アフリカ東部で最古級となる現生人類の年代の見直し
アフリカ東部で最古級となる既知の現生人類(Homo sapiens)遺骸の年代を見直した研究(Vidal et al., 2022)が公表されました。アフリカ東部エチオピアのオモ・キビシュ(Omo-Kibish)およびヘルト(Herto)で出土した最古級の現生人類化石の年代を調べる試みでは、層序学的に関連する凝灰岩の40Ar/39Ar年代(アルゴン-アルゴン法)など、さまざまな年代測定学的証拠が利用されてきました。これらの化石に関して一般に報告されている年代は、キビシュのオモ1号については197000年前頃(関連記事)、ヘルトの親類遺骸については16万~155000年前頃です。しかし、これらの推定の根拠となる層序関係およびテフラ(降下火砕堆積物)との相関には異論もあります。
本論文は、オモ1号が出土したオモ・キビシュ層を確実に覆う、カモヤ(Kamoya)のヒト科遺跡(KHS)の凝灰岩と、エチオピア大地溝帯のシャラ(Shala)火山の爆発的大噴火とを結びつける、地球化学的分析の結果について報告します。本論文は、この噴火の火口近傍堆積物の年代を決定することにより、オモ1号について少なくとも233000±22000年前という新たな年代を得ました。また本論文は、以前の主張に反して、KHSの凝灰岩は別の広範に及ぶテフラ層であるワイデドガラス質凝灰岩(Waidedo Vitric Tuff、略してWAVT)とは相関していないので、ヘルトの人類化石の下限年代は特定不能であることを示します。アフリカ東部の既知で最古となる現生人類化石の年代が20万年前頃以前へとさかのぼったことは、現生人類系統の年代がさらに古いことを示す別の証拠とも一致します(関連記事)。
●アフリカの初期現生人類の年代測定
35万~13万年前頃となる中期更新世後期の、初期の解剖学的に現代的な現生人類の可能性がある化石は、アフリカでは8ヶ所の遺跡でしか発見されていません(関連記事)。これら初期現生人類候補の化石のほとんどは、年代が不確実か、現生人類の派生形質について議論があります。化石年代制約のおもな手法は、化石と層序的に関連する火山灰(テフラ)層に適用される単結晶のアルゴン同位体(アルゴン40/アルゴン39)年代測定の利用です。
しかし、多くの遠位テフラ堆積物はほぼガラス質で構成されており、年代測定に適した結晶が欠けています。この場合、より大きくてより豊富な斑晶を有する、より容易に年代測定できる代理の堆積物にテフラ層を合致させるのに、地球化学的指紋を用いることができます。明白な現代的頭蓋の派生形質(つまり、高い頭蓋冠と顎)を有すると解釈され、現生人類として分類される最も広く受け入れられている化石は、エチオピアで2点発見されており、それはオモ1号とヘルト標本です(関連記事)。したがって、その年代を制約する証拠はとくに重要と想定されていますが、かなりの地質年代学的論争になっています。
●オモ1号
オモ1号遺骸は、1960年代後半にエチオピア南部のオモ渓谷下流の、オモ・キビシュ層の第1層の最上部近くのシルト岩の表面で発見されました(図1a・b)。オモ1号の上限年代は、化石の「近くではあるものの、おそらくはわずかに下に」位置すると報告された、ナカアキレ凝灰岩(Nakaa’kire Tuff)と相関する均質な凝灰質堆積物で標本抽出された、3点の最も新しい軽石砕屑物のアルカリ長石単結晶で得られた、196000±4000年前(関連記事)です(図1b)。照射モニター(アメリカ合衆国コロラド州の魚峡谷凝灰岩の玻璃長石)でより広く採用されている28201000年前頃の年代を用いて再計算すると、ナカアキレ凝灰岩の年代は197000±4000年前へとわずかに動きます。
この凝灰岩と人類化石との間の不確実な層序関係のため、オモ・キビシュ層の第2層の底部に位置する、微細火山灰降下物の広範で2m以上の厚さの堆積物である、KHS凝灰岩の年代測定に多くの注目が寄せられてきました(図1b)。KHS凝灰岩は1.4m下の区画周辺でオモ1号化石が発見されている第1層の上に位置し、オモ1号よりも明らかに新しい年代です。ナカアキレ凝灰岩はKHS凝灰岩の下のいくつかの区画で特定されましたが、KHS凝灰岩は、ナカアキレ凝灰岩と相関する年代測定された軽石砕屑物が標本抽出された、同じ区画では発見されませんでした。
