カリフォルニア州の先住民の遺伝的連続性
アメリカ合衆国カリフォルニア州の先住民の遺伝的連続性に関する研究(Severson et al., 2022)が公表されました。北アメリカ大陸では、現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州は先住民の文化および言語の多様性が最も高い地域の一つです。沿岸部および陸上の生態学的生産性がひじょうに高いこの地域は、北アメリカ大陸で最も人口密度が高い、大規模な先コロンブス期人口集団を支えていました。ヨーロッパとの接触時のカリフォルニア州の地理的・文化的・言語的複雑さは、主要6語族内の78以上の相互に理解できない言語を話す先住民集団のかなりの構造化に寄与しました。現在カリフォルニア州には、連邦政府が承認した109の主権を有する部族国家と、連邦政府が承認していない40以上の部族集団が存在します。
カリフォルニア州内の地域を考慮すると、北カリフォルニアのサンフランシスコ湾周辺地域は、1776年にヨーロッパ人の植民が始まった時点で、最も高い地域人口密度のいくつかを支えていました。じっさい、先住民の人口密度と相関するよう配置されたカリフォルニア州の21ヶ所のスペインの教会の位置には、サンフランシスコ湾近くに位置する5ヶ所の教会が含まれています。スペインの教会の洗礼募集記録を用いての人口復元から明らかになるのは、ヨーロッパ人との接触時に、異なる5言語集団の15000人以上のアメリカ大陸先住民が、サンフランシスコ湾から20km以内の45の地域共同体内の定住村落に居住していた、ということです。この地域の密集した広範な考古学的調査により完新世を超える記録が得られ、定住もしくは半定住の集中的居住が5000年以上前にさかのぼる、と明らかになりました。
11000年を超える先住民の居住にまたがる地域の豊富な考古学的記録があるので、先住民古代DNAを回収し、遺伝学的および考古学的データをともに分析することにより、知識の協働の可能性が高くなります。しかし現在まで、カリフォルニア州とサンフランシスコ湾は古代ゲノム研究ではほとんど注目されていません。カリフォルニア州の古代人のゲノムデータの最も詳細な研究は南カリフォルニアに焦点を当てており、チャンネル諸島の人口集団を対象としています(関連記事)。近隣地域の追加の重要な研究は、ネバダ州のラブロック洞窟(Lovelock Cave)および精霊洞窟(Spirit Cave)とともに(関連記事)、太平洋沿岸北西部(関連記事)とメキシコ北部(関連記事)を調べてきました。
ゲノミクスを用いて調査された北アメリカ大陸の一般的に疎らな地理的範囲と比較的少ない古代の個体のため、この地域の研究はアメリカ大陸への先住民集団の最初の移動の問題と、初期先住民集団の広範な規模の移住史に焦点を当てることが多くなっています(関連記事)。これまでの研究は、少数個体の広範な規模の人口史について明らかにされた情報に焦点を当てることが多く(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、比較的少ない研究が、特定の地理的領域に焦点を当て、複数の標本抽出された個体を対象としています(関連記事)。もう一つの制約は、ゲノム規模ではなくミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝子部位の使用です。
この研究は、サンフランシスコ・ベイエリアのムウェクマ・オローニ(Muwekma Ohlone)部族と研究者の協力により、サンフランシスコ湾の南東側のスノール(Sunol)を中心とした先住民居住の単一地域の時間区間が調べられました。ムウェクマ・オローニ族は、元々サンフランシスコからモントレーまで、および沿岸からセントラルバレーの高地の端まで430万エーカー(約1740万km²)に居住していたオローニ族の子孫共同体の一つです。ムウェクマ・オローニ族は、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がサンフランシスコのベイエリア教会とサンタクララとサンノゼを通じてたどれ、スペインの教会の世俗化後(1834年)から1900年代初頭までプレザントン(Alisal)とスノールとリバモア(Del Mocho)とナイルズ(El Molino)の牧場労働者の小屋に居住していた、以前には歴史的に連邦政府にアラメダ郡のヴェローナバンドと認められていた構成員でもあった、全ての系統で構成されます。
スノールの近くのサンフランシスコ湾の縁から離れた2ヶ所の隣接するオローニ族集落の埋葬から、ヒトの古代ゲノム分析が検討されます。一方の埋葬は2440~175年前頃(以下、基本的に全て較正年代です)、もう一方は605~100年前頃です。ムウェクマ・オローニ族の現代人に由来する情報も提示され、その祖先の土地がこの場所を含んでいることが検討され、とくに現在まで持続するこの地域との強い歴史的結びつきが注目されます。部族の長老への取材訪問や系図分析で報告されているように、部族の構成員は、何世代にもわたってスノール地域への家族的つながりをたどれます。スノールの半径約8kmには、歴史的な上述の牧場労働者の小屋とサンノゼ教会が含まれます。この調査は、さまざまな時代にわたる複数集団を考慮して、単一地域の設定で古代人および現代人の分析を共同で行なう事例を提供します。
本論文は、伝統的知識と遺伝学と考古学の情報を組み合わせて、この3組の個体群を調べます。まず、サンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群が、アメリカ大陸の他の古代人との関連で調べられ、カリフォルニア州およびその周辺地域が注目されます。次に、2ヶ所の遺跡間の個体群および古代の個体群と現代の部族構成員との間の関係が調べられ、これらの集団間の遺伝的連続性の可能性が評価されます。分析の結果明らかになるのは、古代と現代の人口集団間の遺伝的つながりが、オローニ族の極端な中断にも関わらず明らかである、ということです。オローニ族はスペイン占領期と、その後のメキシコ、次にアメリカ合衆国へのこの地域の合併期に存在し、極端な中断の中には、教会への強制移住と、新たな疾患および布教生活環境に起因する寿命の減少が含まれます。これら3組の個体群について推測されたより広範な遺伝的文脈は、カリフォルニア州とサンフランシスコ・ベイエリアの先住民人口史の理解を深めます。
●考古学的調査
大規模な基盤施設の建設により、中央カリフォルニアのサンフランシスコ湾地域の開けた渓谷に位置する、先祖代々のアメリカ大陸先住民であるオローニ族の2ヶ所の村、つまりシイ・ツーペンタク(Síi Túupentak)村(CA-ALA-565/H)とルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク(Rummey Ta Kuččuwiš Tiprectak)村(CA-ALA-704/H)が発掘されました。この研究は、先住民共同体から合意と協力を得て進められました。
シイ・ツーペンタク(「水円形住居跡」という意味)は2.8ヘクタールと大規模な遺跡で、関連する墓地とともに、低く人為的な塚を作る文化的物質の厚い堆積物から構成される集中的に居住された定住村落です。シイ・ツーペンタク遺跡(以下、ST遺跡)の6.2%が考古学的に調査されており、13000点以上の人工物、多数の食物遺物、36点の遺構、76個体で構成される66点の埋葬を含む、広範な文化的遺物が回収されました。ST遺跡の年代は、遺構や埋葬や一般的な遺跡堆積物の129点の放射性炭素年代により、605~100年前頃(紀元後1345~1850年頃)と推定されています。ST遺跡はヨーロッパ人との接触前に設立され、紀元後1542年に始まる初期のヨーロッパ人の沿岸探索中とスペインの植民地期を通じて継続して居住され、住民がスペインの教会屋敷内へと強制収容される1776~1807年まで続きました。ST遺跡はスペイン帝国崩壊後の1830年代にも、短期間再居住されました。この研究で分析対象となったST遺跡の8個体には、さまざまな死亡時年齢の女性6個体と男性2個体が含まれ、その年代は居住期間の全範囲にまたがっています。
ルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク(「ラグーン遺跡の小川の場所」という意味)はST遺跡と似た規模の遺跡ですが、複数構成要素の集落で、先植民地期先住民の居住と、その後の植民地期メキシコおよび初期アメリカ合衆国期の農場複合が含まれ、紀元後1839年から1900年代初期まで使用されました。ルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク遺跡(以下、RTKT遺跡)のアメリカ大陸先住民構成要素には、人工物や他の破片、44点の遺構、29個体で構成される25点の埋葬が含まれます。この構成要素の年代は、一般的な遺跡の堆積物や遺構や埋葬からの60点の放射性炭素年代に基づいて、2440~175年前頃(紀元前490~紀元後1775年頃)と推定されました。定住は2440~1610年前頃に最も集中しており、放射性炭素年代の88%がこの期間に収まります。ゲノム分析が試みられた6個体のうち、性別が決定されたのは女性4個体と男性1個体で、そのうち子供は2個体で成人は3個体となり、年代は1905~1785年前頃です。
●遺伝的データセット
