過去12万年間のアフリカ中央部狩猟採集民の分布と多様性

 過去12万年間のアフリカ中央部狩猟採集民の分布と多様性に関する研究(Padilla-Iglesias et al., 2022)が公表されました。アフリカの狩猟採集民の進化史は、現代人の多様性の進化の背後にあるパターンと過程への重要な洞察を保持している可能性があります。最近のゲノム研究により明らかになったのは、これらの人口集団は最古で最も多様なヒトの遺伝的系統を表しており、ヒトの起源以来、相互に遺伝的に差異を生じてきた、ということです(関連記事)。

 したがって、最初の問題は、アフリカ狩猟採集民の現在の生態的地位も初期現生人類(Homo sapiens)集団の特徴だったのかどうか、ということです。しかし、遺伝的データだけでは、過去の狩猟採集民の地理的分布を決定することも、現在の環境への意味の適応の深い歴史を論証することもできません。じっさい、さまざまな研究により提案されてきたのは、過去5000年間以内の農耕拡大(とくにバンツー語族話者の祖先)がごく最近に狩猟採集民を農耕に不利な周辺地域(熱帯雨林や砂漠など)に移動させた、ということです。

 たとえば、北緯5度から南緯5度の間に位置するアフリカ中央部は、現在約20の狩猟採集民族集団が散在しています。これらアフリカ中央部狩猟採集民(CAHG)は、12万~2万年前頃にまでさかのぼって他のアフリカ人口集団と分岐したと考えられている、遺伝的クレード(単系統群)を形成します(関連記事)。アフリカ中央部狩猟採集民における大きな言語学的特異性の欠如は、周辺農耕民人口集団との広範な接触を反映している、と示唆されることが多く、拡大する農耕人口集団により促進された、周辺森林環境への狩猟採集民の最近の移動の証拠とみなされます。

 しかし、人類学者はCAHG間の生活様式と生息地と技術と道具の大きな変動性に注目し、長期の文化的多様化と森林環境への適応を示唆します。CAHG人口集団の人口統計と適応の推進要因の研究はひじょうに限られたままで、それは部分的には、この地域の社会的不安定性に加えて、熱帯雨林の酸性土壌における化石遺骸の急速な崩壊に起因する、考古学および骨学的データの欠如のためです。したがって、狩猟採集民によるアフリカ中央部の居住の時間的深さ、この地域のより早い人口集団により利用された生態的地位の幅、さまざまな時点での相互接続性の水準の変化に関する重要な問題がまだ残っています。

 これらの問題に対処するため、まずアフリカ中央部西方から東方に広がる狩猟採集民11集団の749ヶ所の野営地の分布に関する民族誌データが集められました。そのデータは環境生態的地位モデル(ENM)の入力として使用され、CAHGの分布と存在度について、いくつかの生物気候学と生態学的要因の相対的影響、および農耕人口集団の存在が決定されました。次に、高解像度の古気候再構築と地形図が用いられ、CAHGが過去12万年間に暮らせたのかどうかということと、その相互作用網の拡大の可能性について、継続的予測が行なわれました。次に、コンゴ盆地における狩猟採集民集団とされる信頼できる年代測定が行なわれた考古学的遺物が集められ(168点)、遺跡の場所と年代を予測するモデルの能力が確証されました。

 さらに、人口集団分岐のゲノム推定値が、人口密度および本論文により予測される人口集団間接続性とともに文脈化されました。最後に、これらの分析が9つのCAHG人口集団間の現在および歴史的な遺伝子流動の詳細な評価で補完されました。これは、農耕拡大後に、以前に分岐したCAHG人口集団間の最近の相互作用を評価するのに用いられました。したがって本論文は、アフリカ中央部全域の人口集団がその進化史において遺伝的および/もしくは文化的情報を交換できた場所と年代の予測により、進化的時間にわたる過去の環境変化とヒトの人口動態との間の集団因果関係を提供します。