KHS凝灰岩の微細粒径のため直接的な40Ar/39Ar年代測定はできず、供給源となる火山もしくは近位火砕性ユニットとの相関は、本論文が把握する限りではこれまで行なわれていません。しかし、刊行された主要元素ガラス組成を用いると、コンソ層(Konso Formation)のテフラTA-55、およびガデモッタ層(Gademotta Formation)の直接的に40Ar/39Ar年代測定された184000±10000年前のユニットD22の両方と、KHS凝灰岩を相関させられました(図1b)。地中海の腐泥堆積物と対応する高い湖の水位を伴うオモ・キビシュ盆地の堆積物流出と関連して、172000年前頃というKHS凝灰岩のわずかに新しい年代も提案されました。184000年前頃か172000年前頃という年代は、オモ1号の197000±4000年前という提案された年代と一致するでしょう。以下は本論文の図1です。
●ヘルトの現生人類化石
ヘルトの現生人類化石はアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)で1990年代後半に発見されました(図1a)。この現生人類化石は、ブーリ層(Bouri Formation)の上部ヘルト層内の砂岩に保存されていました(図1b)。この砂岩は、アファール(Afar)地域西部全体に広がっており、ヘルトの50km北方のゴナ(Gona)にも存在する、WAVTに覆われています(図1b)。WAVTの直接的年代測定は、結晶汚染のため決定的ではありませんでしたが、化石を含む砂岩の軽石と黒曜石の砕屑物の年代測定では、16万年前頃という上限値が得られました。WAVTは、個々の粒子の主要元素分析と、精製された大量の分離物の主要および微量元素分析に基づいて、テフラTA-55の遠位相関として同定されました(図1b)。
コンソでは、ユニットTA-55は155000±14000年前となるシルバー凝灰岩(SVT)の下に位置し、160000~155000年前頃というヘルト化石の年代が示唆されます。しかし、この発見は、キビシュKHSをコンソのTA-55、したがってWAVTと相関させる研究で異議を唱えられました。この議論は、WAVTの年代が172000年前頃と示唆し、確立されたヘルトの層序と矛盾します。ヘルトの研究団は、ヘルト化石の上のWAVTを伴う元々の層序を裏づけることで対応し、172000年前頃というKHSの年代に異議を唱えました。ヘルトの研究団は、KHSとコンソのユニットTA-55とガデモッタのユニットD(184000年前頃)とWAVTが、オモ・キビシュおよびヘルトの現生人類化石の上に位置する単一のテフラ層序標識を表せるものの、複数の噴火供給源も妥当だろう、と結論づけました。オモ1号に対するナカアキレ凝灰岩層序関係の長引く不確実性を考えると、KHS凝灰岩の年代は、これらの遺跡の年代層序にとって重要になります。
●年代の見直し
この研究は、オモ・キビシュとコンソとガデモッタのKHS凝灰岩と他の関連する灰堆積物を再標本抽出し、最古の現生人類化石の年代が推測される地球科学的相関を評価しました。この研究は、オモ・キビシュでのKHS凝灰岩の標本抽出地点(KS模式区画)を再訪する一方で、KS模式区画から100mの露頭で第2層の別のテフラ層を標本抽出しました。ユニットETH18-8は約15cmの厚さで、KHS凝灰岩の40cm上に位置する、ひじょうによく分類された結晶が豊富な微細砂灰色のテフラ層です。ユニットETH18-8はKHS区画(KS)とチベレ(Chibele)区画(CB)の間で遍在しており、CBにおいてKHS凝灰岩の上で以前に層序的に特定されたユニットCRF-23と対応しているかもしれませんが、これは使用されたさまざまなミクロ分析器の条件のため、地球化学的分析では確認できません。
KHS凝灰岩を生成した噴火を特定して年代測定する試みでは、シャラ(Shala)火山とコルベッティ(Corbetti)火山のカルデラ形成噴火のイグニンブライト(熔結した火山砕屑流堆積物)の標本が含められました。シャラとコルベッティは、25万~17万年前頃の間に主要な噴火を起こしたと知られている、唯一のエチオピア主地溝体系(MER)です。MER中央部で最大のカルデラであるシャラ(図2a)では、シャラ湖の南西で、オモ・キビシュの北東350kmに位置する、結合していないQi2イグニンブライトの20m以上の露出で標本抽出されました。177000±8000年前となるコルベッティのカルデラの形成に寄与した、結合していないイグニンブライト(COI2E)のガラス質も分析されました。この地域における近位テフラ堆積物と遠位テフラ堆積物との間の地球化学的相関の課題は、同じ火山だけではなく、MERのさまざまな火山の、火砕生成物間の主要および微量元素組成の類似性です。したがって、相関は理想的には、詳細な一連の主要および微量元素の単一粒ガラス質破片もしくは軽石ガラス質分析に基づいています。以下は本論文の図2です。
