更新世人類も含むアフリカの新たな古代ゲノムデータ(追記有)
砂漠以南のアフリカの人類の新たな古代ゲノムデータを報告した研究(Lipson et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、おそらくサハラ砂漠以南のアフリカでは最初となる更新世人類のゲノムデータも報告しており、たいへん意義深いと思います。
後期更新世(125000~12000年前頃)におけるヒトの行動の複雑さの表現に関するモデルは、しばしば人口統計学的変化を引き合いに出します。5万年前頃までに、それ以前の中期石器時代(MSA)に存在した技術革新と象徴的行動(装飾品や骨器や顔料や細石器など)は、サハラ砂漠以南のアフリカ全域でより一貫して表現されるようになります(関連記事)。考古学者はこれを、後期石器時代(LSA)への移行と呼んでいます。
2万年前頃までに、これらの物質文化構成要素はほぼ一様に存在するようになっていましたが、地域的に多様でした。説明の一つは、人々がより大きなおよび/もしくはよりつながった集団で生活し始め、人口規模とつながりの差異が、時空間にわたる物質文化の違いをもたらした、というものです。後期更新世骨格の形態学的変異を考えると、相互作用は深く構造化された人口集団を伴っていたかもしれず(関連記事)、遺伝学に基づく一部の人口史モデルと一致します(関連記事)。
ゲノム規模古代DNA技術の出現は、古代アフリカの採集民間の物質文化の大きな変化および仮定された人口統計学的変化の理解を深めるうえで有望です。他地域、とくにヨーロッパと比較して、古代アフリカ人のゲノム調査はほとんどありませんでした。サハラ砂漠以南のアフリカ採集民の文脈での、以前の利用可能な古代DNA配列(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)は、比較的最近(9000年前頃以降)にも関わらず、人口統計学的変容(食料生産の拡大、植民地主義、帝国主義、奴隷化、現在の社会政治的再編成)により破壊された古代の遺伝的構造の証拠を提供します。古代の人口構造は、現代人の遺伝的データのみに基づいては、堅牢に再構成できません。
本論文は、アフリカ東部および中南部の5ヶ所の遺跡の、LSA技術と関連する後期更新世3個体と前期~中期完新世3個体の、新たなゲノム規模古代DNAデータと放射性炭素年代を提示します。その内訳は、タンザニアのキセセ2(Kisese II)遺跡(図1aの11)とムラムバラシ岩陰(Mlambalasi Rockshelters)遺跡(図1aの12)、マラウイのフィンギラ(Fingira)遺跡(図1aの13)とホラ1岩陰(Hora 1 Rockshelters)遺跡(図1aの14)、ザンビアのカレムバ岩陰(Kalemba Rockshelter)遺跡(図1aの16)です。以下は本論文の図1です。
直接的および間接的年代は18000~5000年前頃で、サハラ砂漠以南のアフリカで報告された古代DNAの時間深度を2倍にします。これらのデータは、刊行された他のアフリカの28個体とともに分析されました。この28個体の年代は過去8000年に及び、アフリカ東部と中央部と南部の17ヶ所の遺跡の採食集団とほぼ関連しています。また本論文は、これら28個体のうち15個体について、より高い網羅率のデータを提供します。現代人集団の配列とともに古代人のデータが分析され、新たな統計手法が用いられることで、過去約5000年の広範囲な人口統計学的変化の前に暮らしていた人々の、地域規模および大陸規模の人口構造の変化の再構成が可能となります。この分析は、熱帯地域と温帯地域との間の更新世採集民の人口動態の比較も可能とします。
●データセット
標本31点のうち5点の錐体骨、1点の末節骨で古代DNAが得られました。各標本につき最大6点のライブラリが調整され、約120万ヶ所の一塩基多型(SNP)区画で濃縮され、標的ゲノム規模SNP位置の網羅率0.001~3.2倍で配列されました。直接的な放射性炭素年代測定が5点の錐体骨で試みられましたが、2点だけが充分なコラーゲンを保存していました。一方はカレムバ遺跡の個体(I10726)で、較正年代は5280~4880年前頃となります。もう一方はキセセ2遺跡の個体(I18821)で、7240~6985年前頃となります。
さらに、ホラ1遺跡の既知の1個体(I2966)のエナメル質炭酸塩で新たな年代が生成され、以前の研究では8100年前頃と推定されていましたが、新たな直接的年代測定では9090~8770年前頃となります。ムラムバラシ遺跡の1個体(I13976)とホラ1遺跡の2個体(I19528とI19529)は、複数の間接的年代に基づいて年代は後期更新世によく制約され、前者は20000~17000年前頃、後者は17000~14000年前頃です。フィンギラ遺跡の1個体(I11019)は、発掘中に表面近くで孤立して回収された末節骨により表されます。その年代は、フィンギラ遺跡の他のヒト遺骸の直接的年代との関連により、6200~2300年前頃に制約されています。
既知の15個体(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)については、この研究で配列網羅率が上がり、エチオピアのモタ洞窟(Mota Cave)の1個体(関連記事)では26倍のショットガン網羅率が得られたので、二倍体遺伝子型を確実に呼び出せます。新たな古代DNAデータの確実性は、いくつかの基準の組み合わせを通じて評価されました。検出可能な汚染は、2個体だけで観察されました。ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)、鎌状赤血球形質、ダッフィ抗原と関連する一塩基多型の遺伝子型が報告され、ダッフィ抗原ケモカイン受容体(DARC)遺伝子座でのみ観察された派生的アレル(対立遺伝子)があります(カメルーンの4個体で報告されています)。
●片親性遺伝標識
新たに報告された男性4個体は、アフリカのこの地域の刊行されたほとんどの古代の採集民と類似しており、Y染色体ハプログループ(YHg)は広範に分布するB2でした。既知のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)を有する本論文のデータセットの23個体のうち、最大14個体(ほぼ全てがケニアとタンザニア)が、現代アフリカ東部集団と関連するmtHgです。マラウイとザンビアの8個体全ては、古代および現代の一部のアフリカ人と関連するmtHgで、具体的には、採食が生計の主要な形態である集団です。
マラウイの2個体のうち、16000年前頃となるホラ1遺跡の1個体(I19529)はmtHg-L5bで、2300年前頃となるフィンギラ遺跡の1個体(I4426)はmtHg-L0f/L0f3となり、ともにアフリカ東部関連のmtHgですが、マラウイのホラ1遺跡の8200年前頃となる1個体(I2967)はmtHg-L0a2/L0a2bで、ケニアのホワイトロックポイント(White Rock Point)遺跡の1個体(I8930)はmtHg-L2a4となり、ムブティ人やアカ人など現代のアフリカ中央部採集民に特徴的な系統です。これらの結果が示すのは、アフリカ東部および中南部現が、古代の多様な採食集団の本拠地かつその集団間の相互作用地域であり、これらのmtHg系統のいくつかは以前には現在よりも広く分布していた、ということです。
●ゲノム規模祖先系統の3方向勾配
分析の大部分で、ゲノム規模遺伝子型データを用いて、古代の採集民個体群の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)および他集団とのつながりへの洞察が得られました。教師あり主成分分析(PCA)が実行され、現代人3集団、つまりアフリカ南部のサン人(Juǀ'hoansi)、アフリカ中央部のムブティ人、アフリカ北東部のディンカ人を用いて、変異の二次元平面が定義され、全ての古代および現代の他の個体がこの平面に投影されました(図1b)。
以前の研究と一致して(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、祖先系統の古代の緯度勾配が観察されました。この緯度勾配については、北端は4500年前頃となるエチオピアのモタ洞窟(図1aの2)の1個体、南端は2000年前頃となる南アフリカ共和国の個体群により表されます。新たに報告された個体群は一般的に、その地理的隣人とまとまりますが、地理的(南西はカレムバ遺跡個体)および時間的(最大で18000~16000年前頃となり、明らかな時間的下位のまとまりはありません)両方の勾配の記録を拡大します。
