日本の後期更新世と中期完新世のオオカミのDNA解析
日本の後期更新世と中期完新世のオオカミのDNA解析結果を報告した研究(Segawa et al., 2022)が公表されました。日本語の解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。ニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax)はハイイロオオカミ(Canis lupus)の絶滅した日本列島固有種で、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」に生息していました。伝統的にニホンオオカミ(ホンシュウオオカミ)は、元々は「偉大な精霊」を意味する日本語名「オカミ」で表されていたように、日本の在来宗教と関連する精霊とみなされていましたが、1900年代初頭に絶滅しました。
1800年代前期、ドイツの医師で博物学者のシーボルト(Philipp Franz von Siebold)は、オランダの動物学者テミンク(Coenraad Jacob Temminck)の記述により、1842年に刊行された日本の動物学に関する一連の最初の文献である『日本動物誌(Fauna Japonica)』における、新種のオオカミ(Canis hodophilax)としての説明を通じて、世界に対して固有のニホンオオカミの存在を明らかにしました。ニホンオオカミはハイイロオオカミの現生および絶滅した集団の中では小型の亜種で、平均の頭蓋長は196mm、下顎第一大臼歯(m1)の長さは24mmでした(図1)。
ニホンオオカミの進化史は、ハイイロオオカミにおける主要な未解決問題の一つです。日本では、別の亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)も、日本の北方の主要島である北海道にのみ分布していましたが、形態学および分子両方の証拠に基づいて、ニホンオオカミとは別の集団とみなされています。最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究では、小型のニホンオオカミは現生ハイイロオオカミ単系統群(クレード)で初期に分岐した系統の一つだった、と示唆されています。小型のニホンオオカミの最古となる既知の遺骸は9000年前頃にさかのぼることができ、おそらくはユーラシアから日本列島へとその前に移動してきたニホンオオカミの祖先集団です。以下は本論文の図1です。
2万年以上前のひじょうに巨大なオオカミの化石が、本州で発掘されました(図1B・C・D)。数匹の個体の遺骸の分析によると、本州の更新世オオカミのm1は34.5mmに達し、地史学的記録に基づくと全てのオオカミで最大となります(図1D)。対照的に、現生ハイイロオオカミのm1は24.0~33.5mmで、絶滅した大陸部の更新世オオカミ(ベーリング陸橋の東西の化石)のm1の範囲は28.1~33.4mmです。
巨大な本州の更新世オオカミ集団の系統発生的位置、および小型のニホンオオカミとの系統的関係は不明なままで、論争となっている二つの主要な仮説があります。一方は、巨大な更新世オオカミがニホンオオカミの直接的祖先で、その体の大きさは日本列島「本土」内で島嶼化による時間勾配につれて経時的にかなり減少した、という仮説です。もう一方は、巨大な更新世オオカミとニホンオオカミの起源は異なり、直接的な系統関係はない、とする仮説です。したがって、巨大な更新世オオカミの遺伝的識別は、ニホンオオカミの起源と進化史の理解に不可欠です。
しかしこれまで、日本も含めてアジア東部の更新世オオカミ化石の古代DNA研究は、高温多湿環境での広範なDNA分解のため限られていました。古代DNAが分析された更新世オオカミは、ロシアやアラスカなど高緯度にかなり偏っていましたが、アジア東部におけるその系統発生的位置や集団動態についてほとんど知られていません。したがって、アジアの更新世オオカミは、ゲノミクスを用いて、北半球全域の古代オオカミの集団動態についてさらに理解を深める機会を提供します。
本論文は、新たに2匹の日本のオオカミの古代DNA分析結果を報告し、その系統発生的位置および遺伝的関係を明らかにします。一方は35000年前頃の個体(以下、PJ35K)で、もう一方は中期完新世となる5000年前頃の個体(以下、HJ5K)です。その結果、古ゲノミクス分析によりニホンオオカミの複雑な遺伝的起源と進化史が明らかになり、アジアにおけるオオカミの進化史について新たな視点を提供します。
●放射性炭素年代測定と形態学的識別特性
本州の後期更新世オオカミは、現生および絶滅ハイイロオオカミでは最大の個体群により表される集団の一つです。m1(下部裂肉歯)により表される日本の更新世オオカミの歯の大きさは28.7~34.5mmですが、完新世のニホンオオカミは20.2~28.5mmです(図1D)。本論文で調査対象とされた更新世個体(PJ35K)も他のハイイロオオカミと比較してひじょうに大きく、その頭蓋全長は253mmで、頭骨基底長は238mmです。この個体の頭蓋縫合閉鎖は不完全だったため、大型のPJ35Kは実際には亜成体と考えられるので、さらに長く生きていればより大きく成長したかもしれません。
炭素13や窒素15など安定同位体値は、食物網における動物の食性選好とその結果としての栄養水準を反映している、とよく確立されています。炭素13と窒素15の安定同位体値は、PJ35Kが–16.52‰と11.72‰、HJ5Kが19.88‰と7.31‰です。放射性炭素年代測定に基づくと、PJ35Kは31730±180年前(較正年代では後期更新世となる36100~35350年前)、HJ5Kは4425±20年前(較正年代では中期完新世となる5045~4971年前)です。別の更新世の大型個体である、推定地質年代が20427~20215年前となるPJ20Kの犬歯も分析されました。しかし、PJ20Kのコラーゲンの質は純粋なコラーゲンの範囲よりもわずかに低く、PJ20Kが続成作用の変化にいくぶん影響を受けた、と示唆されます。
●更新世と完新世のオオカミの性別決定
