William von Hippel『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』
ウィリアム・フォン・ヒッペル(William von Hippel)著、濱野大道訳で、ハーパーコリンズ・ノンフィクションより2019年10月に刊行されました。原書の刊行は2018年です。電子書籍での購入です。一部(ではないかもしれませんが)で評判がきわめて悪そうな進化心理学について、まとまった知見を得る目的で読みました。本書はまず、ヒトの行動や表現型が遺伝子だけで決定されるわけではなく、遺伝子と環境(外部刺激)の相互作用により決まり、そこには意志の介在する余地もある、と強調します。たとえば筋肉の量で、遺伝子によりどの程度の大きさの筋肉を成長させる能力があるのか決まりますが、じっさいの筋肉量を決めるのは生活様式の方で、そこには個人の意志が関わります。進化心理学への不適切な攻撃の中には、進化心理学を遺伝子決定論とする藁人形的批判もあるので、この点が強調されているのは重要だと思います。
私は進化心理学の意義は大きいと考えており、今後の研究の進展にも大いに期待していますが、本書の人類進化認識については疑問もあり、そうした認識に基づく本書の見解に脆弱さがあることは否定できないように思います。その意味で、進化心理学に否定的な見解にも一定以上の妥当性がある、と言えるでしょう。まず、本書は700万~600年前頃に現生人類(Homo sapiens)の祖先は熱帯雨林を離れてサバンナに移り住んだ、と指摘しますが、この仮説には疑問が呈されており、原書の刊行が2018年と最近であることを考えると、問題だと思います。人類の最重要の特徴と言える常習的な直立二足歩行の起源について、草原に生活域が移ったことで直立したとする「サバンナ仮説」や、その発展形で、大地溝帯の隆起によりアフリカの東西で環境が異なるようになったからとする「イーストサイドストーリー」が一時は有力でした。しかし、初期猿人化石が発見されていくにつれて、人類の起源がさかのぼり、初期猿人化石の発見地の古環境が必ずしも乾燥した草原とは言えないと明らかになり、これらの仮説の論拠は弱まりました(関連記事)。
ただ、現代人の祖先がある時点でサバンナを主要な生活の場としたことは間違いなく、本書は捕食者に対する投擲とそれを効果的に行なう協力に、人類の心理的変化の起源の一因を見出だしています。確かに、ヒトの投擲能力は高く、これが捕食者との競合で重要な役割を果たした可能性は高いでしょう。現代人のような投擲能力が備わったのは最初期の(異論の余地のない)ホモ属で、200万年前頃までさかのぼる可能性がありますが、アウストラロピテクス属の時点で、すでに投擲能力はそれ以前より向上していたと推測されます(関連記事)。本書は、投擲などで協力を促すような進化の過程で、フリーライダー(ただ乗り)を追放するような感情的反応が定着していき、その処罰の一形態として石打ちがあった、と推測します。おそらくこれは妥当で、こうした推測をできるところが進化心理学の長所だと思います。本書はこうした観点から、霊長類の脳が大きく進化したのは社会的課題に直面したからで、とくにヒトに当てはまる、と指摘しますが、人類史において劇的に脳容量が増加したホモ属の進化要因の割合については、最初期こそ協同(個体群対自然)の割合が高いものの、その後は生態(個体対自然)の割合が高い、との研究もあります(関連記事)。
人類の出アフリカについて本書では、脳容量の増大により可能になった、と想定されていますが、200万年以上前にユーラシアの広範な地域に人類が拡散していたと考えられることから(関連記事)、この見解には問題があると思います。本書はホモ・エレクトス(Homo erectus)を人類進化史における分業の画期として重視しますが、その可能性は高いように思います(関連記事)。また本書は、火を管理するようになった点でホモ・エレクトスの画期性を指摘しますが、人類による40万年以上前の火の制御については議論になっています(関連記事)。本書は協力志向の人類で進化した心の理論を重視し、とくに効果的な教育が可能になったことを指摘しますが、心の理論が現在の高度で複雑な社会の基盤になったという意味で、重要な見解だと思います。