さらに、直線からの逸脱の形態での勾配で複雑さが見つかりました。まず、逸脱の主要な方向は古代アフリカ南部採集民と一致しません。次に、数個体は現代および古代のアフリカ中央部採集民の方へと動いているように見えます。両方の観察結果は、本論文で標本抽出された古代のアフリカ東部および中南部の個体の一部が、アフリカ中央部に現在暮らす採集民と関連する集団にその祖先系統の一部をたどれる、と示唆します。さらに、逸脱の主要な方向が古代アフリカ南部採集民と一致しないことは、古代の個体群のアフリカ南部関連祖先系統が、現代のサン人および古代アフリカ南部採集民と遠い関連でしかない、と示唆します。
アレル共有検定(f統計)を用いて、どの個体が古代アフリカ南部採集民(AncSA)もしくはモタ遺跡個体もしくは現代のムブティ人との関連性の程度に違いがあるのか、さらに調べられました。主成分分析と一致して、同じ地域の個体のほとんどの組み合わせは、その祖先系統においてほぼ対称的でした。例外は、(1)ムブティ人とケニア西部のカカペル(Kakapel)遺跡(図1aの3)の1個体(KPL001)の過剰な類似性と、(2)AncSAとタンザニア東部のクームビ洞窟(Kuumbi Cave)遺跡(図1aの9)の1個体(I0589)の過剰な類似性と、(3)マラウイおよびザンビア内の中程度の違いです。対照的に、強力な地域間統計は、ひじょうに有意にゼロではなく、たとえば、ケニアのジャウォヨ(Jawuoyo)遺跡の1個体(I8808)とキセセ2遺跡の1個体(I8821)とモタ洞窟の1個体とAncSAのf4統計です。
ADMIXTOOLSのqpWaveプログラムも用いて、複数のf統計に基づく兆候を、(標本抽出された)古代の採集民個体間に存在する(指定された外群一式と比較しての)祖先系統の異なる構成要素の数の検定に組み合わせました。その結果、少なくとも3供給源が必要であるものの、興味深いことに、本論文で利用可能な統計的検出力では、モタ洞窟個体とサン人(Juǀ'hoansiとǂKhomaniの両方)とムブティ人が外群の場合でも、3供給源で充分と明らかになりました。モタ洞窟個体を検定一式に追加すると、外群がさほど厳密ではないにも関わらず、第四の供給源の証拠が高まる、と明らかになりました。この結果は、以前の研究(関連記事)で推測されたモタ洞窟個体へのひじょうに分岐した祖先系統を反映しているかもしれません。追加の系統が、これらの地域のまだ標本抽出されていない古代の個体群にも存在していたかもしれません。
DATESを用いて、古代の採集民について、混合(祖先系統の異なる供給源を含んでいるかもしれません)の年代が推定されました。要注意なのは、本論文の手法の検出力はデータの利用可能性に制約されることですが、2つの堅牢な推定値が得られました。両方とも以前に刊行された個体で、おそらくは食料生産者からの混合とつながっています。直接的年代測定はなく、5000年前頃と推定されるマラウイのチェンチェレレ2(Chencherere II)遺跡(図1aの15)の1個体(I4421)は10±2世代前、直接的年代測定で1500年前頃となるタンザニア北東部のマカンガレ洞窟(Makangale Cave)遺跡(図1aの8)の1個体(I1048)は79±24世代前です。
●地域間および地域内の関係
次に、混合図枠組みで古代採集民の祖先系統がモデル化され、低網羅率データから利用可能な情報を増やすための新たな手法により、その関係について追加の仮説が検証されました(図2および図3)。モデル1では、他の人口集団とともに、高い配列決定網羅率の、地理的および遺伝的に多様な古代のアフリカ東部および中南部の3個体が含められました。具体的には、2500年前頃となるフィンギラ遺跡の1個体(I4426)、キセセ2遺跡の1個体(I8821)、ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)です。
上述の結果に基づいて、この3個体は3祖先系統構成要素の混合と適合できる、と仮定されました。その祖先系統構成要素は、モタ個体と関連するもの(アフリカ東部北方の採集民の古代集団を表します)、アフリカ中央部採集民と関連するもの(現代ムブティ人に表されます)、アフリカ南部採集民と関連するもの(南アフリカ共和国の古代人4個体に表されます)です。じっさい、3個体全てで同一の供給源を指定した場合でさえ、モデル1ではデータへの良好な適合性が得られ、相対的な祖先系統の割合は予測通りでした。モタ洞窟関連祖先系統は北方から南方にかけて減少し、ジャウォヨ個体(I8808)はアフリカ南部関連祖先系統に対してアフリカ中央部関連祖先系統の比率が最高でした。以下は本論文の図2です。
実際、3個体とも同一の供給源を指定した場合でも、モデル1ではデータに対する良好な適合性が得られ、相対的な祖先系統比率は予想通りでした。モタ関連祖先系統は北方から南方へと減少し、ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)はアフリカ中央部関連祖先系統とアフリカ南部関連祖先系統の比率が最も高い、と示されました。いずれかの個体について3構成要素のどれかを省略すると、適合度が悪くなります。以前の研究(関連記事)と同様に、モタ個体では、約30%の分離して深く分岐した「亡霊(ghost)」祖先系統構成要素も推定されました。この結果は、新たなより高い網羅率の二倍体全ゲノムデータを用いて再現されました。
モデル2とモデル3を作成するためにより多くの個体を追加すると、全体的な推定構造と媒介変数はモデル1と類似している、明らかになりました。モタ関連およびアフリカ南部関連祖先系統は、各系統に沿って深く分岐している、と推測されます。ある意味で、それらは「亡霊」人口集団を表していますが、密接に関連する標本抽出された代表はありません。アフリカ中央部関連構成要素はムブティ人により近いので(祖先の混合事象が含まれます)、アフリカ中央部採集民系統の最初の分岐に対して、それほど深く分岐していない、と推測されます。
モデル1での観察を超える追加の有意なアレル共有兆候のほぼ全ては、以下の3要因に起因する可能性があります。それは、(1)短距離規模での過剰な関連性、(2)本論文の対象期間よりも最近の牧畜民および/もしくは農耕民からの混合、(3)汚染(2個体)です。これらの場合では、関連する個体間で共有された歴史(つまり、遺伝的浮動)を認めることにより、最終モデルが調整されました。(2)の事例は、推定された混合事象を追加し、(3)の事例では、汚染供給源を表す余分の混合を組み込みます。
ケニア西部の遺跡では、モデル3の3個体全てが、基準線予測を超える過剰な関連性を有しています(図2)。ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)とケニアのニャリンディ岩陰(Nyarindi Rockshelter)遺跡(図1aの4)の2個体(NYA002とNYA003)が最も密接で、モタ関連祖先系統とアフリカ中央部関連祖先系統とアフリカ南部関連祖先系統でモデル化でき、各割合は62%と19%と19%になりますが、カカペル遺跡の1個体(KPL001)は、追加のアフリカ中央部関連祖先系統を12%有する、と推定(図3)されます(いくつかの仮定で約2~4%の標準誤差)。
タンザニア北中部の遺跡群では、4個体全てが相互に過剰なアレル共有の兆候を有しており、ギジマンゲダ洞窟(Gishimangeda Cave)遺跡(図1aの10)の3個体(I13763とI13982とI13983)が最も密接です。この3個体のうち1個体(I13763)は、非アフリカ人個体群との過剰な関連性を示し、それは汚染の低い割合の証拠として解釈されます。その他の点では、4個体全ては、モタ関連祖先系統54%、アフリカ中央部関連祖先系統12%、アフリカ南部関連祖先系統34%を有するクレード(単系統群)として適合できます。
