フランスの鉄器時代人類集団の遺伝的構造
フランスの鉄器時代人類集団の遺伝的構造に関する研究(Fischer et al., 2022)が公表されました。フランスの鉄器時代はフランス史において重要な位置を占めています。それは、ガリアの共同体が現代フランス人集団の直接的祖先として一般大衆には日頃から提示されているためです。この大きな関心は、物質文化と葬儀慣行を通じて鉄器時代の共同体を説明し、その文化的起源と類似性を疑問視する多数の考古学的研究につながってきました。この関心にも関わらず、鉄器時代文化の出現と拡大の根底にある文化的および生物学的過程は、激しい議論が続いています。したがって、青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)との間の移行は、ハルシュタット(Hallstatt)文化B3とハルシュタットCとの間の、青銅器技術から鉄器技術への急速な移行とまず関連づけられました(紀元前800年頃)。
しかし、この明確な切断は、急速な置換ではなく、鉄の使用の漸進的移行を反映する、地域の考古学的現実を反映していないようです。さらに、この移行と関連する文化的変容は、後期青銅器時代と鉄器時代の最初の段階と関連しており、地域により異なるさまざまな周期的変動だったようです。議論は、後期鉄器時代文化であるラ・テーヌ(La Tène)の出現の様式と関係しており、ラ・テーヌ文化は、遺伝的に「ケルト人」と呼ばれる集団と関連しており、ボヘミアから大西洋に及ぶヨーロッパの大半に拡大しました。したがって一部の著者は、フランス中央部およびボヘミアにおけるラ・テーヌ文化の、アルプス北部地域からヨーロッパの他地域への文化的発展をもたらす集団の移住を通じての、拡大前の存在の出現を提案します。他の著者は、大きな移住を示唆することなく芸術などの一般的標識によりつながる、文化的複雑さの斑状の発展を通じての、ラ・テーヌ文化の複数地域起源を提案します。この見解によると、「ケルト人」はさまざまな文化的慣行と関連する多数の人々として定義されるでしょう。
現在のフランス領の鉄器時代集団で利用可能な大量の考古学的データは、関連するヒト集団のゲノムデータがほぼ欠如していることとは著しく対照的です。死に関する考古学と古代のヒト集団の動態の研究では、古遺伝的分析がかなりの進歩をもたらしてきました。旧石器時代から青銅器時代まで、古代DNA研究は、ヨーロッパの大地域規模での集団の動態を再構築する考古学的証拠を補完する議論や(関連記事)、たとえば居住習慣や家族体系など(関連記事)局所的規模での共同体の社会的機能についての討論を提供してきました。過去10年間の古ゲノム分析のかなりの増加にも関わらず、一部の地域もしくは期間は充分に記録されていないままです。
この観点では、現在のフランス領域は、ヨーロッパ西部におけるこの重要な交差点を対象としたごく最近の3点の研究(関連記事1および関連記事2および関連記事3)まで、ヨーロッパにおける古ゲノム研究で無視され続けました。それにも関わらず、現在のフランスの鉄器時代の遺伝的およびゲノムデータは、91個体のミトコンドリアデータおよび19個体の低網羅率のゲノムデータに留まり、不足したままです。これまで、古ゲノム研究おける先行期間と比較しての鉄器時代人口集団の過小評価は、ヨーロッパ規模にまで拡大でき、ドイツとスペインとイタリアでは合計44点のミトコンドリア配列、イングランドとクロアチアとスペインとハンガリーとモンテネグロとエストニアとドイツでは計27点のゲノムデータ、が得られています。
これらの観察は、フランス鉄器時代集団の代表的な古ゲノムデータの取得および考古学的データとの比較だけが、青銅器時代と鉄器時代の間、もしくは前期鉄器時代と後期鉄器時代との間で記録された文化的変容と関わっているかもしれない、生物学的過程を直接的に特徴づけることができることを考えると、とくにもどかしいものです。さらに、これら古代の共同体についての説得力のあるゲノムデータは、集団の文化的多様性と生物学的多様性の間の相関と、人口集団間の交換様式の質問を検証する唯一の方法を提供します。
最後に、局所的規模で得られたゲノムデータは、共同体の社会組織への主要な洞察を提供できます。新石器時代であれ青銅器時代であれ、鉄器時代よりも前の期間について、古ゲノム研究は繰り返しの父方居住習慣か父系家族体系か社会水準での違いを明らかにしてきました(関連記事)。鉄器時代については、慎重な検証が必要だとしても、カエサルの『ガリア戦記(DeBello Gallico)』などギリシア人とローマ人により残された間接的証言において、父系家族体系により特徴づけられるひじょうに階層的な社会が言及されています。したがって、鉄器時代共同体のゲノムデータを得ることは、生物学と考古学と文献のデータを比較する、独特な機会を表しています。
上述の未解決の問題と、その解決のための試みにおける考古学と文献とゲノムのデータの組み合わせの大きな可能性は、ガリア人集団のゲノム多様性をよりよく記録するための動機となりました。この目的のため、現在のフランスの領域にまたがり、鉄器時代を通じて分布する27ヶ所の遺跡の145個体が標的とされ、フランスの鉄器時代個体群の代表的な一式の遺伝子プールの記録の機会が最適化されました。このデータセットの広範な年代分布により、集団の起源と発展に関する問題への対処が可能となり、一方で、標本の広範な地理的分布により、地域間の遺伝子流動について検証が可能となりました。とくに、いくつかの考古学的証拠は、ユルヴィル・ナックヴィル(Urville-Nacqueville)のネクロポリス(大規模共同墓地)の事例など、近隣地域集団との特有の交換網を浮き彫りにし、円室やドゥロトリゲス式(Durotrigian)埋葬など明確な考古学的特徴をブリテン島の同時代集団と共有します。最後に、生物学的独自性と埋葬された個体の選択の可能性をよりよく理解するために、さまざまな埋葬慣行と関連する遺跡も標的とされました。
●フランスの鉄器時代のゲノムデータセット
合計145個体が古ゲノム分析の対象となりました。内在性DNA量が15%超のライブラリだけが選択されました。これらの品質基準に合格した個体については、ライブラリの平均深度が0.178倍で配列されました。その結果、青銅器時代(2個体)と鉄器時代(47個体)にさかのぼる27ヶ所の遺跡の49個体の低網羅率ゲノムデータが得られました。これらは、すでに刊行されているフランスの鉄器時代18個体の低網羅率ゲノムデータを用いて、鉄器時代については、アルザス(20個体)、シャンパーニュ(5個体)、ノルマンディー(3個体)、北部(10個体)、南部(18個体)、パリ盆地(9個体)の6つの地理的領域に区分されます(図1A)。以下は本論文の図1です。
鉄器時代データセットは年代分布の点では不均衡になり、前期鉄器時代が11個体、後期鉄器時代が54個体となります。これは、葬儀の扱いと火葬の使用により部分的に説明できます。ゲノム解析に利用できるおもにフランス南部もしくは北西部の少ないヒト遺骸は、火葬を免れ、通常ではない埋葬の恩恵を受けた被葬者を表しています。したがって、ゲノム解析に利用できる遺骸は、当時の全人口を表していないかもしれません。たとえばフランス南部では、遺伝的に分析された個体は、頭部を切断されたか、集落に埋葬された新生児と一致します。データセットは地域の代表性の点でも不均衡で、対象となる沿岸部のユルヴィル・ナックヴィルのネクロポリスでは、低いDNA保存状態のため、ノルマンディー地域の個体数が最も少なくなっています。鉄器時代の65個体のうち、男性は33個体、女性は32個体となり、各地域の性比は不均衡で、アルザスでは顕著に女性が多く、南部では男性が多くなっています。これらのデータは、すでに刊行されている世界中の古代人(5225個体)および現代人(6461個体)のデータとともに分析されました。124万ヶ所の一塩基多型(SNP)一覧で2万ヶ所以上の一塩基多型を有する65個体が下流ゲノム規模分析に用いられました。現在のフランス領土の鉄器時代個体では、1親等の親族は見つかりませんでした。
