古代DNA分析から推測される龍山文化期の親族関係
龍山(Longshan)文化期の親族関係に関する研究(Ning et al., 2021)が公表されました。モーガン(Lewis Henry Morgan)や他の初期人類学者によりヒトの社会的進化に与えられた重要な役割は、エンゲルス(Friedrich Engels)など19世紀後半からの社会理論に大きな影響を及ぼしました。1960年代から、狩猟採集民の民族誌的野外研究では、母方居住から父方居住への歴史的変化を裏づけないたいへん柔軟な結婚後の居住配置が見つかり、古典的理論への社会人類学の批判が高まりました。
しかし同時期に考古学では、新進化人類学への寄与を深めるために、先史時代社会組織の再構成に新たな関心が抱かれました。埋葬と土器の分析技術が検証され、後には頭蓋歯の計量および非計量分析や安定同位体分析など、生物考古学的手法で補足されました。しかし遺伝学は、古代人遺骸から抽出されたDNA分析により、先史時代のヒト個体群間の明らかな関係を論証できる唯一の分野です。次世代配列決定技術の適用により、古代の遺骸から回収されたDNAは、費用対効果の高い方法にて低網羅率(通常は1倍未満)で配列できるようになりました。この技術の急速な成長は、より低網羅率の古代ゲノムが毎年利用可能になることを意味します。
しかし、ほとんどのそうした研究は人口史に焦点を当ててきており、古代の社会組織の再構成における親族関係分析の大きな可能性は、充分な注目を集めてきませんでした。この分野は、大規模な地域間の研究から社会経済的過程へのより局所的な観点へと移行する傾向が高まっていますが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)、そうした研究はまだ比較的限られています。この主因の一つは、PLINKなど現代の個体群間の遺伝的関連性を特定するのに最も一般的に用いられる手法が、古代の個体群の検定ではかなりの偏りにつながることです。
最近、低網羅率配列決定データから遺伝的親族関係を推定するために特別に設計された幾つかのプログラムが、古代の個体群間の関連性決定に大きな力を示してきました。本論文は古代DNA分析を、中華人民共和国河南省の淮河中流域に位置する後期新石器時代の龍山(Longshan)文化期の平糧台(Pingliangtai)古代都市遺跡(以下、平糧台遺跡)の骨格遺骸に適用します(図1A)。以下は本論文の図1です。
龍山文化(4500~3800年前頃)は、独立した共同体から王朝国家への中国文化(本論文では「civilization」が用いられていますが、以前の記事で述べたように、当ブログでは基本的に「文明」を用いないことにしていますので、以下訳語は「文化」で統一します)の発展における重要な移行段階とみなされています。埋葬パターンと家屋の分布と食性同位体の研究は、龍山文化の社会組織の大きな変化を確証します。中期新石器時代の仰韶(Yangshao)文化と比較して龍山文化期には、公共墓地の縮小と、複数個体との二次埋葬など大規模な墓の消滅が見られます。同時に考古学は、多文化の人工物の統合とさまざまな食性習慣の人々の集団の集まりという両方の観点から、社会的移動性の向上を示唆します。
これらの変化は考古学者に、龍山文化期には、恐らくは大規模な拡大家族から小規模な核家族へという親族関係組織の大きな変化があった、と示唆します。しかし、同じ共同体もしくはより具体的に同じ住居からの個体群の関連性の正確な識別なしには、そうした仮説は実証的には検証できません。したがって、龍山文化個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることは、中国文化の形成期における、家族構造と配偶パターンと先史時代人口集団の社会的複雑さの根底にあることを理解する上で、ひじょうに重要です。
後期新石器時代(LN)の平糧台遺跡から発掘された4個体が、本論文では分析対象となります。そのうち3個体(M310とM311とM313)は学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)です。M312は、骨学的特徴に20歳頃の若い男性と特定されました(図2C・D・E)。4個体全員は、公共墓地ではなく家屋の土台近くに埋葬されており、この種の埋葬パターンは中原の多くの龍山文化社会で一般的です。以下は本論文の図2です。
家屋の近くに埋葬された学童期個体は、生前にそこで暮らしており、家屋の所有者と密接な親族関係を共有していたかもしれない、と以前から仮定されてきました。平糧台遺跡の遺伝的親族関係パターンの可能性を調べるため、以前に報告された4個体(関連記事)で、より高い平均網羅率3.2倍となるショットガン配列が実行されました。考古学的調査結果を組み合わせるとともに、常染色体とミトコンドリアとY染色体の遺伝標識を用いて、個体間の密接な遺伝的親族関係が特定され、後期新石器時代の龍山文化における遺伝的親族関係に基づく拡大家族構造の直接的証拠が提供されます。
その後、ROH(runs of homozygosity)分析により、これらの標本における血族単位の1事例が明らかになりました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。考古学と人類学と考古ゲノム学を含む学際的手法により、複雑で変化する社会への洞察が得られます。この変容期の社会では、遺伝的親族関係は社会組織の焦点だったようで、拡大家族に基づく世帯単位がすでに4000年前頃の中国中央部に出現していた、という証拠があります。
●平糧台遺跡への考古学的および人類学的洞察
平糧台遺跡は中華人民共和国河南省周口市淮陽(Huaiyang)区に位置します。平糧台遺跡は2014~2016年にかけて、河南省文物管理局と北京大学考古文博学院の合同調査団により発掘されました。龍山文化期と年代測定された合計14基の墓が発掘され、8基の墓は整然と配置され、遺跡の南西部に小さな公共墓地を構成し、全て成人と同定されました。他の6基の墓は家屋の土台近くにあらゆる副葬品なしに散らばっており、20歳頃の1個体を除いて14歳未満の個体と同定されました。
家屋は3列に並んでおり、F 26・F 22・F 23・F 34が北の列、F 28・F 36が南の列、F 30・F 40・F 41が中間の列に位置します(図2A)。F34の前に埋葬されたM313を除いて、他の3個体(M310とM311とM312)は全てF28の前に埋葬されています。F28は同じ列のF36から離れているので、考古学的観察に基づくその死の前にF28で暮らしていた、と考えられます。家屋の土台の前に学童期個体を埋葬することは、河南省東部では仰韶文化期と龍山文化期に一般的に見られる伝統です。M310とM311は両方、同じ層序と特定され、両者の埋葬の開口部がF28の初期の土壌を攪乱したので、F28の建築後に埋葬されました(図2A)。しかし、M312はM310とM311よりもわずかに後で埋葬されました。それは、M312の埋葬の開口部がF28の後の土壌を確認したからで、層序関係は骨格遺骸の放射性炭素年代と一致します(図2Bおよび表1)。