PJ35KとHJ5Kの錐体骨からDNAが抽出され、DNA標本が大量の塩基配列を一度に多数同時に(超並列で)決定できる塩基配列決定技術(次世代シークエンサー)に適用されました。PJ35Kの読み取り率は常染色体とX染色体ではほぼ同等で、Y染色体固有領域にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されなかったので、雌と識別されました。対照的に、HJ5KのX染色体のマッピング率は常染色体のほぼ半分だったので、雄と識別されました。
ハイイロオオカミは身体と歯の大きさの観点では性的二形(性別での身体形質の大きな違い、この場合は雄が雌よりも大きくなります)を示すので、この結果は、PJ35K標本の歯(m1)の大きさが、日本の大型更新世オオカミでは比較的小さい(29.1mm)ことを説明します(図1D)。したがって、m1の大きさがずっと大きい(最大で34.5mm)特定の他の更新世化石は雄かもしれません。換言すると、完新世の雄であるHJ5Kは、更新世の雌であるPJ35Kより小さいことになります(図1D)。
●更新世および完新世のオオカミのミトコンドリアの系統発生と合着年代
mtDNAは、PJ35Kで平均深度6倍の13559塩基対(ハイイロオオカミのmtDNAの81.0%)、HJ5Kで平均深度37.5倍の16730塩基対(ハイイロオオカミのmtDNAの100.0%)が再構築されました。最尤法(ML)分析が、7匹のニホンオオカミとユーラシアおよび北アメリカ大陸の更新世のオオカミを含む114点のハイイロオオカミの配列を用いて実行されました。驚くべきことに、PJ35Kの母系はニホンオオカミのクレード内に収まりませんでした。PJ35Kは現生オオカミのクレードの初期に分岐した幹系統の一つとして位置づけられ(図2)、シベリア東部のヤナ(Yana)の更新世個体(CGG18)と関連しています。近似普遍(AU)検定では、PJ35Kがニホンオオカミのクレード内に位置づけられる可能性は却下されました。以下は本論文の図2です。
その後、ハイイロオオカミ間の合着(合祖)年代が、古代DNAの放射性炭素年代測定を用いて、BEASTソフトウェアでの先端節に基づいて推定されました(図2)。PJ35KとCGG18の合着年代は95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)で63700~51500年前と推定されました(図2)。この結果から、更新世オオカミの幹系統の一部はシベリアやアラスカなどより高緯度の地域でほとんど発掘されており、アジアの最東端である日本列島には57000~35000年前頃に到達した、と示唆されます。他方、HJ5Kはニホンオオカミのクレード内に含まれます。したがって、PJ35KのmtDNAは、ニホンオオカミのHJ5Kとは遺伝的関連を有していません。
HJ5Kを含むニホンオオカミのクレードは、以前の研究で示唆されたように、シベリアのヤナの更新世個体と関連しています。ニホンオオカミのクレードは36700年前頃(95% HPDで40000~34100年前)に出現し、最新の共通祖先の年代は14100年前頃(95% HPDで18300~10400年前)です(図2)。これは、ニホンオオカミの母系がこの2節間の37000~14100年前頃に日本列島へと移動したことを示唆します。現代のオオカミのクレードの最新の共通祖先の年代は46100年前頃(95% HPDで49900~42700年前)です。
以前の研究と一致して、ニホンオオカミの母系は、イヌを含む北アメリカ大陸(アラスカやカナダやメキシコなど)とユーラシア(シベリアやアジア東部など)のオオカミの主要な現生集団間で比較的初期に分岐した系統の一つでした。一般的に合着年代はデータセットに応じて変わる可能性があるので、進化の時間規模が、13ヶ所のタンパク質コード遺伝子とそれらの遺伝子の13ヶ所のコドン部位について2点のデータセットにも基づいて推定され、後者は進化速度の時間依存性にほとんど影響を受けない、と示唆されています。その結果、3点のデータセット間で合着年代が基本的に一致している、と確証されました。
●核DNA分析
核DNAデータに基づいて更新世および完新世の標本の系統発生的位置に対処するため、ヤナとタイムイル(Taimyr)の更新世シベリアのオオカミ2個体および現生オオカミ集団とともに系統発生ネットワークが推測されました(関連記事)。最近報告された19世紀のニホンオオカミ標本(HJ19C)も含まれました(関連記事)。系統発生ネットワークにより、PJ35KとHJ5Kは両方、HJ19Cおよび更新世シベリア2個体とは異なるクレードを形成すると明らかになり、日本のオオカミは更新世集団の構成員だった、と示唆されました(図3A)。他方、現生オオカミは別の異なるクラスタ(まとまり)を形成し、さらに「新世界」集団と「旧世界」集団から構成される2つの下位クラスタに区別できます。
確認補正(ASC)モデル下の一塩基多型(SNP)データに基づくML系統樹は、近隣ネットワークと調和した結果を提供し、更新世オオカミとPJ35K・HJ5K・HJ19Cとの密接な関係を示します(図3B)。これら日本の3匹のオオカミの系統発生的位置は、核DNAとmtDNAのデータ間で部分的に一致しません。これは、祖先の多型、日本の更新世のPJ35Kおよび完新世のHJ5K・HJ19C、シベリアの更新世のオオカミ、現代のオオカミを含む遺伝子流動の影響を反映しているかもしれません。
この可能性に対処するため、PJ35KとHJ5KとHJ19Cとシベリアの更新世オオカミと現代のオオカミの間の系統発生関係が、遺伝子流動モデル下でTreeMix図により推定されました(図3C)。PJ35KについてはSNPの数が少ないため、PJ35Kを除外した後で充分なSNPデータセット(160269ヶ所)を用いてのTreeMix図も推定され、本質的に一貫した結果が得られました。これらのTreeMix図から、完新世のニホンオオカミは遺伝的に日本の更新世オオカミおよび更新世シベリアオオカミの両方と関連していた、と示唆されます。関連しない両アレル(対立遺伝子)に基づくベイズ系統発生ネットワークは、TreeMixの基本的に一貫した歴史的関係を示しましたが、完新世のニホンオオカミ(HJ5K)は現生オオカミからの広範な遺伝子移入にも関わっていた、と示唆されました。以下は本論文の図3です。
