新疆の青銅器時代以降の人口史

 現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区(以下、新疆)の青銅器時代以降の人口史に関する研究(Kumar et al., 2022)が公表されました。日本語の解説記事もあります。中国北西部に位置する新疆は、ユーラシア東西の人々の間の物質文化と農業と技術の交換において中心的な役割を果たしてきました(関連記事)。新疆地域は、北方はアルタイ山脈から南方は崑崙山脈とパミール高原に囲まれています。中央部および西部の天山山脈は新疆をジュンガル盆地とタリム盆地に分けており、ほぼ乾燥した半砂漠で構成され、川の周りに居住可能地域があり、農耕に肥沃な土地を提供しています(図1)。青銅器時代(BA)には、冶金技術が新疆を経由してアジア東部に伝わり、コムギやオオムギのような農業で重要な植物が内陸アジア山地回廊(IAMC)を経由して5000年前頃に西方から横断し、キビは東方から河西回廊を経由して新疆に入ってきた、と推定されています。新疆の青銅器時代住民の起源の理解は、これらの文化的および技術的移転がその後の数千年にわたる人口構造にもたらした変化をたどるために必要です。以下は本論文の図1です。
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 いくつかの仮説が新疆の青銅器時代人口集団の起源について提案されてきており、それは、新疆地域周辺の影響力のある文化からの移民と関連づけられてきました。北西には、アファナシェヴォ(Afanasievo)やチェムルチェク(Chemurchek)やボタイ(Botai)の草原地帯文化が存在しました。南方には、アジア中央部のオクサス(Oxus)文化もしくはバクトリア・ マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、以下BMAC)が存在しました。東方では、河西回廊周辺にシバ(Siba)文化が存在しました。この文脈で、考古学およびミトコンドリアの研究が示唆してきたのは、新疆の青銅器時代の住民と文化は在来の新石器時代基層からではなく、ユーラシア東西の人々の混合に由来していた(関連記事)一方で、青銅器時代の埋葬はユーラシア北部草原地帯文化およびアジア中央部のBMACとのつながりを示唆している、ということです。

 言語学的には、タリム盆地の紀元後5世紀~紀元後10世紀の文献で証明された、今では消滅したインド・ヨーロッパ語族であるトカラ語の存在も、新疆におけるインド・ヨーロッパ語族話者の起源と範囲に関する問題を提起しました。これまでに、タリム盆地の青銅器時代の小河(Xiaohe)墓地遺跡のミトコンドリア研究では、草原地帯とシベリア中央部両方の派生的ハプログループと、BMACからの後になっての影響の証拠が見つかっていますが、より広範なミトコンドリアの調査が示唆するのは、これらの結果が地域全体には適用できない可能性です(関連記事)。青銅器時代タリム盆地のミイラの最近のゲノム分析では、古代北ユーラシア人(ANE)の一部に由来する在来祖先系統の証拠が見つかりました(関連記事)。したがって、新疆の青銅器時代の定住のより完全な全体像を得るには、青銅器時代遺跡群の地理的に包括な収集全体にわたる、核DNAのより正確な分析を用いた詳細な調査が必要となるでしょう。

 アジア東部および西部の鉄器時代(IA)は、広範な人口移動と遺伝的混合と文化的変化により特徴づけられます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。新疆では、紀元前千年紀以前となる3150年前頃の最初の鉄製道具が、広範に分布して重要な鉄器時代遊牧民文化である、サカ人(Saka)もしくはスキタイ人など草原地帯遊牧民と関連しています。鉄器時代遊牧民文化の存在は、新疆の青銅器時代北西部およびタリム盆地南部のイリ川流域の多くの遺跡で報告されてきました。サカやフンやパジリク(Pazyryk)や匈奴やタガール(Tagar)など多くの遊牧民連合が、鉄器時代に新疆周辺地域で台頭しました。これら遊牧民文化の人々は、鉄器時代新疆において高い多様性を維持しました(関連記事)。

 これらのうち、サカ人はアンドロノヴォ(Andronovo)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化など後期青銅器時代(LBA)牧畜民の子孫で、前期青銅器時代(EBA)のシャマンカ(Shamanka)文化などバイカル湖地域人口集団とBMAC人口集団に由来する追加の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しています。サカ人は、新疆において他地域への拡大前に南部で話されていた、インド・イラン語派コータン語と関連づけられてきました。単一の鉄器時代遺跡の以前のゲノム研究は、鉄器時代新疆個体群における草原地帯関連祖先系統の存在を示唆してきました。しかし、より広範な地域について報告された高水準の遺伝的多様性と遊動性は、鉄器時代新疆人口集団の包括的な理解のための、より広い調査の必要性を浮き彫りにします。

 2200年前頃以後の期間は、月氏や匈奴や漢や突厥などの近隣勢力により、新疆地域の支配をめぐっていくつかの注目すべき闘争がありました。したがって新疆は、動的な文化的・言語的・遺伝的背景のある人口集団の過去の合流点と共存の研究にとって、重要な地域を表しています。過去5000年の文化的および技術的移行における新疆人口集団の人口統計学的変化を追跡するため、新疆全域の39ヶ所の遺跡から収集され、年代は青銅器時代および鉄器時代から歴史時代(HE)までの201点の標本から、ゲノム規模データが生成されて分析されました。


