タイ南部の狩猟採集民マニ人の人口史

 タイ南部の狩猟採集民マニ人(Maniq)の人口史に関する研究(Göllner et al., 2022)が公表されました。ケンシウ人(Kensiu)としても知られるマニ人(Maniq)は、タイ南部の樹木の残る丘に住む、約250人の狩猟採集民です。マニ人は文化的に、アジア南東部本土(MSEA)の「セマン人(Semang)」集団の一つに分類されています。セマン人には、バテッ(Batek、Bateq)やジェハイ(Jehai、Jahai)やキンタク(Kintaq)やメンドリク(Mendriq)など、マレー半島のオランセマン(Orang Semang)先住民文化共同体が含まれます。セマン人は大まかに、オンゲ人(Onge)やジャラワ人(Jarawa)などアンダマン諸島人と、アエタ人(Ayta)やアイタ人(Agta)やママヌワ人(Mamanwa)などフィリピンのネグリートを含む、この地域の他の先住民文化共同体とまとめて「ネグリート」として分類されています。この分類は、平均して低身長で縮毛でより濃い肌色という、これら人口集団の特徴的なネグリートの表現型に関する初期の人類学的記述におもに基づいています。

 MSEAへの移住は、1世紀以上にわたって多くの人類学者や歴史学者にとって関心のある論題です。MSEAの先住民集団の表現型と民族誌の記述に基づき、最初期の仮説の一つは、マレー半島へのヒトの移住の連続した3つの波を仮定しました。それは最初の人々としての狩猟採集民セマン人、それに続くおもに焼畑農耕を行なっていたセノイ人(Senoi)、その後に到来した定住農耕民とほぼみなされる祖型マレー人です。この仮説はこれら人口集団の現在の居住地に部分的基づいており、北方のセマン人、それに続くマレー半島中部のセノイ人、最後に到来した南方の祖型マレー人です。

 あるいは、2層仮説も提案されています。これは、MSEAのさまざまな遺跡で発見されたヒト遺骸の形態計測および歯の分析におもに基づいています。この考古学的理論は、さまざまな期間にわたる現生人類(Homo sapiens)の文化的および表現型的に異なる集団の2層の移住を提案しました(関連記事)。つまり、最初(第1層)は旧石器時代のオーストラロ・メラネシアの狩猟採集民で、それに新石器時代のアジア東部農耕民(第2層)が続いた、というわけです。「第1層」が新石器時代前のホアビン文化(Hòabìnhian)と関連しているのに対して、「第2層」は現在の中国南部からMSEAへの農耕民共同体による穀物農耕の拡大と関連している、と想定されています。

 過去10年間で、一連のゲノム研究はMSEAの移住にいくらかの光を当てました。ヒトゲノム解析機構(Human Genome Organisation、略してHUGO)による現代アジアの73の人口集団を網羅する研究は、アジアへの移住の単一の波を指摘しました(関連記事)。マレーシアの先住民集団をより包括的に網羅したその後の研究では、マレー半島への少なくとも3回の移住の波が明らかになり、遺伝的に異なるセマン人集団の祖先がこの地域の最初の現生人類の移住として示されました。その後の二つの関連研究では、さまざまな遺跡の古代DNA標本が複数用いられ、より複雑だと明らかになりました(関連記事1および関連記事2)。まとめると、この二つの研究は、アジア南東部への少なくとも4回の大きな移住の波を推測しました。それは、ホアビン文化集団とオーストロアジア語族集団とオーストロネシア語族集団と別のアジア東部関連集団です。

 マニ人は、MSEAにおける初期現生人類の起源と人口史についての興味深い洞察を追加できるかもしれません。マニ人は、他のセマン人集団からの長い地理的孤立の歴史を考えると、セマン人で独特な位置を占めます。1961年の研究で指摘されたこの事実は、マレーシアの他のセマン人集団からタイのマニ人を分離する政治的境界の存在を考えると、最近さらに顕著にさえなっています。マニ人の遺伝的独自性と、マレーシアの他のセマン人および非セマン人集団に関する情報は、依然としておもに片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の分析に限定されています。本論文は理解を深めるため、タイのトラン(Trang)県とパッタルン(Phatthalung)県とサトゥーン(Satun)県の親族関係にないマニ人11個体のゲノム規模常染色体データを提示します(図1A)。標本は230万ヶ所の一塩基多型(SNP)で遺伝子型決定され、この地域の現代の人口集団および古代の個体群の利用可能なデータとともに包括的に分析されました。以下は本論文の図1です。
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●マニ人の遺伝的帰属