同様に、マカンガレ洞窟の1個体(I1048)、クームビ洞窟の1個体(I10589)、パンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟(図1aの7)の1個体(I0595)から構成される、タンザニア島嶼部および沿岸部の3個体は過剰な関連性を示し、クームビ洞窟とパンガヤサイディの個体は相互に最も密接で、モタ関連祖先系統49%、アフリカ中央部関連祖先系統12%、アフリカ南部関連祖先系統39%とモデル化されます。これらの個体も、食料生産と関連する人口集団からの祖先系統を有しており、3個体全てでアフリカ東部農耕牧畜民のアガウ人(Agaw)関連祖先系統があり、パンガヤサイディ個体(I0595)では、追加でアフリカ西部関連祖先系統があります。以下は本論文の図3です。
ケニアおよびタンザニアとは対照的に、マラウイとザンビアでは、過剰な関連性の兆候は観察されませんでした。祖先系統の割合を調整した後では、この地理的まとまり内のほとんどの個体は、ケニアおよびタンザニアの個体群に対してと同様に、相互に密接に関連していません。モデル3で見つかった唯一の注目すべき例外は、(1)フィンギラ遺跡の3個体(I4426とI4427とI4468)、とくに6100年前頃の2個体(I4427とI4468)と、(2)ホラ1遺跡の9000~8000年前頃の個体間(I2966とI2967)です。しかし、わずか100km~150km離れた他の個体(フィンギラ遺跡およびホラ1遺跡とチェンチェレレ2遺跡およびカレムバ遺跡)は、約700km~1500km離れた一部の個体を含めて、本論文の対象地域全体で用いられた、同じ祖先系統供給源の独立した混合によく適合できます。
同時に、マラウイとザンビアの個体群の推定祖先系統割合はよく似ており(モタ関連祖先系統約20~30%、アフリカ中央部関連祖先系統約5~10%、アフリカ南部関連祖先系統約60~70%)、フィンギラ遺跡のI4426個体(約11%の追加のアフリカ中央部関連祖先系統)、チェンチェレレ遺跡のI4421個体(約4%の牧畜民関連祖先系統)、カレムバ遺跡のI10726個体(マラウイ個体よりも約5%少ないモタ関連祖先系統)、ホラ1遺跡のI2966個体(少量の汚染)で観察された、有意な(ものの小さい)違いがあります。モデルの代替版も作成され、マラウイ個体群が、共有された3方向混合事象(および上述の個体群の追加の混合の僅かな割合)から派生したクレードを形成するものとして、指定されました。この3方向混合事象は、わずかに適合は悪化しますが(個体間のひじょうに類似した祖先系統割合を確証します)、クレードの基部でゼロの共有される浮動を特徴とし、内部の分枝ではほとんどありませんでした。
過剰な共有された遺伝的浮動はない、と仮定するモデル残差に基づく新たな手法を用いて、地理的距離と遺伝的関連性との間の関係が調べられました。つまり、3祖先系統供給源の差異を示す割合によってのみ予測されるものと比較して、個体の組み合わせ内の遺伝子型の類似性が観察されました。ケニアとタンザニア、もしくはマラウイとザンビアのどちらかの個体群の組み合わせを用いて、距離の関数として残差を投影する地域間の組み合わせとともに、短い距離ではより大きな関連性が見つかったものの、適合する曲線についてさまざまな長さの尺度が伴います(それぞれ、60kmと3km)。類似のパターンは、同じ遺跡に埋葬された個体の組み合わせを省略しても観察されます。したがって、本論文の標本抽出は均一ではなく、個体の全てが同時に暮らしていたわけではないことに注意しつつ、平均して明らかになったのは、(1)同じ遺跡もしくは近隣の遺跡の個体は、広範な地域的な遺伝的構造にのみ基づいて予測されるよりも密接に関連しているものの、(2)この関連性はとくにマラウイとザンビア内では、短距離でのみ広がります。
より広範な利用可能データがある温帯環境の同時代となる古代採集民との比較の観点から、中石器時代ヨーロッパの個体群で同様の分析が実行されました(36個体、12000~7000年前頃)。ヨーロッパ西部と東部および北部の両方も、距離が短いほど関連性が大きいパターンを示します。ヨーロッパ西部は、兆候のほぼ全てが同じ遺跡の組み合わせに由来する点でマラウイおよびザンビアと類似していますが、ヨーロッパ東部および北部は、地理的にかなり長い減衰規模となっています。
最後に、古代の個体群が、歴史的にもしくは最近採食生活様式を行なっていたタンザニアの現代のサンダウェ人(Sandawe)およびハッザ人(Hadza)と比較されました。以前の研究では、ハッザ人とサンダウェ人は近隣集団とは区別される祖先系統を有しており、古代のアフリカ採集民と関連する祖先系統の割合が異常に高い、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。両集団を含むモデル12の拡張版が作成されました。古代の個体群の一般的パターンとは対照的に、最近の混合を考慮した後でさえ、ハッザ人とサンダウェ人を単純な地域的クレードに適合させられませんでした。この最近の混合は、侵入してくる牧畜民および農耕民とおそらく関連しており、合計で、ハッザ人には約41%、サンダウェ人には約62%寄与しました。とくに、両者はタンザニア北中部の古代採集民と最も密接な系統を共有すると推定されたものの、ハッザ人がモタ個体と過剰なアレルを共有している一方で、サンダウェ人はアフリカ南部採集民と過剰なアレルを共有しています。
●有効人口規模
より高い網羅率の古代の個体群について、最近(個体の誕生の最大約500年前まで)の祖先の有効人口規模(Ne)が、長いROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)の走査により推測されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域です。長いROH(同型接合連続領域)は、小規模な人口集団もしくは両親が家族関係にある個体のゲノムに存在する、と予測されます(後者はとくに長いROHをもたらします)。Neの計算は、人口規模調査に加えて、いくつかの要因に依存します。とくに、Neは人口密度と繁殖につながるそれら社会的相互作用の距離の尺度両方の関数です。
古代の個体全ては、少なくとも1ヶ所の4cM(センチモルガン)超となる長いROHを有しており、より古い社会ではより小さな人口規模に向かう広く世界規模の傾向と一致します。しかし、Ne推定値は、比較的より大きな人口規模を示唆する最小限のROHの個体から、ずっと小さな人口規模を示唆する100 cM以上のROHの個体まで桁が異なります。具体的には、前者はモタ遺跡のI5950個体(Ne=5470、95%信頼区間で1237~無限)やキセセ2遺跡のI8821個体(Ne=2640、95%信頼区間で881~16424)、後者はジャウォヨ遺跡のI8808個体(Ne=377、95%信頼区間で229~678)などです。全体的に、人口規模の範囲は多くの現代アフリカの採集民集団(Neは約500~1500)と類似しており、世界中の現代の人口規模と比較して低位に位置します。
●考察
以前の諸研究とは対照的に、本論文の結果が示すのは、アフリカ東部からアフリカ南部へと緯度方向に伸びる2方向勾配モデルは、古代のサハラ砂漠以南のアフリカ採集民の遺伝的変異の観察されたパターンの説明には不充分ということです。本論文が論証したのは、アフリカ中央部関連祖先系統(標本抽出された人口集団では現代のムブティ人が最も密接です)が、モタ関連祖先系統およびアフリカ南部関連祖先系統とともに、さまざまな割合でケニア南西部からザンビア南東部に遍在しており(図3)、この3構成要素は少なくとも7000年前頃のタンザニアと16000年前頃のマラウイに存在していた、ということです。
さらに、広範な期間と生態学的文脈と考古学的関連からの古代アフリカ採集民を考慮すると、地理的近接性は依然として遺伝的類似性の最も強力な予測因子です(関連記事1および関連記事2)。そうしたパターンは、これらの個体が生存していた末期更新世と完新世には、長距離移動が稀だったことを示唆しているかもしれません。この仮説は、小地域規模の過剰な遺伝的関連性の混合図の兆候で支持されますが、より長い距離の規模では支持されません。現時点では、いつどの程度の速さでこの3方向勾配が出現したのか、推定できませんが、それは8万~6万年前頃のモタ関連祖先系統の出現(関連記事)、およびアフリカ中央部関連祖先系統について、アカ人とムブティ人との間の5万年前頃以降の分岐の、両方の後に起きたに違いありません。
