マルタ共和国のゴゾ島の後期新石器時代人のゲノム
マルタ共和国のゴゾ島の後期新石器時代人のゲノムデータを報告した研究(Ariano et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。先史時代における海の旅の重要性は、近東起源の農耕の地中海沿岸での急速な西方への拡大から明らかで、それにはキプロス島での10600年前頃のひじょうに早い出現が含まれます。しかし、先史時代における海景の考察はさまざまで、生物地理学的観点では海を障壁として強調し、あるいは、接続性の効率的海路として海を位置づける見解もあります。
古代ゲノミクスは、新石器時代拡大の人口もしくは移住の性質を確証してきましたが、海上の遺伝的交換の妨害のいくつかの実例も示してきました。たとえば、サルデーニャ島の青銅器時代人口集団は、同時代のヨーロッパ本土人のゲノムを変えた草原地帯祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の流入の影響を受けず(関連記事1および関連記事2)、アイルランド島の中石器時代人のゲノムは小さな人口規模の痕跡を示し、それは対応する大陸の狩猟採集民(HG)では欠如しています(関連記事)。
マルタ島の最初の定住は新石器時代のことで、紀元前六千年紀となります。これらは一連の文化的段階を経て発展し、外部接続性のいくつかの物質指標があるものの、紀元前3600年頃から衰退し、その頃に土器と農耕が異なる特徴を示し始めました。一例は、マルタ諸島のゴゾ島のシャーラ(Xagħra)環状列石など、複数の部屋がある岩を切り出した墓の発達でした。この記念碑的地下墓では数百個体が埋葬され、紀元前2500年頃まで改築や増築が行なわれ、その頃に消滅し、おそらくはより広範な人口減少もしくは置換の一部でした。
後期新石器時代のマルタ島の人口統計を調べるため、シャーラ環状列石の被葬者のゲノムが配列されました。ヨーロッパ新石器時代人口集団など密接に関連する集団間の微細構造の解明は困難で、系統学的手法による分析が必要です。したがって、これらをより広い文脈で調べるため、さらに刊行された古代人のゲノムからゲノム規模二倍体遺伝子型を補完し、ゲノム内およびゲノム間のハプロタイプが評価され、新石器時代ヨーロッパ全域の遺伝的地理と人口統計が推定されました。
●南地中海諸島のゲノム
温暖な気候の地域から古代人のゲノムを回収することはひじょうに困難で、マルタ諸島のゴゾ島は、ヨーロッパでは最南端の状況の一例です(図1)。しかし、後期新石器時代のシャーラ環状列石の発掘からの9点のヒトの錐体骨と歯の標本では、3点の優れた内在性DNA含有量(13%と17%と39%)がもたらされました(表1)。これは地下石灰岩洞窟埋葬複合(hypogeum、地下墓)内の保存強化を反映している可能性が高く、これら3点の標本(シャーラ5号・6号・9号)は、ショットガン配列により、平均ゲノム規模網羅率はそれぞれ1.24倍と0.98倍と7.52倍になります。以下は本論文の図1です。
マルタ島はヨーロッパで最後にヒトが居住した地域の一つで、紀元前5500年頃までに確立した新石器時代共同体の到来に先行するヒトの存在の証拠はほとんどありません。これらは、シチリア島とイタリア半島南西部の土器の地域異形の印象的な土器であるアール・ダラム(Għar Dalam)土器の発展様式と関連しています。したがって、外群f3統計を用いて推定されるように、シャーラ環状列石のゲノムはイタリア半島およびギリシアの前期新石器時代人口集団と最高水準の、続いてイタリア半島とシチリア島の中期新石器時代および銅器時代人口集団と浮動を共有する、と分かります。
ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)との混合水準は、ヨーロッパ新石器時代標本全体で、とくに経時的に異なる、と示されています(関連記事)。本論文の新石器時代標本内のWHG祖先系統の水準を調べるため、各遺跡の標本でqpAdm手法が適用され、500年間隔でまとめられました。その結果、WHG祖先構成要素は経時的に有意に増加する、と観察されます。興味深いことに、シャーラ環状列石遺跡の標本は、後の新石器時代の他の集団間で最低のHG祖先系統(6.8±2.5%)を示します。これは、ヨーロッパ本土人口集団に広く影響を及ぼし、遅ければ紀元前3800年頃に起きたと推定されている(関連記事)、存続していたWHG人口集団との混合の伝播からのマルタ島の状況による遮蔽を反映しているかもしれません。
これは、上述の新石器時代から青銅器時代までのWHG祖先系統の一定の程度を示す、サルデーニャ島人口集団からの観察と共鳴します。D統計を用いて、ギリシアとイタリア半島の前期新石器時代を除いて、マルタ島人口集団へのアフリカ北部やコーカサスHGや新石器時代イラン農耕民やヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯集団と関連する遺伝子流動も検証されました。その結果、混合の統計的証拠は得られませんでした。
低網羅率のショットガン配列データからの二倍体遺伝子型補完が、古代の人口集団における微細構造と近親交配のパターンの特徴づけに上手く利用できました。Imputeを用いて、補完経路がマルタ諸島の標本と充分なショットガン配列(網羅率0.4倍超)を利用可能な117個体に適用されました。得られた二倍体遺伝子型は、刊行された補完データセットからの関連する古代イタリア半島標本(関連記事)と統合されました。Beagle4.1版を用いて、補完経路は一塩基多型(SNP)捕獲実施要綱で標本抽出された個体に適用され、95%の異型接合遺伝子型の予測の正確さに達しました。多数の遺伝子型が欠落している4標本を除外した後に、ユーラシア西部古代人のうち新石器時代271個体と狩猟採集民86個体の最終的な包括的データセットが得られました。
