過去3000年間のワラセアの人口史
過去3000年間のワラセア(ウォーレシア)の人口史に関する研究(Oliveira et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ワラセア(図1)はスンダとサフルの大陸棚の間に位置する深海の島々の地域で、アジアからオセアニアへのヒトの移住にとって、架け橋と障壁の両方でした。解剖学的現代人はおそらく、サフルに到達する前にまずワラセアを渡り、サフルにおける解剖学的現代人の最初の明確な年代は47000年前頃と主張されていますが(関連記事)、異論もあります(関連記事)。ワラセア自体では考古学的記録は、南方諸島で46000年前頃に南方諸島で(関連記事)、4500年前頃にスラウェシ島で(関連記事)、36000年前頃に北方の島々(北マルク州)で始まった解剖学的現代人による居住を示唆します。
長期の孤立後、ワラセアはオーストロネシア語族の拡大に影響を受けました。新たな航海および農耕技術を有するオーストロネシア語族話者集団は、台湾から4500~4000年前頃に拡大した可能性が高く(関連記事)、最終的にはアジア南東部島嶼部(ISEA)とオセアニアとマダガスカル島に定住しました。オーストロネシア語族の到来は一般的に土器の最初の出現と関連しており、ワラセアではその年代は3500年前頃です。後期新石器時代と初期金属器時代において(2300~2000年前頃)海洋交易網が強化され、ワラセアとインドやアジア南東部本土(MSEA)をつなぐ、香辛料や青銅鼓やガラス製ビーズの移動が伴っていました。
オーストロネシア語族話者農耕民と狩猟採集民共同体との間の接触は、現在のワラセアの言語学および生物学的多様性に依然として反映されています。マレー・ポリネシア語派のオーストロネシア語族はこの地域に広がっていますが、数十もの非オーストロネシア語族言語(つまりパプア語)も北マルク州とティモールとアロール島とパンタール島で話されており、一部のオーストロネシア語族言語はパプア語から得た特徴を示します。以下は本論文の図1です。
ワラセアの現代人のゲノム構成は、パプア人関連と、現在のオーストロネシア語族話者に最も類似しているアジア人関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)間の混合の兆候を示します(関連記事)。この二重祖先は、西方から東方へのパプア人関連祖先系統増加の勾配として地理的に分布しています。以前の研究は、現代人集団に基づいて混合年代を推定し、遺伝的祖先系統拡大の方向と速度に関する最初の推定を提供しました。しかし、さまざまな研究の年代推定は3000年以上の不一致を示しており、これは単に確認の偏りだけに起因しているのではなく、密接に関連する供給源からの遺伝子流動の波が継続的なのか複数回なのかを含むシナリオによりさまざまに影響を受ける、混合年代測定手法の限界も反映している可能性があります。
混合年代の不確実性の解決は、オーストロネシア人とそれ以前の人口集団との間の相互作用の理解に重要な意味を有しています。オーストロネシア人の到来について提案された考古学的年代と近い混合年代では、混合は接触後すぐに起きたと示唆していますが、より最近の年代では、遺伝的に混合する前の一定期間の共存か、長期の混合を示唆します。さらに、オーストロネシア人の到来に先行する混合年代は、他のアジア人関連集団からの遺伝的影響など、代替的な説明を示唆します。
本論文は古代DNAの力を活用し、過去2500年間のワラセア内における差異の時空間的パターンを調べます。本論文は、オーストロネシア人関連祖先系統の到来の時期、混合の時間的範囲、到来者とアジアおよびオセアニアの他の集団の祖先系統間の関係への洞察を提供します。本論文はさらに、MSEAからワラセアへの追加の移住の影響と時期を調べます。
●分析結果
北マルク州とスラウェシ島と東ヌサ・トゥンガラ州の8ヶ所の遺跡で発見された、2600~250年前頃の16個体の骨格遺骸からDNAが抽出されました。以下、東ヌサ・トゥンガラ州はNTT(Nusa Tenggara Timur)と表記されます(図1a)。次に配列決定ライブラリ(DNAの網羅的収集)が構築され、約120万のゲノム規模一塩基多型(SNP)と完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)に捕獲・濃縮されました。古代DNAの信頼性は、読み取り(リード)末端の脱アミノ化部位の増加と短い平均断片規模に基づいて確証されました。汚染推定値は低い、と示されました。
mtDNAとY染色体のハプログループから、アジア人およびパプア人両方と関連する祖先系統が、2150年前頃にはすでに北マルク州に存在していた、と示されます(表1)。さらに、2150~2100年前頃となる北マルク州の2個体は異なる祖先系統と関連するmtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)を有しており、混合がそれ以前に始まっていたことを示唆します。NTTとスラウェシ島の個体群との比較では、北マルク州の個体群は近オセアニアとつながっているmtDNA系統の割合がより高いと示しており、それはサフルランド北部に特徴的なmtHg-Qと、いわゆる「ポリネシア以前の塩基配列(mtHg-B4a1a/B4a1a1)」により証明されます。スラウェシ島もしくはNTTの個体群は、現在そこで見つかっているにも関わらず、パプア人関連のmtHgを有していません。
ワラセア古代人の差異のゲノム規模パターンを調べるため、アジアとオセアニアの現代の人口集団のさまざまな一式とSNP配列の2つの組み合わせに基づいて、主成分分析(PCA)が実行されました。ワラセア古代人は、パプアニューギニアとアジアの集団間に、ワラセア現代人とともにクラスタ化し(まとまり)ました(図1b)。しかし、北方(北マルク州)と南方(NTT)の個体群の対比により描かれる軌跡はわずかに異なり、異なる遺伝的歴史の可能性が示唆されます。NTTの古代の個体群はアジア本土人とインドネシア西部人に向かっての勾配でまとまりますが、北マルク州の古代の個体群は、台湾とフィリピンの現代の人口集団か、さらにはグアム島の2200年前頃の個体(関連記事)やバヌアツの2900年前頃の個体やトンガの2500年前頃の個体(関連記事)に向かう軌跡に並びます。こうしたワラセアの2地域間の違いは、古代の個体群をアジア人関連の変異を特徴とする主成分に投影すると、より顕著です(PC2軸対PC3軸)。
次に、モデルに基づくクラスタ化手法(DyStruct)を用いて、共有される祖先系統が推測されました。検証された各データセットで最もよく裏づけられたクラスタ数の結果から、ワラセア古代人はニューギニアのパプア語話者集団(濃青色の構成要素)および祖先系統が3つのおもな構成要素に分割できる複数のアジア集団と祖先系統を共有する、と示されました(図1c)。第一の構成要素(黄色)は台湾とフィリピンとインドネシアのオーストロネシア語族話者集団、および台湾の古代の個体群において最高頻度で存在します。第二の構成要素(マンゴー色)は太平洋のポリネシア語話者集団および同地域の古代の個体群で最大化されています。第三の構成要素(濃い赤色)はアジア南東部(SEA)の現代および古代の個体群に広がっています。