祖先系統の観察パターンは何千年も安定したままでしたが、最初は末期更新世よりもこの分岐時期に近く、定着後とは質的に異なる移動と混合のパターン下で生じた、と本論文は提案します。16000年前頃以前のアフリカ東部および南中部にわたる拡散と相互作用と広範な混合は、その後の各小地域の祖先系統の高い均質性の程度と組み合わせて、南方は遠くザンビアにまで及んでいるエチオピアのモタ個体と関連する祖先系統、および北方は遠くケニアまで及んでいるアフリカ南部採集民と関連する祖先系統のかなりの割合により証明されています。移動性と社会的相互作用のパターンが後期更新世と完新世を通じて一貫したままだった場合、アフリカ東部および南中部内とその外部でのより長い距離の祖先系統のつながりの広範な証拠が見つかると予測されるでしょうが、本論文の標本抽出された個体群では、2つの有意で妥当な事例しか観察されませんでした(ケニアとマラウイの各1個体における追加のアフリカ中央部関連祖先系統が含まれます)。
しかし、3方向人口構造内では、明確な地域的軌跡が観察されました。ケニアとタンザニアの個体群は3つのまとまり(ケニア西部とタンザニア北中部と沿岸部および島嶼部)を形成し、同じまとまりの個体群は、類似の祖先系統の割合を有する場合に予測される以上の、過剰なアレル共有を示します。これは、約0~100kmと推定される距離の規模で、各小地域内で遺伝子流動が上昇したことを示唆します。対照的に、マラウイとザンビアの個体群で検出された関連性上昇の兆候は同じ遺跡に埋葬された遺骸だけで、フィンギラ遺跡などで1000~3600年の期間に及ぶかもしれません。
このパターンは、ヒトの拡散と相互作用の平均距離の短さにより最良に説明され、広範な規模の祖先系統勾配が確立し、平均して地域によって異なるより局所的な相互作用が続きます。ヨーロッパ西部の古代の採集民で類似のパターンが観察されましたが、ヨーロッパ北部と東部の採集民は、関連性のより長い距離の規模を示します。これは、人々が住んでいた場所と、その祖先が住んでいた場所との間の平均距離(したがって、とくに繁殖パターンに関してのヒトの移動の平均距離)が、さまざまな地域の採集民間で異なっていた、という証拠を提供します。
本論文の遺伝的発見は、生物考古学と考古学と言語学の証拠を用いて以前には研究されてきた後期更新世から完新世の人口統計学的過程に関して、新たな洞察を提供します。考古学的証拠は、30万年前頃に始まる、おそらく社会的ネットワークにより促進された、黒曜石など物質の長距離移動を証明しています(関連記事)。交換は後期更新世を通じて強化され、LSA(後期石器時代)の特徴となり、前期完新世までに、精巧な輸送共ネットワークと有された物質文化伝統で全盛を極めました(関連記事)。しかし、人々がモノを持って移動した範囲は、未解決の問題です。本論文の遺伝学的結果は、ヒトの移動性と長距離の遺伝子流動が、8万~2万年前頃の長距離ネットワークの発展および確立とともに起き、人々が局所的に暮らしていた期間に数万年にわたって持続した人口構造の形成に寄与した、という想定を支持します。
遺伝的証拠は、変わっていく後期更新世の相互作用範囲についての議論にも重みを加え、行動の変化とおそらくは言語の境界を伴う限定的な遺伝子流動がありました。しかし現時点では、LSA遺跡群における象徴的表現の証拠の増加と、特定の人工物様式の消滅に基づいて、仮定された人口密度の変化を評価できません。有効人口規模に関する本論文の遺伝的推定値は、少なくとも一部の現代アフリカ採集民と一致しますが、そうした集団に最近起きた人口統計学的圧力のため、良好な比較対象ではありません。さらに、限定的な遺伝子流動の小さな亜集団は、その地域の総人口が多い場合でさえ、祖先の有効人口規模が小さくなるかもしれません。長期にわたる多くの亜集団の存在を通じての遺伝的多様性の維持も、ほとんどのサハラ砂漠以南のアフリカの現代人集団で観察される高水準の遺伝的多様性の一因となる可能性があります。
LSAの考古学的記録は、よく定義され、時空間的に制約された物質文化伝統の出現を証明し、これは地域化とも呼ばれる現象です。動物相データは、2万年前頃以後のかなりの生存強化を示唆し、言語学的データも、現在もしくは歴史的にアフリカ中央部と東部と南部の採食と関連する共同体がさまざまな語族の言語を話している(アフリカ中央部では、最近の到来者から採用されました)、という事実に反映されている、局所的な相互作用への変化を示唆します。同時に、過去の地域的つながりと借用は、言語学者が以前に単一の語族として「吸着音(click)」言語と特徴づけたものであり、提案されたコエ語(Khoe)とクワディ語(Kwadi)とサンダウェ語(Sandawe)の分類は、アフリカ東部と南部との間のより長い距離のつながりの証拠を強化します。本論文の遺伝的結果は、地域化への傾向がヒトの人口構造にも及んでいたことを確証し、減少する遺伝子流動が行動とおそらくは言語の変化を伴っていた、と示唆します。
●まとめ
過去約5000年間の人口統計学的変容により、地域的な人口構造は根本的に変わり、アフリカ東部と中南部にわたって広がっていた、後期更新世までによく確立したアフリカ東部と南部と中央部の関連祖先系統の3方向勾配ほぼ消えました。歴史的に採食していた集団はしばしば周辺環境に追いやられ、人口統計学的変化を経ており、現代人のDNAから深い歴史について知るのは困難です。現在、アフリカには最大のヒトの遺伝的多様性が存在しますが、現代および古代の個体群の標本抽出が不充分なので、この多様性の起源が見えにくくなっています(関連記事)。本論文は、熱帯アフリカの古代DNAの更新世からの存続の可能性を示し、その数千年後に存在した人口集団からさえ推測できなかったパターンを明らかにして、アフリカ人の遺伝的多様性の大きさと、ヒトの相互作用と革新の長期的貯蔵所としてのアフリカ東部および中南部の重要性を強調します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
人類学:サハラ以南の古代人は地元に根付いた生活をしていた
古代人のDNAの研究が行われ、更新世末期にサハラ砂漠以南のアフリカに居住していた採集民が、地元に根付いた生活様式を好んでいたことが示唆された。この知見を報告する論文が、Nature に掲載される。今回の研究で、サハラ砂漠以南のアフリカから報告された古代DNAの時間的深度が2倍になり、アフリカの人類集団史に関する新たな知見が得られた。
これまで、アフリカの古代人の集団史を解明することは困難だった。これは、最近の5000年間の遊牧民と農民の動きによって、それより古い時代の人類集団の構造の解明が難しくなったことによる。今回、Mary Prendergast、David Reichたちは、さらに古い時代について調べるため、古代人34人のゲノム情報の研究を行った。このゲノム情報には、過去1万8000年間にわたるアフリカ東部と中南部に由来する6つの新たに生成されたデータセットが含まれている。その結果、3つの高度に分岐した源集団が特定された。第1がアフリカ東部に由来する集団、第2がアフリカ南部に由来する集団、第3がこれまで未評価だった系統で、現在、アフリカ中部の熱帯雨林で生活している採集民に最も高いレベルで見られる。
これまでの考古学に基づいた研究では、更新世の終わりに近づくと、生活が地域化する傾向が強まったことが示唆されている。この仮説を裏付けるさらなる証拠が、今回のゲノム研究によって得られた。新たに浮上したシナリオは、約5万年前にアフリカの東部、南部、中部の集団間で混合と移動があったというものだ。これにより、1つの人類集団の構造が形成され、それが約2万年前の更新世末期まで極めて安定的に推移し、人類の生活の地域化傾向が強まった。
参考文献:
Lipson M. et al.(2022): Ancient DNA and deep population structure in sub-Saharan African foragers. Nature, 603, 7900, 290–296.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-04430-9
追記(2022年3月10日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:サハラ以南のアフリカの狩猟採集民の古代DNAと深い集団構造
進化学:サハラ以南のアフリカの更新世末期の人口動態