●現在のCAHGの分布は最近のバンツー語族拡大ではなく長期の生態学的適応を反映しています

 まず問われたのは、CAHGの現在の分布と密度が、熱帯雨林での生活への長期適応の産物なのか、それともバンツー語族拡大の最近の産物なのか、ということです。11のCAHG人口集団の749ヶ所の野営地の地理的位置に関する民族誌データが集められ、次に最大エントロピー(MaxEnt)機械学習アルゴリズム(演算法)が適用され、CAHGの分布に関するいくつかの生物気候学および生態学的要因が決定されました(図1A・B)。本論文のENMはホールドアウトデータで良好に機能し(モデルを作成するデータと、作成モデルを評価するデータが区分される機械学習)、時間の存在(81%)と欠如(74%)を正しく分類しました。

 狩猟採集民の存在に適さない特定地域を表現するおもな生態学的要因は、降水量の季節性に続いて年間気温範囲が挙げられ、他のアフリカ地域の結果を確証します。バンツー語族農耕人口集団と関連する予測因子を含めると(農村人口密度もしくは人口密集地までの距離)、モデルの適合性は改善せず、他の変数の相対的寄与が有意には変わりませんでした。これが示唆するのは、狩猟採集民と農耕民の人口動態は独立しており、競合者の排除ではなく環境要因に影響を受けている、ということです。以下は本論文の図1です。
画像

 次に、同じ生態学的要因がCAHGの人口密度も予測できるのかどうか、検証されました。野営地(75ヶ所)の規模が利用可能な50点の地図区画について、環境適合性と人口密度との間の正の線形関係が見つかりました。この関係を用いて、現在のCAHGのメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)規模が191118個体と推定され、これは16万~204000人の間という報告された人口調査データと密接に一致します。以前の研究と一致して、環境適合性は人口密度の上限のさらに優れた予測因子でした。これは、環境の特徴による収容力の絶対的制約の充分な代理となる可能性があるからです。

 線形分位点回帰による適合性の傾きは、密度の75番目の百分位数以上で常に有意となり、傾きとR2値は百分位数とともに増加しました。それらの生態学的推進要因がCAHGに特有かどうか検証するため、一般化加法モデルが適用され、農耕人口密度の生態学的推進要因が予測されました。その結果、生物気候学的変数と生物群系の種類が2つの人口集団に異なる影響を与える、と示されました。たとえば、高い農村人口密度は温帯林および大きな気温年較差と関連しており、より安定した熱帯気候と関連している狩猟採集民の分布率とは対照的です。したがって本論文の結果から、CAHGと農耕民の生態的地位は異なっており、CAHGの現在の範囲と分布と人口規模は生態学的条件のみにより予測できる、と確証されます(関連記事)。


●生態学は過去12万年間の熱帯林における生存可能なCAHG人口集団を予測します

 生態学的要因がアフリカ中央部における現在の狩猟採集民の位置のおもな決定要因だと確認した後にモデルを適用し、過去のCAHGの位置が予測され、その相互接続性水準が経時的に地域全体でどのように変化したのか、推定されました。世界の陸生気候と植生の偏りを補正した時系列が用いられ、ENMモデルが12万年前頃から現在までの1000年もしくは2000年の時間断片に投影され、各時間断片について対象地域の適合性地図が得られました。同様に、環境適合性と格子区画の人口密度との間の推定された線形関係を用いて、各時間断片でメタ個体群の規模の推定値が得られました。

 その結果、最終間氷期以降のアフリカ中央部における突然の気候変化と生息地断片化の繰り返しの事象が、CAHG集団の適合性範囲の劇的な拡大と縮小を引き起こした、と示唆されます(図3B)。これは人口統計学的変動をもたらしたでしょうが、狩猟採集民人口集団はアフリカ中央部において生存可能で、メタ個体群の人口規模は16万人を下回らなかった可能性があります。これが示唆するのは、CAHGは進化史において生態的地位と比較的安定した人口規模を維持した、ということです。

