ブリテン島の前期新石器時代の墓から推測される親族慣習
ブリテン島の前期新石器時代の墓の被葬者のゲノム規模DNAデータから親族慣習を推測した研究(Fowler et al., 2022)が公表されました。本論文は、前期新石器時代のブリテン島の、複数の埋葬室を備えた墓における親族慣習を調べるため、ヘイズルトンノース(Hazleton North)の長い石塚に埋葬された5700年前頃の35個体について、考古学的分析と遺伝学的解析を併用しました。このうち27個体は、古代DNAから再構築された最初の拡大家系の一部です。この家系は5世代の家族で、家系内の多くの相互関係から、直接の遺伝学的データなしには見られなかった親族慣習を明らかにする、統計的な検出力が得られました。
この墓に誰が埋葬されたかを特定する上で鍵となったのは父系の系統で、15例の世代間の系統的つながりは全て男性を介したものでした。この家系の男性と子を儲けた女性の存在、およびこの家系の娘である成人女性の不在は、夫方居住的な埋葬と女性の族外婚を示唆しています。この家系の創始者男性が4人の女性と子を儲けた、と実証され、そのうち2人の女性の子孫は全ての世代にわたって墓の同じ側の半分に埋葬されていました。これは、母系の亜系統がいくつかまとまって分類されており、そうした分類の独自性が墓の建設時に認識されていたことを示唆しています。男性4個体は、この家系外の男性を父親に、この家系の男性と子を儲けた女性を母親に持ち、これは、一部の男性が、配偶者が別の男性との間に儲けた子を養子として自らの父系家族に迎え入れた、と示唆しています。また、8個体は主要系統とは生物学的に近縁関係になく、これは、親族関係が生物学的な近縁性とは無関係の社会的つながりをも含んでいていた、という可能性を浮き彫りにしています。
●古代DNAデータに基づく親族関係研究
ゲノム規模古代DNA解析は、過去の人々が、相互に、および現在の人々とどのように関連していたのか、理解する変革手段として登場しました。現在まで、これらの研究はほとんど、1人口集団あたりわずかな個体数だけで正確に特徴づけることができる、経時的な深い祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の割合変化に焦点を当ててきました(関連記事1および関連記事2)。
古代DNAは、社会現象への洞察の提供にもますます適用されるようになってきています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。しかし、1親等から4親等の親族の千以上の組み合わせが古代DNA研究の文献で記録されてきましたが、全個体の正確な関係が独自に特徴づけられた、複数世代の家族に関する研究(関連記事1および関連記事2)はほとんどありません。ブリテン島とアイルランドの新石器時代の埋葬室墓の研究では、現在までに記録された関連性パターンには、墓の内部もしくは複数の墓にまたがる1親等もしくは2親等の親族の組み合わせ、同じ墓での特定のY染色体系統の持続(関連記事)、イングランドの同じ墓室のキョウダイ2個体、アイルランドの2ヶ所の墓で標本抽出された11個体と15個体における3親等以内の生物学的親族の不在(関連記事)が含まれます。
本論文のゲノム規模データは、同じ墓の35個体と、27個体を含む5世代の家族の再構築に基づいており、前後関係の考古学的情報とともに分析されたので、これらの墓を造って使用した共同体内の社会的関係を理解する、前例のない機会を提供します。そうした包括的再構築は、過去の社会における家系的側面への洞察を提供するだけではなく、家系の子孫を超えた親族関係慣行の識別にも用いることができます。人類学的研究では、社会の組織化において中心的役割を有する、家族のつながりと帰属の関係である親族関係が、文化により著しく異なる、と明らかになっています。
生物学的関連性は、親族関係の決定において多かれ少なかれ重要である可能性があります。親族は生物学的血縁である必要がなく、子育ては生物学的な父母間の関係に必ずしも集中しているわけではありません。葬儀慣行が親族間のつながりと分裂の社会的交渉に重要な役割を果たすことはよくあり、本論文は古代DNAの能力とともにこの洞察を用いて、関連性を記録し、新石器時代の埋葬室墓に死者を埋葬した人々の間の親族関係決定における役割への窓を提供します。
●ヘイズルトンノース遺跡
イギリスのグロスターシャー(Gloucestershire)州のヘイズルトンノース(Hazleton North)は、前期新石器時代のコッツウォルド・セバーン(Cotswold-Severn)型の墓室のある長い石塚で、よく保存されたヒト遺骸を含み、完全に発掘されました。この墓は紀元前37世紀に造られ、これはウシと穀物栽培が巨石記念碑建築とともにブリテン島に導入されてから少なくとも100年後になります。それ以前には、ヘイズルトンノースで埋葬された生物学的祖先の圧倒的多数は、ヨーロッパ大陸部に居住していました(関連記事1および関連記事2)。
この地域には多くの他の長い石塚もしくは長い手押し車があり、そのうち少なくとも9つは、ヘイズルトンノースと玄室の両側配置を共有していますが、2ヶ所は同一ではなく、他は異なる玄室配置を示します。ヘイズルトンノースには、石塚の「背骨」の周囲に反映された2つの対向するL字型の埋葬室のある領域が組み込まれ、これら屋根付きの埋葬室のある領域は、軸線の片側に石積みの長方形の小室が隣接し、石塚全体が擁壁で囲まれていました(図1a)。2つの埋葬室のある領域は南北で区分され、それぞれ3つの区画があり、最内の部屋と通路と入口です(図1b)。