 マニ人集団の遺伝的関係を決定するため、アフリカとヨーロッパとアジア東部とオセアニアの人口集団で主成分分析(PCA)が実行されました(図1B)。マニ人11個体はマレーのセマン人と密接なクラスタ(まとまり)を形成し、アンダマン諸島とアジア東部の人口集団のまとまり間の勾配に位置し、アンダマン諸島関連とアジア東部関連の祖先供給源間の混合が示唆されます。次に、アジアとオセアニアの人口集団に限定したPCAが実行されました(図1C)。固有ベクトル1はアジア東部からオーストラリアの人口集団へと広がりますが、固有ベクトル2はオセアニア人集団対マニ人集団により定義されます。マニ人はアジア東部人の対極で別のまとまりを形成し、そのまとまりではマレーのセマン人と非セマン人の集団が勾配間に位置します。

 ADMIXTUREに実装されたクラスタ化手法が実行され、他のアジアおよびオセアニアの人口集団との関連で、マニ人の人口集団構造が特定されました(図2)。最初のK(系統構成要素数)=2は、アジア東部関連クラスタ対オーストラレーシア人関連クラスタにより定義され、マニ人はオーストラレーシア人関連クラスタとほぼ結びついているようです。注目すべきことに、早くもK=3では、マニ人はその別個のまとまりを形成し、オンゲ人やジャラワ人やパプア人やブーゲンビル島人と分離します。マニ人はほぼ一貫して、交差検証誤差で反復実行の一貫性が最高となる、最適なK=7まで別個のまとまりを維持しました。この構造に基づく分析におけるマニ人の間の混合の欠如は、以下で検討されるように、高度の遺伝的浮動に起因するかもしれません。以下は本論文の図2です。
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●マニ人は高度な遺伝的分化を示します

 アジア太平洋地域の他の人口集団との関係におけるマニ人の遺伝的分化の程度を決定するため、データセットパネルの人口集団間のFSTが推定されました。その結果マニ人は、他の参照人口集団と比較したさいに対でのFSTに基づくひじょうに長い遺伝的距離を示すことを考えると、強い遺伝的浮動を経てきた、と分かりました。マニ人における遺伝的浮動の程度は、以前に浮動的な人口集団として示された(関連記事)、アンダマン諸島人もしくはフィリピンのネグリートよりも高くなります。さらに、マニ人の遺伝的浮動の程度は、ブラジルのスルイ(Surui)人に匹敵し、フィリピンのマンギャン・ブヒッド人(Mangyan Buhid)よりもさらに高くなります。マンギャン・ブヒッド人は全員、世界規模の人口集団一式と比較して最高水準の遺伝的浮動を有する、と以前に論証されました。

 マニ人で観察された極端な遺伝的浮動に関する証拠は、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)に関する分析でも裏づけられます。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。アフリカ人を除いて、マニ人を含む全ての他の人口集団は、多数の短い断片のROHを示し、これは共有された出アフリカボトルネック(瓶首効果)の証拠として主張されています。

 興味深いことに、他の全人口集団と比較してマニ人は一貫して、100万塩基対以上の各断片の長さの区分で多数のROHを示します(図3B)。さらに、ROH断片の全長に対する総数を記入すると(図3A)、マニ人は両方で高い値を示し、これはブラジルのスルイ人やフィリピンのマンギャン・ブヒッド人など、他のひじょうに浮動的な人口集団でも観察されたパターンです。したがって、これら上述の人口集団とマニ人は、類似の人口集団特性を有しています。それは、小さな人口規模と族内婚の歴史的証拠です。したがって、これらのひじょうに浮動的な人口集団も最高値の近交係数を有していると論証されることは、意外ではありません。以下は本論文の図3です。
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●マニ人はMSEAのホアビン文化関連人口集団の一つです

 ホアビン文化複合の古代の狩猟採集民は、MSEAの現代の狩猟採集民の祖先とみなされる、と以前に主張されました(関連記事)。これは古代DNAデータにより最近裏づけられ、古代の個体群では、オンゲ人とジャラワ人が最も遺伝的に密接なのはホアビン文化関連個体で、それはラオスのファ・ファエン(Pha Faen)遺跡で発見された8000年前頃の個体と、マレーシアのグア・チャ(Gua Cha)遺跡で発見された4000年前頃の個体です。

 f3統計(ムブティ人;マニ人、古代人)を使用すると、マニ人が中華人民共和国福建省の亮島(Liangdao)遺跡の8000年前頃となる個体(亮島2号)とマレーシアおよびラオスの新石器時代個体群に加えて、ラオスのホアビン文化関連個体と高水準の遺伝的浮動を共有していることも分かりました。これは、マニ人がホアビン文化およびアジア東部関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の組み合わせであることを示唆します。