サンフランシスコ・ベイエリアのST遺跡とRTKT遺跡の12個体で全ゲノムが配列され、深度は0.06~7.8倍となり、平均2.4倍です。RTKT遺跡の2標本は、充分な遺伝的物質がなかったので除外されました。全ゲノムが配列された個体の年代は、ST遺跡が601~184年前頃、RTKT遺跡が1905~1826年前頃です。ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員8個体の全ゲノムも高網羅率(18~25倍)で配列されました。以前に刊行された関連する標本のデータセットが収集されました。このデータセットには、アジアとヨーロッパと南北アメリカ大陸の291個体が含まれ、その内訳は、古代人68個体と現代人223個体です。これら新規のデータと以前に刊行されたデータが統合され、古代人80個体と現代人311個体が分析されました(474317ヶ所の一塩基多型)。
新たに標本抽出された古代人12個体と以前に刊行された古代人の放射性炭素年代は、図1Bに示されます。ネバダ州とカリフォルニア州の古代人に焦点を当てると、年代はほぼ3期間に分類される、と分かります。最古の集団は4000年以上前で、精霊洞窟や前期サンニコラス(Early San Nicolas)と命名された個体群を含みます。中間の年代の集団は2000~1500年前頃となり、ラブロック洞窟とRTKT遺跡とサンタバーバラ(Santa Barbara)の集団を含みます。最も新しい年代の集団は、ST遺跡、本論文ではサンミゲル(San Miguel)およびサンタクルーズ(Santa Cruz)が含まれる北チャンネル諸島、後期サンニコラス、サンクレメンテ(San Clemente)とサンタカタリナ(Santa Catalina)が含まれる南チャンネル諸島の個体を含み、その年代のほとんどは1000年前頃移行です。以下は本論文の図1です。
これら現代人および古代人311個体の標本を用いて、主成分分析(PCA)とモデルベースのクラスタ化分析が実行され、以前に報告された個体群、新たに標本抽出された古代人、現代のムウェクマ・オローニ族の遺伝的関係が特定されました。次に、新たな個体群と関連する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する165個体の部分集合に注意が限定され、分析が繰り返され、IBS(identity-by-state)断片の共有が分析されました。IBSとは、同じアレル(対立遺伝子)を有していることです。主成分分析とモデルベースのクラスタ化分析が474317ヶ所の一塩基多型を直接的に用いるのに対して、IBS断片の特定のために、全ゲノムにわたる古代人標本の遺伝子型が補完されました。さまざまな分析の結果の解釈において、新たに標本抽出された古代人12個体および現代のムウェクマ・オローニ族8個体の他の個体との関係、および相互の関係が検討されました。
●アメリカ大陸先住民の遺伝的多様性の文脈におけるサンフランシスコ・ベイエリア個体群
まず、主成分分析と教師なしモデルベースクラスタ化を用いて、サンフランシスコ・ベイエリアの個体群と、その周辺地域の以前に刊行された古代および現代の個体群との間の関係が調べられました。図2Aは311個体の主成分分析図を示します。ヨーロッパの個体群は図の右側の角にまとまり、シベリアとアラスカとグリーンランドの極北人口集団は図の上部に現れます。下部の左側の角には、カリフォルニア州とネバダ州とメキシコと中央・南アメリカ大陸の個体群のまとまりが含まれます。以下は本論文の図2です。
勾配は図のこれら3つの角の間で見えます。3つの勾配は図の左端とヨーロッパ人の右側の角をつなぎます。シベリア人の数個体は上部の右端に沿って位置し、太平洋沿岸北西部個体群の線は左端の角を右側の角の端とつなげ、メキシコの個体群の線は下側の左側の角をヨーロッパ人が含まれる角とつなげます。これらの勾配は、PC1と一致するさまざまなヨーロッパ人との混合を反映しているようです。ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員は、ヨーロッパ系アメリカ人やメキシコ人やメキシコのアメリカ人との混合の歴史を有しており、より下部の端に沿って位置し、PC1軸ではさまざまな値を示します。
カリフォルニア州とネバダ州とメキシコと南アメリカ大陸の個体群のまとまりに焦点を当て、図2Bは図2Aの下部左側の角を拡大します。拡大図では、南アメリカ大陸の個体群は左下角に現れ、PC2軸に沿って南方から北方への勾配を固定します。図2Bの上部では、ネバダ州のラブロック洞窟の個体群が、RTKT遺跡およびサンタバーバラ遺跡の個体群と近い年代で(図1B)、主要なまとまりの上に位置します。サンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群は、図2Bの左端に沿って南カリフォルニアの古代の個体群とまとまります。
K=10でのモデルベース教師なしクラスタ化が、NGSadmixを用いて実行されました(図3)。アジアから南アメリカ大陸まで、ほぼモンゴルとシベリアで見られるまとまり(濃青色)、およびシベリアとグリーンランドとアラスカで見られるまとまり(水色)がまず観察されます。おもに太平洋沿岸北西部とアラスカでは2つのまとまりが見られ、一方はスツウェセムク(Stswecem’c)とスプラツィン(Splatsin)を中心とするまとまり(黄緑色)で、もう一方はこの地域のほとんどの他の人口集団で見られるまとまり(濃緑色)です。ヨーロッパ人の標本は単一のまとまりに分類され、図の多くの人口集団で見られます(赤色)。残りの5つのまとまりのうち3つは、特定の人口集団に集中しています。それは、公式にはピマ(Pima)と呼ばれるオーダム(O’odham)人(薄橙色)とカリティアナ(Karitiana)人(桃色)とスルイ(Surui)人(薄紫色)です。以下は本論文の図3です。
サンフランシスコ・ベイエリアと南カリフォルニアの古代の個体群は両方、同じ構成要素(紫色)が多数を占めます。主成分分析では、これら2集団はともにまとまります。以前の研究(関連記事)と同様に、南カリフォルニアの古代の個体群が2集団に分離することも観察されます。サンニコラスと南チャンネル諸島の個体群は、おもに単一の構成要素(紫色)が多数を示しますが、サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群は第二の構成要素(橙色)もかなりの割合で示します。以前の研究(関連記事)で見られたように、ネバダ州のラブロック洞窟の個体群は、太平洋沿岸北西部の個体群と共有される構成要素(黄緑色と濃緑色)を注目に値する割合で有しており、主成分分析図(図2B)での分離と同様の兆候です。現代のムウェクマ・オローニ族は、ヨーロッパ人とメキシコ人とオローニ族の系図上の祖先を有している、と知られており、これらの個体群で観察される構成要素(赤色と橙色と紫色)の出現と一致します。
●北アメリカ大陸集団内の人口構造
次に、北アメリカ大陸西部内の人口構造をより詳細に調べるため、165個体の部分集合が検討されます。この部分集合については、主成分分析とモデルベースクラスタ化とIBS断片共有分析が実行されます。図4Aでは、最初の2主成分が示されます。サンニコラスと南チャンネル諸島のまとまりの古代の個体群は左上角にあり、サンタバーバラと北チャンネル諸島の残りの南カリフォルニア個体群は、左側に沿ってその下に示されます。ヨーロッパの個体群は右側にまとまっています。ほとんどの残りの個体は左下角にまとまり、RTKT遺跡とST遺跡の個体群が含まれます。ムウェクマ・オローニ族とロサンゼルスのメキシコ人(MXL)は、左下角とヨーロッパ人を含むまとまりをつなぐ勾配沿いに位置し、同じ勾配は図2Aで観察されました。以下は本論文の図4です。
図4BにはPC2軸とPC3軸が示されます。この図では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群は、図4Aの左下角に示される巨大なまとまりから分離します。左上角には、RTKT遺跡とST遺跡の個体群がともにまとまっています。図4Aでこれらの個体群の近くに位置した人口集団は、メキシコのいくつかの先住人口集団を含めて、中央および左下角に示されます。
K=4および5での教師なしモデルベースクラスタ化での推論が図5で示されます。K=4では、より大きなデータセットのK=10の分析(図3)で見られるまとまりのうち4つとほぼ同様のクラスタが観察されます。ヨーロッパの個体群は1つのまとまり(赤色)に配置され、アキメル(Akimel)・オーダム個体群は第二のまとまり(薄橙色)に分類され、第三のまとまりはメキシコの個体群を中心としており(濃橙色)、第四のまとまりはカリフォルニア州の古代の個体群を中心としています(紫色)。以下は本論文の図5です。
Kを5に増やすと、紫色のまとまりが二分され、紫色のまとまりは南カリフォルニアの個体群を中心とし、新たな青色のまとまりはサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群を中心とします。他の人口集団ではこの青色のまとまりはわずかに見られ、その中には、サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群、精霊洞窟とラブロック洞窟の標本、北アメリカ大陸標本、南アメリカ大陸のラゴアサンタ(Lagoa Santa)標本、現代のムウェクマ・オローニ族が含まれます。