骨学的分析により、墓の内部で少なくとも41個体が特定され、22個体の成人が含まれます。ヒト遺骸の扱いは、南北の部屋でやや異なります。北側の埋葬室のある領域では、5個体以上の骨が腐食動物により齧られており、安置前の暴露が示唆されます。北側入口に安置された3個体(乳児1個体、子供1個体、成人1個体)は火葬されていました。南側の埋葬室のある領域の遺骸は、北側よりも隣接する区画間で混ざり合って分散していました。ヘイズルトンノースに埋葬された個体は、骨関節炎や子供期の栄養圧迫を示唆する状態(眼窩篩など)など、ブリテン島南部の同時代の墓の被葬者と類似した範囲の病状を示します。同位体分析は動物性タンパク質の豊富な食性を示唆しますが、プロテオーム解析(プロテオミクス)では、これにはこの地域でも一般的な乳製品が含まれていた、と確証します。
44点の放射性炭素年代のベイズモデル化では、記念碑の建造は紀元前3695~紀元前3650年頃の間の10年間にわたり、北側通路の石造物の崩壊と北側の部屋の封鎖は紀元前3660~紀元前3630年頃に起き、本論文で検証された個体の堆積はおそらく紀元前3620年頃に終わった、と示唆されます。歯のストロンチウムおよび酸素同位体研究では、標本抽出された22個体のほとんどは、少なくとも40km離れた地質で子供期の一部を過ごした、と示唆されました。本論文は、考古学的証拠とともに新たなDNAデータを解釈し、ヘイズルトンノースで死者を埋葬した共同体での親族関係慣行を再構築します。以下は本論文の図1です。
●古代DNA解析による家系図の再構築
古代DNAデータを生成するため、おもに錐体骨と歯の74点の標本から粉末が得られました。DNAが抽出され、二本鎖および一本鎖のライブラリが生成され、ヒト核ゲノムとミトコンドリアDNA(mtDNA)で約120万ヶ所の多型位置と重複する分子が濃縮され、これらのライブラリが配列決定されました。66点の標本に由来する156点のライブラリで、DNA確実性の標準計量を通過するデータが得られました。同じ個体に由来する標本を検出し、データを統合した後で、異なる35個体からゲノム規模データが得られ、網羅率の中央値は2.9倍(0.018~9.75倍)です。
個体の各組み合わせについて常染色体の不適正塩基対(mismatch、DNA複製時の塩基の取り込みエラーや、メチル化などの化学修飾が原因となり、本来のワトソン・クリック型でない塩基が相補鎖に存在する状態)率が推定され、1番~22番染色体の各位置で無作為に1つのDNA配列が標本抽出され、関連計数rが計算されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)と、染色体の不適正塩基対の空間的パターンに基づく1親等の関係の種類も決定されました。
ペアワイズ遺伝的関連性度と一致する家系図が手動で作成されました(図1c)。母系(mtDNA)と父系(Y染色体)のハプログループ、遺伝的性別、遺伝的近親交配、死亡年齢が検証されました。組換え現象の分布を活用した後で、27個体でデータと合致する唯一の系図が得られました(図1c)。推定された家系図は、X染色体、共有されたDNA断片の数、親族関係推定のさまざまな手法の独立した情報と完全に一致する、と判断されました。
まず、墓内の位置を指す命名法が導入されます。北側の部屋はNC、北側の通路はNP、北側の入口はNE、南側の部屋はSC、南側の通路はSP、南側の入口はSEです。墓に埋葬されなかったかもしれないものの、他の個体との遺伝的関係に基づいて存在したに違いないと考えられる標本抽出されていない個体はU、墓内の不確実な位置はHNです。次に、各個人を他の個人と区別する任意の番号が指定されます。最後に、染色体の性別を示唆する文字が付与されます(mが男性、fが女性)。本論文は、「m/male/man」を用いてX染色体とY染色体を有する個体を、「f/female/woman」を用いてX染色体を2本有する個体を示しますが、染色体の性別は、文脈および文化的に性別(sexおよびgender)がどのように定義されるのか、という一要素にすぎない、と認識しています。
●再構築された家系図から推測される社会慣行
再構築された家系図は、男性1個体(NC1m)と、その繁殖相手である女性4個体(SC1fとNC2fとNC3fと標本抽出されていないU3f)の子孫である、5世代の系統で構成されます。この家族の一部として解釈された個体は、男性系統個体の繁殖相手の成人女性と、これらの女性とこの家系には属さない男性との間の男系子孫です。この家系には27個体が含まれ、古代DNAから再構築された最大の家系(関連記事1および関連記事2)の3倍となり、少なくとも一部の新石器時代の墓は親族関係慣行を中心に組織された、という最初の直接的証拠を提供します。
他の8個体は、これら27個体の密接な生物学的親族ではありません。再構築された家系には、より小さなデータセットでは可視化されないだろう親族関係慣行を特定する、充分に豊富な関係ネットワークが含まれます。しかし、密接な生物学的関係もしくは家系で他者との繁殖相手の証拠がない8個体も墓に含まれており、親族関係がそうした生物学的もしくは配偶関係に必ずしも依存しているわけではないか、親族関係は墓に埋葬される唯一の基準ではなかったかもしれない、と示唆されます。
埋葬の扱いは、染色体の性別によりいくつかの方法で異なっていました。第一に、第2世代を通じて第1世代へとたどれる第3世代か第4世代か第5世代はそれぞれ、完全に男性個体を通じてNC1mとつながっています。具体的には、系図上のつながりの15個体全てが、父親(13事例)もしくは継父(2事例)を経由しており、父系子孫が、新石器時代の墓に誰と埋葬されるのかについておもな決定要因だった、という最初の直接的証拠を提供します。これらの観察は、同じ新石器時代の墓の個体間の稀なY染色体ハプロタイプの経時的持続がこれらの共同体における父系慣行を示唆する、という推論と一致します(関連記事1および関連記事2)。
