ポンペイの噴火犠牲者のゲノム解析
ポンペイの噴火犠牲者のゲノム解析結果を報告した研究(Scorrano et al., 2022)が公表されました。ポンペイの遺跡はイタリアにおける54ヶ所のユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界遺産の一つです。ポンペイは、79年にベスビオ火山の噴火の灰により完全に破壊されて埋まるまで、ローマ帝国期のイタリア半島中央部のナポリの南側に位置する港湾都市でした(図1)。古代ローマの法曹・政治家・著述家・行政官だった小プリニウス(Gaius Plinius Caecilius Secundus)によると、ベスビオ火山の噴火は8月24日の午後1時頃に起き、40km離れても見えました。噴火の直接的結果として2000人以上が死亡し、ヨーロッパ史で最悪の噴火犠牲者数となりました。
本論文は、ポンペイの人口集団の遺伝的歴史を再構築するための、集中的で広範な古遺伝学的分析を促進する基盤を提供します。外科医の家(Casa del Chirurgo)やファウヌスの家(Casa del Fauno)や貞淑な恋人の家(Casa dei Casti Amanti)やなど、ポンペイのいくつかの例外的によく保存された建物から、ポンペイはおそらく裕福なローマ市民のための休日行楽地だった、と示唆されます。しかし、ポンペイは交易と商売にとって重要な都市でもあり、人口は6400~2万人の範囲でした。以下は本論文の図1です。
19世紀から現在までの遺跡の徹底的な科学的研究の継続にも関わらず、ポンペイのヒト遺骸の生物考古学および遺伝学的研究の両方の実行は困難でした。それは、高温暴露により効率的に骨気質が破壊され、生体燐灰石の構造が変わり、回収可能なDNAの質と量が減少するからです。一方、遺骸を覆っている火砕物が、DNAを分解する大気中の酸素など、環境要因から遺骸を保護することもあり得ます。
過去の研究は、ポンペイにおけるヒトと動物考古学両方の遺骸からの遺伝的データ回収の可能性を示してきましたが、それらの最初の分析は、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)に基づく手法を用いて得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)の短い範囲に限定されていました。高情報量ショットガン配列決定やDNA捕獲や濃縮戦略など新しい利用可能な手法とともに、歯と錐体骨からの古代DNAの最適な供給源の使用により、以前には遺伝学的研究に不適切だった標本から得られるデータ量は大幅に増え、古代ポンペイの人口集団における遺伝的多様性の知識をかなり増加させる、新たな道を開く可能性があります。
この研究では、ポンペイの鍛冶屋の家(Casa del Fabbro、以下CF)の2個体の遺骸の、生物考古学および古ゲノム分析での学際的手法が提示されます。1個体の古代DNAの回収成功により、その遺伝的歴史の再構築および骨格生物学の証拠とともに、血液由来の病原体の存在の調査が可能になりました。さらに、このデータはローマ帝国期のローマ以外の遺伝的多様性の概要も示せます。
●標本
分析されたヒト遺骸はCFの9号室に由来し、その位置と向きは、高温の火山灰雲の接近による即死と一致します。ポンペイで発見された個体の半分以上は屋内で死亡しており、火山噴火の可能性を集団が意識していなかったか、この地域では比較的一般的な微震のため危険性が軽視されていた、と示唆されます。両骨格は解剖学的位置で発見されました。両者ともおそらくは食堂の隅で、トリクリニウム(食事中にローマの建物で用いられた長椅子のようなもの)の残骸の上で低い浮き彫りに寄りかかっていました。個体Aは四肢を曲げた左横向きの姿勢で、左腕と右脚を地面につけ、右側四肢をトリクリニウムの上に置いていました。個体Bは両腕を頭蓋の前に起き、脚を右側に曲げて地面につき、背中はトリクリニウムに寄りかかっていました。
CFの2個体は、それぞれの性別と推定身長とおよその死亡年齢を確認するため、骨学的に検査されました。個体Aは35~40歳の男性で、身長は164.3cmでした。個体Bは50歳以上の女性で、身長は153.1cmでした。ローマ期の平均身長は男性が164.4cm、女性が152.1cmで、ポンペイとヘルクラネウム(Herculaneum)も同様です。
この2個体の錐体骨からDNAが抽出され、網羅率の平均ゲノム規模深度は、個体Aが0.4倍、個体Bが0.0013倍です。個体Aのゲノムデータは低汚染率で詳細に分析されましたが、個体Bのゲノムデータは網羅率が低いため、詳細には分析できませんでした。
●性別決定と片親性遺伝標識
遺伝学的性別決定により、個体Aは男性という形態学的判断が確証されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)では、個体AのmtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aで、mtHg-HV0の主要な単系統枝となり、mtHg-HVの下位クレード(単系統群)です。このmtHgはイタリアの刊行されたローマ帝国期の個体群(関連記事)には存在しません。ヨーロッパでは、mtHg-HVの最初の証拠はスペインのマグダレニアン(Magdalenian)期の個体に由来しますが、イタリアではシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島の中石器時代個体に由来します。mtHg-HVは、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後のユーラシアにおける初期現生人類(Homo sapiens)の拡散と関連しています。mtHg-HVはヨーロッパ全体で不均一に広がっており、近東で最高頻度(11%)となり、ヨーロッパ南部では4~11%、バルカン半島では8%程度の頻度です。mtHg-HV0aは12500~11000年前頃に合着(合祖)し、現代の人口集団では、サルデーニャ島で一般的です。