 遺伝学もしくは言語学の証拠にのみ依存する手法とは異なり、本論文のモデルはCAHGの推定される祖先の地理的および生態学的位置を直接的に定めます。したがって、アフリカ中央部の環境は農耕から独立したヒト集団の存在を維持しなかっただろう、という主張とは対照的に、本論文の結果は、現在のCAHGは熱帯雨林への適応が後期更新世にまでさかのぼるかもしれない祖先集団の子孫である、という以前の言語学および遺伝学的研究の主張(関連記事)にさらなる裏づけを提供します。


●生態学的予測はアフリカ中央部の考古学的記録と一致します

 他の要因のうち、熱帯雨林環境における高温と豊富な降水量は、有機遺物の保存を制約します。したがって、この地域の考古学的記録は限定的で、非森林地域に偏っています。故に、直接的に過去のCAHGの生態的地位の範囲を定めるのではなく、考古学的記録を用いて、古代の狩猟採集民が占めていた既知の遺跡の場所と年代を予測する本論文のモデルが検証されました。中期石器時代以降の狩猟採集民遺跡から、全ての刊行された放射性炭素年代が集められました(図2A)。同じ1000年の時間断片内の複数の年代がある遺跡を除外すると、118点の年代測定された遺跡の標本が得られました。

 分析の結果、対応する時間断片において、本論文のモデルによって適していると予測された区画では、無作為に選択された区画よりも、遺跡が発見される可能性はほぼ2倍でした(図2B)。次にCAHG遺跡の放射性炭素年代の1000点の無作為な順列が実行され、正しい年代が割り当てられたさいの適切な区画に位置する遺跡の数は、どの順列により予測されたものよりも多い、と確証されました(図2B)。さらに、本論文のモデルの成績は、遺跡の年代と関係ありませんでした。遺跡が位置する地域の高い適合性は、土壌酸性度の低下により媒介されないことも実証されました。それは、本論文のENMに含まれる生態学的変数のいずれも、土壌pHとは有意に相関しなかったからです。これは、遺跡のある地域の高い適合性が単純により良好な保存性の産物ではなかったことを意味します。以下は本論文の図2です。
画像

 本論文の結果から、遺跡の位置は時間不変の地理的もしくは地形的特徴によってだけではなく、そうした位置がさまざまな時点で狩猟採集民人口集団を受け入れるのにどれだけ適していたのかによっても決定される、と示唆されます。本論文のモデルと遺跡分布の組み合わされた結果は、CAHGは長く熱帯環境での生活に適応しており、適合範囲の拡大と縮小がCAHGの人口統計に影響を及ぼした、という見解を裏づけます。化石記録の増加も、狩猟採集民によるアフリカ中央部環境の古代の居住と一致します。


●CAHG人口集団の範囲と接続性の生態学的要因の変化は人口集団の分岐を説明します

 アフリカ中央部の環境変化がアフリカの狩猟採集民の深い進化史とその遺伝的および文化的交換の水準にどのように影響を与えたのか理解するため、過去12万年間のメタ個体群の規模と接続性がモデル化されました。各時間断片について、本論文のENMにより予測される全ての野営地が記入されました。相互接続性の程度を推定するため、移動の困難を表す地形の特徴や川や水量を考慮に入れる、トブラーのハイキング関数を用いて各野営地周辺の移動の負担が計算されました。

 次に、そこから予測される徒歩7時間以内の近隣野営地の総数が計算されました。この半径は、狩猟採集民アカ人(Aka)についてカヴァッリ=スフォルツァ(Luigi Luca Cavalli-Sforza)氏とヒューレット(Bonnie L. Hewlett)氏により経験的に導き出された平均的な「半分の範囲」と対応しており、他のCAHG人口集団の寿命範囲の事後推定値と一致します。接続性の変化が人口集団間の遺伝的分化にどのように影響を与えたのか評価するため、CAHG人口史と、他のヒト系統および相互との予測される分岐に関する最近の研究が集められ、本論文の予測範囲規模と接続性水準が、交差合着(合祖)手法を用いて、全ゲノム研究から得られた人口集団分岐のゲノム推定値と比較されました(図3C)。以下は本論文の図3です。
画像