これら4個体は全て、それぞれ副葬品なしに小さな墓で埋葬されており、龍山文化社会の他の上流階層被葬者とは大きく異なっていました。F28は2部屋のある家屋で、他の家屋の土台と明らかな違いはありません。これは、同じ世帯に暮らしていた個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会の基礎的な世帯構造を検証する理想的事例を提供します。成人が埋葬された公共墓地からの学童期個体の分離は、新石器時代の黄河地域では広く行なわれた慣行でした。一部の考古学者は、これがある種の祖先崇拝と関連しているかもしれず、その祖先崇拝では若年もしくは婚姻前に死亡した個体は不吉とみなされ、公共墓地への埋葬を許可されなかった、と考えています。
●古代DNA確証と片親性遺伝標識の遺伝学的分析
平糧台遺跡の家屋の土台近くの4個体が、0.74~4.36倍と中程度の網羅率でショットガン配列されました。この4個体の放射性炭素年代は、紀元前2275~紀元前1844年です(表1)。古代DNAの確証は、複数の手法で実証されました。この4個体は全て、古代DNAに特徴的な損傷パターンと、低水準の現代人のDNA汚染を示しました。この4個体の生物学的性別は、常染色体に対するX染色体とY染色体の網羅率比の比較により決定されました。その結果、M310とM313は、X染色体の比率がそれぞれ0.783と0.862で、Y染色体の比率はそれぞれ0003と0.01とごく僅かだったので、女性と分類されました。M311とM312は、類似のX染色体比(それぞれ0.412と0.392)とY染色体比(それぞれ0.44と0.28)だったので、男性と同定されました。
この4個体全てで網羅率23~274倍と完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)配列が回収され、さらに明示的なmtDNAハプログループ(mtHg)に分類されました。同じ層の被葬者であるM310とM311とM312はmtHg-D4b1aを共有しており、その全てが同一のmtDNA一致を保持しています。しかし、その後で埋葬されたM313は、異なるmtHg-pre-F2hに分類されます。mtHg-D4b1a およびpre-F2h は両方、アジア東部の現代人集団では最も一般的です。mtHg-D4b1aは漢人や日本人や朝鮮人などアジア北東部人口集団と、アムール川流域および極東ロシアの人口集団で最高頻度となります。対照的に、mtHg-pre-F2hは台湾やタイなどアジア南東部人口集団においてかなりの頻度で見られます。
M311とM312の2個体は、Y染色体ハプログループ(YHg)N1b2∗に分類され、このYHgはシナ・チベット語族話者人口集団などアジア北東部現代人で広範にみられる系統です。要するに、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の分析から、平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310・M311・M312)は母系で関連している可能性があり、男性2個体(M311・M312)はおそらく父系で関連していた、と分かりました。
●中国南部から黄河流域への新石器時代における遺伝的寄与
遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を調べ、新石器時代の平糧台遺跡の4個体の先行人口集団および現代中国の人口集団との関係を判断するため、本論文のデータを「ヒト起源」調査対象者群や既知の古代96人口集団と統合することで、データセットが準備されました。次に、アジア東部現代人一式で主成分分析(PCA)が実行されました。その結果、平糧台遺跡4個体(平糧台遺跡LN)はアジア東部人遺伝子プールに収まり、文献(関連記事1および関連記事2)で報告されている黄河流域の他の後期新石器時代の龍山文化個体群(黄河LN)とまとまる、と分かりました(図3A)。これは、平糧台遺跡4個体が黄河LNと最高の類似性を共有する、という外群f3統計の観察(図3B)と一致し、地域的な後期新石器時代龍山文化人口集団の遺伝的均質性を示唆します。
黄河流域の先行する中期新石器時代(MN)の仰韶文化個体群(黄河MN)と比較すると、平糧台遺跡4個体は主成分分析の位置で中国南部の人口集団の方に動いています(図3A)。同様の遺伝的パターンは教師なしモデルに基づくADMIXTURE分析でも観察されており、平糧台遺跡4個体は黄河LNと類似の遺伝的特性を共有しており、黄河MNよりも緑色の構成要素の割合が高く、この緑色の構成要素はアミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)など台湾の在来人口集団と、中国南部の他の人口集団で最大化されます(図3C)。この結果はさらに、対称性f4統計(ムブティ人、世界規模の検証集団;黄河LN/平糧台遺跡LN、黄河MNによりさらに裏づけられ、黄河MN集団と比較すると、後の黄河LNと平糧台遺跡LNの個体群は両方、中国南部およびアジア南東部の人口集団と有意な遺伝的類似性を示しました。これは黄河へのさらに南方からの広範な遺伝的寄与を記録しており、以前の研究で指摘されています(関連記事)。以下は本論文の図3です。
さまざまな古代黄河流域個体群や他の中国の現代人集団も比較され、共通の遺伝的土台を共有しているのかどうか、検証されました。予測されたように、漢人やナシ人(Naxi)やイー(Yi)人やチベット人やトゥチャ人(Tujia)など全てのシナ・チベット語族話者の中国の現代人集団と、チベット高原北東部の斉家(Qijia)文化やネパール(関連記事)の古代の人口集団の、新石器時代黄河流域人口集団との遺伝的類似性が観察されました。結果として、全ての現代シナ・チベット語族話者は、新石器時代黄河人口集団からの主要な祖先系統(35.1~86.7%)を有している、とモデル化でき、これは、黄河からの新石器時代雑穀農耕民の拡大と一致するシナ・チベット語族言語の中国北部起源と適合します(関連記事1および関連記事2)。
●平糧台遺跡の3個体は相互に2親等の関連性を共有します
平糧台遺跡4個体の遺伝的関連性をより詳細に推定するため、常染色体で個体間の遺伝的関連性の程度が決定されました。まず124万ヶ所の半数体遺伝子型のペアワイズ不適正塩基対率(PMR)が計算されましたが、さらにX染色体とY染色体上の一塩基多型が除外されました。この手法は、各個体の組み合わせのアレル(対立遺伝子)不一致率を計算し、個体の組み合わせ間の関連性の程度を推定します。本論文の全6組は、常染色体で4万ヶ所以上の一塩基多型が重複しており、充分なデータにより、組み合わせに基づくPMRの結果はひじょうに正確になります。
