アフリカ東部狩猟採集民の農耕へのさまざまな対応

 アフリカ東部狩猟採集民の農耕へのさまざまな対応に関する研究(Gopalan et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。農耕と牧畜の台頭に続く狩猟採集民人口集団の運命は、ヒトの先史時代の研究において依然として議論の的になっています。古代と現代のゲノムの研究は、原住集団は拡大する農耕民人口集団により遺伝子流動のさまざまな水準でほぼ置換された、と明らかにしてきました。ただ、この見解はおもにヨーロッパに基づいています。本論文は、エチオピア南西部における農耕への進行中の文化的移行の人口統計学的影響を検証しました。エチオピアは、そうした移行を経たアフリカで最後の地域の一つです。エチオピア南西部にはチャブ人など世界に残る狩猟採集民集団のいくつかかが存在し、チャブ人は現在、伝統的な生業様式から移行しつつあります。

 本論文は採食から農耕への移行の影響に関する仮説を検証するため、アフリカ東部人口集団における、遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)、相対的な遺伝的孤立、人口統計学的変動の時期と程度を推定しました。本論文の調査は、オロミア(Oromia)州とガンベラ(Gambella)州と南部諸民族州(Southern Nations, Nationalities, and Peoples’ Region、略してSNNPR)の境界にまたがるエチオピア南西部高地森林に暮らす、過渡的な(移行中の)狩猟採集民(HG)集団であるチャブ人(Chabu)に焦点を当てます。チャブ人は、文献によっては「Sabue」や「Sabu」や「Shabo」と表記されます。

 チャブ人(83個体)およびその近隣のマジャン人(Majang)49個体とシャカチョ人(Shekkacho)45個体とベンチ人(Bench)48個体とシェコ人(Sheko)50個体のゲノム規模データが、170万ヶ所の一塩基多型(SNP)で生成されました。このデータセットは、アフリカ東部と中央部と西部全域の追加の集団および近東集団の刊行された遺伝子型と組み合わされました。重要なことに、近隣のガモ(Gamo)高地のモタ洞窟(Mota Cave)で見つかった4500年前頃の個体であるバイラ(Bayira)と、アフリカ東部とレヴァントとアナトリア半島の追加の古代人からのゲノムデータも含められました(関連記事)。バイラは、この地域における農耕もしくは牧畜のあらゆる証拠のずっと前に暮らしていました。


●ゲノム規模関連性のパターンからのチャブ人の起源の推測

 チャブ人と他のアフリカおよび近東の人口集団間の遺伝的関係を特徴づけるため、まず全体的な祖先系統が推定されました。常染色体一塩基多型教師なしクラスタ化(つまり混合)が実行され、祖先の供給源人口集団の仮定数であるKは2から12まで変えられました。本論文は、K=7でのパターンに焦点を当てます。この場合、エチオピア南西部の全体的な祖先系統パターンは、最高の遺伝的構成要素頻度を有する人口集団もしくは言語・地理的集団により特定された、遺伝的構成要素により表されます(図1)。チャブ人とその近隣住民は、構成要素の頻度の違いによりおもに特徴づけられます。それは、バイラ多数派、チャブ多数派、ナイル・サハラ(NS)、アフリカ東部アフロ・アジア(EAAA)、近東です。重要なことに、バイラ多数派とチャブ多数派の構成要素は遺伝的に類似しており(Fst=0.05)、ともにエチオピア南西部狩猟採集民の祖先系統を表します。以下は本論文の図1です。
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 K=3~5の低水準では、バイラ多数派とチャブ多数派の祖先系統が同じで、アフリカ東部全域に広く分布しています。K=7では、チャブ人は脱落し、自身のチャブ多数派祖先系統を90%以上有するとモデル化されます。この構成要素はバイラ(9%)、近隣のマジャン人(38%)、ナイル・サハラ人口集団(5~10%)にも有意な頻度で存在します(図1A)。バイラの多数派の構成要素は、バイラの最も密接な近縁と明らかになっているアーリ人(Aari)の鍛冶屋および耕作者と、ベンチ人およびシェコ人において最高頻度で見られます(図1B)。エチオピア南西部人口集団であるマジャン人とグムズ人(Gumuz)も、かなりの頻度でこの構成要素を有しています。より一般的には、エチオピアの人口集団はEAAAおよび近東構成要素の相対的割合により区分されます(図1E・F)。チャブ人はEAAAもしくは近東祖先系統を有していません。

