Mark W. Moffett『人はなぜ憎しみあうのか 「群れ」の生物学』上・下
マーク・W・モフェット(Mark W. Moffett)著、小野木明恵訳で、早川書房から2020年9月に刊行されました。原書の刊行は2019年です。電子書籍での購入です。本書は、ヒトの帰属意識形成の前提として、まず社会について取り上げます。社会的であること(他個体と積極的につながること)と、一つの種が何世代にもわたって存続する社会と呼ばれる明確に別れた集団を支えているような状況には多くの違いがあり、後者は自然界では滅多に見られない、と指摘します。本書は、ヒト社会の進化的起源が他の動物とも共有される古いものでありつつも、馴染みのない個体が近くにいても気にせずにいられる点でほとんどの動物とは異なり(ほとんどの脊椎動物には、出会う全ての個体を特定の社会の一員として認識できなくてはならない、という制約があります)、これこそが国家の成立を可能にした、と指摘します。つまりヒトは、自他の社会を区別するために、互いをよく知っている必要はなく、それが他の哺乳類社会の大半にある規模の限界を超越できた要因だった、というわけです。なお、昆虫などで1万個体以上がともに行動する事例もありますが、これは社会を形成しているわけではありません。本書の扱う範囲は広く、奥深いものなので、私の知見ではなかなか的確に理解できず、今後何度か再読する必要がありますが、とりあえず今回は、以下で本書の興味深い見解を備忘録として取り上げます。
社会については、協力との同一視は因果関係を逆に理解しており、典型的な社会には、肯定的な関係も否定的な関係も、友好的な関係も問題を抱えた関係もあり、あらゆる種類の関係が包含される、と指摘されています。また、社会が存在しない動物においても協力が盛んに行なわれることから、社会とは協力をする者たちの集まりではなく、アイデンティティを長期間にわり共有することからもたらされる、構成員についての明確な感覚を全員が持っているような、特定の種類の集団と把握されています。構成員は社会から、安全(捕食者や同種の襲撃者に対してなど)と機会(食資源など)の両方を入手でき、これが社会の利点となります。社会の区別は、縄張りを持つ生物では、臭いや石や雑木などです。一方、この区別は固定的ではなく、離合集散により近親交配が避けられており、雌雄両方もしくは雌雄のどちらかが出ていきます。
ヒトと最も類似している現生分類群はチンパンジー属ですが、複雑な社会という点でヒトと類似しているのはアリで、チンパンジー属とヒトとの間には社会的行動の点では大きく違う、と本書は指摘します。本書は、これまでのヒトと非ヒト動物の比較研究がチンパンジー中心主義だった、との見解を取り上げていますが、こうした観点は重要だと思います。本書は動物の行動について、進化の系統樹よりも規模の大小の方が重要になる、と指摘します。アリはヒトを除く動物で最も複雑な社会を築きますが、個体を認識しているのではなく(匿名社会)、臭いで同じ社会に属しているのか否か識別し(女王アリと働きアリのような役割の区分も識別されます)、それを利用してアリのコロニーに侵入し、幼虫を食べるクモもいます。ヒトは、個体を認識しつつも匿名性を受け入れており、見知らぬ人々が多数いる場でも多くの場合は平気で過ごせます。ヒトは「しるし」の認識によりこれを可能とし、一部の人だけを個体として扱います。ヒトの重要な特徴は、ほぼ全てのものを「しるし」に利用できることです。本書では、社会として機能するために、チンパンジーは全員を知る必要があり、アリは誰も知る必要はなく、ヒトは誰かを知っておくだけでよい、と簡潔にまとめられています。
ヒトの狩猟採集社会は概して小規模で、小規模な社会を形成するアリと同様に、専門家も強力な指導者もおらず、平等主義的傾向が強くなっており、ある程度の流動性があります。本書は、狩猟採集社会にもバンドを超えた社会が存在し、匿名性があることを指摘します。狩猟採集社会に専門家がいないのは、専門家の存在する余裕がないというか、専門家が死亡などでいなくなった場合に大打撃を受けるからだ、と本書は指摘します。それ故に、年齢などによる傾向の違いはあれども、全員が万能家にならざるを得ない、というわけです。これが社会の不平等や職業の専門化や指導者による統率への黙認など大きく変わったのは、定住化が進み、農耕により社会規模が大きくなってからです。狩猟採集社会のバンドの規模が、食資源の利用可能性の違いにも関わらず数十名程度と一定なのは、対人関係の問題などから頻繁に分裂するからでもありました。