結果として、4個体のPMR値の範囲は0.19~0.24で、2つの主要なまとまりが観察されました。最初のまとまりは、M313と他の平糧台遺跡3個体(M310とM311とM312)の比較を含んでおり、ここでは高いPMR値(0.237~0.241)が得られ、M313が他の3個体と密接な関連性を共有しない、と示唆されます。これは、M313のmtHgが他の平糧台遺跡3個体とは異なる、という観察と一致する発見です。第二のまとまりは、3個体の組み合わせ(M310とM311、M310とM312、M312とM313)を含んでおり、PMR値の範囲は0.19268~0.2126で、基準値(無関係)の約7/8となり、この3個体は相互に2親等の関連性(SDR)を共有します。
第二に、READを実行し、平糧台遺跡4個体間の遺伝的親族関係がさらに確認されました。この手法はデータを正規化する段階を含み、それはP0(それぞれ重複しない100万塩基対における不適正塩基対アレルの割合)を正規化する明示的関係のある個体群に追加のデータを要求するので、分析には同じ地域の5ヶ所の異なる新石器時代遺跡の全ての既知の古代人ゲノムが含められ、合計120組の比較が特徴づけられました。その結果、M310とM311とM312との間の正規化されたP0の範囲は0.8242~0.9011で、無関係な個体群のそれは1.0084~1.0286となり、標準誤差は0.005と小さくなります。このような結果は、M310とM311とM312が互いにSDRを有しているものとして推定される、という点でPMR分析を反映しています。
第三に、観察された最尤枠組みではなく遺伝子型尤度からの情報を用いるlcMLkinが使用され、全体的な関連性係数と、個体の組み合わせ間の個々の遺伝的親族関係構成要素が推定されました。アレル頻度を推定するのに充分な数の個体を確保するために、平糧台遺跡標本が中国中央部および北部の他の利用可能な古代ゲノムデータと組み合わされました。完全に無関係の個体の場合、k0=1(二倍体の2個体が0アレルを共有する可能性)が予測されます。その結果、M310とM311とM312でk0の範囲が0.497~0.673となり、相互に2親等の親族を表しています。
他の個体については、本論文のM313を含めて、1に近い高いk0値が観察され、遺伝的に相互に無関係と示されます。本論文のデータ解像度の範囲内で最大3親等までのk0に対する血縁計数(r)を入れることで、平糧台遺跡個体間の関連性を直接的に可視化できました。M310とM311とM312は2親等の関係の範囲に収まり、M313(底の赤い点)と他の個体群は無関係と同定されました(図4)。こうした結論は、LcMLkinと同じ論理に従う手法であるNgsRelate2によりさらに確証されました。結論として、上述の分析は全て一貫して、M310とM311とM312が相互にSDRを共有する、と裏づけます。以下は本論文の図4です。
●平糧台遺跡個体群における親の関連性
ROHはゲノムにおいて変異を欠く連続領域で、これらの長いDNA断片の長さは、家系の近親交配を反映している可能性があります。長いROHがある場合、唯一の妥当な説明は、その個体が遺伝的に密接に関連した両親からゲノムを2コピー継承した、ということです。平糧台遺跡個体群が最近のある程度の近親交配の子孫なのかどうか識別するために、以前の研究で実行された手法に従って、選択されたゲノムのROHが推定されました。
その結果、平糧台遺跡の3個体(M311とM312 とM313)は4 cM(センチモルガン)以上の長さの検出されたROHは有さないものの、M311およびM312とSDR(2親等の関連性)である M310はそのゲノムに、合計109 cM以上の長さのROH断片(20 cM超)を有しており、ハトコ(イトコ同士の予測される子供の断片の平均値は135 cMです)の子供の程度に近くなります。次に、この手法が中原の全ての利用可能な古代ゲノムデータに適用され、平糧台遺跡個体で検出された近親交配事象が古代中国で一般的なパターンだったのかどうか、さらに調べられました。
その結果、選別された33個体のうち20個体は4 cM 以上の長さの検出されたROHを有さない、と分かり、3000年にわたる大きな地域人口集団規模を示します。中国中央部の漢代(2000年前頃)の1個体だけが、3親等かそれ以上の関連性を共有する両親の子供として特徴づけられました(図5A)。これは、族内婚が先史時代中国では限られていたことを示唆し、中国では新石器時代と鉄器時代の両方で特異な同族婚が検出されたかもしれない、という直接的証拠を提供します。以下は本論文の図5です。
●考察
本論文は古代のゲノムデータを利用し、中国の先史時代共同体の配偶戦略および基礎となる社会的組織を再構成しました。本論文で利用された遺伝標識の3種類、つまり片親性遺伝標識であるY染色体(父系)とmtDNA(母系)、より詳細な人口集団の混合史と遺伝的親族関係と親の関連性を反映できる常染色体です。平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310とM311とM312)は、2親等の親族として同定されました。遺伝学的に言えば、SDR(2親等の関連性)は相互にその遺伝子の1/4を共有する個体です。これには、曾祖父母と曽孫、オジ・オバとオイ・メイ、半キョウダイ(片方の親のみを同じくするキョウダイ)、イトコ同士が含まれます。具体的には、M310とM311とM312は同一のmtDNA配列を有し、同じmtHg-D4b1aとなります。mtHg-D4b1aは中国の他の古代の個体群では観察されていませんが、アジア東部現代人では広範に分布しています。これは、M310とM311とM312がおそらくは同じ母系の子孫で、共通の母親に由来する可能性さえあることを示唆します。
Y染色体の証拠から、M311とM312はYHg-N1b2∗の特定の新規一塩基多型一式を共有している、と示されます。これは、M311とM312が父系で関連していることを示しますが、この2個体が同じ父系の子孫だと公式には主張できません。なぜならば、低網羅率で、情報の得られる利用可能な遺伝標識が限られているからです。上述の関連性と近親交配の兆候に従うと、M310ではいくつかのあり得る節約的家系図が再構築されました(図5C)。しかし、M311とM312が同じ父系を共有し、両方ともM310と同じ母系を共有していると仮定すると、この特徴づけられた関連性を説明できる唯一の家系図形態は、3個体(M310とM311とM312)のうち少なくとも2個体はソロレート婚(夫の死後に妻が夫の兄弟と結婚)かレビラト婚(妻の死後に夫がその姉妹と結婚)の子孫だった、というものです。レビラト婚とソロレート婚は、時として子孫を残して家系を継続するために、兄弟か姉妹がキョウダイと配偶する習慣です。
中国でこの習慣が初めて確認されるのは、紀元前5世紀の『春秋左氏伝』など歴史的記録で、後期青銅器時代の周王朝に媵(Ying)として見え、上流階級社会では貴人と姉妹2人が配偶します。そうした事例では、M311とM312は、どちらかの母親もしくは父親が遺伝的に相互に関連しているので、厳密なSDRを示しません。したがって、M311とM312は、M310とよりも相対的に高い関連性を共有しなければなりません。これは、M311とM312が他の組み合わせとよりも相互で最高の遺伝的関連性を共有しているものの、M310とはSDRを共有する、という観察(図4)と一致し、またその観察により確証されます。