第二に、遺伝的データのある35個体のうち26個体は生物学的に男性で、イングランドとアイルランドにおける埋葬室のある墓は、生物学的男性個体を優先的に含む、という骨学的および遺伝学的証拠と一致します。たとえば、コッツウォルド(Cotswold)記念碑では、男性と女性の個体数の比は1.6対1です。これは、一部の女性以外は、たとえば遺骸を風雨にさらしたり、火葬した遺骸を墓から散乱させたりなど、別の方法で扱われたことを示唆します。
第三に、標本抽出された個体のうち女性4個体は、この家系の男性と繁殖し、その存在は父方居住を示唆しており、つまりは女性にとって、父親の系統ではなく、配偶相手の系統との埋葬です。これは、標本抽出された個体のうち、この家系の娘が欠けていること(成人の娘がいないのに対して、成人の息子は14個体)、および子供期に死んだこの家系の娘2個体の存在ととともに、女性は一般的にこの家系に一定以上成長してから加わったことを示唆します。
この父方居住婚に関わった社会的もしくは地理的距離は分かりませんが、1個体の両親が相互に密接に関連している場合に計測される、長いROH(runs of homozygosity)が1個体を除いて全個体で欠如していることは、近親交配が効果的に回避されたことを示唆します。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
これらの結果は、父系子孫が社会的関係の形成に重要な役割を果たした、と示します。これはとくに、民族学的に多様な文化で記録されている父系子孫と父方居住と一夫多妻と家畜飼育との間の関連を考えると、ヘイズルトンノースの共同体の性質にいくつかの洞察を提供するかもしれません。しかし、以下に示されるように、死者の空間的構成や、生物学的父系の一部ではなかった個体を含むことから、埋葬パターンには他の考慮事項も重要な影響を及ぼした、と示唆されます。
複数の繁殖相手のいる6事例が観察され(図1c)、最も顕著なのが女性4個体と繁殖した男性NC1mです。NC1mが一夫一婦かそれとも一夫多妻か、決定できず、6事例のいずれにおいても社会的に認知されなかった組み合わせから子孫が生まれた可能性を除外できません。男性が複数の繁殖相手を有していた場合、そうした女性は相互に密接には関連していませんでした。しかし、女性の複数の繁殖相手はほとんどの場合、NE2mとU11mなど父系の男性2個体のように、関連していました。男性のNE2mとU11mは3親等の親族関係と推定され、ともに女性U6fとの間に子供を儲けました。別の事例はNC3fで、男性のNC1mおよびNC1mの子孫ではないものの、おそらくはその近親者だった別人との間に子供を儲けました。そうした女性は、関連する男性個体の平行する系統間の重要なつながりを形成したかもしれません。
本論文のデータは、この新石器時代の墓室の配置が、そうした記念碑について長く議論されてきた問題である、親族関係の概念により中心的に決定された、と証明します。ヘイズルトンノースで埋葬され得る人の決定はおもに父系に基づいていましたが、さまざまな母系亜系統の個体の配置において顕著な空間パターン化が観察されました。SC1fおよびU3f個体の亜系統の12個体は全て南側に埋葬され、NC2fおよびNC3f個体の13個体のうち9個体は北側に埋葬されました。それらの位置を決定できた4事例のうち3事例で、第1世代の母親が含まれます(図1b)。したがって本論文は、この家系を、それぞれ2つの母系を構成する「南側支系」と「北側支系」に区分できるものとして記録できます。
この二重性が墓の建造の基礎であるという事実は、建造者がこの区分を予期していた、と示唆します。本論文の推測は、北側の通路と入口の接合部を塞いだ壁の崩壊が、北側の墓室外でのNC2fとNC3fのより長く生きた第2世代と第3世代の子孫の堆積につながり、この二重性を崩壊させ、おそらくは北側支系による墓の放棄をもたらした、というものです。これらの支系が母方子孫に基づいていたという事実は、各支系を創出した女性が、これらの共同体の記憶において社会的に重要だった、という証拠を提供します。父系と母系との間の相互作用も、この新石器時代共同体の人格と性別(gender)の構成の解釈に影響します。
ヘイズルトンノース個体群の本論文の遺伝学的分析は、父系と一致しているものの、生物学的子孫により全てを説明できるわけではない、親族関係慣行を明らかにします。したがって、NE1mとSE1mとSE3mはNC1mの子孫ではありませんが、代わりに、NC1mもしくはその男系の遺伝的子孫との間に子供を儲けた女性の息子です。SP2mは、これらの個体の1人であるSE1mの生物学的息子です。これら男性4個体は、その母親がNC1mの系統に生まれた男性との間に子供を儲けた場合に、NC1mの父系に組み込まれた事例を表しています。これは養子関係を示唆しているかもしれませんが、2つの事例では、これら男性個体の父親も、NC1mの3親等もしくは4親等生物学的親族でした。
この新石器時代共同体における社会的父性は、生物学的父性と同じくらい重要だった可能性があり、父系で一夫多妻のアフリカのヌエル人(Nuer)などの社会で民族誌的に観察されたパターンです。ヘイズルトンノース系統のどの構成員とも密接な生物学的親族ではない8個体の存在は、いくつかの方法で解釈できます。このうち3個体は女性で、ヘイズルトンノース系統男性の配偶者だったものの、子供を産まなかったか、まだその子供を標本抽出できていない可能性があります。その子供が成人した娘ならば、恐らくヘイズルトンノースの墓に埋葬されなかったでしょう。