遺伝子流動の程度を調べるため、以下のオオカミ3集団間の共有されるアレルのパターンが比較されました。それは、完新世のニホンオオカミ(HJ5Kと HJ19C)、日本の更新世オオカミ(PJ35K)、大陸部集団(現生オオカミとシベリアの更新世オオカミ)です。キンイロジャッカル(Canis aureus Linnaeus)が外群として用いられました。D統計は、遺伝子流動がないモデルと、系統樹的集団史の帰無仮説から逸脱した派生的アレル頻度の過剰な相関を示唆しており、大陸部集団から完新世ニホンオオカミへの広範な遺伝子移入が示唆されます。とくに、HJ5Kはユーラシアと北アメリカ大陸両方の現生オオカミの大半からの強い遺伝子流動を有していました(図4A)。一方、シベリアの更新世オオカミ、とくにヤナ個体からの強い遺伝子流動がHJ19Cで検出され、以前の分析と一致します(関連記事)。これらの結果から、完新世ニホンオオカミは日本の更新世オオカミと日本列島へ繰り返し移動したさまざまな集団に由来する大陸部集団との遺伝的混合により確立した、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
完新世ニホンオオカミの混合起源仮説をさらに調べるため、その歴史を通じての集団間の関係が、混合図の枠組みでモデル化されました(図5)。最初の「子孫仮説」は、完新世ニホンオオカミが単純に更新世日本のオオカミに由来する、と仮定します(図5A)。他の仮説(図5B・C・D)は、完新世ニホンオオカミは更新世日本のオオカミと大陸部オオカミとの間の遺伝的混合を経て確立した、という交雑起源を表しています。更新世シベリアのオオカミ(図5B)と、現生オオカミ(図5C)と、その両方(図5D)は、大陸からの遺伝的混合の供給源集団として想定されました。以下は本論文の図5です。
二重混合仮説(図5D)は、現生オオカミからHJ5Kへの遺伝的寄与と、更新世シベリアのオオカミからHJ19Cへの遺伝的寄与を仮定し、赤池情報量基準(AIC)モデルとZ得点により最適モデルとして選択されました。2つの異なる形態、つまり「更新世日本のオオカミが基底部」とする形態と、「更新世シベリアのオオカミが基底部」とするモデルが、オオカミ集団間の不安定な系統発生関係を考慮しながら調べられました。しかし、更新世オオカミの単系統性が依然として最適な仮説として選択されました。
二重混合仮説下の本論文の混合図では、PJ35Kと現生オオカミ系統のHJ5Kへの遺伝的寄与は、それぞれ0.37と0.63です。一方、PJ35Kとシベリアの更新世オオカミ系統のHJ19Cへの遺伝的寄与は、それぞれ0.26と0.74です。したがって、完新世ニホンオオカミ(HJ5KとHJ19C)はPJ35K、ヤナのシベリアの更新世オオカミ(図2および図3)、現代のオオカミ(図4および図5)との遺伝的関連を示しました。したがって、ニホンオオカミは複雑なゲノム混合を表しており、その祖先的系統は、日本の更新世オオカミおよび大陸部オオカミを含む複数のオオカミ集団間の交雑を経ていた、と示唆されます。
●考察
本論文は、独特な遺伝的および形態的特徴を有していた、絶滅ニホンオオカミの進化的起源に焦点を当てました。古代mtDNAの以前の分析では、幹群の更新世ハイイロオオカミは90000~45000年前頃に現生オオカミの共通祖先系統から分岐し、現生オオカミにより置換された、と示唆されました。しかし本論文では、更新世(35000年前頃)と完新世(5000年前頃)の日本のオオカミ標本が、シベリアの更新世オオカミと遺伝的関連性を示す、と論証されました。さらに予期せぬことに、ニホンオオカミは、単純な置換ではなく、日本の更新世オオカミと大陸部の祖先オオカミ集団との間の古代の交雑事象を反映している、と分かりました。この結果により、ニホンオオカミの起源と関係する移動年代および集団動態を議論できるようになります(図6)。以下は本論文の図6です。
合着年代とPJ35Kの放射性炭素年代から、系統発生的にシベリアの更新世オオカミと近い更新世オオカミ集団の1つが、57000~35000年前頃に日本列島へと移動した(図2)、と示唆されます。本論文は、母系の合着年代により示唆されるように、ヤナ個体に近い更新世シベリアのオオカミ集団が37000~14000年前頃に日本列島へと移動した、と提案します(図2および図6B)。37000~14000年前頃は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)2および最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)と明確に重複し、この期間(31000~16000年前頃)にはユーラシア大陸と日本列島との間で海水準がかなり低下しました。更新世シベリアのオオカミ系統から更新世日本のオオカミへの遺伝子流動は、この期間に起きたかもしれません。
さらに本論文では、現生オオカミ系統からニホンオオカミへの遺伝的寄与も検出されました。しかし、ニホンオオカミの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が現生オオカミ系統からもたらされた年代が未解決なので、複数の大陸部集団(更新世シベリアのオオカミと現生オオカミ)が繰り返し日本列島に移住したのか、それともすでに混合した大陸部集団が日本列島に定着したのか、不明です。いずれの場合も、本論文の結果は、ニホンオオカミの多層遺伝的構造が交雑事象の複雑な歴史を反映している、と示唆します。
日本列島の巨大オオカミの最新の既知の化石(PJ20K)の年代は2万年前頃なので、更新世の巨大オオカミがその後に絶滅したことは明らかです。多くの小型のニホンオオカミの遺骸が発掘されており、その年代が9000年前頃以後であることから、この時点よりも前の交雑事象の発生が示唆されます。対照的に、完新世のユーラシアと北アメリカ大陸では、シベリアの更新世オオカミは現生オオカミ集団に置換されました(図6C)。したがって本論文の結果は、ニホンオオカミの独特な遺伝的起源と進化動態を明らかにします。この進化シナリオは、全てのmtDNAと核DNAのデータ、合着年代推定値、放射性炭素年代、形態的不均衡を示す化石記録、地質学的事象を説明します。