ワラセア古代人の間で最も顕著な違いは、古代のNTTとスラウェシ島の個体群には存在するものの、北マルク州の個体群には存在しないSEA構成要素です。より微妙な違いは、2つのオーストロネシア人関連構成要素の相対的な割合で見られます。スラウェシ島とNTTの古代の個体群は、台湾で優占するオーストロネシア人関連構成要素(黄色)の割合が、太平洋の集団とより類似している北マルク州の古代の個体群と比較して比較的高くなっています。
ワラセア古代人とさまざまなアジア人関連集団との間の共有アレル(対立遺伝子)を直接的に比較するため、f統計が用いられました。まず、f4統計(ムブティ人、ワラセア古代人;アミ人、検証集団)が計算されました。検証集団には、識別可能なパプア人関連祖先系統を有していないアジア本土とISEAと太平洋の古代人および現代人集団が含まれます。その結果、北マルク州の古代の個体群は、台湾のアミ人とよりもバヌアツ(2900年前頃)およびトンガ(2500年前頃)の個体の方と多くの浮動を共有していました。対照的に、スラウェシ島とNTTの古代の個体群は、あらゆる検証集団と追加の浮動を共有していません。それにも関わらず、コモド(Komodo)とリアン・ブア(Liang Bua)のNTTの古代の個体群を含む検定では、ゼロと一致するf4統計の数がより多く、台湾とフィリピンだけではなくアジア南東部もしくはインドネシア西部のいくつかの他の集団と同様にアミ人とも、NTTの古代の個体群が多くの浮動を共有している、と示唆されます。この結果は、アジア南東部と関連する祖先系統の特定とともに、ワラセアのこれらの地域におけるより複雑な混合史を裏づけます。
次に、北マルク州とNTTの個体間のアジア人関連祖先系統における違いを把握するために設計された、f4統計の組み合わせが分析されました。全てのf4統計はf4形式(ムブティ人、検証集団;ニューギニア高地人、ワラセア古代人)を有しており、各組み合わせは、x軸で固定検証集団についての結果を(現代もしくは古代の検証集団の組み合わせ間での比較について、アミ人とバヌアツの2900年前頃の個体)、y軸でさまざまなアジア人関連検証集団について、結果を比較しました。北マルク州の個体群にはアジア南東部構成要素が欠けていたので(図1c)、NTT個体群におけるこの構成要素の最良の代理は、地域間ではf4統計で違いを最大化するはずです。これらの違いを推定するため、f4統計で測定誤差を説明するベイズ手法が用いられました。
その結果、ワラセアの古代の個体間で違いを最大化する集団は、現代のムラブリ人(Mlabri)もしくはニコバル人(Nicobarese)、3800年前頃となるベトナムのマンバク(Mán Bạc)個体、ラオスの3000年前頃となるタン・パ・ピン(Tam Pa Ping)個体、2600年前頃となるタイのバーン・チエン(Ban Chiang)個体であるものの(図2)、他の関連するMSEAの代理を除外できない、と結論づけられました。いくつかのMSEA集団については、違いの95%信用区間が、アル・マナラ(Aru Manara)の2150年前頃、タンジュン・ピナン(Tanjung Pinang)の2100年前頃、ウアッタムディ(Uattamdi)の1900年前頃、リアン・ブアの2600年前頃、コモドの750年前頃の個体を網羅するf4値の範囲内でゼロと重複せず、NTTと北マルク州の個体間の違いの強い裏づけを示唆します。この範囲を下回ると(つまり、f4値が低くなると)、地域的な違いについて裏づけはなく、それは恐らくアジア人祖先系統の総計が少なく、パプア人関連祖先系統が多い場合に、アジア人祖先系統を区別する能力が減少することに起因します。以下は本論文の図2です。
f4統計(ムブティ人、新たに解析されたワラセア古代人;ニューギニア高地人、検証集団)を用いて、ワラセア古代人と、サフルもしくはワラセアの最初の定着と関連する集団との間の関係も調べられました。最古のワラセア個体は、オーストラリア先住民やビスマルク諸島集団や最近刊行されたスラウェシ島のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞の新石器時代前の個体(関連記事)よりも、ニューギニア高地人の方と有意に近い類似性を示しました。有意ではない結果は、リアン・パニンゲ個体の利用可能なデータ量の少なさ、および/もしくはリアン・ブアとトポガロ(Topogaro)個体のパプア人祖先系統の少なさに起因します。それにも関わらず、アン・パニンゲ個体を含む検定は一貫して、最低のf4値を示しました。したがって、ワラセアで発見されたにも関わらず、この古代の個体は新たに報告されたワラセア古代人のパプア人関連祖先系統の良好な代理ではありません。
さらに、qpAdmソフトウェアを用いて、ワラセア古代人における祖先系統供給源と割合の潜在的違いが調べられました。その結果、北マルク州の古代の個体群はパプア人とオーストロネシア人両方の祖先系統を有するとモデル化できるのに対して、NTTとスラウェシ島の古代の個体群は3波モデルと一致するか、それを必要としており、追加のSEA関連祖先系統が伴います(図3)。複数の合致モデルを特定した場合でも(P>0.01)、最高のP値を伴うモデル下で推定された割合は、DyStructにより推定されるオーストロネシア人・パプア人・SEA祖先系統と相関しました。古代NTT個体群は、オーストロネシア人関連祖先系統と比較して、そのパプア人およびSEA関連祖先系統においてより多くの島間の分散を示しました。以下は本論文の図3です。
同じ地域の古代と現代の個体群の祖先系統構成間の比較(図3)から、北マルク州のオーストロネシア人関連祖先系統の少ない割合(8%)は、現代人集団ではSEA祖先系統により置換され、ワラセアの地域間の以前の違いが覆い隠された、と示唆されます。スラウェシ島とNTTの現代人集団は、それらの地域の古代の個体群で見つかる同じ3祖先系統構成要素によりモデル化できます。しかし、古代人と現代人の集団の祖先系統の割合はいくらかの違いを示し、経時的な祖先系統の変化を示唆しているか、小さな標本規模を反映している可能性があります。
ワラセアにおける異なる祖先系統間の混合の相対的順序について洞察を得るため、混合歴史図(AHG)手法が用いられました。これは、DyStructにより推定された構成要素間の共分散の違いに依存します。AHGはNTTの古代人と現代人両方のデータに適用され、SEAおよびパプア人関連祖先系統の混合は、オーストロネシア人関連祖先系統の到来前に起きた、と示唆されます。北マルク州の個体群で観察されたこれら3主要祖先系統構成要素(パプア人と台湾オーストロネシア人と太平洋オーストロネシア人関連祖先系統)に基づく類似の検定は、太平洋からの「逆流」の説得力のある証拠を提供しません。それは、AHGが、パプア人祖先系統はすでに両方のオーストロネシア人関連構成要素を有していた人口集団へともたらされていた、と推測したからです。この結果から、2つのオーストロネシア人関連構成要素(台湾とSEA)において浮動はより重要な役割を果たした、と示唆されます。