 さまざまな研究で、CAHG系統と南アフリカ共和国の狩猟採集民サン人(San)の系統(現代人で最初の遺伝的分岐)は、11万~105000年前頃と87000~68000年前頃の間に合着します(関連記事)。これらの推定値は、狩猟採集民の適合範囲における大幅な減少の2期間、および94000年前頃で最盛期となる接続性低下という本論文のモデルの予測と一致し、これは諸研究でのCAHGとサン人との間の分岐推定値の中間点です(図3A・B)。この時点でアフリカ中央部に残っている少ない狩猟採集民人口集団は小さく比較的孤立しており、サン人とCAHGとの間の分離と一致します(図3B)。本論文のモデルが狩猟採集民の生態的地位の大幅な縮小と、アフリカ中央部の東西間の接続性低下を予測する次の期間は66000~42000年前頃まで続き、CAHG系統と祖先系統がバンツー語族拡大にたどれる農耕民の祖先系統との間、およびCAHGの東西系統間の合着が含まれます。

 最後に本論文のモデルは、生態的地位収縮と接続性低下の期間が17000年前頃に始まり、12000年前頃にその頂点に達すると推測し、過去5万年間で適切な区画数が再少だった、と予測します。これはまさに、全てのCAHG西方系統が合着する時間範囲です。アフリカ中央部西方では、適切な範囲は現在のカメルーン沿岸に制約されていました。要約すると、本論文のデータから、CAHG間の分岐の遺伝的推定値はほぼ適切な範囲が平均を下回り、地域間の接続性が低下している期間におもに起きる、と示されます。エクソームデータを用いてさまざまなアフリカ中央部の人口統計学的モデルを検証した最近の研究は、CAHGの東西の分岐を18000~12000年前頃に位置づけましたが、これらの推定値は全ゲノムデータに依拠する推定値と一致しないことに要注意です。


●過去2500年間の東西の狩猟採集民間の遺伝子流動の証拠

 人口集団分岐を裏づける生態的地位収縮の期間の他に、本論文のモデルは顕著な生態的地位拡大の期間および以前に分離した狩猟採集民集団間の遺伝子流動も予測します。したがって、人口集団間の同祖対立遺伝子(identical-by-descent、略してIBD)の共有パターンを用いて、深い共通の祖先系統を有する人口集団間の最近の接触への洞察を提供します。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。

 これにより、4~60世代前の各世代での有効人口規模の推定が可能となります。3区分でIBDの塊が分析されました。それは、1~5 cM(センチモルガン)、5~10 cM、10 cM超です。それぞれ大まかには、2000~1500年前頃、1500~500年前頃、500年前頃以降に相当します。分析の結果、この3期間において西方集団間とCAHG東西間の広範な遺伝子流動が特定されました(図4)。地理的および遺伝的に分化した狩猟採集民集団間の過去2500年間における高水準の接続性は、バンツー語族拡大後の人口減少および断片化に反論します。以下は本論文の図4です。
画像

 本論文のデータでは、より古い期間の集団間接続性を年代測定できませんが、CAHG人口集団の組み合わせ間で固有アレル(対立遺伝子)の明確な共有の証拠も見つかり、アフリカ中央部全域の狩猟採集民間の広範な遺伝子流動が再度示唆されます。本論文の模擬実験と合わせると、これはCAHG間の断片化と接続性の歴史が等しく深いことを示唆します。このパターンは、アフリカ内の遺伝的分離はきれいに分岐したのではなく、継続的な遺伝子流動によりじょじょに形成されたことを示唆する最近の研究(関連記事)、および少なくとも5万年前頃までのムブティ人(東方)とビアカ人(西方)とサン人(南方)との間の遺伝子流動、さらにビアカ人とムブティ人との間の現在までの遺伝子流動の証拠と一致しています(関連記事)。このシナリオが正しければ、現生人類の進化史は、人口集団の断片化と相互接続性の両方を含む、そうした長期の人口動態に照らし合わせて見られる必要があります。