個体Aは網羅率が低いものの、Y染色体ハプログループ(YHg)はA1b1b2b(M13)と分かり、これはイタリア半島の古代の個体群では見つかっていない稀な系統です。YHg-A1b1b2bはおもにアフリカ東部で見られますが(40%程度)、ずっと低い頻度で、近東(現在のトルコやイエメンやエジプトやパレスチナやヨルダンやオマーンやサウジアラビア)や地中海諸島(サルデーニャ島やキプロス島やレスボス島)において見られます。YHg-A1b1b2bの下流で、分析を塩基転換多型に限定すると、個体AはA-V5880に位置づけることができます。これは過去の研究から全てのYHg-A1b1b2のサルデーニャ島人を含み、ベイズ分析を用いると7620(±920)年前頃に合着する、YHg-A1b1b2bの下位クレードです。
●ポンペイ市民の遺伝的構造
高網羅率の古代ポンペイ個体Aの関係を理解するため、現代のユーラシア西部の471個体と統合された、上部旧石器時代から中世までの関連する以前に刊行された古代人口集団のデータセット(124万ヶ所一塩基多型で遺伝子型決定)が集められ、その後の全ての分析で用いられました。EIGENSOFTパッケージを用いて主成分分析(PCA)が実行され、その結果、ポンペイの個体Aは他のイタリアのローマ帝国期個体群とクラスタ化し(まとまり)、アナトリア半島からヨーロッパの人口集団のよく記録された新石器時代勾配の近くに位置します(図2a)。以下は本論文の図2です。
これらの結果はD統計(ムブティ人、検証対象;ポンペイ個体A、イタリア帝政期個体群)を用いて検証でき、ポンペイ個体Aが他のイタリア半島中央部ローマ帝国期個体群とクレード(単系統群)を形成するのかどうか、他の残りの人口集団を除いて、評価されました。イタリア半島ローマ帝国期個体群と高い遺伝的浮動を共有する、青銅器時代イベリア半島個体群を除いて、全ての他の検証人口集団で、ポンペイ個体Aとローマ帝国期個体群とのクラスタについて、クレード的な関係を却下できません。
さらに、D統計(ムブティ人、検証対象;ポンペイ個体A、ロシアMA1狩猟採集民)を用いて、どの他の人口集団がポンペイ個体Aと高い類似性を示すのか、検証されました。ロシアMA1狩猟採集民とは、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の個体です(関連記事)。Z得点値が-3以下の人口集団は、ポンペイ個体Aとの共有された浮動の過剰の統計的に有意な結果を表します。その結果、新石器時代アナトリア半島個体群(アナトリア半島N)が最高得点(-9.57)を示しました(図3)。以下は本論文の図3です。
PCAにおけるポンペイ個体Aの位置(図2a)も、ギリシアやマルタ島やキプロス島やトルコなど現代の地中海と近東の人口集団の分布の近くに位置します。そうした結果により、近東からの遺伝的寄与の仮定が可能となります。この仮定は、新石器時代イラン(イランN)から(ポンペイ個体Aも含む)イタリア半島ローマ帝国期(イタリアIRA)個体群までの、銅器時代イラン(イランCA)とイラン鉄器時代(イランIA)個体群を通る勾配によっても裏づけることができます(図2a)。
イラン関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の存在は新石器時代以来イタリア半島で特定されており、ローマ帝国期とそれ以前の鉄器時代を比較して、イタリア半島中央部においてイラン関連構成要素の増加が報告されています(関連記事1および関連記事2)。しかし、同じ4集団検定を実行しても、ローマのローマ帝国期個体群の代わりにポンペイ個体Aを用いると、結果は統計的に有意ではなくなり、ポンペイ個体Aでは鉄器時代後に起きたイラン関連祖先系統によるさらなる寄与はなかった、と示唆されます。
本論文のPCAで得られた個体群の分布(図2a)から、モロッコのイベロモーラシアン(Iberomaurusian)からイタリア半島ローマ帝国期(イタリアIRA)までの、モロッコ新石器時代を経ての鉄器時代後の勾配を認識することも可能です。アフリカ北部供給源に由来する遺伝的分布は、すでにイタリア半島の先史時代において明らかです。じっさい、アフリカ北部祖先系統の混合は銅器時代以降のサルデーニャ島(関連記事)と鉄器時代以降のイタリア半島中央部(エトルリア)で認識されており(関連記事1および関連記事2)、ローマ帝国期へと継続しました。
それにも関わらず、D統計を用いて、ポンペイ個体Aにおけるアフリカ北部祖先系統の寄与は特定されませんでした。ほとんどの青銅器時代後のヨーロッパ人口集団における別の顕著な遺伝的構成要素は、究極的にはユーラシア草原地帯に由来する供給源からもたらされ(関連記事)、鉄器時代イタリア半島(関連記事)と青銅器時代シチリア島(関連記事)とポンペイ個体Aで証明されてきました。