最後に、単一個体からの古代DNAに適用可能なソフトウェアDATESを用いて、混合年代が調べられました。時系列の古代データを用いて、遺伝子流動の複雑さにも関わらず、以前の混合年代推定値と一致させられる、と予測されました。供給源としてパプア人とアジア人集団の遺伝子プールを用いると、北マルク州(2150年前頃)とNTT(2600年前頃)の最古級の個体についての推定値は、各標本の考古学的年代を調整すると3000年前頃とひじょうに類似しており(図4)、ワラセアにおけるオーストロネシア人到来についての考古学的年代に近い、と分かりました。
しかし、より新しい個体群はより最近の推定値を示しました。混合年代が繰り下がるこの傾向は、同じ地域の古代の個体群よりも新しくさえある(1400年前頃)混合年代を示す、北マルク州の現在の集団にまで及びます。NTTの現代人および古代人標本の混合年代は重複しています。この結果から、経時的な祖先系統の割合もしくは構成要素の変化により示唆されるように(図3)、両地域(北マルク州とNTT)はおそらく複数回の混合の波(および/もしくは継続的な遺伝子流動)を経ていた、と示唆されます。しかし、混合の全体的な期間は地域間で異なりました。以下は本論文の図4です。
NTTの古代の個体群のアジア人関連祖先系統は別々の事象で2つのアジア人集団によりもたらされた、と推測されたので、このアジア人祖先系統について異なる代理を用いると、異なる混合年代推定値を予測できるかもしれません。したがって、供給源としてパプア人およびオーストロネシア人(検定a)対パプア人およびMSEA(検定b)を用いて、推定値の違いが探されました。最も多くのMSEA祖先系統を有するNTTの2標本の点推定値は、検定aより検定bの方で古いものの、信頼区間は重複していました。異なるアジア人祖先系統供給源があまりにも類似しているか、混合年代が近すぎて確実に区別できませんでした。
このように本論文は、DNAの保存には適さない熱帯地域であるものの、人口集団の相互作用の理解にとくに重要なISEAの、古代人のゲノムデータ量を大幅に増やしました。新たなデータは、ワラセアの混合史と、現代の人口集団における最近の人口統計学的過程により覆い隠された遺伝的関係を明らかにします。この結果は、ワラセアにおける顕著な地域的差異を明らかにし、そのうちいくつかは、古代の個体群のオーストロネシア人関連祖先系統で見つかります。最も顕著な違いはMSEAからの祖先系統寄与と関連しており、これはおそらく、オーストロネシア人が到来したものの、最近まで北マルク州には存在しなかった時に、すでにNTT個体群のゲノム景観の一部でした。
●ワラセアにおけるパプア人祖先系統
新たに提示されたワラセア古代人は、スラウェシ島のリアン・パニンゲ鍾乳洞の新石器時代前の個体(関連記事)とよりも現代のパプア人の方と遺伝的に近く、新石器時代前とオーストロネシア人到来後のワラセア人の間では、直接的な連続性はほとんどなかった、と示唆されます。さらに、新たに提示されたワラセア古代人の祖先系統は、オーストラリア先住民よりもパプア人の祖先系統の方と密接です。これは、オーストラリア先住民につながる系統がまず分岐したか、最初の植民後にワラセアとニューギニアとの間で接触があったことを示唆します。
第二のシナリオは、ワラセアへのパプア人祖先系統の大きな流入を推測するmtDNA研究により裏づけられます。その流入は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の15000年前頃と、3000年前頃となるオーストロネシア人との接触です。以前の研究では、ワラセアの現代人における、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の祖先系統量の増加も報告されており、パプア人関連祖先系統量と相関しています(関連記事)。同じ関係がワラセア古代人に当てはまると確認されたので、デニソワ人関連祖先系統は、おそらくパプア人関連の混合を経由してもたらされました。
●NTTにおける初期SEA祖先系統
ワラセアは一般的に、ほぼ孤立しており、祖先系統の2つの主要な流れにより形成された、と仮定されてきました。一方はサフルの定住と、もう一方はオーストロネシア人の拡大と関連している、というわけです。本論文で提示された結果から、NTTの古代の個体群の遺伝的差異はMSEAからの祖先系統寄与も必要とする、と示されます。推測される混合事象の順序から、SEAおよびオーストロネシア人関連祖先系統がともに、両祖先系統が見つかるインドネシア西部からもたらされた可能性は低い、と示されます。代わりに、MSEAのヒト集団はオーストロネシア人関連集団がワラセアへと拡大した前に、ワラセア南部へと渡ったようです。このシナリオのさらなる裏づけは、ヒトの移住の優れた指標とみなされることが多い片利共生のクマネズミの遺伝学的分析に由来し、クマネズミもMSEAからNTTへと最初にもたらされた、と示唆されています。
ワラセア南部人のMSEA祖先系統と最適に合致する集団の広範な地理的分布は、ワラセアの島々に到達した人々の実際の(複数)起源について疑問を提起します。最良の現代の代理である、タイとラオスのムラブリ人およびニコバル諸島のニコバル人はオーストロアジア語族言語を話し、最近の広範な混合を経てきた他のMSEA集団と比較して相対的に孤立してきました。その孤立は、ムラブリ人とニコバル人が推測される移住事象と必ずしもつながっていないのに、最良の代理として現れる理由を説明できるかもしれません。さらに、MSEAのあらゆる特定の古代人集団と、NTTに祖先系統を寄与した実際の供給源との間の明確な関連はなく、それは、この祖先系統のいくつかの相当する古代の代理を特定したからです。
この移住の他の証拠は曖昧です。NTTの言語はオーストロネシア語かパプア語関連で、MSEAの言語からの影響は報告されていません。同様に、MSEAとワラセア南部との間のオーストラレーシア人との接触前の考古学的証拠はありません。その最初の証拠はドンソン(Đông Sơn)文化の青銅鼓で、これは1世紀初期に海上交易経路に沿ってワラセア南部には広がったものの、北部には広がりませんでした。これらの鼓はベトナム北部もしくは隣接する中国南部の州に起源があります。より新しいNTT個体群について、ドンソン文化期(もしくはさらに後)からの一部の祖先系統寄与は除外できませんが、2600年前頃となるリアン・ブア個体におけるMSEA祖先系統量の多さと本論文のAHG推測は、ワラセア南部におけるずっと早い存在を裏づけます。これは、ISEAへの新石器時代拡大の理解に重要な意味を有しています。それは、MSEAからの以前には説明されていなかったヒトの拡散を照らし出すからです。SEAにおける将来の考古学的研究は、このヒトの拡散を同時代の物質文化と結びつけるのに役立つかもしれません。さらに、より古い期間の古代DNAは、この祖先系統の到来年代を明らかにするのに役立つでしょう。