 まとめると、これらの結果が示唆するのは、チャブ人がおもに古代のエチオピア南西部狩猟採集民集団の子孫である、ということです。狩猟と採集を二次的に取り入れた、という仮説は支持されません。これらの調査結果に基づくと、マジャン人とグムズ人とアーリ人の鍛冶屋および耕作者とベンチ人とシェコ人も、現在は狩猟採集生計戦略を行なっていないにも関わらず、「狩猟採集民の子孫」である可能性が高い、と考えられます。マジャン人とグムズ人は高いに類似しており、NSおよび近東の両集団との遺伝的類似性を有しています(図1および図2)。両集団は現在ではおもに小規模農耕民ですが、民族誌研究が示すのは、両集団が、高水準の平等主義や互恵主義など狩猟採集民社会に特有の特徴を示しており、最近まで狩猟と採集を行なっていた可能性が高い、ということです。アーリ人の鍛冶屋および耕作者とベンチ人とシェコ人は、バイラとの最も強い遺伝的類似性を示す人口集団の別の分類群を形成しており(図1Aおよび図2B)、これらの人口集団もバイラが分類される祖先的採食人口集団の直接的子孫である、と示唆します。以下は本論文の図2です。
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●遺伝子流動事象の調査と年代

 教師なしクラスタ化分析に基づくと、ほぼ全てのエチオピアの人口集団は複数の異なる祖先系統を有しています(図1)。さらに、ウォライタ人(Wolayta)などこれらの集団の一部は、その祖先系統構成要素および/もしくは主成分(PC)空間における相対的に広い分布でかなりの人口集団内偏差を示しており、最近の遺伝子流動が示唆されます(図1Aおよび図2A)。F3混合統計と連鎖不平衡(LD)減衰に基づく手法を用いると、多くのエチオピア南西部人口集団における遺伝子流動の追加の証拠が見つかり、これらの事例のいくつかは過去125世代内で年代測定できました。


●チャブ人の孤立の遺伝的痕跡

 本論文は、遺伝的データの使用により空間的な人口構造を推測し、アフリカ東部全域の有効移動面を推定(EEMS)しました。この分析は、祖先的構成要素の地理的分布と密接に対応する遺伝子流動の回廊と障壁を明らかにします(図1G)。これらの障壁のいくつかは、砂漠や高地や水域など主要な地理的特徴とも対応しています。しかし、ヌビア砂漠やエチオピア北東部高地など、移動の障壁だったと予測され得る他の特徴は、同程度には歴史的な遺伝子流動を妨げなかったようです。移動の少ない地域はアフリカの主要言語族間の境界に沿って存在するものの、移動の多い回廊はその内部に位置する傾向があることも明らかになりました。まとめると、これらの結果は、集団間の遺伝子流動の決定における、地理と言語の間の密接な関連を強調します。

 チャブ人は負の有効移動率の言語接触地域の中心に直接的に位置し、近隣集団からの相対的な孤立が示唆されます。RoH(runs of homozygosity)の分析により、最近および歴史的な遺伝的孤立の影響が定量化されました。RoHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いRoHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。RoHは人口集団の規模と均一性を示せます。RoH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。

 チャブ人は近隣集団と比較して、RoHでゲノムのずっと大きい割合を有しています(図3A)。チャブ人は氏族の族外結婚を行なっており、近親婚の文化的伝統がないので、近隣集団と比較しての同型接合水準の高さは、人口統計学的圧力により起きている可能性が高そうです。チャブ人がバトゥア人(Batwa)やビアカ人(Biaka)やムブティ人やハッザ人やサンダウェ人(Sandawe)と比較され、アフリカ人で最高水準のRoHを有すると以前に示されたタンザニアのハッザ人のみが、累積RoHでチャブ人を上回りました。以下は本論文の図3です。
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●密接に関連する人口集団は異なる人口統計学的軌跡を経ました