ショットガン配列とSNP捕獲データの両方がある個体群について二倍体高網羅率データと交互の補完経路を用いての、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)推定の比較は、ひじょうに高い一致を示し、このデータセットの複合的分析を確証します。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。データ間の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)得点の比較も、偏りの証拠を示しません。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。
●シャーラ環状列石標本のゲノムは異常な同型接合性水準と歴史的に限定的な人口規模を示します
ゲノム規模二倍体データにより、人口集団の多様性、とくにゲノム内で共有された祖先系統の分布と、ROHを用いての、子孫により同一である共有された断片の特定による個体間の分布ハプロタイプに基づく評価が可能となります。ROH分析は、マルタ諸島人のゲノムによる異常な振る舞いを示します。シャーラ9号は、先史時代でこれまでに報告された個体のうち、5 cM(センチモルガン)超と長いROHでは二番目の最も極端な水準を有しています。
これは、高網羅率のゲノムと、ROH 下のゲノムの19.2%が推定された、ROHanによる第二分析手法用いての確証的分析により保証された主張です。これを超えるのは、アイルランド島のニューグレンジ(Newgrange)羨道墳に埋葬された成人男性個体(NG10)だけで、NG10は一親等の関係にある両親の子供と推定されています(関連記事)。しかし、シャーラ9号は、ひじょうに長い同一性断片(15 cM超)への偏りが比較的少ないROH範囲を有しています(図2A)。以下は本論文の図2です。
この兆候を調べるため、親族の範囲が模擬実験され、これらROH におけるゲノムの合計断片(FROH)を含むROH断片の数が記入され、古代の個体群と比較されました(図2B)。NG10とは異なり、シャーラ9号は一親等の親族間の配偶で見られる分布の端に位置し、その系図内の複数の近親交配の輪のより複雑な組み合わせの結果かもしれません。しかし、これはイスラエルの銅器時代標本(I117843)と類似しており、I117843は以前にさまざまな分析で、キョウダイもしくは親子の間の子供の可能性が特定されました。したがって、シャーラ9号の血筋の正確なシナリオは断言されません。
ごく最近の近親交配に焦点を当てるため、10 cM 以上、次に15 cM 以上のROH断片のみを考慮して、この分析が2回繰り返されました。それぞれで、シャーラ9号はキョウダイ間の交配クラスタ(まとまり)の端もしくは範囲外に留まります。ゴゾ島の規模の小ささと比較的孤立していることを考えると、シャーラ9号のゲノムを産み出した近親交配の輪は、最近の系図上の近親交配と歴史的に小さな祖先人口規模の両方の結果かもしれません。この解釈は、他のマルタ諸島の2個体(シャーラ5号および6号)のROHにおける、著しくはないものの比較的増加したゲノムの観察により裏づけられ(図2A・B)、シャーラ6号はシャーラ9号に400年先行します。これら2標本の値は、後の農耕人口集団よりも小さな人口規模のヨーロッパHGで見つかるものでより一般的です(図2B)。さらに調べるため、4~20 cM の範囲内のROHの水準と最尤枠組みを用いて有効人口規模が推定され、合計は515個体(95%信頼区間で397~633個体)となりました。
個体間で共有されるIBD のパターンを活用するソフトウェアIBDNeを用いて、シャーラ人口集団について有効人口規模が推定されました。比較のため、合計で個体間において共有される90以上のIBD断片を有する他のヨーロッパ新石器時代遺跡個体が含められました。シャーラと、それよりは規模が小さいオークニー諸島のイズビスター(Isbister)の「鷲の墓」の遺骸は、人口規模の最近の落ち込みを示し、後期新石器時代のマルタ諸島標本は、30世代でわずか平均382個体です(図3A)。以下は本論文の図3です。
したがって、これらの保存されたマルタ諸島の標本は、異常に小さく限定された人口集団のゲノム痕跡を示し、これは少なくとも400年間にわたって見られる兆候です。興味深いことに、後の2個体(シャーラ5号および9号)は、マルタ諸島先史時代の紀元前2450年頃の転換期に発見された個体で、放射性炭素年代の密度が減少し、食性と栄養状態が著しく悪化しました。早くも紀元前5500年頃に始まった乾燥と土壌悪化への長期的傾向は、これらの変化を推進しているようで、ゴゾ島では、後期新石器時代の人口は収容力推定値が2000~3000人の前期新石器時代よりも少なかった、と示唆されます。これは、計算された有効人口規模値のごく一部なので、驚くべきことではありません。
しかし、これらの推定値は、島の海岸内にほぼ限定された配偶網の孤立を示唆します。証拠のいくつかの要素は、本論文の標本がゴゾ島についてより広範な新石器時代共同体の代表だと示唆します。まず、シャーラの埋葬は、完全な農耕共同体の死亡率予測、つまり高い乳児と思春期の死亡率および成人男女の比較的等しい均衡と密接に一致します。次に、遺骸の空間分析は、一つの共同体として埋葬の豊富で精巧な扱いを示唆します。最後に、選択された標本は、遺跡のさまざまな場所から抽出され、遺跡全体に及んでいます。