●北マルク州と太平洋へのオーストロネシア人の拡大
ISEAと太平洋のオーストラレーシア人関連集団で観察された詳細な構造と、太平洋集団に対する北マルク州古代人のより高い遺伝的近接性は、太平洋への拡散における北マルク州の役割についての以前の考察と関連しています。航海および気候モデルを通じて分析すると、北マルク州はパラオ諸島もしくはマリアナ諸島(ミクロネシア西部)へと渡った入植者にとって、最も可能性が高い出発点の一つです。その地理的環境も、考古学者がこの地域でラピタ(Lapita)文化複合(ビスマルク諸島からサモアにまで分布していました)やマリアナ赤色土器(Marianas Redware)文化の祖型かもしれない土器を探す要因となりました。しかし、現在の証拠では、北マルク州の赤色滑り土器はこれら物質文化のどれともつながらないものの、代わりにタラウド諸島やスラウェシ島北部および西部やルソン島北部やフィリピンのバタネス州や台湾南東部の土器と結びついています。
本論文により示唆された北マルク州とマリアナ諸島の古代の個体間の遺伝的類似性は、現代人集団に基づくmtDNA研究といくぶん類似しています。しかし、グアム島の古代DNAは、フィリピンからマリアナ諸島への定住の起源を裏づけます(関連記事)。「逆移住」のない単純な拡大シナリオでは、古代北マルク州からグアム島(2200年前頃)とバヌアツ(2900年前頃)とトンガ(2500年前頃)にかけての、太平洋に特徴的なオーストロネシア人祖先系統量の増加(および台湾とフィリピンに特徴的な祖先系統量の減少)は、最終的には太平洋東部に到達した移住の波に沿ったその相対的位置を反映しているかもしれません。
しかし、この研究における位置は、その地理的位置に必要な付属のない集団の分岐順を参照しています。したがって、NTTもしくはスラウェシ島と比較しての、北マルク州と太平洋の集団間のより高い近接性は、その位置にも関わらず、単純に共通のオーストロネシア人供給源にたどれるより最近の祖先系統を反映しているかもしれません。このシナリオから、NTTもしくはスラウェシ島で見つかるオーストロネシア人関連祖先系統は、北マルク州で見つかる祖先系統とはやや異なっていた、とも示唆されます。それにも関わらず、たとえば「逆移住」など、より複雑な移住シナリオの可能性を除外できません。
北マルク州の最古級の個体群(2150年前頃のモロタイ島個体と1900年前頃のカヨア島個体)が、この地域における2300~2000年前頃となる前期金属器時代の始まりと重複している、と考慮することも重要です。この期間は、銅と青銅と鉄の人工遺物とガラス製ビーズの出現、およびモロタイ島への土器の拡大により特徴づけられます。したがって、これらの個体は、カヨア島に3500年前頃に到達したと考えられている最初のオーストロネシア人の適切な代表ではない可能性がありますが、代わりに後の接触によりもたらされた追加の遺伝的影響を反映しているかもしれません。
しかし、言語学的証拠は、NTTの人々と比較しての、オセアニア人との北マルク州の人々のより密接な関係を示す遺伝学的証拠と一致します。北マルク州のオーストロネシア語族言語(マレー・ポリネシア語派の主要な下位区分)は、ハルマヘラ島南部とニューギニア西部(SHWNG)の地域的な下位集団の一部で、この集団は他のあらゆるマレー・ポリネシア語派の主要な下位区分よりもオセアニアの言語の方と近く、一方でNTTにおいて話されている言語は、SHWNGおよびオセアニア両方の言語の外群です。
●混合の年代
北マルク州では2150年前頃以前、NTTでは2600年前頃以前となる、オーストロネシア人とパプア人との接触の直接的証拠の提供の他にも、最古級の個体群が3000年前頃に近い混合年代推定値を示しました。この期間は、北マルク州における新石器時代(オーストロネシア人)到来の最初の考古学的痕跡(カヨア島での3500年前頃)よりわずかに新しいものの、この研究における最古級の北マルク州の個体群が見つかったモロタイ島における2300~2000年前頃となる土器の採用に先行します。しかし、その年代推定値はNTTの最初の確実な年代の一部と類似しています(フローレス島東部では3000年前頃)。
現代のインドネシア東部人口集団についての以前の研究では、この混合はオーストロネシア人集団の到来より約千年遅れている、と示唆されました。古代の個体群についての本論文の混合分析と現代人のデータとの比較は代替的な説明を提供し、混合年代に関する以前の議論を明確にするのに役立ちます。最古級の個体群から現代の人口集団までの混合年代推定値の減少傾向は、複数の波か継続的な混合の強力な指標です。したがって、本論文の最古の推定値でさえ、混合の実際の始まりではなく、追加の遺伝子流動に起因するもっと最近の年代に対応しているかもしれません。
遺伝子流動事象は、金属器時代における新たな海洋網と香辛料交易の相互作用により促進された可能性があります。北マルク州では、この期間は地域間の物質文化のより急速な拡大だけではなく、オーストロネシア語(SHWNG)とパプア語(西パプア語族や北ハルマヘラ語系)両方で説明された放散期にも対応しています。北マルク州とパプア西部の歴史的な社会経済体系も、パプア語を話す居住人口集団とマレー語を話すエリートを結びつけていたので、ごく最近まで混合が起きていたかもしれません。北マルク州とは対照的に、NTTとスラウェシ島の個体群はごく最近の接触の遺伝的痕跡を示しません。それでも、人口統計学的歴史は少なくとも2つのアジア人関連集団を含む、混合の長期的過程により特徴づけられました。
ワラセアにおける継続的な接触の証拠は、現代人のゲノムデータを用いてサフルへのヒトの移住の方向と数を識別する取り組みに重要な意味を有しています。そうした接触を考慮しないと、パプア人と北部対南部のワラセア人との間の遺伝的類似性を、接触の程度の違いではなく、これら集団の祖先関係を反映している、と誤って判断する可能性があります。全体的に本論文の調査結果は、パプア人との、そして恐らくはさまざまなオーストラレーシア人関連集団とさえの接触の期間における、MSEAとの接触の違いを反映する、ワラセアの北部対南部の異なる歴史を示唆します。より早期の個体群を含む将来の古代DNA研究は、ワラセアにおけるオーストロネシア人到来の前後に起きた人口統計学的変化の理解の改善に役立つでしょう。
参考文献:
Oliveira S. et al.(2022): Ancient genomes from the last three millennia support multiple human dispersals into Wallacea. Nature Ecology & Evolution, 6, 7, 1024–1034.