死ぬ前に同じ世帯で暮らしていたと考えられる龍山文化期の個体の共有された2親等の遺伝的親族関係を考えると、以前に提案された、核家族を超えた拡大家族が、龍山文化社会の基礎的な世帯単位として機能した、という明確なDNAに基づく証拠が提供されます。この観察は、龍山文化がアジア東部の重要な新石器時代文化で、仰韶文化の後に続き、初期青銅器時代の二里頭(Erlitou)文化が龍山文化の後に続く、という考古学的調査結果と一致します。
二里頭文化は通常、夏(Xia)と呼ばれる最初の中国王朝の根拠とみなされていました。先行する仰韶文化と比較して、龍山文化はより平等主義的な社会から、町に壁が建築され、暴力と戦争が広がった階層化された社会への社会的変化の過程を示し、地域的単位から定義された社会的もしくは政治的階層を有する集落への移行がありました。本論文の結果が示唆するのは、龍山文化の社会的単位は氏族に基づく仰韶文化もしくは歴史的記録で知られる後の中国王朝の父系家族とは異なっており、氏族に基づく社会から家族に基づく社会への移行期段階にある、ということです。
中原はアワ(Setaria italica)やキビ(Panicum miliaceum)など雑穀が最初に耕作され、栽培化された世界で最初の中心地の一つで、それは遅くとも紀元前6000年頃に始まりました。狩猟採集生計から穀物農耕への移行により、人口規模の急速な成長が可能となりました。龍山文化期までに、強化したキビとコメの農耕が発達し、龍山文化遺跡のより高い密度により示されるように、先行する中原の仰韶文化と比較して人口規模が顕著に増加しました。これは本論文の遺伝学的結果と一致し、黄河流域古代人は人口密度の高い可能性がある遺伝学的に安定した共同体として示されます(図5B)。
局所的な人口規模が増加すると、ROHの長さは減少する傾向にありますが、平糧台遺跡の1個体は長いROH断片を有しており、それはイトコ同士の子孫で予測されるものと類似しているので、4000年前頃の龍山文化社会における血族配偶の直接的証拠を提供します。密接な親族間の配偶は多くの社会で記録されており、ヨーロッパの王族や上流階層で広く行なわれていました(関連記事)。高い社会的地位を維持し、強い政治的同盟を確立するために、王族の構成員は庶民と結婚できず、唯一の実行可能な選択肢はその親族と結婚することです。たとえば、スペインのハプスブルク王朝(紀元後1516~1700年)の歴代の王は、密接な親族と結婚し、多くのオジとメイやイトコ同士や他の密接な血族婚などが行なわれました。類似の配偶戦略は漢王朝(紀元前206~紀元後220年)の中国の文献でもよく記録されており、『史記』と『漢書』によると、皇族の構成員は皇統の政治力を強化するため、その親族と結婚しました。本論文は、血族配偶がすでに4000年前頃の龍山文化社会で起きていたことを示します。
紀元前2500~紀元前1800年頃となる龍山文化期は、先史時代の中国における大きな文化的および人口統計学的変化の時期で、この時期の親族関係と社会組織と配偶慣行は、歴史学者や考古学者や人類学者にとって主要な関心事でした。本論文は学際的研究を通じて、この先史時代社会の遺伝的親族関係と配偶戦略と根底にある社会組織を再構成できます。本論文は、血族配偶が後期新石器時代社会において行なわれており、それが中国の歴史的記録での証明よりも約2000年早かった、という直接的証拠を提供します。
さらに本論文は、同じ世帯の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会においては核家族を超えた拡大家族が基礎的な世帯として機能し、龍山文化期には遺伝的親族関係が依然として社会組織の主要な焦点として機能した、という明示的兆候を提供します。本論文の個体群が単一の遺跡に由来することは、強調されねばなりません。さまざまな地域と墓地のより大規模な標本でのさらなるこうした研究は、龍山文化社会の配偶慣行や埋葬パターンや社会組織について、より詳細な知識を提供するでしょう。以下は本論文の要約図です。
●本論文の限界
本論文では、中国河南省の平糧台遺跡の古代人4個体のゲノム規模データを調べ、その標本規模は比較的限られており、現在の分析は、最大3親等の親族の遺伝的関係の程度を正確に推定できる、124万タッチダウンアレルのみに制約されています。後期新石器時代のさまざまな遺跡のより多くの標本と、特に高網羅率の古代人ゲノムを伴うさらなる研究が、中原地域と中国全体の社会組織のより包括的な理解を得るために必要であることに要注意です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は後期新石器時代の黄河流域における近親交配の事例を報告していますが、同時に中国で発見された先史時代個体群において近親交配が稀だったことも示唆しています。本論文が指摘するように、近親交配自体は人類史において珍しくありませんが、それは、太古の人類社会で近親交配が一般的だったことの名残で、「社会の発展」とともに倫理的に抑制されていったというよりは、人類にも他の動物と共通の起源に由来する近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体は備わっており、更新世(やさらにさかのぼって鮮新世や中新世)にも近親交配は避けられていたものの、近縁の現生分類群であるチンパンジー属やゴリラ属のように、その仕組みはさほど強力ではないので、時として近親交配が行なわれた、ということなのだと思います(関連記事)。
近親交配を推進する要因としては、本論文で指摘されている、支配層の特権性があります。もう一つ想定されるのは人口密度と社会的流動性と移動性の低い社会で、近親交配を回避しない配偶行動の方が適応度を高めると考えられます。更新世の人類社会は後者の状況に陥ることが多かったでしょうから、完新世と比較して近親交配が多かったかもしれず、その可能性を示唆した研究もあります(関連記事)。じっさい、現生人類(Homo sapiens)ではありませんが、シベリア南部のアルタイ山脈のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)で近親交配の個体が確認されています(関連記事)。
しかし、クロアチアで発見されたネアンデルタール人では近親交配の痕跡が確認されておらず(関連記事)、やはり更新世人類においても基本的に近親交配は避けられていたのでしょう。人類の「原始社会」を親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定する唯物史観的な「原始乱婚説」が成立するとは、現在の知見からはとても思えません。本論文が提示した龍山文化期の平糧台遺跡の事例は、人口規模が大きく、南方からの人類集団の移動も推測されるなど、移動性も比較的高かったと考えられるので、その理由は支配層の特権性維持の可能性の方が高そうです。
参考文献:
Ning C. et al.(2021): Ancient genome analyses shed light on kinship organization and mating practice of Late Neolithic society in China. iScience, 24, 11, 103352.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103352
しかし同時期に考古学では、新進化人類学への寄与を深めるために、先史時代社会組織の再構成に新たな関心が抱かれました。埋葬と土器の分析技術が検証され、後には頭蓋歯の計量および非計量分析や安定同位体分析など、生物考古学的手法で補足されました。しかし遺伝学は、古代人遺骸から抽出されたDNA分析により、先史時代のヒト個体群間の明らかな関係を論証できる唯一の分野です。次世代配列決定技術の適用により、古代の遺骸から回収されたDNAは、費用対効果の高い方法にて低網羅率(通常は1倍未満)で配列できるようになりました。この技術の急速な成長は、より低網羅率の古代ゲノムが毎年利用可能になることを意味します。
しかし、ほとんどのそうした研究は人口史に焦点を当ててきており、古代の社会組織の再構成における親族関係分析の大きな可能性は、充分な注目を集めてきませんでした。この分野は、大規模な地域間の研究から社会経済的過程へのより局所的な観点へと移行する傾向が高まっていますが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)、そうした研究はまだ比較的限られています。この主因の一つは、PLINKなど現代の個体群間の遺伝的関連性を特定するのに最も一般的に用いられる手法が、古代の個体群の検定ではかなりの偏りにつながることです。
最近、低網羅率配列決定データから遺伝的親族関係を推定するために特別に設計された幾つかのプログラムが、古代の個体群間の関連性決定に大きな力を示してきました。本論文は古代DNA分析を、中華人民共和国河南省の淮河中流域に位置する後期新石器時代の龍山(Longshan)文化期の平糧台(Pingliangtai)古代都市遺跡(以下、平糧台遺跡)の骨格遺骸に適用します(図1A)。以下は本論文の図1です。
龍山文化(4500~3800年前頃)は、独立した共同体から王朝国家への中国文化(本論文では「civilization」が用いられていますが、以前の記事で述べたように、当ブログでは基本的に「文明」を用いないことにしていますので、以下訳語は「文化」で統一します)の発展における重要な移行段階とみなされています。埋葬パターンと家屋の分布と食性同位体の研究は、龍山文化の社会組織の大きな変化を確証します。中期新石器時代の仰韶(Yangshao)文化と比較して龍山文化期には、公共墓地の縮小と、複数個体との二次埋葬など大規模な墓の消滅が見られます。同時に考古学は、多文化の人工物の統合とさまざまな食性習慣の人々の集団の集まりという両方の観点から、社会的移動性の向上を示唆します。
これらの変化は考古学者に、龍山文化期には、恐らくは大規模な拡大家族から小規模な核家族へという親族関係組織の大きな変化があった、と示唆します。しかし、同じ共同体もしくはより具体的に同じ住居からの個体群の関連性の正確な識別なしには、そうした仮説は実証的には検証できません。したがって、龍山文化個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることは、中国文化の形成期における、家族構造と配偶パターンと先史時代人口集団の社会的複雑さの根底にあることを理解する上で、ひじょうに重要です。
後期新石器時代(LN)の平糧台遺跡から発掘された4個体が、本論文では分析対象となります。そのうち3個体(M310とM311とM313)は学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)です。M312は、骨学的特徴に20歳頃の若い男性と特定されました(図2C・D・E)。4個体全員は、公共墓地ではなく家屋の土台近くに埋葬されており、この種の埋葬パターンは中原の多くの龍山文化社会で一般的です。以下は本論文の図2です。
家屋の近くに埋葬された学童期個体は、生前にそこで暮らしており、家屋の所有者と密接な親族関係を共有していたかもしれない、と以前から仮定されてきました。平糧台遺跡の遺伝的親族関係パターンの可能性を調べるため、以前に報告された4個体(関連記事)で、より高い平均網羅率3.2倍となるショットガン配列が実行されました。考古学的調査結果を組み合わせるとともに、常染色体とミトコンドリアとY染色体の遺伝標識を用いて、個体間の密接な遺伝的親族関係が特定され、後期新石器時代の龍山文化における遺伝的親族関係に基づく拡大家族構造の直接的証拠が提供されます。
その後、ROH(runs of homozygosity)分析により、これらの標本における血族単位の1事例が明らかになりました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。考古学と人類学と考古ゲノム学を含む学際的手法により、複雑で変化する社会への洞察が得られます。この変容期の社会では、遺伝的親族関係は社会組織の焦点だったようで、拡大家族に基づく世帯単位がすでに4000年前頃の中国中央部に出現していた、という証拠があります。
●平糧台遺跡への考古学的および人類学的洞察
平糧台遺跡は中華人民共和国河南省周口市淮陽(Huaiyang)区に位置します。平糧台遺跡は2014~2016年にかけて、河南省文物管理局と北京大学考古文博学院の合同調査団により発掘されました。龍山文化期と年代測定された合計14基の墓が発掘され、8基の墓は整然と配置され、遺跡の南西部に小さな公共墓地を構成し、全て成人と同定されました。他の6基の墓は家屋の土台近くにあらゆる副葬品なしに散らばっており、20歳頃の1個体を除いて14歳未満の個体と同定されました。
家屋は3列に並んでおり、F 26・F 22・F 23・F 34が北の列、F 28・F 36が南の列、F 30・F 40・F 41が中間の列に位置します(図2A)。F34の前に埋葬されたM313を除いて、他の3個体(M310とM311とM312)は全てF28の前に埋葬されています。F28は同じ列のF36から離れているので、考古学的観察に基づくその死の前にF28で暮らしていた、と考えられます。家屋の土台の前に学童期個体を埋葬することは、河南省東部では仰韶文化期と龍山文化期に一般的に見られる伝統です。M310とM311は両方、同じ層序と特定され、両者の埋葬の開口部がF28の初期の土壌を攪乱したので、F28の建築後に埋葬されました(図2A)。しかし、M312はM310とM311よりもわずかに後で埋葬されました。それは、M312の埋葬の開口部がF28の後の土壌を確認したからで、層序関係は骨格遺骸の放射性炭素年代と一致します(図2Bおよび表1)。