今回、サハラ以南のアフリカに由来する後期更新世および前期完新世の古代人のゲノムデータ(新たに6個体のデータセットを含む)の解析から、8万~2万年前の高度に分岐した3つの起源集団の存在とそれらの混合が明らかになった。こうした集団構造はその後長期にわたって安定で、これは、後期更新世に地域化が強まっていたことを示唆している。
後期更新世(125000~12000年前頃)におけるヒトの行動の複雑さの表現に関するモデルは、しばしば人口統計学的変化を引き合いに出します。5万年前頃までに、それ以前の中期石器時代(MSA)に存在した技術革新と象徴的行動(装飾品や骨器や顔料や細石器など)は、サハラ砂漠以南のアフリカ全域でより一貫して表現されるようになります(関連記事)。考古学者はこれを、後期石器時代(LSA)への移行と呼んでいます。
2万年前頃までに、これらの物質文化構成要素はほぼ一様に存在するようになっていましたが、地域的に多様でした。説明の一つは、人々がより大きなおよび/もしくはよりつながった集団で生活し始め、人口規模とつながりの差異が、時空間にわたる物質文化の違いをもたらした、というものです。後期更新世骨格の形態学的変異を考えると、相互作用は深く構造化された人口集団を伴っていたかもしれず(関連記事)、遺伝学に基づく一部の人口史モデルと一致します(関連記事)。
ゲノム規模古代DNA技術の出現は、古代アフリカの採集民間の物質文化の大きな変化および仮定された人口統計学的変化の理解を深めるうえで有望です。他地域、とくにヨーロッパと比較して、古代アフリカ人のゲノム調査はほとんどありませんでした。サハラ砂漠以南のアフリカ採集民の文脈での、以前の利用可能な古代DNA配列(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)は、比較的最近(9000年前頃以降)にも関わらず、人口統計学的変容(食料生産の拡大、植民地主義、帝国主義、奴隷化、現在の社会政治的再編成)により破壊された古代の遺伝的構造の証拠を提供します。古代の人口構造は、現代人の遺伝的データのみに基づいては、堅牢に再構成できません。
本論文は、アフリカ東部および中南部の5ヶ所の遺跡の、LSA技術と関連する後期更新世3個体と前期~中期完新世3個体の、新たなゲノム規模古代DNAデータと放射性炭素年代を提示します。その内訳は、タンザニアのキセセ2(Kisese II)遺跡(図1aの11)とムラムバラシ岩陰(Mlambalasi Rockshelters)遺跡(図1aの12)、マラウイのフィンギラ(Fingira)遺跡(図1aの13)とホラ1岩陰(Hora 1 Rockshelters)遺跡(図1aの14)、ザンビアのカレムバ岩陰(Kalemba Rockshelter)遺跡(図1aの16)です。以下は本論文の図1です。
直接的および間接的年代は18000~5000年前頃で、サハラ砂漠以南のアフリカで報告された古代DNAの時間深度を2倍にします。これらのデータは、刊行された他のアフリカの28個体とともに分析されました。この28個体の年代は過去8000年に及び、アフリカ東部と中央部と南部の17ヶ所の遺跡の採食集団とほぼ関連しています。また本論文は、これら28個体のうち15個体について、より高い網羅率のデータを提供します。現代人集団の配列とともに古代人のデータが分析され、新たな統計手法が用いられることで、過去約5000年の広範囲な人口統計学的変化の前に暮らしていた人々の、地域規模および大陸規模の人口構造の変化の再構成が可能となります。この分析は、熱帯地域と温帯地域との間の更新世採集民の人口動態の比較も可能とします。
●データセット
標本31点のうち5点の錐体骨、1点の末節骨で古代DNAが得られました。各標本につき最大6点のライブラリが調整され、約120万ヶ所の一塩基多型(SNP)区画で濃縮され、標的ゲノム規模SNP位置の網羅率0.001~3.2倍で配列されました。直接的な放射性炭素年代測定が5点の錐体骨で試みられましたが、2点だけが充分なコラーゲンを保存していました。一方はカレムバ遺跡の個体(I10726)で、較正年代は5280~4880年前頃となります。もう一方はキセセ2遺跡の個体(I18821)で、7240~6985年前頃となります。
さらに、ホラ1遺跡の既知の1個体(I2966)のエナメル質炭酸塩で新たな年代が生成され、以前の研究では8100年前頃と推定されていましたが、新たな直接的年代測定では9090~8770年前頃となります。ムラムバラシ遺跡の1個体(I13976)とホラ1遺跡の2個体(I19528とI19529)は、複数の間接的年代に基づいて年代は後期更新世によく制約され、前者は20000~17000年前頃、後者は17000~14000年前頃です。フィンギラ遺跡の1個体(I11019)は、発掘中に表面近くで孤立して回収された末節骨により表されます。その年代は、フィンギラ遺跡の他のヒト遺骸の直接的年代との関連により、6200~2300年前頃に制約されています。
既知の15個体(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)については、この研究で配列網羅率が上がり、エチオピアのモタ洞窟(Mota Cave)の1個体(関連記事)では26倍のショットガン網羅率が得られたので、二倍体遺伝子型を確実に呼び出せます。新たな古代DNAデータの確実性は、いくつかの基準の組み合わせを通じて評価されました。検出可能な汚染は、2個体だけで観察されました。ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)、鎌状赤血球形質、ダッフィ抗原と関連する一塩基多型の遺伝子型が報告され、ダッフィ抗原ケモカイン受容体(DARC)遺伝子座でのみ観察された派生的アレル(対立遺伝子)があります(カメルーンの4個体で報告されています)。
●片親性遺伝標識
新たに報告された男性4個体は、アフリカのこの地域の刊行されたほとんどの古代の採集民と類似しており、Y染色体ハプログループ(YHg)は広範に分布するB2でした。既知のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)を有する本論文のデータセットの23個体のうち、最大14個体(ほぼ全てがケニアとタンザニア)が、現代アフリカ東部集団と関連するmtHgです。マラウイとザンビアの8個体全ては、古代および現代の一部のアフリカ人と関連するmtHgで、具体的には、採食が生計の主要な形態である集団です。
マラウイの2個体のうち、16000年前頃となるホラ1遺跡の1個体(I19529)はmtHg-L5bで、2300年前頃となるフィンギラ遺跡の1個体(I4426)はmtHg-L0f/L0f3となり、ともにアフリカ東部関連のmtHgですが、マラウイのホラ1遺跡の8200年前頃となる1個体(I2967)はmtHg-L0a2/L0a2bで、ケニアのホワイトロックポイント(White Rock Point)遺跡の1個体(I8930)はmtHg-L2a4となり、ムブティ人やアカ人など現代のアフリカ中央部採集民に特徴的な系統です。これらの結果が示すのは、アフリカ東部および中南部現が、古代の多様な採食集団の本拠地かつその集団間の相互作用地域であり、これらのmtHg系統のいくつかは以前には現在よりも広く分布していた、ということです。
●ゲノム規模祖先系統の3方向勾配
分析の大部分で、ゲノム規模遺伝子型データを用いて、古代の採集民個体群の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)および他集団とのつながりへの洞察が得られました。教師あり主成分分析(PCA)が実行され、現代人3集団、つまりアフリカ南部のサン人(Juǀ'hoansi)、アフリカ中央部のムブティ人、アフリカ北東部のディンカ人を用いて、変異の二次元平面が定義され、全ての古代および現代の他の個体がこの平面に投影されました(図1b)。
以前の研究と一致して(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、祖先系統の古代の緯度勾配が観察されました。この緯度勾配については、北端は4500年前頃となるエチオピアのモタ洞窟(図1aの2)の1個体、南端は2000年前頃となる南アフリカ共和国の個体群により表されます。新たに報告された個体群は一般的に、その地理的隣人とまとまりますが、地理的(南西はカレムバ遺跡個体)および時間的(最大で18000~16000年前頃となり、明らかな時間的下位のまとまりはありません)両方の勾配の記録を拡大します。
