柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』
中公新書の一冊として、中央公論新社より2021年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はおもに秦と漢の日常史を詳しく解説しますが、門外漢には、古代の漢文史料にも当時の庶民の具体的な日常生活を復元できる記述が少なからずあることは意外でした。本書は考古学の成果も踏まえて、当時の日常生活を詳しく復元しており、もちろん現代と当時では日常生活に大きな違いがありますが、一方で同じく農耕開始以降の人間生活だけに共通点も多く、身近に思えるところが少なくありません。また、本書は一般向けであることを強く意識してか全体的に平易な叙述にしており、その点でも当時の生活を身近に感じられるようになっています。
本書で意外だったのが高齢者の割合で、本書の記述に従うと、前漢の山東半島近くの東海郡では、90歳以上の割合が0.765%になります。2017年時点で、世界で最も高齢化が進展しているとされる日本において、全人口に占める90歳以上の割合が1.6%、アメリカ合衆国では0.8%ですから、本書の記述に従うと、前漢の東海郡は前近代としては異例の高齢化社会のようにも思います。もちろん、前近代社会の平均寿命の短さは子供の死亡率の高さに起因しますし、15歳まで生き延びれば、社会が安定していた場合には60歳以上まで生きる可能性は低くなかったでしょうが、それにしても意外なほどの高齢者の割合の高さです。なお、ある研究によると、江戸時代の仙台藩では全人口に占める90歳以上の割合が0.029%です。また、当時の人口調査の信頼性の問題もあります。この件に関する疑問は私の無知に起因するかもしれないので、今後どこかで参考文献を読んだ時に改めて調べてみたい問題です。
当時の食糧に関しては、コムギがどれほど食べられたかは疑問とされています。コムギの粉食は唐代以降に盛んになったと言われているそうですが、漢代にもコムギの粉食はあった、との見解もあるそうです。本書は、漢代にコムギがまったく食べられていなかったとは考えにくいものの、その普及度は過大視できず、コムギの粉食は漢代から唐代にかけて漸増したのだろう、と指摘します。食性分析から春秋戦国時代における性差の拡大を示した研究では、漢代においてコムギ・オオムギ・マメ類は貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧で、漢代末には製粉技術の革新によりコムギは麺類に用いられる価値の高い食材と認識されるようになった、と指摘されています(関連記事)。
なお、本書では「春秋時代までは山東半島にヨーロッパ系に連なる人びとの痕跡もあるが、秦漢時代にはそれもなくなり、現代中国人に連なる人びとが圧倒的になってゆく」とされていますが、この研究は古く、後に間違っていると指摘されており(関連記事)、最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する研究でも、春秋時代の山東半島に「ヨーロッパ系に連なる人びと」が存在した痕跡は示されていません(関連記事)。当時の人々の容貌については、色白が高く評価されていたようで、色白志向が単にヨーロッパを規範とする近代化に起因するものではなく、根深いものであることを示唆します。出展を忘れましたが、薄い肌の色を好むのは通文化的との研究があり、現生人類(Homo sapiens)では時代と地域を問わず広く見られる傾向かもしれません。
当時の農業は地域差があったようで、華北では雨水に依拠する畑作(天水農業)が中心でした。華北では、夏に雨が降り、穀物とともに雑草も田畑で繁茂するだけではなく、土壌の乾燥化・砂漠化の起きやすい黄土での耕作が必要となることなどから、農作業は重労働だったようです。華南では水田稲作が盛んで、焼畑が行なわれた地域もありました。穀物以外の農民の収入源にはおもに麻と絹を対象とした織物業がありましたが、アワなどと麻や桑とは栽培の時期や場所が重なりやすく、一般農家における織物業の生産量は多くなかったようです。織物業以外には、漁業や狩猟も農業と兼業されていました。