https://doi.org/10.1038/s41559-022-01775-2
長期の孤立後、ワラセアはオーストロネシア語族の拡大に影響を受けました。新たな航海および農耕技術を有するオーストロネシア語族話者集団は、台湾から4500~4000年前頃に拡大した可能性が高く(関連記事)、最終的にはアジア南東部島嶼部(ISEA)とオセアニアとマダガスカル島に定住しました。オーストロネシア語族の到来は一般的に土器の最初の出現と関連しており、ワラセアではその年代は3500年前頃です。後期新石器時代と初期金属器時代において(2300~2000年前頃)海洋交易網が強化され、ワラセアとインドやアジア南東部本土(MSEA)をつなぐ、香辛料や青銅鼓やガラス製ビーズの移動が伴っていました。
オーストロネシア語族話者農耕民と狩猟採集民共同体との間の接触は、現在のワラセアの言語学および生物学的多様性に依然として反映されています。マレー・ポリネシア語派のオーストロネシア語族はこの地域に広がっていますが、数十もの非オーストロネシア語族言語(つまりパプア語)も北マルク州とティモールとアロール島とパンタール島で話されており、一部のオーストロネシア語族言語はパプア語から得た特徴を示します。以下は本論文の図1です。
ワラセアの現代人のゲノム構成は、パプア人関連と、現在のオーストロネシア語族話者に最も類似しているアジア人関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)間の混合の兆候を示します(関連記事)。この二重祖先は、西方から東方へのパプア人関連祖先系統増加の勾配として地理的に分布しています。以前の研究は、現代人集団に基づいて混合年代を推定し、遺伝的祖先系統拡大の方向と速度に関する最初の推定を提供しました。しかし、さまざまな研究の年代推定は3000年以上の不一致を示しており、これは単に確認の偏りだけに起因しているのではなく、密接に関連する供給源からの遺伝子流動の波が継続的なのか複数回なのかを含むシナリオによりさまざまに影響を受ける、混合年代測定手法の限界も反映している可能性があります。
混合年代の不確実性の解決は、オーストロネシア人とそれ以前の人口集団との間の相互作用の理解に重要な意味を有しています。オーストロネシア人の到来について提案された考古学的年代と近い混合年代では、混合は接触後すぐに起きたと示唆していますが、より最近の年代では、遺伝的に混合する前の一定期間の共存か、長期の混合を示唆します。さらに、オーストロネシア人の到来に先行する混合年代は、他のアジア人関連集団からの遺伝的影響など、代替的な説明を示唆します。
本論文は古代DNAの力を活用し、過去2500年間のワラセア内における差異の時空間的パターンを調べます。本論文は、オーストロネシア人関連祖先系統の到来の時期、混合の時間的範囲、到来者とアジアおよびオセアニアの他の集団の祖先系統間の関係への洞察を提供します。本論文はさらに、MSEAからワラセアへの追加の移住の影響と時期を調べます。
●分析結果
北マルク州とスラウェシ島と東ヌサ・トゥンガラ州の8ヶ所の遺跡で発見された、2600~250年前頃の16個体の骨格遺骸からDNAが抽出されました。以下、東ヌサ・トゥンガラ州はNTT(Nusa Tenggara Timur)と表記されます(図1a)。次に配列決定ライブラリ(DNAの網羅的収集)が構築され、約120万のゲノム規模一塩基多型(SNP)と完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)に捕獲・濃縮されました。古代DNAの信頼性は、読み取り(リード)末端の脱アミノ化部位の増加と短い平均断片規模に基づいて確証されました。汚染推定値は低い、と示されました。
mtDNAとY染色体のハプログループから、アジア人およびパプア人両方と関連する祖先系統が、2150年前頃にはすでに北マルク州に存在していた、と示されます(表1)。さらに、2150~2100年前頃となる北マルク州の2個体は異なる祖先系統と関連するmtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)を有しており、混合がそれ以前に始まっていたことを示唆します。NTTとスラウェシ島の個体群との比較では、北マルク州の個体群は近オセアニアとつながっているmtDNA系統の割合がより高いと示しており、それはサフルランド北部に特徴的なmtHg-Qと、いわゆる「ポリネシア以前の塩基配列(mtHg-B4a1a/B4a1a1)」により証明されます。スラウェシ島もしくはNTTの個体群は、現在そこで見つかっているにも関わらず、パプア人関連のmtHgを有していません。
ワラセア古代人の差異のゲノム規模パターンを調べるため、アジアとオセアニアの現代の人口集団のさまざまな一式とSNP配列の2つの組み合わせに基づいて、主成分分析(PCA)が実行されました。ワラセア古代人は、パプアニューギニアとアジアの集団間に、ワラセア現代人とともにクラスタ化し(まとまり)ました(図1b)。しかし、北方(北マルク州)と南方(NTT)の個体群の対比により描かれる軌跡はわずかに異なり、異なる遺伝的歴史の可能性が示唆されます。NTTの古代の個体群はアジア本土人とインドネシア西部人に向かっての勾配でまとまりますが、北マルク州の古代の個体群は、台湾とフィリピンの現代の人口集団か、さらにはグアム島の2200年前頃の個体(関連記事)やバヌアツの2900年前頃の個体やトンガの2500年前頃の個体(関連記事)に向かう軌跡に並びます。こうしたワラセアの2地域間の違いは、古代の個体群をアジア人関連の変異を特徴とする主成分に投影すると、より顕著です(PC2軸対PC3軸)。
次に、モデルに基づくクラスタ化手法(DyStruct)を用いて、共有される祖先系統が推測されました。検証された各データセットで最もよく裏づけられたクラスタ数の結果から、ワラセア古代人はニューギニアのパプア語話者集団(濃青色の構成要素)および祖先系統が3つのおもな構成要素に分割できる複数のアジア集団と祖先系統を共有する、と示されました(図1c)。第一の構成要素(黄色)は台湾とフィリピンとインドネシアのオーストロネシア語族話者集団、および台湾の古代の個体群において最高頻度で存在します。第二の構成要素(マンゴー色)は太平洋のポリネシア語話者集団および同地域の古代の個体群で最大化されています。第三の構成要素(濃い赤色)はアジア南東部(SEA)の現代および古代の個体群に広がっています。
ワラセア古代人の間で最も顕著な違いは、古代のNTTとスラウェシ島の個体群には存在するものの、北マルク州の個体群には存在しないSEA構成要素です。より微妙な違いは、2つのオーストロネシア人関連構成要素の相対的な割合で見られます。スラウェシ島とNTTの古代の個体群は、台湾で優占するオーストロネシア人関連構成要素(黄色)の割合が、太平洋の集団とより類似している北マルク州の古代の個体群と比較して比較的高くなっています。