 次に、マニ人と他のセマン人とアンダマン諸島人口集団におけるホアビン文化関連祖先系統の存在が、f4統計(ムブティ人、ラオスのホアビン文化個体;亮島2号、X)および(ムブティ人、ラオスのホアビン文化個体;バランガオ人、X)で検証されました。このf4統計では、どのX人口集団が、最小の混合のアジア東部個体・人口集団か亮島2号かコルディリェラ(Cordilleran)集団のバランガオ人(Balangao)と比較して、ラオスのホアビン文化個体とアレル(対立遺伝子)を共有するのか、調べられました。以前の観察で予測され、それと一致して、オンゲ人とジェハイ人がかなりの水準のホアビン文化関連祖先系統を示しました。残りのセマン人集団では、マニ人も高水準のホアビン文化関連祖先系統を示しました(図4A・B)。以下は本論文の図4です。
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 現代の人口集団の遺伝的関係を調べると、PCAとAdmixture分析は、マニ人がマレーシアのセマン人集団に属する、と示唆します。これがさらに外群f3統計(ムブティ人;マニ人、X)で調べられ、Xはアジア太平洋地域の他の人口集団です。明らかに、マニ人はマレーのセマン人と最高の浮動を共有しており、それに続くのがセノイ人で、これらの人口集団間の共有された歴史が示唆されます。これらの調査結果は、f4統計(ムブティ人、マニ人;X、マレーのセマン人とアンダマン諸島人)で検証した場合とも一致します。このf4統計では、他のアジア太平洋地域の人口集団と比較して、マニ人は一貫してマレーのセマン人とクレード(単系統群)を形成します。さらに、f4統計(ムブティ人、パプア人;バランガオ人、X)および(ムブティ人、オンゲ人;バランガオ人、X)を用いると、マニ人とマレーのセマン人集団は、パプア人およびアンダマン諸島人とアレルを共有すると分かり、共有された基底部オーストラレーシア人祖先系統と、これら人口集団間の深い歴史的関係が浮き彫りになります(図4E・F)。最後に、マニ人は他のマレーのセマン人集団と比較して、アンダマン諸島人とより多くのアレルを共有している、と分かりました。


●マニ人はアジア東部人との最近の混合の証拠を示します

 アジア東部からの遺伝子流動は、MSEAのマレーのセマン人で以前に観察されました。古代のアジア東部からの遺伝子流動は亮島2号で表され、マレーのセマン人に存在しますが、マニ人ではそれより低くなります(図4C)。マニ人における現代の遺伝子流動を調べるため、f4統計(ムブティ人、バランガオ人;オンゲ人、X)が実行され、アジア太平洋地域人口集団のXがバランガオのコルディリェラ人に代表されるアジア東部人との遺伝子流動があったのかどうか、調べられました(図4D)。その結果、マニ人はマレーのセマン人とともに、アジア東部人との有意な遺伝子流動を示す、と分かりました。これはqpAdmにおけるf統計推定の実装により裏づけられ、マニ人の祖先供給源として最も妥当なモデルは、アンダマン諸島関連祖先系統(65%)とアジア東部関連祖先系統(35%)の組み合わせと分かりました(図5)。さらに、加重連鎖不平衡(LD)依拠手法であるMALDERを用いて混合年代が推定され、マニ人はアジア東部関連祖先系統とアンダマン諸島関連祖先系統との間の混合事象を経ており、その年代は709年前(1世代25年と仮定して95%信頼区間で944~475年前)と明らかになりました。以下は本論文の図5です。
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 マニ人と他のMSEA人口集団との間の系統発生的関係を理解するため、遺伝的浮動についてガウス近似とともにアレル頻度データを利用するTreeMixが実装されました。本論文の分析は一貫して、セマン人集団の共通の祖先枝へのアンダマン諸島人からの遺伝子流動の存在とともに、他の人口集団と比較してマニ人で観察される有意な遺伝的浮動を明らかにします(図6)。以下は本論文の図6です。
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 さらにqpGraphを用いて、マニ人の混合史のあり得るモデルが明示的に検証されました(図7)。マニ人がホアビン文化関連集団もしくはアジア東部関連集団の排他的クレードである、とのモデルは却下されます。データに適合するモデルは、マニ人がオンゲ人およびラオスのホアビン文化個体とクレードを形成し、後にアジア東部関連人口集団との混合を経た場合で、マニ人の二重祖先供給源の追加の裏づけが提供されます。以下は本論文の図7です。
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●マニ人におけるデニソワ人祖先系統の影響増加の証拠はありません