しかし、絶滅した更新世シベリアのオオカミの混合率が、5000年前頃のHJ5K標本よりも19世紀のHJ19C標本の方で高い理由の説明は困難です。この問題を説明する可能性の一つは、ニホンオオカミ集団が初期完新世においてひじょうに構造化されており、各下位集団がさまざまな大陸部集団からの異なる混合率を有していた、というものです。この仮説は、更新世シベリアのオオカミからより大きな遺伝的断片を継承した下位集団の子孫がニホンオオカミ集団を生み出した、と示唆します。別の可能性は、シベリアの更新世オオカミの遺伝的特性の一部を継承したオオカミもしくはイヌからの追加の遺伝子移入で、この遺伝子移入は数百年前から数千年前に起きたかもしれません。しかし、最近絶滅したニホンオオカミの遺伝子流動史の詳細は不確かなままで、歴史時代および先史時代のより多くの個体の詳細な分析が、この年代的逆説の解決に必要でしょう。
日本列島の地理的特徴は、ニホンオオカミがユーラシアの現生オオカミに置換されなかった理由の一つの説明を提供します。ユーラシア大陸部から日本列島への大型哺乳類の移動は、陸橋が氷期の海水準低下において形成された時を除いて、比較的遠く孤立した日本列島の位置により妨げられました。したがって、1900年代初頭まで、早期に分岐した更新世オオカミ系統の混合ゲノムを有する残存生物亜種として、ニホンオオカミはこの独特な環境で生き残りました。
PJ35KはHJ5Kと比較して、相対的に大きくて重い安定同位体値を有していました。そうした大きな値は、動物が産卵サケなど海洋に由来するタンパク質源を利用できる場合に説明できることが多くなっています。しかし、この説明はPJ35KとHJ5Kには不充分で、それは、両者が同じ場所に生息していたからです。むしろこの違いは、後期更新世の本州の島嶼環境におけるバイソンやオーロックスなど大型草食獣の存在を反映しているかもしれません。同じ場所のそうした大型草食獣について同位体情報は得られていませんが、日本の更新世オオカミは、ゾウを含む大型草食獣を捕食していたかもしれません。
これらの結果から、日本の更新世オオカミは完新世のニホンオオカミより肉食性が高く、大型草食哺乳類に強く依存していた一方で、ニホンオオカミはおそらく、シカやニホンカモシカやイノシシなど中型の草食哺乳類に依存していました。日本列島の多くの大型草食哺乳類は、MIS3~2のLGMに個体数が減少したか絶滅しました。この点で、巨大更新世オオカミの小型ニホンオオカミとの部分的置換は、2万年前頃のLGMにおける大型草食哺乳類絶滅の結果だったかもしれず、日本の大型オオカミの最新の化石記録と対応します。
MIS3~2の移行期における本州の大型動物の絶滅は気候変動の結果と考えられていますが、一部の研究者は、日本列島にMIS3もしくは38000年前頃以後に到達した更新世のヒトの影響の可能性も示唆しました。北アメリカ大陸では、大型捕食動物の更新世末の絶滅は、ヒトの活動に影響を受けた可能性があります。しかし本州では、たとえあったとしても、更新世のヒトの活動の影響は不明なままで、それは、大型動物遺骸を含む遺跡がほぼ完全に欠如しているからです。将来の研究は、旧石器時代のヒトが、大型の更新世オオカミを含むこの期間の大型動物の絶滅に寄与した可能性を考慮すべきです。以下は本論文の要約図です。
上述のように、更新世の謎めいたオオカミがニホンオオカミの直接的な祖先なのか否かについて、長きにわたる論争がありました。更新世(35000年前頃)と中期完新世(5000年前頃)両方のオオカミについての本論文の分析はこの問題に対処し、本論文で提案された進化シナリオは、基本的に以前の両仮説とは異なります。さらにもう一つの問題は、他の古代ではあるものの、後期更新世最初期のずっと古い(130000~123000年前頃)日本のオオカミ化石の存在に関するもので、これら日本の古いオオカミは、MIS6a~6bの海水準低下期に日本列島に移動してきたかもしれません。この化石記録は、シベリアの更新世オオカミからのPJ35Kの推定される分岐(57000年前頃)に先行します(図2)。これは、PJ35Kを含む後期更新世集団でさえ、遺伝的交換の有無に関わらず、別の既存のオオカミ集団を置換したかもしれない、と示唆します。
したがって、標準的仮説とは対照的に、地質学的時間にわたる断続的なオオカミの拡大は日本列島において、少なくとも3つのオオカミ集団を含む、複雑な移動史をもたらしたかもしれません。しかし、PJ35KとHJ5Kを含む他の系統とより古い系統との遺伝的関係、およびその置換の歴史は、将来の研究の問題です。オオカミ集団が日本列島に数回拡大した、との上述の可能性と同様に、今では絶滅した本州のヒグマもユーラシアから本州への古代系統の複数の移動を通じて本州に到来した、と最近になって報告されました。したがって、日本列島の哺乳類動物相は、更新世において日本列島とユーラシアとの間に断続的に形成された大陸との接続の結果として移動の「多層」の歴史を有しているかもしれず、これは古代DNAの継続中の研究の最重要主題の一つです。
古ゲノミクスの進歩により、シベリアなど高緯度地域における更新世オオカミの進化史が明らかにされてきました。しかしアジア東部では、更新世化石の古代核DNAの欠如により、更新世オオカミの拡散範囲を明確にすることが妨げられてきました。日本列島内の遺跡から発掘された化石のDNAは一般的に保存状態が悪く、それは高温多湿環境と酸性土壌のためです。本論文の結果は、更新世の古ゲノミクスがアジア東部でさえ可能だと裏づけます。じっさい、更新世のいくつかのオオカミ化石が、アジア東部のさまざまな地域で発見されてきました。
ユーラシア全域の更新世オオカミ集団間の時空間的動態と相互作用を定義するには、とくにアジア東部の更新世化石から得られたゲノム情報の分析が必要で、それは、アジア東部が古代DNA分析に関して比較的未調査の地域だからです。将来の研究は、低緯度地域の更新世オオカミ集団の拡散の範囲、集団間交雑の頻度、古集団で起き、現生オオカミの進化に寄与した生物地理学的に多層の置換事象など、未解決問題の分析を可能とするでしょう。
参考文献:
Segawa T. et al.(2022): Paleogenomics reveals independent and hybrid origins of two morphologically distinct wolf lineages endemic to Japan. Current Biology, 32, 11, 2494–2504.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.034
1800年代前期、ドイツの医師で博物学者のシーボルト(Philipp Franz von Siebold)は、オランダの動物学者テミンク(Coenraad Jacob Temminck)の記述により、1842年に刊行された日本の動物学に関する一連の最初の文献である『日本動物誌(Fauna Japonica)』における、新種のオオカミ(Canis hodophilax)としての説明を通じて、世界に対して固有のニホンオオカミの存在を明らかにしました。ニホンオオカミはハイイロオオカミの現生および絶滅した集団の中では小型の亜種で、平均の頭蓋長は196mm、下顎第一大臼歯(m1)の長さは24mmでした(図1)。
ニホンオオカミの進化史は、ハイイロオオカミにおける主要な未解決問題の一つです。日本では、別の亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)も、日本の北方の主要島である北海道にのみ分布していましたが、形態学および分子両方の証拠に基づいて、ニホンオオカミとは別の集団とみなされています。最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究では、小型のニホンオオカミは現生ハイイロオオカミ単系統群(クレード)で初期に分岐した系統の一つだった、と示唆されています。小型のニホンオオカミの最古となる既知の遺骸は9000年前頃にさかのぼることができ、おそらくはユーラシアから日本列島へとその前に移動してきたニホンオオカミの祖先集団です。以下は本論文の図1です。
2万年以上前のひじょうに巨大なオオカミの化石が、本州で発掘されました(図1B・C・D)。数匹の個体の遺骸の分析によると、本州の更新世オオカミのm1は34.5mmに達し、地史学的記録に基づくと全てのオオカミで最大となります(図1D)。対照的に、現生ハイイロオオカミのm1は24.0~33.5mmで、絶滅した大陸部の更新世オオカミ(ベーリング陸橋の東西の化石)のm1の範囲は28.1~33.4mmです。
巨大な本州の更新世オオカミ集団の系統発生的位置、および小型のニホンオオカミとの系統的関係は不明なままで、論争となっている二つの主要な仮説があります。一方は、巨大な更新世オオカミがニホンオオカミの直接的祖先で、その体の大きさは日本列島「本土」内で島嶼化による時間勾配につれて経時的にかなり減少した、という仮説です。もう一方は、巨大な更新世オオカミとニホンオオカミの起源は異なり、直接的な系統関係はない、とする仮説です。したがって、巨大な更新世オオカミの遺伝的識別は、ニホンオオカミの起源と進化史の理解に不可欠です。
しかしこれまで、日本も含めてアジア東部の更新世オオカミ化石の古代DNA研究は、高温多湿環境での広範なDNA分解のため限られていました。古代DNAが分析された更新世オオカミは、ロシアやアラスカなど高緯度にかなり偏っていましたが、アジア東部におけるその系統発生的位置や集団動態についてほとんど知られていません。したがって、アジアの更新世オオカミは、ゲノミクスを用いて、北半球全域の古代オオカミの集団動態についてさらに理解を深める機会を提供します。
本論文は、新たに2匹の日本のオオカミの古代DNA分析結果を報告し、その系統発生的位置および遺伝的関係を明らかにします。一方は35000年前頃の個体(以下、PJ35K)で、もう一方は中期完新世となる5000年前頃の個体(以下、HJ5K)です。その結果、古ゲノミクス分析によりニホンオオカミの複雑な遺伝的起源と進化史が明らかになり、アジアにおけるオオカミの進化史について新たな視点を提供します。
●放射性炭素年代測定と形態学的識別特性
本州の後期更新世オオカミは、現生および絶滅ハイイロオオカミでは最大の個体群により表される集団の一つです。m1(下部裂肉歯)により表される日本の更新世オオカミの歯の大きさは28.7~34.5mmですが、完新世のニホンオオカミは20.2~28.5mmです(図1D)。本論文で調査対象とされた更新世個体(PJ35K)も他のハイイロオオカミと比較してひじょうに大きく、その頭蓋全長は253mmで、頭骨基底長は238mmです。この個体の頭蓋縫合閉鎖は不完全だったため、大型のPJ35Kは実際には亜成体と考えられるので、さらに長く生きていればより大きく成長したかもしれません。
炭素13や窒素15など安定同位体値は、食物網における動物の食性選好とその結果としての栄養水準を反映している、とよく確立されています。炭素13と窒素15の安定同位体値は、PJ35Kが–16.52‰と11.72‰、HJ5Kが19.88‰と7.31‰です。放射性炭素年代測定に基づくと、PJ35Kは31730±180年前(較正年代では後期更新世となる36100~35350年前)、HJ5Kは4425±20年前(較正年代では中期完新世となる5045~4971年前)です。別の更新世の大型個体である、推定地質年代が20427~20215年前となるPJ20Kの犬歯も分析されました。しかし、PJ20Kのコラーゲンの質は純粋なコラーゲンの範囲よりもわずかに低く、PJ20Kが続成作用の変化にいくぶん影響を受けた、と示唆されます。
●更新世と完新世のオオカミの性別決定
PJ35KとHJ5Kの錐体骨からDNAが抽出され、DNA標本が大量の塩基配列を一度に多数同時に(超並列で)決定できる塩基配列決定技術(次世代シークエンサー)に適用されました。PJ35Kの読み取り率は常染色体とX染色体ではほぼ同等で、Y染色体固有領域にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されなかったので、雌と識別されました。対照的に、HJ5KのX染色体のマッピング率は常染色体のほぼ半分だったので、雄と識別されました。