まず、主成分分析(PCA)を用いて、古代人のゲノムがユーラシア西部人の遺伝的差異に投影されました(図1C)。フランスの鉄器時代個体群は、現代フランスの人口集団のゲノム変異内に収まります。スペインとイギリスの鉄器時代標本も、同じ地域の現代の人口集団内に収まり、ヨーロッパ西部における鉄器時代(IA)から現代までのある程度の連続性を浮き彫りにし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく以前の結果を確証します。PCAは、本論文のIAフランス標本の緯度に応じた勾配分布も示します。つまり、北部の標本は現在のイギリスの人口集団と、南部の標本はスペインの人口集団とより密接です。これらの観察は、現代ヨーロッパ人で行なわれたゲノム研究と完全に一致しており、フランス集団の地理およびゲノムでのヨーロッパ北西部と南西部の人口集団間の中間的位置を浮き彫りにします。
新たなIA標本のゲノム変異性をさらに検証するため、異なる年代および文化集団で個体群がまとめられました。つまり、その出土地域と、可能ならば、年代に基づいています。それは、前期鉄器時代(EIA)アルザス(紀元前800~紀元前450年頃)、後期鉄器時代(LIA)アルザス(紀元前450~紀元前50年頃)、IAシャンパーニュ、IAノルマンディー、IA北部、IAパリ盆地、IA南部です。次に、qpWave分析が繰り返され、残りの年代および文化的集団と比較しての不均質の有意な証拠について検証されました(図2)。qpWaveのp値が0.05未満の場合、その個体が由来する年代および文化集団からのゲノム外れ値とみなされます。その結果、6個体が外れ値として識別されました。それは、IA南部集団ではBES1248とPECH3とPEY163、EIAアルザス集団ではCROI11、LIAアルザス集団ではCOL239、IAパリ盆地集団ではGDF1341です。その結果、地域水準での分析は、これらの個体およびその年代・文化集団とは別々に行なわれました。これらの外れ値個体については後述されます。以下は本論文の図2です。
●青銅器時代から鉄器時代のゲノム連続性
ヨーロッパの青銅器時代と鉄器時代の標本を浮き彫りにするPCAは、両期間の集団間の相対的なゲノム連続性を示します(図1C)。この連続性をさらに調べるためqpWave分析が実行され、地域の青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)の集団がクレード(単系統群)を形成するのかどうか、検証されました。分析により、フランス南部ではBAとIAの集団間の不連続性の欠如の論証が可能となりましたが、アルザスもしくはパリ盆地ではそうではありませんでした(図2)パリ盆地のBAの利用可能なデータの不足(2個体)は、パリ盆地のBA人口集団の多様性を反映していない可能性があり、それがこの結果を説明しているかもしれません。それにも関わらず、アルザスにおけるBAとIAとの間の連続性の欠如が充分な数の標本により論証され、BAとIA両方におけるこの交差点領域での顕著な遺伝子流動と関連しているかもしれません。
興味深いことに、EIAアルザスとLIAアルザス集団はクレードを形成し、これは両期間のいくつかの遺伝的連続性と一致していますが、重要な文化的変容が認識されています。さらに、qpAdmモデル化でのヨーロッパ西部人口集団のゲノム構成に寄与した3つの主要な祖先構成養子、つまり先新石器時代狩猟採集民(WHG構成要素)、初期新石器時代農耕民(アナトリア半島N)、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団によりもたらされた草原地帯遺産であるロシアEMBA(前期~中期青銅器時代)ヤムナヤ(Yamnaya)を見ると、フランス南北のBAとIAの人口集団間ではアナトリア半島NとロシアEMBAヤムナヤの構成要素については有意な違いは観察されませんが、地域水準では違いが存在します。これは、フランスIA集団の遺伝的構成における異なる遺伝的遺産の人口集団からの大きな遺伝的流入の欠如を示唆します。
次にqpAdm分析が実行され、フランスの地域的なIA集団が、供給源としてフランスBA集団もしくは補足的なBA集団でのみ説明できるのかどうか、評価されました。さまざまなモデルが検証され、全てのフランスIA集団は供給源として1つもしくは2つのフランスBA集団により説明できる、と分かりました。とくに、EIAアルザスおよびLIAアルザス両集団の遺伝子プールが、供給源として在来のBAアルザス集団と外来のBA南部集団の組み合わせにより説明できるという事実は、遺伝子流動の交差点としてのこの地域の地位を補強します。他のヨーロッパ地域からのBA供給源を含む代替的なモデルも統計的にあり得ますが、節約原理に従うと、フランスIA集団は先行するフランスBA集団に直接的に由来する、と優先的に示唆されます。
しかし、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)を考慮すると、フランスのBAとIAの集団間の遺伝的連続性は部分的にしか確認できません。合計で86点のミトコンドリアと33点のY染色体の系統が、フランスのIA標本で集められました。フランスIA集団のミトコンドリア系統の大きな多様性にも関わらず、個体群のほぼ26%はmtDNAハプログループ(mtHg)Hに特徴づけられました。mtHg頻度の重要な地域的変異は指摘されねばなりませんが、mtHg-HはIA北部集団ではほぼ50%となるものの、IA南部集団では30%未満となります。フランスのBAとIAとの間のmtHg-H・Jの顕著な増加も強調できます。
Y染色体系統関しては、IAにおける多様性の増加が観察されます。フランスIAデータセットでは、4つの主要なY染色体ハプログループ(YHg)が特定されました。それは、ヨーロッパ西部において新石器時代に優勢だったI1・I2・G2と、大きな割合を占めるR1b1aで、R1b1aは草原地帯関連の移住と関連しており(69%)、一方でBA男性はYHg-R1bもしくはR∗のみを有しています。それにも関わらず、BAとIAの間で観察される違いが利用可能なデータの少なさか、特定の微小進化過程とつながっている母系・父系遺伝子プールの変化のどちらに関連しているのか、不明なままです。
全体的に、まとめられた結果からは、現在のフランスの領域について、大きな移住もしくは人口集団置換ではなく、社会的変化と組み合わされた政治的および経済的危機によるBAからIAの移行を説明する考古学的仮説が補強されます。これらのゲノム結果は、このBAからIAへの文化的移行における大きな侵略・移住を除外する傾向にある、最近の考古学的仮説と一致します。じっさい、考古学的データの最近の再評価は、鉄の段階的使用(1つの物質から別の物質への急速な置換ではありません)もしくは土器の漸進的発展など、BA~IAにおける漸進的な発展を示唆してきました。シナリオを複雑にしているのは、最近の考古学的研究が、地域もしくは研究された物質の様式に基づいて、異なる文化的発展の周期的変動を明らかにしてきたことです。最後に、アルザス地域におけるEIAとLIAで収集されたゲノムデータは、IA全体の遺伝的連続性と一致します。手元のデータがアルザス地域に限定されているとしても、そうしたデータは、ラ・テーヌ文化が必ずしも人口集団・遺伝子の大規模な流入と関連しているとは限らない、という見解を支持します。
●ガリアにおけるゲノムと文化の多様性
上述のように、フランスIAデータセットで実行されたPCAは、個体群の明確な緯度分布を浮き彫りにしました(図1C)。PC2軸に投影された遺伝的分化は、フランスにおいて標本が発見された遺跡の緯度と正の相関があれます。この相関は、イベリア半島とイングランドのIA個体群を追加するとしさらに増加します(図3C)。しかし、f3統計(ムブティ人、検証集団1、検証集団2)では、起源地域との関連において個体群の明確な集団化は示されませんでした。フランスIA個体群で認識されるゲノム変異をよりよく特徴づけるため、f3統計(ムブティ人、X、検証集団)が実行され、Xは祖先的構成要素(WHGとアナトリア半島NとロシアEMBAヤムナヤ)を表します。その結果、IA南部とアナトリアNとの間でより大きな類似性を有するフランスの地域間の違いが明確に指摘されましたが、フランス北部地域のIA集団、とくにノルマンディー集団は、草原地帯遺産構成要素とより多くの類似性を示します。