●標本

 ゲノムライブラリは、約120万ヶ所の一塩基多型(SNP)を標的とするよう濃縮され、平均網羅率は0.01~8.60倍です。その後、疑似半数体の遺伝子型が標的SNPで呼び出され、5000~1141000ヶ所のSNPが得られました。新疆全域は、北部(40点)と西部(105点)と南部(49点)と中央部(3点)と東部(3点)と未知の小地域(1点)に区分されます。年代区分は、5000~3500年前頃となる新疆BA(青銅器時代)、3500~3000年前頃となる新疆LBA(後期青銅器時代)、3000~2000年前頃となる新疆IA(鉄器時代)、2000年前頃以降となる新疆HE(歴史時代)です。

 汚染率の高い5個体が除去され、親族検定により87組の親族が特定されました。親族関係の個体については、SNPの数の多い方だけがさらなる分析に用いられ(43個体)、3万ヶ所未満の一塩基多型の2個体が廃棄された後、親族関係にない152個体が得られました。主成分分析(PCA)やADMIXTUREやf統計やqpAdmやDATESを用いて、既知の古代および現代の人口集団とともに、これら新たに配列された個体群が分析された結果、ひじょうに混合しており、ADMIXTUREを用いて、多くが独特な祖先系統を含んでいた、と観察されました。これらの観察に基づいて、新たに分析された個体群はおもにPCAにより64の下位群に分類され、近隣の遺跡や類似の期間で見つかった個体群も含めて、遺伝的に均質な個体群と特定されました。


●青銅器時代新疆は東西の草原地帯祖先系統の混合を示します

 BA新疆人口集団の起源を説明する試みは、周辺の草原地帯およびアジア中央部人口集団との類似性に焦点を当ててきました。この地域の最初のBA移民を説明するのに、二つの主要な競合する仮説が提案されてきました。草原地帯仮説では、タリム盆地は北方のアファナシェヴォ草原地帯文化により定住され、文化遺物と埋葬習慣と骨格の特徴の間の類似性からの裏づけが見つかる、と述べられています。バクトリアのオアシス仮説は、IAMC経由でつながっている、パミール高原と天山山脈全域での、新疆の西方に位置するBMAC文化との砂漠盆地環境と生計慣行の類似性を強調します。追加の考古学的証拠も、河西回廊を通っての、中国北部の現在の甘粛省と青海省、つまり甘青(GanQing)地域からのアジア東部とのつながりを示唆します。

 全て新疆の北部と西部にある、以前に刊行されたBA個体群(関連記事)および5ヶ所の遺跡の追加のLBAの7個体(3500年前頃以降)と統合された6ヶ所の遺跡のBA20個体のゲノム規模データを通じて、BA新疆人口集団の起源が調べられます(図1)。BAとLBAの新疆人口集団間の高い類似性と、ANE祖先系統をとの類似性が、PCAとf3統計の両方で観察されます。ANEは、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年(Mal'ta 1)と17000年前頃となるアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の個体(AG3)に代表され(関連記事)、その祖先系統は、草原地帯の前期~中期青銅器時代(EMBA)、つまりヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ文化とシベリア西部狩猟採集民(WSHG)にも存在しました(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 ANE祖先系統に加えて、ADMIXTUREモデル(K=7)を用いて、BA新疆個体群のさらなる3つの主要祖先系統構成要素が特定されました。それは、アジア東部狩猟採集民とイラン農耕民とアナトリア半島農耕民です(図2B)。さまざまな祖先供給源の割合を定量化するため、qpAdmモデル化分析が用いられました。混合結果と類似して、BA新疆人口集団はANE(27~91%)・アナトリア半島農耕民(8~25%)・イラン農耕民(14~26%)・アジア東部人(9~73%)と関連する4つの主要な供給源で構成されています。さらに、より近い年代のあり得る祖先供給源のモデルは、タリム盆地の小河墓地遺跡BAミイラ(新疆BA1_TMBA1)に存在する祖先系統(8~85%)、アファナシェヴォ祖先系統(57~100%)、シャマンカEBA祖先系統(10~92%)、BMACのゴヌルテペ(Gonur Tepe)遺跡個体(ゴヌル1_BA)祖先系統(43%以下)に由来する4つの主要な祖先系統供給源の混合として、新疆北部および西部のBA人口集団を描き出します(図3A)。草原地帯人口集団との遺伝的つながりは、アファナシェヴォ関連のY染色体ハプログループ(YHg)R1b1を有する10個体によっても確認されています。以下は本論文の図3です。
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 BA新疆人口集団で観察される深いANE祖先系統の存在(図3A)は、新疆BA1_TMBA1祖先系統にたどれるかもしれません。新疆BA1_TMBA1祖先系統の72%は、上部旧石器時代の個体(AG3)に由来する可能性があります(関連記事)。スルイ人(Surui)やカリティアナ人(Karitiana)といった南アメリカ大陸先住民とヨーロッパおよびシベリアの現在の人口集団に存在するANE祖先系統は、PCAおよび外群f3結果で示されるように、これらの人口集団とBA新疆人口集団との類似性を説明できるかもしれません。BA新疆人口集団のほとんどは相互と高い類似性を示し、それは外群f3統計を用いて示されるように、この時点での新疆地域の均質性の程度を論証しますが、いくつかの個体はより多様な祖先系統を示しました。3個体は、本論文のデータセットでは外れ値として機能し、標本抽出された地域ではあまり一般的ではない祖先系統か、個体群の高水準の移動性か、より小さな集団を表している可能性が高そうです。