北アメリカ大陸西部の人口構造をさらに理解するため、個体群の組み合わせ間でIBSゲノム共有が評価され、ネバダ州とカリフォルニア州とメキシコの古代人53個体に焦点が当てられて、ゲノム規模補完遺伝子型が用いられました(図6)。最古の遺跡となるネバダ州の精霊洞窟の個体群は広く断片を共有しており、年代が古くなるため、多くのより最近の個体群と共有される祖先のハプロタイプを反映しているかもしれません。ある程度は、類似のパターンが次に古い前期サンニコラスの個体群で見られます。以下は本論文の図6です。
IBS共有の最高水準は、同じ人口集団の個体間の対角線に沿って見られます。分析では4つのまとまりが示唆されます。それは、ネバダ州、サンフランシスコ・ベイエリア、サンタバーバラと北チャンネル諸島、南チャンネル諸島です。これらのまとまり内の組み合わせは、異なるまとまりの組み合わせと比較して、高いIBS共有があります。断片の共有は、年代の近い北チャンネル諸島と後期南チャンネル諸島の個体群間の共有を除いて、異なるまとまりの組み合わせでは減少します。
IBS共有のクラスタ化パターンは、図4および図5で見られる観察を反映しています。最高水準の共有はこれら人口集団内のまとまり内で見られ、あるまとまりの個体群の年代は広範なので、各まとまり内のIBS共有は、その後の人口集団が以前の人口集団の祖先系統を有しているという意味で、時空間の経過に伴う人口連続性を示唆します。サンフランシスコ・ベイエリアに焦点を当てると、より古いRTKT遺跡とより新しいST遺跡の個体群間での高い共有と、他の個体群と比較してのこの2ヶ所の遺跡の個体群の比較的低い共有は、この2ヶ所の遺跡の遺伝的連続性が顕著な水準で、この2ヶ所の遺跡の両方の期間で、その人口集団はネバダ州および南カリフォルニアの同時代の個体群とは異なる祖先系統を有していた、と示唆されます。
●現代のムウェクマ・オローニ族と古代のRTKT遺跡およびST遺跡の個体群
ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員は、ヨーロッパ人とメキシコ人とオローニ族の系図上の祖先を有していると知られており、本論文の分析の多くでこの混合史が観察されます。図2Aと図4Aでは、ムウェクマ・オローニ族はヨーロッパ人およびメキシコ人との混合を反映して、PC1軸に沿って位置します。図3および図5では、ムウェクマ・オローニ族の最大のまとまりはヨーロッパの個体群を中心としたまとまり(赤色)と、メキシコの先住民個体群を中心としたまとまり(濃橙色)に現れます。
この混合の兆候にも関わらず、分析はムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の個体群との間で共有される祖先系統を一貫して示唆します。図3および図4のK=4の分析では、ムウェクマ・オローニ族は、サンフランシスコ・ベイエリアと南カリフォルニア両方の、カリフォルニア州の古代の個体群と構成要素を共有しています(紫色)。図4においてK=5では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群を中心とするまとまりが、ムウェクマ・オローニ族で示される(紫色)ことも分かります。
ヨーロッパ人との混合に対応する構成要素の除外により、ムウェクマ・オローニ族がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群を中心とするまとまりと共にに持つ共有構成要素を、他の現代の人口集団がこのまとまりと共に有する対応する共有構成要素と比較することが可能となります。図7では、さまざまな現代の人口集団について、現代の個体群において図5のK=5のさいの青色構成要素に現れる相対的割合が、ヨーロッパの個体群を中心とする赤色構成要素を除外した合計の断片として、検討されました。以下は本論文の図7です。
この分析は、ムウェクマ・オローニ族が他の人口集団よりも相対的に高い割合の青色構成要素を有している、と明らかにします。したがって、ムウェクマ・オローニ族の混合の歴史にも関わらず、人口集団は複数の構成要素を有しているので、ムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群との間で共有される一つの構成要素(部分的な共有される祖先系統を示唆する構成要素)が観察できます。現代と古代の個体群間でのこの共有は、f4統計を用いての追加の検定でさらに裏づけられます。このf4統計では、ムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群との間で、ムウェクマ・オローニ族と周辺地域の古代の個体群との間よりも大きな類似性が観察されます。
●サンフランシスコ・ベイエリアの古代と現代の人口集団の連続性
この研究では、サンフランシスコ・ベイエリアの2ヶ所の遺跡(RTKT遺跡とST遺跡)の古代人12個体と、ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員8個体のゲノムが配列されました。カリフォルニア州とより広く北アメリカ大陸西部内の人口構造を研究するため、これらの個体群が、古代および現代の先住民個体群の以前に刊行されたゲノムと比較されました。サンフランシスコ・ベイエリアの古代人12個体と現代人8個体も比較されました。
まず、新たに標本抽出された古代の個体群のゲノムが、南北アメリカ大陸とヨーロッパとシベリアの個体群を含む広範な標本とともに分析されました。これらの分析では、RTKT遺跡とST遺跡の古代の個体群が、南カリフォルニアの古代の個体群と最も密接にまとまりました。主成分分析を用いると、これらの集団の個体群は重なり(図2)、モデルベースクラスタ化では、共有されたまとまりがそれらの中心にある、と分かります(図3の紫色)。
次に、新たに配列された古代の個体群と関連する祖先系統を有する人口集団の部分集合での分析に焦点が当てられました。より詳細な分析では、より大規模なデータセットで共にまとまるサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群は、別々のまとまりに分割されます。主成分分析では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群は共にまとまり(図4)、モデルベースクラスタ化では、K=5のさいに、まとまりはサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群の中心に位置します(図5の紫色)。IBS共有では、メキシコとネバダ州とカリフォルニア州の個体群との共有と比較して、2ヶ所の遺跡(RTKT遺跡とST遺跡)のサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群で高い共有が見つかります。
最後に、RTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群間の関係と、その現代のムウェクマ・オローニ族との関係が検討されました。現代の個体群は最近のヨーロッパ人およびメキシコ人祖先系統も有していますが、古代の個体群とも祖先系統を共有している、と分かりました。とくに、先住民祖先系統を有すると推定される個々のゲノム断片を検討すると、図7では、ムウェクマ・オローニ族がサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群と共有されるまとまりを比較的高い割合で持っている(図5の青色のまとまり)、と分かりました。
共有された祖先系統構成要素は、RTKT遺跡およびST遺跡の個体群間と、この2ヶ所の遺跡の個体群と現代のムウェクマ・オローニ族との間の遺伝的連続性の裏づけを提供します。この連続性は、より古い人口集団とより新しい人口集団をつなぐ系図上の子孫の可能性という意味で、1905~1826年前頃のRTKT遺跡個体群から、601~184年前頃のST遺跡個体を経て、現在のムウェクマ・オローニ族の構成員にまで広がります。RTKT遺跡とST遺跡は、標本抽出された特定の個体群と関連する年代よりもかなり長い期間を表しています。RTKT遺跡は2440~175年前頃まで居住され、最も活発だったのは2440~1610年前頃で、ST遺跡は605~100年前頃まで居住されました。
RTKT遺跡とST遺跡との間、およびこの2ヶ所の遺跡と現在のムウェクマ・オローニ族の個体群との間の遺伝的つながりから、現在のムウェクマ・オローニ族はサンフランシスコ・ベイエリアに少なくとも2000年居住してきた人々と連続性を共有している、と示唆されます。それは、RTKT遺跡で標本抽出された個体群の年代が1905~1826年前頃となり、RTKT遺跡の最初の年代である2440年前頃まで、遺伝的に連続している可能性があるからです。これらの結果から、オローニ族の祖先的人口集団は1500~1000年前頃にこの地域に移住してきた、というモデルが、人口集団の連続性を過小評価している、と示唆されます。これらの結果は、サンフランシスコ・ベイエリアのこの地域におけるオローニ族の連続性が2500年前頃か、さらにさかのぼる可能性がある、という再構築と一致します。
要注意なのは、RTKT遺跡およびST遺跡の個体群とムウェクマ・オローニ族との間で観察された人口集団の連続性が、遺伝的祖先系統構成要素の連続性と、ゲノム断片の顕著な共有の形式をとっていることです。この遺伝的連続性の形式は、現代の個体群がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群の直接的子孫である、という正式の証拠を提供しませんが、現代の人口集団がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群か、遺伝的に類似した同時代の人口集団の子孫である、という見解と一致します。スペインの占領により引き起こされたオローニ族の極度の混乱と死者の増加を考えれば、この連続性が検出できるのは恐らく驚くべきことです。