これらの段階的な類似性をより正確に定量化するため、フランスIA集団の供給源人口集団として3構成要素でモデル化するqpAdm分析が実行されました。モデル化の結果は、IAフランス集団で草原地帯関連構成要素の北部から南部にかけての減少する勾配が、初期農耕民構成要素の増加と逆比例して相関する、と明確に確証します(図3A)。BAのデータ不足により、この期間について細かい地域規模でのこれらの相違を示す類似性の比較はできませんが、北部対南部という、2つの別々の集団に利用可能なデータが分散されることにより、同じ傾向を観察できるのは注目に値します(図3B)。草原地帯関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)勾配は、現代ヨーロッパの人口集団で充分に確立されており(関連記事)、少なくともBA以降フランスではよく確立されているようです。以下は本論文の図3です。
IAフランスの地域的集団もしくは個体群間の特定のゲノム類似性を検証するため、地域集団が地理的類似性により分類された個体群を表す(上述の外れ値は除外されます)f3型式(ムブティ人、地域集団、地域集団)と、Xがこの研究の個体群を表すf3型式(ムブティ人、X、X)のf3外群統計が実行されました。検証したどの形式のf3統計でも、地域集団もしくは個体群間の特定の類似性は検出されませんでした。最後に、f3統計(ムブティ人、遺跡集団、遺跡集団)も計算されました。この場合、遺跡集団はすべて、同じ遺跡内で発見された個体群を表し、再度、葬儀集団間の類似性は検出されませんでした。次に遺伝的距離に基づいてMDS(多次元尺度構成法)が実行され、遺跡間の遺伝的距離と地理的距離との間の相関は検出されませんでした。2つの行列間には相関がないという仮定(H0)での、遺伝的距離の行列と遺跡間の地理的距離の行列を比較するマンテル検定により、遺伝的距離と地理的距離両方の間で統計的相関の欠如が確証できます。
その結果、IAフランス集団で実行された全ての統計的検定は、現在のフランスの領域全体に分布する人口集団のひじょうに段階的な遺伝的構造化を浮き彫りにし、統計的に有意に区別される集団の実証を複雑にしました。この主要な観察は、この広大な領域に拡散した人口集団の共通のゲノム遺産との仮説を裏づけます。このひじょうに弱い大規模なゲノムパターンは、関連する地域間で記録された文化的変異性とは対照的で、考古学者が地中海と大西洋とハルシュタットとラ・テーヌ文化のケルト人を区別すると提案するさいに、IA全体にわたって重要であり続けました。最近の考古学的シナリオは、言語や宗教や社会関係や装飾品や金属製家具など、いくつかの同じ文化的特徴を共有する地域集団の多極的な文化発展を示唆します。BAとIAのフランス集団間で指摘された遺伝的不連続性の欠如と、IAを通じての集団の全体的な低い遺伝的構造化を組み合わせると、データは明確に、文化的および生物学的交換の豊富な網を通じてつながる地域的集団が発展する、というシナリオを補強します。
興味深いことに、地域的なフランスIA集団間の生物学的交換は、遺伝的外れ値の繰り返しの特徴づけにより補強され、男女両方が分類され、これは個体の地域間の移動性を論証するかもしれません。f3統計(ムブティ人、個体、地域)が実行され、外れ値の可能性のある各起源地が評価され、結果が図4に示されます。その結果、確かに、これらの外れ値個体と、個体の起源地の可能性があるか、その直接的祖先の起源地を表しているかもしれない他地域のフランスIA集団との間のゲノム類似性が浮き彫りになります。これらの類似性は、qpWave分析でも明らかです(図2)。以下は本論文の図4です。
興味深いことに、考古学的観点からは、同じ遺跡で発見された他の個体と遺伝的に外れ値の個体とを区別するものはありません。これは、異なる地域に由来する個体の完全な文化的統合を示唆します。それにも関わらず、外れ値個体BES1248とPECH3で、2つの例外が指摘できます。ベッサン(Bessan)遺跡のBES1248個体は単一埋葬で見つかりましたが、火葬はこの期間のフランス南部ではおもな葬儀慣行でした。しかし、ベッサン遺跡の他の唯一の成人個体(BES1249)は遺伝的外れ値として現れないので、この事例における外れ値個体と特別な葬儀特徴との間の関連について、あらゆる結論の導出を妨げます。
PECH3個体は、ペク・マホ(Pech Maho)遺跡の破壊後の儀式段階と同時代のウマ遺骸と関連する溝の充填物で発見されました。PECH3個体の外来起源の可能性はとくに興味深く、それは、ローマとカルタゴとの間の第二次ポエニ戦争との関連でペク・マホ遺跡の破壊の歴史的仮説を補強するかもしれないからです。興味深いことに以前の研究でも、イベリア半島のウリャストレット(Ullastret)遺跡の遺伝的外れ値個体(I3326、図3C)が見つかっており、地元で製作された多くのラ・テーヌ文化式の剣が発見されています。この証拠は、IA共同体における商品や人々や技術の重要な交換との見解を補強します。他方、カイヤール(Cailar)遺跡では、考古学者がウリャストレット遺跡やペク・マホ遺跡のように切断された頭部の慣行を強調しており、分析された全個体は遺伝的に均質な集団で、フランス南部で観察される遺伝的多様性内に収まります。したがって、おそらく頭部が戦利品として用いられた、これらの個体の遠方起源との仮説を裏づける遺伝的要素はありません。全てのこれら特定の事例は、IA個体群の独自性の遺伝学と考古学との間の相互関係の印象的な変異性と複雑さを浮き彫りにします。
●ヨーロッパ西部の同時代集団間の相互作用
フランスIA集団間で特徴づけられる遺伝子流動を考えて、他のヨーロッパ西部地域の集団と同等の生物学的相互作用について検証されました。PCAとqpAdm分析では、フランス南部とスペインのIA集団間、およびフランス北西部とイングランドの集団間の特別な類似性が浮き彫りになった、と確認されました(図1C)。したがって、f3統計(ムブティ人、フランスIA集団、他のIA集団)を通じてこれらの特定の類似性が調べられました。他のIA集団は、フランス以外のIA集団を表し、個体か遺跡か地域のいずれかが考慮されます。残念ながら、古ゲノムデータはドイツなどいくつかの国境地域では不充分か欠けており、この研究の部分的制約となります。
実行された検定では、記録されたヨーロッパ地域のIA集団との特定の遺伝的類似性を有意に区別できず、これは関連する全集団のひじょうに低いゲノム分化と確実に関連しています。地域集団と他のヨーロッパの同時代の集団との間で実行されたqpWave分析は、フランス北部とヨーロッパ北部(イングランドとスウェーデン)のIA集団のまとまりを浮き彫りにし、一方でフランス南部のガリア人はこのまとまりから際立っているものの、イベリア半島のケルト人とより密接なようです(図2)。最後に、ギリシアもしくはイタリアとフランスのIA人口集団間では、遺伝的類似性が見つかりませんでした。
フランス南西部とスペイン北部のIA集団間で認識されるゲノム類似性は予測されており、それは、両者がイベリア半島ラングドック(ibero-languedocian)と呼ばれる同じ文化的実体に分類されるからです。じっさい、同様の種類の土器や武器がIAにおいてピレネー山脈の両側で発見されています。さらに、各地域で見られる集落と砦はひじょうに類似しており、一部の学者は、関連集団によるイベリア語の共有使用さえ提案しています。
同様に、フランス北西部とイングランドのIA集団間で検出されたゲノム類似性は驚くべきことではありません。じっさい、フランス北西部集団は、ユルヴィル・ナックヴィルのネクロポリス(ノルマンディー)に由来する個体群により表され、そこでは、円室など特定の考古学的特徴が、イングランドIA文化圏と明確に関連しています。さらに、ノルマンディーとイングランド南部は、BAとIAにおいてよく記録された交換網の一部で、BAは大西洋BAおよびマンシュ・北海複合(Manche-Mer du Nord Complex)と呼ばれています。最後に、全員男性のユルヴィル・ナックヴィルの3個体は全て、ドーセット州(Dorset)でよく知られている、いわゆる「ドゥロトリゲス」の位置で埋葬されていた、と追加する価値があります。したがって、これらの個体がイングランド南部起源で、ユルヴィル・ナックヴィルで埋葬された全人口を表していない可能性を除外できません。