これら4個体は全て、それぞれ副葬品なしに小さな墓で埋葬されており、龍山文化社会の他の上流階層被葬者とは大きく異なっていました。F28は2部屋のある家屋で、他の家屋の土台と明らかな違いはありません。これは、同じ世帯に暮らしていた個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会の基礎的な世帯構造を検証する理想的事例を提供します。成人が埋葬された公共墓地からの学童期個体の分離は、新石器時代の黄河地域では広く行なわれた慣行でした。一部の考古学者は、これがある種の祖先崇拝と関連しているかもしれず、その祖先崇拝では若年もしくは婚姻前に死亡した個体は不吉とみなされ、公共墓地への埋葬を許可されなかった、と考えています。
●古代DNA確証と片親性遺伝標識の遺伝学的分析
平糧台遺跡の家屋の土台近くの4個体が、0.74~4.36倍と中程度の網羅率でショットガン配列されました。この4個体の放射性炭素年代は、紀元前2275~紀元前1844年です(表1)。古代DNAの確証は、複数の手法で実証されました。この4個体は全て、古代DNAに特徴的な損傷パターンと、低水準の現代人のDNA汚染を示しました。この4個体の生物学的性別は、常染色体に対するX染色体とY染色体の網羅率比の比較により決定されました。その結果、M310とM313は、X染色体の比率がそれぞれ0.783と0.862で、Y染色体の比率はそれぞれ0003と0.01とごく僅かだったので、女性と分類されました。M311とM312は、類似のX染色体比(それぞれ0.412と0.392)とY染色体比(それぞれ0.44と0.28)だったので、男性と同定されました。
この4個体全てで網羅率23~274倍と完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)配列が回収され、さらに明示的なmtDNAハプログループ(mtHg)に分類されました。同じ層の被葬者であるM310とM311とM312はmtHg-D4b1aを共有しており、その全てが同一のmtDNA一致を保持しています。しかし、その後で埋葬されたM313は、異なるmtHg-pre-F2hに分類されます。mtHg-D4b1a およびpre-F2h は両方、アジア東部の現代人集団では最も一般的です。mtHg-D4b1aは漢人や日本人や朝鮮人などアジア北東部人口集団と、アムール川流域および極東ロシアの人口集団で最高頻度となります。対照的に、mtHg-pre-F2hは台湾やタイなどアジア南東部人口集団においてかなりの頻度で見られます。
M311とM312の2個体は、Y染色体ハプログループ(YHg)N1b2∗に分類され、このYHgはシナ・チベット語族話者人口集団などアジア北東部現代人で広範にみられる系統です。要するに、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の分析から、平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310・M311・M312)は母系で関連している可能性があり、男性2個体(M311・M312)はおそらく父系で関連していた、と分かりました。
●中国南部から黄河流域への新石器時代における遺伝的寄与
遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を調べ、新石器時代の平糧台遺跡の4個体の先行人口集団および現代中国の人口集団との関係を判断するため、本論文のデータを「ヒト起源」調査対象者群や既知の古代96人口集団と統合することで、データセットが準備されました。次に、アジア東部現代人一式で主成分分析(PCA)が実行されました。その結果、平糧台遺跡4個体(平糧台遺跡LN)はアジア東部人遺伝子プールに収まり、文献(関連記事1および関連記事2)で報告されている黄河流域の他の後期新石器時代の龍山文化個体群(黄河LN)とまとまる、と分かりました(図3A)。これは、平糧台遺跡4個体が黄河LNと最高の類似性を共有する、という外群f3統計の観察(図3B)と一致し、地域的な後期新石器時代龍山文化人口集団の遺伝的均質性を示唆します。
黄河流域の先行する中期新石器時代(MN)の仰韶文化個体群(黄河MN)と比較すると、平糧台遺跡4個体は主成分分析の位置で中国南部の人口集団の方に動いています(図3A)。同様の遺伝的パターンは教師なしモデルに基づくADMIXTURE分析でも観察されており、平糧台遺跡4個体は黄河LNと類似の遺伝的特性を共有しており、黄河MNよりも緑色の構成要素の割合が高く、この緑色の構成要素はアミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)など台湾の在来人口集団と、中国南部の他の人口集団で最大化されます(図3C)。この結果はさらに、対称性f4統計(ムブティ人、世界規模の検証集団;黄河LN/平糧台遺跡LN、黄河MNによりさらに裏づけられ、黄河MN集団と比較すると、後の黄河LNと平糧台遺跡LNの個体群は両方、中国南部およびアジア南東部の人口集団と有意な遺伝的類似性を示しました。これは黄河へのさらに南方からの広範な遺伝的寄与を記録しており、以前の研究で指摘されています(関連記事)。以下は本論文の図3です。
さまざまな古代黄河流域個体群や他の中国の現代人集団も比較され、共通の遺伝的土台を共有しているのかどうか、検証されました。予測されたように、漢人やナシ人(Naxi)やイー(Yi)人やチベット人やトゥチャ人(Tujia)など全てのシナ・チベット語族話者の中国の現代人集団と、チベット高原北東部の斉家(Qijia)文化やネパール(関連記事)の古代の人口集団の、新石器時代黄河流域人口集団との遺伝的類似性が観察されました。結果として、全ての現代シナ・チベット語族話者は、新石器時代黄河人口集団からの主要な祖先系統(35.1~86.7%)を有している、とモデル化でき、これは、黄河からの新石器時代雑穀農耕民の拡大と一致するシナ・チベット語族言語の中国北部起源と適合します(関連記事1および関連記事2)。
●平糧台遺跡の3個体は相互に2親等の関連性を共有します
平糧台遺跡4個体の遺伝的関連性をより詳細に推定するため、常染色体で個体間の遺伝的関連性の程度が決定されました。まず124万ヶ所の半数体遺伝子型のペアワイズ不適正塩基対率(PMR)が計算されましたが、さらにX染色体とY染色体上の一塩基多型が除外されました。この手法は、各個体の組み合わせのアレル(対立遺伝子)不一致率を計算し、個体の組み合わせ間の関連性の程度を推定します。本論文の全6組は、常染色体で4万ヶ所以上の一塩基多型が重複しており、充分なデータにより、組み合わせに基づくPMRの結果はひじょうに正確になります。
結果として、4個体のPMR値の範囲は0.19~0.24で、2つの主要なまとまりが観察されました。最初のまとまりは、M313と他の平糧台遺跡3個体(M310とM311とM312)の比較を含んでおり、ここでは高いPMR値(0.237~0.241)が得られ、M313が他の3個体と密接な関連性を共有しない、と示唆されます。これは、M313のmtHgが他の平糧台遺跡3個体とは異なる、という観察と一致する発見です。第二のまとまりは、3個体の組み合わせ(M310とM311、M310とM312、M312とM313)を含んでおり、PMR値の範囲は0.19268~0.2126で、基準値(無関係)の約7/8となり、この3個体は相互に2親等の関連性(SDR)を共有します。