ワラセア古代人とさまざまなアジア人関連集団との間の共有アレル(対立遺伝子)を直接的に比較するため、f統計が用いられました。まず、f4統計(ムブティ人、ワラセア古代人;アミ人、検証集団)が計算されました。検証集団には、識別可能なパプア人関連祖先系統を有していないアジア本土とISEAと太平洋の古代人および現代人集団が含まれます。その結果、北マルク州の古代の個体群は、台湾のアミ人とよりもバヌアツ(2900年前頃)およびトンガ(2500年前頃)の個体の方と多くの浮動を共有していました。対照的に、スラウェシ島とNTTの古代の個体群は、あらゆる検証集団と追加の浮動を共有していません。それにも関わらず、コモド(Komodo)とリアン・ブア(Liang Bua)のNTTの古代の個体群を含む検定では、ゼロと一致するf4統計の数がより多く、台湾とフィリピンだけではなくアジア南東部もしくはインドネシア西部のいくつかの他の集団と同様にアミ人とも、NTTの古代の個体群が多くの浮動を共有している、と示唆されます。この結果は、アジア南東部と関連する祖先系統の特定とともに、ワラセアのこれらの地域におけるより複雑な混合史を裏づけます。
次に、北マルク州とNTTの個体間のアジア人関連祖先系統における違いを把握するために設計された、f4統計の組み合わせが分析されました。全てのf4統計はf4形式(ムブティ人、検証集団;ニューギニア高地人、ワラセア古代人)を有しており、各組み合わせは、x軸で固定検証集団についての結果を(現代もしくは古代の検証集団の組み合わせ間での比較について、アミ人とバヌアツの2900年前頃の個体)、y軸でさまざまなアジア人関連検証集団について、結果を比較しました。北マルク州の個体群にはアジア南東部構成要素が欠けていたので(図1c)、NTT個体群におけるこの構成要素の最良の代理は、地域間ではf4統計で違いを最大化するはずです。これらの違いを推定するため、f4統計で測定誤差を説明するベイズ手法が用いられました。
その結果、ワラセアの古代の個体間で違いを最大化する集団は、現代のムラブリ人(Mlabri)もしくはニコバル人(Nicobarese)、3800年前頃となるベトナムのマンバク(Mán Bạc)個体、ラオスの3000年前頃となるタン・パ・ピン(Tam Pa Ping)個体、2600年前頃となるタイのバーン・チエン(Ban Chiang)個体であるものの(図2)、他の関連するMSEAの代理を除外できない、と結論づけられました。いくつかのMSEA集団については、違いの95%信用区間が、アル・マナラ(Aru Manara)の2150年前頃、タンジュン・ピナン(Tanjung Pinang)の2100年前頃、ウアッタムディ(Uattamdi)の1900年前頃、リアン・ブアの2600年前頃、コモドの750年前頃の個体を網羅するf4値の範囲内でゼロと重複せず、NTTと北マルク州の個体間の違いの強い裏づけを示唆します。この範囲を下回ると(つまり、f4値が低くなると)、地域的な違いについて裏づけはなく、それは恐らくアジア人祖先系統の総計が少なく、パプア人関連祖先系統が多い場合に、アジア人祖先系統を区別する能力が減少することに起因します。以下は本論文の図2です。
f4統計(ムブティ人、新たに解析されたワラセア古代人;ニューギニア高地人、検証集団)を用いて、ワラセア古代人と、サフルもしくはワラセアの最初の定着と関連する集団との間の関係も調べられました。最古のワラセア個体は、オーストラリア先住民やビスマルク諸島集団や最近刊行されたスラウェシ島のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞の新石器時代前の個体(関連記事)よりも、ニューギニア高地人の方と有意に近い類似性を示しました。有意ではない結果は、リアン・パニンゲ個体の利用可能なデータ量の少なさ、および/もしくはリアン・ブアとトポガロ(Topogaro)個体のパプア人祖先系統の少なさに起因します。それにも関わらず、アン・パニンゲ個体を含む検定は一貫して、最低のf4値を示しました。したがって、ワラセアで発見されたにも関わらず、この古代の個体は新たに報告されたワラセア古代人のパプア人関連祖先系統の良好な代理ではありません。
さらに、qpAdmソフトウェアを用いて、ワラセア古代人における祖先系統供給源と割合の潜在的違いが調べられました。その結果、北マルク州の古代の個体群はパプア人とオーストロネシア人両方の祖先系統を有するとモデル化できるのに対して、NTTとスラウェシ島の古代の個体群は3波モデルと一致するか、それを必要としており、追加のSEA関連祖先系統が伴います(図3)。複数の合致モデルを特定した場合でも(P>0.01)、最高のP値を伴うモデル下で推定された割合は、DyStructにより推定されるオーストロネシア人・パプア人・SEA祖先系統と相関しました。古代NTT個体群は、オーストロネシア人関連祖先系統と比較して、そのパプア人およびSEA関連祖先系統においてより多くの島間の分散を示しました。以下は本論文の図3です。
同じ地域の古代と現代の個体群の祖先系統構成間の比較(図3)から、北マルク州のオーストロネシア人関連祖先系統の少ない割合(8%)は、現代人集団ではSEA祖先系統により置換され、ワラセアの地域間の以前の違いが覆い隠された、と示唆されます。スラウェシ島とNTTの現代人集団は、それらの地域の古代の個体群で見つかる同じ3祖先系統構成要素によりモデル化できます。しかし、古代人と現代人の集団の祖先系統の割合はいくらかの違いを示し、経時的な祖先系統の変化を示唆しているか、小さな標本規模を反映している可能性があります。
ワラセアにおける異なる祖先系統間の混合の相対的順序について洞察を得るため、混合歴史図(AHG)手法が用いられました。これは、DyStructにより推定された構成要素間の共分散の違いに依存します。AHGはNTTの古代人と現代人両方のデータに適用され、SEAおよびパプア人関連祖先系統の混合は、オーストロネシア人関連祖先系統の到来前に起きた、と示唆されます。北マルク州の個体群で観察されたこれら3主要祖先系統構成要素(パプア人と台湾オーストロネシア人と太平洋オーストロネシア人関連祖先系統)に基づく類似の検定は、太平洋からの「逆流」の説得力のある証拠を提供しません。それは、AHGが、パプア人祖先系統はすでに両方のオーストロネシア人関連構成要素を有していた人口集団へともたらされていた、と推測したからです。この結果から、2つのオーストロネシア人関連構成要素(台湾とSEA)において浮動はより重要な役割を果たした、と示唆されます。