進化心理学では、現代人の心理傾向は更新世までに確立し、農耕開始以降の急激な社会変化に適応できていないところが少なからずある、という見解が主流なように思いますが、本書は、農耕への移行に新たな心理的適応が必要とは限らないものの、文化的な大変動は避けられず、不平等に適応しなければならなかった、と指摘します。なお、本書は農耕が12000年前頃に始まった後、すぐに中国とアメリカ大陸に伝わったとしますが、農耕牧畜は世界の複数の核となる地域(アジア南西部および東部やアメリカ大陸など)で異なる年代に異なる種を対象として始まった、との見解が現在では有力だと思います(関連記事)。また本書は、「狩猟採集民だった祖先たちは遊牧民としての生活様式からゆっくりと離れていった」としますが、原書を読んでいないので断定できないものの、おそらくこの「遊牧民」は「forager(渉猟民、遊動的採集民)」の誤訳でしょう。
本書は、心理的傾向における生得的な性差の存在も指摘しており、もちろん環境の影響も認めているものの、それが特定分野における性差につながり、それが「大きな障壁」の問題ではない可能性さえ示唆しています。これは、進化心理学が「進歩的な」人々というか「wokeness」陣営に忌避される要因でもあるのでしょうが、本書の見解に妥当なところは少なくないように思います。もちろん、特定分野の性差が環境というか広い意味での文化規範に多分に起因する事例も少なくないでしょうが、生得的な性差による志向の違いは無視できないように思います。こういうことを言うと、「wokeness」陣営から「魂が悪い」とか「保守反動」とか罵倒・嘲笑されそうですが。
ヒトが集団間ではなく集団内で協力するような選択圧により進化した、という「部族主義」はヒトに本来備わる協力的な性質と矛盾するのではなく、両者は実際には表裏一体である、との本書の指摘は進化心理学では一般的だと思います。部族主義は協力的な性質の原因でもあり結果でもある、というわけですが、これは基本的に妥当な見解だと思います。ただ、これも忌避されやすい見解かもしれません。本書は、外部の脅威がなければ、集団内の協力体制さえそのうち消えてしまう恐れがある、と指摘します。現在のアメリカ合衆国の政治における二極化と過激化の根本的原因の一部はソ連崩壊だった、というわけです。その意味で、現在はっきりと現れつつありますが、中国への対抗という点で今後アメリカ合衆国の政治的一体性が強化される可能性は低くないかもしれません。
参考文献:
Hippel W.著(2019)、濱野大道訳『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』(ハーパーコリンズ・ノンフィクション、原書の刊行は2018年)
私は進化心理学の意義は大きいと考えており、今後の研究の進展にも大いに期待していますが、本書の人類進化認識については疑問もあり、そうした認識に基づく本書の見解に脆弱さがあることは否定できないように思います。その意味で、進化心理学に否定的な見解にも一定以上の妥当性がある、と言えるでしょう。まず、本書は700万~600年前頃に現生人類(Homo sapiens)の祖先は熱帯雨林を離れてサバンナに移り住んだ、と指摘しますが、この仮説には疑問が呈されており、原書の刊行が2018年と最近であることを考えると、問題だと思います。人類の最重要の特徴と言える常習的な直立二足歩行の起源について、草原に生活域が移ったことで直立したとする「サバンナ仮説」や、その発展形で、大地溝帯の隆起によりアフリカの東西で環境が異なるようになったからとする「イーストサイドストーリー」が一時は有力でした。しかし、初期猿人化石が発見されていくにつれて、人類の起源がさかのぼり、初期猿人化石の発見地の古環境が必ずしも乾燥した草原とは言えないと明らかになり、これらの仮説の論拠は弱まりました(関連記事)。