これらの調査結果を確認するため、ポンペイ個体Aを3方向若しくは4方向の組み合わせとして適合させるよう、試みられました。具体的には、qpAdmを用いて、アナトリア半島新石器時代、ロシアのヤムナヤ文化(草原地帯)、イラン新石器時代、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)個体群で検証されました。10万ヶ所の一塩基多型(SNP)の最小閾値が設定され、p>0.05の場合のみが検討されました。
データに適合する3方向混合は常に、アナトリア半島とイランの新石器時代個体群からの祖先系統を両方含み、草原地帯とWHG個体群からの寄与はさまざまでした。4方向モデルは、草原地帯関連(13.5±8.0%)およびWHG(4.4±5.4%)と比較して、アナトリア半島新石器時代(51.6±7.8%)とイラン新石器時代(30.5±8.1%)の主要な寄与を示しました(図2b)。さらに、第五の供給源としてモロッコのイベロモーラシアン個体群を含めることにより適合が改善されるのかどうか調べられましたが、この最後の構成要素のある3方向もしくは4方向混合では、有意な結果は得られませんでした。
●結核菌
ポンペイ個体Aで実行された古病理学的研究では、第四腰椎(L4)の上半分の大きな溶菌性破壊などの診断形態学的指標に基づいて、脊髄結核(ポット病)と診断されました(図4)。さらに、デジタル放射線写真分析は、椎体前上部で侵食を示し、下向きの皮質縁が減少し、鉢型の概観をしています。同様の病変(化膿性骨髄炎や放線菌症や転移性腫瘍や骨粗鬆症やブルセラ症や肺外結核)を引き起こす可能性がある他の全ての脊椎骨炎は、以下の理由で除外されてきました。以下は本論文の図4です。
化膿性骨髄炎は、腰椎の傾きを伴う、椎体の溶解性病変を引き起こす可能性がありますが、棘突起と神経弓がしばしば関与し、病変は顕著な新しい骨増生を示すことが多くなります。放線菌症は、反応性の新生骨に囲まれた大きな球状の病変が特徴で、脊柱は他の感染症とはまったく異なる方法で侵されます。転移性腫瘍は、まず小節と神経弓と棘突起に円形の溶解性病変を生じ、その後で椎体に影響を及ぼします。骨粗鬆症は最も頻度が高い脱灰性疾患で、骨の脱灰により椎体骨折や虚脱が生じ、通常は高齢者が罹患します。
ブルセラ症は、牛乳や感染肉の摂取により起きる伝染力の強い人獣共通感染症で、その経過はポット病(肺外結核)と似ているので、偽ポット病と呼ばれています。ポンペイ個体Aには、脊椎の破壊的病変と骨化性膿瘍の形成が見られます。さらに、デジタル放射線写真分析では、ブルセラ症の脊椎炎は、分布性脱灰、1本以上の連続した椎体の上前角の典型的な破壊を伴う椎体辺縁の不規則な侵食、接触椎体間の空間の縮小、ペドロ・i・ポンズ痕跡(上前腸骨角の骨融解部周辺にある、ブルセラ型脊椎炎に典型的な半円形の骨融解部)を示します。デジタル放射線写真画像はペドロ・i・ポンズの痕跡を示さず(図4)、以前に提案された結核の古病理学的および放射線学的基準に完全に一致します。
肺外結核は、脊椎崩壊(ポット病)や骨膜反応性病変や骨髄炎など、特徴的な骨格変化を引き起こす可能性があります。したがって、ポンペイ個体Aの最も可能性の高い診断は脊髄結核で、これは骨要素を含む結核の最も一般的な種類で、人類史上において最も一般的で破壊的な疾患の一つです。腰椎が部分的に保存されているので、回復していないL3にも病変が及んでいるのかどうか、観察できません。それにも関わらず、L4の上部の病変の広がりの程度から、L3の下部も影響を受けている、と考えられます。この事例の重要性は、考古学的文脈で識別できる唯一の事象である骨格損傷が、少数例でのみ発生するからでもあります。抗生物質以前のデータでは、結核患者の約3~5%が骨の変化を示す、と示唆されています。
古代の病原体のDNAも古代の骨資料で保存され得る、と知られているので、結核と古病理学的に診断されたポンペイ個体Aの配列読み取りから結核菌DNAの回収が試みられました。このために、全ての古細菌と真正細菌とウイルスのゲノムを含むデータ、およびヒト参照配列について、包括的なメタゲノム分類指標が用いられました。この結果、マイコバクテリウム属に分類された14096の読み取りが得られましたが、そのうち403の読み取りのみが結核菌種複合にのみ分類されました。これが抽出され、結核菌ヒト株H37Rvに再度マッピングされ、脱アミノ化パターンが評価されました。マイコバクテリウム属の読み取りを用いた場合、確かに古代DNAと一致する損傷パターンが示されましたが、結核菌複合に分類された読み取りに限定すると、データ量の少なさのため確証に充分な解像度は得られませんでした。
この結果は、以下の三つの異なる理由による可能性があり、相互に排他的ではありません。第一に、錐体骨は内在性古代DNAの優れた供給源と知られているものの、病原体からの古代DNAをほとんど示さないことです。第二に、結核菌は、罹患して症状がある患者の頬から綿棒で採取してさえ、分子的診断が困難なことです。第三に、マイコバクテリウム属の中で、結核菌は他の一般的な土壌マイコバクテリウム属種と最大で99%の遺伝子配列の同一性を共有していることです。しかし今回の事例では、2個体は全身が火山性物質に覆われていたので、続成作用の過程で土壌と接触することはありませんでした。そのため、結核菌DNAの発見は、内在性である可能性がより高そうです。
●考察