最後に、単一個体からの古代DNAに適用可能なソフトウェアDATESを用いて、混合年代が調べられました。時系列の古代データを用いて、遺伝子流動の複雑さにも関わらず、以前の混合年代推定値と一致させられる、と予測されました。供給源としてパプア人とアジア人集団の遺伝子プールを用いると、北マルク州(2150年前頃)とNTT(2600年前頃)の最古級の個体についての推定値は、各標本の考古学的年代を調整すると3000年前頃とひじょうに類似しており(図4)、ワラセアにおけるオーストロネシア人到来についての考古学的年代に近い、と分かりました。
しかし、より新しい個体群はより最近の推定値を示しました。混合年代が繰り下がるこの傾向は、同じ地域の古代の個体群よりも新しくさえある(1400年前頃)混合年代を示す、北マルク州の現在の集団にまで及びます。NTTの現代人および古代人標本の混合年代は重複しています。この結果から、経時的な祖先系統の割合もしくは構成要素の変化により示唆されるように(図3)、両地域(北マルク州とNTT)はおそらく複数回の混合の波(および/もしくは継続的な遺伝子流動)を経ていた、と示唆されます。しかし、混合の全体的な期間は地域間で異なりました。以下は本論文の図4です。
NTTの古代の個体群のアジア人関連祖先系統は別々の事象で2つのアジア人集団によりもたらされた、と推測されたので、このアジア人祖先系統について異なる代理を用いると、異なる混合年代推定値を予測できるかもしれません。したがって、供給源としてパプア人およびオーストロネシア人(検定a)対パプア人およびMSEA(検定b)を用いて、推定値の違いが探されました。最も多くのMSEA祖先系統を有するNTTの2標本の点推定値は、検定aより検定bの方で古いものの、信頼区間は重複していました。異なるアジア人祖先系統供給源があまりにも類似しているか、混合年代が近すぎて確実に区別できませんでした。
このように本論文は、DNAの保存には適さない熱帯地域であるものの、人口集団の相互作用の理解にとくに重要なISEAの、古代人のゲノムデータ量を大幅に増やしました。新たなデータは、ワラセアの混合史と、現代の人口集団における最近の人口統計学的過程により覆い隠された遺伝的関係を明らかにします。この結果は、ワラセアにおける顕著な地域的差異を明らかにし、そのうちいくつかは、古代の個体群のオーストロネシア人関連祖先系統で見つかります。最も顕著な違いはMSEAからの祖先系統寄与と関連しており、これはおそらく、オーストロネシア人が到来したものの、最近まで北マルク州には存在しなかった時に、すでにNTT個体群のゲノム景観の一部でした。
●ワラセアにおけるパプア人祖先系統
新たに提示されたワラセア古代人は、スラウェシ島のリアン・パニンゲ鍾乳洞の新石器時代前の個体(関連記事)とよりも現代のパプア人の方と遺伝的に近く、新石器時代前とオーストロネシア人到来後のワラセア人の間では、直接的な連続性はほとんどなかった、と示唆されます。さらに、新たに提示されたワラセア古代人の祖先系統は、オーストラリア先住民よりもパプア人の祖先系統の方と密接です。これは、オーストラリア先住民につながる系統がまず分岐したか、最初の植民後にワラセアとニューギニアとの間で接触があったことを示唆します。
第二のシナリオは、ワラセアへのパプア人祖先系統の大きな流入を推測するmtDNA研究により裏づけられます。その流入は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の15000年前頃と、3000年前頃となるオーストロネシア人との接触です。以前の研究では、ワラセアの現代人における、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の祖先系統量の増加も報告されており、パプア人関連祖先系統量と相関しています(関連記事)。同じ関係がワラセア古代人に当てはまると確認されたので、デニソワ人関連祖先系統は、おそらくパプア人関連の混合を経由してもたらされました。
●NTTにおける初期SEA祖先系統
ワラセアは一般的に、ほぼ孤立しており、祖先系統の2つの主要な流れにより形成された、と仮定されてきました。一方はサフルの定住と、もう一方はオーストロネシア人の拡大と関連している、というわけです。本論文で提示された結果から、NTTの古代の個体群の遺伝的差異はMSEAからの祖先系統寄与も必要とする、と示されます。推測される混合事象の順序から、SEAおよびオーストロネシア人関連祖先系統がともに、両祖先系統が見つかるインドネシア西部からもたらされた可能性は低い、と示されます。代わりに、MSEAのヒト集団はオーストロネシア人関連集団がワラセアへと拡大した前に、ワラセア南部へと渡ったようです。このシナリオのさらなる裏づけは、ヒトの移住の優れた指標とみなされることが多い片利共生のクマネズミの遺伝学的分析に由来し、クマネズミもMSEAからNTTへと最初にもたらされた、と示唆されています。
ワラセア南部人のMSEA祖先系統と最適に合致する集団の広範な地理的分布は、ワラセアの島々に到達した人々の実際の(複数)起源について疑問を提起します。最良の現代の代理である、タイとラオスのムラブリ人およびニコバル諸島のニコバル人はオーストロアジア語族言語を話し、最近の広範な混合を経てきた他のMSEA集団と比較して相対的に孤立してきました。その孤立は、ムラブリ人とニコバル人が推測される移住事象と必ずしもつながっていないのに、最良の代理として現れる理由を説明できるかもしれません。さらに、MSEAのあらゆる特定の古代人集団と、NTTに祖先系統を寄与した実際の供給源との間の明確な関連はなく、それは、この祖先系統のいくつかの相当する古代の代理を特定したからです。
この移住の他の証拠は曖昧です。NTTの言語はオーストロネシア語かパプア語関連で、MSEAの言語からの影響は報告されていません。同様に、MSEAとワラセア南部との間のオーストラレーシア人との接触前の考古学的証拠はありません。その最初の証拠はドンソン(Đông Sơn)文化の青銅鼓で、これは1世紀初期に海上交易経路に沿ってワラセア南部には広がったものの、北部には広がりませんでした。これらの鼓はベトナム北部もしくは隣接する中国南部の州に起源があります。より新しいNTT個体群について、ドンソン文化期(もしくはさらに後)からの一部の祖先系統寄与は除外できませんが、2600年前頃となるリアン・ブア個体におけるMSEA祖先系統量の多さと本論文のAHG推測は、ワラセア南部におけるずっと早い存在を裏づけます。これは、ISEAへの新石器時代拡大の理解に重要な意味を有しています。それは、MSEAからの以前には説明されていなかったヒトの拡散を照らし出すからです。SEAにおける将来の考古学的研究は、このヒトの拡散を同時代の物質文化と結びつけるのに役立つかもしれません。さらに、より古い期間の古代DNAは、この祖先系統の到来年代を明らかにするのに役立つでしょう。
●北マルク州と太平洋へのオーストロネシア人の拡大