 新疆北部の松樹溝(Songshugou)遺跡のそうした1個体(新疆BA7_oEA)は、放射性炭素年代で5043~4861年前頃となり、PCAとADMIXTUREにおいてアジア東部人との類似性を明らかにしており、f4統計により裏づけられます(図2)。qpAdmモデルでは、新疆BA7_oEAは新疆BA1_TMBA1(8%)とシャマンカEBA (92%)という2つの供給源の混合としてモデル化できますが(図3A)、アルタイ山脈北部のチェムルチェク(Chemurchek)文化個体群に存在する新石器時代モンゴル祖先系統(モンゴルN東)を用いてはモデル化できません(関連記事)。

 混合事象の時期を計算するDATESを用いての混合時期の推定では、6754~6041年前頃との年代が得られ、これは草原地帯祖先系統の到来前の新疆に、バイカル湖地域に広く分布していたアジア北東部祖先系統を位置づけるかもしれません。さらに、新疆西部のイリ川流域でアファナシェヴォ文化関連個体(新疆BA5_oSte)が確認されました(図2A)。この個体はPCAで直接的に草原地帯EMBAのアファナシェヴォ文化およびヤムナヤ文化の人口集団と重なり、現在のシベリアの人口集団とよりも、現在のヨーロッパの人口集団の方と多くの遺伝的浮動を共有します。じっさい、f3類似性検定とf4統計で観察されるように、この草原地帯関連祖先系統は他の西部草原地帯人口集団ではなくアファナシェヴォ文化個体群に由来する、と示されます。

 qpAdmで混合割合を推定すると、新疆BA5_oSteは混合されていないアファナシェヴォ祖先系統を有するとモデル化できる、と観察されました(図3A)。アジア東部および草原地帯EMBAとの類似性を有する外れ値に加えて、チャナングオール(Chananguole)遺跡のチェムルチェク文化の2個体(新疆BA6_aBMAC)は、放射性炭素年代で4352~4096年前頃となり、PCAとADMIXTUREではBMAC人口集団との高い類似性を示し、同様にqpAdmモデル化では43%のBMAC祖先系統が必要とされます。BMAC祖先系統の内容は、近隣の現代モンゴルに位置するヤグシイン・フゥドゥー(Yagshiin Huduu)遺跡の同時代のチェムルチェク文化関連2個体で報告されたものと類似しており、これは、アルタイ山脈南部のチェムルチェク文化人口集団との連続性を論証し、BA新疆人口集団におけるBMAC祖先系統を確証します。

 DATES分析では、ボタイ文化集団とBMAC集団の混合が5281~4575年前頃に起きた、と推定されています。BA新疆標本のアファナシェヴォ文化関連集団との混合の推定平均年代は、4877~4642年前頃です。混合の推定時期は、アファナシェヴォ文化とチェムルチェク文化がアルタイ地域の近くで発展中だったのと類似の時期に草原地帯関連の人々を新疆北部および西部に位置づけます。これらの結果は、5000年前頃となるトカラ語の言語系統学的分岐時期と一致し、新疆におけるインド・ヨーロッパ語族のトカラ語の到来が、ヨーロッパにおけるインド・ヨーロッパ語族の出現よりも早いことを裏づけるかもしれません。

 BA新疆人口集団の4つの主要な祖先系統構成要素(ANEとアジア東部狩猟採集民とイラン農耕民とアナトリア半島農耕民)の特定後、経時的なこれら祖先系統の割合変化が追跡されました。草原地帯の中期~後期青銅器時代(MLBA)の祖先系統は、アンドロノヴォ(Andronovo)およびシンタシュタの牧畜文化により特徴づけられ、それは草原地帯東部に遅くとも3000年前頃までに到達し、考古学的証拠も新疆におけるその存在を示唆してきました。アンドロノヴォ文化およびシンタシュタ文化関連祖先系統は、ユーラシア西部から到来したアナトリア半島農耕民関連構成要素が増加している点で、EBA牧畜民とは異なります。PCAとADMIXTUREとf3およびf4統計の結果によると(図2)、新疆北部および西部のLBAの7個体は、草原地帯MLBA人口集団と同様に、イラン農耕民関連祖先系統とともにアナトリア半島農耕民関連祖先系統の増加を示しました。