さらに、直線からの逸脱の形態での勾配で複雑さが見つかりました。まず、逸脱の主要な方向は古代アフリカ南部採集民と一致しません。次に、数個体は現代および古代のアフリカ中央部採集民の方へと動いているように見えます。両方の観察結果は、本論文で標本抽出された古代のアフリカ東部および中南部の個体の一部が、アフリカ中央部に現在暮らす採集民と関連する集団にその祖先系統の一部をたどれる、と示唆します。さらに、逸脱の主要な方向が古代アフリカ南部採集民と一致しないことは、古代の個体群のアフリカ南部関連祖先系統が、現代のサン人および古代アフリカ南部採集民と遠い関連でしかない、と示唆します。
アレル共有検定(f統計)を用いて、どの個体が古代アフリカ南部採集民(AncSA)もしくはモタ遺跡個体もしくは現代のムブティ人との関連性の程度に違いがあるのか、さらに調べられました。主成分分析と一致して、同じ地域の個体のほとんどの組み合わせは、その祖先系統においてほぼ対称的でした。例外は、(1)ムブティ人とケニア西部のカカペル(Kakapel)遺跡(図1aの3)の1個体(KPL001)の過剰な類似性と、(2)AncSAとタンザニア東部のクームビ洞窟(Kuumbi Cave)遺跡(図1aの9)の1個体(I0589)の過剰な類似性と、(3)マラウイおよびザンビア内の中程度の違いです。対照的に、強力な地域間統計は、ひじょうに有意にゼロではなく、たとえば、ケニアのジャウォヨ(Jawuoyo)遺跡の1個体(I8808)とキセセ2遺跡の1個体(I8821)とモタ洞窟の1個体とAncSAのf4統計です。
ADMIXTOOLSのqpWaveプログラムも用いて、複数のf統計に基づく兆候を、(標本抽出された)古代の採集民個体間に存在する(指定された外群一式と比較しての)祖先系統の異なる構成要素の数の検定に組み合わせました。その結果、少なくとも3供給源が必要であるものの、興味深いことに、本論文で利用可能な統計的検出力では、モタ洞窟個体とサン人(Juǀ'hoansiとǂKhomaniの両方)とムブティ人が外群の場合でも、3供給源で充分と明らかになりました。モタ洞窟個体を検定一式に追加すると、外群がさほど厳密ではないにも関わらず、第四の供給源の証拠が高まる、と明らかになりました。この結果は、以前の研究(関連記事)で推測されたモタ洞窟個体へのひじょうに分岐した祖先系統を反映しているかもしれません。追加の系統が、これらの地域のまだ標本抽出されていない古代の個体群にも存在していたかもしれません。
DATESを用いて、古代の採集民について、混合(祖先系統の異なる供給源を含んでいるかもしれません)の年代が推定されました。要注意なのは、本論文の手法の検出力はデータの利用可能性に制約されることですが、2つの堅牢な推定値が得られました。両方とも以前に刊行された個体で、おそらくは食料生産者からの混合とつながっています。直接的年代測定はなく、5000年前頃と推定されるマラウイのチェンチェレレ2(Chencherere II)遺跡(図1aの15)の1個体(I4421)は10±2世代前、直接的年代測定で1500年前頃となるタンザニア北東部のマカンガレ洞窟(Makangale Cave)遺跡(図1aの8)の1個体(I1048)は79±24世代前です。
●地域間および地域内の関係
次に、混合図枠組みで古代採集民の祖先系統がモデル化され、低網羅率データから利用可能な情報を増やすための新たな手法により、その関係について追加の仮説が検証されました(図2および図3)。モデル1では、他の人口集団とともに、高い配列決定網羅率の、地理的および遺伝的に多様な古代のアフリカ東部および中南部の3個体が含められました。具体的には、2500年前頃となるフィンギラ遺跡の1個体(I4426)、キセセ2遺跡の1個体(I8821)、ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)です。
上述の結果に基づいて、この3個体は3祖先系統構成要素の混合と適合できる、と仮定されました。その祖先系統構成要素は、モタ個体と関連するもの(アフリカ東部北方の採集民の古代集団を表します)、アフリカ中央部採集民と関連するもの(現代ムブティ人に表されます)、アフリカ南部採集民と関連するもの(南アフリカ共和国の古代人4個体に表されます)です。じっさい、3個体全てで同一の供給源を指定した場合でさえ、モデル1ではデータへの良好な適合性が得られ、相対的な祖先系統の割合は予測通りでした。モタ洞窟関連祖先系統は北方から南方にかけて減少し、ジャウォヨ個体(I8808)はアフリカ南部関連祖先系統に対してアフリカ中央部関連祖先系統の比率が最高でした。以下は本論文の図2です。
実際、3個体とも同一の供給源を指定した場合でも、モデル1ではデータに対する良好な適合性が得られ、相対的な祖先系統比率は予想通りでした。モタ関連祖先系統は北方から南方へと減少し、ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)はアフリカ中央部関連祖先系統とアフリカ南部関連祖先系統の比率が最も高い、と示されました。いずれかの個体について3構成要素のどれかを省略すると、適合度が悪くなります。以前の研究(関連記事)と同様に、モタ個体では、約30%の分離して深く分岐した「亡霊(ghost)」祖先系統構成要素も推定されました。この結果は、新たなより高い網羅率の二倍体全ゲノムデータを用いて再現されました。
モデル2とモデル3を作成するためにより多くの個体を追加すると、全体的な推定構造と媒介変数はモデル1と類似している、明らかになりました。モタ関連およびアフリカ南部関連祖先系統は、各系統に沿って深く分岐している、と推測されます。ある意味で、それらは「亡霊」人口集団を表していますが、密接に関連する標本抽出された代表はありません。アフリカ中央部関連構成要素はムブティ人により近いので(祖先の混合事象が含まれます)、アフリカ中央部採集民系統の最初の分岐に対して、それほど深く分岐していない、と推測されます。
モデル1での観察を超える追加の有意なアレル共有兆候のほぼ全ては、以下の3要因に起因する可能性があります。それは、(1)短距離規模での過剰な関連性、(2)本論文の対象期間よりも最近の牧畜民および/もしくは農耕民からの混合、(3)汚染(2個体)です。これらの場合では、関連する個体間で共有された歴史(つまり、遺伝的浮動)を認めることにより、最終モデルが調整されました。(2)の事例は、推定された混合事象を追加し、(3)の事例では、汚染供給源を表す余分の混合を組み込みます。
ケニア西部の遺跡では、モデル3の3個体全てが、基準線予測を超える過剰な関連性を有しています(図2)。ジャウォヨ遺跡の1個体(I8808)とケニアのニャリンディ岩陰(Nyarindi Rockshelter)遺跡(図1aの4)の2個体(NYA002とNYA003)が最も密接で、モタ関連祖先系統とアフリカ中央部関連祖先系統とアフリカ南部関連祖先系統でモデル化でき、各割合は62%と19%と19%になりますが、カカペル遺跡の1個体(KPL001)は、追加のアフリカ中央部関連祖先系統を12%有する、と推定(図3)されます(いくつかの仮定で約2~4%の標準誤差)。
タンザニア北中部の遺跡群では、4個体全てが相互に過剰なアレル共有の兆候を有しており、ギジマンゲダ洞窟(Gishimangeda Cave)遺跡(図1aの10)の3個体(I13763とI13982とI13983)が最も密接です。この3個体のうち1個体(I13763)は、非アフリカ人個体群との過剰な関連性を示し、それは汚染の低い割合の証拠として解釈されます。その他の点では、4個体全ては、モタ関連祖先系統54%、アフリカ中央部関連祖先系統12%、アフリカ南部関連祖先系統34%を有するクレード(単系統群)として適合できます。
同様に、マカンガレ洞窟の1個体(I1048)、クームビ洞窟の1個体(I10589)、パンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟(図1aの7)の1個体(I0595)から構成される、タンザニア島嶼部および沿岸部の3個体は過剰な関連性を示し、クームビ洞窟とパンガヤサイディの個体は相互に最も密接で、モタ関連祖先系統49%、アフリカ中央部関連祖先系統12%、アフリカ南部関連祖先系統39%とモデル化されます。これらの個体も、食料生産と関連する人口集団からの祖先系統を有しており、3個体全てでアフリカ東部農耕牧畜民のアガウ人(Agaw)関連祖先系統があり、パンガヤサイディ個体(I0595)では、追加でアフリカ西部関連祖先系統があります。以下は本論文の図3です。