 マニ人における、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の遺伝的影響が調べられました。デニソワ人の高品質なゲノムデータは、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された個体から得られています(関連記事)。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)祖先系統の直接的なf4比推定(アルタイ山脈ネアンデルタール人、チンパンジー;X、ヨルバ人)および(アルタイ山脈ネアンデルタール人、チンパンジー;クロアチアのネアンデルタール人、ヨルバ人)を用いると、マニ人は1.9%程度のネアンデルタール人祖先系統を有していると分かり、これはアフリカ外の人口集団で予測される割合です。この分析で用いられた高品質なゲノムデータが得られたネアンデルタール人個体は、アルタイ山脈のデニソワ洞窟(関連記事)と、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見されました(関連記事)。同様に、f4統計(チンパンジー、ネアンデルタール人;ムブティ人、X)を用いた場合も、結果は一貫しています。

 f4統計(チンパンジー、デニソワ人;ヨーロッパ人、X)および(チンパンジー、ネアンデルタール人、南部漢人、デニソワ人)を用いると、他のマレーのセマン人集団と同様に、マニ人でもデニソワ人祖先系統の検出可能な兆候は見つかりませんでした。これは、マレーの非セマン人やアンダマン諸島やインドネシアやコルディリェラ人やアジア東部本土の人口集団にも当てはまります。これは、フィリピンのネグリートとオーストラロパプア人で見つかる高水準のデニソワ人祖先系統とは対照的で、デニソワ人からこの地域の現代人の祖先集団への遺伝子移入事象は、アジア南東部島嶼部とオセアニアで起きた可能性が高い、と示唆します(関連記事1および関連記事2よび関連記事3)。


●考察

 本論文は、タイのマニ人の遺伝的起源と祖先系統についての最初の包括的調査を提示します。マニ人はこの地域の最後の主要な狩猟採集民集団の一つとみなされています。本論文のゲノム規模分析により、マニ人集団はMSEAのセマン人集団とクレードを形成し、両者はアンダマン諸島関連遺伝的祖先系統を高水準で有する、と明らかになりました。セマン人では、マニ人はジェハイ人およびメンドリク人とよりも、バテッ人およびキンタク人の方と密接にまとまります(図6)。これは、マニ人に関する1961年の人類学的記述と一致しており、この研究では、マニ人はマレー半島のセマン人集団と共通の文化的特徴を有しているとされ、共有された歴史と起源が示唆されます。マニ人とマレーのセマン人は両方、MSEAの他の非セマン人集団と交易を行なっていました。さらに、マニ人とマレーのセマン人はオーストロアジア語族のアスリ(Aslian)諸語分枝にともに分類されている言語を話します。マレーのセマン人とは対照的に、マニ人は農耕もしくは家畜で生計を立てておらず、生計様式として狩猟と採集のみに依存しています。もちろんこれは、伝統的な生活様式にしたがって暮らし、定住生活様式に移行しなかったマニ人にのみ当てはまります。

 生計の採食形態は、MSEAの「第1層」である古代のホアビン文化関連狩猟採集民にまでさかのぼれます。したがって、マレーのセマン人のように、マニ人は8000年前頃となるラオスのホアビン文化関連個体と強い遺伝的関係を有している、と分かりました。歴史的に、ホアビン文化関連遺伝的祖先系統を高水準で有する人口集団はアジア東部により広範に分布しており、ラオス以外にも、中国南部(関連記事)や日本列島(関連記事)で見つかっています(疑問も呈されています)。アジア東部関連集団の最近の拡大のため、ホアビン文化関連共同体は移動させられるか、置換されるか、農耕移民のより大きな人口集団に吸収されました。これは、ほぼ孤立して狩猟採集民を維持してきたマニ人には当てはまらず、マニ人はアジア本土ではホアビン文化関連祖先系統を高水準で有する数少ない集団の一つになっています。