この期間のマルタ諸島との海外の通交の考古学的証拠はまちまちです。黒曜石や燵岩の種類や磨製石など一部の製作物は、確実に輸入されました。しかし、これらは小型で、高い威信財の価値があり、出現した時点で完成している傾向にあり、大量のヒトの往来を伴わなかったかもしれない、と示唆します。さらに、作物栽培や家畜飼育や建築の手段は、ある程度の島嶼性と一致して本質的に局所的でした。
●新石器時代人口集団の体格指数分析
明らかに肥満のヒトの彫像の彫刻と流通はマルタ諸島の後期新石器時代の顕著な特徴で、おそらくは限られた遺伝子プール内の異常な遺伝的体質を反映しています。したがって、イギリスのバイオバンクのデータセットからの要約統計を用いて体格指数について多遺伝子性危険性特定分析が実行されたものの、標本抽出されたマルタ諸島の新石器時代3個体は、他の新石器時代個体群と比較して異常な危険値を示さない、と分かりました。なお本論文では言及されていませんが、旧石器時代ヨーロッパの女性像については、厳しい気候では女性像でより肥満な体型が表現される傾向にある、と指摘されているので(関連記事)、マルタ諸島の後期新石器時代でも、上述の栄養状態の悪化を考えると、理想とされた肥満体型が彫像で表現されており、じっさいの体型の傾向とは違っていたのかもしれません。
●新石器時代の遺跡内で共有されるハプロタイプは限定的な島の人口規模と海上創始者効果を示唆します
共有されたIBDは最近の共通祖先系統に敏感で、頻度に基づく手法ではなく系図的なので、ヨーロッパ新石器時代人口集団で知られているHG祖先系統の水準の違いなどの要因による偏りが少ないかもしれません。図3Cでは、親族族関係の個体を除外した後に、複数の補完されたゲノムがあるヨーロッパの新石器時代の遺跡間および遺跡内で観察される、2 cM以上となる平均的なIBDの長さのヒートマップが示されます。小さな島々の標本で遺跡の値内の最高はマルタ諸島のシャーラで観察され、それに続くのがゴットランド島のアンサーヴ(Ansarve)遺跡とオークニー諸島のホルム・オブ・パパ(Holm of Papa)およびイズビスター(Isbister)で、島嶼新石器時代共同体の限定的な人口史が裏づけられます。図3Bでは、さまざまな地理的地域の平均値が図示され、ヨーロッパ大陸の南部および東部と比較して、北部および西部のより高い集団内IBD共有の追加の傾向が明らかになります。
この地理的違いは、遺跡間共有のパターンでも示され(図3C)、3つの異なる地理的クラスタが明らかです。まず、大西洋とピレネー山脈西部との間に位置するバスク地域は、後期新石器時代遺跡間で極端に上昇した値を示し、ある程度の地理的孤立を示唆します。次に、密接な系図的結びつきはブリテン島とアイルランド島全域でも見られ、単一もしくは密接に関連する創始者人口集団に由来する島の海上での定住と一致します。最後に、フランスの遺跡がクラスタ化すると観察され、その内部では、極端な共有がフランス南部の前期新石器時代の2ヶ所の遺跡間で観察され、地中海全域の新石器時代拡大を特徴づける、飛び地の定住過程を反映しているかもしれません。
この兆候をさらに調べるため、以前には各遺跡で1標本しか利用可能ではなかったことから除外されていた、スペインの新石器時代の最初期遺構(紀元前5500~紀元前5000年頃)の3ヶ所の遺跡が検討されました。驚くべきことに、それらの遺跡間の長い地理的距離にも関わらず、これら3個体は相互との、およびフランスの地中海地域遺跡とのひじょうに高い共有水準を示しますが、そのHGの祖先寄与には大きな違いがあります。これは、地中海西部への新石器時代移住を伴う人口規模の限定を示唆します。
●新石器時代の遺伝子は地理を反映しています
新石器時代の遺伝的構造の海上植民と大陸地形の潜在的影響を調べるため、古代の個体群で補完された個体間の対でのIBD共有の行列(図4)と、ChromoPainterおよびfineSTRUCTUREを用いてのクラスタ化(図5)が実行されました。これらハプロタイプに基づく手法に加えて、アレル(対立遺伝子)頻度に基づく手法であるEEMS(estimated effective migration surface、推定有効移動面)も適用されました。以下は本論文の図4です。
各結果は、3クラスタの存在への収束を示します。第一に、イベリア半島とフランスとサルデーニャ島の個体群を含む地中海西部です。第二に、ギリシアとバルカン半島とアナトリア半島とヨーロッパ中央部を含む地中海東部です。第三に、ブリテン諸島とアイルランド島です。これらは、図3CのIBDヒートマップでは塊として表示され、主成分分析(PCA)の変異の3頂点を形成します(図4)。この3頂点は、fineSTRUCTURE系統樹では別々の主要な枝を形成します(図5)。中間的な標本は、地理的にも中間です。たとえば、視覚的に地理を反映するPCA図では(図4)、フランス北部標本はイベリア半島標本の近くに位置しますが、ブリテン諸島とアイルランド島のクラスタへも伸びています。また。サルデーニャ島とマルタ諸島とシチリア島とイタリア半島の地中海中央部標本は、ブリテン諸島とアイルランド島へも伸びています。以下は本論文の図5です。
新石器時代人口集団は。2つの主要な経路でヨーロッパへと移住し、それはヨーロッパ中央部への陸上移動と、地中海沿岸の海上拡散です。本論文の分析で最も著しい特徴は、これら2つの過程の対照的な結果です。とくに、ヨーロッパ中央部個体群とバルカン半島およびアナトリア半島におけるその供給源人口集団との間には最小限の違いがあるのに対して、ヨーロッパ南西部個体群とヨーロッパ西部の個体群の分離はデータにおける主要な分割を形成します。これは、線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)複合期におけるかなりの数の移住と強力な後方共同体を伴っており、新石器時代を通じて比較的よく接続されていた人口集団がいた、とするバルカン半島からヨーロッパ中央部への農耕拡大モデルを裏づけます。