これら8個体の一部もしくは全員は、関連性もしくは共住、あるいは養子縁組により親族とみなされたかもしれず、共同体内の完全に非生物学的な親族関係にとっての意味のある役割の可能性を提起します。ただ、親族関係以外の理由で墓に埋葬される可能税があり、無関係な個体の存在がアイルランドの同時期の墓で指摘されています(関連記事)。しかし全体として、生物学的関係と親族構成員であることがこの墓の死者の多くの安置に重要だったことは明らかです。単一の父系内の亜系統の2組は、墓の配置図の中核で、部屋に埋葬された個体のほとんどは、系統構成員でした。したがって、父系および母系の亜系統はともに第1世代に基盤があり、共同体をまとめつつ分割するよう設計された墓に親族がどのように葬られるのか、という役割の固定を担っていた、と推測されます。
●まとめ
本論文の分析は、追加の考古学的洞察を提供します。放射性炭素年代測定のベイズモデル化は、ヘイズルトンノースがおそらくは最大3世代しか使用されなかった、と示唆しましたが、古代DNAデータは南側の部屋で5世代を記録します。墓での少なくとも5個体の骨学的同定は、個体数をひじょうに過小評価している可能性がありますが、ゲノム規模データを生成した66点の骨格標本には、同じ個体ではないと判断された骨と歯を選択したにも関わらず、遺伝的重複が31例含まれていました。これは、本論文の標本抽出が、墓から遺骸が回収された個体の良好な断片を捕捉する方法で上手くいっており、ヘイズルトンノースが数百個体ではなく数十個体を収容した、という骨学的推論に強度を追加する、と示唆します。
約100ヶ所の長い石塚がヘイズルトンノースの50km以内で知られており、そのうち一つは80m離れているだけです。さらなる発掘調査と放射性炭素年代測定と古代DNA解析が、これらの多くが類似の同時代の親族関係慣行をどのように示すのか評価するのに必要ですが、高い割合の地元の同時代の親族集団が墓を建造して使用した可能性もあります。地質間の移動性の相関を調べられるようにするには、本論文で分析された個体の安定同位体測定値は少なすぎますが、遺伝的データのある追加の個体の同位体分析は、検出されていないパターンを明らかにするかもしれません。
この研究は、古代DNA解析がどのように、考古学的証拠と組み合わされて他の手法では見えない親族関係慣行についての推論を引き出せるのか、示します。とくに、連続する5世代にわたる家系図を再構築する能力は、新石器時代の埋葬慣行における父系子孫の中心的役割、父系への「継子」の受け入れ、母方亜系統の重要な役割について、最初の直接的証拠を明らかにします。養子縁組もしくは関連性による親族関係も、生物学的に無関係な個体を墓に埋葬するにあたって役割を果たしました。
ヘイズルトンノースは、全ての新石器時代の埋葬室のある墓の基準とはみなせません。なぜならば、そうした記念碑の配置図は異なっており、親族関係慣行はそうした墓が建造されたさまざまな地域間(および地域内)で異なる可能性があるからです。それにも関わらず、本論文の分析は、新石器時代ブリテン島における親族関係と埋葬室のある墓の建造に関する理解を進めました。新石器時代の文脈およびヨーロッパ北部の両方における追加の墓と、他の文化的状況での類似の調査を実行する将来の研究には、過去の社会における親族関係についての代替的理論を検証する可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:前期新石器時代の墓から垣間見る親族関係
英国グロスターシャーの約5700年前の新石器時代の墓に埋葬された35人の詳細な遺伝的解析が行われ、この古代社会を支配していた親族関係のルールを解明するための新たな手掛かりが得られた。この知見について報告する論文が、Nature に掲載される。今回の研究から、この社会では、養子縁組が行われていたと考えられ、父系の子孫と母系の子孫の両方が重要視された一夫多妻の社会であった可能性が暗示されている。
全ての遺体は、ヘイゼルトンノースに埋葬されていた。ヘイゼルトンノースは、前期新石器時代の長い石塚で、その中には、2つのL字型の部屋が向かい合って位置しており、それぞれnorth(北)とsouth(南)と命名されている。今回、David Reichたちは、古代DNAから抽出したゲノム規模のデータと考古学的分析を組み合わせて、35人中27人が同じ家族に属することを明らかにした。この家族は、5世代にわたる系統で、1人の男性と4人の女性の子孫によって構成されている。
そのうちの15人は、父方の系統でつながっており、このことは、父系の影響力を示唆しているが、その一方で、母系の子孫の埋葬場所に作為性が見られ、母系も重要なことを示している。4人の母親のうちの2人の子孫は、南の部屋に埋葬され、他の2人の母親の子孫は、北の部屋に埋葬されていた。この知見は、母方の亜系統が、墓の建設時に独立性の高さが認められた枝にグループ分けされたことを示唆している。
また、Reichたちは、母親がこの系統に含まれているが、父親が含まれていない4人の男性を特定した。この知見は、養子縁組による親族関係が、生物学的親族関係と同じくらい重要であった可能性を示している。この墓には、主要系統と生物学的近縁関係にない8人も埋葬されており、その意義は不明だが、この古代社会にとって、非生物学的な親族関係も重要であった可能性を明確に示している。
考古学:前期新石器時代の墓における親族慣習の詳細な実態
考古学:新石器時代のブリテン島における家族構成