ハイイロオオカミは身体と歯の大きさの観点では性的二形(性別での身体形質の大きな違い、この場合は雄が雌よりも大きくなります)を示すので、この結果は、PJ35K標本の歯(m1)の大きさが、日本の大型更新世オオカミでは比較的小さい(29.1mm)ことを説明します(図1D)。したがって、m1の大きさがずっと大きい(最大で34.5mm)特定の他の更新世化石は雄かもしれません。換言すると、完新世の雄であるHJ5Kは、更新世の雌であるPJ35Kより小さいことになります(図1D)。
●更新世および完新世のオオカミのミトコンドリアの系統発生と合着年代
mtDNAは、PJ35Kで平均深度6倍の13559塩基対(ハイイロオオカミのmtDNAの81.0%)、HJ5Kで平均深度37.5倍の16730塩基対(ハイイロオオカミのmtDNAの100.0%)が再構築されました。最尤法(ML)分析が、7匹のニホンオオカミとユーラシアおよび北アメリカ大陸の更新世のオオカミを含む114点のハイイロオオカミの配列を用いて実行されました。驚くべきことに、PJ35Kの母系はニホンオオカミのクレード内に収まりませんでした。PJ35Kは現生オオカミのクレードの初期に分岐した幹系統の一つとして位置づけられ(図2)、シベリア東部のヤナ(Yana)の更新世個体(CGG18)と関連しています。近似普遍(AU)検定では、PJ35Kがニホンオオカミのクレード内に位置づけられる可能性は却下されました。以下は本論文の図2です。
その後、ハイイロオオカミ間の合着(合祖)年代が、古代DNAの放射性炭素年代測定を用いて、BEASTソフトウェアでの先端節に基づいて推定されました(図2)。PJ35KとCGG18の合着年代は95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)で63700~51500年前と推定されました(図2)。この結果から、更新世オオカミの幹系統の一部はシベリアやアラスカなどより高緯度の地域でほとんど発掘されており、アジアの最東端である日本列島には57000~35000年前頃に到達した、と示唆されます。他方、HJ5Kはニホンオオカミのクレード内に含まれます。したがって、PJ35KのmtDNAは、ニホンオオカミのHJ5Kとは遺伝的関連を有していません。
HJ5Kを含むニホンオオカミのクレードは、以前の研究で示唆されたように、シベリアのヤナの更新世個体と関連しています。ニホンオオカミのクレードは36700年前頃(95% HPDで40000~34100年前)に出現し、最新の共通祖先の年代は14100年前頃(95% HPDで18300~10400年前)です(図2)。これは、ニホンオオカミの母系がこの2節間の37000~14100年前頃に日本列島へと移動したことを示唆します。現代のオオカミのクレードの最新の共通祖先の年代は46100年前頃(95% HPDで49900~42700年前)です。
以前の研究と一致して、ニホンオオカミの母系は、イヌを含む北アメリカ大陸(アラスカやカナダやメキシコなど)とユーラシア(シベリアやアジア東部など)のオオカミの主要な現生集団間で比較的初期に分岐した系統の一つでした。一般的に合着年代はデータセットに応じて変わる可能性があるので、進化の時間規模が、13ヶ所のタンパク質コード遺伝子とそれらの遺伝子の13ヶ所のコドン部位について2点のデータセットにも基づいて推定され、後者は進化速度の時間依存性にほとんど影響を受けない、と示唆されています。その結果、3点のデータセット間で合着年代が基本的に一致している、と確証されました。
●核DNA分析
核DNAデータに基づいて更新世および完新世の標本の系統発生的位置に対処するため、ヤナとタイムイル(Taimyr)の更新世シベリアのオオカミ2個体および現生オオカミ集団とともに系統発生ネットワークが推測されました(関連記事)。最近報告された19世紀のニホンオオカミ標本(HJ19C)も含まれました(関連記事)。系統発生ネットワークにより、PJ35KとHJ5Kは両方、HJ19Cおよび更新世シベリア2個体とは異なるクレードを形成すると明らかになり、日本のオオカミは更新世集団の構成員だった、と示唆されました(図3A)。他方、現生オオカミは別の異なるクラスタ(まとまり)を形成し、さらに「新世界」集団と「旧世界」集団から構成される2つの下位クラスタに区別できます。
確認補正(ASC)モデル下の一塩基多型(SNP)データに基づくML系統樹は、近隣ネットワークと調和した結果を提供し、更新世オオカミとPJ35K・HJ5K・HJ19Cとの密接な関係を示します(図3B)。これら日本の3匹のオオカミの系統発生的位置は、核DNAとmtDNAのデータ間で部分的に一致しません。これは、祖先の多型、日本の更新世のPJ35Kおよび完新世のHJ5K・HJ19C、シベリアの更新世のオオカミ、現代のオオカミを含む遺伝子流動の影響を反映しているかもしれません。
この可能性に対処するため、PJ35KとHJ5KとHJ19Cとシベリアの更新世オオカミと現代のオオカミの間の系統発生関係が、遺伝子流動モデル下でTreeMix図により推定されました(図3C)。PJ35KについてはSNPの数が少ないため、PJ35Kを除外した後で充分なSNPデータセット(160269ヶ所)を用いてのTreeMix図も推定され、本質的に一貫した結果が得られました。これらのTreeMix図から、完新世のニホンオオカミは遺伝的に日本の更新世オオカミおよび更新世シベリアオオカミの両方と関連していた、と示唆されます。関連しない両アレル(対立遺伝子)に基づくベイズ系統発生ネットワークは、TreeMixの基本的に一貫した歴史的関係を示しましたが、完新世のニホンオオカミ(HJ5K)は現生オオカミからの広範な遺伝子移入にも関わっていた、と示唆されました。以下は本論文の図3です。
