から始まってヨーロッパ全域に拡大しました。この拡大は、肥沃な三日月地帯における農耕の出現と関連しており、一部の事例では在来狩猟採集民の置換を、他の事例では2集団間の広範な混合を含んでいました。
ヨーロッパ人のゲノム景観における次の大きな変化は、5000年前頃に始まった、ユーラシア草原地帯からの共同体の大規模な移住を伴っていました。これらの共同体はヤムナヤ(Yamnaya)文化複合と関連しており、おそらくはヨーロッパにヨーロッパ祖語をもたらしました。しかし、ユーラシア西部人の古ゲノム研究により生み出されたかなりの知識(関連記事)にも関わらず、これらの祖先系統、およびとくに早期新石器時代農耕民の出現の根底にある人口統計学的過程の性質と時期は、理解しにくいままです。
これはまさに最近の研究(関連記事)が取り組んだ問題で、初期完新世狩猟採集民と農耕民の15点の新たな高品質の古代人ゲノムが報告されています。その時空間的区間は近東からライン川流域にまで及んでいます。その研究は、方法論において革新的です。その研究は、新たなデータセットを古代と現代のユーラシア西部人の利用可能なゲノムと組み合わせることにより、最尤枠組みと合着(合祖)理論を用いて、人口集団間の分岐時期、経時的な有効人口規模の変化、集団間の遺伝子流動など、人口統計学的媒介変数をともに推定しました。
その研究は具体的には、代替的な「大陸・島嶼」モデルの比較により、ヨーロッパとアナトリア半島とイランの狩猟採集民と初期農耕民の人口統計学的過去を特徴づける媒介変数を推定しました。この手法では、各島嶼は標本抽出された人口集団を、各大陸は、移民の交換を通じて相互につながった、複数の標本抽出されておらずより小さな人口集団で構成される大きなメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)を表しています。
その研究の報告は、新石器時代前の文脈では、最もよく裏づけられた人口統計学的シナリオは、イラン初期農耕民とアナトリア半島・エーゲ海・ヨーロッパの初期農耕民の祖先からの西方狩猟採集民の最初の分岐で、これは最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の25000年前頃となるに起き、16000年前頃となる初期農耕民の2集団の祖先の分岐が続いた、というものです。これらの推定値は、より早い分岐時期が推定され、経時的な人口規模変動と集団間の遺伝子流動の欠如を仮定する、以前のモデルと一致しません。
最近の研究(関連記事)の詳細な人口統計学的モデル化は、ヨーロッパ狩猟採集民人口集団の祖先が氷期に劇的なボトルネック(瓶首効果)を経たものの、その有効人口規模はじっさいには、その定住的性質のために小さかったかもしれない初期農耕民人口集団よりも大きかったことも明らかにしました。したがって、以前の解釈とは対照的に、最近の研究で示唆されるのは、ヨーロッパ狩猟採集民の低い遺伝的多様性は、最終氷期においてその祖先が経た深刻なボトルネックに起因していたかもしれない、ということです。
最近の研究(関連記事)の人口統計学的モデル化はさらに、祖先集団間の混合の程度に関する知識も洗練させます。以前の研究では、コーカサスの狩猟採集民はアナトリア半島およびヨーロッパの初期農耕民とよりもイラン初期農耕民の方と遺伝的に近い、と示されてきました。この観察は、コーカサス狩猟採集民とアナトリア半島およびヨーロッパ農耕民との間の遺伝的連続性の欠如を示唆するものとして解釈されました。しかし、最近の研究においてデータと最適に合致する人口統計学的モデルでは、これら2集団は関連しており、14200年前頃にヨーロッパ狩猟採集民と混合した共通の祖先人口集団の子孫である、と示唆されました。最近の研究ではさらに、アナトリア半島およびヨーロッパ初期農耕民はヨーロッパ西部狩猟採集民と二度目の混合をしており、それはコーカサス狩猟採集民からのこれら農耕民の分岐の直後だった、と分かりました。この分離は13000~9000年前頃に起き、気候条件がより好適になったアレロード(Allerød)間氷期の範囲拡大と関連する強い創始者効果を伴っていました。