 これら7個体は、その遺伝的類似性によると、4つの下位群に分けられます。機能するqpAdmでは、高水準の草原地帯MLBA祖先系統がさらに観察され、残りの祖先系統は、新疆BA7_oEAもしくはシャマンカ関連の人々(7~12%)とBMAC集団(12%)に由来します(図3A)。さらに、新疆西部の単一の新疆LBA3人口集団は、草原地帯EMBAアファナシェヴォ文化祖先系統(88%)とアジア東部祖先系統(12%)を用いてモデル化でき(図3A)、草原地帯MLBA 祖先系統の流入にも関わらず、BAとMLBAの人口集団間の連続性が示唆されます。とくに、イリ川西方の吉仁台溝口(Jirentaigoukou)遺跡の1個体(新疆LBA4)は、シンタシュタ文化集団との単一供給源モデルとして機能し、アンドロノヴォ文化集団よりもシンタシュタ文化集団の方との高い類似性と、新疆におけるアンドロノヴォ文化とシンタシュタ文化両方の存在の可能性を示唆します。

 これらの結果は、新疆地域全体の広範な標本抽出に基づいており、深いANE関連祖先系統を含むタリム盆地におけるBA人口集団を示し、少なくとも新疆北部と西部に現れるEBAバイカル湖地域と類似のアジア北東部祖先系統が伴っています。アファナシェヴォ文化およびBMAC 関連人口集団とのIAMC沿いの追加の移動と混合も報告され、新疆の定住についての草原地帯とバクトリアのオアシス両方の仮説の側面が確証されます。LBAには、草原地帯MLBA祖先系統の追加の流入を伴う既存の遺伝的特性の継続が見つかります。


●遊牧民の草原地帯文化との鉄器時代の混合

 紀元前千年紀初期に起きた鉄器時代(IA)への移行は、新疆周辺のさまざまな遊牧民集団の確立により特徴づけられます。この期間には移動性が高まって、ユーラシア東西の人口集団間の接続性増加につながり、それはウマの使用がますます広がったことと、新疆と近隣地域をつなぐいくつかの自然の山道により促進されたかもしれません。新疆の西方のIAMCとパミール高原地域は、新疆においてアジア中央部をタリム盆地とつなぐBA経路として提案されてきました。新疆における経時的なアジア中央部BMAC関連祖先系統の程度を特徴づけると、これらの地域間の社会および文化的接続の発展についての情報が提供されます。新疆全域のIAの98個体(図1)の分析により、新疆人口集団についてこれら提案された相互作用の影響が調べられました。

 まず、新疆IAと新疆BAの人口集団間の関係が調べられました。PCAでは、新疆IA個体群は地理的には充分に区別されず東西の勾配に沿って位置し、草原地帯MLBAおよび草原地帯EMBA人口集団のまとまりに囲まれる、新疆BAのまとまりと密接に分類されます(図2A)。IA新疆人口集団は、新疆における多様な祖先系統の共存を示しており、草原地帯かアジア東部かアジア中央部の人口集団との類似性を有し、37の下位群に分類されます(図2A)。

 MLBA に確立した傾向に基づいて、IA新疆人口集団はさらに、アナトリア半島農耕民およびイラン農耕民関連祖先系統の割合増加により特徴づけることができ、ADMIXTUREとqpAdmの結果で明らかなアジア東部関連祖先系統の追加の増加が伴います(図2A)。外群f3検定では、これらの個体のほとんどは、古代の草原地帯関連人口集団、現代のヨーロッパ人およびシベリア人と最も多くのアレル(対立遺伝子)を共有します。しかし、いくつかの個体は、ADMIXTUREとf3統計でアジア東部との類似性増加を示し、鉄器時代における新疆へのアジア東部祖先系統のかなりの流入を裏づけます。

 LBAとIAの人口集団間の遺伝的関係をよりよく定義するため、新疆BAと新疆LBAがqpAdmモデルの代理供給源として用いられ、IA新疆個体群は、新疆LBA1人口集団を用いて、新疆BA1_TMBA1かアジア東部かBMACかインダス川流域の供給源からの追加の祖先系統でモデル化できる、と観察されます。これは、IAへの新疆LBAの遺伝的連続性を論証しており、アジア東部および中央部からの追加の遺伝的寄与が伴います。

 新疆LBAと同様に、IAで観察される顕著な祖先系統は3供給源に由来します。それは、草原地帯MLBA(55%)、BMAC(18%)、新疆IA1(18ヶ所の遺跡の43個体)に代表されるシャマンカEBA(27%)です。2個体かそれ以上の他の下位群は、アジア東部人口集団(32~60%)か草原地帯MLBA人口集団(24~56%)のどちらかとの類似性を示しますが、一部の機能するモデルでは、BMAC祖先系統は新疆BA1_TMBA1祖先系統(13~26%)に置換されます(図3A)。さらに、PCAとADMIXTUREの図で示されるように独特な祖先系統を有する外れ値(_oで示されます)21個体は、上述の基本3供給源(草原地帯MLBAとBMACとシャマンカEBA)の1つもしくは2つと高い類似性を示すか、qpAdmモデルで示されるように、草原地帯EMBAもしくはサカ人口集団により表される独特な祖先系統を含んでいます(図3A)。