遺伝子流動の程度を調べるため、以下のオオカミ3集団間の共有されるアレルのパターンが比較されました。それは、完新世のニホンオオカミ(HJ5Kと HJ19C)、日本の更新世オオカミ(PJ35K)、大陸部集団(現生オオカミとシベリアの更新世オオカミ)です。キンイロジャッカル(Canis aureus Linnaeus)が外群として用いられました。D統計は、遺伝子流動がないモデルと、系統樹的集団史の帰無仮説から逸脱した派生的アレル頻度の過剰な相関を示唆しており、大陸部集団から完新世ニホンオオカミへの広範な遺伝子移入が示唆されます。とくに、HJ5Kはユーラシアと北アメリカ大陸両方の現生オオカミの大半からの強い遺伝子流動を有していました(図4A)。一方、シベリアの更新世オオカミ、とくにヤナ個体からの強い遺伝子流動がHJ19Cで検出され、以前の分析と一致します(関連記事)。これらの結果から、完新世ニホンオオカミは日本の更新世オオカミと日本列島へ繰り返し移動したさまざまな集団に由来する大陸部集団との遺伝的混合により確立した、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
完新世ニホンオオカミの混合起源仮説をさらに調べるため、その歴史を通じての集団間の関係が、混合図の枠組みでモデル化されました(図5)。最初の「子孫仮説」は、完新世ニホンオオカミが単純に更新世日本のオオカミに由来する、と仮定します(図5A)。他の仮説(図5B・C・D)は、完新世ニホンオオカミは更新世日本のオオカミと大陸部オオカミとの間の遺伝的混合を経て確立した、という交雑起源を表しています。更新世シベリアのオオカミ(図5B)と、現生オオカミ(図5C)と、その両方(図5D)は、大陸からの遺伝的混合の供給源集団として想定されました。以下は本論文の図5です。
二重混合仮説(図5D)は、現生オオカミからHJ5Kへの遺伝的寄与と、更新世シベリアのオオカミからHJ19Cへの遺伝的寄与を仮定し、赤池情報量基準(AIC)モデルとZ得点により最適モデルとして選択されました。2つの異なる形態、つまり「更新世日本のオオカミが基底部」とする形態と、「更新世シベリアのオオカミが基底部」とするモデルが、オオカミ集団間の不安定な系統発生関係を考慮しながら調べられました。しかし、更新世オオカミの単系統性が依然として最適な仮説として選択されました。
二重混合仮説下の本論文の混合図では、PJ35Kと現生オオカミ系統のHJ5Kへの遺伝的寄与は、それぞれ0.37と0.63です。一方、PJ35Kとシベリアの更新世オオカミ系統のHJ19Cへの遺伝的寄与は、それぞれ0.26と0.74です。したがって、完新世ニホンオオカミ(HJ5KとHJ19C)はPJ35K、ヤナのシベリアの更新世オオカミ(図2および図3)、現代のオオカミ(図4および図5)との遺伝的関連を示しました。したがって、ニホンオオカミは複雑なゲノム混合を表しており、その祖先的系統は、日本の更新世オオカミおよび大陸部オオカミを含む複数のオオカミ集団間の交雑を経ていた、と示唆されます。
●考察
本論文は、独特な遺伝的および形態的特徴を有していた、絶滅ニホンオオカミの進化的起源に焦点を当てました。古代mtDNAの以前の分析では、幹群の更新世ハイイロオオカミは90000~45000年前頃に現生オオカミの共通祖先系統から分岐し、現生オオカミにより置換された、と示唆されました。しかし本論文では、更新世(35000年前頃)と完新世(5000年前頃)の日本のオオカミ標本が、シベリアの更新世オオカミと遺伝的関連性を示す、と論証されました。さらに予期せぬことに、ニホンオオカミは、単純な置換ではなく、日本の更新世オオカミと大陸部の祖先オオカミ集団との間の古代の交雑事象を反映している、と分かりました。この結果により、ニホンオオカミの起源と関係する移動年代および集団動態を議論できるようになります(図6)。以下は本論文の図6です。
合着年代とPJ35Kの放射性炭素年代から、系統発生的にシベリアの更新世オオカミと近い更新世オオカミ集団の1つが、57000~35000年前頃に日本列島へと移動した(図2)、と示唆されます。本論文は、母系の合着年代により示唆されるように、ヤナ個体に近い更新世シベリアのオオカミ集団が37000~14000年前頃に日本列島へと移動した、と提案します(図2および図6B)。37000~14000年前頃は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)2および最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)と明確に重複し、この期間(31000~16000年前頃)にはユーラシア大陸と日本列島との間で海水準がかなり低下しました。更新世シベリアのオオカミ系統から更新世日本のオオカミへの遺伝子流動は、この期間に起きたかもしれません。
さらに本論文では、現生オオカミ系統からニホンオオカミへの遺伝的寄与も検出されました。しかし、ニホンオオカミの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が現生オオカミ系統からもたらされた年代が未解決なので、複数の大陸部集団(更新世シベリアのオオカミと現生オオカミ)が繰り返し日本列島に移住したのか、それともすでに混合した大陸部集団が日本列島に定着したのか、不明です。いずれの場合も、本論文の結果は、ニホンオオカミの多層遺伝的構造が交雑事象の複雑な歴史を反映している、と示唆します。
日本列島の巨大オオカミの最新の既知の化石(PJ20K)の年代は2万年前頃なので、更新世の巨大オオカミがその後に絶滅したことは明らかです。多くの小型のニホンオオカミの遺骸が発掘されており、その年代が9000年前頃以後であることから、この時点よりも前の交雑事象の発生が示唆されます。対照的に、完新世のユーラシアと北アメリカ大陸では、シベリアの更新世オオカミは現生オオカミ集団に置換されました(図6C)。したがって本論文の結果は、ニホンオオカミの独特な遺伝的起源と進化動態を明らかにします。この進化シナリオは、全てのmtDNAと核DNAのデータ、合着年代推定値、放射性炭素年代、形態的不均衡を示す化石記録、地質学的事象を説明します。
しかし、絶滅した更新世シベリアのオオカミの混合率が、5000年前頃のHJ5K標本よりも19世紀のHJ19C標本の方で高い理由の説明は困難です。この問題を説明する可能性の一つは、ニホンオオカミ集団が初期完新世においてひじょうに構造化されており、各下位集団がさまざまな大陸部集団からの異なる混合率を有していた、というものです。この仮説は、更新世シベリアのオオカミからより大きな遺伝的断片を継承した下位集団の子孫がニホンオオカミ集団を生み出した、と示唆します。別の可能性は、シベリアの更新世オオカミの遺伝的特性の一部を継承したオオカミもしくはイヌからの追加の遺伝子移入で、この遺伝子移入は数百年前から数千年前に起きたかもしれません。しかし、最近絶滅したニホンオオカミの遺伝子流動史の詳細は不確かなままで、歴史時代および先史時代のより多くの個体の詳細な分析が、この年代的逆説の解決に必要でしょう。