さらに調べるため、飛び石モデルとアレル頻度から計算された距離行列を用いたEEMSも適用されました。図6では、新石器時代ヨーロッパにおける推定移住率のコールドスポットとホットスポットが示されます。アナトリア半島とバルカン半島とヨーロッパ中央部との間の交通回廊はこの分析の最も顕著な特徴で、地中海やアルプス地域やさらに二つの新石器時代移住の流れが遭遇するとされる(関連記事)、ヨーロッパ北方における東西の障壁とは強く対照的です。
他の手法と同様に、EEMSは標本間の時間的差異を考慮しておらず、これは区別要因になると予測されます。たとえば、イングランドと大陸の標本間の障壁は、より多くの同時代のフランスの標本を追加することで、あまり目立たなくなるかもしれません。しかし、主要な区分は少なくとも部分的には地理的に説明される、と断定されます。これらはハプロタイプの情報があるfineSTRUCTURE分析で現れるものと対応しており、この分析では標本の年代も記入されます(図5)。ここから明確なのは、基底部の枝全体での年代の重なりにも関わらず、ゲノムはさまざまな集団に分離する、ということです。また、クラスタ内、とくにアナトリア半島とヨーロッパ中央部高地交通回廊の標本間でかなりの時間的差異があります。
地中海東部から西部への急速な新石器時代の定住は、刻印カルディウム(Impressed Cardial)複合と関連しており、地中海北方沿岸での反復的配置を通じて起きた可能性が高そうです。考古学的データに基づくこの過程のモデルでは、ヨーロッパ中央部よりもずっと速い農耕拡大の速度を説明するのに長距離航海が必要になる、と示唆されています。本論文の結果は、この沿海航行で用いられた船舶の限定的な収容能力と一致しており、開拓者の数とその後の後方地域との交換を制約した可能性が高そうです。
観察された東西のゲノム区分は、より初期の個体群がPCA図では極に向かって図示され、中期および後期新石器時代個体群がより中心への傾向を示すので、少なくとも部分的にこの基礎的過程に由来する、と推測されます。ヨーロッパ東西間の鋭い区分は、フランスとその近隣の新石器時代個体群のゲノムの分析(関連記事)を反映しており、その分析では、新石器時代の二つの流れが、ヨーロッパHGとの祖先の混合の程度で異なっていました。しかし、祖先系統におけるこの違いは、たとえばイベリア半島の前期新石器時代など、より早期のヨーロッパ西方のゲノムとの比較ではさほど目立ちません。
ブリテン諸島とアイルランド島の人口集団は、第二のfineSTRUCTUREの枝では地中海新石器時代個体群と姉妹集団を形成し(図5)、この南部の移住の流れにおもな起源がある、という以前の主張(関連記事)によると、IBD類似性を示します(図3C)。しかし、その海上分離は、ある程度のクラスタの区別(図3および図4)と推定される移住障壁(図6)により反映されています。興味深いことに、アイルランド島とブリテン島本土の個体群は、本論文のどの分析でもクラスタとして相互に分離せず、紀元前3800年頃の急速な創始過程の共有要素を裏づけます。
ブリテン島個体群はSNP捕獲データから、アイルランド島個体群はショットガン配列ライブラリから計算されたので、これは有意なバッチ効果(実験間誤差)の欠如の追加の指標です。しかしfineSTRUCTUREは、SNP捕獲のオークニー諸島個体群と、IBD共有パターンでも捕獲された(図3Cおよび図4)バスク地域の後期新石器時代個体群(図5)の独自性の出現も確証します。分離の追加の標識は、オークニー諸島の古代人のゲノムも、新石器時代から青銅器時代への移行期全体での男性系統の異常な大半の維持を示すと最近になって分かったことで(関連記事)、ヨーロッパ北部および中央部内の独特な特徴です。以下は本論文の図6です。
●まとめ
バスク地域とオークニー諸島とアイルランド島の個体群の独自性は、現代人の遺伝的変異の先駆的研究で明らかになり、ゲノム規模調査はPCAにおけるヨーロッパの地理、とくに海洋の特徴が説得力をもって再現されました。これらの同じ特徴が、同じ大陸のより早いゲノム期間のデータ内で繰り返し明らかになることは驚くべきで、同じ自然地形、とくに海景による遺伝的変異の繰り返しの形成を語っています。先史時代の大きな議論の一つは、数千年の過程において、海洋接続性の水準と、その接続性がどのように海洋技術や文化的反応と相互作用したのか、ということです。古代ヨーロッパの人口集団間での関係は、新石器時代確立期における海の旅がゲノム分化の一つの推進力だったことを示唆する、と本論文では提案されます。以下は本論文の要約図です。
大規模に、複数の分析が地中海西部の人口集団とその供給源である地中海東部人口集団との間の遺伝的分離を浮き彫りにします。これは沿岸海上植民の結果で、ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島からのヨーロッパ中央部LBK人口集団の陸地の確立と関連する分化の欠如とは明確に対照的です。海上経路が遺伝的交換の促進剤ではなく抑制剤であることも、小規模な島々から明らかです。オークニー諸島とゴットランド島とマルタ諸島の個体群のゲノムは、高いROHもしくは遺跡内IBDの兆候を示し、限定的な人口が示唆されます。とくに、後期新石器時代マルタ諸島のシャーラ遺跡のわずか数百個体の有効人口規模推定値は、ゴゾ島以下の配偶網人口集団を示唆し、先史時代におけるゲノム島嶼性の説得力がある事例です。
参考文献:
Ariano B. et al.(2022): Ancient Maltese genomes and the genetic geography of Neolithic Europe. Current Biology, 32, 12, 2668–2680.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.069
古代ゲノミクスは、新石器時代拡大の人口もしくは移住の性質を確証してきましたが、海上の遺伝的交換の妨害のいくつかの実例も示してきました。たとえば、サルデーニャ島の青銅器時代人口集団は、同時代のヨーロッパ本土人のゲノムを変えた草原地帯祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の流入の影響を受けず(関連記事1および関連記事2)、アイルランド島の中石器時代人のゲノムは小さな人口規模の痕跡を示し、それは対応する大陸の狩猟採集民(HG)では欠如しています(関連記事)。
マルタ島の最初の定住は新石器時代のことで、紀元前六千年紀となります。これらは一連の文化的段階を経て発展し、外部接続性のいくつかの物質指標があるものの、紀元前3600年頃から衰退し、その頃に土器と農耕が異なる特徴を示し始めました。一例は、マルタ諸島のゴゾ島のシャーラ(Xagħra)環状列石など、複数の部屋がある岩を切り出した墓の発達でした。この記念碑的地下墓では数百個体が埋葬され、紀元前2500年頃まで改築や増築が行なわれ、その頃に消滅し、おそらくはより広範な人口減少もしくは置換の一部でした。
後期新石器時代のマルタ島の人口統計を調べるため、シャーラ環状列石の被葬者のゲノムが配列されました。ヨーロッパ新石器時代人口集団など密接に関連する集団間の微細構造の解明は困難で、系統学的手法による分析が必要です。したがって、これらをより広い文脈で調べるため、さらに刊行された古代人のゲノムからゲノム規模二倍体遺伝子型を補完し、ゲノム内およびゲノム間のハプロタイプが評価され、新石器時代ヨーロッパ全域の遺伝的地理と人口統計が推定されました。
●南地中海諸島のゲノム
温暖な気候の地域から古代人のゲノムを回収することはひじょうに困難で、マルタ諸島のゴゾ島は、ヨーロッパでは最南端の状況の一例です(図1)。しかし、後期新石器時代のシャーラ環状列石の発掘からの9点のヒトの錐体骨と歯の標本では、3点の優れた内在性DNA含有量(13%と17%と39%)がもたらされました(表1)。これは地下石灰岩洞窟埋葬複合(hypogeum、地下墓)内の保存強化を反映している可能性が高く、これら3点の標本(シャーラ5号・6号・9号)は、ショットガン配列により、平均ゲノム規模網羅率はそれぞれ1.24倍と0.98倍と7.52倍になります。以下は本論文の図1です。
マルタ島はヨーロッパで最後にヒトが居住した地域の一つで、紀元前5500年頃までに確立した新石器時代共同体の到来に先行するヒトの存在の証拠はほとんどありません。これらは、シチリア島とイタリア半島南西部の土器の地域異形の印象的な土器であるアール・ダラム(Għar Dalam)土器の発展様式と関連しています。したがって、外群f3統計を用いて推定されるように、シャーラ環状列石のゲノムはイタリア半島およびギリシアの前期新石器時代人口集団と最高水準の、続いてイタリア半島とシチリア島の中期新石器時代および銅器時代人口集団と浮動を共有する、と分かります。
ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)との混合水準は、ヨーロッパ新石器時代標本全体で、とくに経時的に異なる、と示されています(関連記事)。本論文の新石器時代標本内のWHG祖先系統の水準を調べるため、各遺跡の標本でqpAdm手法が適用され、500年間隔でまとめられました。その結果、WHG祖先構成要素は経時的に有意に増加する、と観察されます。興味深いことに、シャーラ環状列石遺跡の標本は、後の新石器時代の他の集団間で最低のHG祖先系統(6.8±2.5%)を示します。これは、ヨーロッパ本土人口集団に広く影響を及ぼし、遅ければ紀元前3800年頃に起きたと推定されている(関連記事)、存続していたWHG人口集団との混合の伝播からのマルタ島の状況による遮蔽を反映しているかもしれません。
これは、上述の新石器時代から青銅器時代までのWHG祖先系統の一定の程度を示す、サルデーニャ島人口集団からの観察と共鳴します。D統計を用いて、ギリシアとイタリア半島の前期新石器時代を除いて、マルタ島人口集団へのアフリカ北部やコーカサスHGや新石器時代イラン農耕民やヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯集団と関連する遺伝子流動も検証されました。その結果、混合の統計的証拠は得られませんでした。
低網羅率のショットガン配列データからの二倍体遺伝子型補完が、古代の人口集団における微細構造と近親交配のパターンの特徴づけに上手く利用できました。Imputeを用いて、補完経路がマルタ諸島の標本と充分なショットガン配列(網羅率0.4倍超)を利用可能な117個体に適用されました。得られた二倍体遺伝子型は、刊行された補完データセットからの関連する古代イタリア半島標本(関連記事)と統合されました。Beagle4.1版を用いて、補完経路は一塩基多型(SNP)捕獲実施要綱で標本抽出された個体に適用され、95%の異型接合遺伝子型の予測の正確さに達しました。多数の遺伝子型が欠落している4標本を除外した後に、ユーラシア西部古代人のうち新石器時代271個体と狩猟採集民86個体の最終的な包括的データセットが得られました。