ただ、現代人の祖先がある時点でサバンナを主要な生活の場としたことは間違いなく、本書は捕食者に対する投擲とそれを効果的に行なう協力に、人類の心理的変化の起源の一因を見出だしています。確かに、ヒトの投擲能力は高く、これが捕食者との競合で重要な役割を果たした可能性は高いでしょう。現代人のような投擲能力が備わったのは最初期の(異論の余地のない)ホモ属で、200万年前頃までさかのぼる可能性がありますが、アウストラロピテクス属の時点で、すでに投擲能力はそれ以前より向上していたと推測されます(関連記事)。本書は、投擲などで協力を促すような進化の過程で、フリーライダー(ただ乗り)を追放するような感情的反応が定着していき、その処罰の一形態として石打ちがあった、と推測します。おそらくこれは妥当で、こうした推測をできるところが進化心理学の長所だと思います。本書はこうした観点から、霊長類の脳が大きく進化したのは社会的課題に直面したからで、とくにヒトに当てはまる、と指摘しますが、人類史において劇的に脳容量が増加したホモ属の進化要因の割合については、最初期こそ協同(個体群対自然)の割合が高いものの、その後は生態(個体対自然)の割合が高い、との研究もあります(関連記事)。
人類の出アフリカについて本書では、脳容量の増大により可能になった、と想定されていますが、200万年以上前にユーラシアの広範な地域に人類が拡散していたと考えられることから(関連記事)、この見解には問題があると思います。本書はホモ・エレクトス(Homo erectus)を人類進化史における分業の画期として重視しますが、その可能性は高いように思います(関連記事)。また本書は、火を管理するようになった点でホモ・エレクトスの画期性を指摘しますが、人類による40万年以上前の火の制御については議論になっています(関連記事)。本書は協力志向の人類で進化した心の理論を重視し、とくに効果的な教育が可能になったことを指摘しますが、心の理論が現在の高度で複雑な社会の基盤になったという意味で、重要な見解だと思います。
進化心理学では、現代人の心理傾向は更新世までに確立し、農耕開始以降の急激な社会変化に適応できていないところが少なからずある、という見解が主流なように思いますが、本書は、農耕への移行に新たな心理的適応が必要とは限らないものの、文化的な大変動は避けられず、不平等に適応しなければならなかった、と指摘します。なお、本書は農耕が12000年前頃に始まった後、すぐに中国とアメリカ大陸に伝わったとしますが、農耕牧畜は世界の複数の核となる地域(アジア南西部および東部やアメリカ大陸など)で異なる年代に異なる種を対象として始まった、との見解が現在では有力だと思います(関連記事)。また本書は、「狩猟採集民だった祖先たちは遊牧民としての生活様式からゆっくりと離れていった」としますが、原書を読んでいないので断定できないものの、おそらくこの「遊牧民」は「forager(渉猟民、遊動的採集民)」の誤訳でしょう。
本書は、心理的傾向における生得的な性差の存在も指摘しており、もちろん環境の影響も認めているものの、それが特定分野における性差につながり、それが「大きな障壁」の問題ではない可能性さえ示唆しています。これは、進化心理学が「進歩的な」人々というか「wokeness」陣営に忌避される要因でもあるのでしょうが、本書の見解に妥当なところは少なくないように思います。もちろん、特定分野の性差が環境というか広い意味での文化規範に多分に起因する事例も少なくないでしょうが、生得的な性差による志向の違いは無視できないように思います。こういうことを言うと、「wokeness」陣営から「魂が悪い」とか「保守反動」とか罵倒・嘲笑されそうですが。
ヒトが集団間ではなく集団内で協力するような選択圧により進化した、という「部族主義」はヒトに本来備わる協力的な性質と矛盾するのではなく、両者は実際には表裏一体である、との本書の指摘は進化心理学では一般的だと思います。部族主義は協力的な性質の原因でもあり結果でもある、というわけですが、これは基本的に妥当な見解だと思います。ただ、これも忌避されやすい見解かもしれません。本書は、外部の脅威がなければ、集団内の協力体制さえそのうち消えてしまう恐れがある、と指摘します。現在のアメリカ合衆国の政治における二極化と過激化の根本的原因の一部はソ連崩壊だった、というわけです。その意味で、現在はっきりと現れつつありますが、中国への対抗という点で今後アメリカ合衆国の政治的一体性が強化される可能性は低くないかもしれません。
参考文献:
Hippel W.著(2019)、濱野大道訳『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』(ハーパーコリンズ・ノンフィクション、原書の刊行は2018年)
この記事へのコメント