日本列島の地理的特徴は、ニホンオオカミがユーラシアの現生オオカミに置換されなかった理由の一つの説明を提供します。ユーラシア大陸部から日本列島への大型哺乳類の移動は、陸橋が氷期の海水準低下において形成された時を除いて、比較的遠く孤立した日本列島の位置により妨げられました。したがって、1900年代初頭まで、早期に分岐した更新世オオカミ系統の混合ゲノムを有する残存生物亜種として、ニホンオオカミはこの独特な環境で生き残りました。
PJ35KはHJ5Kと比較して、相対的に大きくて重い安定同位体値を有していました。そうした大きな値は、動物が産卵サケなど海洋に由来するタンパク質源を利用できる場合に説明できることが多くなっています。しかし、この説明はPJ35KとHJ5Kには不充分で、それは、両者が同じ場所に生息していたからです。むしろこの違いは、後期更新世の本州の島嶼環境におけるバイソンやオーロックスなど大型草食獣の存在を反映しているかもしれません。同じ場所のそうした大型草食獣について同位体情報は得られていませんが、日本の更新世オオカミは、ゾウを含む大型草食獣を捕食していたかもしれません。
これらの結果から、日本の更新世オオカミは完新世のニホンオオカミより肉食性が高く、大型草食哺乳類に強く依存していた一方で、ニホンオオカミはおそらく、シカやニホンカモシカやイノシシなど中型の草食哺乳類に依存していました。日本列島の多くの大型草食哺乳類は、MIS3~2のLGMに個体数が減少したか絶滅しました。この点で、巨大更新世オオカミの小型ニホンオオカミとの部分的置換は、2万年前頃のLGMにおける大型草食哺乳類絶滅の結果だったかもしれず、日本の大型オオカミの最新の化石記録と対応します。
MIS3~2の移行期における本州の大型動物の絶滅は気候変動の結果と考えられていますが、一部の研究者は、日本列島にMIS3もしくは38000年前頃以後に到達した更新世のヒトの影響の可能性も示唆しました。北アメリカ大陸では、大型捕食動物の更新世末の絶滅は、ヒトの活動に影響を受けた可能性があります。しかし本州では、たとえあったとしても、更新世のヒトの活動の影響は不明なままで、それは、大型動物遺骸を含む遺跡がほぼ完全に欠如しているからです。将来の研究は、旧石器時代のヒトが、大型の更新世オオカミを含むこの期間の大型動物の絶滅に寄与した可能性を考慮すべきです。以下は本論文の要約図です。
上述のように、更新世の謎めいたオオカミがニホンオオカミの直接的な祖先なのか否かについて、長きにわたる論争がありました。更新世(35000年前頃)と中期完新世(5000年前頃)両方のオオカミについての本論文の分析はこの問題に対処し、本論文で提案された進化シナリオは、基本的に以前の両仮説とは異なります。さらにもう一つの問題は、他の古代ではあるものの、後期更新世最初期のずっと古い(130000~123000年前頃)日本のオオカミ化石の存在に関するもので、これら日本の古いオオカミは、MIS6a~6bの海水準低下期に日本列島に移動してきたかもしれません。この化石記録は、シベリアの更新世オオカミからのPJ35Kの推定される分岐(57000年前頃)に先行します(図2)。これは、PJ35Kを含む後期更新世集団でさえ、遺伝的交換の有無に関わらず、別の既存のオオカミ集団を置換したかもしれない、と示唆します。
したがって、標準的仮説とは対照的に、地質学的時間にわたる断続的なオオカミの拡大は日本列島において、少なくとも3つのオオカミ集団を含む、複雑な移動史をもたらしたかもしれません。しかし、PJ35KとHJ5Kを含む他の系統とより古い系統との遺伝的関係、およびその置換の歴史は、将来の研究の問題です。オオカミ集団が日本列島に数回拡大した、との上述の可能性と同様に、今では絶滅した本州のヒグマもユーラシアから本州への古代系統の複数の移動を通じて本州に到来した、と最近になって報告されました。したがって、日本列島の哺乳類動物相は、更新世において日本列島とユーラシアとの間に断続的に形成された大陸との接続の結果として移動の「多層」の歴史を有しているかもしれず、これは古代DNAの継続中の研究の最重要主題の一つです。
古ゲノミクスの進歩により、シベリアなど高緯度地域における更新世オオカミの進化史が明らかにされてきました。しかしアジア東部では、更新世化石の古代核DNAの欠如により、更新世オオカミの拡散範囲を明確にすることが妨げられてきました。日本列島内の遺跡から発掘された化石のDNAは一般的に保存状態が悪く、それは高温多湿環境と酸性土壌のためです。本論文の結果は、更新世の古ゲノミクスがアジア東部でさえ可能だと裏づけます。じっさい、更新世のいくつかのオオカミ化石が、アジア東部のさまざまな地域で発見されてきました。
ユーラシア全域の更新世オオカミ集団間の時空間的動態と相互作用を定義するには、とくにアジア東部の更新世化石から得られたゲノム情報の分析が必要で、それは、アジア東部が古代DNA分析に関して比較的未調査の地域だからです。将来の研究は、低緯度地域の更新世オオカミ集団の拡散の範囲、集団間交雑の頻度、古集団で起き、現生オオカミの進化に寄与した生物地理学的に多層の置換事象など、未解決問題の分析を可能とするでしょう。
参考文献:
Segawa T. et al.(2022): Paleogenomics reveals independent and hybrid origins of two morphologically distinct wolf lineages endemic to Japan. Current Biology, 32, 11, 2494–2504.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.034
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