いずれにせよ、これら特定の状況で見つかった外来物質と文化的差異と他地域の遺伝子流動との間の相関は、完全なIAの考古学的景観に拡張できません。これは、フランス南部の紀元前6~紀元前4世紀頃となるペイロウ(Peyrou)のネクロポリスにとくに当てはまり、ペイロウでは、死者の葬儀の扱いと墓に供えられた物質は、この接触の断続後の、ギリシア人入植者定着の明確な証拠を提供します。しかし、ネクロポリスの分析された3個体(男女のいずれか)は、ギリシアもしくは地中海内湾個体群との特有の遺伝的類似性を示しません。興味深いことに、外れ値として際立っている個体(PEY163)は、パリ盆地個体群とより多くの類似性を有しているようで、地中海沿岸地域を示してはいませんでした(図2および図4)。この研究はペイロウ遺跡を徹底的に調べたわけではないので、より多い数の個体の分析により、ペイロウのネクロポリスにおけるギリシア人入植者の存在を浮き彫りにできる可能性は高そうです。じっさい、ギリシアの植民地はひじょうに特殊な環境で、周辺の先住人口集団はギリシア人植民者の間で住むことができました。しかし、この事例は、すでに他の期間・地域で記録されているように、葬儀慣行および/もしくは外来資料が異地性個体群の信頼できる証拠を構成しない、と再度論証しています。
重要な結果は、PCAではIAアルザス個体群の分散もより大きくなり、IA南部かIA北部かIAパリ盆地かIAシャンパーニュの集団と重なる、ということです。この分散はこの地域的集団内のより高い遺伝的多様性を示しており、より高い遺伝子流動の証拠たり得ます(図1C)。アルザス地域は通常、「交差点」、つまり通過と交換の軸として特徴づけられており、それは、歴史的にヨーロッパの西部と中央部との間の大きな交通のつながりを構成してきたライン川の存在のためです。それにも関わらず、IA期について特徴づけられた遺伝的交換は、その物質文化において特別な反響を見つけていないようです。EIAには、考古学的記録はアルザス南部とドイツ南西部(バイエルンやバーデン=ヴュルテンベルク)との間の物質交換を示唆しますが、アルプス北部はライン川流域下流との接触を共有していました。ハルシュタット期における外来として記録されてきた物質の到来(バルト地域の琥珀、地中海の珊瑚、エトルリアからの輸入品など)が南北交易の顕著な増加を証明できるならば、この種の資料はひじょうに稀なままです。したがって、近隣地域との文化的交換が実証されたとしても、遠方からの寄与は明らかに限られたままです。
●共同体の機能
フランスIA集団の局所的機能の記録を始めるため、長いROH(runs of homozygosity)を検出する分析が実行されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
4~8cM(センチモルガン)のROHの数が、中石器時代以来観察されていた一般的傾向に続いてIAは減少する傾向にある、と観察され、これは配偶人口集団および/もしくは長距離の遺伝子流動の漸進的な増加により説明される結果です。IA集団の人口統計に焦点を当てた考古学的研究はほとんどありません。それにも関わらず、葬儀のデータに関する研究では、紀元前4世紀半ば頃のわずかな減少に続く、アルプス南部とプロバンスとおそらくはローヌおよびソーヌ渓谷におけるEIA末の人口規模の増加が見つかりました。その研究では、人口規模は紀元前3世紀後半には増加傾向にあった、とも指摘されています。多数の研究でも、IAにおけるさまざまな距離での交換網の重要性が論証されてきました。それは、たとえばEIAとなるヴィクス(Vix)の墓のギリシアの青銅製壺か、あるいはLIAとなるユルヴィル・ナックヴィルで発見されたローマ式アンフォラ(両取っ手付き壺)により証明されますが、本論文のデータではそうした長距離交換の証拠は見つかりませんでした。そした出来事は、IA社会において重要な役割を果たしたものの、遺伝子プールには限定的な影響しか残さなかった少数の個体に限定されていたかもしれません。
最後に、アルザスのコルマー(Colmar)遺跡の1個体(COL 336)において異なる染色体で複数の長いROHが検出され、COL 336は1親等の近親交配の子供として解釈できます(両親が親子もしくは同じ両親のキョウダイ)。興味深いことに、コルマー遺跡には死者に副葬品もしくは武器遺構の伴わない遺構のいくつかの埋葬が含まれますが、この期間と地域で主要な葬儀慣行は、塚の小さな葬儀複合での土葬です。したがって、COL 336の観察された葬儀の扱いが同じ遺跡の他の個体と異なっていなかったとしても、追放型埋葬とみなせます。これは、この近親交配慣行をIA社会が拒絶していたことと関連しているかもしれません。これは、新石器時代のアイルランドのニューグレンジ(Newgrange)遺跡での記録とは反対で、ニューグレンジ遺跡では、最も壮観な巨石墓の一つの同族個体の存在が、複雑な首長制国家の高い階層社会の証拠として解釈されました(関連記事)。IA集団の社会組織をより詳細に調べ、歴史上の情報源と比較するためには、より網羅的なゲノムデータセットが必要になるでしょう。
●考察
この研究では、現在のフランス内に広く分布するBAとIAの個体群から49点のゲノムが回収されました。この貴重なデータセットがあるので、以前の研究(関連記事)で指摘された、フランスのBAとIAの共同体間の遺伝的不連続性を検出できませんでした。本論文のデータセットは、前期新石器時代農耕民祖先系統と逆相関する草原地帯関連祖先系統について、北方から南方への勾配も浮き彫りにしました。さらに、これらの遺産構成要素の分布と割合は、BAとIAの間で安定しています。これは、BAからIAへの移行が紀元前8世紀以降の社会的および政治的変化の結果だったことを考慮すると、最近の考古学的証拠と完全に一致します。
BA以降に移住事象の証拠を浮き彫りにできなかった場合、同じ遺伝的特徴のある人口集団と関連するこの種の事象は認識しにくいものの、地域とスペインやイングランドといった近隣集団との遺伝子流動との間で、個体規模での移動性を検出できます。ひじょうに興味深いことに、これらの遺伝的外れ値は、常に考古学的観点から区別できるわけではなく、それは共同体内で外れ値個体が完全に統合されたことを意味しているかもしれません。分析により、これら外れ値個体の起源候補地域を提案できますが、ストロンチウム同位体分析は、個体の移動性のシナリオを完成させるのに大いに役立つでしょう。
興味深いことに、これらのつながりはフランスだけではなく、ヨーロッパ西部規模でも明らかです。じっさい、フランスの北部および北西部とイングランドのIA共同体間、およびフランス南部とスペインのIA共同体間で明確な類似性を検出できました。この結果は、ユルヴィルで埋葬された円室およびいわゆるドゥロトリゲスの存在や、フランス南部におけるイベリア半島ラングドック複合など、考古学的証拠と一致します。全体的に、本論文で提案された結果が強化する見解は、「ケルト人」が、同じ共通の文化的特徴を共有し、文化的および生物学的交換網を通じてつながる地域集団間で漸進的に発展した在来BA人口集団に由来する、というものです。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
本論文の分析対象となった期間における火葬の広範な使用、遺跡間のひじょうに異なるDNA保存状態、地域間の考古学的発見の不均衡な分布のため、得られたゲノムデータセットは、地域および期間で異なって分布したままです。ただ、こうした制約があるとはいえ、古代ゲノム研究が人類史の理解の進展に大きく貢献していることも間違いないでしょう。古代ゲノム研究はユーラシア西部、とくにヨーロッパで発展しており、環境などの要因で古代ゲノム研究に適さない地域も少なくありませんが、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