KHSガラス質破片は、その組成が均質なパンテレライト(過アルカリ性火山岩)流紋岩です(重量比では、二酸化ケイ素が77.0±0.3%、酸化アルミニウムが9.7±0.1%、酸化鉄の鉄分が5.0±0.1%、酸化ナトリウムと酸化カリウムが7.1±0.4%)。不動の酸化物存在量は、酸化鉄の鉄分と参加カルシウムと酸化アルミニウムと酸化チタンを含んでおり、シャラ火山のQi2噴火の近位生成物のガラス質と対応しています(図2b・cおよび図3)。これらの相関は、Qi2およびKHSのガラス質の不動微量元素比と主成分分析により裏づけられます(図3)。
さらに、177000±8000年前となるコルベッティ火山のイグニンブライトのCOI2Eのパンテレライト流紋岩のガラス質(重量比では、二酸化ケイ素が74.3±0.2%、酸化アルミニウムが9.1±0.1%、酸化鉄の鉄分が5.6±0.2%、酸化ナトリウムと酸化カリウムが10.1±0.2%、図3)は、不動酸化物および微量元素の存在量を有しており、キビシュのユニットETH18-8およびコンソのTA-56と合致します(図3)。以下は本論文の図3です。
40Ar/39Ar年代測定手法を用いて、シャラQi2堆積物で収集された軽石標本ETH17-14A1およびETH17-14Cから抽出された、113点の個々の玻璃長石結晶が分析されました(図2)。得られたデータは選別され、ガス収量が低い粒子、もしくは空白水準以下の粒子と、データセットの平均よりも著しく古い捕獲結晶(6点の粒子で年代が100万年以上前でした)が除外されました。各標本の年代の分布は、2σ不確実性では区別できませんでした(図2d)。両方の軽石標本の分析を組み合わせると、加重平均では2σで233000±22000年前となり、それによりQi2噴火とKHS凝灰岩が年代測定されました。
233000±22000年前となるKHSの年代は、上にあるETH18-8テフラと関連づけられる177000±8000年前という年代と一致します(図1b)。しかし、少なくともオモ・キビシュ層第2層の形成中には、ナイル川体系から地中海への淡水の大量流入を伴う、オモ盆地の高い堆積物流動間の提案された相関には疑問が呈されます。本論文のKHSの年代は、172000年前頃の地中海腐泥S6の形成と一致せず、代わりに217000年前頃となる腐泥S8の形成時期と重なります。ETH18-8の177000±8000年前という年代は、172000年前頃となる腐泥S6の形成と一致しますが、約40cmの厚さの泥岩ユニットだけがETH18-8からKHSを分離し、これは199000~192000年前頃となる腐泥S7と同時の盆地における急速な堆積との提案を説明できません。
改定されたオモ・キビシュ層序は、報告されたナカアキレ凝灰岩の197000±4000年前という年代とも一致せず、ナカアキレ凝灰岩はオモ・キビシュ層の第1層で発見されたので、233000±22000年前より古いはずです。197000±4000年前という年代は、「砂質凝灰岩基質」で発見された本質レンズ(軽石が熱で再溶融し、引き伸ばされながら急冷して形成されたガラス質)の5点の年代測定された軽石砕屑物のうち3点から推測されました。これらの標本はナカアキレ凝灰岩と類似した主要元素組成を有していましたが、断面ではなく側面の露頭で採集されました。ナカアキレ凝灰岩の年代および層序学的位置の不確実性と、不均質な岩質および地質化学を考えると、KHS凝灰岩の供給源としてのシャラのQi2噴火の233000±22000年前という年代の同定は、現生人類化石であるオモ1号のより堅牢な下限年代を提供します。
さらに、本論文のKHSについての、ガラス質組成データと供給源との相関と年代推定により、エチオピアの他の遺跡の同定を再評価できます。密度分離後の、125µm、80µm、25µm以上の粒径断片における、コンソの土壌生成的に変わったユニットTA-55新たな岩質調査では、以前にはヘルトのWAVTと関連づけられていた、この堆積物のガラス質破片の同定に失敗しました。これは、KHS凝灰岩との報告された相関という評価を除外しました。しかし、キビシュのETH18-8および177000±8000年前となるコルベッティのイグニンブライトと相関する、下に位置するユニットTA-56から、TA-55が177000±8000年前より新しく、Qi2もしくはKHS凝灰岩と相関させられないことは明らかです。ガデモッタのユニットDにおける184000±10000年前という年代は主要元素組成ではKHSに近いようですが、主要元素も微量元素も存在量が明確に重複しておらず(図3)、一致しません。不動微量元素比と主成分分析は、ユニットDもTA-56とは異なる、と示します(図3)。