 本論文は、一部の狩猟採集民集団での最近の人口統計学的圧力のこれらの兆候を考えて、その歴史的な有効人口規模(Ne)をより正確に推定しようとしました。個体の組み合わせ全体で共有される同祖対立遺伝子である断片の分布を活用する、ノンパラメトリック手法が用いられました。パラメトリックとは母集団の分布を仮定した統計手法で、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)とは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。これにより、4~60世代前の各世代での有効人口規模の推定が可能となります。

 msprimeでの合着(合祖)模擬実験の遂行により、小さな標本規模と遺伝子流動と一塩基多型確認に対するIBD有効人口規模の堅牢性が評価されました。要するに、この研究では各人口史について10通りの模擬実験の複製が実行され、有効人口規模推定への標本規模と一塩基多型密度と遺伝子流動の影響が検証されました。その結果、遺伝子流動がない場合、有効人口規模における真の低下はわずか20標本で堅牢に推測できる、と明らかになりました。しかし、同じ標本規模の場合、一定の増加する人口集団は誤って推定されることが多く、一定の有効人口規模は複製の40%でかなり増加すると推定されましたが、増加する有効人口規模は安定しているか変動していると推定され、複製の各割合は10%と20%でした。この不一致は、標本規模が50に増加すると解決されます。

 エチオピア南西部人口集団では、チャブ人とマジャン人とベンチ人とシェコ人とアーリ人の鍛冶屋の有効人口規模は全て、最近の過去において減少しまたが、アーリ人の耕作者とグムズ人とウォライタ人とシャカチョ人の有効人口規模は、本論文のRoH分析では示唆されませんでした(図3B)。タンザニアにおける他の狩猟採集民の2子孫集団、つまりハッザ人とサンダウェ人はともに、過去60世代で有効人口規模の真の減少を経てきました(図4)。ハッザ人の減少は、RoHパターンと一致します。要注意なのは、50未満と標本規模が小さいと、遺伝子流動に敏感であることです。アーリ人の鍛冶屋が最近の遺伝子流動の証拠を欠いていましたが、サンダウェ人の追加の分析が必要です。詳細は以下で説明されます。以下は本論文の図4です。
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●考察

 新石器時代への移行に関する以前の遺伝学的研究は、とくに高出力の古代の常染色体DNAの出現とともに、ほぼヨーロッパに焦点を当ててきました(関連記事)。しかし、新石器時代への移行を特徴づける古代DNA研究は、単一の個体群もしくは数千年にわたる集合により狩猟採集民を表すことが多くなっています(関連記事1および関連記事2)。したがって、これらの研究は、新石器時代への移行過程に関して推測できることに限界があります。さらに、ヨーロッパで観察されたパターンは、アフリカでは農耕および/もしくは牧畜の革新と拡散に関係していないかもしれません(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、5人口集団の276点の新たな標本を含む現生の農耕民と狩猟採集民のアフリカ東部人口集団の研究により、アフリカにおける農耕拡大の根底にある機序を評価します。

 農耕民が地理的に拡大するにつれて、すでに農耕民の拡大先に居住していた狩猟採集民集団は、最終的に農耕民により置換されるか(つまり、局所的絶滅)、農耕民とともに存続します。ほとんどの研究は前者の結果の多さを強調してきました。しかし、本論文の関心は、狩猟採集民人口集団とその遺伝的子孫が大きな文化的変化の中でどのように持続するのか、ということです。本論文は民族誌的および考古学的証拠の文脈で結果を解釈し、狩猟採集民祖先系統を有する現代の人口集団が農耕民による侵入に適応したかもしれない、以下のような機序を検討します。(1)地理的範囲の縮小、(2)農耕にとって限界となる生態的地域への移動、(3)生計を含む異なる文化的慣行の採用、(4)経済的・象徴的交換関係を結ぶことです(関連記事)。この対応の一覧は網羅的ではなく、相互に排他的でもありません。あらゆる特定の集団の歴史は、さまざまな年代に複数の異なる対応を含んでいた可能性があります。重要なことに、遺伝的データは、人口規模が変化し、遺伝子流動がこれら異なる対応と関連している程度への洞察を与えられます。