 したがって本論文の生態学的モデルは、アフリカ中央部内、およびアフリカ中央部と他の狩猟採集民間という、両方の人口集団断片化と分岐の主要な遺伝的事象の時期を復元でき、同じくアフリカ中央部の非狩猟採集民人口集団と比較すると、CAHG集団間の高水準の遺伝的分化(FST)を説明できるかもしれません。したがって、過去12万年間の孤立と再接続の複数周期との本論文の予測は、民族誌の記録における小さなバンド規模にも関わらず、後期更新世を通じての高い有効人口規模(3万個体程度)と、バンツー語族農耕民のより最近の子孫と比較したさいの相対的に高水準の遺伝的多様性の両方の維持を説明するでしょう。それは、アフリカ中央部環境のヒトの居住の深い人口構造と、初期現生人類の顕著な形態学的および考古学的多様性も説明するでしょう。これは、アフリカ中央部における利用可能な化石記録の増加により証明されます(関連記事)。


●考察

 本論文は、アフリカの北部と西部と東部と南部との間の重要な地理的架け橋でありながら、伝統的にヒト進化研究からは外されてきたアフリカ中央部における狩猟採集民の分布と密度と動態について、最終間氷期以降の環境変化の役割をモデル化しました。一般的な仮定に反して、CAHGの現在の範囲と存在度は、拡大するバンツー語族話者農耕民による最近の置換よりもむしろ、おもに生態学的条件の長期の適応により決定されています。後期更新世と完新世における環境と利用可能な生態的地位の大きな変動にも関わらず、CAHGは常に、比較的大きく、生存可能で、異なる人口集団を維持してきたでしょう。将来の研究では、同様の手法が採用されて、バンツー語族拡大に続く経路と生態系が決定され、次に、より最近の時間規模とより精細な解像度で、バンツー語族の拡大がCAHGの存在と密度により最近の時間規模で影響を与えたのかどうか、どのように与えたのか、評価されるでしょう。

 それにも関わらず、生態系とCAHGの存在との間でモデル化された関係が、過去の考古学的遺物およびヒト遺骸と一致している事実から、長期にわたって遺伝的に異なるだけではなく、現在のアフリカ狩猟採集民は祖先と同様の生息地に居住している、と示唆されます。それは、アフリカの初期狩猟採集民人口集団が完全ではないものの半ば孤立していた集団へとひじょうに構造化されていた、という最近の形態学的および遺伝学的証拠も裏づけます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。狩猟採集民のバンドの流動的構造により促進される、局所的分化と部分的接続性の組み合わせにより特徴づけられるこの社会性の形態は、環境断片化の定期的事象にも関わらず比較的大きく安定した有効人口規模を維持する(関連記事)、初期狩猟採集民集団の能力も説明できるかもしれません。

 古環境再構築の利用可能性の増加により、ヒトの進化史においてアフリカ環境を特徴づけるきょくたんな気候変動について合意が得られていますが、ヒトの人口動態への変化する生態系の影響を直接的に検証する研究はほとんどありません(関連記事)。将来の研究が、同様の時空間的にも民族誌的にも明示的な手法を採用し、現生人類の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と、ヒトの採食の生態的地位の柔軟性および適応的能力の両方をさらに解明するよう、期待されます。本論文は、アフリカ全域のヒト集団内およびヒト集団間の差異の形成における、生態系変化の役割を決定することにより、沿岸とサバンナの環境を越えて拡大すると知られている初期現生人類集団により利用されていた生態的地位の幅を特徴づけるのに役立ち、過去の集団間の関係や、現在の遺伝的・行動的・文化的多様性への相対的寄与に対して、価値ある洞察を提供できるかもしれません。


参考文献:
Padilla-Iglesias C. et al.(2022): Population interconnectivity over the past 120,000 years explains distribution and diversity of Central African hunter-gatherers. PNAS, 119, 21, e2113936119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2113936119

この記事へのコメント