今回、約5700年前にブリテン島のヘイズルトンノースの長い石塚に埋葬された35人について、ゲノム規模の古代DNAデータセットと、そこから再構築された家系図が報告されている。これにより、新石器時代のブリテン島における親族慣習の実態に関する知見が得られた。
参考文献:
Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
この墓に誰が埋葬されたかを特定する上で鍵となったのは父系の系統で、15例の世代間の系統的つながりは全て男性を介したものでした。この家系の男性と子を儲けた女性の存在、およびこの家系の娘である成人女性の不在は、夫方居住的な埋葬と女性の族外婚を示唆しています。この家系の創始者男性が4人の女性と子を儲けた、と実証され、そのうち2人の女性の子孫は全ての世代にわたって墓の同じ側の半分に埋葬されていました。これは、母系の亜系統がいくつかまとまって分類されており、そうした分類の独自性が墓の建設時に認識されていたことを示唆しています。男性4個体は、この家系外の男性を父親に、この家系の男性と子を儲けた女性を母親に持ち、これは、一部の男性が、配偶者が別の男性との間に儲けた子を養子として自らの父系家族に迎え入れた、と示唆しています。また、8個体は主要系統とは生物学的に近縁関係になく、これは、親族関係が生物学的な近縁性とは無関係の社会的つながりをも含んでいていた、という可能性を浮き彫りにしています。
●古代DNAデータに基づく親族関係研究
ゲノム規模古代DNA解析は、過去の人々が、相互に、および現在の人々とどのように関連していたのか、理解する変革手段として登場しました。現在まで、これらの研究はほとんど、1人口集団あたりわずかな個体数だけで正確に特徴づけることができる、経時的な深い祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の割合変化に焦点を当ててきました(関連記事1および関連記事2)。
古代DNAは、社会現象への洞察の提供にもますます適用されるようになってきています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。しかし、1親等から4親等の親族の千以上の組み合わせが古代DNA研究の文献で記録されてきましたが、全個体の正確な関係が独自に特徴づけられた、複数世代の家族に関する研究(関連記事1および関連記事2)はほとんどありません。ブリテン島とアイルランドの新石器時代の埋葬室墓の研究では、現在までに記録された関連性パターンには、墓の内部もしくは複数の墓にまたがる1親等もしくは2親等の親族の組み合わせ、同じ墓での特定のY染色体系統の持続(関連記事)、イングランドの同じ墓室のキョウダイ2個体、アイルランドの2ヶ所の墓で標本抽出された11個体と15個体における3親等以内の生物学的親族の不在(関連記事)が含まれます。
本論文のゲノム規模データは、同じ墓の35個体と、27個体を含む5世代の家族の再構築に基づいており、前後関係の考古学的情報とともに分析されたので、これらの墓を造って使用した共同体内の社会的関係を理解する、前例のない機会を提供します。そうした包括的再構築は、過去の社会における家系的側面への洞察を提供するだけではなく、家系の子孫を超えた親族関係慣行の識別にも用いることができます。人類学的研究では、社会の組織化において中心的役割を有する、家族のつながりと帰属の関係である親族関係が、文化により著しく異なる、と明らかになっています。
生物学的関連性は、親族関係の決定において多かれ少なかれ重要である可能性があります。親族は生物学的血縁である必要がなく、子育ては生物学的な父母間の関係に必ずしも集中しているわけではありません。葬儀慣行が親族間のつながりと分裂の社会的交渉に重要な役割を果たすことはよくあり、本論文は古代DNAの能力とともにこの洞察を用いて、関連性を記録し、新石器時代の埋葬室墓に死者を埋葬した人々の間の親族関係決定における役割への窓を提供します。
●ヘイズルトンノース遺跡
イギリスのグロスターシャー(Gloucestershire)州のヘイズルトンノース(Hazleton North)は、前期新石器時代のコッツウォルド・セバーン(Cotswold-Severn)型の墓室のある長い石塚で、よく保存されたヒト遺骸を含み、完全に発掘されました。この墓は紀元前37世紀に造られ、これはウシと穀物栽培が巨石記念碑建築とともにブリテン島に導入されてから少なくとも100年後になります。それ以前には、ヘイズルトンノースで埋葬された生物学的祖先の圧倒的多数は、ヨーロッパ大陸部に居住していました(関連記事1および関連記事2)。
この地域には多くの他の長い石塚もしくは長い手押し車があり、そのうち少なくとも9つは、ヘイズルトンノースと玄室の両側配置を共有していますが、2ヶ所は同一ではなく、他は異なる玄室配置を示します。ヘイズルトンノースには、石塚の「背骨」の周囲に反映された2つの対向するL字型の埋葬室のある領域が組み込まれ、これら屋根付きの埋葬室のある領域は、軸線の片側に石積みの長方形の小室が隣接し、石塚全体が擁壁で囲まれていました(図1a)。2つの埋葬室のある領域は南北で区分され、それぞれ3つの区画があり、最内の部屋と通路と入口です(図1b)。
骨学的分析により、墓の内部で少なくとも41個体が特定され、22個体の成人が含まれます。ヒト遺骸の扱いは、南北の部屋でやや異なります。北側の埋葬室のある領域では、5個体以上の骨が腐食動物により齧られており、安置前の暴露が示唆されます。北側入口に安置された3個体(乳児1個体、子供1個体、成人1個体)は火葬されていました。南側の埋葬室のある領域の遺骸は、北側よりも隣接する区画間で混ざり合って分散していました。ヘイズルトンノースに埋葬された個体は、骨関節炎や子供期の栄養圧迫を示唆する状態(眼窩篩など)など、ブリテン島南部の同時代の墓の被葬者と類似した範囲の病状を示します。同位体分析は動物性タンパク質の豊富な食性を示唆しますが、プロテオーム解析(プロテオミクス)では、これにはこの地域でも一般的な乳製品が含まれていた、と確証します。