ヘルトの南方約800kmに位置するコンソのユニットTA-55とヘルトのWAVTとの相関により、初期の調査者はコンソのSVTの155000±14000年前という年代を、ヘルト化石の上限年代として受け入れるようになりました。この相関は議論されていますが、追加の地質化学的データにより補強されています。この研究は、TA-55標本で保存されたガラス質を見つけられませんでしたが、本論文の結果は、オモ・キビシュ層とガデモッタ層とコンソ層の間で提案されたテフラ層序相関を弱め、コンソTA-55凝灰岩の年代を177000±8000年前(TA-56)と155000±14000年前(SVT)の間に括ります。ヘルトにおけるWAVTとの相関は将来、粒子離散単一点ガラス質分析を用いて確認されるべきですが、この年代の括りは、下に位置するヘルトの化石を含む砂岩(16万年前頃)と一致しており、ヘルトの現生人類化石がオモ・キビシュそうのオモ1号よりもかなり新しいことを確証します。
●まとめ
本論文の新たな年代制約は、現生人類の進化に関するほとんどのモデルと一致します。そうしたモデルでは、現生人類の起源と絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との分岐を35万~20万年前頃と推定しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。オモ1号の堅牢な上限年代を得る、という課題が残っています。本論文の改定されたテフラ層序は、ヘルト標本がオモ・キビシュ層のオモ1号遺骸よりも新しく、ヘルト標本は以前に推測されたように、キビシュ層の化石群と同じテフラ層準の下に位置していないことを論証します。
さらなる地質化学的データが、WAVTと他のMERテフラとの間の関係を明確化するには必要で、最終的にはWAVTの供給源を特定できるかもしれず、ヘルト化石のより信頼できる下限年代を提供する見込みがあります。より一般的には、アフリカ東部のテフラ層序学的枠組みを発展させるための継続的な努力が、相互に関連する一連の火山学的・古環境学的・古人類学的問題に取り組むのに役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:エチオピアで出土した最古のヒト化石の年代推定の精度が高まった
エチオピアで出土したキビッシュ・オモ1号の化石は、アフリカ東部で最古のホモ・サピエンスの化石として知られているが、これまで考えられていたよりも3万6000年以上古いものである可能性が生じたことを報告する論文が、Nature に掲載される。この化石人類は、少なくとも約23万3000年前のものと推定されたが、この時間スケールは、現生人類の進化に関する複数のモデルとの一致度が高くなっている。
オモ1号の化石は、これまで約19万7000年前のものと推定されていた。この年代推定は、火山噴火の時期に対応した火山灰層を研究することによってなされたが、疑問が投げかけられてきていた。今回、Céline Vidalたちの研究チームは、オモ1号が出土した堆積層を覆っていた火山灰層を再調査して、この火山性堆積物が、エチオピアの大地溝帯のシャラ火山の大規模な爆発的噴火に関連していることを明らかにした。Vidalたちは、こうした分析によって、この火山灰層の下にあったオモ1号の化石の年代を約23万3000(±2万2000)年前と正確に推定した。この年代は、現生人類の進化モデルの大部分と一致している。これらのモデルによれば、人類は、約35万~20万年前に我々の最も近縁な祖先から生じ、分岐したと推定されている。
Vidalたちは、オモ1号の年代について強固な上限を導き出すために新たな研究を行う必要があると結論付けている。また、さらなる分析によって、ヘルト人の化石の年代も確認できると期待されている。ヘルト人の化石は、エチオピアで発見されたホモ・サピエンスの初期の化石で、一般に16万0000~15万5000年前のものと報告されており、これまでの理解とは異なり、オモ1号の化石とは異なる火山灰層の下に存在していることが明らかになったからだ。
進化学:アフリカ東部の既知最古のホモ・サピエンスの年代
進化学:エチオピアの初期のホモ・サピエンスのより正確な年代
外見が最も現代的な初期のホモ・サピエンス(Homo sapiens)の化石は、エチオピアのオモ・キビシュおよびヘルトで出土したもので、年代はそれぞれ約19万7000年前および約16万~15万5000年前とされている。しかし、こうした年代推定の根拠となる層序関係には、単に地質学的な理由だけでなく、モロッコのジェベル・イルードのヒト化石の年代が約35万年前とされるなど、現在ではホモ・サピエンスがより古くから存在したと考えられているため、異論がある。今回C Vidalたちは、オモの化石が出土した堆積層のすぐ上の地層を、エチオピアの火山噴火で放出された物質と相関させることで、年代の見直しを行った。その結果、オモの化石の年代は少なくとも23万3000 ± 2万2000年前であることが示された。