Fischer CE. et al.(2022): Origin and mobility of Iron Age Gaulish groups in present-day France revealed through archaeogenomics. iScience, 25, 4, 104094.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.104094
しかし、この明確な切断は、急速な置換ではなく、鉄の使用の漸進的移行を反映する、地域の考古学的現実を反映していないようです。さらに、この移行と関連する文化的変容は、後期青銅器時代と鉄器時代の最初の段階と関連しており、地域により異なるさまざまな周期的変動だったようです。議論は、後期鉄器時代文化であるラ・テーヌ(La Tène)の出現の様式と関係しており、ラ・テーヌ文化は、遺伝的に「ケルト人」と呼ばれる集団と関連しており、ボヘミアから大西洋に及ぶヨーロッパの大半に拡大しました。したがって一部の著者は、フランス中央部およびボヘミアにおけるラ・テーヌ文化の、アルプス北部地域からヨーロッパの他地域への文化的発展をもたらす集団の移住を通じての、拡大前の存在の出現を提案します。他の著者は、大きな移住を示唆することなく芸術などの一般的標識によりつながる、文化的複雑さの斑状の発展を通じての、ラ・テーヌ文化の複数地域起源を提案します。この見解によると、「ケルト人」はさまざまな文化的慣行と関連する多数の人々として定義されるでしょう。
現在のフランス領の鉄器時代集団で利用可能な大量の考古学的データは、関連するヒト集団のゲノムデータがほぼ欠如していることとは著しく対照的です。死に関する考古学と古代のヒト集団の動態の研究では、古遺伝的分析がかなりの進歩をもたらしてきました。旧石器時代から青銅器時代まで、古代DNA研究は、ヨーロッパの大地域規模での集団の動態を再構築する考古学的証拠を補完する議論や(関連記事)、たとえば居住習慣や家族体系など(関連記事)局所的規模での共同体の社会的機能についての討論を提供してきました。過去10年間の古ゲノム分析のかなりの増加にも関わらず、一部の地域もしくは期間は充分に記録されていないままです。
この観点では、現在のフランス領域は、ヨーロッパ西部におけるこの重要な交差点を対象としたごく最近の3点の研究(関連記事1および関連記事2および関連記事3)まで、ヨーロッパにおける古ゲノム研究で無視され続けました。それにも関わらず、現在のフランスの鉄器時代の遺伝的およびゲノムデータは、91個体のミトコンドリアデータおよび19個体の低網羅率のゲノムデータに留まり、不足したままです。これまで、古ゲノム研究おける先行期間と比較しての鉄器時代人口集団の過小評価は、ヨーロッパ規模にまで拡大でき、ドイツとスペインとイタリアでは合計44点のミトコンドリア配列、イングランドとクロアチアとスペインとハンガリーとモンテネグロとエストニアとドイツでは計27点のゲノムデータ、が得られています。
これらの観察は、フランス鉄器時代集団の代表的な古ゲノムデータの取得および考古学的データとの比較だけが、青銅器時代と鉄器時代の間、もしくは前期鉄器時代と後期鉄器時代との間で記録された文化的変容と関わっているかもしれない、生物学的過程を直接的に特徴づけることができることを考えると、とくにもどかしいものです。さらに、これら古代の共同体についての説得力のあるゲノムデータは、集団の文化的多様性と生物学的多様性の間の相関と、人口集団間の交換様式の質問を検証する唯一の方法を提供します。
最後に、局所的規模で得られたゲノムデータは、共同体の社会組織への主要な洞察を提供できます。新石器時代であれ青銅器時代であれ、鉄器時代よりも前の期間について、古ゲノム研究は繰り返しの父方居住習慣か父系家族体系か社会水準での違いを明らかにしてきました(関連記事)。鉄器時代については、慎重な検証が必要だとしても、カエサルの『ガリア戦記(DeBello Gallico)』などギリシア人とローマ人により残された間接的証言において、父系家族体系により特徴づけられるひじょうに階層的な社会が言及されています。したがって、鉄器時代共同体のゲノムデータを得ることは、生物学と考古学と文献のデータを比較する、独特な機会を表しています。
上述の未解決の問題と、その解決のための試みにおける考古学と文献とゲノムのデータの組み合わせの大きな可能性は、ガリア人集団のゲノム多様性をよりよく記録するための動機となりました。この目的のため、現在のフランスの領域にまたがり、鉄器時代を通じて分布する27ヶ所の遺跡の145個体が標的とされ、フランスの鉄器時代個体群の代表的な一式の遺伝子プールの記録の機会が最適化されました。このデータセットの広範な年代分布により、集団の起源と発展に関する問題への対処が可能となり、一方で、標本の広範な地理的分布により、地域間の遺伝子流動について検証が可能となりました。とくに、いくつかの考古学的証拠は、ユルヴィル・ナックヴィル(Urville-Nacqueville)のネクロポリス(大規模共同墓地)の事例など、近隣地域集団との特有の交換網を浮き彫りにし、円室やドゥロトリゲス式(Durotrigian)埋葬など明確な考古学的特徴をブリテン島の同時代集団と共有します。最後に、生物学的独自性と埋葬された個体の選択の可能性をよりよく理解するために、さまざまな埋葬慣行と関連する遺跡も標的とされました。
●フランスの鉄器時代のゲノムデータセット
合計145個体が古ゲノム分析の対象となりました。内在性DNA量が15%超のライブラリだけが選択されました。これらの品質基準に合格した個体については、ライブラリの平均深度が0.178倍で配列されました。その結果、青銅器時代(2個体)と鉄器時代(47個体)にさかのぼる27ヶ所の遺跡の49個体の低網羅率ゲノムデータが得られました。これらは、すでに刊行されているフランスの鉄器時代18個体の低網羅率ゲノムデータを用いて、鉄器時代については、アルザス(20個体)、シャンパーニュ(5個体)、ノルマンディー(3個体)、北部(10個体)、南部(18個体)、パリ盆地(9個体)の6つの地理的領域に区分されます(図1A)。以下は本論文の図1です。
鉄器時代データセットは年代分布の点では不均衡になり、前期鉄器時代が11個体、後期鉄器時代が54個体となります。これは、葬儀の扱いと火葬の使用により部分的に説明できます。ゲノム解析に利用できるおもにフランス南部もしくは北西部の少ないヒト遺骸は、火葬を免れ、通常ではない埋葬の恩恵を受けた被葬者を表しています。したがって、ゲノム解析に利用できる遺骸は、当時の全人口を表していないかもしれません。たとえばフランス南部では、遺伝的に分析された個体は、頭部を切断されたか、集落に埋葬された新生児と一致します。データセットは地域の代表性の点でも不均衡で、対象となる沿岸部のユルヴィル・ナックヴィルのネクロポリスでは、低いDNA保存状態のため、ノルマンディー地域の個体数が最も少なくなっています。鉄器時代の65個体のうち、男性は33個体、女性は32個体となり、各地域の性比は不均衡で、アルザスでは顕著に女性が多く、南部では男性が多くなっています。これらのデータは、すでに刊行されている世界中の古代人(5225個体)および現代人(6461個体)のデータとともに分析されました。124万ヶ所の一塩基多型(SNP)一覧で2万ヶ所以上の一塩基多型を有する65個体が下流ゲノム規模分析に用いられました。現在のフランス領土の鉄器時代個体では、1親等の親族は見つかりませんでした。
まず、主成分分析(PCA)を用いて、古代人のゲノムがユーラシア西部人の遺伝的差異に投影されました(図1C)。フランスの鉄器時代個体群は、現代フランスの人口集団のゲノム変異内に収まります。スペインとイギリスの鉄器時代標本も、同じ地域の現代の人口集団内に収まり、ヨーロッパ西部における鉄器時代(IA)から現代までのある程度の連続性を浮き彫りにし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく以前の結果を確証します。PCAは、本論文のIAフランス標本の緯度に応じた勾配分布も示します。つまり、北部の標本は現在のイギリスの人口集団と、南部の標本はスペインの人口集団とより密接です。これらの観察は、現代ヨーロッパ人で行なわれたゲノム研究と完全に一致しており、フランス集団の地理およびゲノムでのヨーロッパ北西部と南西部の人口集団間の中間的位置を浮き彫りにします。
