篠田謙一『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』

 中公新書の一冊として、中央公論新社より2022年2月に刊行されました。本書は日本語で読める人類の古代DNA研究の最新の概説ですが、古代DNAの解析が事実上不可能な時代と地域については、第1章で化石証拠から簡略に解説しています。もちろん今後、著者も含めて多くの研究者により本書の内容は更新されていくでしょうが、古代DNA研究の最新の知見を日本語で読もうとするならば、DNA解析技術が簡潔に解説されていることも含めて、本書が現時点で最適だと思います。

 本書の主要な対象は現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散以降ですが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も取り上げられ、この3分類群間の複雑な関係も言及されています。この3分類群は遺伝的に明確に区分できるものの、相互に交雑の証拠があり、ネアンデルタール人は核ゲノム(というか常染色体ゲノム)では現生人類よりもデニソワ人の方と明らかに近いものの、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体ではデニソワ人よりも現生人類の方に近いなど、その関係を単純な分岐では把握できないことが示されます。

 日本列島の縄文時代の人類集団(縄文人)について、本書では地域差が強調されています。その根拠となるのは、mtDNAハプログループ(mtHg)の地域間の頻度差で、東日本ではN9bが、西日本から琉球諸島ではM7aが高頻度になっています。これまで当ブログでは、古代DNA研究の進展により、「縄文人」は時空間的に広範囲にわたって遺伝的に均質だったと明らかになってきた、と述べてきましたが(関連記事)、それはあくまでも既知の現代人および古代人集団と比較して「縄文人」は遺伝的に一まとまりを形成する、ということであり、本書が指摘するように、「縄文人」の地域差を軽視してはならないのでしょう。じっさい、核ゲノムデータからは、「縄文人」における遺伝的な地域差が示唆されています(関連記事)。ただ本書も、「縄文人」は他集団と遺伝的に大きく異なっており、相対的に内部の違いが小さいことから、北海道の「縄文人」ではなく本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」や琉球諸島の「縄文人」で計算しても、現代の「本土」日本人に占める「縄文人」由来の遺伝的要素の割(約10%)が大きく変わることはないだろう、と指摘しています(P212)。

 この機会に、「縄文人」の起源について当ブログでまだ言及していなかったことを述べておきます。「縄文人」の起源・形成過程はまだ不明ですが、アジア東部(およびアジア南東部やポリネシア)現代人の主要な祖先集団を「アジア東部主流集団」と仮に呼ぶと、「縄文人」がアジア東部主流集団と単純な分岐関係にあると仮定した場合、「縄文人」はアジア東部主流集団と20000~15000年前頃に分岐した、と推測されています(関連記事)。しかし、アムール川流域の19000年前頃の個体は、アジア東部主流集団が南北に分岐した後の北方系集団を表しており(関連記事)、「縄文人」とアジア東部主流集団との分岐は2万年前よりもずっとさかのぼる可能性が高そうです。

 ただ、この分岐が4万年前頃までさかのぼらないとしたら、4万年前頃となる日本列島最初期の現生人類集団は、「縄文人」とも現代人とも遺伝的にはつながらず、後に絶滅した可能性が高そうです。4万~3万年前頃にかけて、アジア北東部には現在では絶滅したと考えられる集団が広範に存在していたようなので(関連記事)、日本列島最初期の現生人類も、この集団から派生したかもしれません。この絶滅集団を、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体に因んで、田園集団と仮に呼んでおきます。

 もっとも、「縄文人」がアジア東部主流集団との単純な分岐で形成されたのではなく、遺伝的に大きく異なるこうした集団間の混合により形成されたのだとしたら(関連記事)、単純な分岐を想定した推定分岐年代は妥当ではなく、「縄文人」の祖先集団がいつから日本列島に存在したのか、という問題も複雑になります。新たなユーラシア東部古代人のゲノムデータの蓄積と、分析手法の改善や新規開発など、今後の古代DNA研究の進展により「縄文人」の形成過程がより明確になることを期待しています。

 本書はごく最近の研究成果も取り上げていますが、おそらくは校了後に公表された研究についてはさすがに言及されていません。具体的には、アフリカで最古となる人類のゲノムデータが得られた遺骸はモロッコで発見されており、年代は15000年前頃になる(関連記事)、と本書では述べられていますが(P102~104)、ごく最近の研究で、タンザニアにて発見された20000~17000年前頃の人類遺骸のゲノムデータが報告されています(関連記事)。またブリテン島については、鐘状ビーカー(Bell Beaker)の到来とともに、ほぼ置換に近いような人類集団の大規模な遺伝的変化があった、と以前の研究(関連記事)で指摘されていますが(P144)、ごく最近の研究で、その後、中期~後期青銅器時代にも大規模な人類集団の移動があった、と指摘されています(関連記事)。


参考文献:
篠田謙一(2022)『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』(中央公論新社)

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