ショットガン配列とSNP捕獲データの両方がある個体群について二倍体高網羅率データと交互の補完経路を用いての、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)推定の比較は、ひじょうに高い一致を示し、このデータセットの複合的分析を確証します。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。データ間の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)得点の比較も、偏りの証拠を示しません。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。
●シャーラ環状列石標本のゲノムは異常な同型接合性水準と歴史的に限定的な人口規模を示します
ゲノム規模二倍体データにより、人口集団の多様性、とくにゲノム内で共有された祖先系統の分布と、ROHを用いての、子孫により同一である共有された断片の特定による個体間の分布ハプロタイプに基づく評価が可能となります。ROH分析は、マルタ諸島人のゲノムによる異常な振る舞いを示します。シャーラ9号は、先史時代でこれまでに報告された個体のうち、5 cM(センチモルガン)超と長いROHでは二番目の最も極端な水準を有しています。
これは、高網羅率のゲノムと、ROH 下のゲノムの19.2%が推定された、ROHanによる第二分析手法用いての確証的分析により保証された主張です。これを超えるのは、アイルランド島のニューグレンジ(Newgrange)羨道墳に埋葬された成人男性個体(NG10)だけで、NG10は一親等の関係にある両親の子供と推定されています(関連記事)。しかし、シャーラ9号は、ひじょうに長い同一性断片(15 cM超)への偏りが比較的少ないROH範囲を有しています(図2A)。以下は本論文の図2です。
この兆候を調べるため、親族の範囲が模擬実験され、これらROH におけるゲノムの合計断片(FROH)を含むROH断片の数が記入され、古代の個体群と比較されました(図2B)。NG10とは異なり、シャーラ9号は一親等の親族間の配偶で見られる分布の端に位置し、その系図内の複数の近親交配の輪のより複雑な組み合わせの結果かもしれません。しかし、これはイスラエルの銅器時代標本(I117843)と類似しており、I117843は以前にさまざまな分析で、キョウダイもしくは親子の間の子供の可能性が特定されました。したがって、シャーラ9号の血筋の正確なシナリオは断言されません。
ごく最近の近親交配に焦点を当てるため、10 cM 以上、次に15 cM 以上のROH断片のみを考慮して、この分析が2回繰り返されました。それぞれで、シャーラ9号はキョウダイ間の交配クラスタ(まとまり)の端もしくは範囲外に留まります。ゴゾ島の規模の小ささと比較的孤立していることを考えると、シャーラ9号のゲノムを産み出した近親交配の輪は、最近の系図上の近親交配と歴史的に小さな祖先人口規模の両方の結果かもしれません。この解釈は、他のマルタ諸島の2個体(シャーラ5号および6号)のROHにおける、著しくはないものの比較的増加したゲノムの観察により裏づけられ(図2A・B)、シャーラ6号はシャーラ9号に400年先行します。これら2標本の値は、後の農耕人口集団よりも小さな人口規模のヨーロッパHGで見つかるものでより一般的です(図2B)。さらに調べるため、4~20 cM の範囲内のROHの水準と最尤枠組みを用いて有効人口規模が推定され、合計は515個体(95%信頼区間で397~633個体)となりました。
個体間で共有されるIBD のパターンを活用するソフトウェアIBDNeを用いて、シャーラ人口集団について有効人口規模が推定されました。比較のため、合計で個体間において共有される90以上のIBD断片を有する他のヨーロッパ新石器時代遺跡個体が含められました。シャーラと、それよりは規模が小さいオークニー諸島のイズビスター(Isbister)の「鷲の墓」の遺骸は、人口規模の最近の落ち込みを示し、後期新石器時代のマルタ諸島標本は、30世代でわずか平均382個体です(図3A)。以下は本論文の図3です。
したがって、これらの保存されたマルタ諸島の標本は、異常に小さく限定された人口集団のゲノム痕跡を示し、これは少なくとも400年間にわたって見られる兆候です。興味深いことに、後の2個体(シャーラ5号および9号)は、マルタ諸島先史時代の紀元前2450年頃の転換期に発見された個体で、放射性炭素年代の密度が減少し、食性と栄養状態が著しく悪化しました。早くも紀元前5500年頃に始まった乾燥と土壌悪化への長期的傾向は、これらの変化を推進しているようで、ゴゾ島では、後期新石器時代の人口は収容力推定値が2000~3000人の前期新石器時代よりも少なかった、と示唆されます。これは、計算された有効人口規模値のごく一部なので、驚くべきことではありません。
しかし、これらの推定値は、島の海岸内にほぼ限定された配偶網の孤立を示唆します。証拠のいくつかの要素は、本論文の標本がゴゾ島についてより広範な新石器時代共同体の代表だと示唆します。まず、シャーラの埋葬は、完全な農耕共同体の死亡率予測、つまり高い乳児と思春期の死亡率および成人男女の比較的等しい均衡と密接に一致します。次に、遺骸の空間分析は、一つの共同体として埋葬の豊富で精巧な扱いを示唆します。最後に、選択された標本は、遺跡のさまざまな場所から抽出され、遺跡全体に及んでいます。
この期間のマルタ諸島との海外の通交の考古学的証拠はまちまちです。黒曜石や燵岩の種類や磨製石など一部の製作物は、確実に輸入されました。しかし、これらは小型で、高い威信財の価値があり、出現した時点で完成している傾向にあり、大量のヒトの往来を伴わなかったかもしれない、と示唆します。さらに、作物栽培や家畜飼育や建築の手段は、ある程度の島嶼性と一致して本質的に局所的でした。
●新石器時代人口集団の体格指数分析