 マレー半島の他のセマン人集団と同様に、マニ人もアジア東部関連祖先系統を有する人口集団との混合を示します。これはオーストロアジア語族話者のメコン川沿いの最近の南方への拡大、および/もしくはマレー半島からタイ南部へのオーストロネシア語族話者の北方へのより最近の拡大に起因するかもしれません。後者は、部分的にマニ語で見つかる一部のオーストロネシア語族の語彙項目を説明できるかもしれません。あるいは、これは2000~1000年前頃のアジア南東部へのタイ・カダイ語族話者の拡大に起因するかもしれません。さらに、マニ人における深い東方古代関連祖先系統の基層を完全には排除できません。この深い東方祖先系統は、スラウェシ島のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞で発見された7300年前頃の個体で最近検出されました(関連記事)。したがって、MSEAへの完新世の複雑な一連の移住は、セマン人集団ではアジア東部関連祖先系統の変動のある水準に顕著な影響を及ぼした可能性が高そうです(図4および図5)。

 興味深いことに、アジア東部関連混合の存在にも関わらず、マニ人は一貫して、MSEAにおける最高量のアンダマン諸島関連祖先系統を示し、その水準はMSEAの他の現代セマン人集団よりも高くなっています。これが示唆するのは、マニ人におけるアジア東部人の混合の影響が他のセマン人集団と比較して限定的で、それはマニ人の長期の地理的および文化的孤立に起因する可能性が高い、ということです。したがって本論文の調査結果は、MSEAに到来し、ほぼ区別されたままで、後にアジア東部関連祖先系統を有する近隣人口集団との限定的な混合を経た、ホアビン文化関連狩猟採集民人口集団としてのマニ人の人口史の物語と一致します。

 長期の孤立と他の人口集団との限定的な混合は、マニ人における遺伝的浮動の水準に明らかに影響を及ぼしました。最初期の人類学的報告ではセマン人集団間の高い移動性と相互作用が観察されましたが、他のセマン人集団との距離を考えると、マニ人は他集団よりも孤立していた、と当時は指摘されました。本論文では、マニ人が最高水準の長いROH区域とともに、最高水準の人口集団FSTを有する世界の人口集団の一つだと分かりました(図3および図4A)。したがって、これはマニ人の人口規模に影響を及ぼしました。

 マニ人の人口は1960年代以前にはわずか100~300個体と推定されており、最近でも約250個体と推定されました。過去において人口規模に影響を及ぼした他の要因は不明なままですが、より最近の要因は森林伐採で、それにより採集のための果物や塊茎の入手だけではなく、狩猟の獲物の領域も減少しました。族間婚は限定的でしたが、非マニ人とマニ人との間の相互作用は、文化的拡散を通じてマニ人の生活様式に最近影響を及ぼしてきました。マニ人では定住型生活様式は好まれませんが、最近になって、一部のマニ人は採食からより定住的なタイの生活様式に移行しつつあります。より包括的なデータで、特定の表現型特徴へのこれら高水準の自己接合性の影響に関する調査により、洞察に満ちた結果を提供できるでしょう。

 マニ人における検出できない水準のデニソワ人祖先系統は、オーストロパプア人とフィリピンのネグリートの祖先はウォレス線の東側においてデニソワ人からの遺伝子移入事象を経た可能性が高い、との証拠を裏づけます(関連記事)。MSEAで起きたデニソワ人からの遺伝子移入事象について、MSEAとボルネオ島の現代のネグリート集団における高水準のデニソワ人祖先系統が予測されるでしょう。しかし、以前の調査結果と本論文の分析は、マニ人もしくはマレー半島の他のセマン人集団が高水準のデニソワ人祖先系統を有するとは示さず、じっさいその水準は、標準的なf4比もしくはD検定に基づくと検出できませんでした。

 同様に、全てのボルネオ島の人口集団は、検出できない水準のデニソワ人祖先系統を示します。さらに、マレーの4000年前頃とラオスの8000年前頃のホアビン文化関連狩猟採集民を含めて、MSEAの全ての古代の個体も、有意に高水準のデニソワ人祖先系統を示しません。これらの調査結果を考えると、オーストロパプア人もしくはフィリピンのネグリートの祖先が、MSEAとボルネオ島における移住の過程でデニソワ人祖先系統を得た可能性は低く、ウォレス線の東側の島々で独立した遺伝子移入事象を経た可能性が高い、と考えるのがより節約的です。

 ほとんどの集団遺伝学的研究(関連記事)と同様に、本論文の調査結果は小さな標本規模に制約されています。本論文ではマニ人の3%以上(300個体のうち11個体)が網羅されましたが、より大きな標本規模か全ゲノム配列決定によるより高解像度の将来の研究は、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)の影響の推定を含めて、人口統計学的分析を検証するのに価値があるでしょう。


参考文献:
Göllner T. et al.(2022): Unveiling the Genetic History of the Maniq, a Primary Hunter-Gatherer Society. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac021.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac021

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