定住化が進むと、狩猟採集民の中で専門家集団が増えていき、集団志向が生じ、自分の属する集団の一部ではありたいものの、区別できるくらいは違っていたい、という心理が強化されます。富と影響力の階層化が進展し、所有は身分を表す「しるし」となり、指導者との間以外で身分差が生じ、不利な立場の人々は上位者をその地位に値する人間として合理化します。こうした心理的傾向は、チンパンジーに見られるような力の序列から進化したかもしれない、と本書は指摘します。大規模な集団を可能とした匿名性について本書は、初期ホモ属かそれ以前までさかのぼる可能性を指摘します。それを可能とした具体的「しるし」について、本書はまず合言葉と単純な仕草を挙げ、次に体につける「しるし」を挙げます。つまり身体装飾で、体に刻み込んだり描いたり色を塗ったりするわけです。
しかし、集団の大規模化には限界があり、それは同じ社会であることの証となる「しるし」が、神話にせよ何らかの装飾にせよ、時間の経過とともに意図的か否かに関わらず変わり得るからです。とくに言語は、その代表例です。また大規模な集団では、全ての個体同士が日常的に接触することは難しくなるので、「しるし」にも経時的違いが生じやすくなります。こうして違いが大きくなり、社会は分裂します。本書は、非ヒト動物でも個体数の増加などにより社会が分裂する事例を挙げています。チンパンジーではこの社会を維持できる上限数がおおむね120個体程度で、ヒトの狩猟採集社会では500個体程度と推定されています。その理由について本書は、500個体ともなると全ての構成員について大雑把な知識を持つだけでも大変になり、「しるし」に過度に頼るようになるからではないか、と推測します。
こうした制約にも関わらず、完新世において農耕開始後に大規模社会が形成されたのは、一つには上述の匿名性があったからですが、それだけが大規模な社会を形成して維持できる理由ではありません。大規模な社会において構成員の争いを減らすものとして、仕事や身分の差異があります。何よりも重要なのは、大規模な社会は異なる社会の合併により生じ、それが自発的ではないことです。他者をヒトの社会に吸収する契機は、他者を時として構成員として受け入れたことにあり、それは配偶相手を確保するためでもありました。さらに本書は、奴隷の獲得を重視します。そりにより、相当な数の他者を社会に取り込むことが理解可能な概念になり、征服社会の起点になった、というわけです。ただ、本書は奴隷獲得を社会の大規模化と国家形成の重要な契機とし、奴隷所有による利益の大きさを強調しますが、奴隷も同じくヒトで抵抗も珍しくなかっただろうことを考えると、大規模社会の形成における奴隷所有の利益と意義について、本書の見通しには疑問も残ります。
参考文献:
Moffett MW.著(2020)、小野木明恵訳『人はなぜ憎しみあうのか 「群れ」の生物学』上・下(早川書房、原書の刊行は2019年)
社会については、協力との同一視は因果関係を逆に理解しており、典型的な社会には、肯定的な関係も否定的な関係も、友好的な関係も問題を抱えた関係もあり、あらゆる種類の関係が包含される、と指摘されています。また、社会が存在しない動物においても協力が盛んに行なわれることから、社会とは協力をする者たちの集まりではなく、アイデンティティを長期間にわり共有することからもたらされる、構成員についての明確な感覚を全員が持っているような、特定の種類の集団と把握されています。構成員は社会から、安全(捕食者や同種の襲撃者に対してなど)と機会(食資源など)の両方を入手でき、これが社会の利点となります。社会の区別は、縄張りを持つ生物では、臭いや石や雑木などです。一方、この区別は固定的ではなく、離合集散により近親交配が避けられており、雌雄両方もしくは雌雄のどちらかが出ていきます。
ヒトと最も類似している現生分類群はチンパンジー属ですが、複雑な社会という点でヒトと類似しているのはアリで、チンパンジー属とヒトとの間には社会的行動の点では大きく違う、と本書は指摘します。本書は、これまでのヒトと非ヒト動物の比較研究がチンパンジー中心主義だった、との見解を取り上げていますが、こうした観点は重要だと思います。本書は動物の行動について、進化の系統樹よりも規模の大小の方が重要になる、と指摘します。アリはヒトを除く動物で最も複雑な社会を築きますが、個体を認識しているのではなく(匿名社会)、臭いで同じ社会に属しているのか否か識別し(女王アリと働きアリのような役割の区分も識別されます)、それを利用してアリのコロニーに侵入し、幼虫を食べるクモもいます。ヒトは、個体を認識しつつも匿名性を受け入れており、見知らぬ人々が多数いる場でも多くの場合は平気で過ごせます。ヒトは「しるし」の認識によりこれを可能とし、一部の人だけを個体として扱います。ヒトの重要な特徴は、ほぼ全てのものを「しるし」に利用できることです。本書では、社会として機能するために、チンパンジーは全員を知る必要があり、アリは誰も知る必要はなく、ヒトは誰かを知っておくだけでよい、と簡潔にまとめられています。