明らかに肥満のヒトの彫像の彫刻と流通はマルタ諸島の後期新石器時代の顕著な特徴で、おそらくは限られた遺伝子プール内の異常な遺伝的体質を反映しています。したがって、イギリスのバイオバンクのデータセットからの要約統計を用いて体格指数について多遺伝子性危険性特定分析が実行されたものの、標本抽出されたマルタ諸島の新石器時代3個体は、他の新石器時代個体群と比較して異常な危険値を示さない、と分かりました。なお本論文では言及されていませんが、旧石器時代ヨーロッパの女性像については、厳しい気候では女性像でより肥満な体型が表現される傾向にある、と指摘されているので(関連記事)、マルタ諸島の後期新石器時代でも、上述の栄養状態の悪化を考えると、理想とされた肥満体型が彫像で表現されており、じっさいの体型の傾向とは違っていたのかもしれません。
●新石器時代の遺跡内で共有されるハプロタイプは限定的な島の人口規模と海上創始者効果を示唆します
共有されたIBDは最近の共通祖先系統に敏感で、頻度に基づく手法ではなく系図的なので、ヨーロッパ新石器時代人口集団で知られているHG祖先系統の水準の違いなどの要因による偏りが少ないかもしれません。図3Cでは、親族族関係の個体を除外した後に、複数の補完されたゲノムがあるヨーロッパの新石器時代の遺跡間および遺跡内で観察される、2 cM以上となる平均的なIBDの長さのヒートマップが示されます。小さな島々の標本で遺跡の値内の最高はマルタ諸島のシャーラで観察され、それに続くのがゴットランド島のアンサーヴ(Ansarve)遺跡とオークニー諸島のホルム・オブ・パパ(Holm of Papa)およびイズビスター(Isbister)で、島嶼新石器時代共同体の限定的な人口史が裏づけられます。図3Bでは、さまざまな地理的地域の平均値が図示され、ヨーロッパ大陸の南部および東部と比較して、北部および西部のより高い集団内IBD共有の追加の傾向が明らかになります。
この地理的違いは、遺跡間共有のパターンでも示され(図3C)、3つの異なる地理的クラスタが明らかです。まず、大西洋とピレネー山脈西部との間に位置するバスク地域は、後期新石器時代遺跡間で極端に上昇した値を示し、ある程度の地理的孤立を示唆します。次に、密接な系図的結びつきはブリテン島とアイルランド島全域でも見られ、単一もしくは密接に関連する創始者人口集団に由来する島の海上での定住と一致します。最後に、フランスの遺跡がクラスタ化すると観察され、その内部では、極端な共有がフランス南部の前期新石器時代の2ヶ所の遺跡間で観察され、地中海全域の新石器時代拡大を特徴づける、飛び地の定住過程を反映しているかもしれません。
この兆候をさらに調べるため、以前には各遺跡で1標本しか利用可能ではなかったことから除外されていた、スペインの新石器時代の最初期遺構(紀元前5500~紀元前5000年頃)の3ヶ所の遺跡が検討されました。驚くべきことに、それらの遺跡間の長い地理的距離にも関わらず、これら3個体は相互との、およびフランスの地中海地域遺跡とのひじょうに高い共有水準を示しますが、そのHGの祖先寄与には大きな違いがあります。これは、地中海西部への新石器時代移住を伴う人口規模の限定を示唆します。
●新石器時代の遺伝子は地理を反映しています
新石器時代の遺伝的構造の海上植民と大陸地形の潜在的影響を調べるため、古代の個体群で補完された個体間の対でのIBD共有の行列(図4)と、ChromoPainterおよびfineSTRUCTUREを用いてのクラスタ化(図5)が実行されました。これらハプロタイプに基づく手法に加えて、アレル(対立遺伝子)頻度に基づく手法であるEEMS(estimated effective migration surface、推定有効移動面)も適用されました。以下は本論文の図4です。
各結果は、3クラスタの存在への収束を示します。第一に、イベリア半島とフランスとサルデーニャ島の個体群を含む地中海西部です。第二に、ギリシアとバルカン半島とアナトリア半島とヨーロッパ中央部を含む地中海東部です。第三に、ブリテン諸島とアイルランド島です。これらは、図3CのIBDヒートマップでは塊として表示され、主成分分析(PCA)の変異の3頂点を形成します(図4)。この3頂点は、fineSTRUCTURE系統樹では別々の主要な枝を形成します(図5)。中間的な標本は、地理的にも中間です。たとえば、視覚的に地理を反映するPCA図では(図4)、フランス北部標本はイベリア半島標本の近くに位置しますが、ブリテン諸島とアイルランド島のクラスタへも伸びています。また。サルデーニャ島とマルタ諸島とシチリア島とイタリア半島の地中海中央部標本は、ブリテン諸島とアイルランド島へも伸びています。以下は本論文の図5です。
新石器時代人口集団は。2つの主要な経路でヨーロッパへと移住し、それはヨーロッパ中央部への陸上移動と、地中海沿岸の海上拡散です。本論文の分析で最も著しい特徴は、これら2つの過程の対照的な結果です。とくに、ヨーロッパ中央部個体群とバルカン半島およびアナトリア半島におけるその供給源人口集団との間には最小限の違いがあるのに対して、ヨーロッパ南西部個体群とヨーロッパ西部の個体群の分離はデータにおける主要な分割を形成します。これは、線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)複合期におけるかなりの数の移住と強力な後方共同体を伴っており、新石器時代を通じて比較的よく接続されていた人口集団がいた、とするバルカン半島からヨーロッパ中央部への農耕拡大モデルを裏づけます。
さらに調べるため、飛び石モデルとアレル頻度から計算された距離行列を用いたEEMSも適用されました。図6では、新石器時代ヨーロッパにおける推定移住率のコールドスポットとホットスポットが示されます。アナトリア半島とバルカン半島とヨーロッパ中央部との間の交通回廊はこの分析の最も顕著な特徴で、地中海やアルプス地域やさらに二つの新石器時代移住の流れが遭遇するとされる(関連記事)、ヨーロッパ北方における東西の障壁とは強く対照的です。