 本論文の分析が論証するのは、チャブ人はバイラと遺伝的類似性を有する人口集団の子孫である、ということです。バイラは、この地域で集約農耕の証拠のずっと前に暮らしていました。チャブ人は、自身が現在居住する森林の元々の住民だと言っており、その最も近い隣人も概してこの主張を支持します。しかし、チャブ人の土地主張の認識の欠如と、土地不足に直面するエチオピアの他地域の農耕民の移動により、伝統的なチャブ人の森林の喪失が開発計画で失われる、という結果をもたらしました。本論文の仮説は、過去20年にわたるチャブ人の土地のこの記録された喪失は、何世紀にもわたる傾向だった、というものです。具体的には、人口水準のゲノムパターン分析により、チャブ人は有効人口規模が40世代前の約6000に始まり4世代前の200へと急激な減少を経た、と推定されます。チャブ人の人口調査規模の現在の推定値は、1700~2500です。

 これらの調査結果は、チャブ人とナイル川流域集団との間の30~43世代前の限定的な遺伝子流動(図1および図2)、もしくは地理的に遠いハッザ人およびサンダウェ人との深い共有された祖先系統についての以前の調査結果と矛盾しません。むしろ、これらの調査結果が示唆するのは、増大する狩猟採集民の孤立と人口減少は比較的最近の傾向で、アフリカ全域の農耕および牧畜の拡大と一致しており、それはかつての広範な狩猟採集民のネットワークを破壊した、ということです(関連記事)。過去10年間以内で、民族誌データはチャブ人がより大きな同化を経つつある、と示しており、マジャン人やシャカチョ人やアムハラ人(Amhara)の配偶者を好んで受け入れるチャブ人男性の割合が増加しています。

 深刻な人口集団のボトルネックは、孤立言語を話すタンザニアのハッザ人狩猟採集民で以前に報告されました。本論文の分析はこの仮説を裏づけ、ハッザ人の有効人口規模における15~25世代前の間に加速した減少が見つかります(図4)。現在、ハッザ人はエヤシ湖(Lake Eyasi)の近くで暮らしており、ここは耕作もしくは牧畜には不適な地域で、狩猟採集民としてのハッザ人の継続的持続を説明できるかもしれません。明確な孤立言語を話すハッザ人の隣人であるサンダウェ人も、過去60世代の有効人口規模の全体的な減少を示します。以前に狩猟採集民だったこの集団は、過去500年に農耕牧畜に移行した、と知られています。

 興味深いことに、マジャン人とグムズ人は、ひじょうに遺伝的に類似しており、ともに現在は小規模耕作を行なっているにも関わらず、異なる有効人口規模の軌跡を示します。マジャン人は50世代前より有効人口規模5000から安定して約85%減少していますが、グムズ人の有効人口規模は同じ期間に3500からほぼ倍増しました(図4)。有効人口規模がすでに顕著に減少したずっと後に耕作へと移行したサンダウェ人と同様に、マジャン人は園耕の「後期採用者」だった、というのが本論文の仮説です。歴史的および民族誌的説明では、1世紀前にグムズ人はアフロ・アジア語族話者の近隣農耕民からの圧力のため、ますます住みにくい土地への移住を余儀なくされました。しかし、これ以前には、グムズ人の有効人口規模は強固で、それは恐らく、生態学的違いもしくはマジャン人と比較してのより早期の園耕採用のためです。