本論文が把握している限り、上述の結果は最初に配列の成功したポンペイのヒトゲノムを表しています。ゲノム規模分析から、ポンペイ個体Aは遺伝的に、おもにイタリア半島中央部およびサルデーニャ島の地中海現代人と近い、と示されます。ローマ帝国期における有効人口規模の拡大と増加のため、ローマ人の遺伝子プールは近隣人口集団に寄与し、現在の地中海地域でまだ認識できる遺伝的痕跡が伴う、と考えることは妥当です。新石器時代アナトリア半島個体群とポンペイ個体Aの高い類似性を示す常染色体の結果と一致して、ポンペイ個体AのYHgは現在、サルデーニャ島住民でのみ見られます。このため、ポンペイ個体Aの父系は、新石器時代にアナトリア半島を通ってイタリア半島に到来した可能性が高そうです。
ポンペイ個体AのYHgとmtHgは、イタリア半島のローマ帝国期の刊行された個体群には存在せず、イタリア半島全域におけるこの期間の高い多様性が示唆されます。この兆候は、ポンペイ個体Aで見られる推定された祖先系統の割合と、刊行されたローマ帝国期個体群(関連記事)との比較により、ゲノム規模水準でも見ることができます。じっさい、刊行された個体群の一部については、同じ供給源人口集団を用いてのモデルとの適合に達することができず、異なる遺伝的構成が示唆されます。ローマ帝国期に見られるこの遺伝的多様性は、すでにさまざまな手法を用いて特定された、地中海地域全体の人々の接触や相互作用や移住によっても裏づけることができるかもしれません。
ローマ帝国期の高い遺伝的多様性にも関わらず、ポンペイ個体Aはイタリア半島中央部ローマ帝国期集団とより高水準の共有された遺伝的浮動を示します。この結果から、分析されたポンペイ個体Aはイタリア半島出身だったはずだ、と強く示唆されます。ポンペイ個体Aがポンペイの在来人口集団に属していたのか、イタリア半島の帝国人口集団を特徴づける内部移民の5%の一部だったのか、対処するのは困難ですが、奴隷化の慣行と関連する大規模な外部移民の一部だった可能性はひじょうに低そうです。
最後に、複数の証拠を用いて、ポンペイ個体Aが結核に冒されている、と確認されました。ローマ帝国期に結核が流行していたことは、ケルスス(Aulus Cornelius Celsus)の『医学論』などの著作や古い記述によりすでに知られています。ローマ時代の始まりを特徴づける人口密度増加は、おそらくローマ人の都市生活様式の発展によるもので、イタリア半島全域への結核拡大に好都合でした。
結論として、この研究は1個体に限られているものの、独特なポンペイ遺跡のヒト遺骸を調べる古ゲノム手法適用の可能性を確証して論証しました。この最初の調査結果は、保存状態が良好なポンペイ個体の集中的な分析を促進する基礎を提供します。ポンペイ市について過去100年間に収集されてきた膨大な考古学的情報に支えられ、その古遺伝学的分析は、ローマ帝国期のこの魅力的な人口集団の生活様式の再構築に役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:初めて解読されたポンペイ人のゲノム塩基配列
ポンペイ(現在のイタリア南部にあった古代都市)で西暦79年のベスビオ火山噴火後に死亡したヒトのゲノム塩基配列が初めて解読されたことを報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。これまでは、ポンペイの住民と動物の遺骸から採取されたミトコンドリアDNAの短い一部の塩基配列しか解読されていなかった。
今回、Gabriele Scorranoたちは、ポンペイのCasa del Fabbro(鍛冶屋の家)で発見された2体の遺骸を調べ、それらからDNAを抽出した。遺骨の骨格の形状、構造、長さから、一方は死亡時に35~40歳だった男性のもの、もう一方は50歳以上の女性のものであることが明らかになった。Scorranoたちは、両方の遺骸から古代DNAを抽出して、ゲノム塩基配列の解読を試みたが、ゲノム全体の塩基配列を解読できたのは男性の遺骸だけで、女性の遺骸から抽出されたDNAからは十分な遺伝情報を読み取れなかった。
この男性のDNAは、西ユーラシアの古代人1030人と現代人471人から採取されたDNAと比較され、この男性のDNAは、イタリア中部の現代人のDNAや現在のイタリアに当たる地域に居住していたローマ帝国時代の人々のDNAと最も類似していることが示唆された。一方、この男性のミトコンドリアDNAとY染色体DNAの解析から、現代のサルデーニャ島出身者に一般的に見られる遺伝子群が見いだされたが、この遺伝子群は、現在のイタリアに当たる地域に居住していたローマ帝国時代の人々には見られなかった。これは、ローマ帝国時代のイタリア半島全土で、高いレベルの遺伝的多様性が見られた可能性を示唆している。
また、この男性の骨格とDNAの解析を進めたところ、1つの椎骨に病変が見つかり、マイコバクテリウム属細菌(結核菌などを含む)に一般的に見られるDNA塩基配列が特定された。これ果は、この男性が死亡前に結核にかかっていた可能性を示唆している。
Scorranoたちは、この男性の遺骸から古代DNAを抽出できたのは、噴火中に放出された火砕物が、DNAを分解する環境要因(大気中の酸素など)から遺骸を守っていたからかもしれないと推測している。また、Scorranoたちは、今回の知見は、ポンペイ人の遺骸から古代DNAを採取できる可能性があることを実証しており、ポンペイ人の遺伝的歴史と生活に関する新たな手掛かりをもたらしていると付言している。
参考文献:
Scorrano G. et al.(2022): Bioarchaeological and palaeogenomic portrait of two Pompeians that died during the eruption of Vesuvius in 79 AD. Scientific Reports, 12, 6468.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-10899-1
本論文は、ポンペイの人口集団の遺伝的歴史を再構築するための、集中的で広範な古遺伝学的分析を促進する基盤を提供します。外科医の家(Casa del Chirurgo)やファウヌスの家(Casa del Fauno)や貞淑な恋人の家(Casa dei Casti Amanti)やなど、ポンペイのいくつかの例外的によく保存された建物から、ポンペイはおそらく裕福なローマ市民のための休日行楽地だった、と示唆されます。しかし、ポンペイは交易と商売にとって重要な都市でもあり、人口は6400~2万人の範囲でした。以下は本論文の図1です。
19世紀から現在までの遺跡の徹底的な科学的研究の継続にも関わらず、ポンペイのヒト遺骸の生物考古学および遺伝学的研究の両方の実行は困難でした。それは、高温暴露により効率的に骨気質が破壊され、生体燐灰石の構造が変わり、回収可能なDNAの質と量が減少するからです。一方、遺骸を覆っている火砕物が、DNAを分解する大気中の酸素など、環境要因から遺骸を保護することもあり得ます。
過去の研究は、ポンペイにおけるヒトと動物考古学両方の遺骸からの遺伝的データ回収の可能性を示してきましたが、それらの最初の分析は、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)に基づく手法を用いて得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)の短い範囲に限定されていました。高情報量ショットガン配列決定やDNA捕獲や濃縮戦略など新しい利用可能な手法とともに、歯と錐体骨からの古代DNAの最適な供給源の使用により、以前には遺伝学的研究に不適切だった標本から得られるデータ量は大幅に増え、古代ポンペイの人口集団における遺伝的多様性の知識をかなり増加させる、新たな道を開く可能性があります。
この研究では、ポンペイの鍛冶屋の家(Casa del Fabbro、以下CF)の2個体の遺骸の、生物考古学および古ゲノム分析での学際的手法が提示されます。1個体の古代DNAの回収成功により、その遺伝的歴史の再構築および骨格生物学の証拠とともに、血液由来の病原体の存在の調査が可能になりました。さらに、このデータはローマ帝国期のローマ以外の遺伝的多様性の概要も示せます。
●標本
分析されたヒト遺骸はCFの9号室に由来し、その位置と向きは、高温の火山灰雲の接近による即死と一致します。ポンペイで発見された個体の半分以上は屋内で死亡しており、火山噴火の可能性を集団が意識していなかったか、この地域では比較的一般的な微震のため危険性が軽視されていた、と示唆されます。両骨格は解剖学的位置で発見されました。両者ともおそらくは食堂の隅で、トリクリニウム(食事中にローマの建物で用いられた長椅子のようなもの)の残骸の上で低い浮き彫りに寄りかかっていました。個体Aは四肢を曲げた左横向きの姿勢で、左腕と右脚を地面につけ、右側四肢をトリクリニウムの上に置いていました。個体Bは両腕を頭蓋の前に起き、脚を右側に曲げて地面につき、背中はトリクリニウムに寄りかかっていました。
CFの2個体は、それぞれの性別と推定身長とおよその死亡年齢を確認するため、骨学的に検査されました。個体Aは35~40歳の男性で、身長は164.3cmでした。個体Bは50歳以上の女性で、身長は153.1cmでした。ローマ期の平均身長は男性が164.4cm、女性が152.1cmで、ポンペイとヘルクラネウム(Herculaneum)も同様です。
この2個体の錐体骨からDNAが抽出され、網羅率の平均ゲノム規模深度は、個体Aが0.4倍、個体Bが0.0013倍です。個体Aのゲノムデータは低汚染率で詳細に分析されましたが、個体Bのゲノムデータは網羅率が低いため、詳細には分析できませんでした。
●性別決定と片親性遺伝標識
遺伝学的性別決定により、個体Aは男性という形態学的判断が確証されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)では、個体AのmtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aで、mtHg-HV0の主要な単系統枝となり、mtHg-HVの下位クレード(単系統群)です。このmtHgはイタリアの刊行されたローマ帝国期の個体群(関連記事)には存在しません。ヨーロッパでは、mtHg-HVの最初の証拠はスペインのマグダレニアン(Magdalenian)期の個体に由来しますが、イタリアではシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島の中石器時代個体に由来します。mtHg-HVは、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後のユーラシアにおける初期現生人類(Homo sapiens)の拡散と関連しています。mtHg-HVはヨーロッパ全体で不均一に広がっており、近東で最高頻度(11%)となり、ヨーロッパ南部では4~11%、バルカン半島では8%程度の頻度です。mtHg-HV0aは12500~11000年前頃に合着(合祖)し、現代の人口集団では、サルデーニャ島で一般的です。