他の手法と同様に、EEMSは標本間の時間的差異を考慮しておらず、これは区別要因になると予測されます。たとえば、イングランドと大陸の標本間の障壁は、より多くの同時代のフランスの標本を追加することで、あまり目立たなくなるかもしれません。しかし、主要な区分は少なくとも部分的には地理的に説明される、と断定されます。これらはハプロタイプの情報があるfineSTRUCTURE分析で現れるものと対応しており、この分析では標本の年代も記入されます(図5)。ここから明確なのは、基底部の枝全体での年代の重なりにも関わらず、ゲノムはさまざまな集団に分離する、ということです。また、クラスタ内、とくにアナトリア半島とヨーロッパ中央部高地交通回廊の標本間でかなりの時間的差異があります。
地中海東部から西部への急速な新石器時代の定住は、刻印カルディウム(Impressed Cardial)複合と関連しており、地中海北方沿岸での反復的配置を通じて起きた可能性が高そうです。考古学的データに基づくこの過程のモデルでは、ヨーロッパ中央部よりもずっと速い農耕拡大の速度を説明するのに長距離航海が必要になる、と示唆されています。本論文の結果は、この沿海航行で用いられた船舶の限定的な収容能力と一致しており、開拓者の数とその後の後方地域との交換を制約した可能性が高そうです。
観察された東西のゲノム区分は、より初期の個体群がPCA図では極に向かって図示され、中期および後期新石器時代個体群がより中心への傾向を示すので、少なくとも部分的にこの基礎的過程に由来する、と推測されます。ヨーロッパ東西間の鋭い区分は、フランスとその近隣の新石器時代個体群のゲノムの分析(関連記事)を反映しており、その分析では、新石器時代の二つの流れが、ヨーロッパHGとの祖先の混合の程度で異なっていました。しかし、祖先系統におけるこの違いは、たとえばイベリア半島の前期新石器時代など、より早期のヨーロッパ西方のゲノムとの比較ではさほど目立ちません。
ブリテン諸島とアイルランド島の人口集団は、第二のfineSTRUCTUREの枝では地中海新石器時代個体群と姉妹集団を形成し(図5)、この南部の移住の流れにおもな起源がある、という以前の主張(関連記事)によると、IBD類似性を示します(図3C)。しかし、その海上分離は、ある程度のクラスタの区別(図3および図4)と推定される移住障壁(図6)により反映されています。興味深いことに、アイルランド島とブリテン島本土の個体群は、本論文のどの分析でもクラスタとして相互に分離せず、紀元前3800年頃の急速な創始過程の共有要素を裏づけます。
ブリテン島個体群はSNP捕獲データから、アイルランド島個体群はショットガン配列ライブラリから計算されたので、これは有意なバッチ効果(実験間誤差)の欠如の追加の指標です。しかしfineSTRUCTUREは、SNP捕獲のオークニー諸島個体群と、IBD共有パターンでも捕獲された(図3Cおよび図4)バスク地域の後期新石器時代個体群(図5)の独自性の出現も確証します。分離の追加の標識は、オークニー諸島の古代人のゲノムも、新石器時代から青銅器時代への移行期全体での男性系統の異常な大半の維持を示すと最近になって分かったことで(関連記事)、ヨーロッパ北部および中央部内の独特な特徴です。以下は本論文の図6です。
●まとめ
バスク地域とオークニー諸島とアイルランド島の個体群の独自性は、現代人の遺伝的変異の先駆的研究で明らかになり、ゲノム規模調査はPCAにおけるヨーロッパの地理、とくに海洋の特徴が説得力をもって再現されました。これらの同じ特徴が、同じ大陸のより早いゲノム期間のデータ内で繰り返し明らかになることは驚くべきで、同じ自然地形、とくに海景による遺伝的変異の繰り返しの形成を語っています。先史時代の大きな議論の一つは、数千年の過程において、海洋接続性の水準と、その接続性がどのように海洋技術や文化的反応と相互作用したのか、ということです。古代ヨーロッパの人口集団間での関係は、新石器時代確立期における海の旅がゲノム分化の一つの推進力だったことを示唆する、と本論文では提案されます。以下は本論文の要約図です。
大規模に、複数の分析が地中海西部の人口集団とその供給源である地中海東部人口集団との間の遺伝的分離を浮き彫りにします。これは沿岸海上植民の結果で、ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島からのヨーロッパ中央部LBK人口集団の陸地の確立と関連する分化の欠如とは明確に対照的です。海上経路が遺伝的交換の促進剤ではなく抑制剤であることも、小規模な島々から明らかです。オークニー諸島とゴットランド島とマルタ諸島の個体群のゲノムは、高いROHもしくは遺跡内IBDの兆候を示し、限定的な人口が示唆されます。とくに、後期新石器時代マルタ諸島のシャーラ遺跡のわずか数百個体の有効人口規模推定値は、ゴゾ島以下の配偶網人口集団を示唆し、先史時代におけるゲノム島嶼性の説得力がある事例です。
参考文献:
Ariano B. et al.(2022): Ancient Maltese genomes and the genetic geography of Neolithic Europe. Current Biology, 32, 12, 2668–2680.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.069
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