第二に、READを実行し、平糧台遺跡4個体間の遺伝的親族関係がさらに確認されました。この手法はデータを正規化する段階を含み、それはP0(それぞれ重複しない100万塩基対における不適正塩基対アレルの割合)を正規化する明示的関係のある個体群に追加のデータを要求するので、分析には同じ地域の5ヶ所の異なる新石器時代遺跡の全ての既知の古代人ゲノムが含められ、合計120組の比較が特徴づけられました。その結果、M310とM311とM312との間の正規化されたP0の範囲は0.8242~0.9011で、無関係な個体群のそれは1.0084~1.0286となり、標準誤差は0.005と小さくなります。このような結果は、M310とM311とM312が互いにSDRを有しているものとして推定される、という点でPMR分析を反映しています。
第三に、観察された最尤枠組みではなく遺伝子型尤度からの情報を用いるlcMLkinが使用され、全体的な関連性係数と、個体の組み合わせ間の個々の遺伝的親族関係構成要素が推定されました。アレル頻度を推定するのに充分な数の個体を確保するために、平糧台遺跡標本が中国中央部および北部の他の利用可能な古代ゲノムデータと組み合わされました。完全に無関係の個体の場合、k0=1(二倍体の2個体が0アレルを共有する可能性)が予測されます。その結果、M310とM311とM312でk0の範囲が0.497~0.673となり、相互に2親等の親族を表しています。
他の個体については、本論文のM313を含めて、1に近い高いk0値が観察され、遺伝的に相互に無関係と示されます。本論文のデータ解像度の範囲内で最大3親等までのk0に対する血縁計数(r)を入れることで、平糧台遺跡個体間の関連性を直接的に可視化できました。M310とM311とM312は2親等の関係の範囲に収まり、M313(底の赤い点)と他の個体群は無関係と同定されました(図4)。こうした結論は、LcMLkinと同じ論理に従う手法であるNgsRelate2によりさらに確証されました。結論として、上述の分析は全て一貫して、M310とM311とM312が相互にSDRを共有する、と裏づけます。以下は本論文の図4です。
●平糧台遺跡個体群における親の関連性
ROHはゲノムにおいて変異を欠く連続領域で、これらの長いDNA断片の長さは、家系の近親交配を反映している可能性があります。長いROHがある場合、唯一の妥当な説明は、その個体が遺伝的に密接に関連した両親からゲノムを2コピー継承した、ということです。平糧台遺跡個体群が最近のある程度の近親交配の子孫なのかどうか識別するために、以前の研究で実行された手法に従って、選択されたゲノムのROHが推定されました。
その結果、平糧台遺跡の3個体(M311とM312 とM313)は4 cM(センチモルガン)以上の長さの検出されたROHは有さないものの、M311およびM312とSDR(2親等の関連性)である M310はそのゲノムに、合計109 cM以上の長さのROH断片(20 cM超)を有しており、ハトコ(イトコ同士の予測される子供の断片の平均値は135 cMです)の子供の程度に近くなります。次に、この手法が中原の全ての利用可能な古代ゲノムデータに適用され、平糧台遺跡個体で検出された近親交配事象が古代中国で一般的なパターンだったのかどうか、さらに調べられました。
その結果、選別された33個体のうち20個体は4 cM 以上の長さの検出されたROHを有さない、と分かり、3000年にわたる大きな地域人口集団規模を示します。中国中央部の漢代(2000年前頃)の1個体だけが、3親等かそれ以上の関連性を共有する両親の子供として特徴づけられました(図5A)。これは、族内婚が先史時代中国では限られていたことを示唆し、中国では新石器時代と鉄器時代の両方で特異な同族婚が検出されたかもしれない、という直接的証拠を提供します。以下は本論文の図5です。
●考察
本論文は古代のゲノムデータを利用し、中国の先史時代共同体の配偶戦略および基礎となる社会的組織を再構成しました。本論文で利用された遺伝標識の3種類、つまり片親性遺伝標識であるY染色体(父系)とmtDNA(母系)、より詳細な人口集団の混合史と遺伝的親族関係と親の関連性を反映できる常染色体です。平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310とM311とM312)は、2親等の親族として同定されました。遺伝学的に言えば、SDR(2親等の関連性)は相互にその遺伝子の1/4を共有する個体です。これには、曾祖父母と曽孫、オジ・オバとオイ・メイ、半キョウダイ(片方の親のみを同じくするキョウダイ)、イトコ同士が含まれます。具体的には、M310とM311とM312は同一のmtDNA配列を有し、同じmtHg-D4b1aとなります。mtHg-D4b1aは中国の他の古代の個体群では観察されていませんが、アジア東部現代人では広範に分布しています。これは、M310とM311とM312がおそらくは同じ母系の子孫で、共通の母親に由来する可能性さえあることを示唆します。
Y染色体の証拠から、M311とM312はYHg-N1b2∗の特定の新規一塩基多型一式を共有している、と示されます。これは、M311とM312が父系で関連していることを示しますが、この2個体が同じ父系の子孫だと公式には主張できません。なぜならば、低網羅率で、情報の得られる利用可能な遺伝標識が限られているからです。上述の関連性と近親交配の兆候に従うと、M310ではいくつかのあり得る節約的家系図が再構築されました(図5C)。しかし、M311とM312が同じ父系を共有し、両方ともM310と同じ母系を共有していると仮定すると、この特徴づけられた関連性を説明できる唯一の家系図形態は、3個体(M310とM311とM312)のうち少なくとも2個体はソロレート婚(夫の死後に妻が夫の兄弟と結婚)かレビラト婚(妻の死後に夫がその姉妹と結婚)の子孫だった、というものです。レビラト婚とソロレート婚は、時として子孫を残して家系を継続するために、兄弟か姉妹がキョウダイと配偶する習慣です。
中国でこの習慣が初めて確認されるのは、紀元前5世紀の『春秋左氏伝』など歴史的記録で、後期青銅器時代の周王朝に媵(Ying)として見え、上流階級社会では貴人と姉妹2人が配偶します。そうした事例では、M311とM312は、どちらかの母親もしくは父親が遺伝的に相互に関連しているので、厳密なSDRを示しません。したがって、M311とM312は、M310とよりも相対的に高い関連性を共有しなければなりません。これは、M311とM312が他の組み合わせとよりも相互で最高の遺伝的関連性を共有しているものの、M310とはSDRを共有する、という観察(図4)と一致し、またその観察により確証されます。
死ぬ前に同じ世帯で暮らしていたと考えられる龍山文化期の個体の共有された2親等の遺伝的親族関係を考えると、以前に提案された、核家族を超えた拡大家族が、龍山文化社会の基礎的な世帯単位として機能した、という明確なDNAに基づく証拠が提供されます。この観察は、龍山文化がアジア東部の重要な新石器時代文化で、仰韶文化の後に続き、初期青銅器時代の二里頭(Erlitou)文化が龍山文化の後に続く、という考古学的調査結果と一致します。