教会の記録には、近隣の非オローニ族とのかなりの混合が記されています。この混合は、サンフランシスコ・ベイエリアのオローニ族の教会人口集団の急速な減少のため、近隣地域の他の部族集団、とくに沿岸部と湾岸部と平野部のミオク(Miwok)族およびヨークッツ(Yokuts)族が同じ教会に連行された後に起きました。結果として、たとえばオローニ族と非オローニ族の個体間の婚姻の子孫の一部は、文化的にはオローニ族として認識し、オローニ族の言語を話し、重要な文化的伝統を維持しました。そのため、RTKT遺跡およびST遺跡から比較的遠い場所の先住民人口集団との混合にも関わらず、両遺跡の個体群との遺伝的連続性が検出されます。
●ペヌーティ語族と関連する解釈
ヨーロッパ人との接触におけるカリフォルニア州の言語および語族の複雑な斑状を説明する試みは、さまざまな言語集団のヨーロッパ人との接触前の連続的な移動および置換と、語族内の言語分岐のおおよその時期の歴史的な言語再構築に優位を与えてきました。その後、考古学者はこれらのモデルを検証するヨーロッパ人との接触前の記録変化を探してきました。結果として、ヨーロッパ人との接触前のカリフォルニア州の歴史は、言語学と考古学の文化的一致を有するものとして組み立てられることが多くなっています。
サンフランシスコ・ベイエリアについて、この見解では、ホカ大語族話者が最初に中央カリフォルニアに居住した、とされています。その後、ホカ大語族話者はセントラル・バレーとサンフランシスコ・ベイエリアへの一連の移動と居住でカリフォルニア州に入ってきたペヌーティ語族話者により地理的周辺に押しやられました。カリフォルニア州のペヌーティ語族祖語話者は、グレートベースンもしくはコロンビア高原に起源がある、と仮定されています。この仮説は歴史言語学的再構築と考古学的調査と最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究に基づいています。とくに、ネバダ州西部のラブロック洞窟と、後期完新世における中央カリフォルニアのウインドミラー(Windmiller)パターンの出現との間の、物質文化(尖頭器の種類、石笛、特徴的な種類の広範な骨器インダストリー、籠細工技術)の類似性が含まれます。オローニ語は地理的に広範なペヌーティ語族に属しており、近隣のミオク語およびヨークッツ語と最も密接に関連しています。
ラブロック洞窟の古代人4個体は、サンフランシスコ・ベイエリアおよび南カリフォルニアの古代の個体群とある程度まとまっています(図2)。この4個体は、太平洋沿岸北西部の古代および現代の個体群と2つの祖先系統のまとまりも共有しています(図3の黄緑色と濃緑色)。太平洋沿岸北西部の古代人4個体は、同じく太平洋沿岸北西部のビッグバー(Big Bar)個体とともに、ネバダ州とカリフォルニア州の古代の個体群と共有されるまとまりにおいてわずかな構成要素しか有していません(図3の紫色)。これらのパターンは、ラブロック洞窟個体群が太平洋沿岸北西部とカリフォルニア州の両方に拡大したペヌーティ語族集団と類似性を共有している、という見解と一致します。この見解では、共有された祖先系統構成要素は、ペヌーティ語族の拡大の兆候かもしれず、ラブロック洞窟個体群と太平洋沿岸北西部およびビッグバー個体群は両方、グレートベースン地域の祖先の子孫です(図3の紫色)。
ラブロック洞窟の古代の個体群とのこの類似性にも関わらず、サンフランシスコ・ベイエリアの個体群と現在のムウェクマ・オローニ族の個体群は両方、ラブロック文化と関連する(ペヌーティ語族話者の可能性がある)ラブロック洞窟個体群とよりも、ペヌーティ語族が存在しない南カリフォルニアの古代の個体群の方と密接にまとまります。本論文の分析では、ペヌーティ語族話者の推定地域と関連する個体群(ラブロック洞窟や太平洋沿岸北西部やサンフランシスコ・ベイエリア)は共にまとまらないので、ペヌーティ語族がグレートベースンからカリフォルニア州へと拡大した場合、次にその拡大が人口拡散ではなく言語拡散に関わっていたか、もしくは最初の移住の共有された遺伝的兆候がその後の人口統計学的過程により侵食された、と結論づけられます。どちらの想定でも、カリフォルニア州の遺伝学的歴史と言語学的歴史は結びつかないので、この地域における文化拡大の歴史が、常に言語の拡大と一致する可能性は低そうです。この見解は、考古学者が特定の言語を話す人口集団の移住の歴史言語学的モデルを、考古学的記録の明確な変化と結びつけようとしたさいに指摘した課題と一致し、これらの移住事象の時期について広く異なる提案をもたらします。
要注意なのは、南カリフォルニアでは、南チャンネル諸島およびサンニコラスの個体群と北チャンネル諸島およびサンタバーバラの個体群との一貫した分離が観察され、以前の研究で見られるパターンが拡大される、ということです。サンタバーバラおよび北チャンネル諸島の古代の個体群は、サンフランシスコ・ベイエリアの古代人標本とまとまり、サンニコラス島を含む南チャンネル諸島の個体群と分離します。この分離は、ヨーロッパ人との接触の時期における言語境界と一致します。サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群はチュマシュ(Chumash)語族言語(ホカ大語族の一部もしくは古代の孤立言語と考えられています)を話していましたが、南チャンネル諸島(およびサンニコラス島)の個体群はユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族のタキッチ(Takic)語を話していました。タキッチ語話者は、グレートベースンから南カリフォルニアへと過去5000年間に移住してきた、と仮定されており、太平洋沿岸および南チャンネル諸島への到来年代は不確実です。前期サンニコラス島個体群(5000~4000年前頃)は、後期サンニコラス島個体群(2000年前頃もしくはそれ以後)と遺伝的にまとまりますが、北チャンネル諸島およびサンタバーバラの個体群とは分離しており、この期間のサンニコラス島における人口集団の連続性が示唆され、サンニコラス島におけるタキッチ語話者の初期到来を想定する再構築と一致します。
●方法論的考察
読み取り品質の低さと古代人標本の低い配列深度のため、古代DNAの分析では、ハプロタイプ相が失われた半数体ゲノムがおもに利用されてきました。しかし、現代人の参照ゲノムによる古代人標本の増強により、古代人標本における遺伝子型補完とハプロタイプ整相の実行がしだいに可能になりつつあります。以前の研究は古代の個体群の補完された二倍体遺伝子型を用いて、人口史を調べ、古代の個体群の表現型を推定しました(関連記事)。この研究は、古代人標本の補完された遺伝子型を用いて、古代と現代の個体群内および古代と現代の個体群間でのハプロタイプ共有を評価する、比較的少ない研究の一つです。
この研究では、古代の人口集団との遺伝的連続性について調べるために関心のある現代の人口集団が、関心のある関係について情報をもたらさない混合構成要素を有している、というモデルと遭遇しました。そうしたモデルは、それらの混合構成要素を無視する分析の実行により対処できます。本論文のモデルでは、ヨーロッパ人との混合に分類されないゲノム構成要素内で、さまざまな先住民人口集団と関連するまとまりの相対的な寄与の識別が試みられました(図7)。現代のムウェクマ・オローニ族と、古代サンフランシスコ・ベイエリア標本のかなりの構成要素、およびこのまとまりを有する他の現代の人口集団のより小さな兆候のあるまとまりとの間の類似性の兆候は、古代の人口集団と現代の混合人口集団との他の比較における手法の可能性を示唆します。
アメリカ大陸における多くの古代DNA研究、とくに北アメリカ大陸の個体群を含む研究は、上述のように、アメリカ大陸の最初の移住や、その後の主要な移住事象など、大規模な過程を調べてきました。結果として、充分な古代の個体群が配列され、太平洋沿岸北西部もしくはカリブ海(関連記事)のような特定地域の古代ゲノミクスに焦点を当てる研究に参照データを提供します。サンフランシスコ・ベイエリアの古代および現代の個体群に関するこの研究は、古代および現代の個体群の分析が、経時的な局所的人口構造においてどのように変化し得るのか論証する、地域的に焦点を当てた古代ゲノミクスの使用事例に貢献します。
この研究の重要な構成要素は、遺伝学的研究を行なうための、研究者と先住民共同体との間の協力における関心の高まりの一部としての、共同体の契約手続きと知識の共同生産でした。これには、先住民の祖先が関わる遺伝学的研究が含まれます。この事例の特有の特徴は、研究課題の選択、考古学的発掘および先住民の歴史的な土地における遺跡と関わる古代ゲノミクス、現在の部族構成員でのゲノム分析において、研究課題探求のための主導権における部族集団の参加です。したがって、科学的な結論に加えて、この研究は先住民ゲノミクスにおける共同体との契約モデルの推進への寄与を提供します。この研究は、ムウェクマ・オローニ族のこの地域との深い時間的つながりを確証し、オローニ族がこの地域への後期移民だったとする言語学および考古学の再構築と一致しない証拠を提供します。この結果により部族の指導者には、サンフランシスコ・ベイエリア地域のオローニ族の人口集団の遺伝的連続性の時間的深度をよりよく記録して理解するために、より古い遺跡の祖先の遺骸について類似のゲノム調査を実行することへの関心も生じました。