ケニアおよびタンザニアとは対照的に、マラウイとザンビアでは、過剰な関連性の兆候は観察されませんでした。祖先系統の割合を調整した後では、この地理的まとまり内のほとんどの個体は、ケニアおよびタンザニアの個体群に対してと同様に、相互に密接に関連していません。モデル3で見つかった唯一の注目すべき例外は、(1)フィンギラ遺跡の3個体(I4426とI4427とI4468)、とくに6100年前頃の2個体(I4427とI4468)と、(2)ホラ1遺跡の9000~8000年前頃の個体間(I2966とI2967)です。しかし、わずか100km~150km離れた他の個体(フィンギラ遺跡およびホラ1遺跡とチェンチェレレ2遺跡およびカレムバ遺跡)は、約700km~1500km離れた一部の個体を含めて、本論文の対象地域全体で用いられた、同じ祖先系統供給源の独立した混合によく適合できます。
同時に、マラウイとザンビアの個体群の推定祖先系統割合はよく似ており(モタ関連祖先系統約20~30%、アフリカ中央部関連祖先系統約5~10%、アフリカ南部関連祖先系統約60~70%)、フィンギラ遺跡のI4426個体(約11%の追加のアフリカ中央部関連祖先系統)、チェンチェレレ遺跡のI4421個体(約4%の牧畜民関連祖先系統)、カレムバ遺跡のI10726個体(マラウイ個体よりも約5%少ないモタ関連祖先系統)、ホラ1遺跡のI2966個体(少量の汚染)で観察された、有意な(ものの小さい)違いがあります。モデルの代替版も作成され、マラウイ個体群が、共有された3方向混合事象(および上述の個体群の追加の混合の僅かな割合)から派生したクレードを形成するものとして、指定されました。この3方向混合事象は、わずかに適合は悪化しますが(個体間のひじょうに類似した祖先系統割合を確証します)、クレードの基部でゼロの共有される浮動を特徴とし、内部の分枝ではほとんどありませんでした。
過剰な共有された遺伝的浮動はない、と仮定するモデル残差に基づく新たな手法を用いて、地理的距離と遺伝的関連性との間の関係が調べられました。つまり、3祖先系統供給源の差異を示す割合によってのみ予測されるものと比較して、個体の組み合わせ内の遺伝子型の類似性が観察されました。ケニアとタンザニア、もしくはマラウイとザンビアのどちらかの個体群の組み合わせを用いて、距離の関数として残差を投影する地域間の組み合わせとともに、短い距離ではより大きな関連性が見つかったものの、適合する曲線についてさまざまな長さの尺度が伴います(それぞれ、60kmと3km)。類似のパターンは、同じ遺跡に埋葬された個体の組み合わせを省略しても観察されます。したがって、本論文の標本抽出は均一ではなく、個体の全てが同時に暮らしていたわけではないことに注意しつつ、平均して明らかになったのは、(1)同じ遺跡もしくは近隣の遺跡の個体は、広範な地域的な遺伝的構造にのみ基づいて予測されるよりも密接に関連しているものの、(2)この関連性はとくにマラウイとザンビア内では、短距離でのみ広がります。
より広範な利用可能データがある温帯環境の同時代となる古代採集民との比較の観点から、中石器時代ヨーロッパの個体群で同様の分析が実行されました(36個体、12000~7000年前頃)。ヨーロッパ西部と東部および北部の両方も、距離が短いほど関連性が大きいパターンを示します。ヨーロッパ西部は、兆候のほぼ全てが同じ遺跡の組み合わせに由来する点でマラウイおよびザンビアと類似していますが、ヨーロッパ東部および北部は、地理的にかなり長い減衰規模となっています。
最後に、古代の個体群が、歴史的にもしくは最近採食生活様式を行なっていたタンザニアの現代のサンダウェ人(Sandawe)およびハッザ人(Hadza)と比較されました。以前の研究では、ハッザ人とサンダウェ人は近隣集団とは区別される祖先系統を有しており、古代のアフリカ採集民と関連する祖先系統の割合が異常に高い、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。両集団を含むモデル12の拡張版が作成されました。古代の個体群の一般的パターンとは対照的に、最近の混合を考慮した後でさえ、ハッザ人とサンダウェ人を単純な地域的クレードに適合させられませんでした。この最近の混合は、侵入してくる牧畜民および農耕民とおそらく関連しており、合計で、ハッザ人には約41%、サンダウェ人には約62%寄与しました。とくに、両者はタンザニア北中部の古代採集民と最も密接な系統を共有すると推定されたものの、ハッザ人がモタ個体と過剰なアレルを共有している一方で、サンダウェ人はアフリカ南部採集民と過剰なアレルを共有しています。
●有効人口規模
より高い網羅率の古代の個体群について、最近(個体の誕生の最大約500年前まで)の祖先の有効人口規模(Ne)が、長いROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)の走査により推測されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域です。長いROH(同型接合連続領域)は、小規模な人口集団もしくは両親が家族関係にある個体のゲノムに存在する、と予測されます(後者はとくに長いROHをもたらします)。Neの計算は、人口規模調査に加えて、いくつかの要因に依存します。とくに、Neは人口密度と繁殖につながるそれら社会的相互作用の距離の尺度両方の関数です。
古代の個体全ては、少なくとも1ヶ所の4cM(センチモルガン)超となる長いROHを有しており、より古い社会ではより小さな人口規模に向かう広く世界規模の傾向と一致します。しかし、Ne推定値は、比較的より大きな人口規模を示唆する最小限のROHの個体から、ずっと小さな人口規模を示唆する100 cM以上のROHの個体まで桁が異なります。具体的には、前者はモタ遺跡のI5950個体(Ne=5470、95%信頼区間で1237~無限)やキセセ2遺跡のI8821個体(Ne=2640、95%信頼区間で881~16424)、後者はジャウォヨ遺跡のI8808個体(Ne=377、95%信頼区間で229~678)などです。全体的に、人口規模の範囲は多くの現代アフリカの採集民集団(Neは約500~1500)と類似しており、世界中の現代の人口規模と比較して低位に位置します。
●考察
以前の諸研究とは対照的に、本論文の結果が示すのは、アフリカ東部からアフリカ南部へと緯度方向に伸びる2方向勾配モデルは、古代のサハラ砂漠以南のアフリカ採集民の遺伝的変異の観察されたパターンの説明には不充分ということです。本論文が論証したのは、アフリカ中央部関連祖先系統(標本抽出された人口集団では現代のムブティ人が最も密接です)が、モタ関連祖先系統およびアフリカ南部関連祖先系統とともに、さまざまな割合でケニア南西部からザンビア南東部に遍在しており(図3)、この3構成要素は少なくとも7000年前頃のタンザニアと16000年前頃のマラウイに存在していた、ということです。
さらに、広範な期間と生態学的文脈と考古学的関連からの古代アフリカ採集民を考慮すると、地理的近接性は依然として遺伝的類似性の最も強力な予測因子です(関連記事1および関連記事2)。そうしたパターンは、これらの個体が生存していた末期更新世と完新世には、長距離移動が稀だったことを示唆しているかもしれません。この仮説は、小地域規模の過剰な遺伝的関連性の混合図の兆候で支持されますが、より長い距離の規模では支持されません。現時点では、いつどの程度の速さでこの3方向勾配が出現したのか、推定できませんが、それは8万~6万年前頃のモタ関連祖先系統の出現(関連記事)、およびアフリカ中央部関連祖先系統について、アカ人とムブティ人との間の5万年前頃以降の分岐の、両方の後に起きたに違いありません。
祖先系統の観察パターンは何千年も安定したままでしたが、最初は末期更新世よりもこの分岐時期に近く、定着後とは質的に異なる移動と混合のパターン下で生じた、と本論文は提案します。16000年前頃以前のアフリカ東部および南中部にわたる拡散と相互作用と広範な混合は、その後の各小地域の祖先系統の高い均質性の程度と組み合わせて、南方は遠くザンビアにまで及んでいるエチオピアのモタ個体と関連する祖先系統、および北方は遠くケニアまで及んでいるアフリカ南部採集民と関連する祖先系統のかなりの割合により証明されています。移動性と社会的相互作用のパターンが後期更新世と完新世を通じて一貫したままだった場合、アフリカ東部および南中部内とその外部でのより長い距離の祖先系統のつながりの広範な証拠が見つかると予測されるでしょうが、本論文の標本抽出された個体群では、2つの有意で妥当な事例しか観察されませんでした(ケニアとマラウイの各1個体における追加のアフリカ中央部関連祖先系統が含まれます)。