44点の放射性炭素年代のベイズモデル化では、記念碑の建造は紀元前3695~紀元前3650年頃の間の10年間にわたり、北側通路の石造物の崩壊と北側の部屋の封鎖は紀元前3660~紀元前3630年頃に起き、本論文で検証された個体の堆積はおそらく紀元前3620年頃に終わった、と示唆されます。歯のストロンチウムおよび酸素同位体研究では、標本抽出された22個体のほとんどは、少なくとも40km離れた地質で子供期の一部を過ごした、と示唆されました。本論文は、考古学的証拠とともに新たなDNAデータを解釈し、ヘイズルトンノースで死者を埋葬した共同体での親族関係慣行を再構築します。以下は本論文の図1です。
●古代DNA解析による家系図の再構築
古代DNAデータを生成するため、おもに錐体骨と歯の74点の標本から粉末が得られました。DNAが抽出され、二本鎖および一本鎖のライブラリが生成され、ヒト核ゲノムとミトコンドリアDNA(mtDNA)で約120万ヶ所の多型位置と重複する分子が濃縮され、これらのライブラリが配列決定されました。66点の標本に由来する156点のライブラリで、DNA確実性の標準計量を通過するデータが得られました。同じ個体に由来する標本を検出し、データを統合した後で、異なる35個体からゲノム規模データが得られ、網羅率の中央値は2.9倍(0.018~9.75倍)です。
個体の各組み合わせについて常染色体の不適正塩基対(mismatch、DNA複製時の塩基の取り込みエラーや、メチル化などの化学修飾が原因となり、本来のワトソン・クリック型でない塩基が相補鎖に存在する状態)率が推定され、1番~22番染色体の各位置で無作為に1つのDNA配列が標本抽出され、関連計数rが計算されました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)と、染色体の不適正塩基対の空間的パターンに基づく1親等の関係の種類も決定されました。
ペアワイズ遺伝的関連性度と一致する家系図が手動で作成されました(図1c)。母系(mtDNA)と父系(Y染色体)のハプログループ、遺伝的性別、遺伝的近親交配、死亡年齢が検証されました。組換え現象の分布を活用した後で、27個体でデータと合致する唯一の系図が得られました(図1c)。推定された家系図は、X染色体、共有されたDNA断片の数、親族関係推定のさまざまな手法の独立した情報と完全に一致する、と判断されました。
まず、墓内の位置を指す命名法が導入されます。北側の部屋はNC、北側の通路はNP、北側の入口はNE、南側の部屋はSC、南側の通路はSP、南側の入口はSEです。墓に埋葬されなかったかもしれないものの、他の個体との遺伝的関係に基づいて存在したに違いないと考えられる標本抽出されていない個体はU、墓内の不確実な位置はHNです。次に、各個人を他の個人と区別する任意の番号が指定されます。最後に、染色体の性別を示唆する文字が付与されます(mが男性、fが女性)。本論文は、「m/male/man」を用いてX染色体とY染色体を有する個体を、「f/female/woman」を用いてX染色体を2本有する個体を示しますが、染色体の性別は、文脈および文化的に性別(sexおよびgender)がどのように定義されるのか、という一要素にすぎない、と認識しています。
●再構築された家系図から推測される社会慣行
再構築された家系図は、男性1個体(NC1m)と、その繁殖相手である女性4個体(SC1fとNC2fとNC3fと標本抽出されていないU3f)の子孫である、5世代の系統で構成されます。この家族の一部として解釈された個体は、男性系統個体の繁殖相手の成人女性と、これらの女性とこの家系には属さない男性との間の男系子孫です。この家系には27個体が含まれ、古代DNAから再構築された最大の家系(関連記事1および関連記事2)の3倍となり、少なくとも一部の新石器時代の墓は親族関係慣行を中心に組織された、という最初の直接的証拠を提供します。
他の8個体は、これら27個体の密接な生物学的親族ではありません。再構築された家系には、より小さなデータセットでは可視化されないだろう親族関係慣行を特定する、充分に豊富な関係ネットワークが含まれます。しかし、密接な生物学的関係もしくは家系で他者との繁殖相手の証拠がない8個体も墓に含まれており、親族関係がそうした生物学的もしくは配偶関係に必ずしも依存しているわけではないか、親族関係は墓に埋葬される唯一の基準ではなかったかもしれない、と示唆されます。
埋葬の扱いは、染色体の性別によりいくつかの方法で異なっていました。第一に、第2世代を通じて第1世代へとたどれる第3世代か第4世代か第5世代はそれぞれ、完全に男性個体を通じてNC1mとつながっています。具体的には、系図上のつながりの15個体全てが、父親(13事例)もしくは継父(2事例)を経由しており、父系子孫が、新石器時代の墓に誰と埋葬されるのかについておもな決定要因だった、という最初の直接的証拠を提供します。これらの観察は、同じ新石器時代の墓の個体間の稀なY染色体ハプロタイプの経時的持続がこれらの共同体における父系慣行を示唆する、という推論と一致します(関連記事1および関連記事2)。