参考文献:
Severson AL. et al.(2022): Ancient and modern genomics of the Ohlone Indigenous population of California. PNAS, 119, 13, e2111533119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2111533119
カリフォルニア州内の地域を考慮すると、北カリフォルニアのサンフランシスコ湾周辺地域は、1776年にヨーロッパ人の植民が始まった時点で、最も高い地域人口密度のいくつかを支えていました。じっさい、先住民の人口密度と相関するよう配置されたカリフォルニア州の21ヶ所のスペインの教会の位置には、サンフランシスコ湾近くに位置する5ヶ所の教会が含まれています。スペインの教会の洗礼募集記録を用いての人口復元から明らかになるのは、ヨーロッパ人との接触時に、異なる5言語集団の15000人以上のアメリカ大陸先住民が、サンフランシスコ湾から20km以内の45の地域共同体内の定住村落に居住していた、ということです。この地域の密集した広範な考古学的調査により完新世を超える記録が得られ、定住もしくは半定住の集中的居住が5000年以上前にさかのぼる、と明らかになりました。
11000年を超える先住民の居住にまたがる地域の豊富な考古学的記録があるので、先住民古代DNAを回収し、遺伝学的および考古学的データをともに分析することにより、知識の協働の可能性が高くなります。しかし現在まで、カリフォルニア州とサンフランシスコ湾は古代ゲノム研究ではほとんど注目されていません。カリフォルニア州の古代人のゲノムデータの最も詳細な研究は南カリフォルニアに焦点を当てており、チャンネル諸島の人口集団を対象としています(関連記事)。近隣地域の追加の重要な研究は、ネバダ州のラブロック洞窟(Lovelock Cave)および精霊洞窟(Spirit Cave)とともに(関連記事)、太平洋沿岸北西部(関連記事)とメキシコ北部(関連記事)を調べてきました。
ゲノミクスを用いて調査された北アメリカ大陸の一般的に疎らな地理的範囲と比較的少ない古代の個体のため、この地域の研究はアメリカ大陸への先住民集団の最初の移動の問題と、初期先住民集団の広範な規模の移住史に焦点を当てることが多くなっています(関連記事)。これまでの研究は、少数個体の広範な規模の人口史について明らかにされた情報に焦点を当てることが多く(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、比較的少ない研究が、特定の地理的領域に焦点を当て、複数の標本抽出された個体を対象としています(関連記事)。もう一つの制約は、ゲノム規模ではなくミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝子部位の使用です。
この研究は、サンフランシスコ・ベイエリアのムウェクマ・オローニ(Muwekma Ohlone)部族と研究者の協力により、サンフランシスコ湾の南東側のスノール(Sunol)を中心とした先住民居住の単一地域の時間区間が調べられました。ムウェクマ・オローニ族は、元々サンフランシスコからモントレーまで、および沿岸からセントラルバレーの高地の端まで430万エーカー(約1740万km²)に居住していたオローニ族の子孫共同体の一つです。ムウェクマ・オローニ族は、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がサンフランシスコのベイエリア教会とサンタクララとサンノゼを通じてたどれ、スペインの教会の世俗化後(1834年)から1900年代初頭までプレザントン(Alisal)とスノールとリバモア(Del Mocho)とナイルズ(El Molino)の牧場労働者の小屋に居住していた、以前には歴史的に連邦政府にアラメダ郡のヴェローナバンドと認められていた構成員でもあった、全ての系統で構成されます。
スノールの近くのサンフランシスコ湾の縁から離れた2ヶ所の隣接するオローニ族集落の埋葬から、ヒトの古代ゲノム分析が検討されます。一方の埋葬は2440~175年前頃(以下、基本的に全て較正年代です)、もう一方は605~100年前頃です。ムウェクマ・オローニ族の現代人に由来する情報も提示され、その祖先の土地がこの場所を含んでいることが検討され、とくに現在まで持続するこの地域との強い歴史的結びつきが注目されます。部族の長老への取材訪問や系図分析で報告されているように、部族の構成員は、何世代にもわたってスノール地域への家族的つながりをたどれます。スノールの半径約8kmには、歴史的な上述の牧場労働者の小屋とサンノゼ教会が含まれます。この調査は、さまざまな時代にわたる複数集団を考慮して、単一地域の設定で古代人および現代人の分析を共同で行なう事例を提供します。
本論文は、伝統的知識と遺伝学と考古学の情報を組み合わせて、この3組の個体群を調べます。まず、サンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群が、アメリカ大陸の他の古代人との関連で調べられ、カリフォルニア州およびその周辺地域が注目されます。次に、2ヶ所の遺跡間の個体群および古代の個体群と現代の部族構成員との間の関係が調べられ、これらの集団間の遺伝的連続性の可能性が評価されます。分析の結果明らかになるのは、古代と現代の人口集団間の遺伝的つながりが、オローニ族の極端な中断にも関わらず明らかである、ということです。オローニ族はスペイン占領期と、その後のメキシコ、次にアメリカ合衆国へのこの地域の合併期に存在し、極端な中断の中には、教会への強制移住と、新たな疾患および布教生活環境に起因する寿命の減少が含まれます。これら3組の個体群について推測されたより広範な遺伝的文脈は、カリフォルニア州とサンフランシスコ・ベイエリアの先住民人口史の理解を深めます。
●考古学的調査
大規模な基盤施設の建設により、中央カリフォルニアのサンフランシスコ湾地域の開けた渓谷に位置する、先祖代々のアメリカ大陸先住民であるオローニ族の2ヶ所の村、つまりシイ・ツーペンタク(Síi Túupentak)村(CA-ALA-565/H)とルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク(Rummey Ta Kuččuwiš Tiprectak)村(CA-ALA-704/H)が発掘されました。この研究は、先住民共同体から合意と協力を得て進められました。
シイ・ツーペンタク(「水円形住居跡」という意味)は2.8ヘクタールと大規模な遺跡で、関連する墓地とともに、低く人為的な塚を作る文化的物質の厚い堆積物から構成される集中的に居住された定住村落です。シイ・ツーペンタク遺跡(以下、ST遺跡)の6.2%が考古学的に調査されており、13000点以上の人工物、多数の食物遺物、36点の遺構、76個体で構成される66点の埋葬を含む、広範な文化的遺物が回収されました。ST遺跡の年代は、遺構や埋葬や一般的な遺跡堆積物の129点の放射性炭素年代により、605~100年前頃(紀元後1345~1850年頃)と推定されています。ST遺跡はヨーロッパ人との接触前に設立され、紀元後1542年に始まる初期のヨーロッパ人の沿岸探索中とスペインの植民地期を通じて継続して居住され、住民がスペインの教会屋敷内へと強制収容される1776~1807年まで続きました。ST遺跡はスペイン帝国崩壊後の1830年代にも、短期間再居住されました。この研究で分析対象となったST遺跡の8個体には、さまざまな死亡時年齢の女性6個体と男性2個体が含まれ、その年代は居住期間の全範囲にまたがっています。
ルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク(「ラグーン遺跡の小川の場所」という意味)はST遺跡と似た規模の遺跡ですが、複数構成要素の集落で、先植民地期先住民の居住と、その後の植民地期メキシコおよび初期アメリカ合衆国期の農場複合が含まれ、紀元後1839年から1900年代初期まで使用されました。ルメイ・タ・クチュウィス・ティプレクタク遺跡(以下、RTKT遺跡)のアメリカ大陸先住民構成要素には、人工物や他の破片、44点の遺構、29個体で構成される25点の埋葬が含まれます。この構成要素の年代は、一般的な遺跡の堆積物や遺構や埋葬からの60点の放射性炭素年代に基づいて、2440~175年前頃(紀元前490~紀元後1775年頃)と推定されました。定住は2440~1610年前頃に最も集中しており、放射性炭素年代の88%がこの期間に収まります。ゲノム分析が試みられた6個体のうち、性別が決定されたのは女性4個体と男性1個体で、そのうち子供は2個体で成人は3個体となり、年代は1905~1785年前頃です。
●遺伝的データセット
サンフランシスコ・ベイエリアのST遺跡とRTKT遺跡の12個体で全ゲノムが配列され、深度は0.06~7.8倍となり、平均2.4倍です。RTKT遺跡の2標本は、充分な遺伝的物質がなかったので除外されました。全ゲノムが配列された個体の年代は、ST遺跡が601~184年前頃、RTKT遺跡が1905~1826年前頃です。ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員8個体の全ゲノムも高網羅率(18~25倍)で配列されました。以前に刊行された関連する標本のデータセットが収集されました。このデータセットには、アジアとヨーロッパと南北アメリカ大陸の291個体が含まれ、その内訳は、古代人68個体と現代人223個体です。これら新規のデータと以前に刊行されたデータが統合され、古代人80個体と現代人311個体が分析されました(474317ヶ所の一塩基多型)。