ISEAと太平洋のオーストラレーシア人関連集団で観察された詳細な構造と、太平洋集団に対する北マルク州古代人のより高い遺伝的近接性は、太平洋への拡散における北マルク州の役割についての以前の考察と関連しています。航海および気候モデルを通じて分析すると、北マルク州はパラオ諸島もしくはマリアナ諸島(ミクロネシア西部)へと渡った入植者にとって、最も可能性が高い出発点の一つです。その地理的環境も、考古学者がこの地域でラピタ(Lapita)文化複合(ビスマルク諸島からサモアにまで分布していました)やマリアナ赤色土器(Marianas Redware)文化の祖型かもしれない土器を探す要因となりました。しかし、現在の証拠では、北マルク州の赤色滑り土器はこれら物質文化のどれともつながらないものの、代わりにタラウド諸島やスラウェシ島北部および西部やルソン島北部やフィリピンのバタネス州や台湾南東部の土器と結びついています。
本論文により示唆された北マルク州とマリアナ諸島の古代の個体間の遺伝的類似性は、現代人集団に基づくmtDNA研究といくぶん類似しています。しかし、グアム島の古代DNAは、フィリピンからマリアナ諸島への定住の起源を裏づけます(関連記事)。「逆移住」のない単純な拡大シナリオでは、古代北マルク州からグアム島(2200年前頃)とバヌアツ(2900年前頃)とトンガ(2500年前頃)にかけての、太平洋に特徴的なオーストロネシア人祖先系統量の増加(および台湾とフィリピンに特徴的な祖先系統量の減少)は、最終的には太平洋東部に到達した移住の波に沿ったその相対的位置を反映しているかもしれません。
しかし、この研究における位置は、その地理的位置に必要な付属のない集団の分岐順を参照しています。したがって、NTTもしくはスラウェシ島と比較しての、北マルク州と太平洋の集団間のより高い近接性は、その位置にも関わらず、単純に共通のオーストロネシア人供給源にたどれるより最近の祖先系統を反映しているかもしれません。このシナリオから、NTTもしくはスラウェシ島で見つかるオーストロネシア人関連祖先系統は、北マルク州で見つかる祖先系統とはやや異なっていた、とも示唆されます。それにも関わらず、たとえば「逆移住」など、より複雑な移住シナリオの可能性を除外できません。
北マルク州の最古級の個体群(2150年前頃のモロタイ島個体と1900年前頃のカヨア島個体)が、この地域における2300~2000年前頃となる前期金属器時代の始まりと重複している、と考慮することも重要です。この期間は、銅と青銅と鉄の人工遺物とガラス製ビーズの出現、およびモロタイ島への土器の拡大により特徴づけられます。したがって、これらの個体は、カヨア島に3500年前頃に到達したと考えられている最初のオーストロネシア人の適切な代表ではない可能性がありますが、代わりに後の接触によりもたらされた追加の遺伝的影響を反映しているかもしれません。
しかし、言語学的証拠は、NTTの人々と比較しての、オセアニア人との北マルク州の人々のより密接な関係を示す遺伝学的証拠と一致します。北マルク州のオーストロネシア語族言語(マレー・ポリネシア語派の主要な下位区分)は、ハルマヘラ島南部とニューギニア西部(SHWNG)の地域的な下位集団の一部で、この集団は他のあらゆるマレー・ポリネシア語派の主要な下位区分よりもオセアニアの言語の方と近く、一方でNTTにおいて話されている言語は、SHWNGおよびオセアニア両方の言語の外群です。
●混合の年代
北マルク州では2150年前頃以前、NTTでは2600年前頃以前となる、オーストロネシア人とパプア人との接触の直接的証拠の提供の他にも、最古級の個体群が3000年前頃に近い混合年代推定値を示しました。この期間は、北マルク州における新石器時代(オーストロネシア人)到来の最初の考古学的痕跡(カヨア島での3500年前頃)よりわずかに新しいものの、この研究における最古級の北マルク州の個体群が見つかったモロタイ島における2300~2000年前頃となる土器の採用に先行します。しかし、その年代推定値はNTTの最初の確実な年代の一部と類似しています(フローレス島東部では3000年前頃)。
現代のインドネシア東部人口集団についての以前の研究では、この混合はオーストロネシア人集団の到来より約千年遅れている、と示唆されました。古代の個体群についての本論文の混合分析と現代人のデータとの比較は代替的な説明を提供し、混合年代に関する以前の議論を明確にするのに役立ちます。最古級の個体群から現代の人口集団までの混合年代推定値の減少傾向は、複数の波か継続的な混合の強力な指標です。したがって、本論文の最古の推定値でさえ、混合の実際の始まりではなく、追加の遺伝子流動に起因するもっと最近の年代に対応しているかもしれません。
遺伝子流動事象は、金属器時代における新たな海洋網と香辛料交易の相互作用により促進された可能性があります。北マルク州では、この期間は地域間の物質文化のより急速な拡大だけではなく、オーストロネシア語(SHWNG)とパプア語(西パプア語族や北ハルマヘラ語系)両方で説明された放散期にも対応しています。北マルク州とパプア西部の歴史的な社会経済体系も、パプア語を話す居住人口集団とマレー語を話すエリートを結びつけていたので、ごく最近まで混合が起きていたかもしれません。北マルク州とは対照的に、NTTとスラウェシ島の個体群はごく最近の接触の遺伝的痕跡を示しません。それでも、人口統計学的歴史は少なくとも2つのアジア人関連集団を含む、混合の長期的過程により特徴づけられました。
ワラセアにおける継続的な接触の証拠は、現代人のゲノムデータを用いてサフルへのヒトの移住の方向と数を識別する取り組みに重要な意味を有しています。そうした接触を考慮しないと、パプア人と北部対南部のワラセア人との間の遺伝的類似性を、接触の程度の違いではなく、これら集団の祖先関係を反映している、と誤って判断する可能性があります。全体的に本論文の調査結果は、パプア人との、そして恐らくはさまざまなオーストラレーシア人関連集団とさえの接触の期間における、MSEAとの接触の違いを反映する、ワラセアの北部対南部の異なる歴史を示唆します。より早期の個体群を含む将来の古代DNA研究は、ワラセアにおけるオーストロネシア人到来の前後に起きた人口統計学的変化の理解の改善に役立つでしょう。
参考文献:
Oliveira S. et al.(2022): Ancient genomes from the last three millennia support multiple human dispersals into Wallacea. Nature Ecology & Evolution, 6, 7, 1024–1034.
https://doi.org/10.1038/s41559-022-01775-2
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