参考文献:
Vidal CM. et al.(2022): Age of the oldest known Homo sapiens from eastern Africa. Nature, 601, 7894, 579–583.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04275-8
本論文は、オモ1号が出土したオモ・キビシュ層を確実に覆う、カモヤ(Kamoya)のヒト科遺跡(KHS)の凝灰岩と、エチオピア大地溝帯のシャラ(Shala)火山の爆発的大噴火とを結びつける、地球化学的分析の結果について報告します。本論文は、この噴火の火口近傍堆積物の年代を決定することにより、オモ1号について少なくとも233000±22000年前という新たな年代を得ました。また本論文は、以前の主張に反して、KHSの凝灰岩は別の広範に及ぶテフラ層であるワイデドガラス質凝灰岩(Waidedo Vitric Tuff、略してWAVT)とは相関していないので、ヘルトの人類化石の下限年代は特定不能であることを示します。アフリカ東部の既知で最古となる現生人類化石の年代が20万年前頃以前へとさかのぼったことは、現生人類系統の年代がさらに古いことを示す別の証拠とも一致します(関連記事)。
●アフリカの初期現生人類の年代測定
35万~13万年前頃となる中期更新世後期の、初期の解剖学的に現代的な現生人類の可能性がある化石は、アフリカでは8ヶ所の遺跡でしか発見されていません(関連記事)。これら初期現生人類候補の化石のほとんどは、年代が不確実か、現生人類の派生形質について議論があります。化石年代制約のおもな手法は、化石と層序的に関連する火山灰(テフラ)層に適用される単結晶のアルゴン同位体(アルゴン40/アルゴン39)年代測定の利用です。
しかし、多くの遠位テフラ堆積物はほぼガラス質で構成されており、年代測定に適した結晶が欠けています。この場合、より大きくてより豊富な斑晶を有する、より容易に年代測定できる代理の堆積物にテフラ層を合致させるのに、地球化学的指紋を用いることができます。明白な現代的頭蓋の派生形質(つまり、高い頭蓋冠と顎)を有すると解釈され、現生人類として分類される最も広く受け入れられている化石は、エチオピアで2点発見されており、それはオモ1号とヘルト標本です(関連記事)。したがって、その年代を制約する証拠はとくに重要と想定されていますが、かなりの地質年代学的論争になっています。
●オモ1号
オモ1号遺骸は、1960年代後半にエチオピア南部のオモ渓谷下流の、オモ・キビシュ層の第1層の最上部近くのシルト岩の表面で発見されました(図1a・b)。オモ1号の上限年代は、化石の「近くではあるものの、おそらくはわずかに下に」位置すると報告された、ナカアキレ凝灰岩(Nakaa’kire Tuff)と相関する均質な凝灰質堆積物で標本抽出された、3点の最も新しい軽石砕屑物のアルカリ長石単結晶で得られた、196000±4000年前(関連記事)です(図1b)。照射モニター(アメリカ合衆国コロラド州の魚峡谷凝灰岩の玻璃長石)でより広く採用されている28201000年前頃の年代を用いて再計算すると、ナカアキレ凝灰岩の年代は197000±4000年前へとわずかに動きます。
この凝灰岩と人類化石との間の不確実な層序関係のため、オモ・キビシュ層の第2層の底部に位置する、微細火山灰降下物の広範で2m以上の厚さの堆積物である、KHS凝灰岩の年代測定に多くの注目が寄せられてきました(図1b)。KHS凝灰岩は1.4m下の区画周辺でオモ1号化石が発見されている第1層の上に位置し、オモ1号よりも明らかに新しい年代です。ナカアキレ凝灰岩はKHS凝灰岩の下のいくつかの区画で特定されましたが、KHS凝灰岩は、ナカアキレ凝灰岩と相関する年代測定された軽石砕屑物が標本抽出された、同じ区画では発見されませんでした。
KHS凝灰岩の微細粒径のため直接的な40Ar/39Ar年代測定はできず、供給源となる火山もしくは近位火砕性ユニットとの相関は、本論文が把握する限りではこれまで行なわれていません。しかし、刊行された主要元素ガラス組成を用いると、コンソ層(Konso Formation)のテフラTA-55、およびガデモッタ層(Gademotta Formation)の直接的に40Ar/39Ar年代測定された184000±10000年前のユニットD22の両方と、KHS凝灰岩を相関させられました(図1b)。地中海の腐泥堆積物と対応する高い湖の水位を伴うオモ・キビシュ盆地の堆積物流出と関連して、172000年前頃というKHS凝灰岩のわずかに新しい年代も提案されました。184000年前頃か172000年前頃という年代は、オモ1号の197000±4000年前という提案された年代と一致するでしょう。以下は本論文の図1です。