新たに標本抽出された古代人12個体と以前に刊行された古代人の放射性炭素年代は、図1Bに示されます。ネバダ州とカリフォルニア州の古代人に焦点を当てると、年代はほぼ3期間に分類される、と分かります。最古の集団は4000年以上前で、精霊洞窟や前期サンニコラス(Early San Nicolas)と命名された個体群を含みます。中間の年代の集団は2000~1500年前頃となり、ラブロック洞窟とRTKT遺跡とサンタバーバラ(Santa Barbara)の集団を含みます。最も新しい年代の集団は、ST遺跡、本論文ではサンミゲル(San Miguel)およびサンタクルーズ(Santa Cruz)が含まれる北チャンネル諸島、後期サンニコラス、サンクレメンテ(San Clemente)とサンタカタリナ(Santa Catalina)が含まれる南チャンネル諸島の個体を含み、その年代のほとんどは1000年前頃移行です。以下は本論文の図1です。
これら現代人および古代人311個体の標本を用いて、主成分分析(PCA)とモデルベースのクラスタ化分析が実行され、以前に報告された個体群、新たに標本抽出された古代人、現代のムウェクマ・オローニ族の遺伝的関係が特定されました。次に、新たな個体群と関連する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する165個体の部分集合に注意が限定され、分析が繰り返され、IBS(identity-by-state)断片の共有が分析されました。IBSとは、同じアレル(対立遺伝子)を有していることです。主成分分析とモデルベースのクラスタ化分析が474317ヶ所の一塩基多型を直接的に用いるのに対して、IBS断片の特定のために、全ゲノムにわたる古代人標本の遺伝子型が補完されました。さまざまな分析の結果の解釈において、新たに標本抽出された古代人12個体および現代のムウェクマ・オローニ族8個体の他の個体との関係、および相互の関係が検討されました。
●アメリカ大陸先住民の遺伝的多様性の文脈におけるサンフランシスコ・ベイエリア個体群
まず、主成分分析と教師なしモデルベースクラスタ化を用いて、サンフランシスコ・ベイエリアの個体群と、その周辺地域の以前に刊行された古代および現代の個体群との間の関係が調べられました。図2Aは311個体の主成分分析図を示します。ヨーロッパの個体群は図の右側の角にまとまり、シベリアとアラスカとグリーンランドの極北人口集団は図の上部に現れます。下部の左側の角には、カリフォルニア州とネバダ州とメキシコと中央・南アメリカ大陸の個体群のまとまりが含まれます。以下は本論文の図2です。
勾配は図のこれら3つの角の間で見えます。3つの勾配は図の左端とヨーロッパ人の右側の角をつなぎます。シベリア人の数個体は上部の右端に沿って位置し、太平洋沿岸北西部個体群の線は左端の角を右側の角の端とつなげ、メキシコの個体群の線は下側の左側の角をヨーロッパ人が含まれる角とつなげます。これらの勾配は、PC1と一致するさまざまなヨーロッパ人との混合を反映しているようです。ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員は、ヨーロッパ系アメリカ人やメキシコ人やメキシコのアメリカ人との混合の歴史を有しており、より下部の端に沿って位置し、PC1軸ではさまざまな値を示します。
カリフォルニア州とネバダ州とメキシコと南アメリカ大陸の個体群のまとまりに焦点を当て、図2Bは図2Aの下部左側の角を拡大します。拡大図では、南アメリカ大陸の個体群は左下角に現れ、PC2軸に沿って南方から北方への勾配を固定します。図2Bの上部では、ネバダ州のラブロック洞窟の個体群が、RTKT遺跡およびサンタバーバラ遺跡の個体群と近い年代で(図1B)、主要なまとまりの上に位置します。サンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群は、図2Bの左端に沿って南カリフォルニアの古代の個体群とまとまります。
K=10でのモデルベース教師なしクラスタ化が、NGSadmixを用いて実行されました(図3)。アジアから南アメリカ大陸まで、ほぼモンゴルとシベリアで見られるまとまり(濃青色)、およびシベリアとグリーンランドとアラスカで見られるまとまり(水色)がまず観察されます。おもに太平洋沿岸北西部とアラスカでは2つのまとまりが見られ、一方はスツウェセムク(Stswecem’c)とスプラツィン(Splatsin)を中心とするまとまり(黄緑色)で、もう一方はこの地域のほとんどの他の人口集団で見られるまとまり(濃緑色)です。ヨーロッパ人の標本は単一のまとまりに分類され、図の多くの人口集団で見られます(赤色)。残りの5つのまとまりのうち3つは、特定の人口集団に集中しています。それは、公式にはピマ(Pima)と呼ばれるオーダム(O’odham)人(薄橙色)とカリティアナ(Karitiana)人(桃色)とスルイ(Surui)人(薄紫色)です。以下は本論文の図3です。
サンフランシスコ・ベイエリアと南カリフォルニアの古代の個体群は両方、同じ構成要素(紫色)が多数を占めます。主成分分析では、これら2集団はともにまとまります。以前の研究(関連記事)と同様に、南カリフォルニアの古代の個体群が2集団に分離することも観察されます。サンニコラスと南チャンネル諸島の個体群は、おもに単一の構成要素(紫色)が多数を示しますが、サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群は第二の構成要素(橙色)もかなりの割合で示します。以前の研究(関連記事)で見られたように、ネバダ州のラブロック洞窟の個体群は、太平洋沿岸北西部の個体群と共有される構成要素(黄緑色と濃緑色)を注目に値する割合で有しており、主成分分析図(図2B)での分離と同様の兆候です。現代のムウェクマ・オローニ族は、ヨーロッパ人とメキシコ人とオローニ族の系図上の祖先を有している、と知られており、これらの個体群で観察される構成要素(赤色と橙色と紫色)の出現と一致します。
●北アメリカ大陸集団内の人口構造
次に、北アメリカ大陸西部内の人口構造をより詳細に調べるため、165個体の部分集合が検討されます。この部分集合については、主成分分析とモデルベースクラスタ化とIBS断片共有分析が実行されます。図4Aでは、最初の2主成分が示されます。サンニコラスと南チャンネル諸島のまとまりの古代の個体群は左上角にあり、サンタバーバラと北チャンネル諸島の残りの南カリフォルニア個体群は、左側に沿ってその下に示されます。ヨーロッパの個体群は右側にまとまっています。ほとんどの残りの個体は左下角にまとまり、RTKT遺跡とST遺跡の個体群が含まれます。ムウェクマ・オローニ族とロサンゼルスのメキシコ人(MXL)は、左下角とヨーロッパ人を含むまとまりをつなぐ勾配沿いに位置し、同じ勾配は図2Aで観察されました。以下は本論文の図4です。
図4BにはPC2軸とPC3軸が示されます。この図では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群は、図4Aの左下角に示される巨大なまとまりから分離します。左上角には、RTKT遺跡とST遺跡の個体群がともにまとまっています。図4Aでこれらの個体群の近くに位置した人口集団は、メキシコのいくつかの先住人口集団を含めて、中央および左下角に示されます。
K=4および5での教師なしモデルベースクラスタ化での推論が図5で示されます。K=4では、より大きなデータセットのK=10の分析(図3)で見られるまとまりのうち4つとほぼ同様のクラスタが観察されます。ヨーロッパの個体群は1つのまとまり(赤色)に配置され、アキメル(Akimel)・オーダム個体群は第二のまとまり(薄橙色)に分類され、第三のまとまりはメキシコの個体群を中心としており(濃橙色)、第四のまとまりはカリフォルニア州の古代の個体群を中心としています(紫色)。以下は本論文の図5です。
Kを5に増やすと、紫色のまとまりが二分され、紫色のまとまりは南カリフォルニアの個体群を中心とし、新たな青色のまとまりはサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群を中心とします。他の人口集団ではこの青色のまとまりはわずかに見られ、その中には、サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群、精霊洞窟とラブロック洞窟の標本、北アメリカ大陸標本、南アメリカ大陸のラゴアサンタ(Lagoa Santa)標本、現代のムウェクマ・オローニ族が含まれます。
北アメリカ大陸西部の人口構造をさらに理解するため、個体群の組み合わせ間でIBSゲノム共有が評価され、ネバダ州とカリフォルニア州とメキシコの古代人53個体に焦点が当てられて、ゲノム規模補完遺伝子型が用いられました(図6)。最古の遺跡となるネバダ州の精霊洞窟の個体群は広く断片を共有しており、年代が古くなるため、多くのより最近の個体群と共有される祖先のハプロタイプを反映しているかもしれません。ある程度は、類似のパターンが次に古い前期サンニコラスの個体群で見られます。以下は本論文の図6です。