二里頭文化は通常、夏(Xia)と呼ばれる最初の中国王朝の根拠とみなされていました。先行する仰韶文化と比較して、龍山文化はより平等主義的な社会から、町に壁が建築され、暴力と戦争が広がった階層化された社会への社会的変化の過程を示し、地域的単位から定義された社会的もしくは政治的階層を有する集落への移行がありました。本論文の結果が示唆するのは、龍山文化の社会的単位は氏族に基づく仰韶文化もしくは歴史的記録で知られる後の中国王朝の父系家族とは異なっており、氏族に基づく社会から家族に基づく社会への移行期段階にある、ということです。
中原はアワ(Setaria italica)やキビ(Panicum miliaceum)など雑穀が最初に耕作され、栽培化された世界で最初の中心地の一つで、それは遅くとも紀元前6000年頃に始まりました。狩猟採集生計から穀物農耕への移行により、人口規模の急速な成長が可能となりました。龍山文化期までに、強化したキビとコメの農耕が発達し、龍山文化遺跡のより高い密度により示されるように、先行する中原の仰韶文化と比較して人口規模が顕著に増加しました。これは本論文の遺伝学的結果と一致し、黄河流域古代人は人口密度の高い可能性がある遺伝学的に安定した共同体として示されます(図5B)。
局所的な人口規模が増加すると、ROHの長さは減少する傾向にありますが、平糧台遺跡の1個体は長いROH断片を有しており、それはイトコ同士の子孫で予測されるものと類似しているので、4000年前頃の龍山文化社会における血族配偶の直接的証拠を提供します。密接な親族間の配偶は多くの社会で記録されており、ヨーロッパの王族や上流階層で広く行なわれていました(関連記事)。高い社会的地位を維持し、強い政治的同盟を確立するために、王族の構成員は庶民と結婚できず、唯一の実行可能な選択肢はその親族と結婚することです。たとえば、スペインのハプスブルク王朝(紀元後1516~1700年)の歴代の王は、密接な親族と結婚し、多くのオジとメイやイトコ同士や他の密接な血族婚などが行なわれました。類似の配偶戦略は漢王朝(紀元前206~紀元後220年)の中国の文献でもよく記録されており、『史記』と『漢書』によると、皇族の構成員は皇統の政治力を強化するため、その親族と結婚しました。本論文は、血族配偶がすでに4000年前頃の龍山文化社会で起きていたことを示します。
紀元前2500~紀元前1800年頃となる龍山文化期は、先史時代の中国における大きな文化的および人口統計学的変化の時期で、この時期の親族関係と社会組織と配偶慣行は、歴史学者や考古学者や人類学者にとって主要な関心事でした。本論文は学際的研究を通じて、この先史時代社会の遺伝的親族関係と配偶戦略と根底にある社会組織を再構成できます。本論文は、血族配偶が後期新石器時代社会において行なわれており、それが中国の歴史的記録での証明よりも約2000年早かった、という直接的証拠を提供します。
さらに本論文は、同じ世帯の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会においては核家族を超えた拡大家族が基礎的な世帯として機能し、龍山文化期には遺伝的親族関係が依然として社会組織の主要な焦点として機能した、という明示的兆候を提供します。本論文の個体群が単一の遺跡に由来することは、強調されねばなりません。さまざまな地域と墓地のより大規模な標本でのさらなるこうした研究は、龍山文化社会の配偶慣行や埋葬パターンや社会組織について、より詳細な知識を提供するでしょう。以下は本論文の要約図です。
●本論文の限界
本論文では、中国河南省の平糧台遺跡の古代人4個体のゲノム規模データを調べ、その標本規模は比較的限られており、現在の分析は、最大3親等の親族の遺伝的関係の程度を正確に推定できる、124万タッチダウンアレルのみに制約されています。後期新石器時代のさまざまな遺跡のより多くの標本と、特に高網羅率の古代人ゲノムを伴うさらなる研究が、中原地域と中国全体の社会組織のより包括的な理解を得るために必要であることに要注意です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は後期新石器時代の黄河流域における近親交配の事例を報告していますが、同時に中国で発見された先史時代個体群において近親交配が稀だったことも示唆しています。本論文が指摘するように、近親交配自体は人類史において珍しくありませんが、それは、太古の人類社会で近親交配が一般的だったことの名残で、「社会の発展」とともに倫理的に抑制されていったというよりは、人類にも他の動物と共通の起源に由来する近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体は備わっており、更新世(やさらにさかのぼって鮮新世や中新世)にも近親交配は避けられていたものの、近縁の現生分類群であるチンパンジー属やゴリラ属のように、その仕組みはさほど強力ではないので、時として近親交配が行なわれた、ということなのだと思います(関連記事)。
近親交配を推進する要因としては、本論文で指摘されている、支配層の特権性があります。もう一つ想定されるのは人口密度と社会的流動性と移動性の低い社会で、近親交配を回避しない配偶行動の方が適応度を高めると考えられます。更新世の人類社会は後者の状況に陥ることが多かったでしょうから、完新世と比較して近親交配が多かったかもしれず、その可能性を示唆した研究もあります(関連記事)。じっさい、現生人類(Homo sapiens)ではありませんが、シベリア南部のアルタイ山脈のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)で近親交配の個体が確認されています(関連記事)。
しかし、クロアチアで発見されたネアンデルタール人では近親交配の痕跡が確認されておらず(関連記事)、やはり更新世人類においても基本的に近親交配は避けられていたのでしょう。人類の「原始社会」を親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定する唯物史観的な「原始乱婚説」が成立するとは、現在の知見からはとても思えません。本論文が提示した龍山文化期の平糧台遺跡の事例は、人口規模が大きく、南方からの人類集団の移動も推測されるなど、移動性も比較的高かったと考えられるので、その理由は支配層の特権性維持の可能性の方が高そうです。
参考文献:
Ning C. et al.(2021): Ancient genome analyses shed light on kinship organization and mating practice of Late Neolithic society in China. iScience, 24, 11, 103352.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103352
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