 新疆LBA人口集団への草原地帯MLBA 供給源の流入が特定されたので、新疆IA人口集団における中核となる草原地帯祖先系統の影響がさらに調べられました。IA新疆人口集団の草原地帯EMBAと草原地帯MLBAとの間の類似性を区別するため、EMBA草原地帯人口集団におけるアナトリア半島農耕民的な祖先系統の既知の欠如が用いられました。ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の上部旧石器時代の38700~36200年前頃となる男性個体(関連記事)に、アナトリア半島農耕民祖先系統が欠如している外群f3統計(アナトリア半島農耕民、検証X;ムブティ人)および(コステンキ14、検証X;ムブティ人)を用いてこの検証が実行されました。その結果、アナトリア半島農耕民との新疆IAのより大きな類似性が裏づけられ、より最近の草原地帯MLBA祖先系統が新疆IA人口集団の大半と結びつけられます。f4統計に基づく手法を用いて、新疆BA人口集団と比較しての、新疆IAにおけるWSHGとの類似性増加に伴う、アナトリア半島農耕民およびイラン農耕民関連祖先系統の増加の勾配も観察されました。

 qpAdmモデルも、新疆人口集団の一部における43%に達するアナトリア半島農耕民祖先系統構成要素の増加と、38%のイラン農耕民構成要素を確証します。IAで見つかる草原地帯MLBA祖先系統は、異なる草原地帯MLBAのYHg-R1a1(30個体)の存在と、BA人口集団とよりも草原地帯MLBAの方との外群f3統計での大きな類似性によって、さらに裏づけられます。qpAdmモデルでアファナシェヴォ文化関連祖先系統を有するIAの7つの人口集団と、草原地帯EMBAのYHg(R1b1)を有する3個体が特定されました。追加のシャマンカEBA祖先系統を有するIAの4人口集団(ABST_IA2_oIA1、新疆IA8_aEA、新疆IA10_aEA、新疆IA12_ aSte)における、アファナシェヴォ文化およびアンドロノヴォ文化とのモデルも見つかりました。DATESの結果から、新疆IA10_aEAの混合事象は4351~3177年前頃に起きたと示唆され、これは改善のために追加のIA個体群の標本抽出を必要とする広範囲となります。中核となる草原地帯EMBA祖先系統の連続性は、IA新疆へのインド・ヨーロッパ語族の持続性を裏づけるかもしれません。

 IAはf4統計比較でBMAC祖先系統の頻度増加も示します。IAの7つの人口集団はBMAC祖先系統(30~47%)を含んでいると分かり、インダス川流域祖先系統供給源SPGTとゴヌル2BA(18~37%)を有する2供給源を用いてモデル化できる、4つのIA人口集団が観察されました。BMAC祖先系統の出現の増加は、IAにおけるBMACもしくはインダス川流域から派生する人口集団の新疆地域へのかなりの移動を示唆し、最も可能性が高いのはパミール高原と天山山脈を越えてのIAMC経路です。とくに、IAの9個体は以前に特定されたサカ文化人口集団と遺伝的に類似していると分かり、この9個体はqpAdmを用いて天山山脈およびサカ文化集団で単一の供給源としてモデル化できます。

 上述の結果をまとめると、複数のアジア中央部・南部・東部供給源に由来する、IAの新疆において出現する外部祖先系統の増加が示され、人口統計学的接触および周辺地域の集団間の交換拡大を論証し、サカ文化や匈奴などIA遊牧民は重要な役割を果たしました。さらに、言語の拡大は常に人口史と一致しているわけではありませんが(関連記事)、新疆IA人口集団におけるサカ関連祖先系統の存在は、サカ文化で話されており、後にこの地域において証明された、インド・イラン語派コータン語の到来を裏づけます。


●青銅器時代から鉄器時代にかけて増加したアジア東部祖先系統

 新疆および甘青の近隣地域における類似の銅器および青銅器物質の考古学的発見は、アジア東部との重要なつながり、および現在の中国北西部への冶金技術導入の可能性を示唆します。そうした物質とともに、この地域におけるアジア東部祖先系統の存在と程度は、アジア東部のさまざまな地域とのBAとIAの新疆人口集団間の移動と接触の定義にとって重要です。シベリアのバイカル湖地域(シャマンカ文化)のアジア北東部祖先系統はBA新疆人口集団に存在し、主要な草原地帯祖先系統とは別に、いくつかの混合モデルもアジア北東部祖先系統を必要とします(図3A)。