IBS共有の最高水準は、同じ人口集団の個体間の対角線に沿って見られます。分析では4つのまとまりが示唆されます。それは、ネバダ州、サンフランシスコ・ベイエリア、サンタバーバラと北チャンネル諸島、南チャンネル諸島です。これらのまとまり内の組み合わせは、異なるまとまりの組み合わせと比較して、高いIBS共有があります。断片の共有は、年代の近い北チャンネル諸島と後期南チャンネル諸島の個体群間の共有を除いて、異なるまとまりの組み合わせでは減少します。
IBS共有のクラスタ化パターンは、図4および図5で見られる観察を反映しています。最高水準の共有はこれら人口集団内のまとまり内で見られ、あるまとまりの個体群の年代は広範なので、各まとまり内のIBS共有は、その後の人口集団が以前の人口集団の祖先系統を有しているという意味で、時空間の経過に伴う人口連続性を示唆します。サンフランシスコ・ベイエリアに焦点を当てると、より古いRTKT遺跡とより新しいST遺跡の個体群間での高い共有と、他の個体群と比較してのこの2ヶ所の遺跡の個体群の比較的低い共有は、この2ヶ所の遺跡の遺伝的連続性が顕著な水準で、この2ヶ所の遺跡の両方の期間で、その人口集団はネバダ州および南カリフォルニアの同時代の個体群とは異なる祖先系統を有していた、と示唆されます。
●現代のムウェクマ・オローニ族と古代のRTKT遺跡およびST遺跡の個体群
ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員は、ヨーロッパ人とメキシコ人とオローニ族の系図上の祖先を有していると知られており、本論文の分析の多くでこの混合史が観察されます。図2Aと図4Aでは、ムウェクマ・オローニ族はヨーロッパ人およびメキシコ人との混合を反映して、PC1軸に沿って位置します。図3および図5では、ムウェクマ・オローニ族の最大のまとまりはヨーロッパの個体群を中心としたまとまり(赤色)と、メキシコの先住民個体群を中心としたまとまり(濃橙色)に現れます。
この混合の兆候にも関わらず、分析はムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の個体群との間で共有される祖先系統を一貫して示唆します。図3および図4のK=4の分析では、ムウェクマ・オローニ族は、サンフランシスコ・ベイエリアと南カリフォルニア両方の、カリフォルニア州の古代の個体群と構成要素を共有しています(紫色)。図4においてK=5では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群を中心とするまとまりが、ムウェクマ・オローニ族で示される(紫色)ことも分かります。
ヨーロッパ人との混合に対応する構成要素の除外により、ムウェクマ・オローニ族がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群を中心とするまとまりと共にに持つ共有構成要素を、他の現代の人口集団がこのまとまりと共に有する対応する共有構成要素と比較することが可能となります。図7では、さまざまな現代の人口集団について、現代の個体群において図5のK=5のさいの青色構成要素に現れる相対的割合が、ヨーロッパの個体群を中心とする赤色構成要素を除外した合計の断片として、検討されました。以下は本論文の図7です。
この分析は、ムウェクマ・オローニ族が他の人口集団よりも相対的に高い割合の青色構成要素を有している、と明らかにします。したがって、ムウェクマ・オローニ族の混合の歴史にも関わらず、人口集団は複数の構成要素を有しているので、ムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群との間で共有される一つの構成要素(部分的な共有される祖先系統を示唆する構成要素)が観察できます。現代と古代の個体群間でのこの共有は、f4統計を用いての追加の検定でさらに裏づけられます。このf4統計では、ムウェクマ・オローニ族とRTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群との間で、ムウェクマ・オローニ族と周辺地域の古代の個体群との間よりも大きな類似性が観察されます。
●サンフランシスコ・ベイエリアの古代と現代の人口集団の連続性
この研究では、サンフランシスコ・ベイエリアの2ヶ所の遺跡(RTKT遺跡とST遺跡)の古代人12個体と、ムウェクマ・オローニ族の現代の構成員8個体のゲノムが配列されました。カリフォルニア州とより広く北アメリカ大陸西部内の人口構造を研究するため、これらの個体群が、古代および現代の先住民個体群の以前に刊行されたゲノムと比較されました。サンフランシスコ・ベイエリアの古代人12個体と現代人8個体も比較されました。
まず、新たに標本抽出された古代の個体群のゲノムが、南北アメリカ大陸とヨーロッパとシベリアの個体群を含む広範な標本とともに分析されました。これらの分析では、RTKT遺跡とST遺跡の古代の個体群が、南カリフォルニアの古代の個体群と最も密接にまとまりました。主成分分析を用いると、これらの集団の個体群は重なり(図2)、モデルベースクラスタ化では、共有されたまとまりがそれらの中心にある、と分かります(図3の紫色)。
次に、新たに配列された古代の個体群と関連する祖先系統を有する人口集団の部分集合での分析に焦点が当てられました。より詳細な分析では、より大規模なデータセットで共にまとまるサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群は、別々のまとまりに分割されます。主成分分析では、RTKT遺跡とST遺跡の個体群は共にまとまり(図4)、モデルベースクラスタ化では、K=5のさいに、まとまりはサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群の中心に位置します(図5の紫色)。IBS共有では、メキシコとネバダ州とカリフォルニア州の個体群との共有と比較して、2ヶ所の遺跡(RTKT遺跡とST遺跡)のサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群で高い共有が見つかります。
最後に、RTKT遺跡およびST遺跡の古代の個体群間の関係と、その現代のムウェクマ・オローニ族との関係が検討されました。現代の個体群は最近のヨーロッパ人およびメキシコ人祖先系統も有していますが、古代の個体群とも祖先系統を共有している、と分かりました。とくに、先住民祖先系統を有すると推定される個々のゲノム断片を検討すると、図7では、ムウェクマ・オローニ族がサンフランシスコ・ベイエリアの古代の個体群と共有されるまとまりを比較的高い割合で持っている(図5の青色のまとまり)、と分かりました。
共有された祖先系統構成要素は、RTKT遺跡およびST遺跡の個体群間と、この2ヶ所の遺跡の個体群と現代のムウェクマ・オローニ族との間の遺伝的連続性の裏づけを提供します。この連続性は、より古い人口集団とより新しい人口集団をつなぐ系図上の子孫の可能性という意味で、1905~1826年前頃のRTKT遺跡個体群から、601~184年前頃のST遺跡個体を経て、現在のムウェクマ・オローニ族の構成員にまで広がります。RTKT遺跡とST遺跡は、標本抽出された特定の個体群と関連する年代よりもかなり長い期間を表しています。RTKT遺跡は2440~175年前頃まで居住され、最も活発だったのは2440~1610年前頃で、ST遺跡は605~100年前頃まで居住されました。
RTKT遺跡とST遺跡との間、およびこの2ヶ所の遺跡と現在のムウェクマ・オローニ族の個体群との間の遺伝的つながりから、現在のムウェクマ・オローニ族はサンフランシスコ・ベイエリアに少なくとも2000年居住してきた人々と連続性を共有している、と示唆されます。それは、RTKT遺跡で標本抽出された個体群の年代が1905~1826年前頃となり、RTKT遺跡の最初の年代である2440年前頃まで、遺伝的に連続している可能性があるからです。これらの結果から、オローニ族の祖先的人口集団は1500~1000年前頃にこの地域に移住してきた、というモデルが、人口集団の連続性を過小評価している、と示唆されます。これらの結果は、サンフランシスコ・ベイエリアのこの地域におけるオローニ族の連続性が2500年前頃か、さらにさかのぼる可能性がある、という再構築と一致します。
要注意なのは、RTKT遺跡およびST遺跡の個体群とムウェクマ・オローニ族との間で観察された人口集団の連続性が、遺伝的祖先系統構成要素の連続性と、ゲノム断片の顕著な共有の形式をとっていることです。この遺伝的連続性の形式は、現代の個体群がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群の直接的子孫である、という正式の証拠を提供しませんが、現代の人口集団がRTKT遺跡およびST遺跡の個体群か、遺伝的に類似した同時代の人口集団の子孫である、という見解と一致します。スペインの占領により引き起こされたオローニ族の極度の混乱と死者の増加を考えれば、この連続性が検出できるのは恐らく驚くべきことです。