個体Aは網羅率が低いものの、Y染色体ハプログループ(YHg)はA1b1b2b(M13)と分かり、これはイタリア半島の古代の個体群では見つかっていない稀な系統です。YHg-A1b1b2bはおもにアフリカ東部で見られますが(40%程度)、ずっと低い頻度で、近東(現在のトルコやイエメンやエジプトやパレスチナやヨルダンやオマーンやサウジアラビア)や地中海諸島(サルデーニャ島やキプロス島やレスボス島)において見られます。YHg-A1b1b2bの下流で、分析を塩基転換多型に限定すると、個体AはA-V5880に位置づけることができます。これは過去の研究から全てのYHg-A1b1b2のサルデーニャ島人を含み、ベイズ分析を用いると7620(±920)年前頃に合着する、YHg-A1b1b2bの下位クレードです。
●ポンペイ市民の遺伝的構造
高網羅率の古代ポンペイ個体Aの関係を理解するため、現代のユーラシア西部の471個体と統合された、上部旧石器時代から中世までの関連する以前に刊行された古代人口集団のデータセット(124万ヶ所一塩基多型で遺伝子型決定)が集められ、その後の全ての分析で用いられました。EIGENSOFTパッケージを用いて主成分分析(PCA)が実行され、その結果、ポンペイの個体Aは他のイタリアのローマ帝国期個体群とクラスタ化し(まとまり)、アナトリア半島からヨーロッパの人口集団のよく記録された新石器時代勾配の近くに位置します(図2a)。以下は本論文の図2です。
これらの結果はD統計(ムブティ人、検証対象;ポンペイ個体A、イタリア帝政期個体群)を用いて検証でき、ポンペイ個体Aが他のイタリア半島中央部ローマ帝国期個体群とクレード(単系統群)を形成するのかどうか、他の残りの人口集団を除いて、評価されました。イタリア半島ローマ帝国期個体群と高い遺伝的浮動を共有する、青銅器時代イベリア半島個体群を除いて、全ての他の検証人口集団で、ポンペイ個体Aとローマ帝国期個体群とのクラスタについて、クレード的な関係を却下できません。
さらに、D統計(ムブティ人、検証対象;ポンペイ個体A、ロシアMA1狩猟採集民)を用いて、どの他の人口集団がポンペイ個体Aと高い類似性を示すのか、検証されました。ロシアMA1狩猟採集民とは、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の個体です(関連記事)。Z得点値が-3以下の人口集団は、ポンペイ個体Aとの共有された浮動の過剰の統計的に有意な結果を表します。その結果、新石器時代アナトリア半島個体群(アナトリア半島N)が最高得点(-9.57)を示しました(図3)。以下は本論文の図3です。
PCAにおけるポンペイ個体Aの位置(図2a)も、ギリシアやマルタ島やキプロス島やトルコなど現代の地中海と近東の人口集団の分布の近くに位置します。そうした結果により、近東からの遺伝的寄与の仮定が可能となります。この仮定は、新石器時代イラン(イランN)から(ポンペイ個体Aも含む)イタリア半島ローマ帝国期(イタリアIRA)個体群までの、銅器時代イラン(イランCA)とイラン鉄器時代(イランIA)個体群を通る勾配によっても裏づけることができます(図2a)。
イラン関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の存在は新石器時代以来イタリア半島で特定されており、ローマ帝国期とそれ以前の鉄器時代を比較して、イタリア半島中央部においてイラン関連構成要素の増加が報告されています(関連記事1および関連記事2)。しかし、同じ4集団検定を実行しても、ローマのローマ帝国期個体群の代わりにポンペイ個体Aを用いると、結果は統計的に有意ではなくなり、ポンペイ個体Aでは鉄器時代後に起きたイラン関連祖先系統によるさらなる寄与はなかった、と示唆されます。
本論文のPCAで得られた個体群の分布(図2a)から、モロッコのイベロモーラシアン(Iberomaurusian)からイタリア半島ローマ帝国期(イタリアIRA)までの、モロッコ新石器時代を経ての鉄器時代後の勾配を認識することも可能です。アフリカ北部供給源に由来する遺伝的分布は、すでにイタリア半島の先史時代において明らかです。じっさい、アフリカ北部祖先系統の混合は銅器時代以降のサルデーニャ島(関連記事)と鉄器時代以降のイタリア半島中央部(エトルリア)で認識されており(関連記事1および関連記事2)、ローマ帝国期へと継続しました。
それにも関わらず、D統計を用いて、ポンペイ個体Aにおけるアフリカ北部祖先系統の寄与は特定されませんでした。ほとんどの青銅器時代後のヨーロッパ人口集団における別の顕著な遺伝的構成要素は、究極的にはユーラシア草原地帯に由来する供給源からもたらされ(関連記事)、鉄器時代イタリア半島(関連記事)と青銅器時代シチリア島(関連記事)とポンペイ個体Aで証明されてきました。
これらの調査結果を確認するため、ポンペイ個体Aを3方向若しくは4方向の組み合わせとして適合させるよう、試みられました。具体的には、qpAdmを用いて、アナトリア半島新石器時代、ロシアのヤムナヤ文化(草原地帯)、イラン新石器時代、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)個体群で検証されました。10万ヶ所の一塩基多型(SNP)の最小閾値が設定され、p>0.05の場合のみが検討されました。