では、記述的統計もしくはより単純な人口統計学的モデルに基づく分析では、コーカサス狩猟採集民はなぜヨーロッパおよびアナトリア半島初期農耕民とよりも、イラン初期農耕民の方と遺伝的に近いように見えるのでしょうか?最も可能性が高い人口統計学的シナリオ下におけるゲノムデータの模擬実験に基づくと、最近の研究では、アナトリア半島およびヨーロッパ初期農耕民が経た強い遺伝的浮動により、ヨーロッパ狩猟採集民との混合の痕跡が覆い隠されたので、コーカサス狩猟採集民との分化が増加した、と示唆されます。この分析は、強い遺伝的浮動を経た人口集団におけるより詳細な事象を解明する、人口統計学的モデル化の必要性を浮き彫りにします。
最近の研究は最後に、農耕慣行が新石器時代においてヨーロッパ全域にどのように拡大したのか、という長年の問題を、長距離移住を含むモデルと、エーゲ海地域からヨーロッパ中央部への段階的拡大のモデルの比較により再考します。最も裏づけられたシナリオは、8000年前頃となるエーゲ海地域からの初期農耕民の西方への拡大と、その後に続くセルビアとバルカン半島とドナウ川回廊への移住と、最終的には7500年前頃となるオーストリアとドイツ南部への到達を示唆しています。
このシナリオによると、以前の調査結果(関連記事1および関連記事2)と一致して、初期農耕民はヨーロッパ西部狩猟採集民の確立した共同体と混合したでしょう。初期農耕民人口集団の人口統計学的モデル化により、エーゲ海地域からのヨーロッパ中央部の新石器化は、肥沃な三日月地帯からもたらされた新たな技術の単純な文化伝播ではなく、人々のじっさいの移動を含んでおり、「人口拡散モデル」が支持される、と確証されます。
全体的に最近の研究は、過去の人類史のより微妙な側面を解明するための、古代ゲノムの人口統計学的モデル化の利点を論証しています。そうした微妙な側面は、古代の遺伝子流動と人口規模の変化を考慮しないより単純な人口統計学的モデルか、記述的および要約統計だけを用いるさいには見逃される可能性があります。古代ヨーロッパの歴史についての理解におけるそうした進歩にも関わらず、世界規模の多くの他の人口集団の人口統計学的過去についてはほとんど知られていないままです。それは部分的には、世界の一部地域における化石遺骸の悪い保存状態や、より一般的には、ヨーロッパ人祖先系統の個体と人口集団へのゲノム研究の偏りに起因します。
しかし、ヨーロッパや他地域の保存状態の悪い化石からのDNA回収を可能とする技術的改善が間もなく適用されていくと期待されています。たとえば、アジア南東部と太平洋の人口集団の古代DNAデータは、ひじょうに少ないままです(関連記事1および関連記事2)。しかし、これらの人口集団は世界規模で最高水準のネアンデルタール人とデニソワ人の祖先系統の組み合わせを示しており(関連記事)、古ゲノム研究はこの地域の複雑な移住史と、おそらくはデニソワ人のさまざまなひじょうに構造化された集団との(関連記事1および関連記事2)、あるいは他の人類とさえの混合について、光を当てるかもしれません。古ゲノミクス研究の次の10年間が、現生人類の人口統計学と適応と文化の過去についての並外れた洞察と、おそらくはいくつかの驚きを生み出すよう、期待されます。以下は図1の説明文です。
参考文献:
Choin J, and Quintana-Murci L.(2022): Paleogenomics: The demographic past of prehistoric Europeans. Current Biology, 32, 11, R535–R538.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.081
過去10年間で、100万年以上前のマンモスのゲノム規模データ(関連記事)など、わずか数年前には科学的創作だっただろう多くの結果が見られました。同様に、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノムの配列決定では、非アフリカ系人の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の現代の人口集団が、最大6%もの「古代型」の遺伝的物質を有しており、現代人のゲノムにおけるそうした古代型断片の存在が、病原体を含む環境の手がかりへの適応を促進したかもしれない、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。
古ゲノミクスは、ヒトがさまざまな期間を通じてさまざまな環境圧力に生物学的にどのように適応してきたのか、ということと、地球の移住の正確な時空間的詳細にも光を当ててきました。利用可能な古代ゲノムデータ量が増えるにつれて、今ではヒトの先史時代のより詳細な全体像を描くことが可能になりました。こうした研究を踏まえて新たな研究(関連記事)は、人口規模の変化や分岐時期や混合など、先史時代のヨーロッパで起きた人口統計学的過程の全体像を提供しています。