新たなIA標本のゲノム変異性をさらに検証するため、異なる年代および文化集団で個体群がまとめられました。つまり、その出土地域と、可能ならば、年代に基づいています。それは、前期鉄器時代(EIA)アルザス(紀元前800~紀元前450年頃)、後期鉄器時代(LIA)アルザス(紀元前450~紀元前50年頃)、IAシャンパーニュ、IAノルマンディー、IA北部、IAパリ盆地、IA南部です。次に、qpWave分析が繰り返され、残りの年代および文化的集団と比較しての不均質の有意な証拠について検証されました(図2)。qpWaveのp値が0.05未満の場合、その個体が由来する年代および文化集団からのゲノム外れ値とみなされます。その結果、6個体が外れ値として識別されました。それは、IA南部集団ではBES1248とPECH3とPEY163、EIAアルザス集団ではCROI11、LIAアルザス集団ではCOL239、IAパリ盆地集団ではGDF1341です。その結果、地域水準での分析は、これらの個体およびその年代・文化集団とは別々に行なわれました。これらの外れ値個体については後述されます。以下は本論文の図2です。
●青銅器時代から鉄器時代のゲノム連続性
ヨーロッパの青銅器時代と鉄器時代の標本を浮き彫りにするPCAは、両期間の集団間の相対的なゲノム連続性を示します(図1C)。この連続性をさらに調べるためqpWave分析が実行され、地域の青銅器時代(BA)と鉄器時代(IA)の集団がクレード(単系統群)を形成するのかどうか、検証されました。分析により、フランス南部ではBAとIAの集団間の不連続性の欠如の論証が可能となりましたが、アルザスもしくはパリ盆地ではそうではありませんでした(図2)パリ盆地のBAの利用可能なデータの不足(2個体)は、パリ盆地のBA人口集団の多様性を反映していない可能性があり、それがこの結果を説明しているかもしれません。それにも関わらず、アルザスにおけるBAとIAとの間の連続性の欠如が充分な数の標本により論証され、BAとIA両方におけるこの交差点領域での顕著な遺伝子流動と関連しているかもしれません。
興味深いことに、EIAアルザスとLIAアルザス集団はクレードを形成し、これは両期間のいくつかの遺伝的連続性と一致していますが、重要な文化的変容が認識されています。さらに、qpAdmモデル化でのヨーロッパ西部人口集団のゲノム構成に寄与した3つの主要な祖先構成養子、つまり先新石器時代狩猟採集民(WHG構成要素)、初期新石器時代農耕民(アナトリア半島N)、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団によりもたらされた草原地帯遺産であるロシアEMBA(前期~中期青銅器時代)ヤムナヤ(Yamnaya)を見ると、フランス南北のBAとIAの人口集団間ではアナトリア半島NとロシアEMBAヤムナヤの構成要素については有意な違いは観察されませんが、地域水準では違いが存在します。これは、フランスIA集団の遺伝的構成における異なる遺伝的遺産の人口集団からの大きな遺伝的流入の欠如を示唆します。
次にqpAdm分析が実行され、フランスの地域的なIA集団が、供給源としてフランスBA集団もしくは補足的なBA集団でのみ説明できるのかどうか、評価されました。さまざまなモデルが検証され、全てのフランスIA集団は供給源として1つもしくは2つのフランスBA集団により説明できる、と分かりました。とくに、EIAアルザスおよびLIAアルザス両集団の遺伝子プールが、供給源として在来のBAアルザス集団と外来のBA南部集団の組み合わせにより説明できるという事実は、遺伝子流動の交差点としてのこの地域の地位を補強します。他のヨーロッパ地域からのBA供給源を含む代替的なモデルも統計的にあり得ますが、節約原理に従うと、フランスIA集団は先行するフランスBA集団に直接的に由来する、と優先的に示唆されます。
しかし、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)を考慮すると、フランスのBAとIAの集団間の遺伝的連続性は部分的にしか確認できません。合計で86点のミトコンドリアと33点のY染色体の系統が、フランスのIA標本で集められました。フランスIA集団のミトコンドリア系統の大きな多様性にも関わらず、個体群のほぼ26%はmtDNAハプログループ(mtHg)Hに特徴づけられました。mtHg頻度の重要な地域的変異は指摘されねばなりませんが、mtHg-HはIA北部集団ではほぼ50%となるものの、IA南部集団では30%未満となります。フランスのBAとIAとの間のmtHg-H・Jの顕著な増加も強調できます。
Y染色体系統関しては、IAにおける多様性の増加が観察されます。フランスIAデータセットでは、4つの主要なY染色体ハプログループ(YHg)が特定されました。それは、ヨーロッパ西部において新石器時代に優勢だったI1・I2・G2と、大きな割合を占めるR1b1aで、R1b1aは草原地帯関連の移住と関連しており(69%)、一方でBA男性はYHg-R1bもしくはR∗のみを有しています。それにも関わらず、BAとIAの間で観察される違いが利用可能なデータの少なさか、特定の微小進化過程とつながっている母系・父系遺伝子プールの変化のどちらに関連しているのか、不明なままです。
全体的に、まとめられた結果からは、現在のフランスの領域について、大きな移住もしくは人口集団置換ではなく、社会的変化と組み合わされた政治的および経済的危機によるBAからIAの移行を説明する考古学的仮説が補強されます。これらのゲノム結果は、このBAからIAへの文化的移行における大きな侵略・移住を除外する傾向にある、最近の考古学的仮説と一致します。じっさい、考古学的データの最近の再評価は、鉄の段階的使用(1つの物質から別の物質への急速な置換ではありません)もしくは土器の漸進的発展など、BA~IAにおける漸進的な発展を示唆してきました。シナリオを複雑にしているのは、最近の考古学的研究が、地域もしくは研究された物質の様式に基づいて、異なる文化的発展の周期的変動を明らかにしてきたことです。最後に、アルザス地域におけるEIAとLIAで収集されたゲノムデータは、IA全体の遺伝的連続性と一致します。手元のデータがアルザス地域に限定されているとしても、そうしたデータは、ラ・テーヌ文化が必ずしも人口集団・遺伝子の大規模な流入と関連しているとは限らない、という見解を支持します。
●ガリアにおけるゲノムと文化の多様性
上述のように、フランスIAデータセットで実行されたPCAは、個体群の明確な緯度分布を浮き彫りにしました(図1C)。PC2軸に投影された遺伝的分化は、フランスにおいて標本が発見された遺跡の緯度と正の相関があれます。この相関は、イベリア半島とイングランドのIA個体群を追加するとしさらに増加します(図3C)。しかし、f3統計(ムブティ人、検証集団1、検証集団2)では、起源地域との関連において個体群の明確な集団化は示されませんでした。フランスIA個体群で認識されるゲノム変異をよりよく特徴づけるため、f3統計(ムブティ人、X、検証集団)が実行され、Xは祖先的構成要素(WHGとアナトリア半島NとロシアEMBAヤムナヤ)を表します。その結果、IA南部とアナトリアNとの間でより大きな類似性を有するフランスの地域間の違いが明確に指摘されましたが、フランス北部地域のIA集団、とくにノルマンディー集団は、草原地帯遺産構成要素とより多くの類似性を示します。