 新疆北部の松樹溝遺跡では、BAの1個体(新疆BA7_oEA)の92%は、シャマンカEBAからの供給でモデル化できます(図3A)。IAには、アジア東部祖先系統構成要素の増加が、新疆標本群で頻繁に観察され、PCAでは新疆IA個体群の分布はアジア東部祖先系統増加の西から東の勾配に位置します(図2A)。BAと比較してのアジア東部祖先系統のこの増加はADMIXTURE分析でも観察され(図2B)、外群f3統計で裏づけられます。アジア東部関連祖先系統と草原地帯関連祖先系統両方の優勢は、f4統計(WSH、シャマンカEN;新疆集団、ムブティ人)および(WSH、BMACおよびインダス川流域;新疆集団、ムブティ人)を用いての比較によりさらに裏づけられ、IA人口集団では、アジア東部人との類似性をより多く有する一群と、草原地帯関連人口集団との類似性をより多く有する一群との、2群に分離します。

 古代アジア東部人口集団の中で、新疆BAおよびIA人口集団のほとんどは外群f3統計で、アジア東部北方の淄博(Boshan)遺跡もしくはアジア東部南方のマンバク(Man_Bac)遺跡人口集団とよりも、シャマンカENやロコモティフ(Lokomotiv)Nや悪魔の門洞窟Nなどシベリアの古代アジア北東部新石器時代(N)人口集団、および匈奴のような草原地帯東部IA人口集団の方と高い類似性を示します。現在のアジア東部人口集団の中で、古代新疆人口集団は一般的に、カンボジア人のようなオーストロアジア語族話者や、傣人(Dai)のようなタイ・カダイ語族話者とよりも、ウイグル人、アミ人(Ami)のようなオーストロネシア語族話者、シェ人(She)のようなミャオ・ヤオ(Hmong-Mien)語族話者、漢人のようなシナ・チベット語族話者の人口集団の方と、最高の類似性を示します。新疆の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)では、北部と南部と西部の68個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)のC・D・M・Nと、南部と東部の4個体のYHg-O2a2bも、新疆における最高水準のアジア東部祖先系統を反映しています。

 QpAdmモデルは、BA新疆で見つかるアジア東部祖先系統の主要な供給源が、新石器時代モンゴル(モンゴルN)やバイカル湖地域(シャマンカEN)や黄河(黄河MN)人口集団で一般的なアジア北東部祖先系統と類似している、と明らかにしました。対照的に、IA人口集団のアジア東部構成要素はより多様です。一部の人口集団のモデルは匈奴もしくはシャマンカEBA(新疆IA14_aSteなど)からの祖先系統を裏づけますが、他のIA人口集団は、新疆IA3_aEAなど匈奴(および漢人関連人口集団)かシャマンカEBA(新疆IA4_aEAと新疆IA7_aEAなど)でのみ機能します。IA新疆における匈奴関連祖先系統の出現は、甘粛省とタリム盆地における月氏の敗北後の、2200年前頃以降となる匈奴の西方への拡大と一致します。BAのアジア北東部祖先系統の継続的存在に加えて、IAに始まる広範なアジア東部祖先系統の増加は、外群f3統計で観察されます。これは以前に匈奴で報告された漢人関連祖先系統構成要素の結果かもしれませんが(関連記事)、本論文の結果は、これらアジア東部の流れを特定の人口集団まで追跡できず、この期間における新疆への追加のアジア東部集団の移動の可能性を除外できません。


●歴史時代の人口集団における鉄器時代混合祖先系統の遺伝的連続性

 IA新疆人口集団についての本論文の分析は、新疆全域の強い移動性と遺伝的交換を明らかにしており、アジア東部および南部からの祖先系統の寄与が高まっています。歴史時代(HE)のIA後の人口集団のゲノムデータはほとんど存在しませんが、この情報は、IA後の人口統計学的変化が歴史的な人口集団と新疆現代人のゲノム多様性に及ぼした寄与の追跡に重要です。新疆の政治的支配は、匈奴と漢王朝の間で紀元後3世紀まで受け継がれ、紀元後6世紀には突厥汗国が新疆全域の支配を確立し、後には唐王朝により駆逐されました。その後の数世紀、新疆はチベットやウイグルやモンゴルのさまざまな影響を受けました。これらの事象が新疆人口集団に与えたかもしれない影響を記録するため、15ヶ所の遺跡の歴史時代27個体(新疆HE)が配列され、分析されました。これら新疆HE個体群は新疆IA個体群とまとまり、同様に天山サカ人やフン人や中央部サカ人などの草原地帯遊牧民集団とPCAで重なりました(図2A)。

 IA個体群と同様に、新疆HE人口集団は外群f3統計では草原地帯MLBA人口集団および現代ヨーロッパ人と最も多くのアレルを共有しており、外れ値個体はアジア東部もしくはアジア中央部人口集団のどちらかとより多くの類似性を示します。f4統計(ゴヌル1BA、ゴヌル2BA;新疆HE、ムブティ人)を用いてのアジア南部および中央部の祖先系統の比較は、BMAC(ゴヌル1BA)祖先系統とよりもインダス川流域(ゴヌル2BA)祖先系統とより高い類似性を有する2個体(AYSG_ HE_oEAとBYH_HE_oEA)を示しました。