しかし、3方向人口構造内では、明確な地域的軌跡が観察されました。ケニアとタンザニアの個体群は3つのまとまり(ケニア西部とタンザニア北中部と沿岸部および島嶼部)を形成し、同じまとまりの個体群は、類似の祖先系統の割合を有する場合に予測される以上の、過剰なアレル共有を示します。これは、約0~100kmと推定される距離の規模で、各小地域内で遺伝子流動が上昇したことを示唆します。対照的に、マラウイとザンビアの個体群で検出された関連性上昇の兆候は同じ遺跡に埋葬された遺骸だけで、フィンギラ遺跡などで1000~3600年の期間に及ぶかもしれません。
このパターンは、ヒトの拡散と相互作用の平均距離の短さにより最良に説明され、広範な規模の祖先系統勾配が確立し、平均して地域によって異なるより局所的な相互作用が続きます。ヨーロッパ西部の古代の採集民で類似のパターンが観察されましたが、ヨーロッパ北部と東部の採集民は、関連性のより長い距離の規模を示します。これは、人々が住んでいた場所と、その祖先が住んでいた場所との間の平均距離(したがって、とくに繁殖パターンに関してのヒトの移動の平均距離)が、さまざまな地域の採集民間で異なっていた、という証拠を提供します。
本論文の遺伝的発見は、生物考古学と考古学と言語学の証拠を用いて以前には研究されてきた後期更新世から完新世の人口統計学的過程に関して、新たな洞察を提供します。考古学的証拠は、30万年前頃に始まる、おそらく社会的ネットワークにより促進された、黒曜石など物質の長距離移動を証明しています(関連記事)。交換は後期更新世を通じて強化され、LSA(後期石器時代)の特徴となり、前期完新世までに、精巧な輸送共ネットワークと有された物質文化伝統で全盛を極めました(関連記事)。しかし、人々がモノを持って移動した範囲は、未解決の問題です。本論文の遺伝学的結果は、ヒトの移動性と長距離の遺伝子流動が、8万~2万年前頃の長距離ネットワークの発展および確立とともに起き、人々が局所的に暮らしていた期間に数万年にわたって持続した人口構造の形成に寄与した、という想定を支持します。
遺伝的証拠は、変わっていく後期更新世の相互作用範囲についての議論にも重みを加え、行動の変化とおそらくは言語の境界を伴う限定的な遺伝子流動がありました。しかし現時点では、LSA遺跡群における象徴的表現の証拠の増加と、特定の人工物様式の消滅に基づいて、仮定された人口密度の変化を評価できません。有効人口規模に関する本論文の遺伝的推定値は、少なくとも一部の現代アフリカ採集民と一致しますが、そうした集団に最近起きた人口統計学的圧力のため、良好な比較対象ではありません。さらに、限定的な遺伝子流動の小さな亜集団は、その地域の総人口が多い場合でさえ、祖先の有効人口規模が小さくなるかもしれません。長期にわたる多くの亜集団の存在を通じての遺伝的多様性の維持も、ほとんどのサハラ砂漠以南のアフリカの現代人集団で観察される高水準の遺伝的多様性の一因となる可能性があります。
LSAの考古学的記録は、よく定義され、時空間的に制約された物質文化伝統の出現を証明し、これは地域化とも呼ばれる現象です。動物相データは、2万年前頃以後のかなりの生存強化を示唆し、言語学的データも、現在もしくは歴史的にアフリカ中央部と東部と南部の採食と関連する共同体がさまざまな語族の言語を話している(アフリカ中央部では、最近の到来者から採用されました)、という事実に反映されている、局所的な相互作用への変化を示唆します。同時に、過去の地域的つながりと借用は、言語学者が以前に単一の語族として「吸着音(click)」言語と特徴づけたものであり、提案されたコエ語(Khoe)とクワディ語(Kwadi)とサンダウェ語(Sandawe)の分類は、アフリカ東部と南部との間のより長い距離のつながりの証拠を強化します。本論文の遺伝的結果は、地域化への傾向がヒトの人口構造にも及んでいたことを確証し、減少する遺伝子流動が行動とおそらくは言語の変化を伴っていた、と示唆します。
●まとめ
過去約5000年間の人口統計学的変容により、地域的な人口構造は根本的に変わり、アフリカ東部と中南部にわたって広がっていた、後期更新世までによく確立したアフリカ東部と南部と中央部の関連祖先系統の3方向勾配ほぼ消えました。歴史的に採食していた集団はしばしば周辺環境に追いやられ、人口統計学的変化を経ており、現代人のDNAから深い歴史について知るのは困難です。現在、アフリカには最大のヒトの遺伝的多様性が存在しますが、現代および古代の個体群の標本抽出が不充分なので、この多様性の起源が見えにくくなっています(関連記事)。本論文は、熱帯アフリカの古代DNAの更新世からの存続の可能性を示し、その数千年後に存在した人口集団からさえ推測できなかったパターンを明らかにして、アフリカ人の遺伝的多様性の大きさと、ヒトの相互作用と革新の長期的貯蔵所としてのアフリカ東部および中南部の重要性を強調します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
人類学:サハラ以南の古代人は地元に根付いた生活をしていた
古代人のDNAの研究が行われ、更新世末期にサハラ砂漠以南のアフリカに居住していた採集民が、地元に根付いた生活様式を好んでいたことが示唆された。この知見を報告する論文が、Nature に掲載される。今回の研究で、サハラ砂漠以南のアフリカから報告された古代DNAの時間的深度が2倍になり、アフリカの人類集団史に関する新たな知見が得られた。
これまで、アフリカの古代人の集団史を解明することは困難だった。これは、最近の5000年間の遊牧民と農民の動きによって、それより古い時代の人類集団の構造の解明が難しくなったことによる。今回、Mary Prendergast、David Reichたちは、さらに古い時代について調べるため、古代人34人のゲノム情報の研究を行った。このゲノム情報には、過去1万8000年間にわたるアフリカ東部と中南部に由来する6つの新たに生成されたデータセットが含まれている。その結果、3つの高度に分岐した源集団が特定された。第1がアフリカ東部に由来する集団、第2がアフリカ南部に由来する集団、第3がこれまで未評価だった系統で、現在、アフリカ中部の熱帯雨林で生活している採集民に最も高いレベルで見られる。
これまでの考古学に基づいた研究では、更新世の終わりに近づくと、生活が地域化する傾向が強まったことが示唆されている。この仮説を裏付けるさらなる証拠が、今回のゲノム研究によって得られた。新たに浮上したシナリオは、約5万年前にアフリカの東部、南部、中部の集団間で混合と移動があったというものだ。これにより、1つの人類集団の構造が形成され、それが約2万年前の更新世末期まで極めて安定的に推移し、人類の生活の地域化傾向が強まった。
参考文献:
Lipson M. et al.(2022): Ancient DNA and deep population structure in sub-Saharan African foragers. Nature, 603, 7900, 290–296.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-04430-9
追記(2022年3月10日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:サハラ以南のアフリカの狩猟採集民の古代DNAと深い集団構造
進化学:サハラ以南のアフリカの更新世末期の人口動態
今回、サハラ以南のアフリカに由来する後期更新世および前期完新世の古代人のゲノムデータ(新たに6個体のデータセットを含む)の解析から、8万~2万年前の高度に分岐した3つの起源集団の存在とそれらの混合が明らかになった。こうした集団構造はその後長期にわたって安定で、これは、後期更新世に地域化が強まっていたことを示唆している。
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