これらの段階的な類似性をより正確に定量化するため、フランスIA集団の供給源人口集団として3構成要素でモデル化するqpAdm分析が実行されました。モデル化の結果は、IAフランス集団で草原地帯関連構成要素の北部から南部にかけての減少する勾配が、初期農耕民構成要素の増加と逆比例して相関する、と明確に確証します(図3A)。BAのデータ不足により、この期間について細かい地域規模でのこれらの相違を示す類似性の比較はできませんが、北部対南部という、2つの別々の集団に利用可能なデータが分散されることにより、同じ傾向を観察できるのは注目に値します(図3B)。草原地帯関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)勾配は、現代ヨーロッパの人口集団で充分に確立されており(関連記事)、少なくともBA以降フランスではよく確立されているようです。以下は本論文の図3です。
IAフランスの地域的集団もしくは個体群間の特定のゲノム類似性を検証するため、地域集団が地理的類似性により分類された個体群を表す(上述の外れ値は除外されます)f3型式(ムブティ人、地域集団、地域集団)と、Xがこの研究の個体群を表すf3型式(ムブティ人、X、X)のf3外群統計が実行されました。検証したどの形式のf3統計でも、地域集団もしくは個体群間の特定の類似性は検出されませんでした。最後に、f3統計(ムブティ人、遺跡集団、遺跡集団)も計算されました。この場合、遺跡集団はすべて、同じ遺跡内で発見された個体群を表し、再度、葬儀集団間の類似性は検出されませんでした。次に遺伝的距離に基づいてMDS(多次元尺度構成法)が実行され、遺跡間の遺伝的距離と地理的距離との間の相関は検出されませんでした。2つの行列間には相関がないという仮定(H0)での、遺伝的距離の行列と遺跡間の地理的距離の行列を比較するマンテル検定により、遺伝的距離と地理的距離両方の間で統計的相関の欠如が確証できます。
その結果、IAフランス集団で実行された全ての統計的検定は、現在のフランスの領域全体に分布する人口集団のひじょうに段階的な遺伝的構造化を浮き彫りにし、統計的に有意に区別される集団の実証を複雑にしました。この主要な観察は、この広大な領域に拡散した人口集団の共通のゲノム遺産との仮説を裏づけます。このひじょうに弱い大規模なゲノムパターンは、関連する地域間で記録された文化的変異性とは対照的で、考古学者が地中海と大西洋とハルシュタットとラ・テーヌ文化のケルト人を区別すると提案するさいに、IA全体にわたって重要であり続けました。最近の考古学的シナリオは、言語や宗教や社会関係や装飾品や金属製家具など、いくつかの同じ文化的特徴を共有する地域集団の多極的な文化発展を示唆します。BAとIAのフランス集団間で指摘された遺伝的不連続性の欠如と、IAを通じての集団の全体的な低い遺伝的構造化を組み合わせると、データは明確に、文化的および生物学的交換の豊富な網を通じてつながる地域的集団が発展する、というシナリオを補強します。
興味深いことに、地域的なフランスIA集団間の生物学的交換は、遺伝的外れ値の繰り返しの特徴づけにより補強され、男女両方が分類され、これは個体の地域間の移動性を論証するかもしれません。f3統計(ムブティ人、個体、地域)が実行され、外れ値の可能性のある各起源地が評価され、結果が図4に示されます。その結果、確かに、これらの外れ値個体と、個体の起源地の可能性があるか、その直接的祖先の起源地を表しているかもしれない他地域のフランスIA集団との間のゲノム類似性が浮き彫りになります。これらの類似性は、qpWave分析でも明らかです(図2)。以下は本論文の図4です。
興味深いことに、考古学的観点からは、同じ遺跡で発見された他の個体と遺伝的に外れ値の個体とを区別するものはありません。これは、異なる地域に由来する個体の完全な文化的統合を示唆します。それにも関わらず、外れ値個体BES1248とPECH3で、2つの例外が指摘できます。ベッサン(Bessan)遺跡のBES1248個体は単一埋葬で見つかりましたが、火葬はこの期間のフランス南部ではおもな葬儀慣行でした。しかし、ベッサン遺跡の他の唯一の成人個体(BES1249)は遺伝的外れ値として現れないので、この事例における外れ値個体と特別な葬儀特徴との間の関連について、あらゆる結論の導出を妨げます。
PECH3個体は、ペク・マホ(Pech Maho)遺跡の破壊後の儀式段階と同時代のウマ遺骸と関連する溝の充填物で発見されました。PECH3個体の外来起源の可能性はとくに興味深く、それは、ローマとカルタゴとの間の第二次ポエニ戦争との関連でペク・マホ遺跡の破壊の歴史的仮説を補強するかもしれないからです。興味深いことに以前の研究でも、イベリア半島のウリャストレット(Ullastret)遺跡の遺伝的外れ値個体(I3326、図3C)が見つかっており、地元で製作された多くのラ・テーヌ文化式の剣が発見されています。この証拠は、IA共同体における商品や人々や技術の重要な交換との見解を補強します。他方、カイヤール(Cailar)遺跡では、考古学者がウリャストレット遺跡やペク・マホ遺跡のように切断された頭部の慣行を強調しており、分析された全個体は遺伝的に均質な集団で、フランス南部で観察される遺伝的多様性内に収まります。したがって、おそらく頭部が戦利品として用いられた、これらの個体の遠方起源との仮説を裏づける遺伝的要素はありません。全てのこれら特定の事例は、IA個体群の独自性の遺伝学と考古学との間の相互関係の印象的な変異性と複雑さを浮き彫りにします。
●ヨーロッパ西部の同時代集団間の相互作用
フランスIA集団間で特徴づけられる遺伝子流動を考えて、他のヨーロッパ西部地域の集団と同等の生物学的相互作用について検証されました。PCAとqpAdm分析では、フランス南部とスペインのIA集団間、およびフランス北西部とイングランドの集団間の特別な類似性が浮き彫りになった、と確認されました(図1C)。したがって、f3統計(ムブティ人、フランスIA集団、他のIA集団)を通じてこれらの特定の類似性が調べられました。他のIA集団は、フランス以外のIA集団を表し、個体か遺跡か地域のいずれかが考慮されます。残念ながら、古ゲノムデータはドイツなどいくつかの国境地域では不充分か欠けており、この研究の部分的制約となります。
実行された検定では、記録されたヨーロッパ地域のIA集団との特定の遺伝的類似性を有意に区別できず、これは関連する全集団のひじょうに低いゲノム分化と確実に関連しています。地域集団と他のヨーロッパの同時代の集団との間で実行されたqpWave分析は、フランス北部とヨーロッパ北部(イングランドとスウェーデン)のIA集団のまとまりを浮き彫りにし、一方でフランス南部のガリア人はこのまとまりから際立っているものの、イベリア半島のケルト人とより密接なようです(図2)。最後に、ギリシアもしくはイタリアとフランスのIA人口集団間では、遺伝的類似性が見つかりませんでした。
フランス南西部とスペイン北部のIA集団間で認識されるゲノム類似性は予測されており、それは、両者がイベリア半島ラングドック(ibero-languedocian)と呼ばれる同じ文化的実体に分類されるからです。じっさい、同様の種類の土器や武器がIAにおいてピレネー山脈の両側で発見されています。さらに、各地域で見られる集落と砦はひじょうに類似しており、一部の学者は、関連集団によるイベリア語の共有使用さえ提案しています。
同様に、フランス北西部とイングランドのIA集団間で検出されたゲノム類似性は驚くべきことではありません。じっさい、フランス北西部集団は、ユルヴィル・ナックヴィルのネクロポリス(ノルマンディー)に由来する個体群により表され、そこでは、円室など特定の考古学的特徴が、イングランドIA文化圏と明確に関連しています。さらに、ノルマンディーとイングランド南部は、BAとIAにおいてよく記録された交換網の一部で、BAは大西洋BAおよびマンシュ・北海複合(Manche-Mer du Nord Complex)と呼ばれています。最後に、全員男性のユルヴィル・ナックヴィルの3個体は全て、ドーセット州(Dorset)でよく知られている、いわゆる「ドゥロトリゲス」の位置で埋葬されていた、と追加する価値があります。したがって、これらの個体がイングランド南部起源で、ユルヴィル・ナックヴィルで埋葬された全人口を表していない可能性を除外できません。