教会の記録には、近隣の非オローニ族とのかなりの混合が記されています。この混合は、サンフランシスコ・ベイエリアのオローニ族の教会人口集団の急速な減少のため、近隣地域の他の部族集団、とくに沿岸部と湾岸部と平野部のミオク(Miwok)族およびヨークッツ(Yokuts)族が同じ教会に連行された後に起きました。結果として、たとえばオローニ族と非オローニ族の個体間の婚姻の子孫の一部は、文化的にはオローニ族として認識し、オローニ族の言語を話し、重要な文化的伝統を維持しました。そのため、RTKT遺跡およびST遺跡から比較的遠い場所の先住民人口集団との混合にも関わらず、両遺跡の個体群との遺伝的連続性が検出されます。
●ペヌーティ語族と関連する解釈
ヨーロッパ人との接触におけるカリフォルニア州の言語および語族の複雑な斑状を説明する試みは、さまざまな言語集団のヨーロッパ人との接触前の連続的な移動および置換と、語族内の言語分岐のおおよその時期の歴史的な言語再構築に優位を与えてきました。その後、考古学者はこれらのモデルを検証するヨーロッパ人との接触前の記録変化を探してきました。結果として、ヨーロッパ人との接触前のカリフォルニア州の歴史は、言語学と考古学の文化的一致を有するものとして組み立てられることが多くなっています。
サンフランシスコ・ベイエリアについて、この見解では、ホカ大語族話者が最初に中央カリフォルニアに居住した、とされています。その後、ホカ大語族話者はセントラル・バレーとサンフランシスコ・ベイエリアへの一連の移動と居住でカリフォルニア州に入ってきたペヌーティ語族話者により地理的周辺に押しやられました。カリフォルニア州のペヌーティ語族祖語話者は、グレートベースンもしくはコロンビア高原に起源がある、と仮定されています。この仮説は歴史言語学的再構築と考古学的調査と最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究に基づいています。とくに、ネバダ州西部のラブロック洞窟と、後期完新世における中央カリフォルニアのウインドミラー(Windmiller)パターンの出現との間の、物質文化(尖頭器の種類、石笛、特徴的な種類の広範な骨器インダストリー、籠細工技術)の類似性が含まれます。オローニ語は地理的に広範なペヌーティ語族に属しており、近隣のミオク語およびヨークッツ語と最も密接に関連しています。
ラブロック洞窟の古代人4個体は、サンフランシスコ・ベイエリアおよび南カリフォルニアの古代の個体群とある程度まとまっています(図2)。この4個体は、太平洋沿岸北西部の古代および現代の個体群と2つの祖先系統のまとまりも共有しています(図3の黄緑色と濃緑色)。太平洋沿岸北西部の古代人4個体は、同じく太平洋沿岸北西部のビッグバー(Big Bar)個体とともに、ネバダ州とカリフォルニア州の古代の個体群と共有されるまとまりにおいてわずかな構成要素しか有していません(図3の紫色)。これらのパターンは、ラブロック洞窟個体群が太平洋沿岸北西部とカリフォルニア州の両方に拡大したペヌーティ語族集団と類似性を共有している、という見解と一致します。この見解では、共有された祖先系統構成要素は、ペヌーティ語族の拡大の兆候かもしれず、ラブロック洞窟個体群と太平洋沿岸北西部およびビッグバー個体群は両方、グレートベースン地域の祖先の子孫です(図3の紫色)。
ラブロック洞窟の古代の個体群とのこの類似性にも関わらず、サンフランシスコ・ベイエリアの個体群と現在のムウェクマ・オローニ族の個体群は両方、ラブロック文化と関連する(ペヌーティ語族話者の可能性がある)ラブロック洞窟個体群とよりも、ペヌーティ語族が存在しない南カリフォルニアの古代の個体群の方と密接にまとまります。本論文の分析では、ペヌーティ語族話者の推定地域と関連する個体群(ラブロック洞窟や太平洋沿岸北西部やサンフランシスコ・ベイエリア)は共にまとまらないので、ペヌーティ語族がグレートベースンからカリフォルニア州へと拡大した場合、次にその拡大が人口拡散ではなく言語拡散に関わっていたか、もしくは最初の移住の共有された遺伝的兆候がその後の人口統計学的過程により侵食された、と結論づけられます。どちらの想定でも、カリフォルニア州の遺伝学的歴史と言語学的歴史は結びつかないので、この地域における文化拡大の歴史が、常に言語の拡大と一致する可能性は低そうです。この見解は、考古学者が特定の言語を話す人口集団の移住の歴史言語学的モデルを、考古学的記録の明確な変化と結びつけようとしたさいに指摘した課題と一致し、これらの移住事象の時期について広く異なる提案をもたらします。
要注意なのは、南カリフォルニアでは、南チャンネル諸島およびサンニコラスの個体群と北チャンネル諸島およびサンタバーバラの個体群との一貫した分離が観察され、以前の研究で見られるパターンが拡大される、ということです。サンタバーバラおよび北チャンネル諸島の古代の個体群は、サンフランシスコ・ベイエリアの古代人標本とまとまり、サンニコラス島を含む南チャンネル諸島の個体群と分離します。この分離は、ヨーロッパ人との接触の時期における言語境界と一致します。サンタバーバラと北チャンネル諸島の個体群はチュマシュ(Chumash)語族言語(ホカ大語族の一部もしくは古代の孤立言語と考えられています)を話していましたが、南チャンネル諸島(およびサンニコラス島)の個体群はユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族のタキッチ(Takic)語を話していました。タキッチ語話者は、グレートベースンから南カリフォルニアへと過去5000年間に移住してきた、と仮定されており、太平洋沿岸および南チャンネル諸島への到来年代は不確実です。前期サンニコラス島個体群(5000~4000年前頃)は、後期サンニコラス島個体群(2000年前頃もしくはそれ以後)と遺伝的にまとまりますが、北チャンネル諸島およびサンタバーバラの個体群とは分離しており、この期間のサンニコラス島における人口集団の連続性が示唆され、サンニコラス島におけるタキッチ語話者の初期到来を想定する再構築と一致します。
●方法論的考察
読み取り品質の低さと古代人標本の低い配列深度のため、古代DNAの分析では、ハプロタイプ相が失われた半数体ゲノムがおもに利用されてきました。しかし、現代人の参照ゲノムによる古代人標本の増強により、古代人標本における遺伝子型補完とハプロタイプ整相の実行がしだいに可能になりつつあります。以前の研究は古代の個体群の補完された二倍体遺伝子型を用いて、人口史を調べ、古代の個体群の表現型を推定しました(関連記事)。この研究は、古代人標本の補完された遺伝子型を用いて、古代と現代の個体群内および古代と現代の個体群間でのハプロタイプ共有を評価する、比較的少ない研究の一つです。
この研究では、古代の人口集団との遺伝的連続性について調べるために関心のある現代の人口集団が、関心のある関係について情報をもたらさない混合構成要素を有している、というモデルと遭遇しました。そうしたモデルは、それらの混合構成要素を無視する分析の実行により対処できます。本論文のモデルでは、ヨーロッパ人との混合に分類されないゲノム構成要素内で、さまざまな先住民人口集団と関連するまとまりの相対的な寄与の識別が試みられました(図7)。現代のムウェクマ・オローニ族と、古代サンフランシスコ・ベイエリア標本のかなりの構成要素、およびこのまとまりを有する他の現代の人口集団のより小さな兆候のあるまとまりとの間の類似性の兆候は、古代の人口集団と現代の混合人口集団との他の比較における手法の可能性を示唆します。
アメリカ大陸における多くの古代DNA研究、とくに北アメリカ大陸の個体群を含む研究は、上述のように、アメリカ大陸の最初の移住や、その後の主要な移住事象など、大規模な過程を調べてきました。結果として、充分な古代の個体群が配列され、太平洋沿岸北西部もしくはカリブ海(関連記事)のような特定地域の古代ゲノミクスに焦点を当てる研究に参照データを提供します。サンフランシスコ・ベイエリアの古代および現代の個体群に関するこの研究は、古代および現代の個体群の分析が、経時的な局所的人口構造においてどのように変化し得るのか論証する、地域的に焦点を当てた古代ゲノミクスの使用事例に貢献します。
この研究の重要な構成要素は、遺伝学的研究を行なうための、研究者と先住民共同体との間の協力における関心の高まりの一部としての、共同体の契約手続きと知識の共同生産でした。これには、先住民の祖先が関わる遺伝学的研究が含まれます。この事例の特有の特徴は、研究課題の選択、考古学的発掘および先住民の歴史的な土地における遺跡と関わる古代ゲノミクス、現在の部族構成員でのゲノム分析において、研究課題探求のための主導権における部族集団の参加です。したがって、科学的な結論に加えて、この研究は先住民ゲノミクスにおける共同体との契約モデルの推進への寄与を提供します。この研究は、ムウェクマ・オローニ族のこの地域との深い時間的つながりを確証し、オローニ族がこの地域への後期移民だったとする言語学および考古学の再構築と一致しない証拠を提供します。この結果により部族の指導者には、サンフランシスコ・ベイエリア地域のオローニ族の人口集団の遺伝的連続性の時間的深度をよりよく記録して理解するために、より古い遺跡の祖先の遺骸について類似のゲノム調査を実行することへの関心も生じました。
参考文献:
Severson AL. et al.(2022): Ancient and modern genomics of the Ohlone Indigenous population of California. PNAS, 119, 13, e2111533119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2111533119
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