当時の性愛については、少なくとも上層階級では同性愛がそれほど差別されていたわけではなく、比較的多様だったようです。ただ、不特定多数との乱交や獣姦や近親相姦は倫理に反するとされ、イトコ同士の性交も罪となりました。これは、支配層で近親婚が盛んだった古代日本とは対照的です。現代日本社会ではイトコ同士の婚姻が認められており、これは近親婚を禁忌とする社会からは奇異に見えるのかもしれません。近親婚の禁忌は時代・地域・階層によりかなりの違いがあり、興味深い問題なので、今後も少しずつ調べていくつもりです。
本書で意外だったのが高齢者の割合で、本書の記述に従うと、前漢の山東半島近くの東海郡では、90歳以上の割合が0.765%になります。2017年時点で、世界で最も高齢化が進展しているとされる日本において、全人口に占める90歳以上の割合が1.6%、アメリカ合衆国では0.8%ですから、本書の記述に従うと、前漢の東海郡は前近代としては異例の高齢化社会のようにも思います。もちろん、前近代社会の平均寿命の短さは子供の死亡率の高さに起因しますし、15歳まで生き延びれば、社会が安定していた場合には60歳以上まで生きる可能性は低くなかったでしょうが、それにしても意外なほどの高齢者の割合の高さです。なお、ある研究によると、江戸時代の仙台藩では全人口に占める90歳以上の割合が0.029%です。また、当時の人口調査の信頼性の問題もあります。この件に関する疑問は私の無知に起因するかもしれないので、今後どこかで参考文献を読んだ時に改めて調べてみたい問題です。
当時の食糧に関しては、コムギがどれほど食べられたかは疑問とされています。コムギの粉食は唐代以降に盛んになったと言われているそうですが、漢代にもコムギの粉食はあった、との見解もあるそうです。本書は、漢代にコムギがまったく食べられていなかったとは考えにくいものの、その普及度は過大視できず、コムギの粉食は漢代から唐代にかけて漸増したのだろう、と指摘します。食性分析から春秋戦国時代における性差の拡大を示した研究では、漢代においてコムギ・オオムギ・マメ類は貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧で、漢代末には製粉技術の革新によりコムギは麺類に用いられる価値の高い食材と認識されるようになった、と指摘されています(関連記事)。
なお、本書では「春秋時代までは山東半島にヨーロッパ系に連なる人びとの痕跡もあるが、秦漢時代にはそれもなくなり、現代中国人に連なる人びとが圧倒的になってゆく」とされていますが、この研究は古く、後に間違っていると指摘されており(関連記事)、最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する研究でも、春秋時代の山東半島に「ヨーロッパ系に連なる人びと」が存在した痕跡は示されていません(関連記事)。当時の人々の容貌については、色白が高く評価されていたようで、色白志向が単にヨーロッパを規範とする近代化に起因するものではなく、根深いものであることを示唆します。出展を忘れましたが、薄い肌の色を好むのは通文化的との研究があり、現生人類(Homo sapiens)では時代と地域を問わず広く見られる傾向かもしれません。
当時の農業は地域差があったようで、華北では雨水に依拠する畑作(天水農業)が中心でした。華北では、夏に雨が降り、穀物とともに雑草も田畑で繁茂するだけではなく、土壌の乾燥化・砂漠化の起きやすい黄土での耕作が必要となることなどから、農作業は重労働だったようです。華南では水田稲作が盛んで、焼畑が行なわれた地域もありました。穀物以外の農民の収入源にはおもに麻と絹を対象とした織物業がありましたが、アワなどと麻や桑とは栽培の時期や場所が重なりやすく、一般農家における織物業の生産量は多くなかったようです。織物業以外には、漁業や狩猟も農業と兼業されていました。
当時の性愛については、少なくとも上層階級では同性愛がそれほど差別されていたわけではなく、比較的多様だったようです。ただ、不特定多数との乱交や獣姦や近親相姦は倫理に反するとされ、イトコ同士の性交も罪となりました。これは、支配層で近親婚が盛んだった古代日本とは対照的です。現代日本社会ではイトコ同士の婚姻が認められており、これは近親婚を禁忌とする社会からは奇異に見えるのかもしれません。近親婚の禁忌は時代・地域・階層によりかなりの違いがあり、興味深い問題なので、今後も少しずつ調べていくつもりです。
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