 IAに存在した祖先系統と同様に、草原地帯EMBAもしくは草原地帯MLBA(17~73%)と、BMAC(10~33%)と、アジア東部(9~57%)の主要な3祖先系統供給源が観察され、いくつかの例外があります(図3A)。HEの27個体は16の下位群に分類され、独特な祖先系統を示すHE個体群と人口集団が別々に分析されました。HEの2個体は、イリ川のJMCY_HE2_ oIranと新疆北東部のBYH_HE_oEAというSPGT人口集団に由来するかなりの量の祖先系統を共有しており、新疆へのアジア南部および中央部祖先系統の継続的流入を示唆しているかもしれません(図3A)。

 草原地帯MLBAの影響に加えて、いくつかのqpAdmの機能するモデルが見つかりました。そのモデルでは、構成要素の一つとして草原地帯EMBAもしくは新疆BA1_TMBA1祖先系統が含まれ、そのうち2個体もYHg-R1b1です。HEイリ川地域の1個体も、アファナシェヴォ文化もしくは新疆BA1_TMBA1祖先系統(18~39%)と新疆LBA1(アンドロノヴォ文化)もしくはシンタシュタLBA祖先系統(29~63%)供給源の両方を有する、機能するqpAdmモデルで特定されました。それは、qpAdmモデルが外群としてアファナシェヴォ文化関連祖先系統で機能するからです。タリム盆地EMBA祖先系統(16~34%)とアンドロノヴォ文化関連祖先系統(22~63%)を有する7つの人口集団も特定されました。まとめると、これらの調査結果は、HEへと持続する最初の波の草原地帯EMBA祖先系統の事例を記録します。

 これら祖先系統の変化が表現型に影響を及ぼした可能性の研究のため、HIrisPlex-Sシステムを用いて、全期間のより高い網羅率の個体(38~64)で予測される目と髪と肌の色素沈着が調べられました。新疆北部と西部におけるより明るい髪と肌の出現はLBAに始まり、IAへと継続する、と観察されました。青い目のアレルも、これらの地域で遅くともIAには出現し、IA標本の1~2個体は、イリ川地域で青い目を有していました。明るい目と髪の色素沈着は、以前には草原地帯MLBAのアンドロノヴォ文化と関連する人々で特定されており、新疆で新たに特定された青い目の個体の一部はアンドロノヴォ文化と関連しています。新疆全地域のわずか5点のHE標本の表現型結果しかありませんが、注目されるのは、5個体全てがより暗い髪と目の色素沈着を有しており、アジア東部・南部・中央部からの祖先系統増加の期間と対応していることですが、これはひじょうに小さい標本規模のため慎重に解釈されます。

 とくに、IAにおいて特定された祖先系統供給源、つまり草原地帯とBMACとアジア東部も、現代新疆のウイグル人で観察され、IAから現代の新疆人口集団の遺伝的連続性が示唆されます。現代の新疆人口集団とのPCAでは、HE個体群は、アジア中央部のタジキスタンとカザフスタンとウズベキスタンの人々、トルクメン人、新疆のウイグル人、現代ウイグル人とより大きな浮動が共有された、より多くの草原地帯関連類似性を有する個体群と重なりました。

 したがって、IA後の新疆のいくつかの遊牧民集団による複数の影響にも関わらず、IAに存在した混合祖先系統がHE新疆人口集団にも存在し、IAでのアジア中央部および東部祖先系統の影響増加が、依然としてHEと現代の新疆人口集団間で共有されているという点で、驚くべき程度の遺伝的連続性が見つかります。しかし要注意なのは、本論文のHE遺跡の標本規模が、BAおよびIAの遺跡群の標本規模ほど堅牢ではないことです。より大きな地理的領域を網羅するより広範な分析によって、現在のデータセットで観察された傾向をよりよく検証できます。


●考察

 先住のANEに由来する人口集団とBA西部および草原地帯東部人口集団にたどれる祖先供給源で始まり、新疆の人口構造は、侵入してくる遺伝子流動と、現存祖先系統に追加する周辺地域人口集団からの混合の波により、特徴づけることができます。BA新疆地域には主要な4祖先系統があり、それには、タリム盆地EMBA1(新疆BA1_TMBA1)とアファナシェヴォ文化(BA5_oAfan)とアジア北東部(新疆BA7_oEA)とBMAC(新疆Xinj_BA6_aBMAC)が含まれ、多様なBA個体群での存在を考えると、タリム盆地EMBA1は新疆在来の可能性があります(図3B)。アルタイ地域近くのモンゴルのチェムルチェク文化住民は、BA新疆北部のチェムルチェク文化を通じてさらに新疆とつながっており、アルタイ地域全体での人々のBAにおける移動を論証します。したがって、草原地帯仮説とバクトリアのオアシス仮説の両方の裏づけが見つかるだけではなく、追加の祖先系統の特定は、新疆におけるEBA人口集団のさらなる複雑さを示唆します。BAよりも前とEBAの人口集団の追加の標本抽出が、この期間に新疆で確立した祖先系統の継承をさらに特徴づけるのに必要でしょう。