 密接に関連するアーリ人の鍛冶屋と耕作者における、反対の人口統計学的傾向も観察されます。以前の研究が示してきたのは、これら2集団は過去4500年以内に分岐し、ともに恐らくはバイラ的狩猟採集民人口集団の子孫である、ということです。本論文の結果は、アーリ人の鍛冶屋における最近のボトルネックとの調査結果を裏づけ、この減少の時期と程度をより正確に推定します(図4)。同時に、アーリ人の耕作者は「U字型」の衰退と回復をたどる、と明らかになりました(図4)。現在、アーリ人の鍛冶屋は職人の疎外された集団で、アーリ人の耕作者およびウォライタ人と隣接しており、相互の経済的交換を行なっています。

 鍛冶屋は考古学的証拠から、現在ではエチオピア南部におけるあまり重要でない職業活動とみなされており(採食および野生食料を食べることと同様に)、3000~1000年前頃に近隣地域に出現しました。エチオピア南西部には、マンジャ人(Manja)狩猟採集民が最近木炭生産に移行し、あまり重要ではない職業集団は結婚禁止と関連するより低い社会的地位(カースト)だった、という証拠もあります。本論文の仮説は、過去4500年以内のアーリ人集団の分岐は、新たな文化的慣行の差異を示す採用に続き(つまり、鍛冶屋に対する農耕)、その後の鍛冶屋の社会的周縁化が、過去60世代の有効人口規模の異なるパターンに影響を及ぼした、というものです。

 ベンチ人とシェコ人はアーリ人と遺伝的に区別できず(図1Aおよび図2A)、その遺伝的祖先系統の大半もバイラ的狩猟採集民に由来する、と示唆されます。現在、ベンチ人とシェコ人はともに農耕民ですが、アーリ人の耕作者とは異なり、過去数千年の人工規模の真の減少を経たようです。本論文の模擬実験は、ベンチ人とシェコ人における人口減少に先行する、93000と35000という高い値に対する有効人口規模の見かけの極端な急上昇が、じっさいには高い遺伝子流動の乱れかもしれない、と示唆します。ベンチ人とシェコ人の両方におけるEAAA耕作者集団との最近の混合について、強い証拠が見つかります。対照的に、F3および連鎖不平衡に基づく検定では、アフロ・アジア語族耕作者からアーリ人への遺伝子流動があった場合、100世代前に起き、本論文における有効人口規模のIBDに基づく推定値に影響を及ぼす可能性は低い、と示唆されます。全体的に、アーリ人の鍛冶屋および耕作者とベンチ人とシェコ人は、侵入してくるEAAA集団からの質的に類似した水準の遺伝子流動があった、との証拠を示します。それにも関わらず、その人口統計学的軌跡は不均一です。以下は本論文の要約図です。
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●まとめ

 本論文は、アフリカ東部における農耕および牧畜の拡大と関連する最近の変化への、微妙で多様な狩猟採集民の反応を特徴づけます。農耕生計への移行は有効人口規模の増加と関連づけられてきましたが(関連記事)、本論文は、これが普遍的結果ではないことを示します。さらに、文化的変化に抵抗しているように見える、人口集団における有効人口規模の減少が観察されます。チャブ人や他の疎外された集団との協力における継続的な民族誌および遺伝学の研究は、農耕民と狩猟採集民との間の相互作用、長期の共存における大きな文化的移行の推進力、遺伝的および文化的に類似した集団における人口史の相違の背後にある理由への、価値のある洞察を提供する可能性が高いでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。アフリカの人口史の研究は他地域よりも遅れている、と言えるかもしれませんが、最近ではサハラ砂漠以南のアフリカで更新世人類のゲノムデータが報告されるなど(関連記事)、以前よりもかなり進展しているように思われます。現代人と古代人のゲノムデータの蓄積により、アフリカの人口史がさらに詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。現代人ではアフリカは最も遺伝的に多様な地域なので、アフリカの人口史の解明は、現生人類(Homo sapiens)の人口史や遺伝的特徴についての理解をさらに深めるでしょう。


参考文献:
Gopalan S. et al.(2022): Hunter-gatherer genomes reveal diverse demographic trajectories during the rise of farming in Eastern Africa. Current Biology, 32, 8, 1852–1860.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.02.050

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