第二に、遺伝的データのある35個体のうち26個体は生物学的に男性で、イングランドとアイルランドにおける埋葬室のある墓は、生物学的男性個体を優先的に含む、という骨学的および遺伝学的証拠と一致します。たとえば、コッツウォルド(Cotswold)記念碑では、男性と女性の個体数の比は1.6対1です。これは、一部の女性以外は、たとえば遺骸を風雨にさらしたり、火葬した遺骸を墓から散乱させたりなど、別の方法で扱われたことを示唆します。
第三に、標本抽出された個体のうち女性4個体は、この家系の男性と繁殖し、その存在は父方居住を示唆しており、つまりは女性にとって、父親の系統ではなく、配偶相手の系統との埋葬です。これは、標本抽出された個体のうち、この家系の娘が欠けていること(成人の娘がいないのに対して、成人の息子は14個体)、および子供期に死んだこの家系の娘2個体の存在ととともに、女性は一般的にこの家系に一定以上成長してから加わったことを示唆します。
この父方居住婚に関わった社会的もしくは地理的距離は分かりませんが、1個体の両親が相互に密接に関連している場合に計測される、長いROH(runs of homozygosity)が1個体を除いて全個体で欠如していることは、近親交配が効果的に回避されたことを示唆します。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。
これらの結果は、父系子孫が社会的関係の形成に重要な役割を果たした、と示します。これはとくに、民族学的に多様な文化で記録されている父系子孫と父方居住と一夫多妻と家畜飼育との間の関連を考えると、ヘイズルトンノースの共同体の性質にいくつかの洞察を提供するかもしれません。しかし、以下に示されるように、死者の空間的構成や、生物学的父系の一部ではなかった個体を含むことから、埋葬パターンには他の考慮事項も重要な影響を及ぼした、と示唆されます。
複数の繁殖相手のいる6事例が観察され(図1c)、最も顕著なのが女性4個体と繁殖した男性NC1mです。NC1mが一夫一婦かそれとも一夫多妻か、決定できず、6事例のいずれにおいても社会的に認知されなかった組み合わせから子孫が生まれた可能性を除外できません。男性が複数の繁殖相手を有していた場合、そうした女性は相互に密接には関連していませんでした。しかし、女性の複数の繁殖相手はほとんどの場合、NE2mとU11mなど父系の男性2個体のように、関連していました。男性のNE2mとU11mは3親等の親族関係と推定され、ともに女性U6fとの間に子供を儲けました。別の事例はNC3fで、男性のNC1mおよびNC1mの子孫ではないものの、おそらくはその近親者だった別人との間に子供を儲けました。そうした女性は、関連する男性個体の平行する系統間の重要なつながりを形成したかもしれません。
本論文のデータは、この新石器時代の墓室の配置が、そうした記念碑について長く議論されてきた問題である、親族関係の概念により中心的に決定された、と証明します。ヘイズルトンノースで埋葬され得る人の決定はおもに父系に基づいていましたが、さまざまな母系亜系統の個体の配置において顕著な空間パターン化が観察されました。SC1fおよびU3f個体の亜系統の12個体は全て南側に埋葬され、NC2fおよびNC3f個体の13個体のうち9個体は北側に埋葬されました。それらの位置を決定できた4事例のうち3事例で、第1世代の母親が含まれます(図1b)。したがって本論文は、この家系を、それぞれ2つの母系を構成する「南側支系」と「北側支系」に区分できるものとして記録できます。
この二重性が墓の建造の基礎であるという事実は、建造者がこの区分を予期していた、と示唆します。本論文の推測は、北側の通路と入口の接合部を塞いだ壁の崩壊が、北側の墓室外でのNC2fとNC3fのより長く生きた第2世代と第3世代の子孫の堆積につながり、この二重性を崩壊させ、おそらくは北側支系による墓の放棄をもたらした、というものです。これらの支系が母方子孫に基づいていたという事実は、各支系を創出した女性が、これらの共同体の記憶において社会的に重要だった、という証拠を提供します。父系と母系との間の相互作用も、この新石器時代共同体の人格と性別(gender)の構成の解釈に影響します。
ヘイズルトンノース個体群の本論文の遺伝学的分析は、父系と一致しているものの、生物学的子孫により全てを説明できるわけではない、親族関係慣行を明らかにします。したがって、NE1mとSE1mとSE3mはNC1mの子孫ではありませんが、代わりに、NC1mもしくはその男系の遺伝的子孫との間に子供を儲けた女性の息子です。SP2mは、これらの個体の1人であるSE1mの生物学的息子です。これら男性4個体は、その母親がNC1mの系統に生まれた男性との間に子供を儲けた場合に、NC1mの父系に組み込まれた事例を表しています。これは養子関係を示唆しているかもしれませんが、2つの事例では、これら男性個体の父親も、NC1mの3親等もしくは4親等生物学的親族でした。
この新石器時代共同体における社会的父性は、生物学的父性と同じくらい重要だった可能性があり、父系で一夫多妻のアフリカのヌエル人(Nuer)などの社会で民族誌的に観察されたパターンです。ヘイズルトンノース系統のどの構成員とも密接な生物学的親族ではない8個体の存在は、いくつかの方法で解釈できます。このうち3個体は女性で、ヘイズルトンノース系統男性の配偶者だったものの、子供を産まなかったか、まだその子供を標本抽出できていない可能性があります。その子供が成人した娘ならば、恐らくヘイズルトンノースの墓に埋葬されなかったでしょう。