いずれにせよ、これら特定の状況で見つかった外来物質と文化的差異と他地域の遺伝子流動との間の相関は、完全なIAの考古学的景観に拡張できません。これは、フランス南部の紀元前6~紀元前4世紀頃となるペイロウ(Peyrou)のネクロポリスにとくに当てはまり、ペイロウでは、死者の葬儀の扱いと墓に供えられた物質は、この接触の断続後の、ギリシア人入植者定着の明確な証拠を提供します。しかし、ネクロポリスの分析された3個体(男女のいずれか)は、ギリシアもしくは地中海内湾個体群との特有の遺伝的類似性を示しません。興味深いことに、外れ値として際立っている個体(PEY163)は、パリ盆地個体群とより多くの類似性を有しているようで、地中海沿岸地域を示してはいませんでした(図2および図4)。この研究はペイロウ遺跡を徹底的に調べたわけではないので、より多い数の個体の分析により、ペイロウのネクロポリスにおけるギリシア人入植者の存在を浮き彫りにできる可能性は高そうです。じっさい、ギリシアの植民地はひじょうに特殊な環境で、周辺の先住人口集団はギリシア人植民者の間で住むことができました。しかし、この事例は、すでに他の期間・地域で記録されているように、葬儀慣行および/もしくは外来資料が異地性個体群の信頼できる証拠を構成しない、と再度論証しています。
重要な結果は、PCAではIAアルザス個体群の分散もより大きくなり、IA南部かIA北部かIAパリ盆地かIAシャンパーニュの集団と重なる、ということです。この分散はこの地域的集団内のより高い遺伝的多様性を示しており、より高い遺伝子流動の証拠たり得ます(図1C)。アルザス地域は通常、「交差点」、つまり通過と交換の軸として特徴づけられており、それは、歴史的にヨーロッパの西部と中央部との間の大きな交通のつながりを構成してきたライン川の存在のためです。それにも関わらず、IA期について特徴づけられた遺伝的交換は、その物質文化において特別な反響を見つけていないようです。EIAには、考古学的記録はアルザス南部とドイツ南西部(バイエルンやバーデン=ヴュルテンベルク)との間の物質交換を示唆しますが、アルプス北部はライン川流域下流との接触を共有していました。ハルシュタット期における外来として記録されてきた物質の到来(バルト地域の琥珀、地中海の珊瑚、エトルリアからの輸入品など)が南北交易の顕著な増加を証明できるならば、この種の資料はひじょうに稀なままです。したがって、近隣地域との文化的交換が実証されたとしても、遠方からの寄与は明らかに限られたままです。
●共同体の機能
フランスIA集団の局所的機能の記録を始めるため、長いROH(runs of homozygosity)を検出する分析が実行されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
4~8cM(センチモルガン)のROHの数が、中石器時代以来観察されていた一般的傾向に続いてIAは減少する傾向にある、と観察され、これは配偶人口集団および/もしくは長距離の遺伝子流動の漸進的な増加により説明される結果です。IA集団の人口統計に焦点を当てた考古学的研究はほとんどありません。それにも関わらず、葬儀のデータに関する研究では、紀元前4世紀半ば頃のわずかな減少に続く、アルプス南部とプロバンスとおそらくはローヌおよびソーヌ渓谷におけるEIA末の人口規模の増加が見つかりました。その研究では、人口規模は紀元前3世紀後半には増加傾向にあった、とも指摘されています。多数の研究でも、IAにおけるさまざまな距離での交換網の重要性が論証されてきました。それは、たとえばEIAとなるヴィクス(Vix)の墓のギリシアの青銅製壺か、あるいはLIAとなるユルヴィル・ナックヴィルで発見されたローマ式アンフォラ(両取っ手付き壺)により証明されますが、本論文のデータではそうした長距離交換の証拠は見つかりませんでした。そした出来事は、IA社会において重要な役割を果たしたものの、遺伝子プールには限定的な影響しか残さなかった少数の個体に限定されていたかもしれません。
最後に、アルザスのコルマー(Colmar)遺跡の1個体(COL 336)において異なる染色体で複数の長いROHが検出され、COL 336は1親等の近親交配の子供として解釈できます(両親が親子もしくは同じ両親のキョウダイ)。興味深いことに、コルマー遺跡には死者に副葬品もしくは武器遺構の伴わない遺構のいくつかの埋葬が含まれますが、この期間と地域で主要な葬儀慣行は、塚の小さな葬儀複合での土葬です。したがって、COL 336の観察された葬儀の扱いが同じ遺跡の他の個体と異なっていなかったとしても、追放型埋葬とみなせます。これは、この近親交配慣行をIA社会が拒絶していたことと関連しているかもしれません。これは、新石器時代のアイルランドのニューグレンジ(Newgrange)遺跡での記録とは反対で、ニューグレンジ遺跡では、最も壮観な巨石墓の一つの同族個体の存在が、複雑な首長制国家の高い階層社会の証拠として解釈されました(関連記事)。IA集団の社会組織をより詳細に調べ、歴史上の情報源と比較するためには、より網羅的なゲノムデータセットが必要になるでしょう。
●考察
この研究では、現在のフランス内に広く分布するBAとIAの個体群から49点のゲノムが回収されました。この貴重なデータセットがあるので、以前の研究(関連記事)で指摘された、フランスのBAとIAの共同体間の遺伝的不連続性を検出できませんでした。本論文のデータセットは、前期新石器時代農耕民祖先系統と逆相関する草原地帯関連祖先系統について、北方から南方への勾配も浮き彫りにしました。さらに、これらの遺産構成要素の分布と割合は、BAとIAの間で安定しています。これは、BAからIAへの移行が紀元前8世紀以降の社会的および政治的変化の結果だったことを考慮すると、最近の考古学的証拠と完全に一致します。
BA以降に移住事象の証拠を浮き彫りにできなかった場合、同じ遺伝的特徴のある人口集団と関連するこの種の事象は認識しにくいものの、地域とスペインやイングランドといった近隣集団との遺伝子流動との間で、個体規模での移動性を検出できます。ひじょうに興味深いことに、これらの遺伝的外れ値は、常に考古学的観点から区別できるわけではなく、それは共同体内で外れ値個体が完全に統合されたことを意味しているかもしれません。分析により、これら外れ値個体の起源候補地域を提案できますが、ストロンチウム同位体分析は、個体の移動性のシナリオを完成させるのに大いに役立つでしょう。
興味深いことに、これらのつながりはフランスだけではなく、ヨーロッパ西部規模でも明らかです。じっさい、フランスの北部および北西部とイングランドのIA共同体間、およびフランス南部とスペインのIA共同体間で明確な類似性を検出できました。この結果は、ユルヴィルで埋葬された円室およびいわゆるドゥロトリゲスの存在や、フランス南部におけるイベリア半島ラングドック複合など、考古学的証拠と一致します。全体的に、本論文で提案された結果が強化する見解は、「ケルト人」が、同じ共通の文化的特徴を共有し、文化的および生物学的交換網を通じてつながる地域集団間で漸進的に発展した在来BA人口集団に由来する、というものです。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
本論文の分析対象となった期間における火葬の広範な使用、遺跡間のひじょうに異なるDNA保存状態、地域間の考古学的発見の不均衡な分布のため、得られたゲノムデータセットは、地域および期間で異なって分布したままです。ただ、こうした制約があるとはいえ、古代ゲノム研究が人類史の理解の進展に大きく貢献していることも間違いないでしょう。古代ゲノム研究はユーラシア西部、とくにヨーロッパで発展しており、環境などの要因で古代ゲノム研究に適さない地域も少なくありませんが、今後の研究の進展が大いに期待されます。
参考文献:
Fischer CE. et al.(2022): Origin and mobility of Iron Age Gaulish groups in present-day France revealed through archaeogenomics. iScience, 25, 4, 104094.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.104094
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