いくつかの理由のため、ヨーロッパは古ゲノミクスで最もよく研究されている地域です。今では、現代ヨーロッパ人は、中石器時代狩猟採集民とアナトリア半島新石器時代農耕民とポントス・カスピ海草原地域(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の牧畜民「草原地帯」人口集団という、3つの主要な祖先系統構成要素間のいくつかの混合事象の結果と知られています(図1)。以下は本論文の図1です。
現生人類(Homo sapiens)はヨーロッパに、遅くとも4万年前頃には狩猟採集民の小集団の形で存在していました。新石器時代の8500年前頃、中石器時代狩猟採集民とは大きく異なる新たな祖先系統が南東部から始まってヨーロッパ全域に拡大しました。この拡大は、肥沃な三日月地帯における農耕の出現と関連しており、一部の事例では在来狩猟採集民の置換を、他の事例では2集団間の広範な混合を含んでいました。
ヨーロッパ人のゲノム景観における次の大きな変化は、5000年前頃に始まった、ユーラシア草原地帯からの共同体の大規模な移住を伴っていました。これらの共同体はヤムナヤ(Yamnaya)文化複合と関連しており、おそらくはヨーロッパにヨーロッパ祖語をもたらしました。しかし、ユーラシア西部人の古ゲノム研究により生み出されたかなりの知識(関連記事)にも関わらず、これらの祖先系統、およびとくに早期新石器時代農耕民の出現の根底にある人口統計学的過程の性質と時期は、理解しにくいままです。
これはまさに最近の研究(関連記事)が取り組んだ問題で、初期完新世狩猟採集民と農耕民の15点の新たな高品質の古代人ゲノムが報告されています。その時空間的区間は近東からライン川流域にまで及んでいます。その研究は、方法論において革新的です。その研究は、新たなデータセットを古代と現代のユーラシア西部人の利用可能なゲノムと組み合わせることにより、最尤枠組みと合着(合祖)理論を用いて、人口集団間の分岐時期、経時的な有効人口規模の変化、集団間の遺伝子流動など、人口統計学的媒介変数をともに推定しました。
その研究は具体的には、代替的な「大陸・島嶼」モデルの比較により、ヨーロッパとアナトリア半島とイランの狩猟採集民と初期農耕民の人口統計学的過去を特徴づける媒介変数を推定しました。この手法では、各島嶼は標本抽出された人口集団を、各大陸は、移民の交換を通じて相互につながった、複数の標本抽出されておらずより小さな人口集団で構成される大きなメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)を表しています。
その研究の報告は、新石器時代前の文脈では、最もよく裏づけられた人口統計学的シナリオは、イラン初期農耕民とアナトリア半島・エーゲ海・ヨーロッパの初期農耕民の祖先からの西方狩猟採集民の最初の分岐で、これは最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の25000年前頃となるに起き、16000年前頃となる初期農耕民の2集団の祖先の分岐が続いた、というものです。これらの推定値は、より早い分岐時期が推定され、経時的な人口規模変動と集団間の遺伝子流動の欠如を仮定する、以前のモデルと一致しません。
最近の研究(関連記事)の詳細な人口統計学的モデル化は、ヨーロッパ狩猟採集民人口集団の祖先が氷期に劇的なボトルネック(瓶首効果)を経たものの、その有効人口規模はじっさいには、その定住的性質のために小さかったかもしれない初期農耕民人口集団よりも大きかったことも明らかにしました。したがって、以前の解釈とは対照的に、最近の研究で示唆されるのは、ヨーロッパ狩猟採集民の低い遺伝的多様性は、最終氷期においてその祖先が経た深刻なボトルネックに起因していたかもしれない、ということです。
