山本紀夫『高地文明 「もう一つの四大文明」の発見』
中公新書の一冊として、中央公論新社より2021年6月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、農耕開始からその発展の時代までを対象して、四つの熱帯高地「文明」、つまりメキシコとアンデスとヒマラヤ・チベットとエチオピアを取り上げます。本書はまず、「四大文明」という概念と、「文明」が大河のほとりで生まれた、という見解に疑問を呈します。本書は「文明」の定義について、個々の要素に囚われるのではなく、全体的な文化変容のパターン、とくに効果的な食料生産と大きな人口に注目しています。また本書は、「文化」と「文明」は連続的なもので、「文化」がある一定の発展段階に達した時を「文明」と呼んでいます。当ブログでは基本的に「文明」を用いないことにしていますが(関連記事)、この記事では「文明」と表記します。本書が強調するのは、熱帯高地と熱帯低地は気候と生態系が大きくことなる、ということです。
本書はメキシコについては、中央高原(アナワク)のテオティワカンやアステカを取り上げています。マヤが取り上げられないのは、低地で発達した「文明」だからです。メキシコ中央高原では灌漑農耕が発達しましたが、大河は流れていないので、湖などの水が利用されました。本書がメキシコ中央高原の「文明」の基盤として重視するのはトウモロコシですが、アンデス高地とは異なり、トウモロコシが酒の材料として利用されることはほとんどなかったようです。一方、トウモロコシだけでは栄養が偏るので(タンパク質不足)、カボチャとインゲンマメも同時に栽培され、重要な食資源とされていました。
アンデス山脈は細長く、北部と中央と南部に三区分されます。このうち、北部と中央が熱帯アンデスと呼ばれ、中央アンデスが「文明」発展の主要舞台となりました。アンデス高地の「文明」の基盤となった食資源がジャガイモであることを、本書は強調します。インカ帝国(タワンティンスーユ)についても、トウモロコシ農耕の産物と考える研究者が少なくいそうですが、インカ帝国の中核はアンデス山岳地帯にあり、ジャガイモに支えられた「文明」だった、というわけです。中央アンデスでは穀類がほとんど栽培化されませんでしたが、乾季と雨季が明確に分かれる気候に適したイモ類は多数栽培化されました。本書は、日本におけるこれまでの「四大文明」との認識により、「文明」の条件として穀類、とくにコムギが過大評価されてしまっているのではないか、と指摘します。
ヒマラヤ・チベット地域は、ヒマラヤ山脈の南側の湿潤チベットとヒマラヤ山脈の北側の乾燥チベットに二分され、本書では乾燥チベットが取り上げられます。本書は、チベットにおいて農耕とともに牧畜、とくにヤクの家畜化が、輸送手段としても食料源としても重要な役割を果たしたのではないか、と指摘します。ヤクの家畜化により輸送革命が起き、それが王国の発展など政治的にも人々の生活など社会的にも大きな影響を与えたのではないか、というわけです。チベットの農耕技術も牧畜技術も他地域からもたらされたと考えられますが、本書は、ヤクの家畜化とダッタンソバの栽培化がチベットで起きた可能性を指摘します。なお、本書ではチベット高原への人類の到達は25000~20000年前頃とされていますが、現生人類(Homo sapiens)では4万~3万年前頃、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)では16万年以上前までさかのぼります(関連記事)。現生人類の起源地であるアフリカにおける高地への人類の最古の拡散は、現時点では47000~31000年前頃になると思いますが(関連記事)、今後さらにさかのぼる可能性もあるとは思います。
エチオピアの大半はきわめて平坦な高原で、地溝帯により北部高地と東部高地に二分され、河川のほとんどは浸食により深く刻まれた渓谷になっています。エチオピア高原について本書はまず、その景観が人類の活動により大きく変わった可能性を指摘します。エチオピアで重要な食料源として、本書は根菜類としては例外的に長期保存の可能なエンセーテを挙げます。本書はアクスム王国に代表されるエチオピアの「文明」が独自「文明」なのかどうか、という問題も取り上げており、安定的な食料生産の確立を重視する立場から、周辺「文明」ではなく独立した基本「文明」だと指摘します。
参考文献:
山本紀夫(2021)『高地文明 「もう一つの四大文明」の発見』(中央公論新社)
本書はメキシコについては、中央高原(アナワク)のテオティワカンやアステカを取り上げています。マヤが取り上げられないのは、低地で発達した「文明」だからです。メキシコ中央高原では灌漑農耕が発達しましたが、大河は流れていないので、湖などの水が利用されました。本書がメキシコ中央高原の「文明」の基盤として重視するのはトウモロコシですが、アンデス高地とは異なり、トウモロコシが酒の材料として利用されることはほとんどなかったようです。一方、トウモロコシだけでは栄養が偏るので(タンパク質不足)、カボチャとインゲンマメも同時に栽培され、重要な食資源とされていました。
アンデス山脈は細長く、北部と中央と南部に三区分されます。このうち、北部と中央が熱帯アンデスと呼ばれ、中央アンデスが「文明」発展の主要舞台となりました。アンデス高地の「文明」の基盤となった食資源がジャガイモであることを、本書は強調します。インカ帝国(タワンティンスーユ)についても、トウモロコシ農耕の産物と考える研究者が少なくいそうですが、インカ帝国の中核はアンデス山岳地帯にあり、ジャガイモに支えられた「文明」だった、というわけです。中央アンデスでは穀類がほとんど栽培化されませんでしたが、乾季と雨季が明確に分かれる気候に適したイモ類は多数栽培化されました。本書は、日本におけるこれまでの「四大文明」との認識により、「文明」の条件として穀類、とくにコムギが過大評価されてしまっているのではないか、と指摘します。
ヒマラヤ・チベット地域は、ヒマラヤ山脈の南側の湿潤チベットとヒマラヤ山脈の北側の乾燥チベットに二分され、本書では乾燥チベットが取り上げられます。本書は、チベットにおいて農耕とともに牧畜、とくにヤクの家畜化が、輸送手段としても食料源としても重要な役割を果たしたのではないか、と指摘します。ヤクの家畜化により輸送革命が起き、それが王国の発展など政治的にも人々の生活など社会的にも大きな影響を与えたのではないか、というわけです。チベットの農耕技術も牧畜技術も他地域からもたらされたと考えられますが、本書は、ヤクの家畜化とダッタンソバの栽培化がチベットで起きた可能性を指摘します。なお、本書ではチベット高原への人類の到達は25000~20000年前頃とされていますが、現生人類(Homo sapiens)では4万~3万年前頃、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)では16万年以上前までさかのぼります(関連記事)。現生人類の起源地であるアフリカにおける高地への人類の最古の拡散は、現時点では47000~31000年前頃になると思いますが(関連記事)、今後さらにさかのぼる可能性もあるとは思います。
エチオピアの大半はきわめて平坦な高原で、地溝帯により北部高地と東部高地に二分され、河川のほとんどは浸食により深く刻まれた渓谷になっています。エチオピア高原について本書はまず、その景観が人類の活動により大きく変わった可能性を指摘します。エチオピアで重要な食料源として、本書は根菜類としては例外的に長期保存の可能なエンセーテを挙げます。本書はアクスム王国に代表されるエチオピアの「文明」が独自「文明」なのかどうか、という問題も取り上げており、安定的な食料生産の確立を重視する立場から、周辺「文明」ではなく独立した基本「文明」だと指摘します。
参考文献:
山本紀夫(2021)『高地文明 「もう一つの四大文明」の発見』(中央公論新社)
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