●ヘルトの現生人類化石
ヘルトの現生人類化石はアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)で1990年代後半に発見されました(図1a)。この現生人類化石は、ブーリ層(Bouri Formation)の上部ヘルト層内の砂岩に保存されていました(図1b)。この砂岩は、アファール(Afar)地域西部全体に広がっており、ヘルトの50km北方のゴナ(Gona)にも存在する、WAVTに覆われています(図1b)。WAVTの直接的年代測定は、結晶汚染のため決定的ではありませんでしたが、化石を含む砂岩の軽石と黒曜石の砕屑物の年代測定では、16万年前頃という上限値が得られました。WAVTは、個々の粒子の主要元素分析と、精製された大量の分離物の主要および微量元素分析に基づいて、テフラTA-55の遠位相関として同定されました(図1b)。
コンソでは、ユニットTA-55は155000±14000年前となるシルバー凝灰岩(SVT)の下に位置し、160000~155000年前頃というヘルト化石の年代が示唆されます。しかし、この発見は、キビシュKHSをコンソのTA-55、したがってWAVTと相関させる研究で異議を唱えられました。この議論は、WAVTの年代が172000年前頃と示唆し、確立されたヘルトの層序と矛盾します。ヘルトの研究団は、ヘルト化石の上のWAVTを伴う元々の層序を裏づけることで対応し、172000年前頃というKHSの年代に異議を唱えました。ヘルトの研究団は、KHSとコンソのユニットTA-55とガデモッタのユニットD(184000年前頃)とWAVTが、オモ・キビシュおよびヘルトの現生人類化石の上に位置する単一のテフラ層序標識を表せるものの、複数の噴火供給源も妥当だろう、と結論づけました。オモ1号に対するナカアキレ凝灰岩層序関係の長引く不確実性を考えると、KHS凝灰岩の年代は、これらの遺跡の年代層序にとって重要になります。
●年代の見直し
この研究は、オモ・キビシュとコンソとガデモッタのKHS凝灰岩と他の関連する灰堆積物を再標本抽出し、最古の現生人類化石の年代が推測される地球科学的相関を評価しました。この研究は、オモ・キビシュでのKHS凝灰岩の標本抽出地点(KS模式区画)を再訪する一方で、KS模式区画から100mの露頭で第2層の別のテフラ層を標本抽出しました。ユニットETH18-8は約15cmの厚さで、KHS凝灰岩の40cm上に位置する、ひじょうによく分類された結晶が豊富な微細砂灰色のテフラ層です。ユニットETH18-8はKHS区画(KS)とチベレ(Chibele)区画(CB)の間で遍在しており、CBにおいてKHS凝灰岩の上で以前に層序的に特定されたユニットCRF-23と対応しているかもしれませんが、これは使用されたさまざまなミクロ分析器の条件のため、地球化学的分析では確認できません。
KHS凝灰岩を生成した噴火を特定して年代測定する試みでは、シャラ(Shala)火山とコルベッティ(Corbetti)火山のカルデラ形成噴火のイグニンブライト(熔結した火山砕屑流堆積物)の標本が含められました。シャラとコルベッティは、25万~17万年前頃の間に主要な噴火を起こしたと知られている、唯一のエチオピア主地溝体系(MER)です。MER中央部で最大のカルデラであるシャラ(図2a)では、シャラ湖の南西で、オモ・キビシュの北東350kmに位置する、結合していないQi2イグニンブライトの20m以上の露出で標本抽出されました。177000±8000年前となるコルベッティのカルデラの形成に寄与した、結合していないイグニンブライト(COI2E)のガラス質も分析されました。この地域における近位テフラ堆積物と遠位テフラ堆積物との間の地球化学的相関の課題は、同じ火山だけではなく、MERのさまざまな火山の、火砕生成物間の主要および微量元素組成の類似性です。したがって、相関は理想的には、詳細な一連の主要および微量元素の単一粒ガラス質破片もしくは軽石ガラス質分析に基づいています。以下は本論文の図2です。
KHSガラス質破片は、その組成が均質なパンテレライト(過アルカリ性火山岩)流紋岩です(重量比では、二酸化ケイ素が77.0±0.3%、酸化アルミニウムが9.7±0.1%、酸化鉄の鉄分が5.0±0.1%、酸化ナトリウムと酸化カリウムが7.1±0.4%)。不動の酸化物存在量は、酸化鉄の鉄分と参加カルシウムと酸化アルミニウムと酸化チタンを含んでおり、シャラ火山のQi2噴火の近位生成物のガラス質と対応しています(図2b・cおよび図3)。これらの相関は、Qi2およびKHSのガラス質の不動微量元素比と主成分分析により裏づけられます(図3)。