 その後のLBAでは、アジア中央部のBMAC人口集団に存在した祖先系統がより顕著になっていき、IAMC経路を通って、アンドロノヴォ文化やシンタシュタ文化やカザフスタン東部のダリ(Dali)遺跡(ボタイ文化集団関連祖先系統)といった人口集団など、草原地帯MLBA人口集団とともに新疆に入ってきた可能性が高そうです(図3B)。新疆への草原地帯MLBAの侵入(3900年前頃)は、アンドロノヴォ文化の下位区分文化であるフョードロヴォ(Fedorovo)文化(3750~3500年前頃)の天山山脈からの到来と相関しています。

 IAは、新疆地域への、草原地帯とアジア中央部および東部の人々の移動と混合の増加により特徴づけられます。IAには、BMAC祖先系統を含むアジア中央部人口集団とのより大きな遺伝的類似性を有する、草原地帯MLBA祖先系統の連続が見られました。LBAとIAにはアジア南部狩猟採集民のオンゲ人に由来する祖先系統も観察され、新疆南部へと、すでにこの祖先系統を有するアジア中央部人口集団か、パミール高原地域経由でのインダス川流域人口集団の移動が示唆されます。同時に、現在のモンゴルとなる草原地帯東部からのアジア東部祖先系統のIAの流入も観察され、新疆へのパジリク(Pazyrk)匈奴の西方への拡大と関連しているかもしれません。IAに確立した、草原地帯およびアジア東部・中央部の人々と関連するこれらの混合祖先系統は、その時以来維持されており、HEと現代両方の新疆では依然として一般的で、過去と現在の人口集団を結びつけます。この再構築された人口史の側面には考古学的記録の裏づけが見られますが、新たに生成されたゲノムデータと以前の考古学および歴史の証拠との比較により、いくつかの洞察が得られます。

 第一に、文化の拡散が常に人口移動を伴うわけではないものの、新疆人口集団における文化拡散と人口移動との間の全体的な一致が観察されます。たとえば、新疆北部および西部人口集団の最初の定住に存在した主要な遺伝的影響は、アファナシェヴォ文化やチェムルチェク文化やオクネヴォ(Okunevo)文化など、さまざまな文化的背景を有する人々の共存と関連している可能性があります(図3A)。また、人口集団の祖先系統における変化は、提案された人口移動と関連づけることができます。具体的には、BA個体群におけるアファナシェヴォ文化関連祖先系統は、アルタイ・サイ(Altai-Sai)地域におけるヤムナヤ文化の同時の出現と一致しており、LBA個体群における草原地帯MLBA祖先系統は、新疆への草原地帯MLBA文化の拡大に起因する可能性があります。

 IAには、サカ人など遊牧民集団との遺伝的類似性が、草原地帯全体のこれら集団の広範な存在を明らかにします。全体的に、IAとHEに存続したタリム盆地EMBA祖先系統が検出され、新疆における草原地帯とEMBAとBMACと在来のタリム盆地EMBAの人々の子孫である人口集団の共存が示唆されます。これらの調査結果も、新疆における多くの言語拡大の根底にある広範な人口統計学的過程にゲノム証拠を与えます。アファナシェヴォ文化と関連する人口集団によりもたらされたトカラ語などそうした言語は、HEにも存続しました。IAにおけるサカ人の移動性の増加と、HEへと続くサカ人の国家は、新疆でもコータン語などインド・ヨーロッパ語族の拡大に寄与しました。

 本論文で記録された広範な人口移動にも関わらず、新疆で過去5000年間に維持されてきた遺伝的連続性の程度は注目に値します。アジア北東部など、比較的高い文化的均質性を有する孤立した環境もしくは地域で遺伝的連続性が観察されてきましたが(関連記事)、多様な祖先系統を有する人口集団間の動的な相互作用は、オセアニア諸島やヨーロッパなどで見られるように、大きな人口集団の変化と置換をもたらす可能性がより高そうです(関連記事1および関連記事2)。

 しかし、これは新疆人口集団には当てはまらず、遺伝的連続性の少なくとも二つの異なる事例が観察されます。その最初は、BA個体群からLBAおよびIA個体群への遺伝的連続性(草原地帯祖先系統)で、中核となる草原地帯祖先系統が多様な祖先系統の広範な流入の追加にも関わらず維持された事例を表します。第二の事例は、過去2000年の連続的な外部支配勢力の混乱にも関わらず、HEから現代の新疆人口集団の多様性の安定性です。そのおもな理由は、この混合祖先系統が新疆だけではなく、アジア中央部全体で一般的だったので、動的な人口移動が大きな遺伝的変化をもたらさなかった、ということにあるかもしれません。これらの調査結果が示唆するのは、遺伝学的および考古学的証拠が異なるものの補完的な洞察を人口史に提供できる、ということです。これは次に、さまざまな人口集団と文化との間の持続的相互作用が起きた新疆のような地域の複雑な歴史を明らかにするための、学際的手法の重要性をさらに強調します。


参考文献:
Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534

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