データに適合する3方向混合は常に、アナトリア半島とイランの新石器時代個体群からの祖先系統を両方含み、草原地帯とWHG個体群からの寄与はさまざまでした。4方向モデルは、草原地帯関連(13.5±8.0%)およびWHG(4.4±5.4%)と比較して、アナトリア半島新石器時代(51.6±7.8%)とイラン新石器時代(30.5±8.1%)の主要な寄与を示しました(図2b)。さらに、第五の供給源としてモロッコのイベロモーラシアン個体群を含めることにより適合が改善されるのかどうか調べられましたが、この最後の構成要素のある3方向もしくは4方向混合では、有意な結果は得られませんでした。
●結核菌
ポンペイ個体Aで実行された古病理学的研究では、第四腰椎(L4)の上半分の大きな溶菌性破壊などの診断形態学的指標に基づいて、脊髄結核(ポット病)と診断されました(図4)。さらに、デジタル放射線写真分析は、椎体前上部で侵食を示し、下向きの皮質縁が減少し、鉢型の概観をしています。同様の病変(化膿性骨髄炎や放線菌症や転移性腫瘍や骨粗鬆症やブルセラ症や肺外結核)を引き起こす可能性がある他の全ての脊椎骨炎は、以下の理由で除外されてきました。以下は本論文の図4です。
化膿性骨髄炎は、腰椎の傾きを伴う、椎体の溶解性病変を引き起こす可能性がありますが、棘突起と神経弓がしばしば関与し、病変は顕著な新しい骨増生を示すことが多くなります。放線菌症は、反応性の新生骨に囲まれた大きな球状の病変が特徴で、脊柱は他の感染症とはまったく異なる方法で侵されます。転移性腫瘍は、まず小節と神経弓と棘突起に円形の溶解性病変を生じ、その後で椎体に影響を及ぼします。骨粗鬆症は最も頻度が高い脱灰性疾患で、骨の脱灰により椎体骨折や虚脱が生じ、通常は高齢者が罹患します。
ブルセラ症は、牛乳や感染肉の摂取により起きる伝染力の強い人獣共通感染症で、その経過はポット病(肺外結核)と似ているので、偽ポット病と呼ばれています。ポンペイ個体Aには、脊椎の破壊的病変と骨化性膿瘍の形成が見られます。さらに、デジタル放射線写真分析では、ブルセラ症の脊椎炎は、分布性脱灰、1本以上の連続した椎体の上前角の典型的な破壊を伴う椎体辺縁の不規則な侵食、接触椎体間の空間の縮小、ペドロ・i・ポンズ痕跡(上前腸骨角の骨融解部周辺にある、ブルセラ型脊椎炎に典型的な半円形の骨融解部)を示します。デジタル放射線写真画像はペドロ・i・ポンズの痕跡を示さず(図4)、以前に提案された結核の古病理学的および放射線学的基準に完全に一致します。
肺外結核は、脊椎崩壊(ポット病)や骨膜反応性病変や骨髄炎など、特徴的な骨格変化を引き起こす可能性があります。したがって、ポンペイ個体Aの最も可能性の高い診断は脊髄結核で、これは骨要素を含む結核の最も一般的な種類で、人類史上において最も一般的で破壊的な疾患の一つです。腰椎が部分的に保存されているので、回復していないL3にも病変が及んでいるのかどうか、観察できません。それにも関わらず、L4の上部の病変の広がりの程度から、L3の下部も影響を受けている、と考えられます。この事例の重要性は、考古学的文脈で識別できる唯一の事象である骨格損傷が、少数例でのみ発生するからでもあります。抗生物質以前のデータでは、結核患者の約3~5%が骨の変化を示す、と示唆されています。
古代の病原体のDNAも古代の骨資料で保存され得る、と知られているので、結核と古病理学的に診断されたポンペイ個体Aの配列読み取りから結核菌DNAの回収が試みられました。このために、全ての古細菌と真正細菌とウイルスのゲノムを含むデータ、およびヒト参照配列について、包括的なメタゲノム分類指標が用いられました。この結果、マイコバクテリウム属に分類された14096の読み取りが得られましたが、そのうち403の読み取りのみが結核菌種複合にのみ分類されました。これが抽出され、結核菌ヒト株H37Rvに再度マッピングされ、脱アミノ化パターンが評価されました。マイコバクテリウム属の読み取りを用いた場合、確かに古代DNAと一致する損傷パターンが示されましたが、結核菌複合に分類された読み取りに限定すると、データ量の少なさのため確証に充分な解像度は得られませんでした。
この結果は、以下の三つの異なる理由による可能性があり、相互に排他的ではありません。第一に、錐体骨は内在性古代DNAの優れた供給源と知られているものの、病原体からの古代DNAをほとんど示さないことです。第二に、結核菌は、罹患して症状がある患者の頬から綿棒で採取してさえ、分子的診断が困難なことです。第三に、マイコバクテリウム属の中で、結核菌は他の一般的な土壌マイコバクテリウム属種と最大で99%の遺伝子配列の同一性を共有していることです。しかし今回の事例では、2個体は全身が火山性物質に覆われていたので、続成作用の過程で土壌と接触することはありませんでした。そのため、結核菌DNAの発見は、内在性である可能性がより高そうです。
●考察
本論文が把握している限り、上述の結果は最初に配列の成功したポンペイのヒトゲノムを表しています。ゲノム規模分析から、ポンペイ個体Aは遺伝的に、おもにイタリア半島中央部およびサルデーニャ島の地中海現代人と近い、と示されます。ローマ帝国期における有効人口規模の拡大と増加のため、ローマ人の遺伝子プールは近隣人口集団に寄与し、現在の地中海地域でまだ認識できる遺伝的痕跡が伴う、と考えることは妥当です。新石器時代アナトリア半島個体群とポンペイ個体Aの高い類似性を示す常染色体の結果と一致して、ポンペイ個体AのYHgは現在、サルデーニャ島住民でのみ見られます。このため、ポンペイ個体Aの父系は、新石器時代にアナトリア半島を通ってイタリア半島に到来した可能性が高そうです。