さらに、177000±8000年前となるコルベッティ火山のイグニンブライトのCOI2Eのパンテレライト流紋岩のガラス質(重量比では、二酸化ケイ素が74.3±0.2%、酸化アルミニウムが9.1±0.1%、酸化鉄の鉄分が5.6±0.2%、酸化ナトリウムと酸化カリウムが10.1±0.2%、図3)は、不動酸化物および微量元素の存在量を有しており、キビシュのユニットETH18-8およびコンソのTA-56と合致します(図3)。以下は本論文の図3です。
40Ar/39Ar年代測定手法を用いて、シャラQi2堆積物で収集された軽石標本ETH17-14A1およびETH17-14Cから抽出された、113点の個々の玻璃長石結晶が分析されました(図2)。得られたデータは選別され、ガス収量が低い粒子、もしくは空白水準以下の粒子と、データセットの平均よりも著しく古い捕獲結晶(6点の粒子で年代が100万年以上前でした)が除外されました。各標本の年代の分布は、2σ不確実性では区別できませんでした(図2d)。両方の軽石標本の分析を組み合わせると、加重平均では2σで233000±22000年前となり、それによりQi2噴火とKHS凝灰岩が年代測定されました。
233000±22000年前となるKHSの年代は、上にあるETH18-8テフラと関連づけられる177000±8000年前という年代と一致します(図1b)。しかし、少なくともオモ・キビシュ層第2層の形成中には、ナイル川体系から地中海への淡水の大量流入を伴う、オモ盆地の高い堆積物流動間の提案された相関には疑問が呈されます。本論文のKHSの年代は、172000年前頃の地中海腐泥S6の形成と一致せず、代わりに217000年前頃となる腐泥S8の形成時期と重なります。ETH18-8の177000±8000年前という年代は、172000年前頃となる腐泥S6の形成と一致しますが、約40cmの厚さの泥岩ユニットだけがETH18-8からKHSを分離し、これは199000~192000年前頃となる腐泥S7と同時の盆地における急速な堆積との提案を説明できません。
改定されたオモ・キビシュ層序は、報告されたナカアキレ凝灰岩の197000±4000年前という年代とも一致せず、ナカアキレ凝灰岩はオモ・キビシュ層の第1層で発見されたので、233000±22000年前より古いはずです。197000±4000年前という年代は、「砂質凝灰岩基質」で発見された本質レンズ(軽石が熱で再溶融し、引き伸ばされながら急冷して形成されたガラス質)の5点の年代測定された軽石砕屑物のうち3点から推測されました。これらの標本はナカアキレ凝灰岩と類似した主要元素組成を有していましたが、断面ではなく側面の露頭で採集されました。ナカアキレ凝灰岩の年代および層序学的位置の不確実性と、不均質な岩質および地質化学を考えると、KHS凝灰岩の供給源としてのシャラのQi2噴火の233000±22000年前という年代の同定は、現生人類化石であるオモ1号のより堅牢な下限年代を提供します。
さらに、本論文のKHSについての、ガラス質組成データと供給源との相関と年代推定により、エチオピアの他の遺跡の同定を再評価できます。密度分離後の、125µm、80µm、25µm以上の粒径断片における、コンソの土壌生成的に変わったユニットTA-55新たな岩質調査では、以前にはヘルトのWAVTと関連づけられていた、この堆積物のガラス質破片の同定に失敗しました。これは、KHS凝灰岩との報告された相関という評価を除外しました。しかし、キビシュのETH18-8および177000±8000年前となるコルベッティのイグニンブライトと相関する、下に位置するユニットTA-56から、TA-55が177000±8000年前より新しく、Qi2もしくはKHS凝灰岩と相関させられないことは明らかです。ガデモッタのユニットDにおける184000±10000年前という年代は主要元素組成ではKHSに近いようですが、主要元素も微量元素も存在量が明確に重複しておらず(図3)、一致しません。不動微量元素比と主成分分析は、ユニットDもTA-56とは異なる、と示します(図3)。
ヘルトの南方約800kmに位置するコンソのユニットTA-55とヘルトのWAVTとの相関により、初期の調査者はコンソのSVTの155000±14000年前という年代を、ヘルト化石の上限年代として受け入れるようになりました。この相関は議論されていますが、追加の地質化学的データにより補強されています。この研究は、TA-55標本で保存されたガラス質を見つけられませんでしたが、本論文の結果は、オモ・キビシュ層とガデモッタ層とコンソ層の間で提案されたテフラ層序相関を弱め、コンソTA-55凝灰岩の年代を177000±8000年前(TA-56)と155000±14000年前(SVT)の間に括ります。ヘルトにおけるWAVTとの相関は将来、粒子離散単一点ガラス質分析を用いて確認されるべきですが、この年代の括りは、下に位置するヘルトの化石を含む砂岩(16万年前頃)と一致しており、ヘルトの現生人類化石がオモ・キビシュそうのオモ1号よりもかなり新しいことを確証します。