これら8個体の一部もしくは全員は、関連性もしくは共住、あるいは養子縁組により親族とみなされたかもしれず、共同体内の完全に非生物学的な親族関係にとっての意味のある役割の可能性を提起します。ただ、親族関係以外の理由で墓に埋葬される可能税があり、無関係な個体の存在がアイルランドの同時期の墓で指摘されています(関連記事)。しかし全体として、生物学的関係と親族構成員であることがこの墓の死者の多くの安置に重要だったことは明らかです。単一の父系内の亜系統の2組は、墓の配置図の中核で、部屋に埋葬された個体のほとんどは、系統構成員でした。したがって、父系および母系の亜系統はともに第1世代に基盤があり、共同体をまとめつつ分割するよう設計された墓に親族がどのように葬られるのか、という役割の固定を担っていた、と推測されます。
●まとめ
本論文の分析は、追加の考古学的洞察を提供します。放射性炭素年代測定のベイズモデル化は、ヘイズルトンノースがおそらくは最大3世代しか使用されなかった、と示唆しましたが、古代DNAデータは南側の部屋で5世代を記録します。墓での少なくとも5個体の骨学的同定は、個体数をひじょうに過小評価している可能性がありますが、ゲノム規模データを生成した66点の骨格標本には、同じ個体ではないと判断された骨と歯を選択したにも関わらず、遺伝的重複が31例含まれていました。これは、本論文の標本抽出が、墓から遺骸が回収された個体の良好な断片を捕捉する方法で上手くいっており、ヘイズルトンノースが数百個体ではなく数十個体を収容した、という骨学的推論に強度を追加する、と示唆します。
約100ヶ所の長い石塚がヘイズルトンノースの50km以内で知られており、そのうち一つは80m離れているだけです。さらなる発掘調査と放射性炭素年代測定と古代DNA解析が、これらの多くが類似の同時代の親族関係慣行をどのように示すのか評価するのに必要ですが、高い割合の地元の同時代の親族集団が墓を建造して使用した可能性もあります。地質間の移動性の相関を調べられるようにするには、本論文で分析された個体の安定同位体測定値は少なすぎますが、遺伝的データのある追加の個体の同位体分析は、検出されていないパターンを明らかにするかもしれません。
この研究は、古代DNA解析がどのように、考古学的証拠と組み合わされて他の手法では見えない親族関係慣行についての推論を引き出せるのか、示します。とくに、連続する5世代にわたる家系図を再構築する能力は、新石器時代の埋葬慣行における父系子孫の中心的役割、父系への「継子」の受け入れ、母方亜系統の重要な役割について、最初の直接的証拠を明らかにします。養子縁組もしくは関連性による親族関係も、生物学的に無関係な個体を墓に埋葬するにあたって役割を果たしました。
ヘイズルトンノースは、全ての新石器時代の埋葬室のある墓の基準とはみなせません。なぜならば、そうした記念碑の配置図は異なっており、親族関係慣行はそうした墓が建造されたさまざまな地域間(および地域内)で異なる可能性があるからです。それにも関わらず、本論文の分析は、新石器時代ブリテン島における親族関係と埋葬室のある墓の建造に関する理解を進めました。新石器時代の文脈およびヨーロッパ北部の両方における追加の墓と、他の文化的状況での類似の調査を実行する将来の研究には、過去の社会における親族関係についての代替的理論を検証する可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
人類学:前期新石器時代の墓から垣間見る親族関係
英国グロスターシャーの約5700年前の新石器時代の墓に埋葬された35人の詳細な遺伝的解析が行われ、この古代社会を支配していた親族関係のルールを解明するための新たな手掛かりが得られた。この知見について報告する論文が、Nature に掲載される。今回の研究から、この社会では、養子縁組が行われていたと考えられ、父系の子孫と母系の子孫の両方が重要視された一夫多妻の社会であった可能性が暗示されている。
全ての遺体は、ヘイゼルトンノースに埋葬されていた。ヘイゼルトンノースは、前期新石器時代の長い石塚で、その中には、2つのL字型の部屋が向かい合って位置しており、それぞれnorth(北)とsouth(南)と命名されている。今回、David Reichたちは、古代DNAから抽出したゲノム規模のデータと考古学的分析を組み合わせて、35人中27人が同じ家族に属することを明らかにした。この家族は、5世代にわたる系統で、1人の男性と4人の女性の子孫によって構成されている。
そのうちの15人は、父方の系統でつながっており、このことは、父系の影響力を示唆しているが、その一方で、母系の子孫の埋葬場所に作為性が見られ、母系も重要なことを示している。4人の母親のうちの2人の子孫は、南の部屋に埋葬され、他の2人の母親の子孫は、北の部屋に埋葬されていた。この知見は、母方の亜系統が、墓の建設時に独立性の高さが認められた枝にグループ分けされたことを示唆している。
また、Reichたちは、母親がこの系統に含まれているが、父親が含まれていない4人の男性を特定した。この知見は、養子縁組による親族関係が、生物学的親族関係と同じくらい重要であった可能性を示している。この墓には、主要系統と生物学的近縁関係にない8人も埋葬されており、その意義は不明だが、この古代社会にとって、非生物学的な親族関係も重要であった可能性を明確に示している。
考古学:前期新石器時代の墓における親族慣習の詳細な実態
考古学:新石器時代のブリテン島における家族構成
今回、約5700年前にブリテン島のヘイズルトンノースの長い石塚に埋葬された35人について、ゲノム規模の古代DNAデータセットと、そこから再構築された家系図が報告されている。これにより、新石器時代のブリテン島における親族慣習の実態に関する知見が得られた。
参考文献:
Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
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