最近の研究(関連記事)の人口統計学的モデル化はさらに、祖先集団間の混合の程度に関する知識も洗練させます。以前の研究では、コーカサスの狩猟採集民はアナトリア半島およびヨーロッパの初期農耕民とよりもイラン初期農耕民の方と遺伝的に近い、と示されてきました。この観察は、コーカサス狩猟採集民とアナトリア半島およびヨーロッパ農耕民との間の遺伝的連続性の欠如を示唆するものとして解釈されました。しかし、最近の研究においてデータと最適に合致する人口統計学的モデルでは、これら2集団は関連しており、14200年前頃にヨーロッパ狩猟採集民と混合した共通の祖先人口集団の子孫である、と示唆されました。最近の研究ではさらに、アナトリア半島およびヨーロッパ初期農耕民はヨーロッパ西部狩猟採集民と二度目の混合をしており、それはコーカサス狩猟採集民からのこれら農耕民の分岐の直後だった、と分かりました。この分離は13000~9000年前頃に起き、気候条件がより好適になったアレロード(Allerød)間氷期の範囲拡大と関連する強い創始者効果を伴っていました。
では、記述的統計もしくはより単純な人口統計学的モデルに基づく分析では、コーカサス狩猟採集民はなぜヨーロッパおよびアナトリア半島初期農耕民とよりも、イラン初期農耕民の方と遺伝的に近いように見えるのでしょうか?最も可能性が高い人口統計学的シナリオ下におけるゲノムデータの模擬実験に基づくと、最近の研究では、アナトリア半島およびヨーロッパ初期農耕民が経た強い遺伝的浮動により、ヨーロッパ狩猟採集民との混合の痕跡が覆い隠されたので、コーカサス狩猟採集民との分化が増加した、と示唆されます。この分析は、強い遺伝的浮動を経た人口集団におけるより詳細な事象を解明する、人口統計学的モデル化の必要性を浮き彫りにします。
最近の研究は最後に、農耕慣行が新石器時代においてヨーロッパ全域にどのように拡大したのか、という長年の問題を、長距離移住を含むモデルと、エーゲ海地域からヨーロッパ中央部への段階的拡大のモデルの比較により再考します。最も裏づけられたシナリオは、8000年前頃となるエーゲ海地域からの初期農耕民の西方への拡大と、その後に続くセルビアとバルカン半島とドナウ川回廊への移住と、最終的には7500年前頃となるオーストリアとドイツ南部への到達を示唆しています。
このシナリオによると、以前の調査結果(関連記事1および関連記事2)と一致して、初期農耕民はヨーロッパ西部狩猟採集民の確立した共同体と混合したでしょう。初期農耕民人口集団の人口統計学的モデル化により、エーゲ海地域からのヨーロッパ中央部の新石器化は、肥沃な三日月地帯からもたらされた新たな技術の単純な文化伝播ではなく、人々のじっさいの移動を含んでおり、「人口拡散モデル」が支持される、と確証されます。
全体的に最近の研究は、過去の人類史のより微妙な側面を解明するための、古代ゲノムの人口統計学的モデル化の利点を論証しています。そうした微妙な側面は、古代の遺伝子流動と人口規模の変化を考慮しないより単純な人口統計学的モデルか、記述的および要約統計だけを用いるさいには見逃される可能性があります。古代ヨーロッパの歴史についての理解におけるそうした進歩にも関わらず、世界規模の多くの他の人口集団の人口統計学的過去についてはほとんど知られていないままです。それは部分的には、世界の一部地域における化石遺骸の悪い保存状態や、より一般的には、ヨーロッパ人祖先系統の個体と人口集団へのゲノム研究の偏りに起因します。
しかし、ヨーロッパや他地域の保存状態の悪い化石からのDNA回収を可能とする技術的改善が間もなく適用されていくと期待されています。たとえば、アジア南東部と太平洋の人口集団の古代DNAデータは、ひじょうに少ないままです(関連記事1および関連記事2)。しかし、これらの人口集団は世界規模で最高水準のネアンデルタール人とデニソワ人の祖先系統の組み合わせを示しており(関連記事)、古ゲノム研究はこの地域の複雑な移住史と、おそらくはデニソワ人のさまざまなひじょうに構造化された集団との(関連記事1および関連記事2)、あるいは他の人類とさえの混合について、光を当てるかもしれません。古ゲノミクス研究の次の10年間が、現生人類の人口統計学と適応と文化の過去についての並外れた洞察と、おそらくはいくつかの驚きを生み出すよう、期待されます。以下は図1の説明文です。
参考文献:
Choin J, and Quintana-Murci L.(2022): Paleogenomics: The demographic past of prehistoric Europeans. Current Biology, 32, 11, R535–R538.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.081
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