●まとめ
本論文の新たな年代制約は、現生人類の進化に関するほとんどのモデルと一致します。そうしたモデルでは、現生人類の起源と絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との分岐を35万~20万年前頃と推定しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。オモ1号の堅牢な上限年代を得る、という課題が残っています。本論文の改定されたテフラ層序は、ヘルト標本がオモ・キビシュ層のオモ1号遺骸よりも新しく、ヘルト標本は以前に推測されたように、キビシュ層の化石群と同じテフラ層準の下に位置していないことを論証します。
さらなる地質化学的データが、WAVTと他のMERテフラとの間の関係を明確化するには必要で、最終的にはWAVTの供給源を特定できるかもしれず、ヘルト化石のより信頼できる下限年代を提供する見込みがあります。より一般的には、アフリカ東部のテフラ層序学的枠組みを発展させるための継続的な努力が、相互に関連する一連の火山学的・古環境学的・古人類学的問題に取り組むのに役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:エチオピアで出土した最古のヒト化石の年代推定の精度が高まった
エチオピアで出土したキビッシュ・オモ1号の化石は、アフリカ東部で最古のホモ・サピエンスの化石として知られているが、これまで考えられていたよりも3万6000年以上古いものである可能性が生じたことを報告する論文が、Nature に掲載される。この化石人類は、少なくとも約23万3000年前のものと推定されたが、この時間スケールは、現生人類の進化に関する複数のモデルとの一致度が高くなっている。
オモ1号の化石は、これまで約19万7000年前のものと推定されていた。この年代推定は、火山噴火の時期に対応した火山灰層を研究することによってなされたが、疑問が投げかけられてきていた。今回、Céline Vidalたちの研究チームは、オモ1号が出土した堆積層を覆っていた火山灰層を再調査して、この火山性堆積物が、エチオピアの大地溝帯のシャラ火山の大規模な爆発的噴火に関連していることを明らかにした。Vidalたちは、こうした分析によって、この火山灰層の下にあったオモ1号の化石の年代を約23万3000(±2万2000)年前と正確に推定した。この年代は、現生人類の進化モデルの大部分と一致している。これらのモデルによれば、人類は、約35万~20万年前に我々の最も近縁な祖先から生じ、分岐したと推定されている。
Vidalたちは、オモ1号の年代について強固な上限を導き出すために新たな研究を行う必要があると結論付けている。また、さらなる分析によって、ヘルト人の化石の年代も確認できると期待されている。ヘルト人の化石は、エチオピアで発見されたホモ・サピエンスの初期の化石で、一般に16万0000~15万5000年前のものと報告されており、これまでの理解とは異なり、オモ1号の化石とは異なる火山灰層の下に存在していることが明らかになったからだ。
進化学:アフリカ東部の既知最古のホモ・サピエンスの年代
進化学:エチオピアの初期のホモ・サピエンスのより正確な年代
外見が最も現代的な初期のホモ・サピエンス(Homo sapiens)の化石は、エチオピアのオモ・キビシュおよびヘルトで出土したもので、年代はそれぞれ約19万7000年前および約16万~15万5000年前とされている。しかし、こうした年代推定の根拠となる層序関係には、単に地質学的な理由だけでなく、モロッコのジェベル・イルードのヒト化石の年代が約35万年前とされるなど、現在ではホモ・サピエンスがより古くから存在したと考えられているため、異論がある。今回C Vidalたちは、オモの化石が出土した堆積層のすぐ上の地層を、エチオピアの火山噴火で放出された物質と相関させることで、年代の見直しを行った。その結果、オモの化石の年代は少なくとも23万3000 ± 2万2000年前であることが示された。
参考文献:
Vidal CM. et al.(2022): Age of the oldest known Homo sapiens from eastern Africa. Nature, 601, 7894, 579–583.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04275-8
この記事へのコメント