ヒトの狩猟採集社会は概して小規模で、小規模な社会を形成するアリと同様に、専門家も強力な指導者もおらず、平等主義的傾向が強くなっており、ある程度の流動性があります。本書は、狩猟採集社会にもバンドを超えた社会が存在し、匿名性があることを指摘します。狩猟採集社会に専門家がいないのは、専門家の存在する余裕がないというか、専門家が死亡などでいなくなった場合に大打撃を受けるからだ、と本書は指摘します。それ故に、年齢などによる傾向の違いはあれども、全員が万能家にならざるを得ない、というわけです。これが社会の不平等や職業の専門化や指導者による統率への黙認など大きく変わったのは、定住化が進み、農耕により社会規模が大きくなってからです。狩猟採集社会のバンドの規模が、食資源の利用可能性の違いにも関わらず数十名程度と一定なのは、対人関係の問題などから頻繁に分裂するからでもありました。定住化が進むと、狩猟採集民の中で専門家集団が増えていき、集団志向が生じ、自分の属する集団の一部ではありたいものの、区別できるくらいは違っていたい、という心理が強化されます。富と影響力の階層化が進展し、所有は身分を表す「しるし」となり、指導者との間以外で身分差が生じ、不利な立場の人々は上位者をその地位に値する人間として合理化します。こうした心理的傾向は、チンパンジーに見られるような力の序列から進化したかもしれない、と本書は指摘します。大規模な集団を可能とした匿名性について本書は、初期ホモ属かそれ以前までさかのぼる可能性を指摘します。それを可能とした具体的「しるし」について、本書はまず合言葉と単純な仕草を挙げ、次に体につける「しるし」を挙げます。つまり身体装飾で、体に刻み込んだり描いたり色を塗ったりするわけです。
しかし、集団の大規模化には限界があり、それは同じ社会であることの証となる「しるし」が、神話にせよ何らかの装飾にせよ、時間の経過とともに意図的か否かに関わらず変わり得るからです。とくに言語は、その代表例です。また大規模な集団では、全ての個体同士が日常的に接触することは難しくなるので、「しるし」にも経時的違いが生じやすくなります。こうして違いが大きくなり、社会は分裂します。本書は、非ヒト動物でも個体数の増加などにより社会が分裂する事例を挙げています。チンパンジーではこの社会を維持できる上限数がおおむね120個体程度で、ヒトの狩猟採集社会では500個体程度と推定されています。その理由について本書は、500個体ともなると全ての構成員について大雑把な知識を持つだけでも大変になり、「しるし」に過度に頼るようになるからではないか、と推測します。
こうした制約にも関わらず、完新世において農耕開始後に大規模社会が形成されたのは、一つには上述の匿名性があったからですが、それだけが大規模な社会を形成して維持できる理由ではありません。大規模な社会において構成員の争いを減らすものとして、仕事や身分の差異があります。何よりも重要なのは、大規模な社会は異なる社会の合併により生じ、それが自発的ではないことです。他者をヒトの社会に吸収する契機は、他者を時として構成員として受け入れたことにあり、それは配偶相手を確保するためでもありました。さらに本書は、奴隷の獲得を重視します。そりにより、相当な数の他者を社会に取り込むことが理解可能な概念になり、征服社会の起点になった、というわけです。ただ、本書は奴隷獲得を社会の大規模化と国家形成の重要な契機とし、奴隷所有による利益の大きさを強調しますが、奴隷も同じくヒトで抵抗も珍しくなかっただろうことを考えると、大規模社会の形成における奴隷所有の利益と意義について、本書の見通しには疑問も残ります。
参考文献:
Moffett MW.著(2020)、小野木明恵訳『人はなぜ憎しみあうのか 「群れ」の生物学』上・下(早川書房、原書の刊行は2019年)
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