ポンペイ個体AのYHgとmtHgは、イタリア半島のローマ帝国期の刊行された個体群には存在せず、イタリア半島全域におけるこの期間の高い多様性が示唆されます。この兆候は、ポンペイ個体Aで見られる推定された祖先系統の割合と、刊行されたローマ帝国期個体群(関連記事)との比較により、ゲノム規模水準でも見ることができます。じっさい、刊行された個体群の一部については、同じ供給源人口集団を用いてのモデルとの適合に達することができず、異なる遺伝的構成が示唆されます。ローマ帝国期に見られるこの遺伝的多様性は、すでにさまざまな手法を用いて特定された、地中海地域全体の人々の接触や相互作用や移住によっても裏づけることができるかもしれません。
ローマ帝国期の高い遺伝的多様性にも関わらず、ポンペイ個体Aはイタリア半島中央部ローマ帝国期集団とより高水準の共有された遺伝的浮動を示します。この結果から、分析されたポンペイ個体Aはイタリア半島出身だったはずだ、と強く示唆されます。ポンペイ個体Aがポンペイの在来人口集団に属していたのか、イタリア半島の帝国人口集団を特徴づける内部移民の5%の一部だったのか、対処するのは困難ですが、奴隷化の慣行と関連する大規模な外部移民の一部だった可能性はひじょうに低そうです。
最後に、複数の証拠を用いて、ポンペイ個体Aが結核に冒されている、と確認されました。ローマ帝国期に結核が流行していたことは、ケルスス(Aulus Cornelius Celsus)の『医学論』などの著作や古い記述によりすでに知られています。ローマ時代の始まりを特徴づける人口密度増加は、おそらくローマ人の都市生活様式の発展によるもので、イタリア半島全域への結核拡大に好都合でした。
結論として、この研究は1個体に限られているものの、独特なポンペイ遺跡のヒト遺骸を調べる古ゲノム手法適用の可能性を確証して論証しました。この最初の調査結果は、保存状態が良好なポンペイ個体の集中的な分析を促進する基礎を提供します。ポンペイ市について過去100年間に収集されてきた膨大な考古学的情報に支えられ、その古遺伝学的分析は、ローマ帝国期のこの魅力的な人口集団の生活様式の再構築に役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:初めて解読されたポンペイ人のゲノム塩基配列
ポンペイ(現在のイタリア南部にあった古代都市)で西暦79年のベスビオ火山噴火後に死亡したヒトのゲノム塩基配列が初めて解読されたことを報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。これまでは、ポンペイの住民と動物の遺骸から採取されたミトコンドリアDNAの短い一部の塩基配列しか解読されていなかった。
今回、Gabriele Scorranoたちは、ポンペイのCasa del Fabbro(鍛冶屋の家)で発見された2体の遺骸を調べ、それらからDNAを抽出した。遺骨の骨格の形状、構造、長さから、一方は死亡時に35~40歳だった男性のもの、もう一方は50歳以上の女性のものであることが明らかになった。Scorranoたちは、両方の遺骸から古代DNAを抽出して、ゲノム塩基配列の解読を試みたが、ゲノム全体の塩基配列を解読できたのは男性の遺骸だけで、女性の遺骸から抽出されたDNAからは十分な遺伝情報を読み取れなかった。
この男性のDNAは、西ユーラシアの古代人1030人と現代人471人から採取されたDNAと比較され、この男性のDNAは、イタリア中部の現代人のDNAや現在のイタリアに当たる地域に居住していたローマ帝国時代の人々のDNAと最も類似していることが示唆された。一方、この男性のミトコンドリアDNAとY染色体DNAの解析から、現代のサルデーニャ島出身者に一般的に見られる遺伝子群が見いだされたが、この遺伝子群は、現在のイタリアに当たる地域に居住していたローマ帝国時代の人々には見られなかった。これは、ローマ帝国時代のイタリア半島全土で、高いレベルの遺伝的多様性が見られた可能性を示唆している。
また、この男性の骨格とDNAの解析を進めたところ、1つの椎骨に病変が見つかり、マイコバクテリウム属細菌(結核菌などを含む)に一般的に見られるDNA塩基配列が特定された。これ果は、この男性が死亡前に結核にかかっていた可能性を示唆している。
Scorranoたちは、この男性の遺骸から古代DNAを抽出できたのは、噴火中に放出された火砕物が、DNAを分解する環境要因(大気中の酸素など)から遺骸を守っていたからかもしれないと推測している。また、Scorranoたちは、今回の知見は、ポンペイ人の遺骸から古代DNAを採取できる可能性があることを実証しており、ポンペイ人の遺伝的歴史と生活に関する新たな手掛かりをもたらしていると付言している。
参考文献:
Scorrano G. et al.(2022): Bioarchaeological and palaeogenomic portrait of two Pompeians that died during the eruption of Vesuvius in 79 AD. Scientific Reports, 12, 6468.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-10899-1
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